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2006年06月 アーカイブ

2006年06月02日

『キング・コング』 彼らだって人間なんだっ!

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『キング・コング』 (2005) KING KONG 188分 ニュージーランド/アメリカ
監督:ピーター・ジャクソン 製作:ジャン・ブレンキン、キャロリン・カニンガム、ピーター・ジャクソン、フラン・ウォルシュ 原案:メリアン・C・クーパー、エドガー・ウォレス 脚本:ピーター・ジャクソン、フラン・ウォルシュ、フィリッパ・ボウエン 撮影:アンドリュー・レスニー SFX:リチャード・テイラー 音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード
出演:ナオミ・ワッツ、ジャック・ブラック、エイドリアン・ブロディ、トーマス・クレッチマン、コリン・ハンクス、アンディ・サーキス

 ピーター・ジャクソンは幼い頃にオリジナル版モノクロ『キングコング』を観てその面白さに驚き、8mmフィルムカメラでモデルアニメーションを使って映画作りを始めたという。つまり、原点への回帰でもあり彼の新しい挑戦でもある映画史的必然として生まれたのがこの2005年版キングコングだ。
 『キングコング』は1976年にも一度リメイクされているが、こちらは特殊メイクのキングであるリック・ベイカー自らが演じた特殊メイク版キングコングが唯一の良心で、実物大コングなどはテーマパークに行った方がよほどまともな物が見られるような悲惨な出来だった。
 思い入れも情熱もたっぷり、『ロード・オブ・ザ・リング』を成功させ脂ものったついでに脂肪も増えたピーター・ジャクソンがその『キング・コング』をリメイクしてつまらないわけがない。人間の美女に惚れてしまった巨大な野獣の悲しさがちゃんと描かれていて面白い。夕陽ないし朝日を二人で眺めているシーンは美しい。
 キング・コングの擬人化を極めて抑え、巨大なゴリラとして描いているのも1匹と1人の悲愛を高めている。

 ただし、気になる点もいくつかある。
 一番大きいのは、スカルアイランドの原住民の描かれ方だ。これに関しては過去の作品の方がまだ良かったんじゃないか?2005年版ではほとんど人間扱いされておらず、『ロード・オブ・ザ・リング』のオークだかゴブリン並の扱いだ。
 過酷な環境の島で彼らがひっそりと暮らしているところに、突然船で押しかけてきて乱暴狼藉を働く。ヒデェ奴らだ。
『ノストラダムスの大予言』(1974)だったら丹波哲郎から「止めろぉ!彼らだって人間なんだっ!」って怒られてるところだぞ。

2006年06月13日

ワールドカップと『三丁目の夕日』 どっちもまるで趣味じゃない

 窓を開けて網戸にしていた昨夜、近所で騒がしい家があると思ったらサッカーのワールドカップ日本×オーストラリア戦だったのか。今日になって知った。
 まぁ、個人的にはどうでも良い。

 サッカーに限ったことではなくて、スポーツ観戦その物に興味がない。これまでにプロ野球を小学校の時に1回、大学時代に1回見に行ったがそれだけ。テレビ中継などもほとんど見たことがない。
 スポーツ好きの人はよく「野球は筋書きのないドラマだ」などと言っていたりするが、オレは「筋書きのあるドラマ」が好きなのだ。映画にしろ小説にしろ、その筋書きを作るために作り手が頭を絞って構築している。どうすれば面白くなるかに知恵を注ぎ込んでいる。それが好きなのだ。
 だからってスポーツ観戦好きな人を否定しているわけではこれっぽちもないんだから、そちらも「え~、昨夜の試合観てないの?信じられない」とか平気で言って欲しくないものだ。ある意味ファシズムだぞ、おい。

 でもって、その時間何をしていたかというとレンタルDVDで借りてきた『ALWAYS 三丁目の夕日』を見ていたのだが、これがまぁひどい。最低最悪吐き気がする。『ニューシネマ・パラダイス』が死ぬほど嫌いなオレだが、それに匹敵するひどさ。
 昭和の風景がSFXでかなり良く表現されていたが、そんなのは「映画の良さ」ではなく「テーマパークの良さ」だ。
 結局、懐かしさに浸って喜び満足してそれでよしというのが我慢ならないのだ。そんなの面白いかぁ?オレはまったくもって面白くない。

 原作のマンガも大嫌いだし、監督の山崎貴はさらに大大大っ嫌いなのでそもそも見るのが間違っているのだが、見てもいないのに文句を言うのは筋が通らない。で、見て怒ってるんだから世話がない。
 結論としては、現時点での21世紀最低映画賞は『三丁目の夕日』ということにしておく。きっと、2100年12月31日23時59分59秒(小数点未満切り捨て)の時点でもそのままだ。

2006年06月17日

これから書いていきたい映画評の羅列

 今書いているこの文章が「映画バカ黙示録」の第1111番目のエントリー。
 きりがよいのでこれにて終了!
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 はしない。まだまだ続くのであった。
 だが、きりがいいのは事実なので、ここらで今後の予定を整理することにした。具体的にはどの映画について書いていくか、そのリストを作ることにする。
 ここで色々と書いてはきたが、観た映画全体にとってはそれもほんの一部に過ぎない。取りあえず、思いついたままにタイトルを上げていく。

『スターファイター』 夜空を見上げた少年は・・・
『赤ちゃん教育』 ハワード・ホークスの手がけたスクリューボールコメディの傑作
『ドノバン珊瑚礁』 ジョン・フォードが南の島で作り上げた傑作コメディ
『無能の人』 竹中直人の初監督作品。
『ヌーベルバーグ』 ゴダールが『ヌーベルバーグ』に向き合う。
『デリカテッセン』 人を食う
『トト・ザ・ヒーロー』 切ないなぁ。
『生きるべきか死ぬべきか』 エルンスト・ルビッチによる絶妙なる作品
『インディアンランナー』 ショーン・ペンが監督に挑戦。しかもすごい。
『ホットスポット』 上記『インディアンランナー』にも出演しているデニス・ホッパーによるクライム映画
『グランドツアー』 SFとはSFXの良し悪しではなく設定とストーリーにこそあり。
『クーリンチェ少年殺人事件』 純粋でそして冷徹。エドワード・ヤン作品。DVD化希望!
『レンタ・コップ』 バート・レイノルズがレンタルされます。
『ウィズダム』 エミリオ・エステヴェス初監督作品。必死の逃避行。
『汚れた血』 まさかな人質
『クリープス』 オヤジ刑事がイカす。主役じゃないが。
『帝都物語』 あんた、鬼に遭うよ。
『さよならジュピター』 駄作でも大失敗作でもなんか好きなのだ。
『四月怪談』 柳葉若ぇ
『ミューラー探偵事務所』 歌う名探偵
『ペテン師とサギ師 だまされてリビエラ』 フランク・オズ×マイケル・ケイン×スティーブ・マーティン そしてみんなだまされる。
『モンキー・シャイン』 ジワジワ怖い
『ワンダとダイヤと優しい奴ら』 わっはっはっ!
『人情紙風船』 だからつらいんだよ・・・
『赤西蠣太』 モダン時代劇
『エリック・ザ・バイキング』 あっ、関根勤が出てる。
『ミディアン』 モンスターの生きる権利
『ア・ホーマンス』 松田優作唯一の監督作品。
『Shall we ダンス?』 大人な映画
『鴛鴦歌合戦』 唄う時代劇
『血煙高田馬場(決闘高田馬場)』 走れ安兵衛
『非情城市』 私らの知らない台湾。
『恋恋風塵』 思春期。
『遥かなる大地へ』 ジョン・フォード的記憶。
『人生は琴の弦のように』 弾き切った弦。
『ダンシング・ヒーロー』 禁断のステップと父親と。
『レモ 第一の挑戦』 銃弾をかわせ。
『忘八武士道』 アンチヒーローの極致。
『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』 花火がどっかん。ソレも空を飛ぶ。
『徳川いれずみ師 責め地獄』 こんな始まり方、観たことない。
『ゼイラム1,2』 ランニングシャツ姿で闘う螢雪次朗、そして『お笑いマンガ道場』。
『黒蜥蜴』 みっ、三島由紀夫が。
『地獄の警備員』 良いネクタイしてるね。
『レッドロック』 殺し屋と勘違いされた男と緻密なストーリー。
『極楽特急』
『アメリカの影』
『ローデッドウェポン1』
『クライングゲーム』
『グロリア』
『狼男アメリカン』
『独立愚連隊西へ』
『殺人狂時代』
『東京流れ者』
『砂漠の流れ者 ケーブル・ホーグのバラード』
『バッド・テイスト』
『死霊のはらわた2』
『狩人の夜』
『はいすくーる仁義2』
『江戸川乱歩の淫獣』
『マウス・オブ・マッドネス』
『イントレランス』
『トランザム7000VSパトカー軍団』

 ・・・ああっ、まだまだこんなもんじゃない。
 あれこれ皮算用するよりも、着実に1作毎に文章を書いていくことが重要なのだが、今年に入ってからはちっとも着実でも順調でもない。まぁ、少しずつだよなぁ。

2006年7月14追記
MovableTypeを3.3にバージョンアップし、Blogデータが多くなりすぎていたのでエントリを整理し100件ちょっとや不必要な画像を削除した。
そのため現時点では1000エントリほど、データ量にして50MB少々になっている。レンタルサーバーのスペースからするとあと2000エントリほどは余裕ができた。
そこまで書くかはしらんが。

2006年06月21日

『死霊の盆踊り』 限りなく0に近い

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『死霊の盆踊り』(1965) ORGY OF THE DEAD 91分 アメリカ 1987/09劇場にて鑑賞

監督:A・C・スティーヴン 製作:エドワード・D・ウッド・Jr、A・C・スティーヴン 原案:エドワード・D・ウッド・Jr 脚本:エドワード・D・ウッド・Jr 撮影:ロバート・カラミコ
出演:クリスウェル、ファウン・シルヴァー、ウィリアム・ベイツ

-なんでも観るぞ、ガガガガガッ その1-
 コメディ映画特集を一時中断し、つまらなかった映画&ひどい映画特集をちょっとやってみる。それらの映画について書く意味がどれだけあるのかは分からないが、なんだかんだでオレの一部だ。
 ちょっと気合いを入れて本気で映画を観ていこうと思ったのが17歳かそこらのこと。そして数年後には映画館で観た作品の数が1000本を越えた。そしてその1000本目は同時に映画に目覚めたという意味で2度目のスタート地点であり1本目とも言える。
 年間200~300本の映画を劇場で観ようと思うと、名画座が壊滅していた当時の名古屋では上映されている作品を手当たり次第片っ端に観ていかないと難しい。話題作だ評判の良い映画だとか言っている余地はなく、とにかく劇場に足を運ぶ。その結果、傑作も駄作も数多く見た。
 1000本を越えた頃、ようやく「やっぱ映画は面白いわ」と再確認し、さらに映画にのめり込んでいった。当時所属していた大学のシネマ研究会の部員を見ていても、取りあえず1000本程度の映画を観ているかどうかが映画に対する姿勢の区切り目だったように思う。
 というわけで、映画に興味を持っている方はまずは1000本を観るということを目標にしてみて欲しい。そこを越えた頃から少し映画が分かってくる。まだビデオレンタル屋がようやく普及し始め、レンタル料も高い上にタイトル数も少なかったオレの高校~大学初期と比べて今ではかなり有利なはず。ただ、映画について話し合ったり議論ができる場が重要なので映画について自由な意見を言い合える仲間も必要だ。いや、そんな仲間の存在が一番重要なのかも知れない。
 オレにとって映画について一日中だって話していられたシネマ研究時代が、今こうして映画について書いていることの原点だ。

『死霊の盆踊り』はこれでもかぁぁってぐらいにつまらない。
 100点満点で映画に点数を付けるとすると限りなく0に近い。0.00000・・・と0が円周率の数値並みに延々と続く。ということはゆとり教育世代にとっては単に0か。
 100点に限りなく近い99.99999・・・な作品はあっても100点満点の映画は存在しないが、同じく0点そのものも存在しない。どちらも概念的存在だ。
『死霊の盆踊り』に意味を見いだすとしたら、「オレ、『死霊の盆踊り」観ちゃったよ」と他人に話せるネタとしてだけだろうか。それだって、そのネタを理解してくれる仲間がいないと意味がない。うむ、やはり映画仲間は必要だ。

 というわけで、どんどんやたらに何でも映画を観よう。そして人と映画について本気で話そう。議論を闘わせることを恐れるなよ。

2006年06月30日

『ニュー・シネマ・パラダイス』 限りなく-100

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『ニュー・シネマ・パラダイス』(1989) NUOVO CINEMA PARADISO 124 分(175分) イタリア/フランス 1989年鑑賞

監督:ジュゼッペ・トルナトーレ 製作:フランコ・クリスタルディ 脚本:ジュゼッペ・トルナトーレ 撮影:ブラスコ・ジュラート 編集:マリオ・モッラ 音楽:エンニオ・モリコーネ
出演:フィリップ・ノワレ、ジャック・ペラン、サルヴァトーレ・カシオ、マルコ・レオナルディ

-なんでも観るぞ、ガガガガガッ その2-
 オレにとって「20世紀最低最悪映画大賞」に燦然と輝く、あまりこの場合は燦然は使わないだろうが、2位以下を大きく引き離して燦然と輝く最悪映画。
 つまらない映画は限りなく0に近づいていくが、ひどい映画は限りなく-100に近づいていく。『死霊の盆踊り』が実質0点ならば、『ニューシネマ・パラダイス』は-100点満点。

 つまらない映画はほとんどの人にとってつまらないだろう。せいぜいつける点数が5点なのか1点なのかの違いで、その差は数点だけのことだ。
 ところがオレが-100点をつける『ニュー・シネマ・パラダイス』だが、人によっては100点をつける。その差はなんと200点近く。この違いは大きい。良くも悪くも『ニュー・シネマ・パラダイス』は観た人に感想を抱かせずにはいない。それが時にまったく正反対であっても。
 これを実証しているのが、1990年に名古屋の小映画館“シネマテーク”館内の床に貼り出された「1989年ベスト&ワーストテン」だ。ここでワーストワンになっていたのは『ニュー・シネマ・パラダイス』だったが、同時にベストワンも『ニュー・シネマ・パラダイス』だった。
 名古屋の映画好きならシネマテークのことは知っているだろうが、他地域の人のために簡単に説明しておく。いわるゆミニシアターに分類されるだろうが、その単語に感じられる「オシャレさ」とはかなり遠い存在だ。上映されている作品は確かにミニシアターで、古い映画のリバイバルを含め魅力的な作品が揃っていて、映画を観るという環境としては東京に大きく後れを取っていた名古屋に住む映画好きにとって実にうれしい存在だった。問題はその外観である。名古屋市内に今池という場所がある。繁華街である栄から地下鉄で3つめ。今池駅から歩いて数分、狭めな道を入っていった古びた雑居ビルの二階にシネマテークはある。
 この雑居ビルが古びた上にあまり清掃が行き届いていない感じで、2階に上がるには正面玄関から広い階段を上がっていくのだが、この入り口の中や階段の踊り場にホームレスが寝ていてもあまり不思議ではない雰囲気だ。しかもビル内が暗い。階段も2階の廊下も暗い。最近というかもう10年近く行っていないので環境が良くなっている可能性もある。しかし、今は愛知県在住ではないので確認しにいけないが、多分ほとんどそのままだろう。
 オレが初めてシネマテークに行ったのは、確か高校1年生の時だが、1人だったので怖い者知らずというかあまり何も考えていない男子高校生にとってすら、「本当にここに入っていっていいの?」と戸惑わせるものだった。ましてや女性だったらなおさらだろう。
 そのシネマテークへの道を乗り越えてきた映画好きたちが、『ニュー・シネマ・パラダイス』をワーストワンに挙げる人とベストワンに挙げる人それぞれに大きく二分されていたのは興味深い。
 シネマテーク館内はあまり金はかかっていないがちゃんと掃除され、まぁオシャレではないが居心地の良い空間だった。念のため。

 ある方向に強烈に偏っている作品は、ある人はものすごく好きになるだろうが、ある人は猛烈に嫌いになる。これは一言でいってしまえば観客それぞれの価値観の相違によるものだ。アメリカに行った日本人は「あっちは食べ物がまずい」というが、アメリカ人からしてみれば「日本の食い物はまずい」ということになるだろう。
 今でこそ寿司や刺身などで生の魚を食べることはアメリカでも知られるようになったが、それを知っていてもアメリカ人本来の食文化で考えればなんとも奇妙で気持ち悪いことだろう。『ホットショット2』でアメリカ大統領となったロイド・ブリッジスは訪米した日本の総理大臣と会食をするのだが、目の前に出された活け作りに気持ちが悪くなってついには吐いてしまう。ここでスクリーンに映し出された皿には確かに鯛とエビがあるのだが、それは日本食のパロディの様で確かにスクリーン越しに匂いを感じそうなほど生臭そうな料理だ。だが、アメリカ人の視点で見た鯛とエビの活け作りはなんと気持ち悪いかということを見事に表したシーンでもある。日本人というフィルターを外してみれば、確かに気持ち悪いだろう。田舎者旅館で出される舟作りなどは、日本人であるオレですら気持ち悪い。

 では、「日本食は気持ち悪くて、まずくてダメダメだ」ということか、なわけではない。
 寿司も旨いし刺身も旨い。だが、異なった文化で育ち異なった価値観を持つ人にとってはまずい場合もある。それを「わかってないね。しょせんアメリカ人は文化程度が低いね、教養がないね」という人の方がわかってないしダメダメだ。ということは同時に、「生魚を旨い旨いと食ったり、ハンバーガーやオレオクッキーを食べてまずいまずいというなんて、しょせん日本人は黄色い猿だね」というアメリカ人もわかってないしダメダメだ。
 ドッグフードは不味い。それは味がないからで、つまらないかひどいかでいえば「つまらない味」だ。誰が食っても同じような感想になる。うまいか嫌いな味かはおもしろいかひどいかだ。食べた人によって感想は異なるし、その味が強ければ強いほど異なる度合いは大きくなる。
 ある食べ物が自分にとって旨いかまずいかは重要だ。だが、自分と正反対に感じる人を否定することはできないし、自分と同じ味覚ではないということで他人を下に見る理由にもならない。
 映画も同じだ。ある作品を観て自分が何を感じたかということが一番重要だと思うが、自分と違う感想を持ったからといって、それがその相手を否定する理由にはならない。
『ニュー・シネマ・パラダイス』の感想として多いのが、そしてこれは『三丁目の夕日』にも多くてうんざりするのだが。
「『ニュー・シネマ・パラダイス』(『三丁目の夕日』)を見て感動した人は心がきれいな人だ。愛を知っている人だ。いい人だ。幸福な人だ。そして、嫌いな人は心が醜い人だ。愛を知らない人だ。悪い人だ。不幸な人だ」
 んなわけねぇだろ。

その映画が好き、あるいは嫌い→その人の人間性 という論理は成り立たない。
 というか、つまるところ「自分は心がきれいな人。純粋な人」と言いたいだけじゃないのか、これは。
 異なる価値観の存在を認めないことこそファシズムだと思う。世の中に『ニュー・シネマ・パラダイス』ファッショや『三丁目の夕日』の夕日ファッショがなんと多いことか。
 お前は『ニュー・シネマ・パラダイス』嫌いファッショなだけじゃないか、と言われるかも知れない。『ニュー・シネマ・パラダイス』に関してはシネマ研究会の仲間とあれこれ議論もしたが、『ニュー・シネマ・パラダイス』が好きという理由で相手の人間性を否定したことなどない。他のどんな作品であっても、自分が大好きな映画を貶されたとしても、そんなことで相手の人間性を決めつけるなんて頭の悪い真似はしたことがない。そして、そういう部員が多かったからこそシネマ研究会での論争はあれだけ激しく、そして楽しかったのだろう。ネット上での論争が激しいのにつまらないことが多いのは、作品の好き嫌いで論争相手の人間性まで決めてかかっているからだ。

『ニュー・シネマ・パラダイス』の一番ひどい点は、監督のジュゼッペ・トルナトーレが当時29歳という若さだったことだ。これが老い先短いよぼよぼのジジイ監督が撮ったのならば、「ああ、もう過去にすがるしかないのね」と見逃してやる。だが、29歳がこれ撮っちゃダメだろ。その恥の欠如と慎みの無さ大嫌いだ。
 そして『三丁目の夕日』の監督山崎貴は1964年生まれで、作品公開時は41歳。死にかけのジジイならばまだ見逃してやらんこともないが、41歳でこれ撮ってちゃダメだろ。その恥の欠如と慎みの無さが大嫌いだ。