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映画バカ青春記 第6章 もう一人の我が心の師匠、つボイノリオ

 中学時代、オレは地元のCBCラジオで深夜番組の『小堀勝啓のWA!WIDE』を良く聞いていた。この番組は当時の人気番組で友人にも聞いている者が多かった。
 その一コーナーにつボイノリオの『ポップン10分』(“ぽっぷん”だったかも)があった。

 つボイノリオといえば『金太の大冒険』(1975年発表)やNHKの人形劇『プリンプリン物語』(1979年~1982年)で「アルトコ中央テレビ、略してアル中テレビのわたしは花のアナウンサーあ~あ~あ~」と登場する花のアナウンサー役ですでにその存在を知っていた。
 『金太の大冒険』について今さら説明する必要はないだろうが、金太という少年が大男と戦いになって「金太、負けるな。金太、負けるな。きんたま蹴るな」など、金太と「ま○○」の言葉を組み合わせた言葉遊びのダジャレソング。始めて聞いたのは小学時代で、とても好きだったが、歌うと親や先生に怒られた。
 『金太の大冒険』はつボイノリオが深夜ラジオのDJをしていて、その番組内で生まれた歌だが、さすがに小学時代は深夜ラジオは聞いていない。オレがつボイノリオのDJとしてのしゃべりを聞いたのは『ぽっぷん10分』からである。

 『ポップン10分』は後に『ポップン15分』になったり、また『ポップン10分』に戻ったりと、局の都合かスポンサーの都合かころころと長さが変わった。スポンサーは予備校の河合塾だったような記憶があるが確かではない。だが、比較的堅めなスポンサーで、番組との落差に笑った記憶がある。
 つボイノリオの怒濤のごときしゃべりにオレは魅了された。しかも、しゃべりの内容が基本的に無意味というか非常にしょーもない。その徹底したしょーもなさがオレの心を捕らえて放さなかった。
 さすがにそのほとんどは覚えていないが、未だにはっきりと覚えているギャグがある。
 この番組は月~金に毎日放送される短時間枠。もちろん録音なのだが、つボイノリオは「これは生放送です」と言い切って決して録音だと認めなかった。
 当時、つボイノリオはKBS京都だったか、京都のラジオ局を主な活動拠点としていた。そして、痔疾の治療のため京都の病院に入院したことがある。
 そこで、リスナーのハガキで「京都の病院に入院しているのに、名古屋のラジオで生放送できるわけないでしょ」とツッコミが入ったが、つボイノリオは
「いや、放送時間が近くなると病院のベッドを抜け出して、名神高速を走って名古屋まで駆けつけているのです。その証拠に、名神高速の道路に点々と私の血が付いています」と言い張った。
 ラジオの前で大笑いしたものだ。

 つボイノリオといえば、先ほどの『金太の大冒険』や『極付け!お万の方』、『吉田松陰物語』など、言葉遊びと下ネタを駆使した芸風で有名だ。
 だが、番組にリスナーから下ネタへと誘導する様なハガキが来ると、それを読みながらも
「下ネタやらないよ~、絶対やらないよ~」と歌い出す。
 その歌を聴いて以来、オレは下ネタは使わないことにした。実際、オレは実生活でもギャグを言うことが大好きだが、ほとんど下ネタは言ったことがない。
 もちろん、つボイノリオが下ネタを言わないはずがなく、「下ネタを言わない」発言自体がギャグな訳ではある。しかし、その下ネタの明るく爽やかでカラッとドライなこと。オレには自分が言うとどうやったって下品になることを自覚し、オレには下ネタの才能はないと自らの下ネタは封印した。同じ路線では師匠を超えることはできない。そこでダジャレなど言葉遊びの方を追求することにしたのだ。

 そう、師匠である。
 オレにとってつボイノリオはしゃべりに関する師匠となっていた。怒濤のごときしゃべりと、そこにまた無意味に含まれる様々な知識や情報。とぼけた口調を理想とした。
 そしてオレのしゃべりとそのギャグは、高校では「東森並のギャグ」と言われ、大学では「東森ギャグ」と言われるようになる。しょーもないギャグ=東森なのだ。
 高校では「並」から分かるように下に見られた言われ方だったが、大学では対等の位置になっていた、と個人的には思っている。「東森級のギャグ」と言われるようになりたいというのが目標だろうか。

 高校に進んで放送部に入ったオレは、そこでお昼休みのDJも週に一度担当することになり、つボイノリオに大きな影響を受けた(下ネタ抜き)番組をやり、ついにはDJから外されることになるのだが、それはまた後の話。

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