
『センチメンタル・アドベンチャー』 (1982) HONKYTONK MAN 123分 アメリカ
監督:クリント・イーストウッド 製作:クリント・イーストウッド 原作:クランシー・カーライル 脚本:クランシー・カーライル 撮影:ブルース・サーティース 音楽:スティーヴ・ドーフ
出演:クリント・イーストウッド、カイル・イーストウッド、ジョン・マッキンタイア、ヴァーナ・ブルーム、マット・クラーク
この文章を書くために『センチメンタル・アドベンチャー』を観直して気持ちがへこんだ。そこから復活するまで3日を要した。
つらいよね、切ないよね、心の奥底を打ちのめされるよね。美しい映画だが鬱が入ってるときに観る作品ではないな。
時は大恐慌時代のアメリカ。とある西部の農家に砂埃を巻き上げる強風が吹いてくる。そしてその風とともに自動車に乗って現れるのが各地を転々としながら流しのカントリー歌手(HONKYTONK MAN)として生きているレッドだ。このオープニングですでに背筋がゾクゾクしてくる。
テネシー州にあるカントリー&ウエスタンの聖地ナッシュビルで開催される音楽の祭典「グランド・オールド・オープリー」のオーディションから声がかかったレッドは旅費を無心するために姉夫婦の元を訪れたのだ。
肺を病んで調子の悪そうなレッドを心配した姉は息子の少年ホスを運転手も兼ねて同行させることにする。さらに姉夫婦の夫側の父親、つまりホスの祖父が「テネシーに戻って向こうで死にたい」と言い出したため3人を乗せた車はナッシュビルに向かって走り出す。
『センチメンタル・アドベンチャー』という甘甘なタイトルが付いているが、原題は『HONKYTONK MAN』だ。作中の歌詞では「しがない流し」と翻訳されている。Rolling Stonesに『HONKYTONK WOMEN』という1969年のヒット曲がある。タイトルを決める際にまったく無関係だったということもないだろう。何らかの影響はあったに違いない。『センチメンタル・アドベンチャー』には脚本も手がけたクランシー・カーライルの原作があるが、こちらもタイトルは『HONKYTONK MAN』なんだろうか?
HONKYは黒人から白人に対する蔑称で、あえて訳すならば「白んぼ」だろうか。HONKYTONKで白人向けの安酒場の意味になり、そこから転じて安酒場で演奏されるような安っぽいジャズやカントリー音楽のことを指すそうだ。
作品自体も「センチメンタル」という言葉から一般的に連想されるような甘ったるさはほとんどなく、むしろシビアでつらい。
主人公はクリント・イーストウッド演ずるレッドではなく、実の息子カイル・イーストウッドが演ずるホスだ。西部の貧乏農家で生まれ育ったホスが荷物を下ろすためにレッドの自動車に乗り込み運転席に座って実に嬉しそうにハンドルを握ってみる。そして助手席に落ちていたレッドのカウボーイハットを頭に乗せ、後部座席にあるギターケースを開けて砂埃だらけの車の中で唯一きらきらと磨きがかかったギターの弦をつま弾く。この短いシーンの中に、少年が綿花詰みという地味な仕事をしている父親と比べて自由かつ華やかに生きている叔父のレッドに憧れていること、まだ見ぬ広い世界への思い、そして自らも貧乏農家を飛び出して歌手になりたいという夢が描かれている。それらの夢や思いがナッシュビルへの旅の中で現実とぶつかり、少年が男へと成長していく様子が描かれるのだ。
「テネシー州で死にたい」と言ったのはホスの祖父だが、これは根深い結核を病んだレッド自身のセリフでもあるだろう。
オーディションに出てオープリーに出場するためにナッシュビルに来た。そのオーディションを聴いたレコード会社の人間から申し出があって念願のレコード録音を行った。しかし、何よりも死に場所を求めてレッドはナッシュビルに来たのではないか。
レコーディングの最中にレッドが咳き込んで苦しむが、すかさずバックバンドのミュージシャンがヴォーカルを引き継いでレコーディングは途切れずに進められる。スタジオの隅で汗を流しながら苦しむレッドの姿と回り続ける録音用レコードの対比がなんとも怖ろしく、それゆえに素晴らしい。
レッドの最後は何を格好いい事を言うでもなく、ありがちなメロドラマでもない。レッドたちにつきまとってきた娘マリーンに昔愛した女性メリーの幻を見て「メリー、愛してる」と告げそのままあっけなく息を引き取る。これがなんともドラマチック。
金がないためにレッドの墓石も建てられずただ墓穴を掘って棺桶を埋めるだけ。この埋葬のシーンでホスがギターを弾いて追悼の歌を歌うところでオレは泣く。黒人の墓掘りが帽子を胸に当て、そしてホスと一緒に歌う。これで余計と泣く。墓掘りはこのシーンにしか登場しない通りすがり的人物だが、この墓掘りを始めとして端役の使い方が実に上手い。
あちこちが故障してヘッドライトも一つしかなかった自動車はレッドの埋葬とともについに動かなくなった。
レッドのギターだけを形見に、ホスは両親の待つカリフォルニアへと自分の足で歩き出す。
その旅に付いてくることになったマリーンは酔っぱらったレッドと一夜を共にしているが、ひょっとしたらレッドの忘れ形見をお腹に宿しているのかもしれない。
そして、若い男女が乗った車のカーラジオからレッドの歌が流れてくる。
留置所からの脱獄シーンや警官とのやり取りなど中盤までは笑わせてくれるシーンもあるが、全体的に抑揚を抑えたイーストウッドの演出が逆に観客の心に強く訴えてくる。
8~10日の3連休にオレの母親がやってきていて、DVDで韓国のドラマを見ているのが目に入った。頭から韓国ドラマを否定する気はないが(というかそもそもまったく興味がない)、ああいう「これでもかぁぁ。お前ら泣けぇぇ」という暑苦しいドラマ作りでは決して到達し得ない地点にイーストウッドはいるのだろう。
『センチメンタル・アドベンチャー』はイーストウッドが死ぬという珍しい作品でもある。他にはたしかもう一作あっただけ。そちらの死に方は『センチメンタル・アドベンチャー』以上に情けない。
カイル・イーストウッドは俳優としては芽が出なかったがジャズ・プレイヤーとして活躍中だそうだ。ジャズファンとして有名なクリント・イーストウッドの趣味を受け継いだのだろう。『シークレットサービス』ではピアノを披露し、ジャズサックスプレイヤー、チャーリー・パーカー最後の数日間を描いた『バード』(1988)を撮った。ドキュメンタリー映画のの『ピアノ・ブルース』(2003)に至ってはイーストウッドが趣味全開で撮ったほぼ自主映画的作品だ。レイ・チャールズなどの有名プレイヤーに会ってはしゃいでいるイーストウッドジジイがかわいい。
この作品には酒場やラジオ局で歌っている人々が何人も登場するが、なんでも有名ミュージシャンが顔を揃えていてファンにはそこも楽しみの一つらしい。墓掘りの黒人もそうなのだろうか?オレはそちらの方は全然分からないので残念といえば残念。
この作品は「ロード・ムービー」としてジャンル分けされていることが多いが、個人的には「ロード・ムービー」ではないと思っている。そもそも旅映画や道中物ではなくロード・ムービーという呼び名が付いてしまうとどうもそこに叙情的というか感傷的というか一定の意味合いというか映画の存在が固定されてしまう。そこが嫌いだ。感傷的=センチメンタルだが、センチメンタルとタイトルに付いている物の感傷どころかすごくシビアな視点だぞこの映画は。
少年が叔父と一緒にナッシュビルを目指して旅をするという粗筋だけを見て単純にロード・ムービーに分類されているようだが、だったら『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズもロード・ムービーか?フロドたちが滅びの山目指して旅するぞ、あれ。