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映画バカ青春記 第10章 それは雪の降った夜の翌朝だった

 半田高校受験が決まってから、かなり勉強に身を入れるようになった。
 がんばればそれなりに手応えは感じてくるわけで、「こりゃいけるかな」と思うようになった。
 だが、うかれていると罠が待ちかまえているものだ。
 その罠はある朝、オレを襲った。

 夜の内に雪が降り、街を白く彩っていた。
 愛知県は雪がほとんど降らない地方で、特に温暖な知多半島は雪が降ったとしても名古屋市内の半分程度の積雪量だ。雪が降っても積もるのは年に1,2回。そんな街だから当然雪になれていない。雪国の人から見れば、まったく大したことがない積雪でも、街はちょっとしたパニックになる。
 その日の雪は数年に一度という降雪だった。

 朝になり、オレは学校へと向かった。
 中学校への通学路途中に、受験する半田高校がある。
 半田高校は通りからちょっと引っ込んだところにあり、正門へと通じる表通りを歩いていた。雪だまりがあったので、歩道から道路に降りてそれを避けた。そして、道路から歩道へとひょいと上ったときに、雪で足を取られた。グルッと世界が回り、オレは地面に叩き付けられていた。
 おー、痛てて、転んじゃったよ。と立ち上がろうとしたが、左足下肢に力が入らず立ち上がることができない。
 しばらくジタバタしているうちに、同じ通学路を使う知り合いが通りがかり、手を貸してくれたがやはり立てない。
 ちょうど食堂の前だったので、お店の人に頼んで電話を借りることにした。ありがたいことに電話を貸してくれるだけではなく、店の中で休ませてくれた。
 知り合いが救急車を呼んでくれたのだが、オレと同じように雪で怪我をした人が多く、すぐには来られないとのこと。遅刻をしてはいけないので知り合いは先に学校に行ってもらい、オレは自宅に電話をかけた。
 その時は専業主婦だった母親が家にいたので、車を出してもらえないかと頼んだが、家は坂の途中にあるため、この雪では車を走らせる自信がない。知り合いを当たってみるからしばらく待っていろとのこと。
 10分か15分後だろうか、近所に住むMさんが母親を乗せて駆けつけてくれた。
 Mさんの車で近くの整形外科へと行った。早朝だというのに、もう何人か患者がいた。やはり雪で怪我をした人だった。

 その頃になると、左足首がジンジンと痛み出していた。
 左足首を見た医師は、レントゲンを撮るまでもなく「ああ、こりゃ折れてるね」と言った。
 レントゲン写真で確認したところ、やはり折れているとのこと。写真は見たが、オレには細い筋が斜めに走っていることしか分からなかった。
「しばらくすると腫れてくるからね。今晩はかなり痛むよ。腫れが引いてからじゃないとギプスは出来ないからまた明日来るように。今日は痛み止めを出しておくから痛みがひどくなったら飲むように」
 ひどくなったらと言ってもすでに痛いのだが。とも思ったが、確かにそれはまだ始まりでしかなかった。

 学校は欠席し、Mさんはすでに仕事へ行っていたので、タクシーを呼んでそのまま家に帰った。
 屋根裏にある自分の部屋に行くのは当然無理だったので、1階の座敷に布団を引いてそこで横になった。
 もう充分に痛いと思っていた左足首だが、その痛みはさらにひどくなってきた。寝てしまおうとしてもズキズキがズキンズキンになっていてとても眠れた物ではなかった。
 足首は赤くパンパンに腫れ上がり、夜になるとさらに痛みは増した。痛み止めも効いているんだか効いていないんだかといった具合で、うめいたり時には「痛ーよー」と叫んだりしながら最悪な夜を過ごした。
 翌日、再び整形外科を訪れ、具合を見た上でギプスを付けてもらった。
 最近はギプスも樹脂製などになって、軽くかさばらない物となっているようだが、1984年頃のギプスは包帯と石膏でガチガチに固めた物で、やたら重いし大きな物だった。
 一週間幾らで松葉杖を借りると、その日はそのまま家に帰った。

 事故から2日目、その日から学校に戻った。
 片道3kmの距離を松葉杖で通うわけにも行かず、怪我が治るまで母親に車で送り迎えしてもらうこととなった。
 集まってきたクラスメイトは心配半分、そして予期していたことではあるがからかい半分だった。
 そりゃそうだろう。雪で転ぶ自体がお笑いだが、よりによって滑って転んだ場所がこれから受験する高校の目の前だ。受験生に滑る落ちるは禁句だが、実際に滑っていたらギャグにしかならない。
「まあ、あれだ」
 クラスでも特に仲の良かったTは言った。
「あらかじめ滑っておけば、試験本番は滑らないんじゃないか」
 なるほど、そういう考えもあるか。前向き、ポジティブシンキングである。

 とは言うものの、すでに試験まで1ヶ月ほどだった。
 ここで受験勉強の追い込みをしなくていつやるな時期だが、足の骨折はかなりその足を引っ張ってくれた。
 しばらくは痛みが続いたし、普段の生活でも一苦労。自宅は和式便所だったので、小便はともかく大便をするのにしゃがむことができない。とりあえず、便器が一段上がった作りだったので、後ろ向きになって便器に腰掛けて用を足した。和式便器にかぶせるタイプの簡易洋式便器が手に入ったので、それでかなり助かった。
 左下肢がギプスで固められているので風呂にはいることも出来ない。水が入らないように左下肢をゴミ袋でびっちりと覆ってシャワーを浴びるしかなかった。
 ギプスの中が次第に痒くなり、これがまた悩みとなった。
 もともと集中力がないのに、骨折でさらに気が散って勉強はあまりはかどらなかった。
「これはさすがにまずいかなぁ」とちらほら考えないでもなかったが、
「まぁ、なんとかなるだろ。だって、オレだし」
 この「なんとかなる」にも「オレだし」にも何の根拠もない。だが、妙な自信があった。この根拠のない自信こそ現在に至るまでのオレの大きな特性の一つだ。その後もその根拠のない自信で困難を乗り越えたり、乗り越えられずにひどい目にあったりしている。

 まずは私立高校の受験があり、次に半田高校の受験が実施された。
 まだギプスが取れなかったので、両方とも松葉杖で受けに行った。
 いかにも頭の良さそうな連中に混ざっての試験だったが、
「まぁ、なんとかなるだろ」
 とすっかり開き直っていた。

 合否の発表日。
 すでにギプスの取れていたオレは、自分の足で歩いて半田高校にやってきた。
 掲示板に合格者の受験番号が張り出されていた。
 根拠のない自信で、オレは自分の番号がそこにあると確信していた。
 そして、その番号は確かにあった。
 なるほど、なんとかなるものだ。

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