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『ストリートファイター』(1975) 殴り殴られ蹴り蹴られ

B0009J8E2I.09.jpg『ストリートファイター』 (1975) HARD TIMES 93分 アメリカ

監督:ウォルター・ヒル 製作:ローレンス・ゴードン 製作総指揮:ポール・マスランスキー 脚本:ブライアン・ギンドーフ、ブルース・ヘンステル、ウォルター・ヒル 撮影:フィリップ・H・ラスロップ 編集:ロジャー・スポティスウッド 音楽:バリー・デ・ヴォーゾン
出演:チャールズ・ブロンソン、ジェームズ・コバーン、ジル・アイアランド、ストローザー・マーティン、マギー・ブライ

-オレはいつでも燃えている その21-
 同タイトルのジャン=クロード・ヴァン・ダム主演『ストリートファイター』はこちらへ。

 主演はチャールズ・ブロンソンにジェームズ・コバーン、そしてブロンソンの愛妻ジル・アイアランド。すでに全員故人というのが寂しい。
 遅咲きのチャールズ・ブロンソンはこの作品時ですでに54歳。だが、賭け試合のストリートファイトで見せる裸の上半身は引き締まっていてがっちりとした筋肉がついている。顔はオヤジだが身体は現役。

 舞台は1936年、不況時代のニューオリンズ。オープニングで遠くから走ってくる貨物列車にチェイニー(ブロンソン)が無賃乗車している。どうやら職もなく、浮浪者として各地を転々としているようだ。
 倉庫で行われている賭け試合を見たチェイニーは、負けた側のマネージャーであるスピード(コバーン)に、俺をファイターとして使ってみないかと声をかける。年を取っているチェイニーにスピードは難色を示すが、チェイニーが6ドルを元手として出したため、物は試しと昨日の雪辱戦に使ってみる。相手のファイターはまだ若く身体も大きく、誰もチェイニーに賭けようとはしない。ところが、試合開始の一発でチェイニーは相手をノックダウンさせる。
 こうして、寡黙でタフなファイターと、口八丁手八丁でインチキ臭いマネージャーの、ストリートファイトの旅が始まった。2人の友情物ではあるが、最初はお互いに相手を利用しようとしか考えておらず、その友情は旅の間に徐々に築かれたものだ。

 クンフーや空手など、足技があってスピード感重視のアクションがハリウッドに定着したのは割と最近だが、ボクシング形式の一発一発の重さ主体の殴り合いアクションはモノクロ映画時代に完成していた。その集大成がこの作品ではないだろうか。ストリートファイトなので蹴りも使うがメインは素手の拳によるパンチ。もともとは炭坑夫として働いていたブロンソンのパンチは、骨の奥にまで響くような重さを感じさせる。この力強さが強豪相手に連戦連勝というストーリーの説得力になっている。
 後半ではスピードが悪徳マネージャーや金貸しとのトラブルに巻き込まれる。その決着としてチェイニーは強敵と戦うことになる。相手のファイターは悪党の側で戦っていても戦士の誇りを持っている。チェイニーのパンチを食らいダウンしたときに、拳に握り混むことでパンチ力を強める短い金属の棒をボスから渡されるが、それを払いのけて立ち上がる。敵ながら格好いいぜ。

 脚本家として活躍していたウォルター・ヒルの監督デビュー作にして最高傑作。どうも、このウォルター・ヒルという人は、監督能力に容量があったようで、一作ごとにそれが減っていき、『ストリート・オブ・ファイヤー』(1984)あたりでそれを使い切ってしまった感じだ。
「俺は偉大な監督だ」と勘違いしてしまったようでもなく、映画を撮る姿勢は変わっていないと思うのだが、どうしてこうもダメ監督になってしまったのだろうか。ひょっとしたら、もともとの資質がダメ監督で、どういうわけか初期は面白い映画が撮れていたのかもしれない。

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コメント (2)

ネスカフェ:

ウォルター・ヒル監督はどっちかというとデビューが遅すぎたんじゃないかと思います。60年代後半にデビューしてたら、70年代を通じて、結構名作を作ってもう一皮向けてたんじゃないかと思います。やはり、映画の質がガラリと変化した80年代にその活躍が絞られてしまったというのが、悲劇といえば悲劇ですね。ただ、最近はテレビシリーズで演出を担当したらエミー賞を獲得するなど、まだまだ頑張ってくれそうですね。

東森時音:

ネスカフェさんへ

脚本家上がりなのが影響しているのかは分かりませんが、自らのスタイルに固執しすぎている感じはありますね。1960~70年代に最盛期を迎えていれば資質的に一番あっていたのでしょう。
『ダブル・ボーダー』(1987)辺りで、世間の求めている物とウォルター・ヒルがやりたいことに差が出てしまい、それを埋めようとあがけばあがくほど泥沼にはまっていったのではないでしょうか。
『48時間』(1982)や『ストリート・オブ・ファイヤー』(1984)を少年期に劇場で観ている世代なため、どうしても80年代後半以降のウォルター・ヒルには必要以上に点が辛くなっている部分はあります。
『ジェロニモ』(1993)で盛り返してきたなと思ったんですが。

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