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映画バカ青春記 第2章 シャープのマイコンMZ-80Kとの出会い

 SFが大好きになったのはそもそも理科・科学や電気関係が好きだったせいもある。
 マンガでテストを返却するときに「○○さんは100点です」なんてシーンがあったりするが、オレはこれを実際に体験した。小学4年生の時のことで、採点後の理科のテストが戻されたときに、「東森君はまた100点です」と担任の先生に言われたのだ。確かに理科はほぼ毎回100点。だがうれしいよりも級友のからかいの声にむしろ焦った。
 といっても、優等生だったわけではない。理科はずば抜けていたものの、他は国語が得意なぐらいで、残りの教科はどうってことはなかった。暗記系は苦手で、九九を全部憶えるのはクラスでもかなり遅い方だったし。
 小学1年生の時に、保護者面談でウチの母親は担任の先生から、「この子は“理科に関しては”高学年になってから教えることを理解しているので困ります」と言われたそうだ。
 まずは理解しやすくするために簡便化して教えることをテストに出したときに、より詳細な答えを書いてくる。もちろん間違っているわけではないが、決められた回答と違っているので、正解にしていいやら不正解にすべきかで困るとのこと。
 そういえば、もう少し学年が進んでからだが、授業で「光は波です」と教えられたときに、「いや、光は波ですが、物質でもあります」と口答えしていらぬ混乱を引き起こした記憶がある。イヤなガキだ。
 小学校6年生の時にアマチュア無線に興味を持ち、入門書と解説書を読んでいたら「なんか、あんがい簡単じゃないか。試験受けたら受かるんじゃないかな」と受験しに行ったら一発合格。
 しかし、今となっては「オームの法則?なんか電気抵抗が関係してるんだっけ。無線の勉強で買った中にオーム出版社の本もあったが、そのオームはこのオームなんだよな。オウム真理教事件の時は教団と関係があると勘違いした人から苦情や嫌がらせの電話がかかってきたそうだが、いい迷惑だったろうな。それが逆に宣伝になって本が売れると言った発行物じゃないし」といった有様。あの頃の方が絶対頭良かったよな。
 免許を取った時点ですでに飽きていたので実際の無線通信は結局やらなかった。今でも手元には昭和55年(1980年)10月6日日本政府交付の『無線従事者免許証』がある。まだ電話級アマチュア無線技師となっている時代の物だ。確か、取り消しにならなければ終身資格だったはずなので、今でも有効なのだろうか。でも、貼られているのはセーターを着たガキの写真なんだよなぁ。今じゃ電話級・電信級という区別じゃないそうだし。

 過去の栄光話はそこら辺にして、そんなオレが1970年代末頃から一般にも登場し始めたマイコンに興味を持たなかったはずがない。
 近所の1つ下の友達がNECのPC-8001(1979年発売)を買ってもらったので、オレはさっそく押しかけて触らせてもらった。
 あまりにも面白いので欲しくてたまらなかったのだが、20万円ほどする機械をそうそう買ってもらえるはずもない。友人宅に毎日行くわけにもいかず、かわりにカトー無線という大型電気店に毎日のように行って、展示品のマイコンで遊んでいた。店員も特に文句を言ってくることもなかった。というよりも、小学生ですら楽しそうに使っている様子は良い宣伝効果だったのかもしれない。オレと同じようにマイコンを使いに来る子も何人かいて、友達になって情報交換などしていた。そのうちの一人とは別の小学校だったが、中学に入学して再会することとなる。
 そんなある日、借り物ではあるが自分専用のマイコンを手に入れることができた。歯の矯正治療のために通っていた近くのS歯科医の受付に沖電気のif-800というマイコンが置かれていて、先生が患者管理などに使っていた。このif-800はホビー用ではなく実務用途に開発された物で、デザインも優れていて格好良かった。治療が終わっても居残って先生が操作しているのを見物していた。if-800も格好良かったが、それを手足のように扱う先生に憧れ、あれこれ質問したものだ。
 あまりしつこいので呆れたのか、その熱意に打たれたのか、先生が実に嬉しい提案をしてくれた。
「今は使ってないマイコンがあるんだけど貸してあげようか?」
 もちろん、ブンブンブンッと音を立てて首を縦に振った。あこがれのマイコンを自宅でゆっくり思う存分触って使いまくれる!

 貸してもらったのはシャープのMZ-80K(1978年発売)だった。80KのKはキットだそうで、未完成の組み立てキットとして発売された物だ。ディスプレーと記憶装置のカセットデッキが一体型になった洗練されたデザインで、ディスプレイカバー部分が鮮やかなオレンジ色で実にイカしてした。思い入れもあってオレにとってパソコン(マイコン)のベストデザインはこのシリーズである。
 ディスプレーはカラーではなく緑一色のグリーンディスプレイだが、その輝きがなんというかサイバーだった。80Kはキーボードが縦一直線にまるで電卓のように配置されていて、それまでに触っていたPC-8001や中学1年時の担任のO先生が持っていたコモドールのVIC-1001よりも打鍵がしにくかったが、そんなことは気にもとめなかった。
 80Kはシャープがクリーンコンピュータと呼ぶ当時としては独自の設計思想の機体で、BASICを内蔵ROMで持つのではなく、起動時にカセットテープから読み込むという物だった。別言語のCOBOLやフォートランを読み込ませればそちらも使えることができたが、これからBASICを学ぼうというオレにとっては、ある意味単に電源を入れてから操作ができるまで時間がかかるマイコンであった。
 では、クリーンコンピュータの思想が間違っているかというと、現在のパソコンはWindowsにしろMacOSにしろ、電源を入れた後にOSを読み込む仕様になっている。だからOSの新バージョンが出たら簡単にアップグレードできるのだ。問題はカセットテープという記録媒体が低速すぎたことだろう。でも、当時はプログラムをカセットテープに記録していたので、なにかプログラムを使おうとしたら「load」と入力して読み込み、保存は「save」と入力。みんなピーガー言わせながらカセットテープが回るのを眺めていたが、それでもさして不満はなかった。。それが今となっては「Windows2000は起動が遅いよなぁ」とか「5200回転だと読み込み遅いよなぁ」と言っている始末。まぁ、テープ時代のことは思い出だから懐かしいので、今さらあの時代に戻りたいとは思わないが。

 ここまでだと、「映画関係ないじゃん。つか単なる思い出話じゃんか」だが、後からマイコンから映画へと繋がる。んー、自分の中では繋がっている話に続く。

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