
『シコふんじゃった。』 (1991) 103分 日本 1992/2/14鑑賞
監督:周防正行 製作:平明暘、山本洋 プロデューサー:桝井省志 脚本:周防正行 撮影:栢野直樹 美術:部谷京子 編集:菊池純一 音楽:周防義和
出演:本木雅弘、清水美砂、竹中直人、水島かおり、田口浩正、宝井誠明、梅本律子、柄本明
三部リーグのビリッケツ。教立大学の相撲部は部員一人の貧弱で激弱な学生相撲最底辺のチームだ。
部員不足で試合に出られないところを、相撲部の顧問で元学生相撲の学生横綱だった穴山教授(柄本明)が、卒業に必要な単位を餌にして主人公・秋平(本木雅弘)を「一試合限り」の約束で相撲部に入部させる。春秋テニス、夏サーフィン、冬はスキーの遊びサークル「シーズンスポーツ愛好会」所属の秋平にとって、ふんどし(ま・わ・し)を締めて人前に出るなど恥以外の何物でもないが、一流企業に内定も決まっており卒業のためにと我慢する。
そして秋平の弟で貧弱な体付きの美少年春雄、肥満児で緊張すると右手と右足が一緒に出る田中、イギリスから来たラガーマン留学生スマイリー、そして唯一の正式部員で根っからの相撲好きだが極度の上がり症のため一度も勝ったことのない青木を合わせた5人の部員が取りあえず揃い、慣れないふんどし(ま・わ・し)を締めて土俵に上がる。しかし、見るからに弱そうなチームと対戦してもボロ負け。残念会の席でOBにボロクソにけなされてカッとなった秋平は
「勝ちゃいいんだ ろ!勝ちゃ!勝ってやろうじゃねぇか!勝ってやるよ!絶対に勝ってやる! なぁみんな!」
と啖呵を切ってしまい、珍相撲部の珍スポ根が始まるのであった。
というのが『シコふんじゃった。』について一般的に語られる物語だが、少し角度を変えてみると春雄に憧れてマネージャーとして入部した恋する肥満少女の正子と、穴山の助手で相撲部名誉マネージャー(自称)の夏子の二人が主役をつとめるもう一つの物語が見えてくる。
大相撲の大阪場所で女性大阪知事が表彰式のためなのに土俵に上がらせてもらえないという出来事が続いている。
「女性は土俵に上がっちゃいけない。神聖なる土俵が汚れる」とかいったしきたりが理由らしい。
大相撲協会側の言い分も理解できる。うん、しきたりじゃしょうがないよね。断固として拒み続けるわな。だって、一度でも土俵に女性を上がらせてしまったら、「しきたりなんて何の意味もない」というのがばれてしまうものな。
しきたりに意味がないのがばれたら、ふんどし姿(まわしなんだけど・・・)に意味がないのも、ちょんまげに意味がないのもばれてしまい、大相撲そのものが崩壊するおそれがある。
他の伝統芸能において一つのしきたりを破ることを許したために、結果ボロボロになって地に落ちてしまった例は幾つもあるから、それを知っている大相撲は決して女性が土俵に上がることは許さないだろう。
でもね、女性本人にその気があったら実は土俵に上がるぐらいのことはひょいっとやってしまうのだ。その気っていうのは恋する想いと言い換えても良い。
『シコふんじゃった。』とはそんなしきたりとかを平気で破ってしまう、実はパンクでアナーキーで過激な映画なのだ。
正子を演ずる梅本律子は、明星かなにかの誌上で募集した「極度の肥満」が条件という異例なオーディションで、見事選ばれた素人だそうだ。当然セリフ回しも上手くない。選考基準通りの極度の肥満で愛嬌のある顔つきだがはっきりいってブスだ。そして、この正子こそ『シコふんじゃった。』のもう一人の主役である。
春雄に心の底から惚れている正子は春雄のことしか見えていない。春雄のためならなんでもするぐらい一途でまっすぐな想いだ。
春雄が強豪校相手の試合で負傷したときに、正子は「女性は土俵に上がってはいけない」という「しきたり」などまったく気にもせずドスドスと春雄の元に駆け寄る。口うるさい審判や関係者が文句を言ってくる暇も隙も与えないほどの本当にまっすぐな想い。
そしてその翌日に待っていたのは二部リーグへの昇格を決める試合だった。春雄が腕を骨折して出場できないために人数不足で出場は辞退するしかないかと思われた。だが、正子は強い意志を秘めた眼で皆にこう告げる。
「あたし、出ます。春雄の代わりにあたしが戦う」
部員たちの制止もふんどし姿になる(まわしだっつってんだろ!)ということも、正子の決意をくつがえすことは出来なかった。
そして正子は土俵に上がった。長い髪はちょんまげに結ってごまかし、胸は肩を痛めたということにしてさらしで隠してはいるが、まわし姿の正子が土俵に立っている。
このシーンの美しさに泣いた。
単に絵だけを見ればブクブクに太った女の子がまわしを締めて土俵の上にいるだけだ。だがそのシーンに存在する正子の思いが圧倒的なまでに美しいではないか。恋する乙女という称号は美少女だけに与えられる物ではない。不細工な女の子だって恋する乙女になるのだ。でもって、恋する人間は普通なら無理だろということを、時に躊躇もなく軽々とやってしまうのだ。
そして周防正行という監督の残酷さにも驚いてしまう。「太った」「醜い」「素人」の「女の子」をまわし姿でスクリーンに映し出す。よくもこんなシーンを思いついた。よくもこんなシーンを実際に撮った。いくら本人が納得しているとはいえ、鬼だこの人は。NHKBS2の小津安二郎特集で作品案内に登場して白髪混じりの頭で人の良さそうな口調で話していたが、本当はきっと嫌なヤツだ。そして嫌なヤツで鬼だからこんな美しいシーンが撮れるのだろう。そもそも良い映画を撮る監督ってのはたいがいひねくれ者で嫌なヤツなのだ、多分。
映画のラストで正子と春雄はつきあい始めて一緒にロンドンに留学するべく旅立つが、脚本と同じく周防正行自身が書いた小説版のラストは大きく違う。春雄は正子の想いに心は打たれるものの、「正子もボクには向いていないと思うんだ」とその正子を受け入れることなくあっさり振ってしまうのだ。
おそらく周防は映画では観客が望み歓迎するハッピーエンドを選んだが、本当にやりたかったのは小説版のラストだったに違いない。美しいまでに一途な想い、だがそれが相手に通じるか、通じたから結ばれるかは分からない。すごく残酷だよな。
しかも小説版だと最後の試合で秋平負けてるし。
そして、正子と対照的な存在の夏子。細身で美しく、おそらくは穴山に憧れており、ひょっとしたら男女の関係であるのかもしれない。だが、その点はあまり描写されないし、そもそも夏子自身の意見というか感情があまり表現されていない。ひたすら一途な想いが描かれていた正子と違い、どうにも何を考えているのか分からない。
相撲部の名誉マネージャー的立場ではあるが、相撲に愛着がある様子でもなく、穴山が顧問を務めているという理由だけで消極的に相撲部と関わっている。
自らの強い意志で土俵に上がった正子が対戦相手に負けて打ち倒されたときに、夏子は思わず土俵に駆け上がりそうになるが寸前で気付いて立ち止まる。そしてきちんと土俵を迂回して正子の元へと行く。やはり対照的だ。
そんな相撲と距離を取っていた夏子が映画のラストでようやく土俵に上がる。土俵の手前で足を揃えて、一瞬止まった後で土俵に上がる。そして、たった一人の相撲部員となってしまった秋平と一緒にシコをふむのだ。
そして一言。
「ついにわたしも、シコふんじゃった。」
穴山には妻がいて、夏子とは愛人関係。夏子はそれでもかまわないと思っていて、いわゆる日陰の女としてひっそりと暮らしてきた。それが正子や秋平たちの影響を受けて、自分の意志で動き始めた、と考えることも出来るが、そこら辺の描写は映画にないのでオレの憶測。
とりあえず周防正行にはとっとと次回作を撮ってほしい。『Shall we ダンス?』のアメリカ公開やハリウッドリメイクなどで忙しかったようだがそちらの仕事ももう終わったはず。待たせすぎだぞ。体を悪くしたとかじゃないかと心配したんだから。何で親戚でもない人の健康を気遣わなきゃならんのだ。
親戚といえば音楽を担当した周防義和とは従兄弟だそうだ。ちなみにオレは最初この「周防(すおう)」という苗字が読めませんでした。「しゅうぼう?すぼう?」てな感じで。
コメント (2)
レビューを読みましたが、やはり、よい喜劇を
作るには、徹底的に特徴ある人を笑いものにする冷酷さと、逆にそういった人たちにも脚光をあて、感情移入させるための「やさしさ」と
いう二つの相反するものをうまく使えないと
だめみたいですね。最近は、口当たりのいいものを作ろうとして、逆にキャラクターをこばかにする冷酷さしか伝わらないような笑えない日本の喜劇が増えているような気がします。おそらく、それはこの作品と「スイングガールズ」の決定的な違いではないかと。
Posted by: ネスカフェ | 2005年10月15日 11:58
日時: : 2005年10月15日 11:58
ネスカフェさんへ
水田恐竜というH系4コママンガ家がいるのですが、この人がコミックスの余白を使ったオマケマンガで「ギャグってのは結局差別だよな」という発言をしています。
確か中島らももどこかで同じようなことを書いていた記憶があります。私は「そうじゃないギャグもあるんじゃないかな。なかったらオレが作る」ってなことを思っていますが、「バナナの皮ですべって転ぶ」といいう古典的なギャグにしても、転んだ人物を「馬鹿だな」と見下すことで笑いが生じているので、ギャグとは差別だというのにはかなりの部分で納得しています。
泣いた映画という論点で書いていますので『シコふんじゃった。』の喜劇的側面に関してはほとんど触れていませんが、登場人物たちの情けなさやみっともなさによって生み出される笑いがかなり多く、だからこそ後半で強くなっていく彼ら・彼女らの姿がより素晴らしい物になっているのは間違いないでしょう。そこら辺の計算をきっちりして映画も観客をも掌握している周防正行という人はやはり嫌なヤツです。
『スイングガールズ』に関しては2004年9月11日のエントリで書いていますが、『ウォーターボーイズ』が『シコふんじゃった。』の劣化コピーでしかないのに、さらにその自作をまた劣化コピーしてどうするんじゃい、という感想しかありません。
映画から判断するに矢口史靖は良いヤツなんでしょう。だから登場人物に対しても冷酷になれない。心底突き放した描写が出来ない。
うむむ、良いヤツは映画監督なんかになるなっ!
Posted by: 東森時音 | 2005年10月15日 19:06
日時: : 2005年10月15日 19:06