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2005年11月 アーカイブ

2005年11月01日

『仮面ボクサー-島本和彦』 最初に30年パンチを打っておけばよかった!!

『仮面ボクサー-島本和彦』 1989年7月30日初版発行 徳間書店 少年キャプテンコミックススペシャル

-オレはいつでも燃えている その10-
 燃えるマンガ家島本和彦が書いたボクシングマンガ。正確に言うとボクシング界を舞台にした仮面ライダーのパロディ。
 いや、島本和彦は石ノ森章太郎原作で『仮面ライダー』の原形に当たる『スカルマン』をリメイクしていたし、藤岡弘、の大ファンだそうだから、パロディと言うよりはむしろこれはオマージュだろう。主人公の仮面ボクサーが最初に戦う対手が“クモボクサー”というのも島本和彦は分かっている男だ。やっぱ最初の敵がクモってのは基本だよな。

 ボクシング界征服を狙う悪の組織・世界征服ジムが、コミッショナーを洗脳して特殊機能を持つグローブや仮面を認可させ、強烈に強い悪のボクサーたちがリングを荒らし回る。ボクシング界を征服して何の得があるのか意味不明なところがいかにもその手の悪の組織だ。全米空手界を征服しようとした『シンデレラ・ボーイ』の悪党たちと通じる物を感じる。
 死の間際に正気を取り戻したコミッショナーは息子である拳三四郎にヘッドギア型仮面とグローブを託し、ボクシング界に平和を取り戻すように言い残す。そして三四郎は仮面とグローブを装着して正義のボクサー『仮面ボクサー』となって、世界征服ジムが放つカマキリボクサーやブロンドボクサーと死闘を繰り広げるのであった。

 こう書くと熱血ボクシング特撮ヒーロー物っぽい。ところが三四郎は「男!!命がけ!!魂!!血みどろ!!はいあがる!!」といった言葉はポンポン口に出すくせに、自他共に認める根性なしの情けない男。
「この体がにくいッ きたえぬいてやるッ サンドバッグ連打500回だ」と猛特訓を始めるが、次のコマでは「・・・ほら まただ 気がついたら120回でやめてもうカルピスソーダをのんでいる なんなんだおれはっ」といった情けなさ。でもオレも根気のなさには自信があるので三四郎の気持ちは分かる気がする。それに強さと根性なしは両立するのだ。
 そんな具合にギャグマンガとして作品は進行していくが、終盤になって怒濤の燃え上がりを始める。
 世界征服ジムがつくりだした最強の仮面をかぶったゴッドボクサーが出現する。その正体は誰がどう見たって史上最強のヘビー級ボクサー“マーク・パイソン”その人だ。マネージャーや妻にむしり取られずに自分の自由になる金目当てでゴッドボクサーになったとか。誰がどう見てもモデルはマイク・タイソンだよな。
 もちろん根性なしの三四郎は試合を拒むが無理矢理リングに引きずり出されてあっけないまでの完敗に終わる。二度の対戦の後、仮面ボクサーは入院先から逃亡する。そして人々の前から仮面ボクサーは姿を消し、ボクシング界は世界征服ジムに牛耳られてしまった。
 逃亡先の秘湯でのんびりと傷を癒やす三四郎。その前にゴッドボクサーの仮面を開発したエディが現れる。世界征服ジムを裏切ったエディは三四郎と手を組んで戦おうというのだ。
 1年の間、三四郎はトレーニングを続け、エディは仮面に改良を加えた。その改良点とは装着したボクサーの命を1年単位でエネルギーに変え、強烈なパンチを放つことが出来るといったものだった。三四郎の能力からすると30年分の寿命を使えば一発でゴッドボクサーを倒すことが出来る。
 これぞ名付けて『30年パンチ』!!
 悩んだあげくに三四郎は寿命が30年縮まろうともゴッドボクサーを倒す気になったが、好きだった女の子に思いが通じてしまったことから急に命が惜しくなる。そして、ゴッドボクサーとの対戦が始まっても、30年パンチが出せなくてせこく5年パンチや7年パンチを打っていく。もちろんその程度のパンチはゴッドボクサーには通用せず、無駄に寿命が減っていき、ついに残りの寿命が30年になってしまう。30年パンチを打っても死ぬ。打たなくてもゴッドボクサーに殴り殺される。
 そして仮面ボクサーは叫ぶ。

「最初に30年パンチを打っておけばよかった!!」

 ここから腹をくくった仮面ボクサー=拳三四郎の男のドラマが始まる。ページにして10数ページだがメチャメチャ燃える。熱く激しい男の生き様だ。

 島本和彦の作品は、ストーリーがどうとか展開がどうしたを見るのではなく、登場人物の行動や言動を楽しむものだ。
『仮面ボクサー』について、島本和彦はボクシングを分かっていない、知らないのではないかという評価を読んだことがあるが、まったくもって的はずれだろう。例えるなら『少林サッカー』を観たオレの知人だ。サッカーファンであるその人はまず「こんなのサッカーとは認めない」といった。・・・いや、だから、サッカーのリアリティを追求する目的で作られた映画じゃないだろ。サッカーは手段であってそれを描くのが目的じゃない。それに、少林隊がやってるのは“サッカー”じゃなくて“少林サッカー”だし。
 とにかく男気のある人間なら読め(男気ってのは感性みたいな物だから男気を持っている女もいれば、持っていない男もいる)。そして30年パンチに燃えろ!

2005年11月02日

『め組の大吾-曽田正人』 NATURAL BORN FIREFIGHTER

『め組の大吾-曽田正人』 1996年2月15日初版発行 小学館 少年サンデーコミックス

-オレはいつでも燃えている その11-
 燃える作品について書き始めて10本。そろそろ空気も乾燥してくる季節だというのに燃えてばかりだと危険だ。そこで火を消すのを仕事とする消防士のマンガで、燃焼の勢い抑えることにした。で、読んだのが『め組の大吾』全20巻。
 結果として余計と燃えた。これが火にニトログリセリンを注ぐってヤツなんだろうか。
 子供の頃に自宅が火事になり、炎の中から消防士に助け出されたことのある朝比奈大吾。彼は高校を卒業すると消防士になり中央消防署めだかヶ浜出張所に配属された。
 そこにいる消防士たちはあまりやる気を感じさせないだらけた連中ばかり。めだかヶ浜出張所は「“め”ったに火事がない、市内一“め”でたい出張所」として通称「め組」と呼ばれていた。しかし、実際は一度火災が発生すれば最高の働きをする火消しのプロたちだった。
 め組の一員となった大吾は災害現場で目覚ましい活躍を繰り広げる。もともとのやる気に加え、ナチュラルボーンで持っている火事に対処する才能、根を上げない根性。そしてなによりもたぐいまれな大バカヤローだったからだ。

 スポ根物の変種ではあるが、その手の話に付き物である「調子に乗りすぎて失敗する」とか「大きな障害にぶつかって悩み挫折する」などが出てこない。オープニングのナレーションではそれを予感させる回もあるが、終わってみると大吾が人並み外れた勘や思い切った決断力で大活躍している。その点についてはドラマとして物足りなさを感じる人もいるかもしれないが、火事を始めとした災害現場での失敗は被害者の死や大怪我になってしまうのであえて避けたのだろう。

 大吾の消防士としての能力が目覚めていくにつれ、発生する災害も大きくなっていく。ビル火災、温泉ホテル火災、ヘリコプター消失などなどで、作者も調子に乗って「次はこんな災害、こんな困難」とエスカレートしていったのだろう。『ドラゴン・ボール』で登場する敵がエピソードが進むごとにインフレ的に強くなっていったのと同じようなもので、作品のスタイルからいうと致し方ないことなのかもしれない。
 それでも勢いで読ませてくれるので、さほどリアリティについて悩むことはない。終盤でのスマトラ島の森林火災に巻き込まれた高校時代の恩師にして大吾が惚れている落合先生を救うために、単身インドネシアに乗り込むのはさすがに無茶だし、後にハイパーレスキュー隊が結成され災害救助のため世界中を飛び回っているというのは、「お前ら国際救助隊ことサンダーバードか」てな感じだが、それぐらいの大風呂敷を広げないと話がまとまらなかったのだろう。

 オレが好きなのは大吾がレスキュー隊試験に挑戦するところ。前夜に山火事のため出動して女の子を抱えて一晩中駆けずり回り、身も心もズタボロになったままで過酷な試験を受ける。だが、すでに限界を迎えていたかに思える大吾の体は、極限状態においてさらに隠れていた力を発揮するのだ。燃えるぞー!

 それにしても、マンガで読んだり映画で観ている分にはいいが、オレにとって消防士というのはなりたくない職業だ。むしろなれないというか、もしも間違って消防士になってしまったら被災者にとって迷惑だろう。
 公務員なのでさほど給料もよくないのに、現場ではまさに命がけ。仕事に関する危険度は警察官や自衛官よりも上だろう。警官が命の危険にさらされる状況ってのは日本の場合少ないだろうし、自衛官の場合はさらに少ないはず。火災の発生数を考えると消防士ってのは過酷な仕事だ。

 これから火を使うことが多くなる季節。火の始末には気をつけよう。とりあえず、オレは火災原因として大きな割合を占めるという寝タバコをやめることにする。・・・って、そもそもタバコ吸わないか。
 じゃあ、台所火災で最も危険と言われる天ぷらをやめる。・・・って、男の一人暮らしで天ぷらなんか調理しないよ。
 類人猿段階まで退化すれば火事の心配はなくなるが、それも不便なので、とりあえず台所と自室にそれぞれ消火器を置いているのでそれで良しとしよう。

2005年11月03日

『アニメがなんだ-山本正之』 痛烈な批判と強烈な愛

『アニメがなんだ-山本正之』 1995/03/22 パイオニアLDC株式会社

-オレはいつでも燃えている その12-
 1974年、中日ドラゴンズの応援歌コンテストが開催され、選手名を歌詞に盛り込んだ『燃えよドラゴンズ!』という歌がグランプリに選ばれた。作者は愛知県出身で駒澤大学在学中のアマチュア青年だった。
 青年はプロデビューして、間寛平の『ひらけ!チューリップ』や笑福亭鶴光の『うぐいすだにミュージックホール』、つボイノリオの『名古屋はええよ!やっとかめ』などコメディアンを中心に楽曲を提供し、『タイムボカン』シリーズの主題歌を始めとしたコミカルな曲や『J9』シリーズのロック調の曲など多数のアニメソングを手がける。
 青年の名は山本正之といった。

 山本正之の経歴においてアニメソングというのは大きなウェイトを占めている。
 そのアニメソングやアニメ界に対する批判と愛を強烈に歌い上げたのがこの『アニメがなんだ』という曲だ。
 山本正之が手がけた『タイムボカン』や『UFO戦士ダイアポロン』、『黄金戦士ゴールドライタン』などのサビが歌われ、その間に「テレビ局がなんだ。打ち切りしておいたクセにワイドショーなんかで僕の曲を勝手に使ってる」とか「アニメなんか紙芝居だ。絵は止まってて口だけ動いてる」、「おもちゃを売るための30分のコマーシャルだ」、「アニメファンがなんだ、なにやら独り言を言ってるぞ」などなどと、作り手やスポンサーそしてファンに対する苦言が語られる。
 ここで歌われるアニメソングの数々が全部分かってしまうというのはオレが年だということだが、本当にいろんな作品の笑える・燃える主題歌を手がけている。最近のアニメソングは一般的なポップス系にシフトしているようなので、山本正之がアニメソングで活躍する場は狭くなっているのだろうが、1970~80年代のアニメソングにおける山本正之の存在は実に大きかったのだろう。
「声優人気がなんだ。SLAPSTICK格好いいけどな」と声優人気にもチクリと一言。SLAPSTICKといえば野島昭生、古谷徹、神谷明、曽我部和行、古川登志夫がオリジナルメンバーとして結成された元祖声優ユニット。『パタリロ!』の『クックロビン音頭』なんかが有名だ。今となっては「いたなぁSLAPSTICK」という感じだがメンバーは古株実力派揃い。
 この曲が発表された1995年当時も声優が歌を歌うことはあったが、今のように声優は歌って当たり前、アルバムを出して一人前という状況にまでなるとは予想できなかっただろう。
 なんといっても水樹奈々がオリコン2位で『HEY!HEY!HEY!』出演する時代だ。でも出演しただけで歌は歌わないし、ダウンタウンは観客席のオタクの群れを客イジリしてるだけで、てんで面白くなかったがな。

 コミカルさというオブラートで包んでいるが、8分を超える長さのこの曲にはかなり強烈な毒が含まれている。
 山本正之というミュージシャンはフォーク+ロック+その他の燃えるミュージシャンだ。『ハイロウズ』の甲本ヒロトと組んだ異色の顔合わせによる『過ぎし日のロックンロール』は名曲である。

2005年11月04日

『FLASH~フラッシュ・ゴードンのテーマ-QUEEN』 最高の主題歌、最低の映画

『FLASH~フラッシュ・ゴードンのテーマ-QUEEN』 『グレイテスト・ヒッツ』(東芝EMI)などに収録

-オレはいつでも燃えている その13-
 タイトルからも分かるとおり映画『フラッシュ・ゴードン』(1980)のオープニングテーマ曲。
 作品自体は非常にアレな映画だったが、オープニングは実に格好良かった。アメコミ調のイラストをバックに流れる『FLASH』。これだけでもう満足というか、オープニングだけ観て帰ってしまってもあまり変わりがない。むしろ、そちらの方がポイントが高いかも。
「そこまで言わなくてもいいんじゃないか」と思う方もいるかもしれないが、当時まだ小学生だったオレにとって映画館の入場料がどれだけ高かったことか。レンタルビデオを300円で借りてきて「あちゃー、ハズレか」ってのとは重みが違う。ああっ、いま思い出しても腹が立つ。
 ティモシー・ダルトンが森林世界の王子をやっている。フラッシュ・ゴードンを相手に、穴がたくさん開いた物体に交互に腕を突っ込み、中にいる毒蛇だかに噛まれた方が死ぬという、『黒ひげ危機一髪』のような戦いをする。ティモシー・ダルトンは最初のうちは自信ありげなのだが、最後にはびびって手を入れられなくなるというチキン野郎だった。ティモシー・ダルトンのジェームズ・ボンドは割と好評だったようだが、オレは『フラッシュ・ゴードン』の印象が強すぎて駄目だった。今度のボンドは何かあまり知らない人がやるようだが、他の作品での印象が強いよりも、あまり知られていない人の方が良いのかも知れない。

『FLASH』はフレディ・マーキュリーの艶っぽくて力強いボーカルが嬉しい。本人の写真を見ると「なんでこの人があんな歌声を出すんだ?」と非常に不思議。最近ではコミック『魁!!クロマティ高校』のヒットで若い人にも浸透したことだろう。ひょっとしたらQUEENは知らないままで、なんかヘンなヒゲオヤジとしか思われてないかもしれないが。フレディ・マーキュリーが死んでから、もう14年だもんなぁ。
 歌としては短いが、中盤にある「He save with a mighty hand...」から始まる息継ぎなしのフレーズが特に燃える。曲を聴きながら一緒に歌いたいのだが、息が持たないしなにより早口なので舌が回らない。
 オレの手元にあるのは『グレイテスト・ヒッツ』のCDで、この歌詞カードには英語の歌詞と一緒に日本語訳も掲載されている。英語だとなんか格好いいのだが、日本語に訳されると「フラッシュは宇宙の救世主。彼は奇蹟。みんなを助ける。だけど普通の男だ」といった具合で、ストレートというかそのまんまでイマイチ。

 映画『フラッシュ・ゴードン』には言いたいことがたくさんあるが、『FLASH』でオレが始めてQUEENと出会ったと言うことを考えるとプラマイ0か・・・いや、やっぱトータルでマイナス。

2005年11月05日

『飛べ!フェニックス』 絶望の砂漠から甦れ

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『飛べ!フェニックス』 (1965) THE FLIGHT OF THE PHOENIX 145分 アメリカ

監督:ロバート・アルドリッチ 製作:ロバート・アルドリッチ 原作:エルストン・トレヴァー 脚本:ルーカス・ヘラー 撮影:ジョセフ・バイロック 音楽:フランク・デ・ヴォール
出演:ジェームズ・スチュワート、リチャード・アッテンボロー、ハーディ・クリューガー、アーネスト・ボーグナイン、ピーター・フィンチ、ジョージ・ケネディ、ウィリアム・アルドリッチ

-オレはいつでも燃えている その14-
 燃える映画となるとロバート・アルドリッチ作品を語らずにはおけないだろう。とはいえ、一言にロバート・アルドリッチ作品といっても数がある。そこで考えた結果、まずは『キッスで殺せ』(1955)、『飛べ!フェニックス』(1965)、『特攻大作戦』(1967)、『北国の帝王』(1973)、『ロンゲスト・ヤード』(1974)、『カリフォルニア・ドールズ』(1981)の6本に絞った。・・・って全然絞れてねー。
 どれにしようか迷ってしまい先へ進まないので、とりあえず6本とも観てみた。120分以上の作品が多いので一日がかり。金曜日の夜と土曜の日中がつぶれてしまった。で、結論としてはどの映画も燃えた。うわー、これまた絞れてねー。
 そこで消去法で行くことにした。『キッスで殺せ』は探偵物特集かハードボイルド特集で、『特攻大作戦』は戦争映画特集をやるときのために取っておこう。やるかどうかは分からんが。『カリフォルニア・ドールズ』は女性映画特集のため、『ロンゲスト・ヤード』は最近リメイクされたそうなので、その作品がレンタルで出たら新旧観比べで書いてみよう。『北国の帝王』は凶悪な車掌特集のため、ってそんな映画他にあるか?まあ、リー・マービン特集のために取っておこう。というわけで今回は『飛べ!フェニックス』と取り上げることにする。
『サハラ 死の砂漠を脱出せよ』(2005)などと一緒に、砂漠から脱出映画特集という線もあるが、そこまで言っていたらいつまでたっても始まらない。

『飛べ!フェニックス』も2004年に『フライト・オブ・フェニックス』というタイトルで再映画化されているが(原作小説があるので『飛べ!フェニックス』のリメイクではなく、再映画化と呼ぶべきだろう)、まだ観てない。予告編を見た限りではつまらなそうだ。スカイパーフェクTVのスターチャンネルあたりで放映されたら観る程度かな。金を払ってレンタルする気はない。そもそも、1965年版には雑誌のグラビア以外に女性がまったく出演していないところが良いのに、2004年版ではキャストに女性が含まれてる時点で駄目だろ、そりゃ。

 まずはキャストが豪華。主演の機長はジェームズ・スチュワート(『フィラデルフィア物語』でアカデミー主演男優賞を受賞)。今作での臑に傷を持つパイロットから『ロープ』の学者まで幅広い役柄を見事に演ずる名優だ。西部劇では『リバティ・バランスを射った男』で東部から来た都会人をやり、『ウィンチェスター銃'73』では一転して父親の仇を追い続けるガンマンをやっている。
 同じアルドリッチ作品の『北国の帝王』で残虐非道冷酷無比な鬼車掌“俺の列車にただ乗りする浮浪者には、自慢の金槌をくらわせるぜ”シャックを演じていたアーネスト・ボーグナインが、今作では精神衰弱によるノイローゼか統合失調症で油田の現場を一時解雇された精神を病んだ男の役だ。アーネスト・ボーグナインも『マーティー』でアカデミー賞を受賞している。しかも主演男優賞。
 飛行助手を演ずるのがリチャード・アッテンボロー。『大脱走』や『そして誰もいなっくなった』などでいい味を出している。最近では『ジュラシック・パーク1、2』に顔を出していた。脇役としてそれなりの役者だったが、後に映画監督にも進出。こちらについては個人的に意味を感じていない。アカデミー賞は受賞しているが、俳優賞ではなく『ガンジー』での監督賞。
 他の映画に出ている時は濃い俳優なのだが、今回は回りが濃すぎてほとんど目立たない単なる脇役になっているのがジョージ・ケネディ。飛行機の上でなにやら作業をしていたところぐらいしか記憶にない。でも、ジョージ・ケネディも『暴力脱獄』でアカデミー助演男優賞を受賞している。
 とまあ、アカデミー賞俳優が何人も揃った錚々たる顔ぶれなのだが、オッサン俳優ファンの人以外には、「だから?」で終わってしまうのが悔しいところだ。チクショー、興奮物のキャスティングなんだぞ。ロバート・アルドリッチの息子ウィリアム・アルドリッチまで出演しているんだぞ。機内で『プレイボーイ』を読んでいて、飛行機の不時着事故であっさり死ぬ、出演シーンも少ないし見せ場もない。親父の映画においてこの扱いだから、俳優として大成するはずもなく、ほどなくして役者業は廃業。ただし映画界には残ってプロデューサーになった。ロバート・アルドリッチの映画もいくつか制作しているし、『フライト・オブ・フェニックス』の制作もウィリアム・アルドリッチ。2004年版はどうにも座りの悪い邦題で、せめて『フライト・オブ・ザ・フェニックス』にならなかったのだろうか。

 墜落した飛行機を元にして小型飛行機を作るとストーリー説明がされていることが多いが、それは映画もかなり終盤に近づいてから。むしろ重要なのは、砂漠のど真ん中に墜落した飛行機の乗員乗客が、救助も見込めず徒歩で脱出できるはずもない絶望的な状況下で、それぞれの思惑や裏切り、憎しみなどが静かに繰り広げられる点だろう。上官に嘘をつき徒歩での砂漠横断から逃れる兵士や、ラクダに乗ったアラブ人の集団が通りがかりこれで助かったと思いきや悪夢に転ずるところなどが良い。
 もちろん、ドイツ人設計士が壊れた飛行機の部品を使って小型機を作ろうと言いだし、このまま涸れて朽ち果てるよりかは失敗しても気が紛れるかと皆が作業に取りかかる終盤も実に面白い。
 エンジンを点火するスターターとして銃弾を使うのだが、この銃弾が数発しかなく、それで点火に失敗したら全てが終わる。もちろん、点火に失敗することなどないだろうというのは分かっているのだが、それでも手に汗握る。したり顔で「ハリウッド映画だから、どうせ成功するんだろ」とか言うのは止めろ。そういうヤツに限って、いざ実際に失敗すると「理不尽だ。爽快感がない」などと言うに決まってるのだ。

 『飛べ!フェニックス』はオレが絶対の自信を持ってお勧めする燃える映画だ。ただ、間違えて日本映画の『マイフェニックス』(1989)を借りてこないように。こちらは悪夢で、映画館まで観に行ってしまった自分を呪いたくなる駄作だ。

2005年11月07日

『レオン』 その男は殺し屋。他に生き方を知らない。

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『レオン』 (1994) LEON 111分 フランス/アメリカ 1995/03鑑賞

監督:リュック・ベッソン 製作:パトリス・ルドゥー 製作総指揮:クロード・ベッソン 脚本:リュック・ベッソン 撮影:ティエリー・アルボガスト 編集:シルヴィ・ランドラ 音楽:エリック・セラ
出演:ジャン・レノ、ナタリー・ポートマン、ダニー・アイエロ、ゲイリー・オールドマン、サミー・ナセリ

-オレはいつでも燃えている その16-
 安アパートに住む一家がマフィアに皆殺しになり、たまたま難を逃れた子供が隣人の世話になり、その隣人は本人の意志には関係なく事件に巻き込まれていく。
 そんな冒頭でジョン・カサヴェテスの傑作ハードボイルド『グロリア』(1980)の記憶が呼び覚まされたのだが、話が進むにつれ基本アイディアは『グロリア』だが、それをリック・ベッソンなりに咀嚼・発展させた物だというのに気付いた。ちなみに『グロリア』は1999年にリメイクされているが、1999年版は断じてみる必要のない駄作レベルマックスで、1980年版は「お前ら、ぜってー観とけ」レベルマックス。
 『グロリア』ではヤクザの娼婦でくたびれたグロリアが、マフィアの会計士の息子を助けたことから争いに巻き込まれて、女性ハードボイルドを繰り広げる。グロリアと少年との関係は疑似母息子関係で、敵陣に乗り込んでいくグロリアの姿などが実に格好いい。
『レオン』ではホテルのチェックインなどでは父娘を装っているが、レオン対マチルダの純愛恋愛関係へと話が進んでいく。母息子関係と恋愛関係ではかなり話が違うが、レオンが過去に女性に関して大きな心の傷を追っており、それで純愛を成立させている。でもまぁ、世間一般の視点で言えばロリコンだけどな。
 仕事と観葉植物にしか興味を持っていなかったレオンが、次第にマチルダに心を許していく様子が素晴らしい。そのきっかけがレオンによるジョン・ウェインの真似というのは、やはりリック・ベッソンはただ者ではないというか、かなりの映画野郎だ。
 現在流通している作品のほとんどが完全版で、劇場公開版では削除されていたシーンが復活していて、意味が通じなかったシーンの説明がつくようになっているが、劇場公開版からカットされたシーンもあり、必ずしも完全版>劇場公開版ではない。可能ならば両方観てみるのも面白うだろう。
 個人的好みとしては、レオンにはちゃっかり生き残ってマチルダと幸せになって欲しかったのだが。安易に主人公の死で終わらせるのはあまり好きではない。でも、“リング・トリック”とか伏線は活かしてあるし、きっちり悪党も吹き飛ぶので悪いわけではないが。
 殺し屋の元締めのダニー・アイエロがまた良い。レオンを身内をして大切に扱いながらも、ちゃっかり上がりをかすめ取っている狡猾さがダニー・アイエロにはぴったり。
 ラストだって、簡単にレオンを売ったわけではなく、拷問されてついに話してしまったのだ。これが、拷問されても最後まで答えずについに殺されてしまった、では駄目なのだ。

 あちこちで語られていることではあるが、ジャン・レノの殺し屋は『ニキータ』終盤に出てくる“掃除屋”が元ネタ。「なんでもない、誤報だ。バンバン」が良かったよな。
 出演者にサミー・セナリがいるが、終盤のSWATの一人でフェイスガードで顔をは映っていない。
「リック・ベッソン作品に出られるってのに、顔が映らないなんてあんまりです」とごねていたのをリック・ベッソンの耳に入って、『TAXi』の主役に抜擢されたのだとか。どこまで本当かは分からないが、人生ぼやいた者勝ちかも。

 死んだかなと思わせて、実はちゃっかり生きていてラストに顔を見せるグロリア。
 愛に殉じてマチルダを救い、弟の敵を討つために爆死するレオン。
 映画のスタイルが違うからそこまでなのだろうが、ここに一つの男女の考え方の差が見える。
 母息子として2人でこれからの人生を送るグロリア。
 派手に死んで本人は満足だろうがマチルダはレオンが残した観葉植物を支えに孤独に生きる。
 エンドクレジット後のストーリーを考えると、レオンは死んで満足だったかも知れないが、残された物を考えると生き延びて欲しかった。それじゃ盛り上がらないだろっていうなら『グロリア』を観ろ。もちろんシャローン・ストーン版(1999)ではなく、ジーナ・ローランズ版(1980)な。

2005年11月15日

『レザボアドッグス』 掃き溜めに犬

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『レザボアドッグス』 (1991) RESERVOIR DOGS 100分 アメリカ 1993/05/12鑑賞

監督・脚本:クエンティン・タランティーノ 製作:ローレンス・ベンダー 製作総指揮:リチャード・N・グラッドスタイン、ロンナ・B・ウォーレス、モンテ・ヘルマン 撮影:アンジェイ・セクラ 編集:サリー・メンケ
出演:ハーヴェイ・カイテル、ティム・ロス、マイケル・マドセン、クリストファー・ペン、スティーヴ・ブシェミ、クエンティン・タランティーノ

-オレはいつでも燃えている その17-
 当時、就職で東京にいたので渋谷はスペイン坂の上にあるシネマライズという劇場で観た。
 翌週、同じく就職で東京にいた学生時代の先輩と新宿で会って遊んでいた。
で、
「レザボアドックス観たか?あれ格好いいよな」
先輩が話を振ってきて
「観ましたよ、格好いいですよね」
と盛り上がった。
 時間軸が前後し交差したストーリー構成、悪党どもの会話、黒ずくめの葬式帰りのような衣装、などなど2人で話し込んだ。
「中でもラストのホワイト、エディ、ジョーが拳銃を突きつけ合う三角形が良いよな」
「あの緊張感は最高ですね。実に美しい構図ですね」
「ジョーがオレンジを撃つ」
「それに反応してホワイトがジョーを撃つ」
「親父のジョーを撃たれたエディがホワイトを撃つ」
「・・・」
「・・・」
「じゃあ、誰がエディを撃ったんだよ。あいつも死んでたぞ」
「そういえばそうですね。・・・きっとあれですよ、ホワイトが即死しなかったのは、弾丸が体内で変形せずに貫通したんでしょう。でもって、あそこは倉庫で鉄骨とかが剥き出しですから、弾丸がチューン、チューンと跳ね返ってその跳弾がエディに当たった」
「んな、マイクロブラックホールが地球に衝突する可能性程度の仮説じゃなぁ。んー、ここであれこれ考えていてもしょうがないな」
「しょうがないですね」

 というわけで、山手線に乗って一路渋谷に向かった。もちろん目的地はシネライズ。

「いいか、ジョーは取り合えあえず無視してもいいだろ。俺はホワイトを見てるから、お前はエディを注意して見てろ」
「了解です」

 90数分が過ぎてついに問題のシーン。まばたきもせずに文字通り目をこらして画面に観入った。エディ役のクリストファー・ペンは『ペイルライダー』の頃が嘘のように丸々と太って美味そうだった。って、食うなよ、想像の中で丸焼きにすんなよ。
 そして観客席に灯りがついて声を揃えてこういった。

「ホワイトが2発撃ってるぞ(ますね)!」

 そう、エディに撃たれたホワイトは、撃たれたっというアクションを見せた後倒れざまに銃口をエディに向けて一発撃っているのだ。さすがプロだなという話になった。今にして思えば、すでに大学を卒業して社会人になっているというのに、先輩後輩してなにやってんだ。
 この考えも1秒にも満たない短い時間の出来事なので確実とは言えなかった。はっきりと確認できたのはビデオ化されて、そいつをコマ送りで観てから。スローや早送りして観るのは好きではないが、こいつは例外ということにした。

 今回の文章を書くために久々に観直したが、オープニングのカフェでコーヒーを飲みながら「マドンナの『ライク・ア・バージン』はこういう意味だ」とかどうでもいいことをしゃべっている男たち。そして面子が揃うとレンガ塀をバックにずらりと歩き出す。
 そして、次のカットではいきなり宝石店襲撃に失敗して警察から追われているシーンになる。オレンジ(ティム・ロス)は腹を撃たれて白いシャツが血で真っ赤だしもうなにがなにやら。そこから一気に映画に観客を引きずり込む脚本の妙技。普通の映画ならばじっくりと描く宝石店襲撃をあっさり省略してしまう大胆さには驚く。それに宝石店のセットを組んだり本格的なロケをやる予算がないしな。

 そしてホワイト(ハーベイ・カイテル)とオレンジが集合場所の倉庫に到着してからは、回想シーンなどは別にするとほぼ密室劇になる。
 故淀川長治氏が「舞台劇を映画化したのかと思った」といったぐらい、映画としてはちょっと変わったスタイルにも驚く。それに倉庫だけで大半のシーンが撮れれば合理的だ。予算もないしな。

 下手をすると単なる自主映画で終わっていたところを、ちゃんとした映画に仕上げていたのは、上記のようにタランティーノが予算やそのスタッフ・キャストで出来ることと出来ないことをはっきりさせ、中途半端にやってしょぼくなるだけならばいっそのこと切り捨てるというセンスの良さだろう。自主映画出身の監督にありがちな「やりたいことは分かるんだけどね。意欲は分かるけどね・・・」というのを感じさせない。
 脚本を気に入り、出演だけではなく制作にも関わったハーベイ・カイテルの存在は大きいだろう。他の若手出演者にとって手を抜けない現場だったと想像できる。
 タランティーノという名前はどこかで聞いたんだが、新人なんだよな。さてどこだったか?としばらく悩んだ。後に『ブルース・ブラザース』を観ていて、ジェイクとエルウッドが昔のバンド仲間を捜すシーンで登場する大家の名前がタランティーノだった。多分、これが頭に残っていたのだろう。
 現時点で、一番気に入っているタランティーノ作品が、この『レザボアドックス』だ。それ以降の作品は、タランティーノの映画オタクが悪い方で出てしまっているように思う。『キル・ビル』なんか、まさにそれだ。

2005年11月16日

『デルタフォース2』 チャックさんは麻薬王を倒すためなら他国だろうがお構いなし

『デルタフォース2』 (1990) DELTA FORCE 2:OPERATION STRANGLEHOLD 111分 アメリカ

監督:アーロン・ノリス 製作:ヨーラン・グローバス、クリストファー・ピアース 脚本:リー・レイノルズ 撮影:ホアオ・フェルナンデス 音楽:フレデリック・タルゴーン
出演:チャック・ノリス、ビリー・ドラゴ、ジョン・P・ライアン、ベゴニア・プラザ、リチャード・ジャッケル、ポール・ペリ

-オレはいつでも燃えている その18-
 学生時代、所属していたシネマ研究会の2つ上の先輩に「チャックさん」という人がいた。チャックさんが入部当時、「好きな俳優は?」と聞かれて「チャック・ノリスですね」と答えたばっかりにそんなあだ名になってしまったのだ。I沢という本名があるのだが、そちらで呼ぶ人はほとんどおらず、先輩ないし同期からは「チャック」、後輩からは「チャックさん」。
 チャック・ノリスが好きだと言ったばかりに、在学中の4年間ずっと「チャック」と呼ばれるとは本人も思っていなかっただろう。体毛は濃さげだった以外にチャック・ノリスに似ている部部分もなく、なぜ「チャック」が定着してしまったのだろうか。チャックさんは非常に存在感のある人で、例えて言うならば『アニマルハウス』でのジョン・ベルーシっぽい黙ってそこにいるだけで圧倒させる迫力と「チャック」という名がマッチしていたからかも知れない。

 そんなこんなでチャック・ノリス主演の『デルタフォース2』だ。『デルタフォース』(1985)という同じくチャック・ノリスの映画があるが、主人公チャック・ノリスの役名がマッコイであること。所属が対テロ特殊部隊デルタフォースであることを除けば、ストーリー的な繋がりはない。
 前作ではジェット機をハイジャックしたイスラム系テロリストと戦ったマッコイ(チャック・ノリス)たちが今回相手にするのはコロンビアの麻薬王。って、デルタフォースは対テロ特殊部隊だろ。麻薬組織と戦うのはちょっと違わないか?悪党どもによる犯罪組織ではあるが、テロリストとはちょっと違うだろ。
 この映画が製作された1990年頃といえば、CIAの友人が重傷を負ったことへの復讐のためにジェームズ・ボンドが麻薬組織に乗り込む『007 消されたライセンス』(1989)や、ジャック・ライアンがコロンビアの麻薬組織と戦う『今そこにある危機』(1994)、そしてその原作のトム・クランシー著『Clear and Present Danger』がアメリカで発刊されたのが1989年といった具合で、麻薬組織を敵にするのが流行っていた。ソビエトという敵に魅力がなくなり(ソ連解体は1991年)、ハリウッド映画が次なる敵としてとりあえず選んだのがコロンビアとその国内にある麻薬組織・麻薬王だったのだ。
 最近ではイスラム系などのテロリストに悪役の座を奪われてしまったが、麻薬問題がなくなったわけではない。生産し密輸してくる犯罪組織を糺弾することも必要だが、国内で麻薬を乱用している人々の実体や、麻薬断絶の方針方策なども重要ではないだろうか。

 麻薬王を演ずるのは我らがビリー・ドラゴ。爬虫類のようなぬめっとした雰囲気だが妙な色気があり、そして見る物を威圧する迫力と目つき。まさに悪役になるために生まれてきた男だ。それ以前のチャック・ノリスで端役を演じていたが、ついには影の主役に出世した。
 好きな俳優だったのでその後の活躍を期待したが、もう一つぱっとしないままだ。『トレマーズ4』(2004)で見かけたときはうれしかったが、あれはテレビ映画だよな。まあ、元気そうで何より。

 デルタフォースは麻薬組織壊滅のためにヘリを使って乗り込んでいくが、チャック・ノリスはそれに先だって単身コロンビアにパラシュート降下で侵入している。
 チャック・ノリスの狙いはもちろん麻薬組織壊滅でもあるが、それ以上にビリー・ドラゴに捕らえられガス室で処刑された部下にして友人の仇を討つためだ。ビリー・ドラゴが処刑のシーンをビデオに撮ってデルタフォースに送りつけてきて、それを見て怒りを抑えられなくなったチャック・ノリスが格闘訓練と称して隊員たちをつぎからつぎにボコボコにしていくところは名シーンだ。隊員たちは良い迷惑だが。
 麻薬撲滅といった大義名分よりも、個人的な復讐のために戦っていると感じさせるチャック・ノリスがイカす。

 アメリカはビリー・ドラゴが生産し密輸してくるコカインに苦しめられていたが、主権国家であるコロンビアに乗り込んでいって逮捕するわけにも。そこで、アメリカ上空を飛ぶジェット旅客機からビリー・ドラゴを放り出し、チャック・ノリスが落下中に捕まえるて自分が背負ったパラシュートで海に着水し、アメリカ領海内でビリー・ドラゴを逮捕する。このパラシュート無しでの高空からの落下はラストで再度登場し活かされる。
 それにしても、乗り込んでいって逮捕するのが出来なかったことから発生した事件を、最終的に武装した特殊部隊がヘリで乗り込んでいって、マシンガンやらロケットミサイルを撃ちまくって、爆薬で爆破してはいめでたしってのはどんなものだろうか。コロンビアにはいろいろ問題があるだろうが、独立した主権国家なんだしさぁ。
 例えば、日本で出回っている覚せい剤の中には北朝鮮で製造・密輸された物だという話や説がある。それが事実かどうかはここでは関知しない。ただ、自衛隊のレンジャー部隊がヘリで北朝鮮の覚せい剤工場を襲撃して、そこの人々を殺した上で工場を爆破し、覚せい剤王の金なんとかを空から落とす。といった具合に日本に当てはめてみると、この作品の無茶さがわかる。そこも含めてこの作品は好きなのだが、さすがアメリカというかなんというか。

 チャック・ノリスと敵側の長髪ハゲとの戦いがあるが、ここはさほど燃えない。チャック・ノリス自身はブルース・リーと一対一の対決をした『ドラゴンへの道』(1972)を観ればわかるように「燃える格闘戦」が出来る男。90年当初のハリウッド映画はまだまだクンフーや空手などの撮り方が上手ではない。

 監督のアーロン・ノリスはチャック・ノリスの実の弟。B級アクション映画をきっちりと仕上げてくるなかなか良い監督だと思うのだが、兄関連作品以外ではほとんど活躍しておらず、残念。

2005年11月17日

『ドラゴン怒りの鉄拳』 師匠の仇は俺が討つ

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『ドラゴン怒りの鉄拳』 (1971) 精武門 FIST OF FURY 100分 香港

監督:ロー・ウェイ 製作:レイモンド・チョウ 脚本:ロー・ウェイ 撮影:チェン・チン・チェー  音楽:ジョセフ・クー
出演:ブルース・リー、ノラ・ミヤオ、ロバート・ベイカー、ジェームズ・ティエン、橋本力

-オレはいつでも燃えている その19-
 この作品のことを「日本人が悪役だから嫌い」とか言うな。日本が上海を占領していたのは事実だし、劇中に登場する「犬と中国人の立ち入りを禁ず」という看板も実際にあったそうだ。時として映画にはロシア人やイスラム人、ユダヤ人にコロンビア人が悪役として登場する。それが当たり前ならば、日本人が悪役として登場するのもまた当たり前だろう。
「袴の前後が逆だ」とかいってこの映画を否定するのは止めろ。日本人出演者の橋本力はもちろんそれに気がついて、衣装担当に伝えたそうだが、「そんなの香港の観客は誰も気にしないよ」とそのまま撮影が進められてしまったそうだ。ちゃんとしろを衣装係とは思うが、精武門に潜り込んでいた日本人が、腹巻きを着用していたためにブルース・リーに正体がばれるなど面白いアイディアではないか。

 どうしても日本人が悪役であることが気になって楽しめないならば、映画の上映中は香港人になったつもりで観ろ。そうすれば、せっかくのブルース・リー最高傑作を楽しめると言うものだ。
 アメリカから香港に戻っての主演第一作『ドラゴン危機一発』(1971)ではまだ野暮ったさが感じられたブルース・リーだが、『怒りの鉄拳』では実にシャープで悲しみと怒りを秘めた男を演じている。パンチにしろ蹴りにしろ、より鋭さが増して実に強そうだ。
 ブルース・リーには珍しくノラ・ミヤオとのラブシーンがある。ノラ・ミヤオとはなんか野良猫っぽい名前だが、可愛らしい女優さんで、格闘シーンもがんばっている。
 終盤のロシア人格闘家との対決は、『ドラゴンへの道』でのチャック・ノリスとの対決と並ぶ名シーン。両腕を「ワックスかける、ワックス拭く」の要領でぐるぐる回すのがストロボアクションで描かれるところなど、妙に燃える。確実に倒した相手に、さらにとどめの一撃を加える容赦のなさが格好いい。
 にらみ合うブルース・リーとロシア人、そして悪玉日本人の3人がそれぞれ「ダッダン」という効果音と共に目がズームになるカットが繰り返されるシーンがある。観る度に、「最後の日本人のところは、目じゃなくて鼻にズームしてくれんかなぁ」と思ってしまうのは、オレの体質だ。
 出来れば、ラストの死闘はロシア人ではなくて日本人とやって欲しかったが、ちょうどいい人材がいなかったのだろう。もう数年後だったら倉田保昭が香港で活躍していたので、その対決を見たかった。
 ちなみに倉田保昭はリメイクに当たる『フィスト・オブ・レジェンド/怒りの鉄拳』 (1994)で主人公のジェット・リーと野原で対決していた。倉田保昭は悪役ではないので殺し合いではなく一種の手合わせ試合。後のインタビューで「寸止めしきれずに突きや蹴りが当たるとジェット・リーがびびって腰が引けてしまい、撮影が結構大変だった」と語っていた。ジェット・リーは拳法大会の優勝者だが、これは試合ではなく演武での型や美しさを競う物だったとか。中国拳法は組み手は余りやらないし、対戦による試合もあまりやらないので、格闘技としての強さは疑問視されている点もあるとか。
 チャック・ノリスも「本気で戦ったら多分俺が勝つよ。ブルースは腰が弱いからね」とか言ってた。うむむ、でもブルース・リーは格好いいし、格闘家以前に映画スターだからいいんだい。
 そうそう、格闘シーンだけではなく、丸眼鏡をかけた電話修理工や人力車引きなど、ブルース・リーのへなちょこな変装も楽しめる。

『明日に向って撃て!』(1969)と対比されることが多いラストシーンだが、対比というかまあパクリなんだが、映像はそのままでも意味合いはかなり違う。ブッチとサンダンスは死ぬと分かっていても逃げるために突っ込んでいったが、ブルース・リーは鉄砲隊を前に死ぬと分かっていても戦うために突っ込んでいった。そして流れる主題歌の『FIST OF FURY』が悲しい。『FIST OF FURY』は筋肉少女帯の大槻ケンヂがアルバム『ステーシーの美術』で日本語カバーしているが、燃えるぞ。俺の手は、怒りの鉄拳に変わるのさっ!

『精武門』は実際にあった事件をモデルにしているそうで、香港人お気に入りのストーリーだ。先ほどもいったようにジェット・リーもリメイクしているし、ドニー・イエン版もある。後日談を描いたジャッキー・チェン主演作もあり、何度も映画化されている。日本人にとっての『忠臣蔵』のようなものなんだろうか。
『喜劇王』(1999)の中でチャウ・シンチーが街角の舞台で演じているのも『精武門』だ。まあチャウ・シンチーは熱狂的なブルース・リーファンだから参考にならないか。

2005年11月18日

『クリフハンガー』 雪山の1億ドルを奪取せよ

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『クリフハンガー』 (1993) CLIFFHANGER 113分 アメリカ/フランス
監督:レニー・ハーリン 製作:レニー・ハーリン 製作総指揮:マリオ・カサール 脚本:マイケル・フランス、シルヴェスター・スタローン 撮影:アレックス・トムソン 音楽:トレヴァー・ジョーンズ
出演:シルヴェスター・スタローン、ジョン・リスゴー、マイケル・ルーカー、ジャニン・ターナー、レックス・リン

-オレはいつでも燃えている その20-
 オープニングのスタローンによる断崖絶壁でのフリークライミングにまず驚かされる。そして、谷を渡っている女性が張り渡されたロープから事故で落下していくのに度肝を抜かれる。
 これでもかという連打で観客の心を捉えた時点で、レニー・ハーリンとシルヴェスター・スタローンは半ば勝ったようなものだ。
 ちなみに、落下した女性はナップサックを背負っているが、実はそれがパラシュートだそうだ。落ちている途中でパラシュートを開き無事に着地。とはいえ、着陸点は平野ではないし、谷間なので風がどう変わるか分からず、一つ間違えれば山肌に叩き付けられる。危険度が高いこのスタントのギャラは10万ドル程度だったとか。(映画紹介の番組か何かで、以前ちょっと聞いただけなので、金額はうろ覚え。間違っている可能性は多分にあり)
 スタントに対するギャラとしてはかなり高額だそうだが、オレは100万ドルでもやりたくないので、この女性スタントマンの度胸には恐れ入る。

 あまり何も考えていないに違いないレニー・ハーリンの派手なアクションと、内面に傷を負ったとか屈折している主人公が好きなシルヴェスター・スタローンの、二つの要素が上手く噛み合っている。つまるところ、オープニングの山岳事故で女性を助けることが出来なかったことから心に傷を負って山を捨てたゲイブ(スタローン)が、1億ドルを巡って雪のロッキー山脈で悪投と戦い、トラウマを乗り越えて自分を取り戻す話だ。スタローンがいかにも好きそうなストーリーだ。
 当時、低迷していたスタローンが復活した作品だが、これ以降また低迷気味。がんばれ、スタローン。でも『ロッキー6』はやめとけ、スタローン。

 イタリアにある山脈で撮影した山岳ロケは見事な映像を見せてくれる。だが、セットで撮ったシーンは雪や氷が作り物であるのが一目で分かる。セット制作陣の腕が悪いのではないだろう。未来の宇宙船内部よりも、実際にある光景の方が、観客がある程度実物を知っているだけに、セットを組むのが難しいのだ。
 途中から1億ドルの存在が意味を失っていき、一種の意地の張り合いになるのが多少残念。個人的には最後の最後まで主人公側と悪党とが大量の現金を軸に動いて欲しかった。

 元恋人や親友だったハルとの和解は安っぽいドラマだが、まあ気にするな。
 ただ、断崖からパラシュートで飛び降りるのが趣味なバカガキ2人組や、老ヘリコプターパイロットは、せっかく味があったのにあまり活用されない。ここら辺が、やはりレニー・ハーリンの弱点か。

2005年11月19日

『ストリートファイター』(1975) 殴り殴られ蹴り蹴られ

B0009J8E2I.09.jpg『ストリートファイター』 (1975) HARD TIMES 93分 アメリカ

監督:ウォルター・ヒル 製作:ローレンス・ゴードン 製作総指揮:ポール・マスランスキー 脚本:ブライアン・ギンドーフ、ブルース・ヘンステル、ウォルター・ヒル 撮影:フィリップ・H・ラスロップ 編集:ロジャー・スポティスウッド 音楽:バリー・デ・ヴォーゾン
出演:チャールズ・ブロンソン、ジェームズ・コバーン、ジル・アイアランド、ストローザー・マーティン、マギー・ブライ

-オレはいつでも燃えている その21-
 同タイトルのジャン=クロード・ヴァン・ダム主演『ストリートファイター』はこちらへ。

 主演はチャールズ・ブロンソンにジェームズ・コバーン、そしてブロンソンの愛妻ジル・アイアランド。すでに全員故人というのが寂しい。
 遅咲きのチャールズ・ブロンソンはこの作品時ですでに54歳。だが、賭け試合のストリートファイトで見せる裸の上半身は引き締まっていてがっちりとした筋肉がついている。顔はオヤジだが身体は現役。

 舞台は1936年、不況時代のニューオリンズ。オープニングで遠くから走ってくる貨物列車にチェイニー(ブロンソン)が無賃乗車している。どうやら職もなく、浮浪者として各地を転々としているようだ。
 倉庫で行われている賭け試合を見たチェイニーは、負けた側のマネージャーであるスピード(コバーン)に、俺をファイターとして使ってみないかと声をかける。年を取っているチェイニーにスピードは難色を示すが、チェイニーが6ドルを元手として出したため、物は試しと昨日の雪辱戦に使ってみる。相手のファイターはまだ若く身体も大きく、誰もチェイニーに賭けようとはしない。ところが、試合開始の一発でチェイニーは相手をノックダウンさせる。
 こうして、寡黙でタフなファイターと、口八丁手八丁でインチキ臭いマネージャーの、ストリートファイトの旅が始まった。2人の友情物ではあるが、最初はお互いに相手を利用しようとしか考えておらず、その友情は旅の間に徐々に築かれたものだ。

 クンフーや空手など、足技があってスピード感重視のアクションがハリウッドに定着したのは割と最近だが、ボクシング形式の一発一発の重さ主体の殴り合いアクションはモノクロ映画時代に完成していた。その集大成がこの作品ではないだろうか。ストリートファイトなので蹴りも使うがメインは素手の拳によるパンチ。もともとは炭坑夫として働いていたブロンソンのパンチは、骨の奥にまで響くような重さを感じさせる。この力強さが強豪相手に連戦連勝というストーリーの説得力になっている。
 後半ではスピードが悪徳マネージャーや金貸しとのトラブルに巻き込まれる。その決着としてチェイニーは強敵と戦うことになる。相手のファイターは悪党の側で戦っていても戦士の誇りを持っている。チェイニーのパンチを食らいダウンしたときに、拳に握り混むことでパンチ力を強める短い金属の棒をボスから渡されるが、それを払いのけて立ち上がる。敵ながら格好いいぜ。

 脚本家として活躍していたウォルター・ヒルの監督デビュー作にして最高傑作。どうも、このウォルター・ヒルという人は、監督能力に容量があったようで、一作ごとにそれが減っていき、『ストリート・オブ・ファイヤー』(1984)あたりでそれを使い切ってしまった感じだ。
「俺は偉大な監督だ」と勘違いしてしまったようでもなく、映画を撮る姿勢は変わっていないと思うのだが、どうしてこうもダメ監督になってしまったのだろうか。ひょっとしたら、もともとの資質がダメ監督で、どういうわけか初期は面白い映画が撮れていたのかもしれない。

2005年11月20日

『ハード・ウェイ』 僕はアイドルスターを卒業したいんだよ

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『ハード・ウェイ』 (1991) THE HARD WAY 111分 アメリカ 1991/04鑑賞

監督:ジョン・バダム 製作:ロブ・コーエン、ウィリアム・サックハイム 脚本:ダニエル・パイン、レム・ドブス 撮影:ドン・マカルパイン、ロバート・プライムス 音楽:アーサー・B・ルビンスタイン
出演:マイケル・J・フォックス、ジェームズ・ウッズ、スティーヴン・ラング、アナベラ・シオラ、ジョン・カポダイス、LL・クール・J

-オレはいつでも燃えている その22-
 ハリウッドのアイドルスターとして人気者のニック・ラング(マイケル・J・フォックス)には、お気楽な娯楽大作のオファーばかりが来る。ニック本人は「僕はアイドルじゃない。演技だって上手いんだ。もっと大人の役がやりたい」とごねている。本格的な刑事物に主演したいと、テレビのニュースで見かけたニューヨーク市警の刑事ジョン・モス(ジェームズ・ウッズ)のタフガイぶりを気に入って、手を回して刑事の振りをしてジョンの捜査に同行することになる。
 ジョンはパーティーに乗り込んでは殺人を繰り返す“パーティークラッシャー”を追っている最中だったが、その捜査から下ろされニックのお守りをすることになる。それだけでも気に入らないのに、子持ちの恋人とも上手くいっておらず、イライラして何かにつけ悪態をつき怒鳴り散らす。その度にニックは「そうかこれは良いセリフだ」とメモをして、ジョンのしゃべり方や動きを真似しては喜んでいる。ジョンのストレスはたまる一方だ。
 ジョンは上司の命令に逆らい、独自にパーティークラッシャーの捜査を続ける。ニックはそれを助けるつもりで逆に足を引っ張るだけ。ついに堪忍袋の緒が切れてジョンは、同僚と一芝居組んでニックを追い払おうとする。そしてその裏切りが逆に、お気楽でちょっとワガママな映画スターニックを成長させることになる。

 刑事物には『リーサル・ウェポン』や『48時間』など、タイプの違う者同士が組む相棒物が多い。『ハード・ウェイ』はその一つと言っていいだろう。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズやTVシリーズの『ファミリータイズ』でスターになったマイケル・J・フォックスだが、ティーンエイジャーの役柄が固定されてしまった。そのマイケルが自らをパロディ化して見せたのがこの作品。他には、元子役スターだったがその後は鳴かず飛ばずで、タレント事務所のエージェントになったという設定の『ライフwithマイキー』(1993)などもあり、当時のマイケル・J・フォックスが悩み苦しんでいたのが感じられる。

 アクションもなかなかで、特にラストのタイムズ・スクウェアでの高層アクションが冴えている。ニック・ラングの新作『スモーキング・ガン2』の巨大な立体看板が効果的に使われている。ハラハラするし笑える。
 タイムズ・スクウェアといえば様々なネオンサインで有名だ。この作品では「キリンビール」「パナソニック」「JVC」「コニカ」「ミノルタ」「マクセル」「ミタ」「キヤノン」「オリンパス」などなど本当に数多くの日本企業の看板が映し出される。これは宣伝料とかもらっていたのだろうか?制作された1991年はすでにバブル経済が崩壊していたが、まだまだ余波は残っており、日本企業もまだそれなりに力があったのだろう。
 地下鉄の車内で、チンピラが銃を抜いた途端に、回りにいたユダヤ教のラビ(?)を含めた普通の民間人が銃を抜いてチンピラに向けて構えるところは、ギャグなのだろうが案外リアルな光景かも。それがジョンの登場で一転してシリアスになるのがイカす。
『スモーキング・ガン2』上映中の映画館で銃撃戦がある。様々な装飾が施され緞帳もあるクラシカルな劇場だ。名古屋駅前の地下にあった名古屋松竹座などを思い出す。もう無くなってしまったが、2階席や使われてはいないが桟敷席などもある立派な劇場だった。休憩時間には「おせんにキャラメル」ではなかったものの、アイスモナカ売りが場内を回っていた。なぜだか床がペタペタしていたが、あれはなんだったんだろうか。

 パーティークラッシャーがなぜパーティーを荒らすのか、その点については悪人を退治する自警団気取りの異常者という意外に説明がない。敵役として充分に歯ごたえはあるが、少々物足りない。パーティークラッシャー事件よりも、ニックとジョンのやり取りがメインと言うことなのだろうか。
 この作品のパーティークラッシャーはパーティー会場で銃を乱射するが、世の中にはパーティーで下品な会話を大声でしたり、酔っぱらって人に絡む連中もいるが、こいつらも充分にパーティークラッシャーだ。警察はこいつらも取り締まってくれないだろうか。

 監督のジョン・バダムは青春物、SF物、アクション物、スカイアクション物、コメディ物、サスペンス物など、どんな題材でもそれなりに仕上げる職人監督。大傑作も撮らないだろうが駄作も撮らない。とりあえず映画代と観るのに費やした時間を損したとは感じさせない。こういう監督がいて、ちゃんとした仕事をしているのがハリウッドの強みでもあるだろう。最近は名前を聞かないなと思ったら、劇場用映画ではなくTVムービーの仕事が中心になっているようだ。また映画も撮って欲しい。

 ニック・ラング主演の刑事映画がプレミア公開され、その会場にジョンを始め仲間たちが勢揃い。その劇中映画のエンディングクレジットが、そのまま『ハード・ウェイ』のエンディングクレジットになっている工夫が嬉しい。

2005年11月22日

『ハード・ボイルド/新・男たちの挽歌』 無敵の2分42秒

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『ハード・ボイルド/新・男たちの挽歌』 (1992) 辣手神探 HARD-BOILED 127分 香港

監督:ジョン・ウー 製作:リンダ・カーク、テレンス・チャン 脚本:バリー・ウォン 撮影:ウォン・ウィンハン 音楽:マイケル・ギブス
出演:チョウ・ユンファ、トニー・レオン、テレサ・モウ、ウォン・チョーサン、フィリップ・チャン、國村隼、ジョン・ウー

-オレはいつでも燃えている その23-
 なるべく毎日更新することにしているが、21日は文章を仕上げられなかった。
『ストリートファイター』(原題は『HARD TIMES(ハード・タイムス)』)、『ハード・ウェイ』と来たので、ハード続きで『ハード・ボイルド/新・男たちの挽歌』にしようと書き始めたのはいいのだが、「あの点も書きたい」「このシーンについても書きたい」「翌1993年にはハリウッドデビュー作『ハード・ターゲット』を撮っているが、両作品に共通したアイディアや描写についても書きたい」「チョウ・ユンファの格好良さはもちろんだが、トニー・レオンの渋さについても書きたい」、そんな具合に思いつくことをどんどん書いていった。結果、出来上がったのは単に長いだけで、ダラダラと要領を得ないことが書かれた駄文だった。くわっってなって21日は寝た。
 今日になって、昨夜書いた文章を読み直したが、やはりこのままでは使えない。それで、不必要と思えるところをカットしたり、文章の繋がりなどを整理しようとしたが無理だった。駄目な物に手を加えたってより駄目になる。それよりはいっそのこと一から書き直した方が早い。
『ハード・ボイルド/新・男たちの挽歌』については書きたいことが山ほどある。東森時音の時音(じおん)はジョン・ウーのジョンでもあるのだ。そのジョン・ウーが撮った最高傑作。もうこれでもかという派手な銃撃戦と、無茶な描写の数々。犯罪組織に潜入捜査している警官(トニー・レオン)と、友人だった同僚の仇を討とうと過激に悪を追う刑事(チョウ・ユンファ)の奇妙な友情。チョウ・ユンファが珍しくオートマチック拳銃ではなくリボルバーを愛用しているが、これもちゃんと意味がある。倉庫の中派手に繰り広げられた戦いの後、火薬の煙が薄れていく中、互いの姿に気付いて銃を突きつけあうチョウ・ユンファとトニー・レオン。そこで起きる出来事はチョウ・ユンファがリボルバーを使っていたからこそ成立した物だ。そこからチョウ・ユンファは、自分を殺せたのに撃たなかったトニー・レオンに単なる悪人ではない何かを感じる。そして、地下道での一発必中からラストの悪玉への一発と、リボルバーである意義が最大限に活用されている。
 ストーリーの完成度では『狼~男たちの挽歌最終章』に後れを取るが、ジョン・ウーのガンアクションの完成形、いや完成を通り越した究極形がここにある。
 これを全部書いていたら、それこそノベライズになってしまう。そもそも、映画の魅力を全て文章で表現するということに限界があるはずだ。そこで、後半の病院での銃撃戦についてだけ語ろう。その銃撃戦も延々と長いので、その中からたった1カットだけ。

 実を言うとオレは長回しというテクニックはあまり好きではない。実験映画臭さがどうしても匂ってきてしまう。そしてなにより、もう故人になってしまったが、「長回し」が大好きで「長回し=その監督」がすでに代名詞になっているある日本の映画監督がいた。ほとんどの作品で長回しのカットが登場するのだが、これがどうもどれも面白くない。長回しというのはしょせん技術。スローモーションやクロスフェードなどと同じく、その技術を使ってどんな表現をするかというのが重要なはずだ。だが、その某監督は、なんでここで長回しが必要なの?というカットでも長回しを使ってくる。これはきっと、長回しで何を表現するかという手段としての長回しではなく、長回しが好きだから長回しのカットを入れるという、「長回しのための長回し」になっているのではないかとオレは考えている。つまり長回し自体が目的となっているということだ。
 それはやはり違うのではないかと思う。この某監督はディレカンことディレクターズ・カンパニーが倒産したときの座談会でベロベロに酔っぱらって、「どうせみんな俺が悪いんだよ」とウダウダ言っていた。そうだよ、お前が悪いんだよと誌面に毒づいてしまった。作品としての映画と監督の人格には関係はないが、オレはこの某監督が嫌いだった。今でも嫌い。
 まあそれはいいとして、『ハード・ボイルド』で繰り広げられる長回しは相米慎二の「ただやってみました」な長回しとはわけが違う。(あっ、名前言っちゃった)
 ショットガンを持ったチョウ・ユンファとM92F(セイフティがきちんと判別できなかったがひょっとしたらタウルス社のコピー品かも)とサブマシンガンのMP5で武装したトニーレオンが、病院の廊下を進みながら待ち受ける敵と激しい銃撃戦を繰り広げる。病室の中には敵が潜んでいて、その敵からトニー・レオンが腹に一発食らったりもする。チョウ・ユンファのショットガンはちょっと誇大表示じゃないかという猛烈な破壊力で、弾が当たった壁やカウンターは爆発したように砕け散る。トニー・レオンのMP5はフルオートで軽快に動作し、空カートをスムーズに排出する。撃たれた敵にはちゃんと着弾効果が施され、胸や腹から血を流して倒れる。
 これらがずーっと1カット。だが、まだ驚いちゃいけない。
 二人はエレベータに乗る。そのエレベータの中で、銃撃戦のさなかに味方の刑事を撃ち殺してしまいショックを受けているトニー・レオンに、チョウ・ユンファが説教をする。「最大の敵は自分だ」とか言ってる内容はいまいちよく分からないが、エレベータの扉が開くとそこは別の階。そこで待ち受けていた敵とまた銃撃戦が始まる。
 そしてしばらくして、ようやくとカットが変わる。そこまでの長さが2分42秒。映画史上最強無敵な長回しである。撮影後の処理でスローモーションに加工されている部分があるので、厳密にリアルタイムで考えるともう数秒短くなるだろう。それでも銃撃戦の長回しで、エレベータで別の階に移動し、しかもエレベータの中では芝居のやり取りがある。よくもまあこんなカットを撮ろうと思ったものだ。もうね、すごいよホント。
 ただ単に廊下を歩いて、エレベータで次の階に行っただけなら別に驚かない。銃撃戦ですよ銃撃戦。敵や壁などに仕込んだ弾着の仕掛けの数や、それを作動させるタイミング。ガラスを突き破って飛び出してくる敵までいて、まずはセット(さすがにセットだと思うのだが)の設計から人の動きの設定。それを元にした入念なリハーサル。あちこち爆破したり壊したりするので基本的に本番一発で撮り終えねばならない。さぞ緊張した撮影現場だったことだろう。
 当然、撮影に使われたのは空砲だが、ショットガンはともかく、MP5がトラブルなくフルオートで動いてくれるかはかなりの賭けだったはず。オートマチック銃というのは弾丸を発射した反動や発砲時に発生したガス圧でスライドやボトルを動かし、空薬莢を排出して次弾を装填する。空砲の場合は当然反動はないし、ガスは銃口から抜けてしまう。そこで銃口を塞いで発生したガスをオートマチック動作に集中させることで連射を実現している。その銃口の栓(でいいのかな?)には多少の穴が開けてあって、発砲時のノズルフラッシュを表現する。よってブローバック動作にガス全てを使えるわけではなく、いくらクローズド・ボトルで機関部の密閉率が高く、ガスが無駄に漏れないMP5でもフルオートでの発砲シーンは撮影がかなり難しいそうだ。撮影の途中でMP5がジャムったりするとそこで撮影は中断。トラブルを直してもまたそこからスタートというわけにはいかず、壁の壊れた部分や俳優の着弾装置などは元に直してまた頭からスタート。ううっ、考えただけで胃が痛くなりそうな現場だ。ひょっとしたら、銃にトラブルが生じた場合は、その銃は捨てて別の銃を使うことで途切れさせずに撮影を進めるという考えだったのかも知れない。
 この2分42秒の長回しは、オレ達観客に、緊張感と自分がその場にいるような臨場感を与える。そう、東京ディズニーランドやユニバーサル・スタジオ・ジャパンのライドは基本的に自分が映画の中にいて1カットで味わう物が多いが、そんな臨場感だ。今にして思えばちょっとFPSゲームっぽくもある。ザ・ロック主演でFPSの名作『DOOM』が映画化されたようだが、アクションシーンとかどうするんだろうか。海外のオフィシャルサイトで予告編を観たが、FPSそのものに登場人物の一人称で宇宙船だか基地だかの中を走り回るカットがあったが、あれは本編でも使われているのだろうか。だとしたら3D酔い対策として、映画館のシートには飛行機や観光バスと同じように、エチケット袋を用意すべきだろう。
 こんな無茶なカットを考えついただけではなく、実際に撮ってしまったジョン・ウーと製作スタッフのバカっぷりには惜しみない賞賛の拍手を贈りたい。

 ビルの中で敵を倒しながら階段を上っていって先へ進む、という長回しでは村川透の『最も危険な遊戯』(1978)が有名だ。松田優作の『遊戯シリーズ第一作』であるこの作品は、松田優作うんぬんを別にして面白い傑作だ。この長回しを担当したカメラマンはあの仙元誠三で、1カットに見えて実は暗がりになったところを利用してすかさず別のカメラに切り替えて撮影したそうだ。厳密には「1カット」ではないが、細かいことをとやかく言うな。
「石井輝男が好きで影響を受けてるね」と語っていたようにジョン・ウーは日本映画にも詳しいようだ。『男たちの挽歌』関連のインタビューだったので、石井輝男のギャング物について言ってるのだと思うが、『徳川いれずみ師 責め地獄』(1969)とかだったらどうしよう?うれしいなぁ。だから『最も危険な遊戯』も観ていて、そこからアイディアのヒントを得た可能性はある。インスパイヤっつーやつですか。

 オープニングの中国喫茶店で、拳銃の密売取引をしていた犯罪者と、連中を狙って張り込みをしていた刑事、そして謎の殺し屋(日本人俳優の國村隼。一言もしゃべらないし日本人であるという描写も見あたらない。単にジョン・ウーが顔を気に入ったとかなんだろうか?)による撃ちまくりの銃撃戦が始まる。
 犯罪者も撃たれて死ぬ、警察側も撃たれて死ぬ。だがそれ以上に、店にたまたま居合わせた一般の客が撃たれて死ぬ。悪党どもはまるっきり容赦なく客たちを殺していく。本当にどんどん死ぬ。どうかんがえても店にいたはずの客よりも撃ち殺される客の方が多い。これはきっとあれだな、端役は1人見かけたら30人は隠れていると言うからな。言わないか。
 病院では騒動の中、避難中の松葉杖でようやくあるくような入院患者を、悪玉が通るのに邪魔だと、バリバリと容赦なく撃ち殺してしまう。ここで悪人側の残虐さと、それに対して任侠貫こうとボスに刃向かう眼帯の殺し屋がそれぞれ良い。
 これら容赦が、脚本が『検事Mr.ハー/俺が法律だ』などのバリー・ウォンだと聞いてなんとなく納得。ちなみに同姓同名の映画監督もいるので混同しないように。
 まあつまり「観て」。つーか「観ろ!」

2005年11月23日

『超高層プロフェッショナル』 どんな題材だってアクション映画になるのだ

『超高層プロフェッショナル』 (1979) STEEL 102分 アメリカ

監督:スティーヴ・カーヴァー 製作:ピーター・S・デイヴィス、ウィリアム・N・パンザー 製作総指揮:リー・メジャース 脚本:ライ・チャップマン 撮影:ロジャー・シェアーマン 音楽:ミシェル・コロンビエ
出演:リー・メジャース、ジェニファー・オニール、アート・カーニー、リチャード・リンチ、ジョージ・ケネディ

-オレはいつでも燃えている その24-
 アクション映画と言われると、まずは銃撃戦や殴り合い、そしてカーチェイスなどが思い浮かぶ。だがそれらの要素がアクション映画に向いているだけであって、「=アクション映画」ではない。そのことを証明しているのがこの『超高層プロフェッショナル』だ。
 一言で説明すれば、期日までにある高さまでビルを組み上げる映画だ。敵役の建築会社に忍び込んで倉庫から資材を盗み出したりはするが、ほとんどは汗くさい男たちが全力で鉄骨を運び、クレーンを操作し、ボルトとナットを留めていくシーンで構成されている。そして、それがきっちりアクション映画しているのだ。くわー、燃えるぞ。

 街の象徴になるほどの高層ビルを建築中である。その現場を視察に来ていた建築会社の社長は、たまたま発生したガス爆発の事故から作業員を救助している際にビルから落下して死ぬ。叩き上げの社長役はジョージ・ケネディだが序盤で退場とは少々残念。
 社長の弟は堅実実直だった兄に似ず、腹黒い悪徳業者。兄の死に乗じてビル建築を自分の会社で乗っ取ろうとするロクデナシで、こんな業者が耐震強度を偽装したりして、手抜きなビルを造るのだろう。うむ、時事ネタ。
 社長の一人娘キャスは、父の意志を継いでビル建設を続けようとするが、3週間で9階分を組み上げねば、建築作業の権利が敵の会社に移ってしまう。そこで高層ビル建築のプロであるマイク・キャットン(リー・メジャース)に助けを乞う。ある事故をきっかけに建築業から身を引いていたマイクだが、キャスの熱意に動かされ現場に復帰する。昔の仲間である高層ビル建築のプロ、“超高層プロフェッショナル”たちを集めたマイクはビル建築に取りかかる。敵からの妨害を受けながらも作業は進むが、このままではあと一息で期日に間に合わない。そこで、マイクは一発逆転の秘策を思いつく。

 監督は『ビッグ・バッド・ママ』(1974)や『テキサスSWAT』(1983)、そして『サンダー・ブラスト/地上最強の戦車』(1987)など熱い映画を手がけたスティーヴ・カーヴァー。『デス・リバー/失なわれた帝国』(1989)は「なんじゃこりゃ」と叫びたくなる駄作だったが。
 言ったように、この作品には銃撃戦やカーチェイスは登場しない。殴り合いは多少出てくるが、そこが主題ではない。プロフェッショナルたちがひたすらにビルを組み上げていく。そんな題材だってアクション映画になるのだ。アクション映画とは、そこにスタントなどの物理的なアクションの描写が登場することではないことがよく分かる。
 日本ではNHKの『プロジェクトX』から「VHSを作り出した人々」のエピソードが『陽はまた昇る』(2002)として映画化されたが、お涙頂戴物のクソ映画だった。このエピソードだってその気になれば燃えるアクション映画になるぞ。

 主演のリー・メジャースは1970年代のTVシリーズ『600万ドルの男』でスターになった人物。この作品では自ら資金の一部を提供して、製作者としても活躍している。
 おそらく、リー・メジャースなくしてはこの映画は企画段階で終わっていたはず。さすがは元祖サイボーグ。

2005年11月25日

『機動警察パトレイバー THE MOVIE』 暴走OSの謎を解け

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『機動警察パトレイバー THE MOVIE』 (1989) 98分 日本

監督:押井守 プロデューサー:鵜之沢伸、真木太郎、久保真 脚本:伊藤和典 美術監督:小倉宏昌 音楽:川井憲次
出演:古川登志夫、冨永みーな、大林隆介、榊原良子、井上瑶、池水通洋、二又一成、郷里大輔、千葉繁、阪脩

-オレはいつでも燃えている その25-
 中学時代に『うる星やつら』のファンだった。週刊サンデーは毎週買って、アニメも観ていた。当然、劇場版も観に行った。そして、『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(1984)で『うる星やつら』という要素ではなき「映画」として衝撃を受け、押井守という名前が頭に刻まれた。だが、実写一作目の『紅い眼鏡』(1987)で駄目だこりゃと忘れた。忘れるの早いな、おい。
 だから『機動警察パトレイバー THE MOVIE』は劇場で観てはいない。オレはすでに大学生で、しかも大学のシネマ研究会に所属していた。今の映画研究会ではどうなっているか知らないが、1980年代末はまだ「アニメなんか映画じゃない」という風潮があった。そのせいか、名古屋でも単館上映はされたようだが、他の部員から「観てきた」という話は聞かなかった。
 他の作品を目当てでレンタルビデオ屋に行ったが貸し出し中で、それじゃあまぁと消極的理由で借りてきた。でもって、これでもかぁってぐらいに燃えた。

 他のサイトなどで散々語られているだろうから細かいことは言わない。
 とにかく、細かく張り巡らされた伏線が一気に弾ける後半が良い。シゲさんの下宿先でHOSの暴走について調べているシーンで、低周波の共鳴、箱船、台風がガガガっと繋がるところは背筋がぞくぞくしてくる。
 箱船に乗り込んでからはうだうだとややこしいことを言わずに、アクションで物語を構成しているところも実に良い。なにしろ押井守という人はうだうだ言いたがりだし、それがまたつまらないのだ。個性ではあるんだろうが。
 下宿同士が近かった先輩が遊びに来たときに、「これ、めっちゃ面白いっすよ」と観せた。先輩はサム・ペキンパーなどが好みでアニメと聞いてあからさまに嫌な顔をされたが、そこを無理矢理観てもらった。
 感想は「うん、面白いね」だった。つまらない物を観させられたら正直につまらないと言う人なので、事実面白がってくれたのだろう。こういう時は妙に嬉しい。

『機動警察パトレイバー2 THE MOVIE』(1993)の時はすでに社会人。渋谷の映画館まで観に行った。
 すごく期待して劇場に入っていったのだが、出てくるときはがっくりと肩を落としていた。
「ナンデスカ、コレハ?」
 全編を通してうだうだうだうだ。意味不明と難解とは違う物だろうに。1作目では色々な制約があり、押井守が勝手気ままに王様として振る舞えなかったのだろう。その制約が娯楽性と作家性という時に相反する要素を融合させていたに違いない。おそらく押井守という人は好き勝手にやらせちゃ駄目な人なのだ。多分この人はテリー・ギリアムとタイプが似ているんじゃないかなとも思う。

 まぁなんだ、アニメは実写よりも位置が下だ、アニメだからけなすという姿勢は嫌いだが、アニメだから誉めるという姿勢も嫌い。
 HOSの暴走は悪意の存在の有無は別にしてどことなく2000年問題を思わせる。そう考えるとかなり先進的なストーリーだった。
 ところでHOSの正体はWindowsMeないしMacOS8だったって噂は本当か?そりゃ暴走もするわ。でもほとんど一人で開発した点や操作画面などを見るとむしろLinux?しかし、ビル・ゲイツなりスティーヴ・ジョブズなりが悪意に走って、OSそのものにウイルスなりスパイウェアを仕込んだなどと想像してみると、これは実に怖ろしい。事実、SONYは音楽CD(もどき)にスパイウェアを仕込んでるしな。もはやOSベンダーやソフトベンダーを安易に信用できない時代。うむ、怖ろしい。