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『ハード・ボイルド/新・男たちの挽歌』 無敵の2分42秒

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『ハード・ボイルド/新・男たちの挽歌』 (1992) 辣手神探 HARD-BOILED 127分 香港

監督:ジョン・ウー 製作:リンダ・カーク、テレンス・チャン 脚本:バリー・ウォン 撮影:ウォン・ウィンハン 音楽:マイケル・ギブス
出演:チョウ・ユンファ、トニー・レオン、テレサ・モウ、ウォン・チョーサン、フィリップ・チャン、國村隼、ジョン・ウー

-オレはいつでも燃えている その23-
 なるべく毎日更新することにしているが、21日は文章を仕上げられなかった。
『ストリートファイター』(原題は『HARD TIMES(ハード・タイムス)』)、『ハード・ウェイ』と来たので、ハード続きで『ハード・ボイルド/新・男たちの挽歌』にしようと書き始めたのはいいのだが、「あの点も書きたい」「このシーンについても書きたい」「翌1993年にはハリウッドデビュー作『ハード・ターゲット』を撮っているが、両作品に共通したアイディアや描写についても書きたい」「チョウ・ユンファの格好良さはもちろんだが、トニー・レオンの渋さについても書きたい」、そんな具合に思いつくことをどんどん書いていった。結果、出来上がったのは単に長いだけで、ダラダラと要領を得ないことが書かれた駄文だった。くわっってなって21日は寝た。
 今日になって、昨夜書いた文章を読み直したが、やはりこのままでは使えない。それで、不必要と思えるところをカットしたり、文章の繋がりなどを整理しようとしたが無理だった。駄目な物に手を加えたってより駄目になる。それよりはいっそのこと一から書き直した方が早い。
『ハード・ボイルド/新・男たちの挽歌』については書きたいことが山ほどある。東森時音の時音(じおん)はジョン・ウーのジョンでもあるのだ。そのジョン・ウーが撮った最高傑作。もうこれでもかという派手な銃撃戦と、無茶な描写の数々。犯罪組織に潜入捜査している警官(トニー・レオン)と、友人だった同僚の仇を討とうと過激に悪を追う刑事(チョウ・ユンファ)の奇妙な友情。チョウ・ユンファが珍しくオートマチック拳銃ではなくリボルバーを愛用しているが、これもちゃんと意味がある。倉庫の中派手に繰り広げられた戦いの後、火薬の煙が薄れていく中、互いの姿に気付いて銃を突きつけあうチョウ・ユンファとトニー・レオン。そこで起きる出来事はチョウ・ユンファがリボルバーを使っていたからこそ成立した物だ。そこからチョウ・ユンファは、自分を殺せたのに撃たなかったトニー・レオンに単なる悪人ではない何かを感じる。そして、地下道での一発必中からラストの悪玉への一発と、リボルバーである意義が最大限に活用されている。
 ストーリーの完成度では『狼~男たちの挽歌最終章』に後れを取るが、ジョン・ウーのガンアクションの完成形、いや完成を通り越した究極形がここにある。
 これを全部書いていたら、それこそノベライズになってしまう。そもそも、映画の魅力を全て文章で表現するということに限界があるはずだ。そこで、後半の病院での銃撃戦についてだけ語ろう。その銃撃戦も延々と長いので、その中からたった1カットだけ。

 実を言うとオレは長回しというテクニックはあまり好きではない。実験映画臭さがどうしても匂ってきてしまう。そしてなにより、もう故人になってしまったが、「長回し」が大好きで「長回し=その監督」がすでに代名詞になっているある日本の映画監督がいた。ほとんどの作品で長回しのカットが登場するのだが、これがどうもどれも面白くない。長回しというのはしょせん技術。スローモーションやクロスフェードなどと同じく、その技術を使ってどんな表現をするかというのが重要なはずだ。だが、その某監督は、なんでここで長回しが必要なの?というカットでも長回しを使ってくる。これはきっと、長回しで何を表現するかという手段としての長回しではなく、長回しが好きだから長回しのカットを入れるという、「長回しのための長回し」になっているのではないかとオレは考えている。つまり長回し自体が目的となっているということだ。
 それはやはり違うのではないかと思う。この某監督はディレカンことディレクターズ・カンパニーが倒産したときの座談会でベロベロに酔っぱらって、「どうせみんな俺が悪いんだよ」とウダウダ言っていた。そうだよ、お前が悪いんだよと誌面に毒づいてしまった。作品としての映画と監督の人格には関係はないが、オレはこの某監督が嫌いだった。今でも嫌い。
 まあそれはいいとして、『ハード・ボイルド』で繰り広げられる長回しは相米慎二の「ただやってみました」な長回しとはわけが違う。(あっ、名前言っちゃった)
 ショットガンを持ったチョウ・ユンファとM92F(セイフティがきちんと判別できなかったがひょっとしたらタウルス社のコピー品かも)とサブマシンガンのMP5で武装したトニーレオンが、病院の廊下を進みながら待ち受ける敵と激しい銃撃戦を繰り広げる。病室の中には敵が潜んでいて、その敵からトニー・レオンが腹に一発食らったりもする。チョウ・ユンファのショットガンはちょっと誇大表示じゃないかという猛烈な破壊力で、弾が当たった壁やカウンターは爆発したように砕け散る。トニー・レオンのMP5はフルオートで軽快に動作し、空カートをスムーズに排出する。撃たれた敵にはちゃんと着弾効果が施され、胸や腹から血を流して倒れる。
 これらがずーっと1カット。だが、まだ驚いちゃいけない。
 二人はエレベータに乗る。そのエレベータの中で、銃撃戦のさなかに味方の刑事を撃ち殺してしまいショックを受けているトニー・レオンに、チョウ・ユンファが説教をする。「最大の敵は自分だ」とか言ってる内容はいまいちよく分からないが、エレベータの扉が開くとそこは別の階。そこで待ち受けていた敵とまた銃撃戦が始まる。
 そしてしばらくして、ようやくとカットが変わる。そこまでの長さが2分42秒。映画史上最強無敵な長回しである。撮影後の処理でスローモーションに加工されている部分があるので、厳密にリアルタイムで考えるともう数秒短くなるだろう。それでも銃撃戦の長回しで、エレベータで別の階に移動し、しかもエレベータの中では芝居のやり取りがある。よくもまあこんなカットを撮ろうと思ったものだ。もうね、すごいよホント。
 ただ単に廊下を歩いて、エレベータで次の階に行っただけなら別に驚かない。銃撃戦ですよ銃撃戦。敵や壁などに仕込んだ弾着の仕掛けの数や、それを作動させるタイミング。ガラスを突き破って飛び出してくる敵までいて、まずはセット(さすがにセットだと思うのだが)の設計から人の動きの設定。それを元にした入念なリハーサル。あちこち爆破したり壊したりするので基本的に本番一発で撮り終えねばならない。さぞ緊張した撮影現場だったことだろう。
 当然、撮影に使われたのは空砲だが、ショットガンはともかく、MP5がトラブルなくフルオートで動いてくれるかはかなりの賭けだったはず。オートマチック銃というのは弾丸を発射した反動や発砲時に発生したガス圧でスライドやボトルを動かし、空薬莢を排出して次弾を装填する。空砲の場合は当然反動はないし、ガスは銃口から抜けてしまう。そこで銃口を塞いで発生したガスをオートマチック動作に集中させることで連射を実現している。その銃口の栓(でいいのかな?)には多少の穴が開けてあって、発砲時のノズルフラッシュを表現する。よってブローバック動作にガス全てを使えるわけではなく、いくらクローズド・ボトルで機関部の密閉率が高く、ガスが無駄に漏れないMP5でもフルオートでの発砲シーンは撮影がかなり難しいそうだ。撮影の途中でMP5がジャムったりするとそこで撮影は中断。トラブルを直してもまたそこからスタートというわけにはいかず、壁の壊れた部分や俳優の着弾装置などは元に直してまた頭からスタート。ううっ、考えただけで胃が痛くなりそうな現場だ。ひょっとしたら、銃にトラブルが生じた場合は、その銃は捨てて別の銃を使うことで途切れさせずに撮影を進めるという考えだったのかも知れない。
 この2分42秒の長回しは、オレ達観客に、緊張感と自分がその場にいるような臨場感を与える。そう、東京ディズニーランドやユニバーサル・スタジオ・ジャパンのライドは基本的に自分が映画の中にいて1カットで味わう物が多いが、そんな臨場感だ。今にして思えばちょっとFPSゲームっぽくもある。ザ・ロック主演でFPSの名作『DOOM』が映画化されたようだが、アクションシーンとかどうするんだろうか。海外のオフィシャルサイトで予告編を観たが、FPSそのものに登場人物の一人称で宇宙船だか基地だかの中を走り回るカットがあったが、あれは本編でも使われているのだろうか。だとしたら3D酔い対策として、映画館のシートには飛行機や観光バスと同じように、エチケット袋を用意すべきだろう。
 こんな無茶なカットを考えついただけではなく、実際に撮ってしまったジョン・ウーと製作スタッフのバカっぷりには惜しみない賞賛の拍手を贈りたい。

 ビルの中で敵を倒しながら階段を上っていって先へ進む、という長回しでは村川透の『最も危険な遊戯』(1978)が有名だ。松田優作の『遊戯シリーズ第一作』であるこの作品は、松田優作うんぬんを別にして面白い傑作だ。この長回しを担当したカメラマンはあの仙元誠三で、1カットに見えて実は暗がりになったところを利用してすかさず別のカメラに切り替えて撮影したそうだ。厳密には「1カット」ではないが、細かいことをとやかく言うな。
「石井輝男が好きで影響を受けてるね」と語っていたようにジョン・ウーは日本映画にも詳しいようだ。『男たちの挽歌』関連のインタビューだったので、石井輝男のギャング物について言ってるのだと思うが、『徳川いれずみ師 責め地獄』(1969)とかだったらどうしよう?うれしいなぁ。だから『最も危険な遊戯』も観ていて、そこからアイディアのヒントを得た可能性はある。インスパイヤっつーやつですか。

 オープニングの中国喫茶店で、拳銃の密売取引をしていた犯罪者と、連中を狙って張り込みをしていた刑事、そして謎の殺し屋(日本人俳優の國村隼。一言もしゃべらないし日本人であるという描写も見あたらない。単にジョン・ウーが顔を気に入ったとかなんだろうか?)による撃ちまくりの銃撃戦が始まる。
 犯罪者も撃たれて死ぬ、警察側も撃たれて死ぬ。だがそれ以上に、店にたまたま居合わせた一般の客が撃たれて死ぬ。悪党どもはまるっきり容赦なく客たちを殺していく。本当にどんどん死ぬ。どうかんがえても店にいたはずの客よりも撃ち殺される客の方が多い。これはきっとあれだな、端役は1人見かけたら30人は隠れていると言うからな。言わないか。
 病院では騒動の中、避難中の松葉杖でようやくあるくような入院患者を、悪玉が通るのに邪魔だと、バリバリと容赦なく撃ち殺してしまう。ここで悪人側の残虐さと、それに対して任侠貫こうとボスに刃向かう眼帯の殺し屋がそれぞれ良い。
 これら容赦が、脚本が『検事Mr.ハー/俺が法律だ』などのバリー・ウォンだと聞いてなんとなく納得。ちなみに同姓同名の映画監督もいるので混同しないように。
 まあつまり「観て」。つーか「観ろ!」

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