
『マンハッタン無宿』(1968) COOGAN'S BLUFF 94分 アメリカ
監督:ドン・シーゲル 製作:ドン・シーゲル 共同製作:ジェニングス・ラング 製作総指揮:リチャード・E・ライオンズ 原作:ハーマン・ミラー 脚本:ハーマン・ミラー、ディーン・リーズナー、ハワード・ロッドマン 撮影:バッド・サッカリー 音楽:ラロ・シフリン
出演:クリント・イーストウッド、リー・J・コッブ、スーザン・クラーク、ドン・ストラウド、ベティ・フィールド
単に『ダーティーハリー』(1971)の原型だと思われているだけのことがある『マンハッタン無宿』だが、それで終わらせてしまうのはとんでもない間違いだ。この作品単品ではなくマカロニウエスタンのスターだったクリント・イーストウッドをハリウッド映画で活躍させるための綿密なプロジェクトによって生み出された一連の作品の一つである。
1960年代半ばから1970年頃にかけて世界中でイタリア産の西部劇“マカロニウエスタン”が大ヒットした。
その口火を切った『荒野の用心棒』(1964)のクリント・イーストウッドを始めとしてジュリアーノ・ジェンマやフランコ・ネロ、リー・ヴァン・クリーフなどがスターとして人気を集める。しかし、1970年代に入ってマカロニウエスタンが下火になっていくと、彼らはスターの座から消え去っていた。(念のために言っておくと「スターの座から消え去った」が映画界から消え去ったわけではなく、出演作もあり活躍はしている)
『ミリオンダラー・ベイビー』で監督として2度目のオスカーを受賞し、映画スターとしてもいまだ活躍中のクリント・イーストウッドもひょっとしたら彼らと一緒に消え去っていたのかも知れない。
実際、イーストウッドはハリウッド映画では芽が出ず、TVシリーズの西部劇『ローハイド』で人気が出たものの、TVシリーズと映画とではっきりランクに境界が引かれていたため逆に足かせになりかねなかった。そこでかなり悩み考えたことだと思う。そして「イタリア産西部劇」というキワ物にチャレンジすることになる。出演するのは『荒野の用心棒』。すでにマカロニウエスタンが人気を集めていたのならともかくそれが誕生する時期だったことを考えるとかなりの賭けだ。おそらく、監督のセルジオ・レオーネと話をするなどして「彼ならば」という思いを持ったのではないかと考える。
そして映画が公開されると大ヒット。その後、『夕陽のガンマン』などマカロニウエスタン続けて出演してさらに人気を高める。
だが、ブームは長く続かないことを悟っていたのか、イーストウッドはそこに安住せずに再びハリウッドに挑む。そして出演したのがやはり西部劇の『奴らを高く吊るせ!』(1968)だが、本家西部劇としての誇りが感じられず、それどころかマカロニウエスタンにすり寄った作品だった。
製作年度を考えるとそれと同時並行して進められたのだろうが、西部劇のスターを、それもマカロニウエスタンのスターをハリウッドの現代劇にいかに持ち込んで成功させるかというプロジェクトが進行していた。
日本では第二次大戦後GHQの指導によってチャンバラ物などの時代劇を製作することが禁止された時期があった。
そのため、チャンバラ映画のスターたちは現代劇への転向を余儀なくされた。
片岡千恵蔵もその1人で、「ある時は片目の運転手・・・」のセリフで有名な『多羅尾伴内』シリーズに出演した。人気を集めヒットした作品だが、片岡千恵蔵の演技やセリフ回しがチャンバラ物の時そのままで強い違和感を持った人もいたらしい。
西部劇のスターが現代劇に出演する場合にも同じような違和感が生じてしまうだろう。テンガロンハットにガンベルトが似合う男がスーツを着て車を乗り回してもどうにもしっくりこない。そんな印象を観客に与えてしまうのではないだろうか。
「ならば、西部劇の男を西部劇の服装や言動のままで現代のニューヨークに登場させてしまえばいいのではないか。そして、次回作では同じような役柄で西部劇色を薄めてみる。そうやって段階を踏んで移行させたらどうだろうか」
こうして作られたと思われるのが『マンハッタン無宿』だ。
時代は現代だがいまだ西部であり続けるアリゾナで、人々は現代様式を取り入れながら誇りを持っているその土地アリゾナの西部の心を捨てようとはしない。主人公の保安官補クーガンもその1人で、服こそ黒いスーツを着ているがテンガロンハットとカウボーイブーツは決して手放さない。
そんなクーガンがニューヨークで逮捕された犯罪者を引きしてもらって連れ帰るためにニューヨークに向かう。近代的な高層ビルが立ち並ぶマンハッタンでは、クーガンの外見も内面も街にとけ込まず浮いていて物笑いの対象にすらなる。だが、自らのライフスタイルと故郷に誇りを持つクーガンはアリゾナにいる時と同じ言動のまま行動する。
それはニューヨーク市警の面々やニューヨークの人々と対立することになりながらも、クーガンは己を貫いたままミスで取り逃がしてしまった犯人を単身追い続ける。その捜査方法は警官ではなくむしろ西部劇の賞金稼ぎかのようだ。
ニューヨーク市警の警部だかが何度も「ここはテキサスとは違うんだ」といった具合にテキサスとアリゾナを取り違えるのだが、その度に「アリゾナだ」とクーガンは答える。このやり取りの中にクーガンの西部アリゾナに対する思いが見て取れる。
ラスト近くで、警部はようやくテキサスではなくアリゾナと言う。これはしつこく訂正されたから覚えたのではなく、テキサスだろうがアリゾナだろうがそんなど田舎とそこから来たカウボーイ野郎のことなどどうでもいいと考えていたが、クーガンの誇りを持った行動などからついには西部と西部の男を認めたのだろう。
そしてプロジェクト第2弾の『ダーティハリー』ではクーガンからテンガロンハットとカウボーイブーツを取り上げ、しかし行動や考え方自体は西部の男を感じさせるハリー・キャラハンというキャラクターに修正した。
こうして“マカロニウエスタンのスター、クリント・イーストウッド”は“ハリウッド映画のスター、クリント・イーストウッド”となったのだ。
このプロジェクトの中心となったのが両作品で監督・製作を務めるドン・シーゲル。『許されざる者』(1992)でセルジオ・レオーネと共にイーストウッドが賛辞を捧げた人物だ。彼なくしては、そして『マンハッタン無宿』なくしてはクリント・イーストウッドもジュリアーノ・ジェンマらと一緒に消え去っていたのかも知れない。イーストウッドがその後のハリウッド映画に与えた影響、それは同時に世界中の映画に与えた影響にもなるが、それがもしも存在しなかったと考えると悲しいどころか怖ろしくすらある。
だからこう言い切ってしまおう、今のクリント・イーストウッドが存在しているのは『マンハッタン無宿』があったからこそであり、今のイーストウッドがいるからこそ今の映画がある。つまり『マンハッタン無宿』がなければ今の映画はなかった。『マンハッタン無宿』とはそういう意味を持つ映画である。
ちなみに、このプロジェクトの名は「マンハッタン無宿計画」だったという。
マンハッタン無宿計画というのは私の推測、ないしは妄想だ。
2003年5月24日のエントリですでに少し触れている。思いついたのは学生時代なのですでに10数年前になる。
この説の最大の欠点は『ダーティハリー』がスタート時点ではポール・ニューマン主演だったことだろう。しかし、リベラル派として有名なポール・ニューマン主演はその暴力的かつ法律ではなく力を持った個人が自らを正義としてしまう内容にファシズム的要素を感じ取って降りてしまう。それでは他の誰かをと言うことでクリント・イーストウッドになったのだ。
イーストウッドが選ばれた理由にはもちろんドン・シーゲルの意見が大きかったとは思うが、最初から『マンハッタン無宿』と『ダーティハリー』が連携して作られたわけではないのだ。
つまり、西部の男から現代の刑事への流れは偶然である。だがしかし、これはきっとプロジェクトを企画立案および実行したのが映画の神様とその部下たちということなのだろう。
今回を持って刑事映画特集は一応の終了とする。
『マンハッタン無宿』は厳密に言うと刑事ではなく保安官補なのだが、人間細かいことはあまり気にしないように。