
『メンフィス・ベル』(1990) MEMPHIS BELLE 107分 アメリカ 1991/03/07鑑賞
監督:マイケル・ケイトン=ジョーンズ 製作:デヴィッド・パットナム、キャサリン・ワイラー 脚本:モンテ・メリック 撮影:デヴィッド・ワトキン 音楽:ジョージ・フェントン
出演:マシュー・モディーン、エリック・ストルツ、ビリー・ゼイン、テイト・ドノヴァン、D・B・スウィーニー、ハリー・コニック・Jr、ショーン・アスティン、リード・ダイアモンド、コートニー・ゲインズ、ニール・ジュントーリ、デヴィッド・ストラザーン、ジョン・リスゴー、ジェーン・ホロックス
今日の映画は爆撃機物。といってもジャンル付けでは
1.青春物
2.爆撃機物
3.戦争中だってのに慰問パーティーで酒飲んで呑気に女と踊ってんじゃねーよ物
4.なるほど、エリック・ストルツってマイケル・J・フォックスに似てるわ。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』主役交代物
といった順番だろうか。
主人公はアメリカ空軍爆撃機B-17の乗組員。機長がメンフィスで出会った女性から取った“メンフィス・ベル”というそのまんまな名前の機に乗っているのは
機長、副操縦士、航空士、爆撃手、前方砲手、後方砲手、左砲手、右砲手、上部砲手、下部砲手の計10人。
戦闘機だと一人かせいぜい二人だから、人数が多い分だけドラマ作りはやりやすい。ただ、この作品でそれが機能しているかはまた別物だ。
前後左右、そして上下にまで銃座がある爆撃機はまるで針山のようでさぞかし防御力が強そうだが、図体が大きくて小回りが利かない上に、往路は大量の爆弾を搭載しているので重量がありさらに動きが鈍くなる。敵の戦闘機に狙われたら一溜まりもないわけで、そのための重武装なのだ。
さらに味方戦闘機が護衛として付くのが普通だが、戦闘機は一般的に爆撃機よりも航続距離が短いため目的地までの距離によっては戦闘機は途中で引き返してしまう。そうなると自らの武装だけが頼りになる。
銃座の担当としては機体下部の旋回銃座が一番嫌そうだ。狭くて身動きが取れないし攻撃にあったら真っ先に吹き飛びそうだ。実際、この作品でも旋回銃座は破壊されて砲手は剥き出しになったままぶら下がってしがみつく羽目になるし、『アメージング・ストーリーズ』でスピルバーグが演出したエピソードでも、爆撃機の車輪が下りなくなって胴体着陸するしかないのだが、下部の旋回銃座のハッチが壊れて砲手が閉じこめられたため、このままでは着陸時に潰されて死んでしまうというのがあった。様々なアイディアが試されては失敗し、ついに燃料も乏しくなり滑走路へと着陸態勢に入るのだが・・・あのオチにはひっくり返ったなぁ。
主人公たちが空軍基地の原っぱで防具なしのアメフトで遊んでいて、そこに機長マシュー・モディーンのモノローグで一人一人の簡単な生い立ちや性格などが紹介されるオープニングはそこからして青春映画のニオイがする。
ドイツ側軍事工場への爆撃任務の前夜には慰問パーティーが開かれるのだが、楽隊は陽気な音楽を演奏し、着飾った女性たちとダンスをして楽しむ。もちろんお酒もあり。アメリカ映画の戦争物には時折登場するシーンだが、日本軍人が語る戦争体験談などと比べるとまるで違う世界だ。しかも、メンフィス・ベルの主人公たちは次の任務で任期満了となるので兵役が終わって国に帰国することが出来る。第二次世界大戦中に任期満了があるなんてなんというか余裕だ。日本軍は一度招集されると、戦争が終わるか、負傷して大怪我をするか、戦死するかしないと戦線を離れられなかったはず。これだけ人員・物資の物量に差があってはやっぱ負けるよなぁと思わないでもない。
メンフィス・ベルが飛び立つのは物語も半ば近くになってから。「青春ドラマはいいからとっとと飛べ」と念じ続けてようやく叶った。だが、飛び立った後も色々な事件が起こるのだがどれも物語に盛り上がりを見せない。これは客観的に主人公たちを突き放して戦争という状況を描こうとした演出なのか、それとも単に下手なのか。監督のマイケル・ケイトン=ジョーンズは後に『ジャッカル』(1997)や『容疑者』(2002)を撮っている人物なので後者の予感が高い。
だが、B-17の内部やヘッドセットによる通話システム、酸素マスクやパラシュート、防御服などの装備の描写がきっちりされていて、資料的価値は高い。当時の爆撃機は機体の大きさに差はあっても(B-17は22.6mで爆弾搭載量は4.9t、東京大空襲で有名なB-29は全長30.18mで爆弾搭載量は9t。大きさもかなり違うが、爆弾搭載量に至ってはB-29は倍近くになる。)中の様子や装備はさほど違わないだろう。第二次世界大戦を部隊にした小説に爆撃機の描写があった場合、頭の中で絵として思い浮かべやすい。
皆が着ているのが革のジャンパーの内側に白いボアを貼ったもの。街中でもバイク乗りや普通の人でも着ている革ジャンでボマージャケットと呼ばれる物。ボマーとは当然Bomber=爆撃手なので、本当は爆撃機の乗組員しか着ちゃいけないのだ。まあ、それをいったらMA-1とかも着れないし、トレンチコートだってtrench=塹壕、つまり元は戦争中の塹壕用に開発されたコートなのでビジネスマンが着て歩くようなものじゃない。えっ、ビジネスマンにとって会社は戦場だですって?うむむ。
ストーリーの結末まで語ってしまうことになるが、
主人公たち10人のうち一人は被弾して重傷を負い、機体も右側の車輪が電気系統の故障で下りてこず、このままでは胴体着陸しかないのかという危機に陥る。そして、観客の頭にはオープニングの帰還して着陸したもののそのまま爆発して乗員が全滅した他機のことがよぎる。しかし、メンフィス・ベルは無事着陸し、全員とも生きたまま大地を踏むことが出来た。
これに関しては「ありがちなハッピーエンドだ」というよりも、むしろ「戦争では死んだ奴と生き残った奴の二種類しかいない」と感じた。同じく主要な登場人物が誰一人死なずに第二次大戦の終了を迎えるサミュエル・フラーの『最前線物語』ほどのインパクトはもちろんないが、存外と主人公たちに対して冷静な視点で描かれているとは思う。でもまあ、出来としてはつまらないわけだが。
コメント (3)
素直に感動できないあなたがかわいそうです。
Posted by: kazue | 2006年09月13日 02:14
日時: : 2006年09月13日 02:14
kazueさんへ
ネットでの映画討論が詰まらない理由として
「作品に対する評論ではなく、相手の人格攻撃となる」
が一番だと思うが、あなたのはまさにそれだ。
『メンフィス・ベル』について、感動してはいないが
「存外と主人公たちに対して冷静な視点で描かれているとは思う。」
と、一定の評価はしている。
そこまでちゃんと読んでから書かれているのだろうか?
そもそも、オレとしては、感動した、と良い映画かは別問題だ。
感動したけど駄作だなんていくらでもある。
いや、駄作においても感動する点を見つけ出すことが出来るのが人間の感性だ。
感動して涙を流しても、冷静にその作品を判断するのも人間の感性だ。
でも、盛り上がりを見せずつまらないとは書いたが、読み直してみるとそんなに貶した文章でもないんだよな。
Posted by: 東森時音 | 2006年09月13日 16:03
日時: : 2006年09月13日 16:03
追記
そもそも『メンフィス・ベル』あてのコメントなのかはっきりしないが、『メンフィス・ベル』に感動するお花畑な人生よりも、『メンフィス・ベル』を退屈だと感じる砂漠な人生を選ぶ。
そして、砂漠を彷徨った者のみが、小さなオアシスの豊かさを知る。
どのみち、オレはオレ自身が可哀想と思わない限り、可哀想ではない。
Posted by: 匿名 | 2006年09月14日 00:08
日時: : 2006年09月14日 00:08