高校時代、大瀧詠一などが中心となってクレージーキャッツの再評価が行われた。
そして大瀧詠一監修で、クレージーのベスト盤LP(すでにCDも出ていた時期のはずだが、まだハードが高く、一般的ではなかった)が発売され当然買った。
いやーもうこれが面白い面白い。それまでの自分の価値観をひっくり返すような面白さだった。当時、マンガ家のとりみきや小説家の火浦功などが作中にクレージーのネタを盛り込んでいたが、そのオマージュ振りも納得なすごさだった。
オレは植木等になりたいと思った。植木等的人物ではない、植木等その人だ。ガキがウルトラマンや仮面ライダーになりたいとか言ってるのと同じように、植木等になりたかった。
とりあえず、生徒会が生徒会室で会議をやっているところに、おもむろに入っていって関係ないことをやったあげく、しーんとした生徒会役員に向かって「お呼びでない。お呼びでないね。こらまた失礼いたしましたと」と退場していくギャグをやった。(後で怒られた)
廊下をスーダラ節を歌いながら歩く。(教師に怒られた。自由な校風でも限界はあるようだ)
などなどをやったものだ。若かったなぁ。
植木等とは架空の人物である。それを演ずる植木等という人物はいるが、本人の性格は寺の息子だけあってかなり真面目で堅い。クレージーキャッツのことはコミックバンドだと思いこんでいる人の多いようだが、もともとは進駐軍向けのクラブで演奏していたジャズバンド。実力はかなり高かったそうで、谷啓は当時日本で一番トロンボーンが上手い男と称されていたそうだ。もっとも、かなり無茶をやっていたとも聞く。あまりに無茶をやるので進駐軍の兵隊から「お前らはクレージーだ」と言われたのが後のバンド名『クレージーキャッツ』の由来だとか。
植木等に話を戻すと、テレビや映画に登場する植木等は、植木等本人の性格とはかけ離れている。その芸能人植木等の人格を作り上げたのは青島幸夫をはじめとする構成作家や脚本家だ。スーダラでスチャラカでホンダラダホイホイな人物像に、当初リアル植木等はかなり悩んだようだ。その本人の苦悩があったからこそ、メディア上の植木等はあれほどパワフルで素敵なキャラクターとなったのではないだろうか。自己矛盾を抱え、構成作家とのせめぎ合いで悩んだ末での大爆発。だからこそあれほど破壊力が強かったのだ。
名古屋のTV局で『名古屋嫁取り物語』とかいうドラマが何作か作られているが、そのドラマで父親役を演じていたのが植木等。なんでだ?と思っていたのだが、実は植木等は名古屋生まれなんだそうだ。東京人の匂いがするのでちょっと以外。
当時、レンタルビデオはまだ黎明期で、ダビングしたソフトを平気で貸しているような時代だった。まだまだ本数も少なく、植木等の「無責任シリーズ」や「クレージーシリーズ」はなかった。
テレビで放送することもまれで、『ニッポン無責任時代』など数本をやっと観ることが出来る程度の状態だった。
社会人になってからの話だから、これはまた別の話だが、東京の映画館で『無責任シリーズ』一挙上映という企画があり、もちろん通い詰めた。
『クレージーシリーズ』は昨年だかにスカパー!の日本映画専門チャンネルでその多くが放映され、もちろん観て録画もした。どれもこれもくだらないのだが、そのくだらなさがいいんだと力説しておく。
小説の師匠である横田順彌、しゃべりの師匠であるつボイノリオ、映画の師匠であるジョン・ランディス。この方々には大きな影響を受けたし、目標でもある。
しかし、その人物そのものになりたいと思ったのは植木等だけである。
こうして多感な高校時代に植木等とクレージーキャッツに出会ったオレは、スチャラカでスーダラでだまって俺について来いでウンジャラゲでホンダラダホイホイで観た映画が五万本で、そしてなにより無責任になっていった。