中学3年の秋にもなると、高校受験が現実味を増してくる。
進学は当然の物と思っていたので、受験する高校について検討を始めなければならない。
小学校・中学校共に公立の市立学校に通っていたので、高校受験が初めての受験となる。
新興住宅地に住んでいたため当時は近くに学校がなく、小学校は片道4kmとかなり遠くの学校に通っていた。そして中学校は3km。
せっかく通学距離が短くなったのに、また遠くになってはかなわない。市内には二つの公立普通高校があったが、そんな単純な理由で自宅から2kmにある愛知県立半田高校(リンク先はWikipedia)に決めた。
問題は、その半田高校が知多半島で一番難易度の高い進学校ということであった。
明治43年設立の愛知県知多郡立高等女学校と大正7年設立の愛知県立第七中学校が原形となる歴史の長い学校である。『ごんぎつね』などで知られる作家新美南吉が教師として勤務していたこともある。
灘高やラサール高校などは遥かに上になるが、当時は年に数人が東大に進む地方の一公立高校としては割とレベルが高い学校だ。
今はどうなっているのか知らないが、当時はオレの中学校から半田高校を受験するには学年で成績が50番以内でないと担任から許可が下りなかった。
オレの成績は調子が良いときで50番台、悪いと80番台。この成績では条件をクリアしていない。当然、担任の教師は「半田高校受験はダメだ。半田東高校を受けろ」と言ってきた。助言ではなくほぼ命令だった。
だが、半田東高校は自宅から見て市のほぼ反対側。距離にして10kmちょっととかなり遠い。通学方法は自転車しかなく面倒だ。
しかも、半田東高校は新設校で厳しい管理教育で知られていた。なにか問題を起こすと廊下に正座をさせられるとか、弁当のおかずにまで抜き打ちでチェックが入るとかの噂を聞いていた。
あれこれ管理されることが嫌いなオレが、そんな学校を受験したいと思うはずがない。断固として半田高校の受験を希望するオレと担任との衝突が始まった。
「どの高校を受験しようと、それは本人の自由じゃないですか」
「お前じゃ合格しない。落ちて後悔するのは自分だ」
「納得済みなら後悔するにしても自分の責任でしょう。公立高校は難易度高い学校を受験するなら、私立高校はその分確実に合格するレベルのところを受けるから、半田高校を落ちても私立に行くだけなのでかまいません」
「とにかくダメだと言ったらダメだ」
まともに話し合いにならない。
いや、担任としてはそもそも話し合いをする気はなかったのだろう。なにしろ土地柄が田舎だ。学校の教師は教師と言うだけで何故だか地位が高かった。不良になるなどして教師に反抗する生徒はいても、理詰めで言葉を持ってして教師に反論する者などほとんどいなかったのだ。ほとんどの生徒は単に教師の命令に従っていたような時代だ。
担任は体育教師だった。教師という存在をあまり信用していなかった上に、よりにもよって体育教師だ。この教師に話しても無駄だなと思ったオレは、個人的に信用している教師に相談しにいった。
その教師、いやこの人のことは先生と呼ぼう。先生によると、半田高校の倍率は毎年1.数倍。落ちる人間は少ないので受験さえできればオレの成績でもなんとか潜り込める可能性はある。ただ、落ちる可能性も大きいのでやはり私立は確実なところを受けろ。
得意科目はそれなりの成績だから、そちらを伸ばすよりも苦手科目を克服した方が総合点は取れる。成績の悪い英語を重点的に勉強しろ。
担任と揉めている以上、内申点にはひびくだろう。その不利は覚悟しろ。
そんな助言をしてくれた。
その話の中で、先生がポロッと漏らしたのは、「一クラスから何人半田高校を受験させるかは決まってるんだ。それに教師にも人事評価があるからな。不合格者を出すと成績に影響するんだよ」ということだった。
なるほどと納得した。担任が頑なに半田高校受験に反対するのは、オレのことを心配しているのではなく、自分の成績にマイナスとなるからなのか。
今考えるとさすがにオレのことを考えていないわけではなかったろうが、当時はそうとしか思えなかった。これがオレの心に拍車をかけ、絶対に半田高校を受験すると固く決心した。
進学について、三者面談が行われた。
担任はオレの成績では無理だからと、半田東高校を受験するように母親を説得しようとした。
「仮に合格したとしても、この成績では落ちこぼれになりますよ」とまで言ってきた。
だが母親は、本人は高卒で就職したが東京の小山台高校という進学校に通っていた経験から
「高校時代にどんな学校に通って、そこでどんな友人を得るかはとても重要です。鶏口ではなく牛後になったとしても、大きな牛を知っていることはこの子にとって貴重な経験となるはずです。本人が決めた以上、親として反対する理由は何もありません」
と、断固半田高校受験を支持してくれた。
先ほども言ったように、その土地では教師が妙に威張っている時代だった。親にこうこうだと言えば、はいはいと従っていたのだろう。だが、東京出身の母親は教師の権威などほとんど気にせず、はっきりと反論してくれた。
親という本丸を落とせなかった担任は、渋々ながら受験を認めた。
これは友人から聞いた話で事実かは分からないのだが、
「お前を半田高校を受験するから、代わりにNが担任に説得されて半田東高校に志望を変更したんだぞ」
そのNはオレよりも成績が良くて50番以内だったのだが、確かに半田東を受験した。
もしこれが事実だとしたら、ひどい話である。誰がどの高校を受験しようと本人の自由と責任ではないか。
だが、こうも思う。担任にどういわれようと、Nも自分の意志を通すべきではなかったかと。
勉強以外で教師の言うことなど、その教師の人間性が認められないならさして信用するな。そして、自分がこうだと思ったら、他人からどう言われようと自分の意志を最も大事にしろ。権利は与えられる物ではなく勝ち取る物だ。そして、論争では感情ではなく論理で話せ。それが、高校受験の志望校決定で得た物だった。