« 映画バカ青春記 第13章 今日までは中学生、あっしたから~高校生 | メイン | 映画バカ青春記 第15章 放送部と発声と日本一の先輩 »

映画バカ青春記 第14章 今日からは~高校生。さてクラブはどうしようか?

 1984年4月に愛知県立半田高校に入学。
 自宅からおよそ2km。小学校は4km、中学が3kmの距離だったので通学が楽。普通は進学する毎に距離が遠くなるんだろうがその逆だ。

 オレがいつから映画監督を志すようになったのかははっきりしないが、高校入学の時点ではすでにそうだった。ということは中学の後半からなのだろう。
 何故そう言いきれるかというと、高校でクラブを決める際に、映画を基準に探したからだ。。
 残念なことに映画研究会はなかった。あれば速攻で入部したのに。
 しかたなく、なるべく映画に近いところを当たってみた。
 演劇部もまぁ関係なくもないかと見学に行ったが、部員は女生徒ばかり。それもちょっときついし、考えてみれば映画監督が目標であって、演ずることにはほとんど興味がない。そもそも演劇に興味がない。今でもない。
 そこで、ラジオドラマなども作っているということで放送部をのぞきに行く。昨年の文化祭向けに作ったという『人魚姫』のテープを聴く。ビデオカメラなどの映像関係の機材がないので、音声のみのラジオ作品しか作っていないが、演劇部よりかは映画に近い、ような気がしないでもない。高校生が『人魚姫』かよとも思ったが、放送部に入部届を出した。
 映画研究会がないのならば自分で作ってやろうとも思ったが、新しいクラブを作るのはかなり面倒で、新入生がいきなり出来ることではなかった。
 2年生になったら作ってやろうと胸に野望を抱いていたが、進級した頃には部活よりも面白いことが出来ていたのでそのままうやむやに。面白いことが何かはまたそのうちに書く予定。

 入学早々に実力テストが行われた。
 オレの成績は約350人中250番ぐらい。うわっ、自分よりも上に250人もいるのかではなく、下に100人もいるのかと無駄にポジティブシンキング。
 「落ちるから受験を止めろ」と言われた高校で、この成績ならば割と良いではないか。300番台を覚悟していたのに、やるじゃんオレ。
 だが、この順位が最高で、後は落ちる一方だったのだが、それはまたいずれ。

 配属されたクラスは、なかなかに居心地が良かった。
 もっとも近くにあるオレの中学校では学年50位以内が受験の条件だったが、他の中学校から来た人に聞くと、30位以内や20位以内などより厳しかった。
 その難関をくぐってきただけに優秀な人間が多かったし、性質的にも優等生だった。
 今は学校側も厳しくなって、校則や私生活への干渉などがあるようだが、当時はほとんどうるさくなかった。そもそも、校則で縛ったりしなくても、そこからはみ出すような生徒はごく少数。やかましく言う必要などなかったのだ。
 だからといって退屈な連中だったわけではない。勉強が出来ると言った意味だけではなく、頭の良い人間が多くて、話していても面白かったし楽しかった。
 母親が「良い高校に行けばそこで優秀な人と出会うことが出来る。それはとても重要だ」と言ったのが分かった気がする。
 その中でオレは、ちょっと外れた規格外品的存在であった。素行が悪いとか校則違反をするとかではないが、粒ぞろいの中になんか妙なヤツがいるといった地位を固めていくことになる。

 中学時代よりも抑圧が少なく、自由な校風の高校生活。
 細かいことに悩まずに好きに生きた。一言で言えばバカだった。二言で言えばエキセントリックなバカだ。三言で言えばスチャラカでエキセントリックなバカ。四言で言えば・・・えっ、いい加減にしろ?

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.jion-net.com/mt/mt-tb.cgi/4878

コメントを投稿 携帯電話からは投稿出来ません