« 映画バカ青春記 第18章 次第にアニメを観なくなった | メイン | 映画バカ青春記 第20章 次第にマイコンを使わなくなった »

映画バカ青春記 第19章 昼飯代を節約して映画に行こう

 高校に入ったオレは月に3000円か4000円程度の小遣いをもらっていた。
 愛読しているSFマガジンとSFアドベンチャーを買い、本を数冊買うと小遣いはもうなくなってしまう。
 そこで何とか映画代を捻出すべく考え出したのが、昼飯節制大作戦だ。

 高校は給食がなく弁当か購買でパンを買うかだったが、オレは母親がパートで仕事をしていることもあり、弁当ではなくパン代として1日500円もらっていた。
 その500円でカレーパンや焼きそばパンなどを1つ買い、50円か60円だったパック入りのジュースを買う。併せて150円ぐらいだったろうか。すると500円-150円=350円となり、週に1750円が手元に残る。その金は主に映画を観に行くことに使った。
 年間50本を目安にして、毎年その目標をクリアしていた。1984年頃の名古屋は2本立てが一般的で、1本分の金額で2本観られた。高校生料金がいくらだったか覚えていないが、1200~1300円ぐらいではなかったろうか。
 月に2,3回観に行くと月に4~6本だから年間60本程度。お金もちょっと残るので、パンフを買ったり他の遊びに使う。

 だが、育ち盛りの男子高校生が毎日毎日パン一個で足りるはずがない。
 そこでオレはどうしても腹が減ってしょうがないときは、一緒に昼食を食べている友達に頼んでおかずを分けてもらったりしていた。今考えると情けない。なんつーか激しく情けない。友達もさぞ迷惑だったことだろう。
 でも、高校時代に飯を恵んでくれと頼んでくる奴がいたというのは、彼らにとっても青春の一つの思い出となっているかもしれない。うん、プラス思考、プラス思考。・・・そういうのってプラス思考っていうかぁ?

 その頃の半田市には東宝の洋画系・邦画系がそれぞれ1館ずつ。東映の洋画系・邦画系が1館ずつあった。それ以外にはにっかつの劇場もあったが、そこは高校生は立ち入り禁止。東宝、東映ともいまでは無くなり、代わりにシネマコンプレックスがあるが、にっかつだけはまだ残っているようだ。もっとも一度も行ったことはないし、これからもないだろう。
 にっかつが1980年代末にロッポニカと銘打って一般作を上映したことがある。それを観るために名古屋のにっかつ系劇場に2度行ったことがあるが、なんつーか独特の雰囲気だった。

 映画に興味が出てくると地元の半田市で上映される作品だけでは満足できなくなってきた。
 たった4館では上映されない作品も多い。特に小劇場向けの作品やリバイバルはまず公開されない。
 オレの住んでいた知多半島を北上するとその付け根に名古屋市がある。名古屋までは片道およそ35km。電車で30分だ。だったら名古屋まで観に行けばいいのだが、電車賃が片道500円近かった。田舎だし車社会なので電車賃が高いのだ。東京で500円出したら延々遠くまで行けるぞ。

 電車賃で映画1回分の金額がかかるのでは堪らないと思ったオレは、自転車で名古屋まで通うことにした。自転車はサイクリング用ではなく、中学時代に買った変速機のレバーがオートマチック車のシフトレバーの形をした、当時としてはごく普通の少年向き自転車。
 35kmの距離をギコギコとペダルをこいでいくと約2時間かかった。朝の8時頃に家を出て、10時頃に名古屋に着き、映画を2本観ると午後2時。そして家に帰るのにさらに2時間で帰宅は午後4時。
 自転車で名古屋まで行っていることを知られると怒られるかなと思い、親には内緒にしておいた。だが悪いことは出来ないもので、いや別に悪いことをしている訳じゃないが、名古屋駅まで後少しの場所にある金山駅近くを走っているときに、姉の友人に目撃されてしまった。友人から「弟さんが金山を自転車で走っていたよ」と聞かされた姉は、最初信じなかったようだが、夕飯の時に追求してきて、オレはついつい口を割ってしまった。
 母親は「車には気をつけるのよ」とだけ言った。
 翌週からオレは堂々と自転車で名古屋へと向かった。
 ギコギコギコ。胸を張ってペダルをこいでも、やはり名古屋は遠かった。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.jion-net.com/mt/mt-tb.cgi/4883

コメントを投稿