2006年8月アーカイブ

 体育祭のデコレーションを作ったり、彼女が出来たりしている間も時は一刻一刻と過ぎ、高校3年の残りも少なくなっていった。
 このままずっと高校生のままバカな生活を続けていたいが、そんなのが存在するのは『うる星やつら』などコミックかアニメの世界だけ。現実の世界では時は流れ、人は前に進まざるを得ない。

 いくら成績が悪いと言っても留年するほどじゃない。このままでは来年1987年の3月には卒業して世間にほっぽり出されてしまう。となると、今度のみの振り方を考えなければならない。
 就職というのは最初から頭になかった。オレが就職するのは映画業界なので、田舎の高校生がひょいっと入っていける世界ではない。
 かといって、映画の専門学校に進学する気もなかった。最初は少しあったのだが、調べてみるとどうも学費ばかり高い割にたいした授業をやらず、就職率も低く、そこ出身で活躍している映画人もあまりいない。(これは1986年後半時点でのことだ。現在どうなっているかは知らない)
 となると大学だ。
 大学は大きく分けて公立大学と私立大学がある。共通一次、二次試験があるヤツとないヤツだ。
 共通一次試験、共通二次試験とは今で言うセンター試験のこと。名称がセンター試験に変わったのは1990年度からなので、オレらの頃はまだ共通試験だったのだ。共通試験世代・・・うーん、おっさんくさい。

 公立大学、つまり共通試験を受けることになると、国語、数学、英語、社会、理科の5教科のテストを受けなければならない。国語、社会はなんとなかるが、数学、英語、理科がもうどうにもとまらない、じゃなかったどうにもならない。
 総合学力という面では、オレはまるで駄目な受験戦士だったのだ。
 だが、半田高校で300番台という成績ながら、それはトータルでの結果であって、国語と世界史においてはかなりの点を取っていた。
 今、手元にないので不確実な情報だが、1万数千人が受けた全国模試で、現国の成績が100位以内だったこともある。
 全ての軍事活動を器用にこなす万能兵士にはなれなかったが、「1shot、1kill」の狙撃兵や、小柄で忍耐強く、ベトコンが縦横無尽に張り巡らせたトンネルに潜っていって任務をこなす通称「トンネルネズミ」など、限定された局面で力を発揮する特化型受験兵士だったのだ。

 公立大学は受けずに私立大学に絞る時点で名古屋圏内からでることは諦めた。
 早稲田・慶応クラスならば親も学費以外に下宿代や生活費を出してくれるだろうが、2流大学や3流大学では無理だろう。
 もっとも、それはオレの勝手な思いこみで、どうやら底辺大学でもない限り東京だろうが大阪だろうが好きなところに行けという思いだったようだ。特に母親は、一度は東京に出て欲しいと思っていたそうで、それを先に行ってくれればなぁと後に話していて思った。

 1986年当時の名古屋の私立大学をランク付けしてみよう。
 オレは文系男子なので、理系および女子大は省いた。

Aクラス N山大学

Bクラス A知大学、名城大学、A学院大学

Cクラス C京大学、C部大学、N本福祉大学

Dクラス・Eクラス N古屋経済大学、N古屋学院大学、S城大学

 現時点での名古屋の私大のレベルは知らないが、当時はこんな感じだった。
 履歴書に書いて誇れるのは正直N山大学だけ。ここだけ何故か他の私大とちょっと雰囲気が違って、なんかハイソだった。まぁ気がするだけだろうが。

 Cランクはそこに行くぐらいなら浪人して来年受け直すなといった感じ。該当大学の人が読んでいたらすまん。でも、これがオレの素直な印象なんだよ。

 で、受験するのは個人的にBランクとしたA知大学、名城大学、A学院大学の3大学。
 3つ受ければ、どこか一つは受かるだろうという脳天気振り。

 で、ここでやっと担任の教師のところへ進路の相談に行った。
 ここまでは基本的に全部自分で情報を集めて、考え決めたこと。
 だが、半田高校ではこれが普通だった。
 どこを受験するとかいった受験校絞りは自分でやって、最後を教師と一緒に詰める。教師がするのは基本的に助言だけだ。
 担任の教師にもよるだろうが、どう考えたって東大は無理っ!というヤツが東大受験を希望しても、諭しはするだろうが最終的な判断は本人に任せただろう。仮に、その年の受験で失敗して浪人しても、2浪、3浪して東大に入るヤツだってたくさんいる。その可能性の芽をつぶすことはないのだ。
 でも、やっぱ受からんヤツはどーやっても受からんけどな。

 だから、オレの志望校も「ま、妥当だな」程度だった。
「東森はやれば出来るヤツだから、いっそのこと1年浪人して受験勉強だけに集中してみる気はないか。そして公立を受けてみろ」
 とも言われたが、「お前はやれば出来るヤツというセリフは小学校の頃から何度も言われてきました。そして悟ったのですが、出来るヤツというのは、結局ちゃんとやれるヤツなんですよ。オレはまったくやれないヤツなんで、今の身の丈で考えます」と答えた。

 オレが受験することにした3校とも、入試科目は国語、英語、社会の3科目だった。オレの場合、社会は世界史を選択した。
 国語については自信があった。模試においても数字で結果が表れていた。受験勉強も特にした記憶がない。というか、多分してない。
 世界史は正直波があった。ローマ時代や近代史は得意なのだが、中世が弱いのだ。だって、面白くないんだもん、あの時代。
 英語に関しては、もはやどこから手を付けて良いか分からないぐらい出来が悪かった。

 世界史と英語について、問題集をぼちぼちとやり始めた。
 だが、必死になってやったという記憶がない。苦労したことはしつこく覚えている性格だから、実際たいしてやっていないのだろう。
 落第したら浪人するか。でも、オレの場合は浪人しても絶対勉強しないだろうから、現役で入らないとズルズル行っちゃうよなぁなどと考えた覚えがある。

 ドラゴンと城の解体作業の後に、簡単な反省会が行われた。
 製作委員が、一人一人に感謝の言葉を述べていった。
「○は、無理なデザインをよく実現させてくれた。
 △は、ブレスのメカニズムのアイディアを考えてくれてありがとう。
 □は、大量の段ボールの確保とその運搬に努力してくれた。
 東森は・・・東森は色々なところで俺たちでは気づかない細かなアイディアをたくさん出してくれた」
「おい、それってあちこち無意味にうろちょろして、あれこれ口を挟みまくって邪魔だったって事?」
「そうともいう」
「いうなよっ!」

 そして、次の休みに打ち上げでボウリングと食事会を行うこととなった。

 当日はボウリング場に現地集合。半田市にもボウリング場はあったのだが、何故か会場は常滑のボウリング場。今では中部国際空港で有名になった常滑市だが、当時は常滑焼きしかなかった。
 半田市と常滑市というと、地図では隣り合わせだが、電車で行くとなると、半田から名鉄に乗って北上し、東海市の太田川という駅で常滑線に乗り換えて南下。結構時間がかかるのだ。
 おそらく幹事が常滑の人間だったのだろう。普段、我々が通学にどれだけ苦労しているかを思い知らせるためだったのではと愚考している。、

 ボウリング大会終了後、食事会は何故だか半田市。半田高校近くの喫茶店だった。
 かなり意味不明な流れなのだが、その流れがオレにはとても良い状況をもたらしてくれた。
 ボウリング場から常滑駅まで離れているので、半田市には名鉄ではなくバスで移動することとなった。
 バス停まで、ダラダラと列になって歩く。バス停までは数キロはあった記憶がある。
 その最中でオレはさりげなくNさんに近づいて話しかけた。
 Nさんは眼鏡をかけ、ちょっとぽやぽやっとした感じだが、話しているとすごく頭の回転が速い。実にオレ好みの娘だった。
 あれやこれやとギャグを交えながら話を続け、反応はなかなか良かったように思う。
 ふと気がつくと、オレとNさんの2人は、前のグループからも後ろのグループからも10メートルほど離れて二人きりで歩いていた。振り向くと、中学時代からの友達Mがニヤニヤ笑っていた。
 いらん気を遣うんじゃねぇぇぇ!

 食事会でオレはすかさずNさんの隣に陣取った。
 高校生の打ち上げなのでアルコールはなし。世の中には打ち上げでアルコールを飲む高校生もいるだろうが、オレたちはそういうグループではなかった。
 にぎやかに会食が続き、オレはNさんの気を引こうとあれこれ必死だった。

 食事会も終了し、店の表で記念写真を撮った。
 記念写真の後で、オレはNさんに「ちょっと、いいかな」とみんなの集まっている中から連れ出した。
 もちろん、告白のためである。
「君が好きだ。良かったら付き合ってくれないか」
 そんなことを言ったのだと思う。
 彼女の答えは「はい」だった。
 それまでの反応から良い返事は期待していた物の、実際に耳にするとオレの耳がおかしくなっているんじゃないかと思ったほどだ。
 こうして、オレとNさんは付き合うこととなった。

 さりげなくみんなのところに戻ると、一斉に拍手で出迎えられた。
 なんのことはない、オレの態度がバレバレで、全てみんなにお見通しだったのだ。
 えーい、ちくしょう。『中学生日記』か、お前らは。
 うれしいぞ、ばかやろ。

 この打ち上げが10月頃。
 つきあい始めたと言っても、お互いに大学受験を控えた高校3年生。
 どこかに遊びに行くような余裕はなく、学校の帰りに打ち上げをやった喫茶店でお茶を飲んだり、何度かNさんが家へ遊びに来たぐらいだった。
 田舎の高校生だったので、いや、多分オレが奥手だったので手をつなぐのがやっとだった。
 オレが体調を崩して学校を休んだことがある。クラスが違うNさんが学校にオレの姿がないのに気がついて、俺のクラスに入っていって出席簿を見た。そして休みだと知ったNさんはわざわざお見舞いに来てくれた。風邪だったりしてNさんに移してはいけないので、ほんのちょっと話しただけで帰ってもらったが、その後ろ姿を見たらものすごく愛しくなって、思わず後ろから抱きしめてしまった。
 これが彼女との最大の接近遭遇だった。
 翌日にはオレは調子が戻ったので学校に行った。幸いに風邪ではなかったか、風邪だったかとしても移らなかったのか、Nさんも元気に登校していた。顔を合わせて、お互いにちょっと照れたりしてた。

 さっきも書いたがNさんとはクラスが違っていた。クラスだけではなく、Nさんは理系クラス、オレは文系クラス。そのため合同授業などで顔を合わすことはなく、会えるのは休み時間か放課後。
 でも、受験勉強もやらなければいけない。恋していたとしても、それが学生の本分だ。

 なんてことをいってみるが、受験に関しては後でまた書くが、オレは全然勉強しちゃいなかった。
 しかし、Nさんはしっかりやっていた。女の子なのに理系クラスなどと書くと女性差別問題団体からクレームがくるかもしれないが、やはり理系の女生徒は少ない。
 そしてNさんはかなり勉強が出来た。受験が終わり、それぞれに進路が決まり、オレとNさんは当然のごとく別の大学に進学することになった。そして、そのまま自然消滅という形で気がついたら恋は終わっていた。

 大学1年の夏休みに、一度だけNさんとあったことがある。
 高校時代にちょっとあった野暮ったさが抜けていた。
 外観よりも、むしろその頭の良さや回転の速さに惚れたオレから見ても魅力的になっていた。
 どう、元気にしてる?
 そんな無難な挨拶をして分かれた。
 それからおよそ20年、以来彼女にあったことはない。

 高校も3年生になると、部活は引退しているし、柊祭実行委員は1,2年のみ。クラスではイベントをやらないというので暇である。
 暇だ?暇だ?と校内をうろうろしていたら、文化祭である柊祭の一環として祭りの最後に行われる体育祭の手伝いをしないかと誘いがあった。
 体育祭の華といえば応援合戦だが、その応援合戦を彩る飾り、たしかデコレーションと呼んでいたと思うが、そのデコレーションの制作である。
 応援合戦のデコレーション?子供用の御輿みたいな物かなどとあなどってもらってはこまる。
 イナバの物置3?4個ほどの大きさの城に潜むドラゴンのデコレーション。本番まではドラゴンは城の中に隠れていて、いざ本番となると、口から消火器のブレスを吐きながら全面の壁をぶち倒して登場する。仕上げが間に合わずに、前日の夜はデコレーション製作委員の男子は、学校に隠れて泊まり込みをして作業をして、ようやく間に合ったのだ。
 おかげで体育祭当日は眠くてふらふらだったが、それでも体育祭だから飛んだり走ったりしたわけで、若かったんだなと思う。
 ドラゴン製作で特に苦労したのが、口から吐く白いブレス。胴体の中に人が潜んでいて、消火器を噴射させ、噴射口に繋がったホースから消火粉が首の中を通って口から白いブレスとなって吹き出す。
 ホースのねじれが上手く直せなかったし、消火器の数がないので、テストが一回切りしかできなかった。それでも当日は上手く動作してくれた。
 かなりの大きさで、しかも手が込んでいる。受験を控えた高校3年生が作る作り込み具合だろうかこれは。

 ドラゴンの高さはおよそ2メートル30センチ。しっぽの先までを含めた全長はおよそ4メートル。1ボックスのバンぐらいの大きさはある。
 まずは竹で外観の枠を作り、その上に新聞紙を貼る。その上にさらに白いB紙を貼る。
 最初は、このB紙にドラゴンの鱗を緑の絵の具で描くことになっていたが、どうもそれでは質感が出ない。
 製作委員みんなであたまをしぼったあげくに思いついたのが、「鱗を一枚一枚段ボールで作って、貼り付けよう」

 いいのか?それでいいのか受験生?

 夏休みもあまり休むことなく毎日学校に来ては作業をしていた。他の人は、午前中作業をしたら、午後は自習室で勉強。午前中勉強した者は、午後から製作に参加するケースが多かったが、オレは一日中やっていた。
 暑い夏だった。汗だくになりながら、笑ったりはしゃいだりしながら作業を続けた。
 オレが電動式水鉄砲を二丁買ってきて撃ち合いになって駆けずり回ったりもした。ほんのつかの間、受験を忘れる貴重な時間だったのだ。
 もっとも、オレははなっから忘れていたが。
 最初は無茶な計画で、間に合うとも思えなかったのが、段々とドラゴンと城に見えるようになっていった。

 製作委員の子の一人に、眼鏡をかけた女の子がいた。オレはどうもその子が気になって、あれこれ話しかけたりギャグをやったりしていた。相手の反応もそう悪くなかった。
 うーむ、これは恋しちゃったかも。
 受験勉強もせずに映画ばかり観て、デコレーション作って、おまけに恋ときたもんだ。

 毎年、3年生のデコレーションは見事なのだが、今年は特に素晴らしい作品だった。
 デコレーション大賞はもちろん、3年。
 オレは1年生の時はデコレーション作成に関わっていないが、その時はゴジラを作った。3メートルほどの大きさで、確かにでかかったが出来は良くなかった。オレの年が特に出来が悪かったのではなく、例年1年生の作品はそんな物。それが、3年になると程度の差はあれ、かなりのデコレーションを作ってくる。
 そこに、3年間における生徒の成長を感じたりもする。

 ドラゴンの出来があまりに良かったので、いやこれは自画自賛ではなく、本当に良くできていたと思う。近くの幼稚園の庭に数日間置かせてもらうことになった。
 なにしろ、大型トラックでもなければ乗らない大きさなので、みんなで御輿の要領でかついでいった。張り子構造なので大きさの割に軽いのだ。

 高校で自分が運営する側でのイベントはこれが最後となった。
 後は予餞会と卒業式を残すのみだが、これは出席するだけ。
 やいのやいのと騒いでいた高校生活も、次第にラストが近づいてきた。
 空は高く、季節は秋めき、日が暮れる物とっぷり早くなった。
 柊祭が終わるともう10月。進路調査や個別指導が始まる。
 そしてオレは、進路について「ま、なんとかなるんじゃない」と気楽に考え、それよりも眼鏡の女の子Mさんのことで頭がいっぱいだった。

1986年にオレが劇場で観た映画。

ゴリラ
アイアン・イーグル
愛と哀しみの果て
赤ちゃんに乾杯!
悪魔のいけにえ2
アフター・アワーズ
阿羅漢
イヤー・オブ・ザ・ドラゴン
栄光のエンブレム
エイリアン2
エクスプロラーズ
XYZマーダーズ
L.A.大捜査線/狼たちの街
エルム街の悪夢
オーソン・ウェルズのフォルスタッフ
オズ
カイロの紫のバラ
ガバリン
カラーパープル
きのうの夜は...
恐竜伝説ベイビー
キングコング2
ロマンシング・アドベンチャー/キング・ソロモンの秘宝
クイックシルバー
蜘蛛女のキス
クラブ・ラインストーン/今夜は最高!
クリープショー
グレイフォックス
コブラ
コマンドー
コルドロン
殺したい女
サイレント・ランニング
殺人ゲームへの招待
サブウェイ
サンダーアーム/龍兄虎弟
ジェニファーの恋愛同盟
地獄のコマンド
上海サプライズ
13日の金曜日PART6/ジェイソンは生きていた!
ショート・サーキット
死霊のえじき
シルバラード
白と黒のナイフ
ストレンジャー・ザン・パラダイス
スパイ・ライク・アス
スペースインベーダー
スペースキャンプ
スペクターX
セント・エルモス・ファイアー
第5惑星
ダウン・バイ・ロー
ティーン・ウルフ
デモンズ
デルタ・フォース
天才アカデミー
ときめきサイエンス
トップガン
ナイルの宝石
ナインハーフ
ナビゲイター
パーマネント・バケーション
ハイランダー/悪魔の戦士
ハスラー2
バタリアン
800万の死にざま
ハワード・ザ・ダック/暗黒魔王の陰謀
ビギナーズ
ピクニックatハンギング・ロック
ヒッチャー
ビバリーヒルズ・バム
ピンク・フラミンゴ
ファンダンゴ
フール・フォア・ラブ
ブラックライダー
プリティ・イン・ピンク/恋人たちの街角
プリンス/アンダー・ザ・チェリー・ムーン
ブレックファスト・クラブ
ベスト・キッド2
暴走機関車
ポーキーズ/最後の反撃
ホテル・ニューハンプシャー
ポリエステル
ポリスアカデミー3/全員再訓練!
ポルターガイスト2
ホワイトナイツ/白夜
マイナー・ブラザース/史上最大の賭け
マドンナのスーザンを探して
マネー・ピット
マリリンとアインシュタイン
未来世紀ブラジル
ヤング・シャーロック/ピラミッドの謎
ラビリンス/魔王の迷宮
ランナウェイ/18才の標的
リンク
霊幻道士
霊幻道士2/キョンシーの息子たち!
レモ/第1の挑戦
ロッキー4/炎の友情
ワイルドキャッツ
ジャズ大名
星空のむこうの国
ザ・サムライ
ドン松五郎の生活
ア・ホーマンス
夢みるように眠りたい
コミック雑誌なんかいらない!
犬死にせしもの
彼のオートバイ、彼女の島
熱海殺人事件
新・喜びも悲しみも幾歳月
子猫物語
チェッカーズ SONG FOR U.S.A
天空の城ラピュタ
キネマの天地
ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎哀歌
BE FREE!
おニャン子・ザ・ムービー 危機イッパツ!
そろばんずく
野ゆき山ゆき海べゆき
めぞん一刻
11人いる!
扉を開けて

 大学受験を控えた高校3年生が、観も観たり映画館で123本である。
 ただ、『サブウェイ』は1986年公開となっているが、1987年にシネマテークで観た記憶があるので、多少減るかもしれないがそれでも100本は超えている。
 もうね、受験捨ててますよ。いや、捨てると言うからには多少は受験のことを考えているということで、すでに受験のことなんか頭にないっすよ、マジで。

 学校側も親も、「勉強しろ、勉強しろ」とうるさくは言ってこなかった。だから勉強しなかった。
 それによって、進路が狭まったのは確かだが、今になって振り返ってみて、
「映画を観てあまり勉強しないか。映画を観ないでがんばって勉強するか」
 と問われたら、また映画を観る生活をやると思う。
 17、18という年齢はその時にしかないし、その時に映画に目覚めているのと、もう少し遅くなるのとではかなりのハンデになる。大学で映画に目覚めたのではなく、高校時代に目覚めていたのは自分にとって偏差値の高い学校に行くことよりも価値があった。
 それに、その結果として行った大学に満足してるしさ。ま、それはまた後の話。

この年で記憶に残っている洋画
良い意味で。
 ・レモ/第1の挑戦(同時上映が『マドンナのスーザンを探して』だった。意味不明な組み合わせだ。
 ・エイリアン2
 ・エクスプロラーズ
 ・フール・フォア・ラブ
 ・ストレンジャー・ザン・パラダイス

悪い意味で
 ・愛と哀しみの果て
 ・上海サプライズ
 ・白と黒のナイフ
 ・第5惑星
 ・ブレックファスト・クラブ

微妙な意味で
 ・ピンク・フラミンゴ
 ・ポリエステル

記憶に残っている日本映画
良い意味で
 ・ジャズ大名
 ・ザ・サムライ
 ・星空のむこうの国
 ・ア・ホーマンス
 ・天空の城ラピュタ


悪い意味で
 ・熱海殺人事件(芝居そのままを映画でやる意味が分からん)
 ・ドン松五郎の生活
 ・キネマの天地
 ・犬死にせしもの(この作品を撮った男がテレビで他人の映画をクサしてるんだから・・・)
 ・おニャン子・ザ・ムービー 危機イッパツ!

微妙な意味で
 ・夢みるように眠りたい(林海象はこれを撮った時点で死んでおけば伝説になれたのに)

 ちんとろ祭りの翌日、その日曜日は晴れていた。
 名鉄知多半田駅前で昼過ぎに待ち合わせをして、駅前にあったユニー半田店というデパートと大型スーパーの中間のような店をぶらついた。
 そのユニー半田店は今ではなくなり、同系列の会社のスーパーであるユーストアとなっている。

 ユニーの中にある喫茶店で休憩して、あれこれ会話をした。
 共通の趣味として読書があがったが、オレはSFと推理小説、冒険小説派なので今ひとつ話が合わなかった記憶がある。
 映画については、たまにテレビでやっているのを観る程度とのこと。
 まぁなんだかんだで話している内に夕方近くなったので、彼女を家まで送っていった。
 今で言えばジャスコでデートをしたようなもので、色気も何もないが、まだ名古屋まで遊びに行くというほどの関わりではなかったし、他に半田で遊べるようなところは大してなかったのだ。

 彼女の家は、名鉄知多半田駅を始点とすると、オレの家は西側へ2kmほど、彼女の家は東側へ1.5kmほどとほぼ反対方向。
 だが、その後も彼女と会ったときは、必ず家まで送っていった。少しでも一緒にいたかったのだろう。
 送っていく最中で、中島みゆきのオールナイトニッポンの話になった。

 彼女の家まで着いたので、「じゃあまた」と帰ろうとしたら、ちょっとお茶を飲んでいきませんかと声をかけられた。
 遠慮を知らないオレは、彼女の部屋に上がり込んだ。これまでデートなどほとんどしたことがないオレが、初デートで部屋まで上がり込むとはなかなかだ。
 お茶を飲みながら、帰り道の話に出てきた中島みゆきのレコードを聴いた。
 オレはオールナイトニッポンでの中島みゆきのしゃべりは好きだが、歌は正直どうでもいいのだが、黙って大人しく聴いていた。

 彼女とは3ヶ月ほどデートをしたり、遊んだりする仲となった。
 しかし、彼女の人格はすごく好きなのだが、趣味がほとんど合わず、過激でスチャラカなオレの性格とは合わない感じがしたので、自然消滅してしまった。
 同じ学校の生徒なので、たまに顔を合わせることもあった。無視するのも何なので、軽く挨拶をする程度。

 Mと一緒にお祭りの縁日に乗り込んだオレは、射撃屋でダーティーハリー直伝の腕前を披露して、「えーっ、当たったよ。なんでビクともしないんだよ。接着剤でくっつけてあるんじゃねーの。あっ、今度は倒れた、やった。えーっ、棚から下に落ちないと駄目なの?」と騒いだり、チョコバナナを食ったりしていた。

 住吉神社という神社で行われるこの春祭りは、ちんとろ祭りと呼ばれている。
 昼は大きな山車が街を練り歩き、夜は神社の大きな池にちんとろ舟という、提灯などの明かり物で飾られた二隻の船が幻想的な姿を見せる。
 地方としては割と大きな祭りで、人も集まり、縁日の境内も広々とした神社の隅から隅まで使っていて、左右に夜店が並んだその通りは、全長数百メートルの長さになるだろう。
 欲しい物ややりたい事をやっていたらお金がいくらあっても足りない。
 ひやかしながらぶらぶらしているうちに、オレはMとはぐれてしまった。
 まぁ子供じゃないし、そのうち見つかるだろうと一人で散策を続けた。
 そして、通りの向かいに、今日の昼間にあった女の子の姿を見つけた。

 髪が長く、身長が170センチと女の子としては背の高い彼女は目立ったのですぐに見つけられた。いや、仮に身長が155センチでも見つけられただろう。
 まだ、はっきりとはしていなかったが、オレは彼女にどこか心惹かれるものを感じていたのだ。
 このチャンスを逃す手はないと、さっそく声をかけた。
 まるでナンパ野郎だが、こんなことをやるのは初めてだ。

 どんな風に話しかけたのかはまるで覚えていない。
「よう、やっぱり来てたんだ」
 とかそんなところだろう。
 彼女は昼間も一緒だった友達と一緒だった。
 そして、挨拶だけでは終わらずに三人で縁日を回ることとなった。
 これも何をどうしたかは覚えていない。
 普通に振る舞ったつもりだが、もしかしたらあがってトンチンカンなことを言っていたのかもしれないが、まぁ普段からトンチンカンなので他人からはあまり区別がつかないだろう。
 Mのことはすっかり忘れた。で、その日はそのまま会えずじまい。すまん、M。だが、男には選択せねばならぬ時があるのだよ。

 そろそろ帰ろうかとなって、オレは自転車で来た彼女たちを自転車置き場まで送っていった。
 オレは思いきって言った。
「なあ、せっかく知り合ったんだし、明日の日曜日も遊ばない」

 友達のIさんは都合が悪いとかで、彼女とだけ会うことになった。
 つまり1対1だ。
 翌日、知多半田駅前で会う約束をして、彼女たちと別れた。
 一人になってオレは思わずガッツポーズをした。
 その手には、祭りの最後に買った、真っ赤なリンゴ飴を持っていた。

 進学時の春休みと違い、在学中のそれはえらく短い。
 卒業式が終わり、終業式が終わり、休みに入ったなと思ったら、あっという間に新学期。
 なにやら映画を観に行ったり、本を読んだり、すちゃらかしたりしてたのだろうが、何一つ覚えていない。
 この短い休みに、がんばるヤツはがんばって、本気でがんばって、自宅や名古屋の進学塾で勉強をしていたのだろう。それこそ背後に集中線をとばして、ベタフラ飛んでっ!ああっ、ジェット・リーとキアヌ・リーブスがスローで回転しつつ空を舞うっ!
 その時間の過ごし方の差が、半年後、10ヶ月後に如実になっていくのだが、まぁそれは後の話。

 春休みというのは一つの「休み」ではなく、「ゴールデンウィーク」などの連休がなんかちょっと長くなった程度の感覚だ。
 ただし、次に登校してきた時には学年が一つ上がり、クラス替えがあり、仲の良かったヤツと別のクラスになったりした。
 特にオレの場合、理系クラスから文系クラスへと文転したので、2年の時と同じ顔ぶれは一人もいなかった。おかげで、教室の隅にある机で暗くしょんぼりと背中を丸めて、ノートに痩せた猫の絵を描いて・・・なんてことはなく、クラスは違えども、柊祭や生徒会活動で知り合っていた奴らとすちゃらかするようになった。

 新学期早々の土曜日放課後、予餞会の反省会が行われた。
 本来ならば、前年度の3学期中に行われるべき物だったが、行事や期末試験などで忙しかったため、年度をまたいでしまったのだ。
 反省会といっても、特に詰問があったりするわけではない。そもそも出席しているオレを含めた3年生にとっては、次回の予餞会は送られる立場な訳で、反省も何もあったもんじゃない。
 形ばかりの反省会の後に、放送部が演劇『不思議の国のアリス』を録画しておいたので、演劇部代表としてオレが録画ビデオの鑑賞会を開いた。
 出席は自由参加で、10名ほどが参加したのだと思う。
 1時間ほどでビデオは終わり、暗幕を開くとさわやかな春の日差しと風が舞い込んできた。
 片付けをしているところに、女生徒が2人やってきた。どちらも見た顔だ。たしか後輩の2年生だったはず。
「このビデオってダビングしてもらえますか?」
「うん、できるよ。テープ代はもらうけど」
「じゃあ、二本お願いしちゃって良いですか?」
 そんな会話をする内に、学校の近くにある神社で、今日はお祭りが行われている話題になった。
「夜店の境内が賑やかなんですよね。東森さんは行きますか、お祭り?」
 髪の長いその子にちょっとどきっとした。
「うん、いくよ?。会えるかもしれないね」
「会えると良いですね?」

 そして片付けを終えて家へ帰った。
 日が暮れて夜になると、自転車で家を出て神社へと向かった。近くまで行くと混雑するので神社の手前にある名鉄の駅に自転車を止めて、待ち合わせをしているMを待つことしばし。
 待ち合わせ時間に多少遅れてようやく現れたMに、「お前チョコバナナをおごれよな」などと言いながら春祭りの会場へと向かった。

 卒業生を送る会の正式名称をあれこれと思い出していた。
 写真や雑記帳にも書いていない。芝居『不思議の国のアリス』の台本は捨てずに取っておいたはずだが、見つからない。

 とりあえず、漢字で三文字。「○○会」だったはず。
 壮行会・・・んー違うな。これじゃなんだか出陣していく学徒兵みたいだ。まあ受験戦争におもむくわけだが。

 んー、んー、んー、と会を後方一致で検索することしばらく。予餞会・・・あーっ!これだこれだ。予餞会だ、予餞会。
 日常生活であまり使わない言葉なので忘れていた。
 ちゃんと覚えとけよ。そんなこと「よーせん」かい。

 熱を入れて稽古をやっただけに、演劇『不思議の国のアリス』は大受けだった。
 ファンタジーだが小難しくない内容なので、受験勉強で疲れているだろう先輩たちから笑いや楽しさを引き出せたのならば嬉しいが、さてどうだったのだろうか。

 ラスト近くに、全員での大合唱が用意されていた。
 みんなで歌う歌は、長渕剛の『乾杯』だった。
 放送部員なため、舞台袖上の方にある放送室にいたオレは、他の部員に任せると体育館から外に出た。
 そしてしばし耳をふさいだ。
 長渕剛の曲を聴くなんてごめんだ。
 ましてや、『乾杯』なんて陳腐で底が浅い、クソの中のクソな歌を歌うなんてまっぴらだった。
 これが在校生の席にいたら抜け出すのはさすがに難しかっただろう。放送部員の職権乱用だ。

 この記憶から、高校時代にはすでに長渕が死ぬほど嫌いだったことが分かる。
 尾崎豊も『15の夜』(1983)を聞いた瞬間に死ぬほど嫌いになった。カラオケに行くとガガガSPの『尾崎豊』をよく歌う。
 長渕剛と尾崎豊には何も関係がないだろうと人は言うだろう。だが、オレは両者からほぼ同じ非常に嫌な匂いを感じる。
 長渕剛と尾崎豊、金八先生と『ニュー・シネマ・パラダイス』。これらはオレと対局の場所にいる。奴らはオレにとって敵だ。
 好きな物はその後、変わったり増えたりしたが、嫌いな物は嫌いなままで、それが好きになることはない。敵は敵だ。
 そろそろ30代も後半に入り、ガキや若造の頃に嫌いだった物が、今では好きになっているかもしれないと、ちょっと試してみたことがあった。『ニュー・シネマ・パラダイス』について文章を書くために、観返してみた頃の話だ。
 やぱり駄目だった。演歌を何曲か聴いてみたり、落語のビデオを見てみたり、コミック版『釣りバカ日誌』を読んでみたり、『おしん』をレンタルしてみたが、どれもこれもつまらねーっ。
 落語はまだましではあるが、江戸時代に作った話をいまだに演じているその保守っぷりが気に入らない。映画や小説でそれをやったら怒られるぞ。
 怖い物知らずなので長渕と尾崎を聴いて、怒り狂った。
 毒を食らわば皿までと、長渕剛の『ウォータームーン』を見て、毒で104回死んだ。
 遠くなる意識の中で、何でオレはこんなことをやってるんだろうか?と自分の行動の無意味さをちょっと感じた。
 言っておくが、これらは洒落じゃなくて本当にやった。さっきも言ったように自分で自分の行動の意味が分からないが、不確かさに悩んでいた時期なので、世界と自分の関わりを確認する作業の一環だったのだと思う。

 大人になって変わる感性もある。酒のつまみには子供の頃には気味が悪く不味そうな物がいくつもあったが、今では美味い。苦かったビールもいつしか「ぷはーっ、このために生きてる」というようにもなる。
 でも、中年になっても、白髪が増えたり、ハゲになって、しわが増えて、腰が曲がって、加齢臭や老人斑点が現れたとしても、変わらない物もある。
 オレが後どれだけ生きるのか、老人になるまで生きられるのかは分からないが、これだけは分かっている。幾つで死ぬかは知らないが、死ぬそのときのオレは長渕も尾崎も『ニュー・シネマ・パラダイス』も嫌いなままだ。

 ちなみに、苦かったのから、「ぷはーっ、これのために生きてる」になったビールは、数年前の3ヶ月の入院の後、単に苦くて不味い飲み物に変わってしまった。
 一度大人になったオレは、また子供に戻っているのかもしれない。

 高校2年生も終わり、3年生になったことから一つの変化が現れた。
 それまでは、好きな物を「好きだ好きだ」と楽しんでいただけだった。だが、次第に嫌いな物に関して「敵だ敵だ敵だ」と牙を剥くようになってきたのだ。
 高校時代はそれもまだ軽く甘噛みする程度ではあった。
 本気で噛みつくようになるのは、大学や社会人になってから。
 そして、その牙は他人ではなく、自分の内面へと向かっていた。

 年度最後の行事というと卒業式と修学式だが、それらはどちらも学校主体だ。
 生徒主体の、学年最後の行事というと、「卒業生を送る会」となる。
 「卒業生を送る会」じゃなくて、もうちょっと難しい名前がついていた気がするが思い出せない。ちょっと人に聞いたりしてみるので、判明したらまた訂正する。

 「卒業生を送る会」は、文字通り、卒業していく3年生の諸先輩を賑やかに送り出す行事だ。
 吹奏楽部による演奏などがあり、中でもメインとなるのは有志となる演劇だった。
 演劇部は部員数が10人足らずと少なめで、しかも全員女生徒。
 柊祭などでの演劇発表はあまりセットなど大道具で凝ったことは出来ない。
 しかし、「送る会」でははっきりとは覚えていないが、かなりの人数が参加する。
 出演だけではなく、大道具選任もいてかなり本格的な芝居となる。
 オレが2年生の時は『不思議の国のアリス』をやることとなった。
 何故「卒業生を送る会」で『不思議の国のアリス』だったのかは謎だ。自分が送られる立場も含めて3回体験しているはずだが、1、3年の時の劇がなんだったのかが思い出せない。自分が絡んでいないと、ほんとからっきしの記憶だ。

 アリスやチェシャ猫など、演技力を必要とするキャストは演劇部員が担当した。
 そしてそれ以外のキャストはオレを含めた一般生徒が演ずることとなる。
 そこで柊会館という建物に集められ、希望する役に対してオーディションが行われた。
 半田市のアル・パチーノ、いや、愛知県の笠智衆とも呼ばれた、というか勝手に言っているオレにオーディションとはなんたることかと憤慨しつつも、大人しく受けた。
 希望する役柄は気違い帽子やだったが、何故か眠りネズミとなった。まぁ、授業中によく居眠りしていたからぴったりな役柄である。
 しかし、眠りネズミ=ヤマネ役はその名の通り寝てばかり。衣装は『我が輩はカモである』の中盤でグルーチョ・マルクスが着ていたのとそっくり。上下つなぎでスカート上になっている服と、先のとがった布の帽子。
 登場するのはお茶会のシーンで、ずーっとテーブルに突っ伏したまま、突然起き上がると昔話を始めて、オチの前に眠ってしまう。それだけ。
 アドリブも何も遊びようがない。そこら辺を懸念して、無難なところにキャスティングされたのかもしれないが・・・

 ともあれ、3年生は受験の追い込みに励み、オレたち在校生は芝居の稽古と大道具・小道具作りに励んだ。
 人数が多く、男でもあるので、演劇部のみの芝居よりも規模を大きくできる。
 率先して動く演劇部員は凛々しくて、女ながら格好良かった。
 でもって、芝居の通し稽古のほとんどを、オレは寝た真似で過ごすのであった。

 2年生も三学期になり、3年への進級も間近になっていた。
 半田高校の普通科は文系クラスと理系クラスに分かれている。
 ガキの頃から理科が好きだったオレは、理系出身の映画監督ってなんか格好よくね?といういい加減な理由から、2年生は理系クラスを選んだ。
 そして、さんざんな目にあった。

 あれだね。理科に近いのは生物や地学で、化学や物理はまた別物だ。特に物理なんてのは科学じゃない。あれは数学だ。
 そしてオレは数学が大の苦手ときたもんだ。数学が苦手で物理も苦手。現代国語や古典、社会科系は得意だが、そのどれも思いっきり理系ではない。
 いい加減に進路を考えて適当に進んだ結果がこれだ。

 さて、3年は理系クラスにしようか、それとも文系クラスに変更しようか?
 ここでオレの前に三つの選択が現れた。

1.理系の星となるべく努力する
2.あきらめて、理系の劣等生となる
3.その道ではかなわないのならば、別の道を進む

 というわけで、そんなに血のにじむ努力をする根性はないし、かといって開き直るのもなんだ。よって、素直に文系に移ることにした。
 2年で理系クラスになるが、そこでの勉強について行けずに3年になって文系クラスに移る者は、“文転(ぶんてん)”と呼ばれていた。あまり良い言葉ではなく、どちらかというとちょっと見下し気味に使われていた。
 そんな言葉に傷つくかというと、そんなことはほとんどなく文系に馴染んでいった。
 国語系も社会系も得意。漢文と世界史は苦手だが、数学や物理と比べればずっとましだ。
 これでこの世の春・・・とはいかなかった。
 数学はめっちゃ苦手だが、英語はそれに輪をかけて死ぬほど苦手だったのだ。

 どのくらい苦手だったかというと、いくら進学校でテストが難しとはいえ、英語は毎回赤点。追試が当たり前だった。
 なんでこんなに英語が苦手なんだろう。同じ語学・文学の国語は得意なのにと思っていたが、後輩の女の子の言葉で合点がいった。
 それはオレが2年生の時のことだったと思うが、生徒会役員だった1年生のその子は英語が得意で、「どうやって勉強してるの?」と尋ねたところ。
「英語は語学じゃなくて記憶の学問ですよ。文法がどうとかはあまり重要ではなくて、単語と言い回しをどれだけ知っているかですよ、結局」
 なるほど。記憶力の悪さでは他人に引けを取らないオレだ。英語が苦手なのは当たり前だ。苦手と言うより「英語が無理」な人種なのだ。(中島らもの『明るいなやみ相談室』でしたっけ、これは)

 ハリウッド映画をよく観ていたので、口語の言い回しなどはなんとなく頭に入っている。
 銃を持っているヤツに「Freeze!」と言われたら凍るんじゃなくて「動くな!」ってこと。これを逆手にとって、銀行の中にいた人々が全員凍ってしまうというギャグがあったのはどの作品だっけ。
 とりあえず、それらの俗語的なことは割と知っていたが、それはテストに出ないので役に立たないのであった。
 でも、テストでは役に立たなくても、アメリカに留学するぐらいに英語の出来る少年が「Freeze!」を知らなかったばかりにマグナムで撃ち殺されてしまうこともある。刑事映画やギャング映画の数本も観ておけば起きない悲劇だったのかもしれん。
 impressのPCwatchというサイトで山田祥平という人物が、サンフランシスコで開催されたアップルのワールド・ワイド・デベロッパー・カンファレンスの看板に“Hasta la vista, Vista.”という書かれていたことに、

“Hasta la vista, Vista.”というのは、スペイン語で「じゃあ、またね」といったニュアンスなのだそうだ。

とかピント外れ名ことを言って、ようやく

『ターミネーター2』のラストシーンでアーノルド・シュワルツェネッガーがいうセリフでもあり、「あばよ、冥土で会おうぜ」くらいの意味合いもあるようだ。

 との解説が出てくる。
 あのね、アクション映画ファンなら「Hasta la」ときた時点で、「地獄で会おうぜ、ベイビー」とつぶやきざま、液体窒素で凍り付いたT-1000にコルト45で鉛の弾丸をたたき込み、木っ端みじんに砕き散るシーンbんが頭に浮かぶの。みんなそうなの、多分。
 「Hasta la Vista,Baby」という台詞は、『ターミネーター』の『I'll be back』と並ぶ、シュワルツェネッガーの名台詞だし、アクション映画史にも残る物だ。
 アクション映画ファンは「Go ahead」と言われたら「make my day」と言い返すような奴らばかりなのだ、多分。
 ここら辺の実地での使い方は英語の教科書には載っていないが、というか「Hasta la Vista」はスペイン語なんだが、ともかく教科書よりも生きた英語に触れていたと思う。まぁ、字幕なしじゃ理解できなかったし、相変わらず英語の成績も悪く、英会話も駄目だ。でも、調べ物のためにDVDを英語字幕英語音声で観てみたところ、ヒアリングは案外出来ているような気がする。これまでに英語による会話を、それも様々な人種や階層の人々の会話を長時間にわたって聞いている。それなりに耳が慣れたのだろう。
 逆に、若手アイドル主演の日本映画を観ると台詞が聞き取れない。日本映画の場合だと、字幕が収録されていない物も多く、困る。お前ら、半田高校放送部に入って発声練習から始めろ。やり直せじゃない、お前らはスタートラインの手前だ。ここから始めろ。ってなぐらい。
 あー、それから山田祥平。ラストシーンじゃないからな、ラストシーンじゃ。終盤近くではあるけれど、これで倒したと思ったT-1000が復活し、ここから本当の終盤が始まるのだ。ラストはまだ先。

 それはともかく、入学時に250番台だった成績は見事な下降線を描き、2年生末期には300番台になっていた。
 テストの合計点は1番からラストの370番(卒業アルバムで確認してみたら、同学年の生徒数は373人だった)まで平均的に散らばっているわけではなく、まずは1番から10番ぐらいの超優等生グループ。そして50番ぐらいまでの優等生グループ。50番から100番ぐらいまでのそれなりに優等生グループ。100番から200番ぐらいの普通の生徒グループ。200番から250番までのちょっと出来が悪いグループ。250番から300番までの出来が悪いグループ。といった具合に、幾つかのグループの固まりがあった。
 そして300番以下の、「問題外グループ」。オレはその問題外の一人だった。

 言うなれば落ちこぼれだが、窓ガラスを割って回ったり、盗んだバイクで走り出すような頭の悪いヤツはいなかった。成績は悪くても、さすが半高生である。
 素行に関して問題のある生徒は少なかった。いや、オレが一番問題のある生徒だったかもしれん。
 落ちこぼれたことについて、学校や親のせいにして暴れた・・・なんてことはまるでない。
 半田高校は自由な高校なので、教師が生徒に「勉強するぞ勉強するぞ勉強するぞ」と洗脳のように口走ることもなかったし、課題の量も少なかった。あれこれ口やかましく言ったり、課題で縛り付けないでも、自主的に勉学に取り組む生徒がほとんどだったのだ。
 しかし、おれは取り組まなかった。これでもかっってぐらい取り組まなかった。勉強をしなくても教師も親も文句を言わない。本人もやる気がない。
 これで成績が良かったらむしろ以上だ。
 半田高校には大いなる自由があった。そして大いなる自由には、大いなる自己責任が伴う。
 オレが成績が悲惨だったのは本人がまったく勉強をしなかったからだし、そこから生じる不具合や問題は全てオレの責任で、誰になすりつけることもできない。
 なんてことは今になってようやく分かることで、当時は単に呑気でのほほんとしていた。
「ま、なるようになるだろ」

 何があったかほとんど思い出せないまま秋は終わり冬になり、そして1985年も終わりが近づいた。
 高校1年の年末から、オレは年越しをオールナイトの映画館で迎えるようになっていた。
 家にいても下らない『紅白歌合戦』を家族で見て、年越し蕎麦を食べるだけ。
 それよりも、映画を観ながら年越しをしたい。そんな理由だ。

 1995年12月31日の深夜に映画館に入った。
 映画館は名古屋駅前の名鉄東宝。映画は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』である。
 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』と名鉄東宝という組み合わせは自信があるが、それが年越し映画だったかはちょっとはっきりしない。1985年12月公開の映画を調べて絞り込んだのがこれだ。

 当時の名鉄東宝は1000人以上は収容できる大劇場だった。名古屋駅から歩いてすぐという立地と、大画面が好きでよく通った劇場だ。
 しかし、オレが大学を卒業し、名古屋を離れた後に、シネマコンプレックス文化に圧されて、大劇場を2つに分割して、名鉄東宝1・名鉄東宝2となってしまったそうだ。
 大劇場でなくなった名鉄東宝は、面白みのない映画館となっているようだが、それも時代の流れなのだろう。
 オレの学生時代にはまだ1000人クラスの劇場が名古屋にはいくつかあったが、今ではそれらは全てなくなった。大劇場に大勢を詰め込むよりも、小さめなスクリーンで幾つも小屋を造り、上映作品を増やした方が収益が良いのだろう。理解は出来るが、やはり寂しい。

 高校生ともなると、家族団らんでもないだろう。年越し映画を観に行くことに対して、親は家族は特に何も言わなかった。
 この習慣は、オレが結婚するまで続いたのだから、10年ちょっとは続けた行事だ。
 後に久米田康治のコミック『勝手に改蔵』で、脇役のてっちゃん(鉄道オタク)である坪内地丹が年越しを走っている電車の中で迎える、「二年乗り」というのを恒例行事にしていたが、それを読んで笑ってしまった。同じようなことをやるヤツはいるのだ。
 そういえば、年越しの映画館はそれなりに人が入っていたような記憶がある。「二年映画」を恒例行事とする映画ファンも数がいたのだろう。

 「二年映画」という気分的に盛り上がるシチュエーションで、しかも観たのが『バック・トゥ・ザ・フューチャー』だったので燃えに燃えた。同時上映もあったはずだが、まるで思い出せない。

 今では映画館ではなく、DVDで映画を観ながら年越しをしている。
 紅白歌合戦も、ゆく年くる年も、高校以降は一度も見たことがない。
 これからも見ることはないだろう。

 ミニチュアは使わず宇宙船などを全てCGで作り上げた『スター・ファイター』(1984)を観た。
 トレーラーハウスばかりが集まった集落で育った少年が主人公だ。
 トレーラーハウスとは『リーサルウェポン』でメル・ギブソンが住んでいたヤツだが、価格が安く固定資産税が安いとかで、一般的には貧困層が住む物である。
 お使いの最中に鬱憤晴らしに大虐殺を繰り広げる無茶なアメリカのPCゲーム『ポスタル2』の主人公は冒頭で失業してしまうプアホワイトだが、彼もトレーラーハウスに住んでいる。そんな扱いだと思ってもらえばいい。
 『スター・ファイター』のトレーラーハウスは古い言葉で言えば貧乏長屋だろうか。
 そこに住んでいる人は貧乏だが善良ではある。

 その集落から主人公は抜け出して都会に行こうと考えている。
 母親だけの母子家庭で、まだ小学校ぐらいの弟との三人暮らし。
 集落を出て行くときには一緒に来てくれないかとプロポーズをしている恋人もいる。
 そんな彼が大学進学への奨学金試験に落ちてしまう。少年にとってはそれが唯一の頼みの綱だった。
 母親は「大学の学費は私がなんとかするから、心配しないで」とは言ってくれるが、それはかなり難しいことも、またそこまで母親に負担をかけられないことを少年は知っている。
 「ああ、俺はこのままこの集落で一生を終えるのだな」などと夜空を見上げる。そこには星が光り、広大な宇宙が広がっていた。

 集落には“スターライト、スターブライト”という雑貨屋・軽食堂があった。
 その店先に見たこともないビデオゲームが設置されていた。
 少年は、気持ちを切り替えるためにゲームをやる。戦闘宇宙艇を操作して敵と戦うそのそのゲームは非常に難易度が高く、なかなかクリアできない。しかしゲームが得意な少年は挑戦を続け、ついには世界ナンバーワンのスコアをたたき出してクリヤする。
 見学に詰めかけていた近所の住民たちは自分のことのように喜んでくれる。

 その夜、少年の元に近未来的な車に乗った老人が現れる。
「君に絶対損はさせない。素晴らしい将来を約束しよう」と車に乗せられる。
 猛スピードで突っ走った車は、おもむろに変形すると宇宙艇となり宇宙へと飛び立った。
 少年が連れて行かれたのは、現在敵と交戦中の銀河連邦だった。
 あのビデオゲームの正体は、戦闘宇宙艇のパイロット“スター・ファイター”の適格者を見つけ出すための道具だったのだ。
 銀河連邦においてスター・ファイターに選ばれるのは非常に光栄なこと。しかし、本当の戦争をする気はまるでない少年は、多額な報酬にも心を奪われることなく、地球に帰ることを希望する。
 そして、地球に戻ってきた少年だが、敵宇宙軍が彼の存在を知ってしまい、暗殺宇宙人の刺客を送ってきて、それに殺されそうになる。
 もはや、戦うしか道がない少年は銀河連邦軍へと戻るが、敵の策略によって基地が破壊され彼以外のスター・ファイターは全て死んでしまっていた。彼は最後にして最高の宇宙戦士『The Last Starfighter』(原題)となったのだ。
 トカゲ系宇宙人のナビゲーターと一緒に、ただ一隻の戦闘宇宙艇で敵軍に乗り込む。
 そこでその腕前を、まだテストすらしたことのない最終兵器でなんとか敵を退け、一時的ではあろうが宇宙に平和を取り戻す。

 戦争によって荒廃してしまった銀河連邦。その立て直しのために、戦士としてだけではなく指導者の一人として残ってほしいと請われる少年。
 そして、少年は宇宙に残ることを選ぶ。

 家族にお別れを告げるため、そして恋人を迎えに来るため、少年はトレーラーハウス集落へと戻ってくる。今度はいつ帰ってこられるか分からない。
「いつかはここを出て行くことになるとは思っていたけど、まさかこんな形とはね」と涙しながら少年を祝福して送り出す母親。
 だが、恋人は「都会に一緒に行くとは約束していたけど、宇宙だなんて・・・」と思い切れない。しかも、恋人は老いた祖母との二人暮らしなので、その祖母を置いていくことに罪悪感を感じている。そして、あまりの展開に一歩を踏み出せないでいるのだ。
 そんな彼女に祖母は笑いながら言う「宇宙に行っても、どんな様子か手紙を頂戴ね」と。
 これは「私のことは心配しないで、あなたはあなたの未来を選びなさい」という意志がその裏に流れている。
 彼女はついに一歩を踏み出す。二人を乗せた宇宙艇は宇宙へと飛び去っていく。
 そのロケット噴射の風が吹き荒れる中、少年の弟は踏み台を持ってくると、ビデオゲームをプレイし始める。
 弟もまた宇宙を目指すことにしたのだ。
 “スターライト・スターブライト』のネオン越しに広がる宇宙。そしてエンディングクレジットが流れ始める。

 この映画が無茶苦茶面白かったオレは、『スター・ファイター』を観た他の友人たちと話をした。
オレ「主人公が宇宙に出て行く理由が、ビデオゲームが得意だったってのは面白いよね」
友人「あのCGはすごかったね。ここまで技術が進んでるんだ」
オレ「まぁ確かにCGはすごいね。でさ、ラストに恋人の背中を押してやる祖母の台詞は良いよね」
友人「宇宙人の特殊メイクもなかなかだったね。出番が少ない他のスター・ファイターは多少手抜きなのもいたけど」
オレ「うんうん。でさ、結局は宇宙という場所が舞台だけど、特技ひとつでより広い世界に飛び出していく青年という普遍的な作品なんだよね」
友人「そのうちには、全編CGの映画なんてのも出てくるのかね」

 こんな感じで全然話が合わなかった。
 それまではちゃんと話が合って面白い会話だったのにどうしたのだろう?
 最初は「オレの感性が間違っているのかなぁ」とちょっと不安だったが、
「そうか、オレはSF映画ファンから映画ファンへと立場が変わったのかな。これまでとは同じ映画を観ても、注目する部分や感想が変わってきたのだろう」と気がついた。
 言いようによってはこれは進化だ。
 その進化を助けてくれたのが、当時の名古屋では当たり前だった二本立て上映。
 SF映画の場合、同時上映はアクションやホラーが多かったが、何を考えてかロマンス映画の場合もあった。
 なんにせよ、それによって観る気のないジャンルの作品やまったく興味のない作品も数多く見ることになり、そして映画を観る力が強くなったのだ。
 この高校2年生の頃から、オレはより映画ファンになっていったのだろう。

 だから思う。映画が好きになったらとりあえず細かいえり好みをせずに何でも観ろと。
 SF映画が好きだからとSF映画ばかり観ていたり、ホラー映画が好きだからとホラー映画ばかり観ていたら、SF映画オタクやホラー映画オタクにはなれても、映画バカにはなれない。
 映画バカになって得することはこれっぽっちもないが、とりあえず映画を観ると楽しくてしょうがなくはなれるぞ。

 小さな田舎町で育った人が、たった一つの特技だけで宇宙や都会などの大きな世界に飛び出していき、そこで苦労したりスランプになったり、時には落ち込んだりしながらもなんとかやっていけるようになる。
 そのテーマから考えると、『スター・ファイター』は、少年版『魔女の宅急便』である。
 SFかファンタジーか。そんなのは些末な違いでしかない。本質的には両者とも、「少年少女や若者よ、とにかくがんばれ」、という映画なのだ。
 映画にはテーマやメッセージがあるんだな、そんなことを気づき始めた17歳だった。

 ミニチュアは使わず宇宙船などを全てCGで作り上げた『スター・ファイター』(1984)を観た。
 トレーラーハウスばかりが集まった集落で育った少年が主人公だ。
 トレーラーハウスとは『リーサルウェポン』でメル・ギブソンが住んでいたヤツだが、価格が安く固定資産税が安いとかで、一般的には貧困層が住む物である。
 お使いの最中に鬱憤晴らしに大虐殺を繰り広げる無茶なアメリカのPCゲーム『ポスタル2』の主人公は冒頭で失業してしまうプアホワイトだが、彼もトレーラーハウスに住んでいる。そんな扱いだと思ってもらえばいい。
 『スター・ファイター』のトレーラーハウスは古い言葉で言えば貧乏長屋だろうか。
 そこに住んでいる人は貧乏だが善良ではある。

 その集落から主人公は抜け出して都会に行こうと考えている。
 母親だけの母子家庭で、まだ小学校ぐらいの弟との三人暮らし。
 集落を出て行くときには一緒に来てくれないかとプロポーズをしている恋人もいる。
 そんな彼が大学進学への奨学金試験に落ちてしまう。少年にとってはそれが唯一の頼みの綱だった。
 母親は「大学の学費は私がなんとかするから、心配しないで」とは言ってくれるが、それはかなり難しいことも、またそこまで母親に負担をかけられないことを少年は知っている。
 「ああ、俺はこのままこの集落で一生を終えるのだな」などと夜空を見上げる。そこには星が光り、広大な宇宙が広がっていた。

 集落には“スターライト、スターブライト”という雑貨屋・軽食堂があった。
 その店先に見たこともないビデオゲームが設置されていた。
 少年は、気持ちを切り替えるためにゲームをやる。戦闘宇宙艇を操作して敵と戦うそのそのゲームは非常に難易度が高く、なかなかクリアできない。しかしゲームが得意な少年は挑戦を続け、ついには世界ナンバーワンのスコアをたたき出してクリヤする。
 見学に詰めかけていた近所の住民たちは自分のことのように喜んでくれる。

 その夜、少年の元に近未来的な車に乗った老人が現れる。
「君に絶対損はさせない。素晴らしい将来を約束しよう」と車に乗せられる。
 猛スピードで突っ走った車は、おもむろに変形すると宇宙艇となり宇宙へと飛び立った。
 少年が連れて行かれたのは、現在敵と交戦中の銀河連邦だった。
 あのビデオゲームの正体は、戦闘宇宙艇のパイロット“スター・ファイター”の適格者を見つけ出すための道具だったのだ。
 銀河連邦においてスター・ファイターに選ばれるのは非常に光栄なこと。しかし、本当の戦争をする気はまるでない少年は、多額な報酬にも心を奪われることなく、地球に帰ることを希望する。
 そして、地球に戻ってきた少年だが、敵宇宙軍が彼の存在を知ってしまい、暗殺宇宙人の刺客を送ってきて、それに殺されそうになる。
 もはや、戦うしか道がない少年は銀河連邦軍へと戻るが、敵の策略によって基地が破壊され彼以外のスター・ファイターは全て死んでしまっていた。彼は最後にして最高の宇宙戦士『The Last Starfighter』(原題)となったのだ。
 トカゲ系宇宙人のナビゲーターと一緒に、ただ一隻の戦闘宇宙艇で敵軍に乗り込む。
 そこでその腕前を、まだテストすらしたことのない最終兵器でなんとか敵を退け、一時的ではあろうが宇宙に平和を取り戻す。

 戦争によって荒廃してしまった銀河連邦。その立て直しのために、戦士としてだけではなく指導者の一人として残ってほしいと請われる少年。
 そして、少年は宇宙に残ることを選ぶ。

 家族にお別れを告げるため、そして恋人を迎えに来るため、少年はトレーラーハウス集落へと戻ってくる。今度はいつ帰ってこられるか分からない。
「いつかはここを出て行くことになるとは思っていたけど、まさかこんな形とはね」と涙しながら少年を祝福して送り出す母親。
 だが、恋人は「都会に一緒に行くとは約束していたけど、宇宙だなんて・・・」と思い切れない。しかも、恋人は老いた祖母との二人暮らしなので、その祖母を置いていくことに罪悪感を感じている。そして、あまりの展開に一歩を踏み出せないでいるのだ。
 そんな彼女に祖母は笑いながら言う「宇宙に行っても、どんな様子か手紙を頂戴ね」と。
 これは「私のことは心配しないで、あなたはあなたの未来を選びなさい」という意志がその裏に流れている。
 彼女はついに一歩を踏み出す。二人を乗せた宇宙艇は宇宙へと飛び去っていく。
 そのロケット噴射の風が吹き荒れる中、少年の弟は踏み台を持ってくると、ビデオゲームをプレイし始める。
 弟もまた宇宙を目指すことにしたのだ。
 “スターライト・スターブライト』のネオン越しに広がる宇宙。そしてエンディングクレジットが流れ始める。

 この映画が無茶苦茶面白かったオレは、『スター・ファイター』を観た他の友人たちと話をした。
オレ「主人公が宇宙に出て行く理由が、ビデオゲームが得意だったってのは面白いよね」
友人「あのCGはすごかったね。ここまで技術が進んでるんだ」
オレ「まぁ確かにCGはすごいね。でさ、ラストに恋人の背中を押してやる祖母の台詞は良いよね」
友人「宇宙人の特殊メイクもなかなかだったね。出番が少ない他のスター・ファイターは多少手抜きなのもいたけど」
オレ「うんうん。でさ、結局は宇宙という場所が舞台だけど、特技ひとつでより広い世界に飛び出していく青年という普遍的な作品なんだよね」
友人「そのうちには、全編CGの映画なんてのも出てくるのかね」

 こんな感じで全然話が合わなかった。
 それまではちゃんと話が合って面白い会話だったのにどうしたのだろう?
 最初は「オレの感性が間違っているのかなぁ」とちょっと不安だったが、すぐに
「そうか、オレはSF映画ファンから映画ファンへと立場が変わったのかな。これまでとは同じ映画を観ても、注目する部分や感想が変わってきたのだろう」と気がついた。
 言いようによってはこれは進化だ。
 その進化を助けてくれたのが、当時の名古屋では当たり前だった二本立て上映。
 SF映画の場合、同時上映はアクションやホラーが多かったが、何を考えてかロマンス映画の場合もあった。
 なんにせよ、それによって観る気のないジャンルの作品やまったく興味のない作品も数多く見ることになり、そして映画を観る力が強くなったのだ。
 この高校2年生の頃から、オレはより映画ファンになっていったのだろう。

 だから思う。映画が好きになったらとりあえず細かいえり好みをせずに何でも観ろと。
 SF映画が好きだからとSF映画ばかり観ていたり、ホラー映画が好きだからとホラー映画ばかり観ていたら、SF映画オタクやホラー映画オタクにはなれても、映画バカにはなれない。
 映画バカになって得することはこれっぽっちもないが、とりあえず映画を観ると楽しくてしょうがなくはなれるぞ。

 小さな田舎町で育った人が、たった一つの特技だけで宇宙や都会などの大きな世界に飛び出していき、そこで苦労したりスランプになったり、時には落ち込んだりしながらもなんとかやっていけるようになる。
 そのテーマから考えると、『スター・ファイター』は、少年版『魔女の宅急便』である。
 SFかファンタジーか。そんなのは些末な違いでしかない。本質的には両者とも、「少年少女や若者よ、とにかくがんばれ」、という映画なのだ。
 映画にはテーマやメッセージがあるんだな、そんなことを気づき始めた17歳だった。

 高校2年の文化祭『柊祭』が開催された。
 文化祭は2日間行われ、1日目は生徒のみだが2日目は一般の人が自由に参加できるモノだった。
 1985年当時の知多半島の県立高校で、文化祭を一般公開していたのはかなり少なかったはずだ。
 ちょっと小規模な大学祭といった感じで、主催者側のオレたちも盛り上がっていたが、来場してくださったお客様にも楽しんでいただけるモノになっていたと思う。多分。

 柊祭数日前から最終日までの記憶は、また記憶ネタだが本当にない。
 かろうじて覚えているのは、ひたすら忙しくて、ひたすら楽しかったことだけだ。

 オレのクラスは8ミリフィルムで自主映画を撮った。
 あまり参加できなかったが、出来る範囲でカメラを担当したが、監督と意見を衝突させたりもした。
「1シーンを1カットで撮らせるなっつーの」
「ロングショットだけじゃなくてアップも使えっつーの」
「なんでもかんでも台詞で説明するんじゃねえーっつーの」

 だが、俺が言っていることも、映画を観て薄々感じていただけの根拠が曖昧な物だったし、柊祭の準備が忙しいのでチャッチャと撮影を終わらせていた。
 これはもうちょっと後の話になるのだが、大学に入って初めて監督したスーパー8ミリフィルムの『ダイヤモンドゲーム』は、そこらのことをちゃんとやったつもりだったが、上映会で映し出すと、あまりのひどさに会場から逃げ出して、アフリカ大陸の果てまでコーラ瓶を捨てに行きたくなった。
 高校のちょっと人より映画を観て、いっぱしの映画通気取りのヤツなんてそんなもんだ。

 これから夏が終わり、秋になると文化祭のシーズンだ。
 現在高校生や大学生の人がもしもこの文章を読んでいてくれるとしたら、だまされたと思って本気で文化祭をやってみてほしい。
 本当にだまされてしまう可能性もあるが、「学園祭なんか、かったりーよ」で怒濤のごとき盛り上がりを体験しないのはもったいない。
 その学校で文化祭があまり盛り上がっていないなら自分で盛り上げろ。楽しみは待つんじゃなくて自分で探しに行く物だとはちょっと思う。

 柊祭実行委員の仕事と放送部の仕事で飛び回っていたオレは、これっぱかしも勉強をしなかった。
 高校2年時の担任は温厚な人だったのだが、2学期の通知票で、「文化祭や生徒会活動をやることはとてもいいことですが、学生の本分は勉強です。3年生も理系クラスを考えているのならばそろそろ本気で、それも人一倍の本気で勉強しないと無理でしょう。文系クラスへの移ることも考えた方が良いかもしれません」と書かれてしまった。
 まあ、無理もない。

 柊祭と、同時開催された体育祭も終わり、校内は日常を取り戻していった。
 祭りの準備で突っ走ってきたオレは、その目標が一気になくなった。
 さて、これからどうしたもんだろうか。
 ちょっとだけ真剣だが、基本的に無責任なまま悩んだりし始めた。
 でもまぁ、なんとかなるさ。そんな感じだった。

 1985年当時の半田高校は、全日制普通科と昼間定時制の二つによって成り立っていた。
 同一敷地内にあり、フェンスや壁で仕切られていたわけでもないのに、全日制と定時制にはまったく交流がなかった。

 愛知県半田市近隣には紡績工場が数多くあった。昼間定時制はそこで働く女子工員のための学校だった。
 地方から紡績会社に就職し、仕事をしながら高校に通っていたのである。
 通学は寮、あるいは工場からバスによって集団で登校してきて、そしてバスで下校していった。
 そのバスが出入りするのも正門ではなく、裏門からなので、オレたち全日制の生徒は定時制の女生徒の姿すらほとんど見たことがなかった。

 どことなく集団就職のようだが、1985年の半田市と、ほんの20年ほど前のことだ。
 もちろん、『女工哀史』で語られるような過酷で悲惨なものではない。

 高校2年生で柊祭実行委員として飛び回っていたオレは、せっかく同じ半田高校の生徒同士なのだから、文化祭の時ぐらい交流があっても良いのではないかと考えた。
 そして委員会の会議で、「昼間定時制の生徒を招待してはどうか?」と提案した。

 会議には委員会の顧問である先生が出席していた。だが、名目上出席しているだけであって、生徒の自主性を尊重する学校だったのでほとんど発言することもなくただ座っているだけだった。
 その顧問が唐突にオレを睨み付けた。
「それは許さん。許可できない」
 理由を聞いても「駄目だ駄目だ」と言うだけで、何も教えてくれなかった。

 そして会議は終わり、オレは駄目ならしょうがないかと、定時制の生徒を招待するという案をすっかり忘れてしまった。
 今になってそれを後悔している。
 駄目だという理由を何故とことん追及しなかったのか。どこかタブー的存在だというのを感じたのに、何故それをそのまま食い下がることなく、理不尽だと感じたことに立ち向かえなかったのか。
 自分が納得しなければやらない。違うと思うこととは徹底して戦う。それがオレの理想ではなかったのか。
 いまさらこんなことを言っても、ただの後悔とグチにすぎないのが悔しい。

 1990年代後半から紡績工場は次々と閉鎖されていき、現在ではオレが知る限りごく小さな工場しか存在していないようだ。
 それにより昼間定時制は廃止になり、現在はその校舎はひいらぎ養護学校となっているそうだ。
 普通高校と養護学校が併設されているのは全国でもめずらしいとのこと。
 そして半田高校とひいらぎ養護学校との間では各種交流が行われていると聞く。
 オレがそのまま通り過ぎてしまったことを、遠い後輩たちがちゃんとやっていてくれることが嬉しいし、それが出来なかった自分のふがいなさが悔しい。

2006年8月19日 9:00追記
便宜上、8月18日23:57分のエントリとなっているが、実際には1次会、2次会、カラオケの後に、終電を逃してもう一人の友人と一緒にインターネット漫画喫茶で始発を待った。
 その漫画喫茶で朝の4時頃に書いたのが上記の文章だ。
 深夜に書いたラブレターを朝になってから読み返すと、何でこんな事を書いたんだろうとやたらこっぱずかしいとかいう話は聞くが、この文章も家に帰って一風呂浴びてから、さて眠ろうかという前に念のためにチェックしてみたら、青臭くてやたらこっぱずかしい。
 だが、自分の中で整理も消化も出来ず、かといって忘れることも出来ない事で、今後も心のどこかで引きずっていくだろう。
 だから、削除も訂正もせずにこのままにしておく。
 違うと思ったことに「それ違うでしょ」と言ったり、嫌いなことには嫌いと言う。それはオレの存在証明であるからでもある。かつ根がいい加減。どっちもオレだ。

2006年8月25日 0:10追記
同じ半田高校という名前にはなっていたが、実際としては2つの学校が同じ敷地にあったようなものだったそうだ。
組織としても全くの別物で、それぞれが独立して運円されている。
特にタブーや交流してはならないというわけではなく、言うならばまぁなんとなく、だったとか。

 高校2年も一学期が終わり、夏休みに入った。
 来年は大学受験もあり、これが高校最後の夏休みと言えるかもしれない。
 しかも17歳。子供でもなく、かといってまだ大人でもない。微妙なお年頃だ。
 一昔前のマンガや青春小説の主人公の多くは17歳だった。
 多感でセンシブルでミッションインポッシブルな、いやスパイ大作戦は関係ないが、人生において重要な夏だ。

 その夏の記憶がオレにはない。

 別に頭を強く打ったとかではなく、単に印象に残っている出来事がないのだ。
 柊祭実行委員として毎日のように学校に来てドタバタしていた、のだとは思う。
 だが、その詳細ははっきりとしない。
 日記をつける習慣はないし、昔の写真も高校2年生の時の写真はそれ以前と比べて極端に少ない。うむむ、首をひねってみたところで何も思い出せない。

 はっ、ひょっとすると17歳の時に国際的な陰謀に巻き込まれて、組織の手によって記憶を消され、仮の記憶を植え付けられたのかもしれない。そう考えればすべて説明がつく。
 なんといっても、17歳といえば幾多のコミックや小説からも分かるとおり、やたらと事件に出くわす年齢だ。設定的にも無理がない。
 つまり、オレはこれから失われた時を求めて旅立たなければならぬ定めなのか・・・

 てな与太話を話せる相手が日常生活の中にいない。おかげで欲求不満だ。このサイトで色々と与太を書いてはいるが、書くのとしゃべるのとじゃやはり感覚が違う。
 与太といっても高校2年生の時分のことをほとんど覚えていないのは事実。まぁ、他の年齢での出来事もほとんど覚えていなくて、アルバムなどから記憶をサルベージしているわけだが。
 そんな与太話をあしたは山ほど出来る。学生時代のサークル仲間、オレも含めて5人で飲み会をやるのだ。
 与太話だけではなく、ギャグのための小道具もいくつか揃えた。
 聞かされる側はうんざりだろうが、これもオレと知り合った定めといさぎよく諦めろ。
 なんだかんだで20年近くの付き合いになる。
 みんな良い意味で変わったし、良い意味で変わっていない。
 同時に、悪い意味で変わったし、悪い意味で変わってもいない。
 酒を飲むのも数ヶ月ぶり。
 メンバーの一人が強固にコスプレ居酒屋行きを主張しているヤツがいるようだが、そちら方面に興味があるのはそいつとオレだけなので(オレも一度行ってみればネタにはなるかな、程度の興味しかないが)、普通の居酒屋になるだろう。

 というわけで、明日の映画バカ青春期はお休みだ。たぶん。

 高校2年の一学期も終わりに近づき、オレは柊祭実行委員と放送部員の仕事で校内を走り回っていた。
 柊祭実行委員での役割は主に文化部の作業の進行具合をチェックしたり、必要な物資などのリクエストを受け、その手配をすること。
 放送部員としては、体育館で行われる演劇部や吹奏楽部の発表会である『ダブフェスティバル』や、軽音楽部や有志によりバンドが武道場で行う『Live in 武道場』での放送関係の手配や段取り。さらに、放送部は校内放送や柊祭の一環として行われる体育祭での場内放送などやることは色々ある。

 科学部の様子を見に行っているうちに、そこの部員のHというヤツと友人になった。
 Hはどちらかというと無口で、ちょっと変わった男だったが、意外と気が合った。
 最近読んだ本やコミックについて話をしている時にHが、
「そうそう、面白いコミックがあるんだけど、読む?」
 と尋ねてきたので、「うん、貸して貸して」と翌日持ってきてもらった。
 それが講談社のなかよしコミックス竹本泉著『あおいちゃんパニック!』全3巻だった。

 あのね、なんで高校生にもなった男がなかよしコミックスなんか読まねばならんのよ。
 少女マンガでも『花とゆめ』などの白泉社系は読むよ。でも、『なかよし』はねーだろ。
 と思ったが、さすがに口には出さずに、とりあえず借りて帰った。我ながら大人の対応というか、機嫌が悪いと本当にそう応えたりするのがオレだ。

 そして翌日の放課後にはHに『あおいちゃんパニック!』を返した。何故なら、もうオレには必要なかったからだ。
 そう、前日の夜に閉店間際の本屋へと走って、自分用に買ってきたからだ。一緒に『魔法つかいさんおしずかに!』と『パイナップルみたい』と『ハジメルド物語』と『ちょっとコマーシャル』と、並んでいる限りの竹本泉のコミックを買ってきたぞ。でもって、一晩で読んだ。

 それ以来、竹本泉はオレの一番お気に入りのマンガ家だ。ただし、小説での横田順彌やしゃべりでのつボイノリオ、映画監督のジョン・ランディスとは違い、師匠的存在ではなかった。何故ならオレは手先が絶望的に不器用で絵がからっきし下手だったからだ。マンガなんか描けへんのんじゃっ。
 もっとも、オレが仮にマンガ家を目指していたとしても、竹本泉を心の師にはしなかっただろう。もちろんお気に入りのマンガ家ナンバーワンは間違いないが、のほほんとしてぼわーっとしてヘンテコリンな世界観はオレの芸風と合わない。逆に、自分の内面と正反対だからこそ読者として竹本泉作品が大好きなのだろう。

 それ以来、20年以上、いまだ新刊が出るたびに買っている。竹本氏のコミックだけではなく、挿絵を担当した火浦功の『ひと夏の経験値』や(新装版ではたの画家に代わっている)、今実家に帰っているので手元になく作家名がわからないがコバルト文庫の魔法使いモノや、復刻版児童向けSFシリーズの『失われた世界』なども買った。
 『ゆみみみっくす』などのゲームももちろんだ。セガのメガドライブは持っていたが、メガCDは『ゆみみみっくす』のためだけに買ったぞ。
 『てきぱきワーキン?ラブFX』のためだけに危うくNECのゲームマシンPC-FXを買うところだったのだが、後に(だったよな。同時発売ではなかったはず)PCエンジン版が出たのでそっちを買った。『天外魔境』(2作目が有名だが、この場合は1作目。もちろん2も買ったが)のためにPCエンジン本体とCD-ROMドライブは持っていたのだ。

 竹本泉氏の場合だけではない。オレの場合、あれこれ色々と観たり読んだりするよりも、一人の作家や監督に興味を持つと手にはいる限りのその人の作品を読んでいく。
 だから、本棚にそれなりの量の本があるが作家数で言うと意外と少ない。
 そして、その内に興味が無くなってきて、だんだんと集めなくなるが、その頃には次の面白い作家を見つけてそちらを読んでいく。
 ある作家にこだわるが、それが持続するわけではなく興味を失うと次の人を追い始める。熱中しやすいが飽きるとそれまでがオレのスタイルなわけだが、そんな中で延々と読み続けている竹本泉というマンガ家はやはりオレにとって特別な存在だ。
 映画監督についてはまた書く機会もあるだろうから省くが、そういった存在はマンガ家だと桑田乃梨子、小説家だとスティーヴン・キングとディーン・クーンツ、そして火浦功である。
 もっとも、火浦功はトマス・ハリス並みの寡作作家で新刊は数年に一度なのでファンとしては悲しいやら、その火浦功っぷりがうれしいやら。ガルディーンシリーズはやはり未完のままか?キングが不可能と思われていた『ダーク・タワー』完結を成し遂げたんで、奇蹟は二度起こることを期待する。

 マンガは書かなかったオレだが、ネット小説として初めて書いたエヴァ時代劇のタイトルは『魔法つかいさんおしずかに!』から借用して『姫さまお静かに』とした。
 内容面では竹本氏によるリメイク版『あんみつ姫』から強い影響を受けている。
 ああっ・・・『あんみつ姫』のコミックは初版で持っていたんだが、いつの間にか無くしてしまった。痛恨の極み。大判だが薄っぺらで、確か全4巻だったと思う。現在は復刻版が出ているが、それには講談社版にあったシールがついてないし、なにより講談社版にあったカステラ婦人が輿に担がれて登場するシーンが変更になっている。輿を担いでいたのが腰ミノの土人スタイルな黒人たちだったのが問題になったそうだ。
 んなこといったらピーター・ジャクソン版『キング・コング』だって、上映やTV放映が出来んぞ。・・・あれは白人が演じてるから良いって解釈になるのかなぁ。
 日本の差別問題団体が『ハックルベリー・フィンの冒険』『ハックルベリー・フィンの冒険』や『アンクル・トムの小屋』は黒人差別だから出版を中止すべきとクレームをつけてきたことがあったとの噂を聞いたことがある。さすがにこれは単なる噂で嘘だとは思う。

 2年生の7月になると信濃への修学旅行が実施された。
 まだまだ高校生活は半分以上残っているのだが、大学受験を考えると3年生になってから行くわけにもいかないのだろう。個人的にはせめて秋にしてもらえれば「修学旅行」という雰囲気も感じたろうが、単に学年全体での旅行にしか感じられなかった。でも、楽しかったけど。
 ちなみに現在の半田高校の修学旅行は6月に北海道へ行っているようだ。ということは中部国際空港から飛行機か?くそっ、なんか昔と比べて差があんぞ。ちぇっ、いいんだい。どうせ北海道には広大な未開の地と熊とキタキツネとバター飴と味噌ラーメンしかないんだいっ。(狐と葡萄状態)
 はっ、しまった。オレは味噌ラーメンもバター飴も熊カレーも好きじゃん。

 日程・日数ははっきりと覚えていないが、確か2泊3日だったはず。
 小学校の修学旅行は伊勢神宮、中学校では東京だった。横浜生まれで親戚の大半が東京や神奈川、埼玉に住んでいるオレにとって子供の頃からお盆の帰省いうと東京品川区は大崎にある母親の実家に行くことだったので、中学校の修学旅行はちょっとなんだかなぁだった。クラスの連中と旅行するのは楽しかったが、なんで東京タワーとか上らなきゃならんのだ。
 後に東京ディスニーランドになったそうだが、当時はまだ出来ていなかったので、後楽園ゆうえんちに行った。旅行全体で私服は一切許可されず、学生服とセーラー服、そして学校指定の緑のジャージでの旅だった。後楽園ゆうえんちは何故だか学生服ではなく緑の学校ジャージ。その情報をあらかじめ調査しておいたオレは、ちゃっかりジャージを忘れておいた。おかげで学生服で回ることが出来た。友人たちにこういうことを言うのはなんだが、ダサダサなデザインの緑ジャージを着て遊園地で遊び回る彼らはどう見ても田舎者。学生服姿のオレもあまり人のことは言えないが。

 高校の修学旅行は服装は自由。制服は持ってくる必要さえなかった。だからといって勘違いした格好で来る生徒はまずいなかった。ここら辺が半田高校が歴史ある進学校という裏付けでもあるのだろう。規則規則で縛らずに自主性に任せても特に問題なく行事は進む。だからといって詰まらないヤツばかりではなく、まぁ確かにそういう連中の方が多かったがオレのようなスチャラカ男や愉快なヤツも少数派ではあるが存在していて、好きなように遊んでいた。

 旅行はバスを使っての移動だった。半田を出発したバスは道路を走って、どこをどんなルートだったかは覚えていないが、崖から落ちそうになったりハイジャックに襲われることもなく、無事に信濃に到着。ちぇっ、つまんねぇの。
 観光名所巡り中心ではなく、みんなで一緒に旅行を楽しむのがメインだったのだろうか、あまりどこそこへ行ったという覚えはない。
 唯一覚えているのが浅間山の鬼押出し。粘着質の溶岩が地面から盛り上がってそのまま固まった奇妙な光景が印象的だった。地獄ってこんな感じかなぁという感じで鬼押出しの名前は伊達ではないのだ。
 今日現在、お盆休みで実家に帰省している。学生時代などの昔の写真や、大学のサークルで出していた映画評論の機関誌も実家に置いたままだったので、それらを引っ張り出して現在の住処へと持って帰る準備をしている。高校の修学旅行の写真も出てきた。
 学校側撮影の集合写真が何枚かあるが、鬼押出し以外では、「八島湿原」、「白根山」、「北八ヶ岳」、「白樺湖」。なんかどうも山ばっかり上っているのであった。
 とりあえず信濃と言うことで蕎麦を食った覚えはある。蕎麦を打つ様子も見たような?自分たちで蕎麦を打つ体験とかはなかった。

 当時、クラスの女の子に片思いをしていたオレは、これはお近づきになるチャンスだともくろんでいたが、信濃に向かう途中のバスでその子とある男子生徒がカラオケで「夏夏夏夏ココナッツ」のフレーズで知られる『二人のアイランド』をデュエットし、オレの様々な計画は砕け散った。
 悔しかったオレは、こうなったら毒を食らわば皿までとばかりに、『冬のリビエラ』を歌った。どこら辺が毒を食らわば皿までなのか、何で『冬のリビエラ』なのかは本人にも謎だ。失恋を確信した自分の心を『冬』に例えたのかもしれないが、何で五木ひろしなんぞを歌わなきゃいかんのだ。

 1泊目は白樺湖湖畔の宿、2日目はスキー場近くの宿だったと思う。スキー場近くといってもいくら信濃でも7月に雪はなく、ぼんやりと草の生えた斜面とそこを上っていくリフトがあるだけだった。スキーは出来なかったが、屋内スケート場でアイススケートはやった。

 1泊目の白樺湖には一つの伝説があった。それは泊まった翌日の朝に、好きあっている男女が一緒に手こぎボートに乗ると幸せになれるというものだった。誰が言い出したのかは知らないが、オレたちは先輩から聞き、先輩はまたその先輩から聞いた、出所も時期も不明の言い伝えだ。後に、伝説の木の下で告白すると幸せになるという某ゲームの設定を聞いたときには笑ってしまった。まぁ、どの学校にも似たような話があるんだろう。
 片思いをしていた女の子と男子生徒は朝食が終わると湖に向かっていった。
 もはや一緒に乗る相手がいないオレは、ただぼんやりとそれを眺めているしかなかった・・・
・・・なかったはずだが、落ち込んでいる自分にむかついて頭にきた。こうなったらもうやるしかないとばかりにオレは湖へと赴き、ボート屋でボートを借りると一人でボートに乗り全力で漕ぎまくった。
 「こうなったら」から「ボートに乗るしかない」への展開にまるで論理性を感じさせない。だが、オレの中ではよく分からんが筋は通っているのだ。
 カッとなったり頭に血が上るとオレは意味の分からない行動に走ることが多い。それは5%ほどの確率で良い方に繋がることもあるが、逆に言えば95%は悪い結果になっているということだ。
 頭に血が上っていなくても、その場の直感であまり細かいことを考えずにとりあえずやってみるタイプでもある。これの結果は良い悪いで半々ぐらいだろうか。
 普段は無駄にあれこれ考えるのが好きなのだが、世間ならば熟考すべき時にしない。これはその後のオレにとっての特性である、未だにそうだ。

 ボートに一人で乗るということについては、半分は「好きあっている相手と乗ることのなっているボートに一人で乗るヤツ」というギャグなのだが、残りの半分は「じっとなんかしれらんねえよ。とりあえず行動だ。おらおらおらおら、ボート漕げよ?」なのだ。
 この残り半分の部分にオレという人間を解き明かす鍵がある気もするが、まぁ解き明かしても特に意味はないだろうから、まだまだ謎のままだ。

 半田高校の文化祭である柊祭は9月に行われる。
 時期的に言って夏休み明けから動いていたのでは間に合わない。1学期から部活やクラスは準備を始めている。そして、それらを運営する柊祭実行委員というものがある。1年生の時に柊祭の楽しさにはまったオレは、2年生になってその柊祭実行委員に参加した。
 柊祭実行委員にはそのトップである実行委員長がいる。実行委員は1年と2年で構成されているので2年生がやるのが通例だ。その実行委員長にオレは立候補し、他に立候補者がいなかったので無投票当選した。これが大間違いだった。

 第一回柊祭実行会議が開催された。これには実行委員と1?3年の各クラスの担当者が主席する。
 そこで質問と追求にオレはすっかりうろたえてしまい、まともに返答が出来なかった。特に、前年の実行委員長だったN吉先輩の容赦ないつっこみにはただ呆然とすることしか出来なかった。
 無様に会議を終えたオレは、生徒会室と続き部屋になっている実行委員会室に戻ると、机の下に潜り込んで落ち込んだ。他の実行委員や生徒会役員は、心配するのが1/3、残りの2/3は「ほっとけば」という反応だった。皮肉ではなく、いい対処をしてくれたと思う。心配されてもそれにつけ込んで自己憐憫に浸るだけだし、オレのことだからしばらく落ち込めばいずれ勝手に回復する。
 そもそも、本気で落ち込むならどこか体育館裏にでも行って一人静かに落ち込めばいいんで、みんながいる実行委員会室でこれ見よがしに机の下に潜り込んでいる時点で、「みんなオレに同情してよ。かまってよ」ということだったろうから、変にかまうより放っておくのが良策である。

 つまるところ、オレは自分の能力を過信して、実行委員長の責務を果たせると思っていたのだが、それだけの力がなかったということだ。
 それを精神医学用語で「利口ぶり阿呆」とか釣合痴呆というそうだ。リンク先の説明を読むとまさにその通り。
 結局、実行委員長は友人でもあるM縞に代わってもらった。M縞はてきぱきと実務をこなし有能だった。オレとの力の違いと指揮官としての資質の差にちょっと落ち込んだが、指揮官ではなく、人手不足だったり煮詰まっているところに勝手に顔を突っ込んではあれこれアイディアを出して好転させるという自分の資質を見いだした。軍隊で言えば指揮官ではなく、前線の兵士でもない。あえていうなら『独立愚連隊』だ。愚連隊と言っても一人だが。
 実際の軍隊では指揮下にない独立愚連隊は必要がないどころか時に自軍にとって危険な存在だが、幸いなことに半田高校は戦時下の軍隊ではなく平時の普通高校だ。
 その独立愚連隊としてはオレはなかなか有能だったと思う。人にはそれぞれ向き不向きがあるというか、責任のある立場はオレには無理だが、責任のない役割で好き勝手にやると実力を発揮する。はた迷惑なヤツだ。

 釣合痴呆や利口ぶり阿呆(利口ぶり馬鹿)という言葉を知ったのはずいぶん後になってからだが、オレはこの時点で自分に責任感のある役職や立場は無理だと思った。
 利口ぶり馬鹿になって苦しむぐらいなら、利口ぶりは捨てて単にバカになろう。というか小学校や中学校時代を振り返ってもどう考えてもバカだ。
 バカはバカを貫いてこそ力となる。オレはいい加減かつ全力を持ってバカになっていった。そして未だにバカだ。

 釣合痴呆に類似した症例で「サロンの馬鹿」というのがあるそうだ。
 いろんな事を知っていて、みんなが集まるサロンでの会話では人気があったりするが、実際の生活や仕事面では無能なことを言う。
 これに関してもオレは当てはまっている感が強い気がする。釣合痴呆に関しては責任のある立場は極力避けて逃げ回るようになったので、直ったというか症状は出ていないが、サロンの馬鹿は現役ばりばり。そもそもこの映画バカ黙示録自体がサロンの馬鹿な気もする。
 でもスポーツが得意だったり歌が上手かったり、絵が得意だったりするのが特技ならば、無意味にいろんな事を知っているのも特技じゃないだろうか。実際、それがなかったら映画バカ黙示録はここまで続いてないわけで。

 まあともかく、バカはすげぇ。バカ一番。みんなバカになれ。こうも毎日暑いとほっといてもバカになるけどな。

allcinema onlineの検索オプションで、1985/01?1985/12とすると1985年公開の作品だけ検索できた。以下はそこから抜き出した、オレが劇場で観た映画。

悪魔の受胎
アナザー・カントリー
アマデウス
アメリカ万才
イウォーク・アドベンチャー
1984
ウーマン・イン・レッド
エメラルド・フォレスト
狼の血族
ガッチャ!
彼女はハイスクール・ボーイ
キリング・フィールド
グーニーズ
刑事ジョン・ブック/目撃者
皇帝密使
コーラスライン
コクーン
コットンクラブ
サンタクロース
シティヒート
シュア・シング
新・13日の金曜日
死霊のはらわた
スター・ファイター
スターマン/愛・宇宙はるかに
すてきな片想い
砂の惑星
スペースバンパイア
ターミネーター
007/美しき獲物たち
チャンピオン鷹
トップ・シークレット
2010年
ネバーエンディング・ストーリー
眠れぬ夜のために
バーディ
バック・トゥ・ザ・フューチャー
バッド・ボーイズ(ショーン・ペン主演の方)
パリ警視J
BMXアドベンチャー
ビジョン・クエスト/青春の賭け
ビバリーヒルズ・コップ
ファースト・ミッション
フェノミナ
フライトナイト
プリンス/パープル・レイン
プロテクター
ペイルライダー
ベスト・キッド
ポリスアカデミー2/全員出動!
ポリス・ストーリー/香港国際警察
香港発活劇エクスプレス 大福星
マスク(ジム・キャリーじゃない方)
マッドマックス/サンダードーム
未来警察
メトロポリス(ジョルジオ・モロダーによる改悪編集版)
野獣捜査線
ラスト・ドラゴン
ランボー/怒りの脱出
レディホーク
愛・旅立ち
CHECKERS in TANTAN たぬき
テラ戦士ΨBOY
V・マドンナ大戦争
さびしんぼう
星くず兄弟の伝説
ビッグ・マグナム黒岩先生
カムイの剣
うる星やつら3 リメンバー・マイラブ
ユー★ガッタ★チャンス
ボビーに首ったけ
パンツの穴 花柄畑でインプット

ペンギンズメモリー 幸福物語
必殺!ブラウン館の怪物たち
ビルマの竪琴
台風クラブ
タンポポ

合計で78本。これで文化祭活動などにも入れ込んでいたのだから、そりゃ勉強なんてしている暇はないわな。
 たまに『すてきな片思い』とか『彼女はハイスクール・ボーイ』などリストに馴染まない作品があるが、それらは二本立ての併映だったものだ。『ターミネーター』なんか同時上映が『ウーマン・イン・レッド』だったもんなぁ。だれが決めたんだこの組み合わせ。
 1984年と比べると明らかに洋画偏重である。しかし、それも無理もない気がする。せっかく観たのに『星くず兄弟の伝説』や『テラ戦士ΨBOY』、『V・マドンナ大戦争』、『乱』ではそりゃ観る気も失せるわ。
 『V・マドンナ大戦争』と黒澤明作品を同列に語っているが、禁断の夢落ちと「こんなの観ちゃったよ」という点では『V・マドンナ大戦争』の方が上だ。
 方や洋画は実に充実した年である。先に挙げた『ターミネーター』に『死霊のはらわた』、『シュア・シング』、ムーア・ボンド最終作の『007/美しき獲物たち』、そしてなにより『トップ・シークレット』と『ペイルライダー』などなど見応えがある作品揃い。
 これまでに映画バカ黙示録で書いてきた作品には該当するエントリにリンクを張ったが、その数もかなりあるのでやはりお気に入りの作品が多く、また感受性も豊かな時期だったのでより記憶にもとどまっているのだろう。

 ちなみに『トップ・シークレット』は『ビバリーヒルズ・コップ』の同時上映だった。『ビバリーヒルズ・コップ』を目当てに出かけたのだが、劇場を出たときには頭は『トップ・シークレット』一色に塗りつぶされ、『ビバリーヒルズ・コップ』のストーリーはテレビ放送でようやく把握したぐらいだ。
 バート・レイノルズとクリント・イーストウッドが競演した『シティ・ヒート』(1985年4月公開)はバート・レイノルズ目当てで観に行ったオレが、イーストウッド主義者になったのが『ペイルライダー』(1985年9月公開)。『荒野の用心棒』や『夕陽のガンマン』などのセルジオ・レオーネ作品と、自らの監督主演作『荒野のストレンジャー』的人物を、うって変わって静かな世界観で描いた『ペイルライダー』は後の『許されざる者』へと繋がるという意味で映画にとって非常に重要な作品だが、それ以前の作品やそれ以後の作品を頭から消し去って、この1本だけを観ても類い希なる完成度の作品だ。007でジョーズ役を演じたリチャード・キールや、先日亡くなってしまったクリス・ペンの若くそして痩せていた頃の姿も見ることが出来る。

『トップ・シークレット』のコメディ集団ZAZ、そして『ペイルライダー』のクリント・イーストウッド。彼らとの出会いはその後のオレにとって大きな意味を持っていくのだが、それはまた後の話。

 高校時代、大瀧詠一などが中心となってクレージーキャッツの再評価が行われた。
 そして大瀧詠一監修で、クレージーのベスト盤LP(すでにCDも出ていた時期のはずだが、まだハードが高く、一般的ではなかった)が発売され当然買った。
 いやーもうこれが面白い面白い。それまでの自分の価値観をひっくり返すような面白さだった。当時、マンガ家のとりみきや小説家の火浦功などが作中にクレージーのネタを盛り込んでいたが、そのオマージュ振りも納得なすごさだった。
 オレは植木等になりたいと思った。植木等的人物ではない、植木等その人だ。ガキがウルトラマンや仮面ライダーになりたいとか言ってるのと同じように、植木等になりたかった。
 とりあえず、生徒会が生徒会室で会議をやっているところに、おもむろに入っていって関係ないことをやったあげく、しーんとした生徒会役員に向かって「お呼びでない。お呼びでないね。こらまた失礼いたしましたと」と退場していくギャグをやった。(後で怒られた)
 廊下をスーダラ節を歌いながら歩く。(教師に怒られた。自由な校風でも限界はあるようだ)
 などなどをやったものだ。若かったなぁ。

 植木等とは架空の人物である。それを演ずる植木等という人物はいるが、本人の性格は寺の息子だけあってかなり真面目で堅い。クレージーキャッツのことはコミックバンドだと思いこんでいる人の多いようだが、もともとは進駐軍向けのクラブで演奏していたジャズバンド。実力はかなり高かったそうで、谷啓は当時日本で一番トロンボーンが上手い男と称されていたそうだ。もっとも、かなり無茶をやっていたとも聞く。あまりに無茶をやるので進駐軍の兵隊から「お前らはクレージーだ」と言われたのが後のバンド名『クレージーキャッツ』の由来だとか。
 植木等に話を戻すと、テレビや映画に登場する植木等は、植木等本人の性格とはかけ離れている。その芸能人植木等の人格を作り上げたのは青島幸夫をはじめとする構成作家や脚本家だ。スーダラでスチャラカでホンダラダホイホイな人物像に、当初リアル植木等はかなり悩んだようだ。その本人の苦悩があったからこそ、メディア上の植木等はあれほどパワフルで素敵なキャラクターとなったのではないだろうか。自己矛盾を抱え、構成作家とのせめぎ合いで悩んだ末での大爆発。だからこそあれほど破壊力が強かったのだ。

 名古屋のTV局で『名古屋嫁取り物語』とかいうドラマが何作か作られているが、そのドラマで父親役を演じていたのが植木等。なんでだ?と思っていたのだが、実は植木等は名古屋生まれなんだそうだ。東京人の匂いがするのでちょっと以外。

 当時、レンタルビデオはまだ黎明期で、ダビングしたソフトを平気で貸しているような時代だった。まだまだ本数も少なく、植木等の「無責任シリーズ」や「クレージーシリーズ」はなかった。
 テレビで放送することもまれで、『ニッポン無責任時代』など数本をやっと観ることが出来る程度の状態だった。
 社会人になってからの話だから、これはまた別の話だが、東京の映画館で『無責任シリーズ』一挙上映という企画があり、もちろん通い詰めた。
 『クレージーシリーズ』は昨年だかにスカパー!の日本映画専門チャンネルでその多くが放映され、もちろん観て録画もした。どれもこれもくだらないのだが、そのくだらなさがいいんだと力説しておく。

 小説の師匠である横田順彌、しゃべりの師匠であるつボイノリオ、映画の師匠であるジョン・ランディス。この方々には大きな影響を受けたし、目標でもある。
 しかし、その人物そのものになりたいと思ったのは植木等だけである。
 こうして多感な高校時代に植木等とクレージーキャッツに出会ったオレは、スチャラカでスーダラでだまって俺について来いでウンジャラゲでホンダラダホイホイで観た映画が五万本で、そしてなにより無責任になっていった。

 気がつきゃ2年生。といっても、さほど生活が変わるわけではなく、相変わらずのスチャラカ生活。
 恋愛とはほど遠い存在かと思われたが、この高校2年そして3年の2年間はちょっともてた。オレの人生で恋愛面で唯一輝いていた2年間だった。その頃の写真を見ると、今よりも格段にやせていて、ちょっと長嶋一茂に似ていなくもない。好青年って感じだ。自分で言ってると説得力にかけるが、ホントっすよ。

 クラスで同じになった女生徒に恋をした。とても可愛くて性格も明るい女の子だった。だが、何のアプローチも出来ずそのまま。まったく意気地なしである。
 代わりに他の女生徒からアプローチを受けた。まず一人目は後輩になる1年生の女生徒
だった。呼び出されたので、「はっ、ひょっとしてオレが目立ちすぎるのでリンチにあうのか。危険なのか」と思ったが、校庭の隅にいたのは女の子だった。そして「これを読んでください」と手渡されたのは一通の手紙。
 そこには「この手紙を読んだ人は一週間以内に同じ文面を20人の人に出してください。出さなかったカナダの少年は交通事故で死にました」なんてことは書いてなく、ちゃんとしたラブレターだった。ラブレターをもらったのは生まれて初めて、そして現在のところこれが最後だ。
 だが、先に書いたように好きな子がいたし、その子にあまり興味は持てなかったので、断りの返事を出した。今考えるともったいないことをしたものだ。

 同じ学校だけではなく、他校の女生徒から呼び出されたこともある。
 ちょっと強気な感じの背の高い子だった。お茶飲んで、映画を観に行って、その映画の解釈でもめてそのまま。デートで観た映画で論争になるなよとも思うが、なにしろオレは映画野郎だ。この子とはそのままで終わったが、その後も他の子とのデートで映画を観に行ってもめたことがある。一番騒ぎになったのが北野武の『3-4X10月』だ。まぁ、デートで観る映画じゃないのだが。

 3年での出来事はまた改めて書くが、人間妙にもてる時期というのがあるものだ。オレはこの高校2?3年がそうだった。それ以降はてんでぱっとしない。
 そしてその時期に女の子よりも映画の方が大好きときたもんだ。
 もう一度あの頃に戻りたいとも思うが、結局また映画を観ているだけかもしれない。

 そうそう、これはもうモテたとかは関係ないのだが、先輩である2年生の女生徒と一緒に二人で喫茶店に行ったこともある。
 そこのスペシャルパフェの量が多くて食べきれなかったと、その先輩が生徒会室で言っているのを聞いて、「どんな量があるかは知りませんが、オレなら楽勝ですよ。きっと2つだって食べちゃいますよ」といったところ、「無理」「食べれる」と言い合いになった。
「じゃあ食べに行きましょう。二人分食べられたら東森君の勝ちでわたしが奢ってあげるわ。そのかわり食べられなかったらわたしの分も払いなさいよ」
 挑戦はきっちり受けるが東森流。そこで放課後に制服のままで学校近くの駅前にある喫茶店に。
 オレはバクバク食べて1つめは完食。そして二つめも難なくクリアー。確かに女の子には量が多いだろうが、育ち盛りの男子高校生の胃袋をなめてはいけない。まだ余裕があったのでおかわりして3つ目も食った。
「こんなの反則よ。きっといつもより盛りが少なかったんだわ」とブツブツ言いながらも先輩はちゃんと2杯分は奢ってくれた。3杯目は自分持ち。
 勝負の点を抜きにすれば、高校生の男女二人が学校帰りに喫茶店に寄ったというシチュエーション。先輩のプンスカも、今更時期を数年外しまくった単語だが、「ツンデレ」と言っていえなくもない。・・・言えないか。

 クラスの顔ぶれを思い出すと、これも高校1年生の出来事だ。
 社会科の時間で合計2回、討論をやったことがある。

 1回目は「浮気は許されるか、許されないか」というテーマだった。
 許すもなにもつきあっている彼女もいないのに浮気に興味があるはずもない。最初は浮気は可で議論を進めて、途中から浮気は不可に意見を変えてクラスを混乱させたりした。
 議論といっても、ほとんどの生徒は自ら進んで意見を述べることはなく、指名されてようやく答えるといったところ。その中で、自らはいはいと挙手して意見をいいまくるオレはちょっと目立つ存在だった。話の中身はともかく、積極的に意見を言う。そして、基本的には素晴らしい意見を持っていてもそれを語らない人物よりも、とりあえず言ったモン勝ちだ。
 そして、そのように自ら進んで意見を言う生徒がもう一人いた。帰国子女の女生徒Aさんだ。オレのようにのらりくらりとしている訳ではなく、ズバズバと問題の中心部に斬り込んでいく様子は、こういう言い方は一種の差別かもしれないが、さすが帰国子女と感心した。
 この第一回の結論がどうなったかは覚えていない。ただ、教師が「浮気ならともかく本気になったらしょうがないよね」とありきたりな結論で閉めた覚えはある。

 そして後日、今回のテーマは「自衛隊は是か非か」だった。
 このテーマを今になって考えてみると、社会科教師、日教組、左翼崩れなどなどの単語が出てきそうだが、まぁそれはそれだ。
 正直、自衛隊に興味はなく特に意見も持っていなかったオレだが、Aさんが自衛隊擁護派に回るのを見て「この人と戦いたい」と少年漫画的理由から「自衛隊否定派」を選んだ。
 Aさんは「自国を守る軍隊を持っていない国などありません」といった意見だった。もっともである。
 しかしそこに「いや、自衛隊は軍隊じゃないんでしょ。それに大金をかけて戦闘機などを揃えているけど、空母を持たない限り制空権においてあまり意味がないんじゃないか。それに仮想敵国であるソ連(まだソ連が存在していた時代だ)が攻めてくるとしたら、陸軍を送り込んだり艦隊を派遣する前に核ミサイルを撃ってくるでしょ。どれだけ陸上・海上・航空自衛隊に金をつぎ込んでも意味がないんじゃんか。それに、平和ぼけした日本人の一人である自衛官をそんなに信用できるか?いざ戦争になったらとっとと鉄砲を捨てて逃げ出す可能性もあるだろ。そして、もしも長期戦になったとしたら徴兵制が復活するかもしれない。Aさんは女性だからいいけど、実際に徴兵されるのは僕らですよ。雑魚兵士だから簡単な訓練だけ受けて鉄砲を持たされて最前線送りだ。冗談じゃないっすよ」
 などなど適当にくっちゃべった。

 自衛隊に興味はないので、別に擁護するのが目的ではなく、討論相手として面白いと見込んだAさんと討論するための擁護派だ。そういった意味では討論ではなくディベートと呼んだ方がふさわしいのかもしれない。
 結論がどうなったのかは覚えていないが、というか、大半の討論と同じく最終的には平行線をたどるだけで結論などでるはずもない。
 ただ、社会科教師が、「やはり自衛隊はよくないですね」と最後に言ったのには、日教組、左翼崩れ・中核革マルなどの単語が思い浮かんだが、言わずにすませた。
 今となっては、その時点で社会科教師にディベートを吹っ掛けていた方が面白かったのかもしれん。というか、今のオレならやるな。

 これでAさんと険悪な仲になったりはせずに、お互いゲームとしての議論というのを分かっていたので、友達関係は続き、彼女の結婚式の2次会にも出席し、今でも年賀状をやり取りする仲だ。
 NECに入社した彼女とは、オレも山手線田町の近くの会社に勤めていたので、駅そばの立ち食いそば屋で飯を食っていてばったり出くわしたこともある。東京といえば広いだろうに、そう何人もいない知り合いと出くわすとは驚いたが、その後も何人か数少ない東京在中の知り合いと、映画館や渋谷のCD屋で出くわしたことがあった。それは社会人になってからのことなのでまた別の話だが、東京は広いようで狭い。単に、うちらの行動半径が狭かっただけかもしれんが。

 一時期新聞配達のアルバイトをしたことがある。高校1年の出来事かそれとも2年生だったかはっきりしないが、一度雪が降ったので冬だろう。となると1年の三学期の可能性が高い。
 高校ではアルバイトは禁止だったので隠れてやった。朝刊の新聞配達なら教師に見つかることもないだろうとの目論見だった。
 自宅近くの中日新聞配達店にバイトの申し込みに行った。人手不足とのことでその場で採用決定。
 まずは店長自ら、オレが担当する地区の配る家がどれか案内してくれた。
 このバイトの給料で映画をもっと観られるぞ、やったね。てな感じだった。

 バイトは朝の5時からスタート。
 最初のウチは調子がよかった。念のために配る家に印がついた住宅地図も持たされていたが、それに頼ることはなくとっとことっとこ配達していく。
 意外と楽で、日給もそれなり。これはいいなと思っていたのだが・・・

 オレは寝坊助だった。原因ははっきりしている、不眠症だ。
 小学校の頃ですでに横になってから寝付くまで1時間はかかるのは当たり前だった。
 高校の頃はその頻度も増え、夜更かしの癖もあって慢性的に寝不足だった。高校で授業中に居眠りしていたのも、授業が退屈なだけではなく単に眠かったからということもある。
 そして、4時45分起きで目覚ましをセットしておいたのだが、鳴っても起きない。止めてしまってまた寝るのではなく、目覚ましが鳴っているのにそのまま寝続ける。目覚ましを2個に増やしたらなんとかなるかなと思ったが、2つとも鳴ってる中寝続けるだけだった。
 そして、遅刻をすると配達店から電話がかかってくる。親が電話に出てオレを起こしに来てようやく目覚める。そうして真っ青になって家から飛び出していく。そんなことが続いた。
 親に、「朝、起こしてもらえないかな」と頼んでみたが、「新聞配達をやるといったのはあなたでしょ。だったらそれは本人の責任だから自分でちゃんと起きなさい」と言われただけだった。

 遅刻も二桁になるころに、オレは店主にバイトを辞めたいと申し出た。店主も困っていたのだろう、その場で速攻受理され、オレの初バイトは見事に玉砕で終わった。店主などの方々にはご迷惑をかけ、申し訳ないことをした。
 配達作業自体は要領もよく、短時間で配っていたが、朝に弱い。これが最大の弱点だった。

 不眠症は年を取るとともにひどくなり、大学時代は一睡も出来ずに、ただぐるぐると公園を歩いているうちに朝になったりしていた。

 半田高校は2年生への進級時に文系クラス・理系クラスのどちらかを選択する。
 これで迷った。積極的理由ではなく消極的理由からだ。オレが一番苦手なのは英語、二番目は数学なのだ。そして一番得意なのが現国、二番目に得意なのが生物・地学。どうしろってんだ。

 高校に入ってからほとんど勉強はしなかった。進学校ではあったが、生徒の自主性に任せて、あまり学校側から勉強しろ勉強しろと言ってはこない校風だった。宿題・課題もあまり出なかった。
 あるいは、出てもやらなかっただけかもしれないが、それに苦しめられたという記憶はない。それでも、大半の学生は自分からきっちりと予習復習をし、授業を真面目に受けているので問題はなかった。
 いや、問題はあった。勉強が嫌いなオレだ。古典・漢文を担当していたのがO先生というおばあちゃん先生で、この人の授業が退屈なのでついつい居眠りをすることが多かった。それでよく怒られたものだが、「あんたみたいに堂々と居眠りをする生徒は初めてだよ」と言われたものだ。
 厳しい先生として有名だったのでみんな緊張して授業を受けていたこともあるだろうが、そもそも居眠りをするような生徒はまれだったのだ。
 授業では居眠り、家で予習・復習はしない。入学時に250番程度だったオレの成績は順調に落下を続け、1年生終盤には200番台末になっていた。
 自由な校風というのは、真面目にやるのも自由だが、真面目にやらないのも自由。そして、その結果はすべて自己責任である。後になって、なんでもっと勉強しろと言ってくれなかったんだと怒ってみたところで、その怒りの先は自分にしか向けられない。
 自由には恐ろしい面もある。成績を上げるのも自由。落とすのも自由。そしてそのすべては自己責任と言うことも含めてやはり自由は素晴らしい。

 『あずまんが大王』というコミックで、「ウチは自由な校風だから、東大に行くヤツがいる一方で、どこにも行けないヤツがいる」といったような台詞があるが、まさにそんな感じ。『あずまんが大王』は他にもオレの高校時代を思わせるような描写があって、妙に懐かしかった。オレが「どこにも行けないヤツ」だったのは、言うまでもないだろう。

 今の半田高校は課題の量が多かったり、生徒の私生活にあれこれ口を挟むなど、かなり厳しくなっているそうだ。これも時代の流れなのだろうが、もはや半田高校はオレが在籍していた頃の半田高校ではないのだ。残念ではある。

 さて、文系、理系のどちらにするか。ちょっとだけ悩んで、なんとなく理系クラスを選んだ。将来は映画監督になる予定だったので、文系出身の監督よりも理系出身の監督の方が珍しくて格好良いな。そんないい加減な理由だ。
 その選択で、2年生になって成績はさらに悲惨なことになるのだが、それはまた後の話。

 高校時代はいつ何を観たかという記録をつけていないので、Wikipediaの1984年の日本公開映画から映画館で観た作品を書き出してみた。
 ただ、Wikipediaの情報は完全ではなく、『コータローまかりとおる!』の同時上映だった『五福星』が掲載されていないなど不足分もある。
 とりあえず、はっきりしたのは59本だった。洋画派なつもりだったが、案外邦画も観ている。アニメもなんだかんだで結構観てる。
 この中からお気に入りの作品を選ぶと、『ストローカーエース』、『うる星やつら2ビューティフルドリーマー』、『プロジェクトA』、『ダーティーハリー4(ただし、これは後に観直してから。恥ずかしながら劇場で観た時には「スカッとしないなぁ」という感想だった。)』、『コータローまかりとおる』『お葬式』、『スパルタンX』だろうか。ジャッキーはさらに『五福星』にも出演していて、実に充実している。
 邦画では角川映画が作品の質はともかく勢いがあった。アニメも『風の谷のナウシカ』や『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』などがあり、映画としての質を高めていった頃だ。
 日本産SF映画としては『さよならジュピター』、『ゴジラ(1984年版)』の年なのでファンには悪夢的年だが、オレは案外両方ともちこっと好きだったりする。

ストローカーエース
エレクトリック・ドリーム
若き勇者たち
生徒諸君!
ストリート・オブ・ファイヤー
スプラッシュ
タイトロープ
ダイナー
ナチュラル
メル・ブルックス/珍説世界史PART I
ライトスタッフ
ロマンシング・ストーン/秘宝の谷
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ
トワイライトゾーン
プロジェクトA
うる星やつら2 ビューティフルドリーマー
すかんぴんウォーク
ジョーズ3
少林寺2
少年ケニヤ
風の谷のナウシカ
名探偵ホームズ
超人ロック
さよならジュピター
パンツの穴
ブレインストーム
スカーフェイス
ダーティハリー4
海燕ジョーの奇跡
クリスティーン
晴れ、ときどき殺人
湯殿山麓呪い村
地獄の7人
スタートレックIII ミスター・スポックを探せ!
必殺!
13日の金曜日完結編
ザ・キープ
グレイストーク
インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説
メイン・テーマ
愛情物語
超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか
SF新世紀レンズマン
キング・オブ・デストロイヤー コナンPART2
コータローまかりとおる!
五福星
フィラデルフィア・エクスペリメント
ポリスアカデミー
麻雀放浪記
いつか誰かが殺される
アイスマン
お葬式
グレムリン
ゴーストバスターズ
スパルタンX
ドーバー海峡殺人事件
天国にいちばん近い島
Wの悲劇
ゴジラ

 半田高校の文化祭は文化の日である11月3日を中心に、2日間だか3日間に渡って開催される。
 校章である柊の葉にちなんで柊祭と呼ばれている。
 開催日のうち一日は一般公開され、近隣の人たちなど多数が訪れる、なかなか盛況な文化祭だ。

 クラス単位での発表・イベントもあるが、一番の主役は文化部。文化部にとっては一年で一番輝ける日だ。
 放送部も文化部だが、部としての作品発表以外にもやることがいっぱいある。むしろそちらの方が忙しいぐらいだ。
 校内放送をはじめとして、体育館で行われる演劇部や吹奏楽部、合唱部の発表会『ダブ・フェスティバル』での放送機材取り扱い、武道場で行われる軽音楽部の発表会や有志による『ライブ・イン・武道場』など、公の仕事がいくつもあった。
 オレが担当したのは『ダブ・フェスティバル』だった。
 配属された当初は「えー、面倒だなぁ」と思っていたのだが、やっているうちにその面白さと充実感にはまっていった。

『ダブ・フェスティバル』のダブ(Dove)は鳩のこと。会場である体育館に鳩が住み着いていたためにその名前になったらしい。ピジョンにしなかった理由はわからんが、語呂の問題かもしれない。
(夜になってから辞書で確認してみたらdoveは小さな鳩、pigeonは大きめな鳩となっていた。ふーむなるほど。でも鳩の大きさなんかあまり気にしたことがないのでピンとこない)

 体育館は講堂も兼ねていて、入学式や卒業式もそこで行われる。そのため、放送設備も整っていた。単にアンプとスピーカーがあるだけではなく、コントロールパネルやカセットデッキ、オープンリールデッキなど割と本格的だ。そのため、扱うには多少の知識が必要で、その操作は発表を行う演劇部や吹奏楽部の部員ではなく、放送部員が行うこととなっていた。
 音楽や効果音を流すためには、ダブ・フェスティバルの当日だけではなく、準備や稽古の段階から参加して流れを頭に入れておく必要がある。
 オレは放課後になると体育館に行って、各部の練習につきあうこととなった。
 吹奏楽部や合唱部に関しては、生の音をお客さんに聴かせるので、さほどやることはない。合唱部のピアノの伴奏をマイクで拾ってスピーカーから流すぐらいで、それよりも発表会の様子を録音することの方が重要だった。
 大変なのは演劇部だった。演劇部は全体で5?6人の小所帯で、しかも女の子ばかり。放送の方に回せる人間もいないし、そもそも機械系はまったくだめだ。そこで、放送関係はすべてオレがやることとなった。
 ピンマイクがあるわけでもないので、台詞はすべて生の声だが、効果音や音楽は放送設備を使って行う。これらはタイミングが命なので、当日だけ参加ではとても無理だ。台本を読んで流れを頭にたたき込み、そして稽古を繰り返し見てタイミングを覚える。もちろん、稽古でも音があった方がいいので、オレは舞台に向かって左上部にある放送室の窓から舞台を見下ろしながらタイミングをつかみ必要な音を流した。
 先ほども書いたが、演劇部は女の子ばかりで少人数。書き割りなどの大道具を作るのでの一苦労だ。毎日体育館に来ていたオレは、次第に放送だけではなく、そういった大道具作りも手伝うようになり、トンカチでトンテンカンテン、ノコギリでギコギコギコギコと飛び回った。
 これで、演劇部員の一人と恋に落ちれば少女マンガっぽいのだが、そういった浮いたことは全くなかった。いや、ちょっとはあったが、それよりも柊祭に向けてみんな一生懸命で、そちらのことが楽しくて色恋沙汰は後回しだった。

 柊祭の当日のことはほとんど覚えていない。ただ、ひたすらに忙しく飛び回っていたという記憶だけだ。
 だが、その柊祭の準備については楽しかったという記憶ばかりだ。
 そして、オレはこの『祭りの準備』というヤツにはまった。楽しくてしょうがなかった。
 『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』の序盤は、文化祭の準備が舞台となっている。永遠に続くかと思われるドタバタ騒ぎ。そして、それは実際に永遠に続いていて、その黒幕が正体を現すのだが、現実の柊祭の準備は永遠に続くかと思われたが、ある日本番になって、そして終わり、日常に戻った。
 だが、一度『祭りの準備』の楽しさを知ってしまったオレは、もう日常では満足できなかった。
 そこで、2年生となった翌年は、柊祭実行委員として前期から参加することになり、生徒会活動にも首をつっこむこととなる。

 高校、大学時代で都合7回の祭りを経験した。今こうして思い出すに、やはり祭り当日よりもその準備が面白く楽しかった。
 夏祭りや盆踊りなど、実生活での祭りに関しては運営面に参加したことはないが、おそらく学園祭にはかなわないだろう。
 文化祭・学園祭がああも面白いのは、日常の光景が次第に祭りの様相を呈してくるあのドキドキ感、ワクワク感が大きいのだろう。

 行ったことはないし興味もないが、あと一週間ほどで行われるコミックマーケットことコミケも一種の祭りなのだろう。中毒者がいるのもなるほどだ。

*タイトルで使っている『祭りの準備』はガガガSPの曲から取った物で、映画『祭りの準備』とは一切関係なし。
黒木和雄なんてクズ監督が撮ったグダグダクソ映画から取るわきゃねーって。

 興味がすっかり映画に移ってしまったオレは、中学時代に熱中したマイコンをほとんど触らなくなっていた。
 持っていたFM-7を最後にまともに使ったのは高校1年の時である。

 学校では美術か音楽のどちらかを選択することになっていた。
 不器用では定評のあるオレは絵を書くのは大の苦手だったので音楽を選んだ。
 音痴でもあるのだが、歌うのは好きで、小学校の時には半年ほど合唱部に所属していたこともある。
 だが、音楽の授業では歌うだけではなく、楽器の演奏もやらなければならないというのが誤算だった。不器用で定評のあるオレは楽器もまるで駄目だったのだ。小学校の縦笛で挫折した。ハーモニカも駄目だった。演奏会ではシンバルかカスタネットが担当だった。
 それでも、一人で演奏する分には下手でもオレ個人の問題である。成績が悪くても、必死にやっているのだから赤点になるわけでもない。
 だが、二人一組になって、片方が演奏しもう一方が歌う、そして演奏を交代してもう一度という課題が出たときに悩んだ。楽器できねーってば、だから。

 二人一組となると自分だけの問題ではない。自分の成績が悪いのはオレの責任だが、他人の成績まで落としてはいけない。けじめだ。
 オレと組んだのは小学校の時から友人だったTという男。友人といってもクラスが変われば遊ばなくなる程度の友人。のんびりとしておだやかな好人物だった。無駄にセカセカして空回りにエネルギッシュなオレとは正反対で、それが逆によかったのか気は合った。
 オレが楽器を苦手なことで、Tの評価まで落とすわけにはいかない。そこで楽器の特訓を始めたが、ギター、ピアノ、アルトリコーダーはことごとく陥落した。
 やっぱ不器用はどうしたって不器用だ。いまさら付け焼き刃で練習してもすぐに上達するはずがない。

1.出来るようになるため努力する
2.あきらめる
3.他人と同じ道ではかなわないならば、別の道を進む

 そして、オレは当然のごとく3番を選んだ。
 ここで、自宅で最近電源を入れられず眠っていたFM-7の登場となる。
 FM-7はFM音源が搭載されていて、初期のマイコンがビープ音を鳴らすことぐらいしか出来なかったのと比べると、音楽の面では格段に進化していた。
 楽器屋で楽譜を買ってきて、その譜面をFM-7に入力して演奏させることにしたのだ。
 試験当日、大きめの鞄にFM-7を入れて登校した。
 音楽の授業が始まり、オレとTの番になった。
 鞄からFM-7を取り出すと、教台に置いた。本当はFM-7で生演奏をしたかったのだが、さすがにモニタを持ってくるのは無理だったので、FM-7は飾り。実際には演奏を録音したテープを使った。
 教師は最初、「マイコンなんて認めません」みたいなことを言ってきたが、
「YMOを見てくださいよ、シンセサイザーであんなに見事な音楽を作り出しているじゃないですか。これからの音楽の世界ではシンセサイザーやコンピュータが当たり前になっていくはずです。今は奇妙に思えても10年後を想像してみてください。音楽でもコンピュータは不可欠になっているはずです」
 とか適当に教師を言いくるめた。いや、言いくるめられたと言うよりは単に呆れただけかもしれん。
 ともあれ、もう試験当日だからしょうがない、今回だけということでOKが出た。
 そこで、カセットデッキの再選ボタンを押した。スピーカーからビートルズの『ヘイ・ジュード』が流れ始めた。

 あれから二十数年。実際に音楽においてシンセサイザーやコンピュータの存在は当たり前になっている、ようだ。
 高校時代のオレがやったことは、いわゆる打ち込み系音楽ということになるのだろうか。
 これで本人に才能があったら元電気グルーヴの石野卓球みたいになっていたのかもしれない。
 だが、音楽に興味はなかったし、マイコン熱も冷めていたので、マイコンで音楽をやったのはこれが最初で今のところ最後である。
 FM-7はもう手元にはない。捨てはしないだろうから、誰かに売るかあげるかしたのだろう。オレのことだから売ったに違いないとは思う。

 こうしてマイコンから遠ざかったオレは、大学に入ってすでにパソコンと呼ばれるようになっていたPC-9801系のマシンを購入し、主に脚本や評論文など文章を書くことに使うようになるのだが、それはまた後の話。

 高校に入ったオレは月に3000円か4000円程度の小遣いをもらっていた。
 愛読しているSFマガジンとSFアドベンチャーを買い、本を数冊買うと小遣いはもうなくなってしまう。
 そこで何とか映画代を捻出すべく考え出したのが、昼飯節制大作戦だ。

 高校は給食がなく弁当か購買でパンを買うかだったが、オレは母親がパートで仕事をしていることもあり、弁当ではなくパン代として1日500円もらっていた。
 その500円でカレーパンや焼きそばパンなどを1つ買い、50円か60円だったパック入りのジュースを買う。併せて150円ぐらいだったろうか。すると500円?150円=350円となり、週に1750円が手元に残る。その金は主に映画を観に行くことに使った。
 年間50本を目安にして、毎年その目標をクリアしていた。1984年頃の名古屋は2本立てが一般的で、1本分の金額で2本観られた。高校生料金がいくらだったか覚えていないが、1200?1300円ぐらいではなかったろうか。
 月に2,3回観に行くと月に4?6本だから年間60本程度。お金もちょっと残るので、パンフを買ったり他の遊びに使う。

 だが、育ち盛りの男子高校生が毎日毎日パン一個で足りるはずがない。
 そこでオレはどうしても腹が減ってしょうがないときは、一緒に昼食を食べている友達に頼んでおかずを分けてもらったりしていた。今考えると情けない。なんつーか激しく情けない。友達もさぞ迷惑だったことだろう。
 でも、高校時代に飯を恵んでくれと頼んでくる奴がいたというのは、彼らにとっても青春の一つの思い出となっているかもしれない。うん、プラス思考、プラス思考。・・・そういうのってプラス思考っていうかぁ?

 その頃の半田市には東宝の洋画系・邦画系がそれぞれ1館ずつ。東映の洋画系・邦画系が1館ずつあった。それ以外にはにっかつの劇場もあったが、そこは高校生は立ち入り禁止。東宝、東映ともいまでは無くなり、代わりにシネマコンプレックスがあるが、にっかつだけはまだ残っているようだ。もっとも一度も行ったことはないし、これからもないだろう。
 にっかつが1980年代末にロッポニカと銘打って一般作を上映したことがある。それを観るために名古屋のにっかつ系劇場に2度行ったことがあるが、なんつーか独特の雰囲気だった。

 映画に興味が出てくると地元の半田市で上映される作品だけでは満足できなくなってきた。
 たった4館では上映されない作品も多い。特に小劇場向けの作品やリバイバルはまず公開されない。
 オレの住んでいた知多半島を北上するとその付け根に名古屋市がある。名古屋までは片道およそ35km。電車で30分だ。だったら名古屋まで観に行けばいいのだが、電車賃が片道500円近かった。田舎だし車社会なので電車賃が高いのだ。東京で500円出したら延々遠くまで行けるぞ。

 電車賃で映画1回分の金額がかかるのでは堪らないと思ったオレは、自転車で名古屋まで通うことにした。自転車はサイクリング用ではなく、中学時代に買った変速機のレバーがオートマチック車のシフトレバーの形をした、当時としてはごく普通の少年向き自転車。
 35kmの距離をギコギコとペダルをこいでいくと約2時間かかった。朝の8時頃に家を出て、10時頃に名古屋に着き、映画を2本観ると午後2時。そして家に帰るのにさらに2時間で帰宅は午後4時。
 自転車で名古屋まで行っていることを知られると怒られるかなと思い、親には内緒にしておいた。だが悪いことは出来ないもので、いや別に悪いことをしている訳じゃないが、名古屋駅まで後少しの場所にある金山駅近くを走っているときに、姉の友人に目撃されてしまった。友人から「弟さんが金山を自転車で走っていたよ」と聞かされた姉は、最初信じなかったようだが、夕飯の時に追求してきて、オレはついつい口を割ってしまった。
 母親は「車には気をつけるのよ」とだけ言った。
 翌週からオレは堂々と自転車で名古屋へと向かった。
 ギコギコギコ。胸を張ってペダルをこいでも、やはり名古屋は遠かった。

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