オレは半田小学校から半田中学校に進学した。
半田小学校までは片道4kmと遠かったが、これは新興住宅地に住んでいて近くに小学校がなかったからだ。
そして中学校進学時には、道一本の差でN中学校という中学が校区だった。
だが、N中学校は校則で男子生徒は丸刈りの坊主頭にしなければならなかった。今ではさすがにそんな前近代な学校はほとんど絶滅しただろうが、当時の田舎では珍しくなかった。
そして、道一本先から校区になる半田中学校は髪型は比較的自由。そこで強引に半田中学校に入学した。
後に大学時代のバイトで坊主頭にしなければならなかったり(これについてはいずれ書く)、金がないときには電気バリカンを買ってきて自分で頭を坊主にしていたから、坊主頭がイヤだったのとはちょっと違う。強制的にというところが気にくわなかったのだ。なんで学校側に髪型まで規制されなければならないのか。それが許せなかった。
そして、半田中学校を選んだことは高校進学でも有利に働くが、それはまた後の話。
3歳下な弟は、5年生の時に新設されたK小学校に転入していたため、半田小学校だからという強引技が使えずにN中学校に進学して坊主頭にされていた。哀れである。
もしもオレがN中学校に進んでいたとしたら、唯々諾々と従わずに、丸刈り校則廃止の運動をしていたことだろう。これでなかなか反骨精神は強いのだ。
中学校では必ず部活をしなければならないことになっていた。
泳ぐことが好きだったオレは、あまり深いことを考えずに水泳部に入部した。
そして、そこで待っていたのは悪夢の日々だった。
まず、午前7時からの朝練で一日が始まる。
放課後ももちろん部活。土曜日も日曜日も部活。休みは祝日だけ。
さらに理不尽な上下関係。一年先に生まれたことがなんでそんなに偉いんだろうか。尊敬されたければまずはそれだけの人間性を身につけるべきだろうに。
それでもまだ我慢をしていたが、夏休みに入って限界が来た。
毎日毎日、朝から日が暮れるまで練習。夏なので日が暮れるのが遅く、家に帰っても晩飯を食べて風呂に入って寝るだけの生活。本もまともに読めやしない。
お盆だけはさすがに部活は休みだったが、自主練習と称して市民プールに来るように上級生からの通達があった。自主練習というがもちろん強制。
強制的という部分に頭に来たオレは、参加しなかった。市民プールから10分ほど離れていないところに住んでいたので、夕方になると練習を終えた上級生が家に押しかけてきて叱られた。
その時点で、ごめんなさいと謝って翌日から練習に参加するとこにすればまだ無難にすんだのだろう。だが、こちらも頭に来ていたオレは
「自主練ということはやりたい人間が自主的に参加するってことでしょ。強制ではないものに必ず参加しなければいけないというのは間違っているんじゃないですか。わたしは他にもやりたいことがあるので、自主練には出ません」
と言ってしまった。
お盆明けから部活の練習に戻ったオレを待っていたのは、当然のごとく上級生からのイジメだった。
「練習が不真面目だ」と難癖をつけられては、更衣室に連れ込まれて数人がかりに殴られる。
「先輩に口答えをした」と難癖をつけられては、更衣室に連れ込まれて数人がかりに殴られる。
「目つきが反抗的だ」と難癖をつけられては、更衣室に連れ込まれて数人がかりに殴られる。
「なんか今日は機嫌が悪いから」と難癖をつけられては、更衣室に連れ込まれて数人がかりに殴られる。
上級生のことはすでに「こいつらはアホだ」と思っていたが、最初は気の毒そうな目をするだけで関わらない様にしていた同級生が、次第にその殴る側に参加していくのがショックだった。人間の心にある闇を感じて怖ろしくもあった。
顧問の先生に事を訴えても、「そうか」というだけで何もしてくれなかった。
そして黙認されたイジメは続き、耐えかねたオレは秋になって先生に退部したいと申し出た。
当時、その中学校では、というか多くの地方の中学校でもそうだったろうが、一度入部した運動部を辞めることは非常に難しく、ある意味無理だった。だが、先生は一言「そうか」と言うだけですんなりと退部できた。
その時はありがたく思ったが、すぐに「オレのことを思ってではなく、結局は自分が顧問をしている部活で大きな問題が起こる前に、その原因をなくしたかっただけだ」と考えるようになった。
このことが一つのきっかけとなって、オレは学校の教師というものを、授業はともかくそれ以外の点では余り信用しなくなっていく。
今になって改めて思うに、なぜ運動部・体育会系の部活というのは、ああもその身を捧げるようにやらなければならないのだろうか。
オレは泳ぐのは好きだが、呑気に泳げればそれでいいのだ。社会人になってから仕事が早く終わったときは友人と都のプールに行ってのんびりと泳いだ。平泳ぎでひたすらプールを往復し、2時間で2000~3000メートルのペースで、実に楽しかった。
なぜ部活となると楽しく泳いではいけないのだろうか。苦しく必死でなければならないのだろうか。
なぜ、毎日毎日練習しなきゃいけないと一律に決まっているのだろうか。
なぜ、全員が大会を目指したいとか記録を追求しなければならないのだろうか。
人それぞれに水泳に求める物は違う。それが当たり前だろう。だったら、人それぞれのやり方とペースでやればいいではないか。部活も毎日やりたい人は毎日やればいいだろうが、週に2、3回でやりたい人もいるのだからそれをなぜ許せないのか。オレは水泳にすべてを捧げるつもりはなく、読書やマイコンと同格の一つの趣味として楽しみたかっただけなのに、なぜそれがいけないのか。
一つの例外を認めると、そこからダラダラになってしまうから、規律で固めるということなのだろうが、なぜに中学校の部活でそこまでしなきゃならないのだ。
そこでオレが感じたイヤな臭いは、後にファシズムという物だったと気づく。オレのファシズム嫌いは、実体験に基づく物だったのだ。
上級生が家に押しかけてきた時点で、口答えをせずに賢くやり過ごせば良かったのにという人もいるだろう。
オレも理性の部分ではそうかもしれないなとも思うが、どうもそれができない。
自分が間違っていると思ったことは、間違っていると言わないといられない性分なのだ。強制されることが嫌いで、頭に来ると我慢ができなくなってしまう性分なのだ。
水泳部の件だけではなく、その後も何度も似たような出来事はあった。大学を卒業し社会人になってからもある。というか、いまだにある。
損なことの方が圧倒的に多いその性格だが、直そうという気はない。損なことになっても、言わずにそのまま不完全燃焼のまま心に抱えているよりは、言ってしまった方が良いと考えている。
それにオレが頭に来るのは、個人的な好き嫌いではなく、明らかに理屈に合わない・理不尽だと思うことだからだ。