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『大列車強盗』 映画史における存在価値は大きい

『大列車強盗』(1903) THE GREAT TRAIN ROBBERY 12分(8分、10分バージョンもある) アメリカ

監督:エドウィン・S・ポーター 脚本:エドウィン・S・ポーター
出演:ギルバート・M・アンダーソン、A・C・エイバディ、マリー・マーレイ、ジョージ・バーンズ

 リュミエール兄弟によって映写機でスクリーンに上映するシネマトグラフ=映画が生み出されたのが1895年。最初は風景や工場から人がぞろぞろと出てくる様子を映しただけの単なる見せ物であった。もしかしたらそのまま消え去っていた可能性もあるが、映画人たちは映画に物語性を持たせることで娯楽性・作品性を高め、映画は人々の心を掴んで離さない娯楽の王様になっていったのである。
 『大列車強盗』は映画誕生から8年、映画がようやくストーリーを語れるようになった頃の作品である。世界初の西部劇と呼ばれ、クロスカッティングで追われる者、追う者のカットを交互に切り返すことで緊張感のある画面を作り出している。
 ラストにはガンマンが観客に向かってバン!と発砲する、といってもまだサイレント映画の時代なので実際には音はしないのだが、その存在しないはずの音が聞こえるかのようなカットで終わる。12分という長さを一気に駆け抜けるスピード感で、当時の観客を魅了し、その後のアメリカ映画、しいてはハリウッド映画の興隆の原点ともなった映画である。

 とまあ、映画史においては重要な一本なのだが、逆に言えば「映画史」に興味がない人があえて観る作品ではない。あまりにもプリミティブであるがゆえに、現代映画に慣れた我々にとってはただ単に古い映画としか映らない可能性が大きい。
 というか、正直な話わたしにとってはそうだった。東京のフィルムシアターだかで観た『大列車強盗』は、「こっ、これがあの伝説のっ!」という出会いと、そこからさらに発展していった映画が辿った道への思いに感激した。だがそういったことを抜きにして、「一本の映画」として『大列車強盗』を観てしまうと、古くさくて素人っぽくて正直なところあまり面白くはない。
 こういうことを言うとまた怒られるかなともしれないが、歴史的存在価値は存在価値、観たときの感想は感想で、それぞれ別物であるはずだ。他にも1900~1910年頃の作品も何本か観ているが、どれもまだ映画としては練り上げられていない、いわば前映画とも言うべき存在だった。
 これが1910~1920年代になると音はないし画面に色は付いていないものの、映画としての形が出来上がってくる。サイレント時代のコメディ映画特集を観に行ったことがあるが、1900~1910年頃のコメディは単にドタバタが続くだけであまり笑えないのだが、ハロルド・ロイドやバスター・キートン(1910~1920年代)などの作品となってくると、起承転結的な展開のあるストーリー、構図を計算されて撮られた映像などが登場するようになり、これらは「一本の映画」として観て面白かった。
 さほど古い映画を観ていないのに断言してしまってなんだが、映画がまとまった形になったのが1910~1920年代なのだろう。

 つまるところ、1903年の『大列車強盗』はあまり面白くない、だが1924年にジョン・フォードが撮ったサイレント西部劇『アイアン・ホース』はかなり面白い。両作の違いは監督の力量の差というよりもむしろ時代の差なのだろう。

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