『不眠症』(上・下) スティーヴン・キング 文藝春秋
メイン州の街デリーにまたもや悪魔の手が伸びる。デリーが危機にさらされるのはこれで何度目だろうか?登場するある意味では主役的存在だがあまり住みたくない街だ。
そのデリーでキング作品でお馴染みの善と悪との戦いが繰り広げられる。『IT』では子供たち(後半では成長した大人として再登場する)が悪と戦ったが、今回の主役は老人たち。不眠症に悩まされる老人たちにデリーを狙う悪の姿が見え始める。普通の人たちはその存在すら気付いていない悪に老人は挑むことになる。
主人公ラルフは妻の死をきっかけに始まった不眠症に苦しんでいる。その描写がひょっとしたらキング自身も不眠症なのではないかと感じさせるリアリティを持っている。オレ自身も不眠症で医者から睡眠薬を処方してもらっており、作中で描かれている不眠症患者の精神状態や思考に「そうそう、そうなんだよな」とうなずいてしまった。
ラルフは不眠症という個人的な問題だけではなく、良き隣人であったはずの若い男が自分の妻や幼い娘を虐待する事件に出くわし、そこから次第に悪の存在に近づいていく。
善と悪との戦いというのは幾度となくキング作品に登場するし、それがキングのテーマだと考える人もいるが、オレはキングは完全なる善(神)も信じていなければ完全なる悪(悪魔)も信じていないんじゃないかと思っている。コンピュータRPGゲームの古典『Wizardry』のプレイヤーキャラは善と悪そして中立という3つの属性のうちどれかに属することになっているが、キングのキャラクターは基本的に中立で、それが時に善に揺れ時に悪に動いているのだろう。完全なる善人がいないのと同じ理由で完全なる悪人もいないのではないだろうか。
キングの信仰心についての知識はないが、神もいなければ悪魔もいないがそれに近いモノはいるというのが作品から受ける印象だ。
キングと比較されることの多いディーン・クーンツも善と悪との戦いについて書くことが多い。クーンツは神を信じているしそれと同じ理由で悪魔も信じているのではないかと思う。
ただ、それぞれまったく逆の印象を受ける時もあるので、まぁオレはそんなふうに考えているといった程度のことだ。
ラスト近く、「成すべきことを成す」「片を付ける」、そのことが自分の命よりも重要という静かなシーンで泣いた。9月22日に紹介した『俺たちには今日がある』もそうだったが、どうやらオレはそのシチュエーションに弱いらしい。ただそのシチュエーションは「自己犠牲」とは断じて違う。
上巻の帯には「キング近年の最高傑作、ここに開幕」とあるが、近年の最高傑作はちと言い過ぎだろう。面白いのは確かだが普通のキング作品だ。もちろんキング作品の普通という基準は他の作家の普通より高いところにはあるだろう。
上巻297ページの「テレビの犯罪特集や、ジャン=クロード・ヴァンダムが主演する映画と同じくらい嘘っぽいものだ」という表現にはその的確さに納得すると共に大笑いしてしまった。これがシュワルツェネッガーやスティーヴン・セガール、あるいはチャック・ノリスだと「嘘っぽい」が薄れてしまう。映画の内容だけではなくヴァンダムのどこか戯画的な部分、それがこの表現にぴったりだ。
でも、そこがヴァンダムの魅力でもあると付け加えておこう。
お薦めしたい作品ではあるが、上下2巻のハードカバーでそれぞれ3150円という価格が大きなネックだ。上巻だけ、あるいは下巻だけを買う人はいないだろうから両巻とも買うとなると合計6300円の出費になる。それだけの価値はあるのだが、普通はちょっと迷ってしまうだろう。
早いところ文庫本でも出して欲しいものだ。全4巻で合計3200円ぐらいにはなってくれるだろう。