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2005年12月 アーカイブ

2005年12月05日

『トリプルX』 蛇は蛇を、悪党には悪党を。そしてバカにはバカを

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『トリプルX』 (2002) XXX 123分 アメリカ/チェコ

監督:ロブ・コーエン 製作:ニール・H・モリッツ 製作総指揮:ヴィン・ディーゼル、トッド・ガーナー、アーン・シュミット、ジョージ・ザック 脚本:リッチ・ウィルクス 撮影:ディーン・セムラー 音楽:ランディ・エデルマン 主題歌:イヴ 挿入歌:オービタル、DMX、カシーム・ディーン、ジェイ=Z、ギャヴィン・マグレガー・ロスデイル
出演:ヴィン・ディーゼル、サミュエル・L・ジャクソン、アーシア・アルジェント、マートン・ソーカス、マイケル・ルーフ

-オレはいつでも燃えている その29-
 黒のタキシードを着た古式ゆかしきタイプのエージェントは悪党どもに正体がばれ射殺された。NSA(国家安全保障局)は前任者の次のエージェントに驚くべき人材を用いる事にした。それは名うての犯罪者。タフだし、裏社会にも通じている。こそで、犯罪者リストの中なら有望そうなのを選び出す。主人公ザンダー・ケイジもそんな一人だった。
 ザンダーはケチな盗みや強盗ではなく、EXスポーツというスケボーやパラシュート、バイクに車を使った過激なスポーツの第一人者だった。今日も、「テレビゲーム規制。スケボーは罪だ」と活動中の嫌みったらしい上院議員の真っ赤なスポーツカーを盗んで、背中にパラシュートを背負って橋桁の高い橋からジャンプ。落下中にパラシュートを開いて無事に着地。これで上院議員に一泡を吹かせてやったというわけだ。
 この成功を祝ってザンダー達はパーティーを開いている。そこへ特殊部隊が窓などを突き破って突撃侵入してくる。ザンダーは麻酔銃で撃たれ気を失い連れ去らる。
 目を覚ますとそこはありきたりなコーヒーショップ。だが、そこは偽物のコーヒーショップでなに者かが自分をテストしようとしていることをザンダーは見抜く。
 とりあえず一次合格したザンダーはコロンビアのコカイン製造地区に降下させられる。てっきりここも偽物の工場だと思ったがどうやら様子が違い、本物のようだ。そこでなんとか監視の隙をついてバイクで脱出する。やたらドカンと爆発するごとにバイクがジャンプする。さらに大きい爆発が起こるとバイクは更に大ジャンプ。どうやらバイクがジャンプすればどんな危機を恐るるに足らずということらしい。
 こうしてエージェントのテストに合格したザンダー。まぁ、犯罪者の無法者兵士を集めて特訓し特殊部隊に仕立て上げた『特攻大作戦』の例もあるし、これからばっちり鍛えれば一流のエージェントになるのかも、と思ったら早速現場の東欧へと送られる。最低限の訓練ぐらいしろよ。それはさすがに無茶なんじゃないの?『特攻大作戦』だって中盤まではひたすら訓練シーンだぞ。
 現場で拳銃を撃って見事に命中させ、怪我で入院していたときにガンシューティングのビデオゲームにのめり込んだからの一言。いいのか?それで。まぁ、『バック・トゥ・ザ・フューチャー3』のマイケル・J・フォックスもコンビニのビデオゲームで習得した拳銃の腕前を披露してたしな。オレも『リーサル・エンフォーサーズ』や『バーチャ・コップ』はかなりやりこんだので、時空のゆがみで1800年代の西部にタイムスリップしてもなんとかなるかも。ならないか・・・英語わかんないしな。
理性や知識ではなく、ひたすらに行動力を運で事件を解決していく。悪投どもの組織アナーキー99の目的は全世界の主要都市を毒ガス弾で皆殺しにして、秩序ある世界を破壊することなんだが、もうちょっとNSAには人材がいないのか?

 主役のヴィン・ディーゼルは素直にこういうバカ映画でスターになればいいのに、演劇出身で舞台にも立っていたという誇りからか『ブルドッグ』など不完全燃焼などに出ている。個人的には残念。

2005年12月06日

『対決』 ついに第四次世界大戦勃発!!

『対決』 (1989) THE FOURTH WAR 90分 アメリカ

監督:ジョン・フランケンハイマー 製作:ウォルフ・シュミット、ロバート・L・ローゼン 製作総指揮:ウィリアム・スタート、サム・ピールマッター 原作:スティーヴン・ピータース 脚本:スティーヴン・ピータース、ケネス・ロス 撮影:ジェリー・フィッシャー 音楽:ビル・コンティ
出演:ロイ・シャイダー、ユルゲン・プロフノウ、ハリー・ディーン・スタントン、ティム・リード、ララ・ハリス、デイル・ダイ

-オレはいつでも燃えている その30-
 場所はチェコと西ドイツの国境。東側からの亡命者がチェコ側に射殺されるという事件があった。そしてベトナム戦争の英雄で東側に過剰な敵意を持った駐留米軍のノールズ大佐(ロイ・シャイダー)が、怒りにまかせてソ連軍の将校バラチェフ大佐(ユルゲン・プロフノウ)に雪玉を投げつける。バラチェフ大佐もノールズのことなど放っておけばいいのだが、アフガニスタンを生き抜いた過激な男だったために、仕返しにノールズのジープを爆破する。
 そして2人の意地の張り合いというか嫌がらせの応酬は続き、段々とエスカレートしてついには原題『THE FOURTH WAR』つまり第四次世界大戦の引き金に・・・はならない。
 米軍・ソ連軍はあまり巻き込まれず(武器なんかは持ち出すが)、あくまでもノールズが売りバラチェフが買った2人のケンカ。
 ついには雪の平原でオヤジ2人がマジのド突き合いを延々と繰り広げる。そして本気の雪合戦へ。このままついに殺し合いになるかと思われたその時、ふと我に返って「オレたゃ、いったい何やってんだ?」と素に戻る。ふぅ、良かった。つか、もっと早く我に返れよ。
 他にも事件は起こるが、基本的に無視してOK。オヤジ二人がささいなことから争いを始めそれがエスカレートしていくだけ。その様子を楽しめばいい。ド突き合いがあまり楽しくないのが残念だが、見応えはある。

 敵国への威嚇や示威行為で次々と軍備を拡張していったり、実際に戦争が始まってしまうとどんどんエスカレートして、ついには互いに滅ぼし合うまで戦いが続く、などといったことを風刺しているのかもしれないが、そんなことよりも、最初に雪玉をぶつけたぶつけられたことなどとっくにどうでもよくなってオヤジ2人のド突き合いが燃える。
 本当の第四次世界大戦もこんな具合にやってくれないだろうか。イラク戦争も、フセインが捕まったことだし、どうせアメリカ主導の裁判になるぐらいならば、フセインとブッシュの大統領同士がリングの上で殴り合って勝った方を正義にすりゃ分かりやすくて良い。
 フセインは軍隊出身で格闘技の経験もあるそうだからスキル面ではフセイン有利、だがフセインは勾留生活で身体が弱っている上に1937年生まれと年齢も高い。それに対してブッシュは1946年生まれ。年齢・健康面ではブッシュ有利。さて、どちらに賭けますか。

2005年12月07日

『グラン・マスクの男』 覆面レスラーの正体は神父さん

『グラン・マスクの男』 (1991) L'HOMME AU MASQUE D'OR 101分 フランス 1993/12/04鑑賞

監督:エリック・デュレ 製作:ジャン=マリエ・デュプレ、マルク・シャイエ 脚本:アラン・ジロー、エリック・デュレ 撮影:エンニオ・グァルニエリ 音楽:ジャン=ピエール・フォーキー
出演:ジャン・レノ、マーリー・マトリン、マルク・デュレ、パトリック・フォンタナ、ザヴィエル・マッセ

-オレはいつでも燃えている その31-
・「スクール・オブ・ロック」「キング・コング」のジャック・ブラックが、孤児院を維持するためにルチャ・リブレ(メキシカン・プロレス)の覆面レスラーとして活躍する実在の司祭を演じるコメディ「Nacho Libre(ナチョ・リブレ)」からの画像がネットに登場。

 というニュースを見かけたのだが、つまりジャン・レノ主演の『グラン・マスクの男』(1991)か?あれも実話がモデルだから再映画化なんだろうか。
 ジャン・レノは北メキシコにある教会で神父として働いている。だが、時折街へと出かけると、覆面を被って変身する(変身じゃないって)。そしてミル・マスカラスばりに覆面レスラーとして闘うのだ。別に暴力で神父業のストレスを発散しようというのではない。賞金を稼いで親のない子供たちのために孤児院を作るのが目的である。『タイガーマスク』を地で行く男と説明すると分かりやすいか・・・若い人には分かりにくいか。タイガーマスクの正体はその孤児院で幼少期を過ごした伊達直人、と思わせておいて実は佐山サトル。

 ニュースにも書かれているが、これは実話ベースのストーリー。メキシコにはなかなか燃える神父さんがいるようだ。
 だが、それはある面で制約になり、せっかくジャン・レノがレスラーとしてリングに上がるルチャ・リブレ(自由への闘いという意味で、メキシコでのプロレスの呼び名)のシーンが地味でアクション面では期待しない方が良い。
 そもそも、大都会で行われる本格的なルチャ・リブレではなく、田舎町で開催される草ルチャ・リブレ。目の冴える技が飛び交うわけでもない。他の出場者も大半はプロのレスラーではなく、普段は鍛冶屋をやっているとか牛を飼っているとかで、たまに趣味で出場してくるとかそんなんじゃなかったか?10年以上前に観たっきりなので記憶はかなり不確か。
 ルチャ・リブレは空中戦が人気で、一流レスラー同士の闘いだとビュンビュンとマットの上を空中殺法で飛び回っているそうだ。この作品でのジャン・レノはちょっと太めな時期で、これじゃあ飛ばんわな。ジャック・ブラックに至っては絶対に飛ばんだろう。
『グラン・マスクの男』は案外シリアス風味だった記憶があるが、『Nacho Libre』はタイトルからしてコメディ度が高そうだ。Nachoとはトウモロコシ粉で作った薄く丸いパンにチーズなどをのせた食べ物だとか。タコスみたいなものなんだろうか?おそらくNachoはストーリーに関係なく、単にルチャとナチョの語呂合わせだろう。まぁ、『グラン・マスクの男』のグランも原題に関係なく、ジャン・レノ出演の『グラン・ブルー(グレート・ブルー)』から無理矢理持ってきただけだしな。
 派手さはないが、神父や子供達への視線が見下してもおらず、かといってむやみに純朴と祭り立てることもない。大感動の盛り上がるラストが待っているわけではないが、観客が求めるものから大きく外れにない爽やかな結末だ。でも神父が年を取ってリングに上がれなくなったらその後の資金はどうするんだろう。故ジャイアント馬場氏にならって還暦レスラーを目指すのだろうか。あっぽあっ

2005年12月09日

『シックス・ストリング・サムライ』 荒野のカンフー侍

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『シックス・ストリング・サムライ』 (1998) SIX-STRING SAMURAI 91分 アメリカ

監督:ランス・マンギア 製作:リアンナ・クリール 共同製作:ジェフリー・ファルコン、ランス・マンギア 製作総指揮:マイケル・バーンズ 脚本:ジェフリー・ファルコン、ランス・マンギア 撮影:クリスチャン・ベルニエ 音楽:ブライアン・タイラー
出演:ジェフリー・ファルコン、ジャスティン・マッガイア、キム・デ・アンジェロ

-オレはいつでも燃えている その32-
 レンタルビデオ屋でパッケージを見かけたときには、そのタイトルも含めて「何じゃこりゃ?」と速攻で借りた。なんか、妙に惹かれる匂いを感じたのだ。
 で、観終わったオレは夜空に向かって、「何じゃこりゃぁぁぁ~うれしいぞ~」と喜びの叫びをあげたのであった。

 タイトルの『シックス・ストリング・サムライ』とは主人公バディのこと。サムライとは刀を持っているからだろう。シックス・ストリングは6本の弦のことで、同じくバディが持つエレキギターを意味する。つまりギターを持った侍、『ギター侍』ということになるが、ああなんかそんな人いたなぁ。テレビはほとんど見ないので、2回ぐらいしか動いてしゃべっているところを見なかった。ほんの1年かそこらの話なのにすでに過去。1年後ぐらいにアル・パチーノの『クルージング』を取り上げたとして、ほら「ハードゲイです、フー」とかやってる芸人みたいな感じですよといっても、「何だったけっけ、それ」ということになっているんだろうなぁ。
 ちなみに、バディの刀とギターは仕込み杖ならぬ仕込みギターになっているのだが、ギターネックを引き抜くと刀になっているような凝った作りではなく(まあそれでは弦が邪魔して抜けないだろうが)、ギターの裏側に幅広のテープで刀の鞘をベタベタと貼り付けているだけ。他人にギターを触られることを嫌いすごく大事にしているようなのだが、本当に大事なのだろうか。ギターで敵の頭をぶん殴ったり、少年を逃がすためにギターをソリ代わりに少年を乗せて砂丘を滑らせたりしてるんだがなぁ。

 舞台設定は核戦争後の荒廃したアメリカ。人類は文明を失い荒れ果てた荒野では悪党どもや異常者どもが我が物顔でのさばり、善良でまともな人は細々とかろうじて生き延びていた。
 そんな秩序を失った世界の中で、唯一文明を残しているのが自由都市ロスト・ベガスだけ。そこの支配者であるキング・エルビスが死んだ。そして、次期キングを目指す者たちが各地からロスト・ベガスを目指して集まってくる。その者たちはみんなその手にギターを持っていた。
 主人公のバディもキングになろうとする1人。その旅の途中で、悪党どもに追われている母子を助ける。母親は死に幼い男の子だけが生き残る。バディはその子を置き去りにしようとするが、少年はお気に入りのクマちゃんぬいぐるみを捨ててでもバディについていく。こうして、カンフー侍と少年の奇妙な(本当に奇妙なんだ、これが)珍道中が始まる。

 荒廃した世界観や主人公のタフガイと子供という組み合わせは、『マッドマックス2、3』を思わせるが、実はこれ不条理コメディアクション。とにかく登場する悪党どもの妙なこと妙なこと。ボーリングクラブの風体をしたボーリングギャングや、「うっほほうほほ」としかしゃべれずまるで原始人のような格好で自動車に乗って襲ってくる原始人ギャング。なんか『チキチキマシーン猛レース』にこんなやつらがいたよな。アメリカ侵略に乗り込んできたものの、母国ロシアが崩壊してしまって帰るに帰れず荒野の一角に住み着いたロシア軍までいる。ボーリングギャングが倒されるときにはストライクでピンが倒れるカッコーンという音付き。どんなだ。
 そいつらをバディ(ジェフリー・ファルコン)が刀と格闘技でぶっ倒していく。いや、これが本気で強い。格闘技はどうやらキック・ボクシング系のようだが、技の切れも良く、ハイキックの到達位置も高いし足もすきっと伸びている。なにより動きが速い。骨の奥まで響くような一撃の重さが感じられないが、これなら並み居る敵を倒し続けていくことにも説得力がある。
 ただ、格好がなぁ。黒縁眼鏡にビジネススーツとネクタイ。なんかそこらのビジネスマンだぞ。まあ普通のビジネスマンはギターを持っていないが。どうも、これが次期キング候補の服装らしく、他にも数人登場するキング候補もスーツにネクタイ。どちらかというと学生の就職活動スタイルに似ている。やっぱ、キング採用試験の最後には社長面接とかあるのかなぁ。って、社長って誰だよ。

 悪の象徴“デス”も次期キングを目指し、最大のライバルとなりそうなバディをつけ狙ってくる。ラスト、ついに追いつめられてしまったバディはっ!・・・デスとギターバトルを始めるのであった。ギュイィィンベンベンベン、ってなんでだよ。もういっそのこと『クロスロード』(1986)ばりに電光飛び交うギターバトルで決着をつけて欲しかったが格闘戦になってしまい、ちょっと残念。
 デスのラストは意味不明。往年の名作ミュージカルのオマージュか?

 どうやら人肉食いで生き延びているらしいカンニバリズムな一家の団らんや、荒野に数多くの風力発電用風車が回る中、宇宙服を着て襲ってくる“風車男”たちがなかなか楽しい。風車男の宇宙服は汚れていてヘルメットの中の顔は見えない。そうか、「風車男には首がないんだよ」というしなと妙に納得。

2005年12月13日

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ/天地大乱』 黄飛鴻(ウォン・フェイフォン)、必殺の無影脚!

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『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ/天地大乱』 (1992) 黄飛鴻之二:男兒當自強 108分 香港 1993/09/18鑑賞
監督:ツイ・ハーク 製作:ツイ・ハーク 製作総指揮:レイモンド・チョウ 脚本:ツイ・ハーク、チャン・タン、チャン・ティンスン 撮影:アーサー・ウォン 音楽:リチャード・ユエン、ジョニー・ニョー
出演:リー・リンチェイ(ジェット・リー)、ロザマンド・クワン、ション・シンシン、マク・シウチン、ジャン・ティエリン、ドニー・イェン

-オレはいつでも燃えている その33-
 一作目の『天地黎明』をすっ飛ばして、二作目の『天地大乱』がいきなりの劇場公開。
 香港では記録的大ヒットとなり、ジェット・リーの人気を再燃させた『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』だが、日本では結局劇場公開されたのは『天地大乱』だけで、あとはビデオスルーとなってしまった。香港映画人気が落ちてきた時期でもあるし、時代劇でクンフー物というのが逆に客足を遠ざけたのか、公開してわりとすぐ観に行ったのだが観客数は少なかった。劇場興行としては失敗したのだろう。非常にもったいないと思うのだが、オレとしてはシリーズ最高傑作の『天地大乱』をスクリーンで観られただけで良しとしよう。確か日比谷の映画館で観た記憶がある。休憩時間には昔ながらの緞帳が下りてくる劇場で、その緞帳の左右には『週刊少年ジャンプ』と『週刊プレイボーイ』の広告が刺繍されていた。人間、時として妙なことが印象となって残っているものだ。

 リー・リンチェイが演ずる黄飛鴻(ウォン・フェイフォン)は清代末期に実在した武術家にして漢方医である。『酔拳』『酔拳2』でジャッキー・チェンが演じていたのも同じ黄飛鴻だ。『酔拳』では正義感こそ強いが基本的にドラ息子だったが、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』シリーズではガチガチの堅物とかなりかけ離れた描写となっている。実際の黄飛鴻はどんな人物だったのだろうか。とりあえず工業用アルコールを飲んで暴れ回ったり、ビュンビュンと空を飛んではいないはず。そうそう、ユン・ピョウ、サモ・ハン・キンポー主演の『上海エクスプレス』(1986)には幼少期の黄飛鴻役が列車の乗客としてちらっと出ている。
 香港映画黎明期にすでに黄飛鴻を主人公とした映画が作られており、人気シリーズとして100本以上の作品が作られたそうだ。史実などリアリティは重視されない娯楽時代劇だったようで、弱きを助けて悪をくじく古典的英雄像になっていたという。水戸黄門や遠山の金さんのように、実在の人物がモデルだが大幅に誇張されていたのだろう。
 清代末期を舞台に欧米列強が中国進出(侵略?)を狙っている中、中国人として民族の誇りを持って戦う黄飛鴻の物語が1990年代になって再び映画化されたのは、単に懐古趣味だけではなく1997年の香港の中国返還が間近になっていた世情もあるはずだ。銃などの近代兵器にクンフーが勝てるのかというシチュエーションに象徴されるように、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』の大きなテーマは中国文化と西洋文化との出会いとそこで生じる軋みだ。叔母にして恋人のイー(ロザマンド・クワン)が欧米で学問を修得し、洋服を普段着として流ちょうな英語も話す。西洋文明を身につけた彼女と、中国文化を大切にする黄飛鴻とのやり取りが面白い。
 『天地大乱』の前半では西洋の医師たちを前に黄飛鴻が鍼麻酔を披露するシーンがある。そこで英語への通訳を買って出るのがかの有名な孫文だ。日本人には聞き慣れなくても、香港・中国では著名な歴史上の人物が登場するのも『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』シリーズの特色である。それにしても長いタイトルだな。今後は『ワンス(略)』とすることとする。ってゆーかさっさとそうしとけよ。

 一作目をすっ飛ばしていきなり二作目、しかも香港人にはお馴染みな歴史的背景は省略されているため、「えっ?何が?何で?」と最初は戸惑った。そもそも「黄飛鴻って誰?」なんだが、ややこしいことは抜きにしてツイ・ハークの力押しな演出と切れ味鋭く派手なアクションだけで充分楽しめる。
 白蓮教という邪教集団が存在し、そこの教祖と黄飛鴻が戦うのだが、ここでのワイヤーアクションのすごいことすごいこと。いくつかの机を積み上げ、それ足場にするがこれがもう無茶。人間が自在に宙を飛びながら戦っている。そりゃワイヤーが見えるのは確かだが、そんなのこのアクションを前にしてはどうでもいいだろ。アクションのカット割りとしては繋がっていない部分もあるが、この勢いの前にはどうでもいいだろ。文章で説明しきれるものではないので、未観の人はぜひとも観ることをお勧めする。ワイヤーアクションの究極形がここにある。
 武術指導をしたユエン・ウーピンは、後に『マトリックス』シリーズのアクションも担当している。『マトリックス』でのキアヌ・リーブスとローレンス・フィッシュバーンが乱取りをするシーンなどなるほどユエン・ウーピン色が出ているが、『ワンス(略)』はあれの少なくとも100倍はすごい。キアヌ・リーブスたちは撮影前の数ヶ月に渡って猛特訓をしたそうだが、こちらはリー・リンチェイやドニー・イェンなど長期間修練を積んだ武術俳優が多数出演している。CGなどのビジュアル・エフェクツが進歩してもそう簡単にはその修練の差は埋められない。かといってオレはCGを否定しているわけではない。訓練された肉体とビジュアルエフェクツが組み合わさって、さらにすごいアクション、さらに度肝を抜くスタントが登場することを期待している。

 ただ、リー・リンチェイとドニー・イェンの戦いはもうちょっとカット数を減らして、技の激突をじっくり見せてほしかった。棒術と足技中心なのだが、二人ともピシッと足の伸びたハイキックを高速で繰り出して、香港映画名格闘シーンの一つとなっている。細かいカット割りで迫力はあるが、夢の対決だけにちょっともったいない。
 それにしても、ドニー・イェンにとって最大の不幸は悪人顔に生まれてしまったことだろうな。武術もすごいしアクション監督としても活躍する実力派で、この作品のように悪役だと実にはまるんだが、『ドラゴン危機一発'97』などで善玉を演ずると違和感を感じてしまうのはオレだけか。

 後にレンタルビデオで一作目の『天地黎明』を観たが、大筋に“不平等条約"か関わりさらに中国を憂う思想色が強い。単純に中国=善、欧米=悪といった図式でもない。ちょっと鬱陶しく感じる部分もあるが、香港・中国の人には日本人にとっての幕末物のような魅力があるのだろうか。

2005年12月14日

『ヒドゥン』 はぐれ宇宙刑事寄生派

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『ヒドゥン』 (1987) THE HIDDEN 100分 アメリカ 1988/11/11鑑賞

監督:ジャック・ショルダー 製作:ロバート・シェイ、マイケル・メルツァー、ジェラルド・T・オルソン 製作総指揮:スティーヴン・ダイナー、リー・ミュール、デニス・ハリス、ジェフリー・クライン 脚本:ボブ・ハント 撮影:ジャック・ヘイトキン 音楽:マイケル・コンヴァーティノ
出演:カイル・マクラクラン、マイケル・ヌーリー、エド・オロス、クルー・ギャラガー、ダニー・トレホ

-オレはいつでも燃えている その34-
 村上ショージが昔やっていたギャグだ。「ヒドゥーン!」・・・それは「ドゥーン!」か。
 ざらついた粗画質の青っぽいモノクロ画面から映画は始まる。人が行き来する建物のロビーが映し出され、どうやらビデオカメラの映像らしい。ロングコートの男がカメラに近づいてくると、ショットガンを抜いていきなりカメラを吹き飛ばす。画面はノイズだけになる。
 そこで観客が観ていたのは銀行の防犯カメラの映像だったことが分かるオープニングが秀逸。そして走り出した映画はラストまでスピードを弛めずに疾走する。この「ヒドゥン」、確かに傑作であった。

 地球人に寄生する犯罪者宇宙人と、それを追って地球に来た同じく寄生型の宇宙人刑事。題材自体はハル・クレメントの小説『二十億の針』をヒントにした、というかパクったに近いものであってSF的には目新しいものではない。『二十億の針』は『星から来た探偵』というタイトルで小学生向けSF文庫としても出ていたので読んだ人も多いことだろう。オレも最初はそちらで読んだ。犯罪者宇宙人が誰に寄生したのか分からず、二十億の針の中から探すようなものだ、というのでタイトルが『二十億の針』となっている。続編の『一千億の針』というのも出ているが、こちらは読んでいない。
 寄生した身体が銃撃されて致命的な損傷を受けても、他の肉体に乗り移ることで実質的に不死身状態な悪玉宇宙人を、単なる人間の犯罪者だと思って追っている刑事がマイケル・ヌーリー。そこへFBIの捜査官を名乗る少々奇妙な男が相棒となる。その正体は火事で死んだ男の体に乗り移った宇宙刑事。どこか無機質な印象のあるカイル・マクラクランはナイスキャスティング。
 どちらも他の生命体に寄生している状態では殺すことが出来ないので、怪我を気にせずドッカンドッカン撃ち合う無茶な銃撃戦が見物。宇宙人は高級車が好きなようで、悪玉はフェラーリ好きでヘヴィメタ好き、善玉はポルシェ好きときてる。

 アメリカには鎮痛・制酸剤の“アルカセルツァー”という薬がある。これは500円玉大の錠剤で、コップの水に入れると泡を立てて溶け、溶けたところでグイッと飲む。
 マイケル・ヌーリーに酒を飲まされて二日酔いになったカイル・マクラクランが、そのアルカセルツァーを渡されて飲む。後のシーンで、制服警官からアスピリン(だと思う)をもらうのだが、それをコップの水に入れてさて泡はいつ出るのかな、と眺めているギャグがある。どれだけ眺めていてもアスピリンが泡を出すはずがない。それから、もしも入浴剤のバブを見かけたら、薬だと思って飲んでしまうのだろうか?あれも泡を出して溶けるしな。
 海外に行ったときにドラッグストアでこのアルカセルツァーを見つけ、10箱ほど買ってきた。半分ほどはお土産にして、残りは自分で使った。後味がエグ味のある物で、「そうか、カイル・マクラクランはこんなのを飲んでいたのだな」と楽しんだ。日本のドラッグストアで見かけたことはないのだが、こちらでは売っていないのだろうか?いかにもアメリカンだから日本では受けなそうではある。

 以前ちょっと『ヒドゥン』のことを調べていたらキャストの中にダニー・トレホの名があることに気がついた。『デスペラード』(1995)で小さなナイフをヒラヒラさせる殺し屋や、『スパイキッズ』シリーズのスパイグッズ開発屋などロバート・ロドリゲス作品でお馴染みのヒスパニック系の俳優だ。ロバート・ロドリゲスとは従兄弟だそうで、てっきりロドリゲスにくっついて役者になったのだと思ったが、『ヒドゥン』に出ていたとなるとダニー・トレホの方が芸歴が長いことになる。
 さてどこに出ているのやらとビデオを借りてきて観直したところ、後半の留置所内にいる犯罪者の一人だろうと見当をつけた。アップはないので確実とは言えないがセリフもあるしアクが強い外見なのでまず間違いはないだろう。そういえばこの人は役者になる前は本物の犯罪者で刑務所での収容歴もあるとのこと。その前には『暴走機関車』(1985)に出ているようだが、これももちろん囚人の一人だろう。『暴走機関車』は実際の刑務所でロケされて、本物の囚人も出演していたはずだが、まさかその「本物の囚人」じゃないだろうな。

 監督のジャック・ショルダーは『エルム街の悪夢2』(1985)の後でこの作品を撮った。こいつはすごいぜと新作を待っていたら、次に撮った『レネゲイズ』(1989)はとんだスカ。以後も水準以下の作品ばかり作っていて、期待した身としては非常に残念である。

 後に『ヒドゥン2』も作られたが、ある登場人物以外は繋がりがなく、ほぼ完全に別物。大駄作なので観る必要はない。

2005年12月18日

『網走番外地』 トロッコは雪原を疾走する

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『網走番外地』 (1965) 92分 日本

監督:石井輝男 企画:大賀義文 原作:伊藤一 脚色:石井輝男 撮影:山沢義一 美術:藤田博 音楽:八木正生
出演:高倉健、丹波哲郎、嵐寛寿郎、南原宏治、田中邦衛、潮健児

-オレはいつでも燃えている その35-
 世間では豪雪地帯と呼ばれる地域に引っ越して最初の冬。ここ数日の雪には「なんじゃこりゃぁぁぁ」と叫んでいる。つか、初めての雪国体験がいきなり近年稀な大寒波で、地元の人も「今年はすごいね~」って言ってるほど。今年はまずは雪に慣れることから、と暖冬になるように神様にお願いしたのに。地球温暖化のために京都議定書はこのまま無視して、どっさりと二酸化炭素を排出してくれってブッシュにも頼んどいたのに。
 庭に出て物差しを突き刺したら55cmも積もっていた。ここはスキー場か?オレの人生経験では、日常生活の場でこれだけ雪が降ったことはない。
 いろいろ訳ありで、アパートなどの集合住宅ではなく一軒家に住んでいる。となると、道路の雪かきをやらずに知らん顔というわけにもいかない。表通りに面している前面がおよそ12m。朝起きると簡単に食事を済ませ、雪かき用スコップと手押し車の車輪をなくした“ママさんダンプ”などで装備して外へ出る。まず踏み出した一歩目でボッっと長靴が雪に埋まる。
 まぁ、これも名古屋育ちだとあまり味わえない貴重な体験だよな。幅広い経験は人を豊かにするというからなと雪かき開始・・・ああっつまんねー、もう飽きた。その時間わずか5分。最初の2~3日ぐらいは興味が続けよ、オレ。でも、人生経験が乏しくて薄っぺらな人格で良いから雪はいやだぁぁ。
 歩道の下を水路が流れていて、ところどころにある鉄の蓋を開ける。水が勢いよく流れているのでそこに片っ端から雪を放り込んでいくのだが、単調で生産性の欠片もなくつまらない。道路での作業で、すぐ脇を自動車が走っていくので、iPodなどを使って音楽を聴くことは危険なので出来ない。(まぁ持ってないけど)ひたすらざっくらざっくら。かいている間にも雪は降ってくるのでもう雪が身体まみれ。もとい、身体が雪まみれ。
 名古屋育ちで雪は年に1、2度ちらっと降るだけだった生活のオレには、この雪国での暮らしはすでに苦痛を覚える。これからの約3ヶ月間を乗り切ることが出来るのだろうか。あー、晴れないから洗濯物がたまるたまる。
 雪道での車の運転は怖いし、こちらの車は夏や秋でも運転が荒かったが、雪が降ったからといってそれが改まるわけでもなく、相変わらず荒っぽい。曲がるときはウインカー出せよ。一時停止の標識は「徐行しろ」って意味じゃないの、止まれって言ってるの!

 とまぁ、雪と戦い初めて数日。ここは一つ、「雪の中、熱く闘う映画で燃えようじゃないか」と取り上げるのが『網走番外地』だ。
 網走番外地とは網走にあるが地図に番地が載っていないある収容施設のこと。そう、網走刑務所だ。でも、実際には網走刑務所にもちゃんと番地ある。住所は北海道網走市字三眺だそうだ。
『網走番外地』はヤクザ者が出てくる暴力映画と思われている向きもあるが、それはシリーズ途中の高倉健が全国各地を訪ね歩くようになってから。一作目は、まるで受刑者の更正を目的にして作られたかのような、「一度は道を踏み外しても、真面目にやればちゃんと社会復帰できるんだ」といった教育的内容。
 刑務所の外から精神的に支える妹と母と、言葉は厳しいが人情味溢れる看守、そして囚人仲間が高倉健のひねくれた心を次第に洗い流していく。
 と、ここまでは刑務所映画なのだが、母が危篤に陥ったことを知った高倉健は他の囚人の脱走計画に乗って刑務所外での作業中に手錠で相手とつながれたまま脱走してしまう。時期は冬。網走の冬ときたらそれはもう、詳しくは知らないがめちゃめちゃ寒い、ただの寒いじゃなくて極寒のはず。そんな中を防寒面ではあまり期待できない囚人服でいかに逃げ延びるか。そして保護司の妻木(丹波哲郎)の執拗な襲撃をいかに振り切るかという、雪原での追跡劇が見事。迫力もあってハリソン・フォードの『逃亡者』なんて目じゃない。猟銃を持ってしぶとく追跡を続ける丹波哲郎が格好いい!単なる霊界オヤジじゃないぞ。

 東映幹部が「これは当たらないだろう」と予算がカットされモノクロ映画になってしまったが、映画の雰囲気にはその白黒の画面が似合っている。これが大ヒットして都合18作も作られる人気シリーズになるとはまさか思ってもみなかっただろう。
 続編はどれも同じようなストーリーなんで全部を見る必要はないが、一作目は必見。

2005年12月19日

『シャーロック・ホームズの素敵な挑戦』 統合失調にして薬中探偵

『シャーロック・ホームズの素敵な挑戦』 (1976) THE SEVEN PERCENT SOLUTION 113分 アメリカ

監督:ハーバート・ロス 製作:スタンリー・オトゥール 原作:ニコラス・メイヤー 脚本:ニコラス・メイヤー 撮影:オズワルド・モリス 音楽:ジョン・アディソン
出演:ニコル・ウィリアムソン、アラン・アーキン、ヴァネッサ・レッドグレーヴ、ローレンス・オリヴィエ、ロバート・デュヴァル

-オレはいつでも燃えている その36-
 シャーロック・ホームズが主人公であるが、サー・コナン・ドイルの原作の映画化ではない。シャーロック・ホームズが実在したとして、その人物像の真実に迫った異色作である。脚本は『タイム・アフター・タイム』(1979)などのニコラス・メイヤー。なるほど奴ならばと思わせる手腕だ。
 シャーロック・ホームズは確かに世紀の名探偵。しかし、少年時代に彼の家庭教師を務めたモリアーティー教授を世紀の悪漢と思い込んで尾行をしたりとつけ狙っている。
 単なる小心者のモリアーティーは思い悩んでワトソン医師に相談に訪れる。ワトソンはホームズのコカイン中毒も心配していて、そこでモリアーティーと組んでホームズを罠にかけてオーストリアはウィーンにおびき寄せる。
 ウィーンでホームズたちを待っていたのは、全く新しい学問「精神分析学」を研究中のジークムント・フロイトだった。彼が生み出した新しい技術、精神分析でホームズの過去のトラウマが解き明かされる。この虚構と実際が混じり合う脚本の素晴らしさ。
 ホームズが心に傷を負った過去があり、さらに統合失調症の疑いもある。加えてコカイン中毒。ある意味人間のクズだが(怒られるかなぁ)、そんなホームズだからこそ常人を超えた推理能力を発揮することも出来たのだ。やはり、名探偵とはどこかまともな人間じゃないってことだろうか。
 そして立ち直ったホームズと、そこに襲いかかる新たなる悪の企み。疾走する蒸気機関車が段々と燃料の石炭が無くなっていき、一か八かで客車を解体して燃料をして燃やすというのは過去の映画でも使われた手法だが、この作品は特に美しい。

 シャーロック・ホームズの映画は、この『シャーロック・ホームズの素敵な挑戦』か、実はワトソンこそが名探偵であって、ホームズはワトソンが雇った単なる探偵役の三文役者という『迷探偵シャーロック・ホームズ/最後の冒険』(1988)が秀逸だ。『迷探偵シャーロック・ホームズ』はマジで良いよ。

2005年12月23日

『静かなる男』 この殴り合いには死にかけのジジイも生き返るぜ!!!!

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『静かなる男』 (1952) THE QUIET MAN 129分 アメリカ

監督:ジョン・フォード 製作:ジョン・フォード、メリアン・C・クーパー 原作:モーリス・ウォルッシュ 脚本:フランク・S・ニュージェント 撮影:ウィントン・C・ホック、アーチー・スタウト 音楽:ヴィクター・ヤング
出演:ジョン・ウェイン、モーリン・オハラ、ヴィクター・マクラグレン、ウォード・ボンド、フランシス・フォード、ミルドレッド・ナトウィック

-オレはいつでも燃えている その37-
 いつでも燃えているシリーズも今回で最終回。正直言って苦労したシリーズだ。燃えた作品が少ないわけではない。むしろ多すぎて、作品の幅が広すぎて選ぶのが難しかったのだ。やはり制約が多い方が書くのはむしろ楽なのかも知れない。
 最後を飾るのはジョン・フォード監督による『静かなる男』だ。とにかく傑作を数多く送り出しているジョン・フォードの数多い大傑作の一つにあげられる作品として間違いがないだろう。オレも大学の映画サークルに入った当初は先輩が「ジョン・フォード、ジョン・フォード」と言っているのを聞いて逆に反感を憶えたのだが、実際に観てしまうと『わが谷は緑なりき』でも書いたが「これはすごい。最高に映画で頭をぶちのめしてくれる。尾てい骨から背筋をゾクゾクさせ、大声で叫びながら駆け回りたくなる」という映画ばかりなのだ、正直言って。オレのひねくれた心など瞬時に解凍してさらに沸騰させる。他の映画を1000本観るよりもジョン・フォード作品を10本観た方が映画的に意味があるのだ、これが。ごめん、負けた負けました。単なる斜に構えた男の視線などバキバキにへし折っちまうのだ。

『静かなる男』は傑作中の傑作。まぁ、その傑作中の傑作が何本もあるのがジョン・フォードのすさまじさ。幼い頃にアメリカに移住したショーン(ジョン・ウェイン)が故郷アイルランドの田舎町に帰ってくるところから始まるちょっとした騒動。その騒動の中にアイルランドの特異性がびっちり書き込まれている。でもその問題意識がうっとおしさを感じさせずに登場人物たちの物語の中に巧妙に埋め込まれている。そもそもアイルランド系であるジョン・フォードとその弟子的存在で同じくアイルランド系のジョン・ウェインがアイルランドを舞台とした映画を撮るというのはすでに映画的必然だ。作られるべきして作られた映画だが、そんな運命論でおさまる連中じゃない。もうね、凄いぞ。
 アイルランドというのはイングランドから侵略を受けて、それに対する抗争や文化的対立が遥か昔から続いている。文化の違い、宗教の違いなど様々な問題がある。宗教で言えば同じキリスト教ではあるが、イングランドの新教(プロテスタント)に対してアイルランドは旧教(カソリック)だ。アイルランドは男尊女卑な社会で、女性が嫁入りする際には持参金を持って行くのが当然で、持参金を用意できない女性は結婚することが出来ない。そこへ半ばヤンキーのショーンがやってくることによって図らずも揺さぶりをかけることになる。単なる牧歌的社会としてのアイルランド村ではなく、そこには様々なアイルランド問題が奥底に横たわっていることが視界に入らないままでは観た意味がない。そしてその問題が前面に押し出されるわけではなく、観客の洞察力によって始めて見いだされるという演出の意義が分からなければ意味がない。つまり、まずは呑気に楽しむべきだし、そしてその奥にある問題に気付くべきだし、そしてそれに気付きつつもそれはそれとしてさらに呑気に楽しむべきなのだ。ややこしいな。
 また、アイルランド解放戦線ことIRAが活動しているし、主人公はアメリカでボクサーをやっていて対戦相手を殴り殺してしまった過去と心の傷がある。
 そういったアイルランドが抱えるいくつもの問題を描きつつ、それに対して映画として答えられることには回答を出し、出せない部分についても問題提議を行う。だからといって辛気くさい文芸作品かというとそんなことはない。頭から尻尾まで徹底して楽しい娯楽映画に仕上がっている。
 宮崎駿の作品に『紅の豚』(1992)というのがあるが、これが観るからに「ああ、宮崎はジョン・フォードがやりたいんだなぁ」という作品だった。『紅の豚』のラストでポルコとカーティスの殴り合いが延々と繰り広げられるが、あれの“最低”でも2391倍ぐらいすごいまさに“燃える”クインズベリー規則に則った殴り合いがこの作品のラストで繰り広げられる。野を越え山を越えるその殴り合いのすごさには死にかけのジジイですら本当に生き返るほどで、実に燃えてさらに実に愉快。それまでに登場した脇役たちがきっちり活かされているのがもう泣けてくる。無責任なアイルランドの観客たちが実に良い。
 格闘技としての技術でいえばジェット・リーやジャッキー・チェンなどの香港映画人にはかなわないだろう。殴り合いの演出としては『ストリート・ファイター』や『マトリックス』にはかなわないだろう。だが、映画における殴り合いとしてこの映画を超える物はいまだ現れていないとオレは断言する。

「映画とはアクションだっっ!!」

 そうそう、もちろんジョン・ウェインとモーリン・オハラが嵐の中の廃墟じみた建物で行う接吻のシーンの美しさときたらもう、背筋ゾクものだぁぁぁ!モーリン・オハラといえば赤毛、モーリン・オハラといえば強気。やっぱ強気な赤毛は最高っすよ!!

 ああっ、持参金にこだわったモーリン・オハラがその持参金を兄からもらうとあっさりと火の中に投げ込んで家に帰っていくところや、プロテスタントの幹部が視察に来たときに住民たちがその時だけプロテスタント教徒の振りをしたり、オープニングでの親切だが見知らぬ物を警戒して詮索好きなところとか書きたいとこはいっぱいあるが、それこそ本気で書いていったらノベライズになってしまうだろうし、原稿用紙2000枚のノベライズでも映画本編にはかなわないので、書かない。
 言えるのはただ一言、「お前ら、こんな文章を読んでいる暇があったらとっとと観ろ」なのだ。
 だまされたと思って観ろ。オレも「だまされたと思って観ろ」と言われて観て、だまされないどころかぞっこんだから。