2005年5月アーカイブ

 引っ越し先でADSLを利用することにしたがプロパンガスの自動検針装置が付いているため干渉して速度が出ない。そこで3月中旬にガス会社に連絡して対策工事をお願いしたが、4月になっても、5月が近くなってもズルズルと回答が引き延ばされるだけでいつまでたっても工事が行われない。
 文句めいたクレームをつけるのは好きじゃないので電話では怒りを抑えていた。しかし、「そうですね、4月末か5月の頭にはやります」と言ったっきり5月の半ばを過ぎても工事どころか連絡すらありゃしない。電話の一本ぐらい入れろよっ!
 さすがに頭に来てガス会社に電話をして、最初に出た女性に担当者ではなく責任者を出してもらい、激しい口調ではないがことの次第を話して、「担当者からこちらに連絡をさせてください。ただし工事がいつになるかという確約の話でなければ聞きませんから」と伝えた。
 たまに店先などで従業員にあれこれクレームを付けているのを見ることがあるが、それに比べればずっと冷静で感情的に怒鳴ったりはしなかったと思う。だが「あー、やっちまったかー」と自己嫌悪に陥った。趣味じゃない、好みじゃないことをやるのはやはり疲れる。クレーマーと呼ばれる人たちはさぞ強靱な精神力の持ち主なのだろう。
 で、その日の内に担当者から連絡があった。「では4日後の5月31日に工事します」

・・・・・・・・・依頼じゃなくてクレームだとすぐにやるのかよ。

・・・・・・・・・というか、クレームが入るまで放ったらかしかよ。

 クレームを付けた人の方が得をするって事ですか?そりゃ確かにクレームを付けてきてうっとおしい相手から先に片付けていった方が面倒がなくていいのかもしれないが、やっぱそれって違うんじゃないか。そういうことをやるから人によってはどんどん付け上がって経験値を積み、悪質なクレーマーに成長してしまうのではないかって気がする。

 工事は回線とスプリッタの間にADSLアダプターとやらを付けるのではなく、スプリッタのTEL側の後ろにコードレスの親機を付け、ガスメーター側に子機を付けるというもの。作業は15分で終わった。もちろん工事はガス会社の営業担当者ではなく電話工事会社の人がやるのでその人に文句を言ったりはしない。というか、こっちとしては責任がどうとか誠意がどうとかはどうでもよく、とっとと工事が完了すれば満足なのだ。

 対策工事が終わると、回線状態は一気に改善された。
工事前:下り3Mbps 上り200kbps
工事後:下り24Mbps 上り2Mbps
 ネットの速度が上がったこともうれしいが、なにより通話状態がブツブツだったIP電話が実用レベルになったのがうれしい。この環境を手に入れるのに2ヶ月半かかったわけか。
 プロパンガスを利用している地域でADSLを導入している方は一度確認をした方がいいかもしれない。自動検針装置が邪魔をしているせいで速度が激落ちしている可能性がある。

B0006M17PO.jpg
『スティーブ・マーティンの 四つ数えろ』(1982) DEAD MEN DON'T WEAR PLAID 88分 アメリカ

監督:カール・ライナー 製作:デヴィッド・V・ピッカー、ウィリアム・E・マッキューン 脚本:ジョージ・ガイプ、スティーヴ・マーティン、カール・ライナー 撮影:マイケル・チャップマン 音楽:ミクロス・ローザ
出演:スティーヴ・マーティン、レイチェル・ウォード、レニ・サントーニ、イングリッド・バーグマン、ハンフリー・ボガード、ケイリー・グラント、アラン・ラッド、レイ・ミランド、バート・ランカスター、カーク・ダグラス、ジェームズ・キャグニー、ラナ・ターナー、ヴィンセント・プライス

 どうですこの出演者の顔ぶれの豪華さ。『史上最大の作戦』や『オリエント急行殺人事件』、そして『炎の大捜査線』にだって負けてませんよ。
 えっ?製作された1982年にはすでに死んでる人もいるじゃないかですって。実はスティーヴ・マーティンが演ずるハードボイルド探偵物を軸に、1940?50年代の20本近い映画から色々なシーンを編集でつなぎ合わせて一本の映画にしてしまった無茶な作品なんです、はい。

 チーズ作りが趣味な科学者が深夜の自動車事故で死亡します。しかしその死に不審を感じた科学者の娘がスティーヴ・マーティン演ずる私立探偵のもとを訪れます。依頼を受けて捜査を始めた探偵の前に不可思議な謎や命を狙う殺し屋が登場し、事件は次第に単なる事件から世界征服を狙う陰謀へと広がっていくのです。
 これだけだといかにもB級なハードボイルドアクションなのですが、登場する殺し屋や聞き込みでの情報提供者などが往年のスターなのです。まず最初に襲ってくる殺し屋がアラン・ラッド。『シェーン』の主人公役が有名ですが、今回はコートに帽子姿で登場しスティーヴ・マーティンを拳銃で撃ちます。合成で二人を同じ画面に登場させるのではなく、スターのカット、スティーヴ・マーティンのカットという具合にカットを切り返して会話のやり取りを進めていきます。スターのカットの時に話している相手=スティーヴ・マーティンの後ろ姿が映っている場合がありますが、それについてはあらかじめ何らかの理由でスティーヴ・マーティンにその服装や女装などをさせて辻褄が合うようになっています。
 会話内容についても、オリジナルの音声はそのまま使っているのですが、スティーヴ・マーティンのセリフで上手くその会話が物語を進めているのが見事です。脚本が本当に練り込まれていますよ、これは。
 ジェームズ・キャグニーの登場シーンでは、刑務所に収容されているキャグニーに母親が面会に来る『白熱』での場面を利用しています。そのためスティーヴ・マーティンは母親に変装して乗り込むのです。『白熱』といえばジェームズ・キャグニーが重度のマザコンかつ凶暴な犯罪者を演じて、強盗や殺人を何件も犯したあげくガスタンク(石油だったっけ?)の上で「Top of the World」と叫んで大爆死する、ラウール・ウォルシュがその才能を遺憾なく発揮した傑作ですが、それをこんな使い方するなんて・・・・・・うっうれしいっ!
 ヒッチコックの『断崖』からもケイリー・グラントが列車に乗っているシーンが使われたり、先日スカパー!で放映していたビリー・ワイルダーが監督した『深夜の告白』の熱烈なキスシーンが女装したスティーヴ・マーティン(男)とフレッド・マクマレー(男)になっていたりします。ここら辺は、「名作を冒涜するな」とかって具合に怒る人は怒るんでしょうねぇ。怒るんだろうなぁ。
 わたしは素直にこの脚本はすごいと思います。よっぽどな映画狂で知識も深くないとこれはかけませんよ。色んな映画をつなぎ合わせて統合性のあるストーリーを作るのはかなり大変でしょう。女に薬を盛られたスティーヴ・マーティンが、ラリって背広の上からパジャマを着て「金ならあるぞー」をお札を握りしめたままベッドに倒れ込むのですが、その後のシーンで殺し屋のヴィンセント・プライスが部屋に乗り込んで襲ってくるのですが、その昔の映画から持ってきたカットでベッドに寝ているのがパジャマを着た男なんですね。これでちゃんとつながって見えるんだからすごい。
 他にも色んな映画から映像が使われていましたが、とてもじゃないですが全部は分かりません。スターの中にも、「誰?それ」って人もいますし。アメリカの旧作を使っているのだから日本人が観るよりも馴染みがあるのかもしれませんが、「この映画なら分かるだろ」「このスターなら知ってるだろ」という映画の教養を前提にバカコメディ映画を作れるってのはうらやましいですね。それにしてもどうやって引用作品の版権を取ったのでしょうか。プロデューサーの力が強かったんですかね。

 スティーヴ・マーティンが若いです。そして真面目にしてるとこの時は髪が黒くてなかなかいい男。なにかというとモノローグをはじめるベタな私立探偵が様になっています。この映画は学生の時にレンタルビデオで観たんですが、ラスト近くでワルサーP38をクルッと放り投げて一回転させるアクションが好きで、影響されてサークルの部室で備品のモデルガンを使って真似して遊んでました。ちなみに受け損ねるとたいがい足の甲に落ちて痛いです。
 ヒロインのレイチェル・ウォードはバート・レイノルズ監督・主演作『シャーキーズ・マシーン』でもヒロインをやってました。なかなか色っぽい人です。スティーヴ・マーティンが銃で左上腕を撃たれる度に、その傷口に口をあてて強烈にチューチューと吸い上げてスポッと弾丸を吸い出すギャグがあります。これが繰り返しのギャグとして効果的に使われています。
 科学者宅の執事にしてその正体は・・・な老人を演じているのは監督のカール・ライナー。ロブ・ライナーの父親ですな。もともとがコメディアン・役者だけにナチス将校の制服も様になっています。ラストで探偵のスティーヴ・マーティンが謎解き始めると、「いや待て待て。計画者であるわたしから説明しよう」とこちらも解説を始め、口ゲンカになってるところが笑えます。
 他の主要キャストとしては探偵仲間のマーロウ。もちろん役者はハンフリー・ボガードです。まあマーロウとしか言っていませんのでフィリップ・マーロウとは限りません。サム・マーロウかマイク・マーロウの可能性もあります。ちなみに原題の『DEAD MEN DON'T WEAR PLAID(死人は格子縞を着ない)』はマーロウが以前スティーヴ・マーティンに言ったセリフだろうです。最初は縦縞かと思って、死んだ奴は刑務所へは入れられない(囚人服を着ない)ということかと思ってましたが、「意味は分からないがな」とのことなので実際意味はないのでしょう。
 忘れるところでしたがこの映画はモノクロです。舞台設定は第二次大戦後の1940年代でしょう。オープニングのユニバーサル・ピクチャーの表示も昔の物を使っていて、『四つ数えろ』自体が当時の映画であるかのように感じてしまいます。

『シュア・シング』(1985) THE SURE THING 95分 アメリカ 1985/11鑑賞

監督:ロブ・ライナー 製作:ロジャー・バーンバウム 製作総指揮:ヘンリー・ウィンクラー 脚本:スティーヴン・L・ブルーム、ジョナサン・ロバーツ 撮影:ロバート・エルスウィット 音楽:トム・スコット
出演:ジョン・キューザック、ダフネ・ズニーガ、アンソニー・エドワーズ、ニコレット・シェリダン、ヴィヴェカ・リンドフォース、 ボイド・ゲインズ、ティム・ロビンス

 高校生の時に観た作品だ。その頃のわたしがわざわざ青春映画を観に行くとは思えないので、二本立ての同時上映が目当てだったのだろう。その同時上映が何だったのかはもう思い出せない。だが『シュア・シング』を憶えていればそれで満足だ。ジャンルとしては興味がない青春映画だがとても面白かった。それ以降観る機会はなかったが、DVD化されればぜひとも買いたい一本だ。

 ジャンク菓子やソフトドリンクが大好きで落第生気味な変人ウォルターと、勉強が出来る優等生でいい加減なことが嫌いなアリソンの二人が主人公。東部の大学に通う18歳の設定で、二人とも初々しく好感が持てる。
 ウォルターがアリソンに一目惚れして物語が始まる。もちろんアリソンはウォルターのことなど鼻にもかけない。そこをなんとかお近づきになったが、さっそくキスしようとして嫌われてしまう。
 アリソンのことを諦めたウォルターは、カリフォルニアの大学に進学した友人から「遊びに来いよ。絶対OK(Sure Thing)な女の子を紹介するぜ」と連絡をもらい、クリスマス休暇を利用してヒッチハイクの旅に出た。
 ところがヒッチハイクで乗った車にはボーイフレンドと会うために同じくカリフォルニアに向かうアリソンがいた。そして反目し合いケンカばかりの二人がどういうわけか道中を共にすることになる。
 はてさて、旅の行く末は?

 こういう最初は衝突してケンカばかりの二人が、気がついたときには互いに恋していたというのはどうも個人的にツボなのだ。えっ?少女マンガの定番だって?むしろハワード・ホークススタイルといってくれ。
 だが確かに定番で、始まってしばらくもするとラストは見えてしまう。そこへ至る過程とその演出も決してベストではない。だが新人に近い出演者や監督が爽やかな青春映画の魅力を醸し出している。

 ウォルター役はジョン・キューザック。この作品が初主役になる。オレはこの作品のパンフレットを持っているが撮影時はまだ17歳。写真が若っ!でも今のジョン・キューザックとそんなに変わらないか。老けない人だ。
 監督が同じロブ・ライナーの『スタンド・バイ・ミー』に主人公の兄役として1シーンだけ(だったか?)出演しているが、この作品が縁での特別出演なのだろう。
 缶ジュースの下側にペンで穴を開け、それを口に当てるとタブを開けて中身を一気に飲む芸をやっていた。当然わたしも真似したが、気管支に入ってえらい目にあった。最近ではショットガンという名で宴会などで一気飲みの一種になっているらしい。変人役のジョン・キューザックがやるから味があるんで、一般人がやっても下品なだけなので止めよう。というか一気飲み自体が粋じゃないんで止めろ。
 アリソン役のダフネ・ズニーガはその後『スペースボール』のベスパ姫をやっていたぐらいであまり見かけない。
 なにげに脇役でティム・ロビンスが出ている。どこに出ていたのか憶えていないが、パンフレットによると「ゲイリー・クーパー」という役名らしい。何だそりゃ?
 監督のロブ・ライナーはこれが監督二作目。コメディはそれほど悪くないが、『ア・フュー・グッドマン』のようなシリアスや『恋人たちの予感』『アメリカン・プレジデント』など大人の恋愛物はイマイチだな。『ノース ちいさな旅人』はなぁ・・・
 もともとが子役上がりの俳優なので今でも役者としての出演も多い。ちなみにデブでハゲ。

B0000DJWRC.jpg
『おかしなおかしな石器人』(1981) CAVEMAN 92分 アメリカ 1981年鑑賞

監督:カール・ゴットリーブ 製作:ローレンス・ターマン、デヴィッド・フォスター 脚本:カール・ゴットリーブ、ルディ・デルカ 撮影:アラン・ヒューム 特撮:デイヴィッド・アレン 音楽:ラロ・シフリン
出演:リンゴ・スター、バーバラ・バック、ジョン・マツザク、シェリー・ロング、デニス・クエイド、ジャック・ギルフォード

 ある動物園のレッサーパンダが二本足で立ったとニュースが流れた。
 それだけならば単なる変わったニュースなのだが、その後全国の動物園から「ウチのレッサーパンダも立つ」「こっちだって立つ」との報告が上がってきた。これはひょっとしたらレッサーパンダというのは二足直立するのが当たり前で、パンダという名前に割にはタヌキかアライグマのような地味な外見のためこれまで見過ごされていたということだろうか。それならば良いのだが、実はレッサーパンダが次の段階へと進化を始めたのかもしれない。
 二足直立で自由になった前足を手に進化させ道具を使い始めるに違いない。そしてある日一斉に人類に対して牙を剥く。繁栄の時を過ぎて衰退へと向かっていく人類に替わり、新しく地球を支配するのがレッサーパンダとは思わなかった。

 人類が初めて二足直立をしたシーンがある作品がこの『おかしなおかしな石器人』だ。
 力自慢で野蛮な族長に部族を追い出されてしまった主人公(元ビートルズのリンゴ・スター)が、荒野をさまよう内に同じく追放された友人に巡り会う。感激のあまり強く抱き合ったところ、リンゴ・スターの腰がボキボキッと音を立て真っ直ぐに伸びた。こうして人類はチンパンジーやゴリラのような前傾姿勢から直立歩行へと進化したのである。どうだ驚いただろうか、わたしは驚いた。
 力はないが知恵はあるリンゴ・スターは直立歩行により自由になった手を使って、様々な道具を作り出していき、ついには火を手に入れる。仲間も増え、勢力を増すリンゴ・スター部族。ちょっと地味だが可愛らしい娘がリンゴ・スターに惚れてくれるのだが、リンゴ・スターは昔の部族にいたセクシー美人を忘れることが出来ず、ついには襲撃して彼女を拉致してしまう。当然、敵の族長は怒って反撃してくる。リンゴ・スターたちは木や石を組み合わせて武器を作り、凶暴な恐竜を馬代わりに使っての戦いに挑む・・・

 人類が直立二足歩行を始めて次の段階へと進化し始めた時代を舞台にした「石器人映画」。原題のCAVEMANは穴居人のことだ。だが、ためになる学習映画を期待されては困る。まあ94%は嘘だと思ってもらってかまわない。そもそも人類が誕生した頃にはとっくに恐竜は滅びてるだろ。何故か突然氷河期な地域に入り込んで氷だらけの中を雪男(?)に追い回されるシーンもある。
 まだ言葉が生まれる前の話なので登場人物たちは人名単語以外は「ガルグル」「ウララ」など意味不明なことしか口にしない。説明する字幕もないのだが、それでもストーリーがちゃんと分かるのが不思議。
 テレビ放映されたときは日本語吹替になっていた。別に日本の声優が「ガルグル」「ウララ」って言ってるわけではなく、ケイブマン語が日本語に翻訳されている。しかしケイブマン語はおそらくしゃべっている俳優や監督にすら意味不明そうなので、翻訳と言うよりは創作と呼ぶべきではないだろうか。
 リンゴ・スターの吹替を担当しているのが広川太一郎氏。コメディ系を吹き替えたときには、画面に映った俳優の口が閉じているところでもひたすらしゃべり続ける、アメリカ人だろうと香港人だろうと日本語のダジャレを言いまくるのが広川太一郎のスタイルだが、『おかしかおかしな石器人』でもそれは守られている。大きな骨で相手を殴ったが骨が折れてしまい「とんだ骨折りだ、これは」なんてネタがくだんねー、でも好き。
 エンディングクレジットが始まって、オリジナルでは音楽が流れる中クレジットが上がっていくだけなのだが、吹替版では広川太一郎が割と延々しゃべっていて笑える。氏のダジャレは台本には書かれていなくて、広川太一郎がアドリブでやっているというのは本当だろうか?
 現在発売されているDVDにはこの爆笑物の日本語吹替も収録されている。だが、一度はオリジナル音声版も観て欲しい。こっちはこっちで意味不明でいいぞ。

 最初にも言ったが主人公は元ビートルズのドラマーであるリンゴ・スター。なんでこんな仕事を引き受けたんだといった声もあるが、日本のCMでやった「リンゴ・すった?」よりは3776倍ぐらいマシだろう。
 リンゴ・スターの親友が、ヒゲだらけなのですぐには気付かなかったが若き日のデニス・クエイド。
 SFXを担当したデイヴィッド・アレンによるモデル・アニメーションの恐竜たちが見事。思えば、当時はこの特撮目当てで観に行ったんだよな。ビートルズの名前は知っていてもリンゴ・スターまでは知らなかったし。
 音楽担当がなにげにラロ・シフリンなのもポイント高し。

『北京的西瓜』(1989) 135分 日本 1989/12鑑賞

監督:大林宣彦 製作:川鍋兼男、大林恭子 プロデューサー:森岡道夫 企画:川鍋大 原作:林小利、久我山通 脚本:石松愛弘 撮影:長野重一 音楽:根田哲雄
出演:ベンガル、もたいまさこ、林泰文、柄本明、天宮良

 スイカ関連映画2本目。
 でもまったく憶えていない。観終わると同時に完璧に忘れていた。いや、観ると同時に記憶から消去していった。
 大林宣彦監督作品としては1983年に観た『時をかける少女』は好きだった。正確には当時の原田知世が好きだった。それ以外の大林宣彦作品は正直言ってどうでもいい。1980年代後半にはわたしにとってホントどうでもいい監督になり、以降そのままだ。
 ロリコン野郎なんだから素直にロリコン嗜好全開の映画を撮ってればいいのだ、大林は。それを何をどう勘違いしたのか、自分には娯楽映画や文芸映画も撮れると思い込んでいるから始末に負えない。
 『北京的西瓜』は日本に留学に来て苦しい生活の中がんばっている中国人留学生と、そんな彼らを見かねて援助を始めた八百屋夫婦についてのストーリー。全編を通して偽善や自己満足に満ちあふれていて観ていて苦痛だ。ラストには国に戻った留学生から八百屋夫婦連絡が来て・・・ってのはまったく何だよそれは。鶴の恩返しじゃねーっての。もしかして助けた亀に連れられてだったら延々帰ってこれないだろ。
 夫婦が中国を訪れるシーンは天安門事件のため撮影できず、代わりに37秒間の何も映っていない映像が挿入されているが、んな中途半端なことをするな。中国当局から許可が下りなかったのなら機材を隠して持ち込みゲリラ撮影をしろ。それが当局に見つかり逮捕・秘密裏に殺害されても映画のためだ文句を言うな。それぐらいの覚悟もなしで映画を撮ってんじゃねぇぞ、この腑抜け野郎。それが出来ないってんなら未完成のままお蔵入りにしとけ。そっちの方がずっと世のためだ。
 こんな河童に尻子玉を抜かれたような映画に騙されるな。感動なんかするな。と、今日は何だか機嫌が悪いわたしは怒ったりするわけだ。
 中国を扱った映画なので文句を付けると妙なところからクレームがあるかも知れない。だが「中国を扱った」から貶しているわけではなく、単にクソつまらない上に社会派気取りで自己愛完結しているから文句を言っているのだ。仮にイラクからの留学生だったりジンバブエだったり、あるいはアメリカだったとしてもこの映画のひどさに変わりはない。

『ポルターガイスト3 少女の霊に捧ぐ…』(1988) POLTERGEIST III 98分 アメリカ 1988/07/18鑑賞

監督:ゲイリー・シャーマン 製作:バリー・ベルナルディ 製作総指揮:ゲイリー・シャーマン 脚本:ゲイリー・シャーマン、ブライアン・タガート 撮影:アレックス・ネポンニアシー 特殊メイク:ディック・スミス 音楽:ジョー・レンゼッティ
出演:ヘザー・オルーク、トム・スケリット、ナンシー・アレン、ゼルダ・ルビンスタイン、ララ・フリン・ボイル

 名古屋ではメル・ブルックスの『スペースボール』と二本立て上映だった。さすがにこの組み合わせは意味が分からない。観客数は少なめでホラー映画ということもあってかアベックが多かったように記憶している。そして彼らは『ポルターガイスト3』の上映が終わると大半が席を立ちぞろぞろと帰って行った。
「ちょっと待てお前ら、『スペースボール』も観ていけや、こらぁ。つーか俺の目当てはむしろそっちだぞ!」
 わたしの魂の叫びはがらんとした劇場内で虚しく響くだけだった。

 毎回出演者から死人が出るとかで呪われたシリーズ扱いをされている。
 1作目:姉を演じた少女が撮影後に恋人によって射殺される。
 2作目:物語の鍵を握るネイティブ・アメリカンの老人が撮影後に病死。
 3作目:1作目からシリーズを通してポルターガイストに取り付かれる主人公キャロル・アン役の少女ヘザー・オルークが撮影後に病死。
 んー、単なる偶然だろ。
 どうせなら、タイトルに「少女の霊に捧ぐ」なんて文句を入れて宣伝のネタにする配給会社の連中が呪われてしまえばいいのに。

 1作目では不動産会社がネイティブ・アメリカンの古い墓地を埋めてその上に住宅を建ててしまい、そこに住んだ一家が霊の被害を受けるという話しだった。
 そこから引っ越したのだからもう霊に襲われるはずがないはずなのに、キャロル・アンが優秀な霊媒能力を持っていたため再びネイティブ・アメリカンの霊に襲われるのが2作目。
 で、もはや霊は鎮められたはずなのに、ヒット作はしつこく続編が作られるの法則により、3作目でまたもや霊に襲われるキャロル・アン。
 基本的にはキャロル・アンが霊に襲われ、それを打ち負かすの繰り返し。もしもヘザー・オルークが死ななかったらシリーズは延々と続いて、『男はつらいよ』を超える長寿シリーズとなっていたかもしれない。

 SFXが全面に押し出された前二作と比べて、三作目は特殊効果は抑えめで丹念にカットを積み重ねての画面作りとなっている。だが、シリーズ自体がホラー映画としては低年齢層を狙ったファミリームービーであり、心理的な怖さや残虐なシーンは排除されていたため、1作目・2作目のファンにとっては少々期待はずれではなかっただろうか。
 怖くもなければ楽しくもないというのがわたしの感想だ。

B000EPFQ6O.jpg
『コラテラル』(2004) COLLATERAL 120分 アメリカ 2005/05/22レンタルDVDにて鑑賞

監督:マイケル・マン 製作:マイケル・マン、ジュリー・リチャードソン 製作総指揮:フランク・ダラボン、ロブ・フリード、ピーター・ジュリアーノ、チャック・ラッセル 脚本:スチュアート・ビーティー 撮影:ディオン・ビーブ、ポール・キャメロン 編集:ジム・ミラー、ポール・ルベル 音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード
出演: トム・クルーズ、ジェイミー・フォックス、ジェイダ・ピンケット=スミス、マーク・ラファロ、ピーター・バーグ

 トム君ことトム・クルーズが初めて悪役を演じた映画だそうだが、悪役というよりむしろ脇役。髪型もかなりな微妙さだ。
 一見はごく普通な不動産会社のビジネスマンが実は冷酷な殺し屋という設定だが、これが見事に似合っていない。トム君には悪いが冷静で頭の切れる殺し屋には見えないぞ。何故か人殺しをしなければならなくなってしまい、殺そうとする度に失敗してじたんだを踏む男なんてのは似合いそうなのだが、今回の腕利きな殺し屋役ってのはミスキャストだろう。
 じゃあ誰がキャスティングされれば良かったのかと考えると、マット・デイモンは最高の工作員ジェイソン・ボーン役ですでに失敗しているし、ヒュー・ジャックマンはちょっとごつすぎる。ブレンダン・フレイザーは最初から問題外だし、ブラッド・ピットだと登場と同時に曲者だと分かってしまう。エリック・バナ辺りがぱっと見は凡庸なサラリーマンみたいな感じでいいんじゃないだろうか。えっ、コリン・ファレル?
個人的にはまだ若くて毛があった頃のブルース・ウィリスがいいかなぁ。

 一晩の内に5人殺さなければならない殺し屋を乗せてしまったばかりに、黒人タクシー運転手が事件に巻き込まれていく「巻き込まれ型サスペンス」なのだが、主人公達の演技・芸を見せることに注意が行ってしまって、サスペンスとしての盛り上がりが乏しい。ジャズ・クラブでの会話のやり取りはスリリングだったが、ほとんどのシーンは平坦で退屈ですらある。
 トム・クルーズ演ずる殺し屋の凄みも感じられないし、いつも通り自意識過剰なんじゃないのとツッコみたくなる演技だ。善良さが取り柄で他人に文句など言えない運転手が事件の中で暴力(という程の物でもないが)に目覚めて戦い始めても盛り上がらない。
 運転手はあれこれ語るシーンが多く、特に殺し屋の名を名乗って依頼人の元を訪れるシーンでは、「上手いだろ。俺って上手いだろ」というオーラが滲み出しすぎていてうんざりする。
 監督がマイケル・マンだから抑えた演出を得意とするのは知っているが、今作の凡庸さは抑えとは違うもののはずだ。 これは想像に過ぎないのだが、現場でトム君の発言権が強すぎたのではないだろうか?それとも製作総指揮に駄ボラ野郎のフランク・ダラボンがいるせいか?
 かろうじて拳銃の発砲シーンの唐突さとリアルさ、そして夜の風景がマイケル・マンの手腕を感じさせる。派手ではないが格好いい。
 それにしてもジェイソン・ステイサムは何しに出てきたんだ。あんな使い方をするわけが分からない。ゲストってことなのだろうか。いっそのことジェイソン・ステイサムを殺し屋役にしてくれてれば、もっと面白い映画になった気がしないでもない。

『大列車強盗』(1903) THE GREAT TRAIN ROBBERY 12分(8分、10分バージョンもある) アメリカ

監督:エドウィン・S・ポーター 脚本:エドウィン・S・ポーター
出演:ギルバート・M・アンダーソン、A・C・エイバディ、マリー・マーレイ、ジョージ・バーンズ

 リュミエール兄弟によって映写機でスクリーンに上映するシネマトグラフ=映画が生み出されたのが1895年。最初は風景や工場から人がぞろぞろと出てくる様子を映しただけの単なる見せ物であった。もしかしたらそのまま消え去っていた可能性もあるが、映画人たちは映画に物語性を持たせることで娯楽性・作品性を高め、映画は人々の心を掴んで離さない娯楽の王様になっていったのである。
 『大列車強盗』は映画誕生から8年、映画がようやくストーリーを語れるようになった頃の作品である。世界初の西部劇と呼ばれ、クロスカッティングで追われる者、追う者のカットを交互に切り返すことで緊張感のある画面を作り出している。
 ラストにはガンマンが観客に向かってバン!と発砲する、といってもまだサイレント映画の時代なので実際には音はしないのだが、その存在しないはずの音が聞こえるかのようなカットで終わる。12分という長さを一気に駆け抜けるスピード感で、当時の観客を魅了し、その後のアメリカ映画、しいてはハリウッド映画の興隆の原点ともなった映画である。

 とまあ、映画史においては重要な一本なのだが、逆に言えば「映画史」に興味がない人があえて観る作品ではない。あまりにもプリミティブであるがゆえに、現代映画に慣れた我々にとってはただ単に古い映画としか映らない可能性が大きい。
 というか、正直な話わたしにとってはそうだった。東京のフィルムシアターだかで観た『大列車強盗』は、「こっ、これがあの伝説のっ!」という出会いと、そこからさらに発展していった映画が辿った道への思いに感激した。だがそういったことを抜きにして、「一本の映画」として『大列車強盗』を観てしまうと、古くさくて素人っぽくて正直なところあまり面白くはない。
 こういうことを言うとまた怒られるかなともしれないが、歴史的存在価値は存在価値、観たときの感想は感想で、それぞれ別物であるはずだ。他にも1900?1910年頃の作品も何本か観ているが、どれもまだ映画としては練り上げられていない、いわば前映画とも言うべき存在だった。
 これが1910?1920年代になると音はないし画面に色は付いていないものの、映画としての形が出来上がってくる。サイレント時代のコメディ映画特集を観に行ったことがあるが、1900?1910年頃のコメディは単にドタバタが続くだけであまり笑えないのだが、ハロルド・ロイドやバスター・キートン(1910?1920年代)などの作品となってくると、起承転結的な展開のあるストーリー、構図を計算されて撮られた映像などが登場するようになり、これらは「一本の映画」として観て面白かった。
 さほど古い映画を観ていないのに断言してしまってなんだが、映画がまとまった形になったのが1910?1920年代なのだろう。

 つまるところ、1903年の『大列車強盗』はあまり面白くない、だが1924年にジョン・フォードが撮ったサイレント西部劇『アイアン・ホース』はかなり面白い。両作の違いは監督の力量の差というよりもむしろ時代の差なのだろう。

『グレイフォックス』(1983) THE GREY FOX 91分 カナダ 1986/11鑑賞

監督:フィリップ・ボーソス 脚本:ジョン・ハンター 撮影:フランク・タイディ 音楽:マイケル・コンウェイ・ベイカー
出演:リチャード・ファーンズワース、ジャッキー・バロウズ、ウェイン・ロブソン

 若い頃からスタントマンとして裏方を勤め上げたリチャード・ファーンズワースの初主演作。1920年生まれなのでなんとこの時すでに63歳!大概の人が引退する年齢になって表舞台に上がったことになる。
 演ずる役は実在の人物であるビル・マイナー。西部を渡る駅馬車を襲っては乗客に「手をあげろ」と命じて金品を奪った伝説的強盗だ。なんでも、この「手をあげろ」というセリフはビル・マイナーが初めて使ったという。西部劇の世界がまだ現実にあった頃のことである。
 だがそのビルもついには逮捕されて刑務所に収容された。そして33年の刑期を終えて外の世界に出てきたが、時はすでに1901年、20世紀になっていた。そこにはコルトを腰にぶら下げたガンマンやウィンチェスターを担いだ保安官の姿はすでになく、ビルの持つ世界は過去の物となってしまっていた。
 それでは新しい時代を受け入れるか? 否!
 過去の思い出に浸って寂しく晩年を過ごすのか? 否!
 ビルは西部の荒くれ者のやり方で20世紀を生きることを選ぶ。このジジイは今さら生き方を変えられるほど器用でも素直でもないのだ。
 映画という新しい見せ物をのぞきに来たビルは、たまたま世界初の西部劇と言われる『大列車強盗』(1903)を見てしまう。そして、ビルは駅馬車ではなく列車を襲うことを思いつく。
 まずは駅馬車を襲った要領で走っている列車を襲うべく馬で追いかけるが、もちろん蒸気機関車に追いつくはずがなくあえなく失敗してしまう。だがまったく懲りていないビルは相棒を見つけ、再度の挑戦でついには列車強盗を成功させる。
 しかし司法の手やピンカートン探偵社がビル達を執拗に追跡し始める。果たして逃げ切れることが出来るのか?

 西部劇として分類されたり語られることが多い『グレイフォックス』だが、これは西部劇が終焉した世の中でもはや消えつつある西部の男達がどのように生きたかの映画であって、『ワイルドバンチ』(1969)や『明日に向って撃て!』(1969)が西部劇ではないのと同じように『グレイフォックス』も断じて西部劇ではない。
 ジョン・ウェインの遺作である『ラスト・シューティスト』(1976)はほぼ同じ年代の1901年を舞台に、かつての名ガンマンの死に様を描いている。主人公の過去は若い頃からのジョン・ウェイン出演作を引用して語られ、西部劇スターの、もっと言えばアメリカを代表する映画スターであるジョン・ウェインの有終の美をメロドラマ風に語っている。それは同時に「西部劇の死」でもあったのだろう。
 それに対し、ずっと西部劇の裏方で生きてきたファーンズワースを主役にした『グレイフォックス』は、すでに1980年代になっていることと制作国カナダと言うこともあってか、西部劇に向ける視線がずっと冷静あるいは冷淡である。西部劇の最後を看取るのではなく、すでに西部劇の世界が終わってしまった中で、死に損ねてしまった西部の男がどう生きるかが描かれるのだ。だからこの作品のラストは悲しくも劇的にもならない。

『クラブ・ラインストーン 今夜は最高!』(1984) RHINESTONE 113分 アメリカ 1986/04鑑賞

監督:ボブ・クラーク 製作:ハワード・スミス、マーヴィン・ワース 製作総指揮:サンディ・ガリン、レイ・カッツ 原案:フィル・アルデン・ロビンソン 脚本:フィル・アルデン・ロビンソン、シルヴェスター・スタローン 撮影:ティモシー・ギャルファス 音楽:ドリー・パートン
出演:ドリー・パートン、シルヴェスター・スタローン、リチャード・ファーンズワース、ロン・リーブマン、ティム・トマーソン

 ドリー・パートンはニューヨークのクラブ・ラインストーンで歌うカントリーソングのスター歌手。クラブとの契約を切ってフリーになりたいのだが、彼女に惚れているクラブのオーナーは彼女を手放そうとしない。そして彼女に対し、全くの素人を2週間で一人前の歌手に育てて彼女の代わりとすれば契約を破棄しようと無茶な賭けを挑んでくる。
 そこでドリー・パートンは「最初に現れた人物を歌手にする」と宣言するが、そこへやってきたのはイタリア系のタクシー運転手シルヴェスター・スタローンだった。試しに歌わせてみるがこれがものすごい音痴。だが意地になったドリー・パートンはスタローンを歌手に育てることにする。

 全く資質のない人物を育て上げるという点では『マイ・フェア・レディ』(1964)を思い起こさせる。もっともこの場合は男女の役割が入れ替わっているのが60年代と80年代の差だろうか。
 ドリー・パートンは以前紹介した『テキサス1の赤いバラ』(1982)などに出演しているスター歌手。美人で当然歌も上手いし、それから胸もデカい。この作品では音楽も担当している。『テキサス1の赤いバラ』のバート・レイノルズや『クラブ・ラインストーン』のシルヴェスター・スタローンなど強面な俳優をすっかり手玉に取ってしまう女傑ぶりが楽しい。
 特訓のためスタローンはアメリカ西部のテネシーに連れて行かれる。そこで登場するのがドリー・パートンの父親役のリチャード・ファーンズワース。この人は長年スタントマンとして活躍した人で、60歳を過ぎてから本格的に俳優として活躍し始めたというちょっと変わった経歴の持ち主だ。口ひげをたくわえた穏やかだか芯の部分でタフな老人役が多かった。『クラブ・ラインストーン』もファーンズワースの登場で深みが出ている。
 スタローンにとっては初めての本格的なコメディで、時期的には『ランボー』『ロッキー3』と『ランボー 怒りの脱出』『ロッキー4』との間の作品となる。アクションやスポーツドラマだけではなくジャンルを広げようという試みがあったのだろう。
音痴なタクシー運転手が歌手にならされるというシチュエーションがまず可笑しいし、主演としてはドリー・パートンの方が比重が大きいためスタローンのアクが抑えめになっていてバランスの取れたコメディに仕上がっている。
 90年代に入って人気が低迷したスタローンは路線変更とばかりに『オスカー』(1991)や『刑事ジョー ママにお手上げ』(1992)などのコメディに出演しているが、どちらも興行的に失敗しているはずだし、『刑事ジョー』は作品的にも大駄作だ。『オスカー』の方は個人的には好きで今度DVDが発売されるから買う予定だ。

B00008453H.jpg
『ロックアップ』
(1989) LOCK UP 109分 アメリカ 1989/12鑑賞

監督:ジョン・フリン 製作:ローレンス・ゴードン、チャールズ・ゴードン 脚本:リチャード・スミス、ジェブ・スチュアート、ヘンリー・ローゼンバウム 撮影:ドナルド・ソーリン 音楽:ビル・コンティ
出演:シルヴェスター・スタローン、ドナルド・サザーランド、ジョン・エイモス、ダーラン・フリューゲル、ソニー・ランダム

 刑事施設受刑者処遇法が参議院で可決・成立したそうだ。
 なんでも受刑者の人権尊重がより重視されるようになり、模範囚は刑務所外への外出・外泊も可能になるとか。他にも外部への電話もかけられるようになり、模範囚にとってはかなり規制がゆるくなるようだ。
 それが良いことなのか悪いことなのか、そして実際にちゃんと運営されるかなどはまた別の話として、この模範囚は外泊が可能という制度はアメリカでは以前からあったようだ。
 シルヴェスター・スタローン主演の刑務所映画『ロックアップ』はスタローンが刑務所から外泊許可が出て、恋人の待つ自宅で一時を過ごしているシーンから始まる。最初は囚人が外泊できるという意味が分からず、「どーなってんだこれは」と首をかしげてしまった。1989年当時の日本人にとって囚人が外泊できるなんて思いもよばなかった。塀の外へ出られるのは刑期を終えた後か、病気や事故などで死んで棺に入って出るか、『塀の中の懲りない面々』シリーズでは確かそう描かれていたはずだ。

 映画と現実とでは違うのだろうが、アメリカの刑務所映画にはいろいろと謎な点が多い。
 休憩時間には中庭のグラウンドでベンチプレスをしていたり、牢屋の中に写真や絵など私物を持ち込んで飾っていたりする。比較的規則は少なく自由に過ごしているようにも見える。この作品でもスタローンは刑務所の工場を利用して車のレストアをやっている。その作業はどうも刑として課せられたものではなく、個人的な趣味でやっているようだ。そんなのありか?
 自由な雰囲気の反面、囚人同士の暴力沙汰や殺傷事件などは日常茶飯事のように描かれている場合が多い。これもかなり無茶な話だと思うのだが、実際にそんなことが多発しているのだろうか。現実は現実、フィクションはフィクションとして観た方が良いのだろうな、やはり。

 刑期もあと数ヶ月で完了するところで、スタローンは別の刑務所に移されてしまう。そこの刑務所長(ドナルド・サザーランド)はスタローンと因縁があり恨みを持っている人物。スタローンを無事に出所させないよう様々な方法で圧力をかけて苦しめ、ついに脱獄しようとしたところを射殺しようという考え。なんかちょっと回りくどいが、これならば大きな問題になることはない。
 ドナルド・サザーランドの悪徳所長は憎たらしさが良く出ている。時々ちらっと顔を見せるだけで、登場シーンとしてはかなり短い。妙に不自然なカットもあり、ひょっとしたら撮影現場に来たのは1日だけで、サザーランドの出演シーンだけぱっぱと撮ってしまったのかもしれない。
 嫌がらせ(?)を受けながらも、スタローンは不幸・負け犬系の顔でじっと耐える。そして耐え抜いた末、仲間の青年が殺されたことで脱獄することを決める。この耐えに耐えて、そしてついに立ち上がるというカタルシスが良い。この辺りはアメリカ人のクセに任侠映画っぽい作品を撮るジョン・フリンだけのことはある。
 でもまあ、どうせ最後には立ち上がるんだから、さっさと立ち上がっておけば本人や周りへの被害も少なかったんじゃないかなとか思ってしまう。「ウルトラマンは変身すると同時にスペシウム光線を放てばいいじゃん」てのと同じ理屈か。・・・違うか。
 何故か嫌いになれない作品だが取り立ててお勧めはしない。刑務所映画ファンとスタローンのファンなら観ておくべきか。

『塀の中のプレイ・ボール』(1987) 104分 日本

監督:鈴木則文 製作:織田啓二、杉崎重美 プロデューサー:大西悦子、小坂一雄 原作:安部譲二 脚本:鈴木則文、溝札昌裕 撮影:羽文義昌 美術:重田重盛 音楽:山崎稔
出演:草刈正雄、小柳ルミ子、伊武雅刀、山城新伍、長門勇、岡田奈々、ガッツ石松

 囚人チームと看守チームがスポーツで対戦する映画というと『ロンゲスト・ヤード』が有名だが、実は日本映画にもあったりする。スマッシュヒットした『塀の中の懲りない面々』の二作目にあたる『塀の中のプレイボール』がそれだ。
 監督が鈴木則文だからと映画館まで観に行った。東映以外で鈴木則文がメガホンを取るのは珍しい。一応はヤクザ物に属するが、東映ヤクザ物とは雰囲気がかなり違い人情重視になっているのが松竹作品らしい。

 『塀の中』というだけあって舞台は刑務所の中。アメリカの刑務所物はかなり悲惨でつらそうだが、このシリーズにおける日本の刑務所は不自由なことは多くてもそれなりに快適そうで、囚人同士の暴力沙汰やどっからか物を仕入れてくる調達屋は登場しない。刑務所物を観る度に疑問だったのだがあの調達屋ってのはどこから物資を手に入れてくるのだろうか?刑務所じゃなくて捕虜収容所になるが、『大脱走』のジェームズ・ガーナーは看守の弱みを握って裏で取引していたが、刑務所の場合もやはり看守なのだろうか?

 刑務所の中で囚人達が休憩時間に楽しんでいるのがソフト・ボール。以前は看守チームとの対戦も行われていたという話を聞いた主人公(草刈正雄)は再びその試合を実現させようとする。それと同時に、各囚人の犯した罪や過去が語られていく。
囚人の中にガンを患い余命いくばくもない老人がいて、彼がいろいろと面倒を見た少女が今ではスター歌手になっている。彼女が慰問コンサートを行うが会場に老人の姿はない。そして雨の降りしきる中、一つの棺が門を通って塀の外へと運び出される。ベタだがぐっとくるシーンだ。

 もう20年近く前の作品で、今さらレンタルビデオで借りる人も少ないだろうし、テレビで放映されることもまずないだろうから書いてしまうが、結局のところ看守チームとの対戦は実現しない。
原作がそうなっているのか、映画の都合でそうなったのかは知らないが、観終わってみると「なるほどあのまま看守チームと戦わせたら、その勝負に目が行ってしまい囚人達の群像劇が置いてけぼりになってしまうな」と感じた。何を見せて何を見せないかは演出における重要な点だ。
 ソフト・ボールの試合の代わりにラスト近くにどつき合いが用意されている。怒った主人公は看守長(山城新五)のいる部屋へと乗り込み、怒鳴り合ったあげく激しい殴り合いを始めるのだ。この殴り合いがなかなかに良い。アクションとしては大したことはないのだが、「決着はこの拳でつけるぜっ!」とセリフではなく俳優の身体で語らせている。勝負は看守長が勝って終わる。嫌な奴だった看守長もそれなりに男であった。山城新五のことなど興味はなく単なるチョメチョメ野郎だと思っていたがちょっと見直した。ちょっとだけだけどな。

監督:リック・ローゼンタール 脚本:リチャード・ディレロ 撮影:ブルース・サーティース、ドナルド・ソーリン 音楽:ビル・コンティ
出演:ショーン・ペン、アリー・シーディ、レニ・サントーニ、イーサイ・モラレス、エリック・ガリー

 『バッド・ボーイズ』といっても黒人刑事二人組が主役のスカ映画ではない。1983年の作品だからもう22年も前になるが、わたしがショーン・ペンを初めて見たのがこの作品だ。わたしの好みから考えて『バッド・ボーイズ』を観に行ったとは思えないので、同時上映が目当てだったのだろう。当時の名古屋は二本立てが主流だった。ホラーとアクションとか、ロマンスとコメディとか組み合わせはかなりいい加減だった。『バッド・ボーイズ』もアクションかコメディと組んでいたのだろう。

 少年刑務所を舞台に暴力と憎しみそして復讐を描いた映画である。
 子供を轢き殺すなど重罪を犯して少年刑務所に収容されたショーン・ペンは、そこのボスである少年に目を付けられてしまう。支配下に入らなかったショーン・ペンはボスたちに襲われるが、格闘の結果逆に相手を倒してしまう。
こうしてショーン・ペンは新しいボスになった。そこへショーン・ペンが轢き殺した子供の兄で以前から対立していたギャンググループのボスが収容されてくる。
彼らは他の囚人達が見守る中、命を賭けた対決を始めるのだった。

 ジャッキー・チェンやサモ・ハン・キンポーらが出演した『炎の大捜査線』(1991)でこの映画のラストが丸々パクられていた。まあ『炎の大捜査線』自体が色々と黒い噂がある作品なので(なんていったってジミー・ウォング製作・出演だ)、これぐらいは驚く事じゃないが。
ショーン・ペンの心の奥に苦悩を抱えたような演技はすでに形が出来上がっている。アカデミー主演男優賞を受賞した近作『ミスティック・リバー』での主人公もその系統だ。『I am Sam アイ・アム・サム』や『俺たちは天使じゃない』、そして『初体験 リッジモント・ハイ』みたいな役も出来るのだがあまりやってくれないのがちょっと残念。

B00005HVC1.jpg
『ステート・オブ・グレース』(1990) STATE OF GRACE 133分 アメリカ

監督:フィル・ジョアノー 製作:ネッド・ダウド、ランディ・オストロウ、ロン・ロゾルツ 脚本:デニス・マッキンタイア 撮影:ジョーダン・クローネンウェス 音楽:エンニオ・モリコーネ
出演:ショーン・ペン、エド・ハリス、ゲイリー・オールドマン、ロビン・ライト、ジョン・タートゥーロ

 主人公がショーン・ペン、ガキの頃からの友人のチンピラがゲイリー・オールドマン、そしてその兄でアイルランド系犯罪組織のボスがエド・ハリス。ナイフのような鋭い狂気を秘めた男どもがずらりと揃っている。
ショーン・ペンとゲイリー・オールドマンがギャングというのはこれまでにもあった配役だが、エド・ハリスの悪役は珍しい。これがまた格好いいんだ。最近のエド・ハリスと比べるとまだ髪もあるが、額はずいぶん上の方で天辺から後頭部にかけてハゲ。ハゲは格好悪いというのはありゃ嘘だな。エド・ハリスの髪がふさふさだったらきっとそんなに格好良くない。わたしもまだ髪は大丈夫だが、これから段々と額が後退していきそうだ。でも、「うわーい、エド・ハリスみたいになれるぞ」ってんであまり気にしていない。でもエド・ハリス=ハゲだが、ハゲ=エド・ハリスではないんだよな。

 人を殺してしまったため生まれ育ったニューヨークはウエスト・サイドのヘルズ・キッチンを離れていたショーン・ペンが、久々に街に帰ってくる。犯罪組織に入ったショーン・ペンは、恐喝や取り立てで実績を上げてエド・ハリスに認められ地位を固めていく。
そして、エド・ハリスとゲイリー・オールドマンの妹で街を離れる前の恋人(ロビン・ライト)と再開し、再び恋仲になる。
エド・ハリスがイタリア・マフィアと手を結ぼうとしヘルズ・キッチンに緊張感が漂う中、ショーン・ペンは人目を避けてある人物と密談する。
そして、ショーン・ペンの意外な正体が明らかになるが・・・

 ショーン・ペンの正体は書かないが、これまで頭の中で描いていたストーリーが一気にコペルニクス的展開する名脚本だと思う。だが、当時所属していた大学の映画研究会では「なんでショーン・ペンが○○なのか意味が分からない。あんなの卑怯だ。訳が分からない」とどう説明しても分からない奴がいた。お前の方が訳が分からないってば。
昔馴染みの悪党どもといまでは別の立場に立つ自分との間で、段々とその矛盾に追いつめられていき精神的に不安定になっていく主人公。真実を打ち明けられないことから恋人との間にも溝が生じ、親友も殺されてしまう。
そしてラスト、祭りのパレードで街がにぎわう中、ショーン・ペンはたった一人で拳銃を手に組織の拠点へと乗り込んでいく。
その理由は自らの立場や手柄のためではなく、仇討ちや愛のためでもなく、ただ「きっちりと片を付ける」ためなのだろう。なぜか『昭和残侠伝』シリーズの高倉健(健さん)を思い浮かべてしまった。

 何度か拳銃による殺害シーンがあるが、どれも突発的であっという間に終わり凄みがある。最近のジョン・ウー的に派手な銃撃戦も好きだが、ハードボイルド刑事映画には静かな銃撃戦が似合う。

 ロケを多用しており、ヘルズ・キッチンの風景がリアルに映し出される。室内では照明を最小限にし、陰影を上手く使った画作りになっている。ただ、ブラウン管や液晶では黒が生きないので映画館のスクリーンじゃないと魅力は半減してしまうだろう。

B0007N34EE.jpg
『ミーン・マシーン』
(2001) MEAN MACHINE 98分 アメリカ
監督:バリー・スコルニック 製作総指揮:アルバート・S・ラディ、マシュー・ヴォーン、シンシア・ペット=ダンテ 原案:トレイシー・キーナン・ウィン 脚本:チャーリー・フレッチャー、クリス・ベイカー、アンドリュー・デイ 撮影:アレックス・バーバー 音楽:ジョン・マーフィ
出演:ヴィニー・ジョーンズ、ジェイソン・ステイサム、デヴィッド・ヘミングス、ラルフ・ブラウン、ヴァス・ブラックウッド

 日本対北朝鮮のワールドカップ予選は第三国のグラウンドで観客を入れず関係者のみで行われるそうだ。サッカーにはほとんど興味がないが、観客なしのサッカー試合ということで思い出したのがこの『ミーン・マシーン』だ。
人によっては『ミーン・マシーン』でピンときただろう。ロバート・アルドリッチ監督、バート・レイノルズ主演による傑作『ロンゲスト・ヤード』(1974)の変化球的リメイクになる。
『ロンゲスト・ヤード』は刑務所に収容された元名アメリカン・フットボール選手が囚人達のアメフトのチームを作り上げ、ついには看守チームと対戦する、男たちのプライドとしぶとさを痛快に描いた作品だ。
『ミーン・マシーン』では舞台をイギリスに移し、アメフトからサッカーに変更するなどいくつも違いがあって、オリジナルを観た人も観ていない人も楽しめる刑務所サッカー映画になっている。
主人公は八百長のためサッカー界を追放された元名プレイヤー。イギリスではサッカーが盛んだそうだから、社会的にも居場所をなくしてしまったのだろうか、飲酒運転と警官への暴行で刑務所行きになってしまう。
刑務所の中は当然のごとく犯罪者ばかり。成り行きで囚人チームを結成し、地元では強豪な看守チームと対戦することになってしまう。最初は適当にやっている囚人達だったが、厳しい練習を積むうちに次第にプライドを取り戻していく。
そしてついに試合の日が訪れた・・・

 『ロンゲスト・ヤード』では観客や応援団を入れたにぎやかな試合だったが、刑務所のグラウンドで行われる『ミーン・マシーン』の試合は観客はなくただラジオの実況中継だけが行われる。
確かに、囚人と観客の試合を刑務所ではない一般のグラウンドでやるはずはないのだが、これではにぎやかさに欠けちょっと寂しい。
さほど予算の多い映画ではなさそうなので、手間や金のかかるエキストラは使えなかったということだろうか。しかしそれでは『ロンゲスト・ヤード』のあのラストシーンは成立しない。そのためラストは別の物となっているが、これは『ロンゲスト・ヤード』の方が絶対に良い。
主人公のヴィニー・ジョーンズは『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』などに出演している俳優だが、元はプロサッカー選手だそうだ。さすが足技や動きが上手い。
例によってジェイソン・ステイサムが無駄に暑苦しくて良い。
看守側に『ロンゲスト・ヤード』のエド・ローターのような魅力的な人物がいないことが残念だ。それで何割か個人的な評価は落ちてしまった。

 『ロンゲスト・ヤード』は最近アメリカで再リメイクされたそうだ。なんでもバート・レイノルズも出ているとか。
でもメイン・キャストがアダム・サンドラーとクリス・ロックってのはどういうことだ?負け犬という泥沼からはい上がる男たちの映画ではなく呑気なコメディになっているのだろうか。

B000B84MR8.jpg
『星に想いを』(1994) I.Q. 96分 アメリカ

監督:フレッド・スケピシ 製作:キャロル・バウム、フレッド・スケピシ 脚本:アンディ・ブレックマン、マイケル・リーソン 撮影:イアン・ベイカー 音楽:ジェリー・ゴールドスミス
出演:メグ・ライアン、ティム・ロビンス、ウォルター・マッソー、トニー・シャルーブ、チャールズ・ダーニング

 ティム・ロビンスはSF好きな自動車整備工。その工場に一台の車が故障のため修理に訪れる。車に乗っていたのは近々結婚予定の女性数学者(メグ・ライアン)と心理学者だった。
数学者に一目惚れした整備工は、彼女が忘れていった懐中時計を届けに彼女の家を訪ねるが、ドアを開けて出てきたのはあの有名な物理学者アルバート・アインシュタイン(ウォルター・マッソー)だった。整備工を気に入ったアインシュタインとその仲間の3人の科学者は、数学者の恋人である心理学者のことを快く思っていないこともあって、整備工の恋の後押しをすることにする。
優秀な頭脳の持ち主と結婚すべきだと思い込んでいる数学者に合わせるため、整備工を物理の天才に仕上げることにする。科学者らしい服装から物理学の議論の仕方・内容まで教えて、これで数学者からのポイントアップかと思ったが、そこから話は勝手に進んでいってシンポジウムでの「低温核融合」に関する論文発表や公開知能テストを行うことになってしまう。
整備工はアメリカが誇る天才として新聞やニュースでも取り上げられるようになるが、数学者は「低温核融合」の論文を検証するうちに不可解な点に気付く。
そして、宇宙開発競争でロシアを出し抜くためにアイゼンハワー大統領まで登場してくるが・・・

 女の子にモテない冴えない男をアメリカンフットボールで活躍させたり、服装や髪型などをピシッと決めた格好いい男にするという映画は昔からあるが、女の子の気を引くために物理学の天才を装うのは初めてではないだろうか。
実際、ガキの頃はスポーツが得意とか見た目が良いが優先され、勉強が出来ても女の子にモテることにはあまり関係がなかったように思う。まあ勉強できなかったけどさ。
 当時、ラブコメの女王だったメグ・ライアンと、背が高いくせに童顔なティム・ロビンスの組み合わせは嫌みがない。ティム・ロビンス自身は監督作『ボブ・ロバーツ』(1992)や『デッドマン・ウォーキング』(1995)などを観るとどうやら意外に屈折した毒のある人物らしい。コメディ映画のヴァイキングから謎のテロリストまでと演技の幅は広い。
その主人公二人を食ってしまっているのが、アインシュタインを始めとする4人の老科学者たち。ウォルター・マッソーが上手い。整備工の恋を後押しするのも、彼を気に入ったが半分、残りの半分は単に面白いからではないだろうか。あっちゃこっちゃとうろつき回っては好き放題に楽しんでいる。いいなー、わたしもこんなジジイになりたいものだ。
 大統領他の人たちが「整備工がプロポーズに来たんだな」と暖かく見守る中、数学者が抱きついたりキスをしたりする振りをして噛みついたり蹴飛ばしたりするシーンが面白い。この手のシーンはメグ・ライアンの本領発揮だ。
 整備工が知能検査を受けるシーンで、5択式ペーパーテストはカンニングだったのだが、木のパズルを組み合わせるいくつもの問題は自力でスイスイ解いていたよな。まだ目覚めていないってだけでやはり天才なのか?
 ラストはちょっと泣きが入ってきて、個人的に嫌だなーと思っていたが、それほどしつこくなくて良かった。
 監督が『愛しのロクサーヌ』(1987)や『ミスター・ベースボール』(1992)などのフレッド・スケピシなんで、いつものごとく「毒にも薬にもならない」ような作品だ。観ても何も残らないが、観て不快さが残るということもないだろう。かなりこっぱずかしいシーンが多いのでどうもわたしは苦手だ。

『マリリンとアインシュタイン』(1985) INSIGNIFICANCE 109分 イギリス

監督:ニコラス・ローグ 製作:ジェレミー・トーマス 脚本:テリー・ジョンソン 撮影:ピーター・ハナン 編集:トニー・ローソン 音楽:スタンリー・マイヤーズ
出演:テレサ・ラッセル、マイケル・エミル、ゲイリー・ビューシイ、トニー・カーティス

 限りなく「それアインシュタインだろ」という科学者や限りなく「それマリリン・モンロー」だろという女優が「無意味」な議論や会話を繰り広げる奇妙な映画。他には「それジョー・ディマジオだろ」な野球選手と「それマッカーシーだろ」という上院議員などが登場する。無意味というのはその議論や会話が役に立たないという意味ではなく、哲学的な不条理さゆえに実用的な意味が無く無意味ということ。
 科学者が練り上げた画期的な理論も、女優の世界的な人気も、名野球選手の輝かしい功績も、共産主義を駆逐しようと赤狩り先頭に立つ上院議員の意見も、それぞれ等しく意味がない。考えようによってはかなりヤバい思想に基づく映画だ。
 危ないなと思っていたら、やはりハリウッド映画ではなくイギリス映画だった。ハリウッド作品ではまだ赤狩りのことをちゃんと描いた映画はないしな。えっ?『マジェスティック』(2001)?なにを寝ぼけたこといってやがりますか。
監督が『地球に落ちてきた男』(1976)、『トラック29』(1987)だけあって幻想的なシーンも目立つが、個人的には“女優”が列車の模型と風船、そして懐中電灯の明かりを使って“科学者”に特殊相対性理論を解き明かすシーンが印象に残っている。
 野球選手役のゲイリー・ビューシイは割と好きな俳優の一人。ゲイリー・ビジーと記載される場合もある。『サンダー・ブラスト 地上最強の戦車』の主役とか『沈黙の戦艦』の悪海兵士官とかを演じている。あんまり出演する作品を選んでなさそうな無造作振りが良い。一時はドラッグ中毒で廃人寸前との噂も聞いたが、見事立ち直ったようだ。もっとも、最初っからドラッグ中毒にならない人の方が偉いんだが。
 上院議員役のトニー・カーティスは『チキチキマシーン猛レース』の元ネタである『グレートレース』(1965)や『パリで一緒に』(1963)の頃は笑うと歯がキラーンと光るタイプの二枚目だったのだが、年を取ると顔の造作が崩れたような不細工になってしまった。てっきり事故にでもあったのかと思ったがどうやらそうではなさそう。
 女優役のテレサ・ラッセルはニコラス・ローグの奥さんだそうな。

『天才アカデミー』(1985) REAL GENIUS 106分 アメリカ

監督:マーサ・クーリッジ 製作:ブライアン・グレイザー 製作総指揮:ロバート・デイリー 脚本:マーサ・クーリッジ、ニール・イズラエル、ピーター・トロクヴェイ、パット・プロフト 撮影:ヴィルモス・ジグモンド 音楽:トーマス・ニューマン
出演:ゲイブ・ジャレット、ヴァル・キルマー、ウィリアム・アザートン、ミシェル・メイリンク、パティ・ダーバンヴィル、ロバート・プレスコット、エド・ローター

 アインシュタインつながりということで今日紹介するのは『天才アカデミー』。原題は『REAL GENIUS』でおそらく『本物の天才達』とでもいったところか。タイトルに無意味にアカデミーが付くのは『ポリスアカデミー』の影響と思われる。
主人公の少年ミッチェは天才児で、15歳にして工科大学に飛び級入学する。
そして寮に入ることになるのだが、そこの住人は天才揃いかつ変人ばかり。その中でも一番イカれているのがクリス(ヴァル・キルマー)だ。例のアインシュタインがアッカンベーをしたTシャツ(トレーナーだったかも)を身につけていて、いつもバカ騒ぎばかりしているクリスだが、実は彼こそが学生一の天才児だった。
クリスと仲良くなったミッチェは次第に寮の雰囲気にも慣れていき、ついには彼女まで作ってしまう。
こんな一種のユートピアだった大学と寮だったが、そこには軍から開発基金の融資を受けてレーザー攻撃衛星を作る悪徳教授がいた。
ミッチェとクリスは教授の悪行を掴むが、こちらはただの学生、相手は高名な大学教授とあっては手の出しようがなかった。考えあぐねた二人はなんとか軍事基地に侵入。そして衛星のコンピューターの高度を書き換える。
そしていよいよ攻撃衛星を使っての試験が行われる。衛星軌道に乗った衛星はターゲットに照準を合わせ始める。しかし、それは予定されていた場所ではなく、なんと悪徳教授が裏金で建てた新築の家だったのだ。
家に降り注ぐレーザー光線。ドッッカーーーん!と爆発するのかと思いきや、どうもなにか様子が変だ。家の中からポンポンッとはじける音がする。
中にはいると、大広間には大量のポップコーンの素が置かれていて、これがレーザーの熱で景気よく弾けている。
そして家中がポップコーンだらけになり、ついには壁も屋根も吹き飛ばしてポップコーンがあふれ出していった・・・

 天才達の無軌道振りは『アニマルハウス』のデルタ・ハウスの連中に似てもいる。片や天才、片やバカでも人並み外れている点では共通している。
ラストの復讐もちゃんと笑いで落としてくれるところがうれしい。
うーん、いいなあ、こんな大学生活、と思ったがそれなりに近い時間を過ごした気がしないでもない。
アインシュタインTシャツ、欲しいんですが売ってないかなぁ。

『ヤング・アインシュタイン』(1988) YOUNG EINSTEIN 91分 オーストラリア

監督:ヤッホー・シリアス 製作:ワーウィック・ロス、ヤッホー・シリアス 原作:ヤッホー・シリアス 脚本:ヤッホー・シリアス、デヴィッド・ローチ 撮影:ジェフ・ダーリング 音楽:ウィリアム・モツィング、マーティン・アーマイガー、トミー・タイチョ
出演:ヤッホー・シリアス、オディール・ル・クレジオ、ジョン・ハワード、ピー・ウィー・ウィルソン

 偉大なる科学者アルバート・アインシュタインの人生を描いた作品。
なんとアインシュタインがオーストラリアはタスマニア島生まれのタスマニア育ち。どんなアインシュタインだそれは。
アインシュタインが手作りビールを醸造中に誤って小屋ごとドカン!と吹っ飛ぶ。その弾みで彼は新たなビール製造法を思いつく。特許を取るためにさっそくヨーロッパへ向かうが、実はその製造法こそE=mc2を始めとした相対性理論にほかならなかったのだ。
その道中で出会ったキューリー夫人ことマリー・キューリーに恋に落ちる。観たのがずいぶん前なのではっきりと憶えていないのだが、マリー・キューリーは独身という設定だったと思うので正確にはキューリー夫人ではない。それにそれだと不倫になるしな。
その後、悪人の仕掛けた罠にはまって精神病院に入れられたりしながらも、最後はこれまた発明したエレキギターを使って悪人が作り出した原子爆弾の爆発を阻止する大活躍。
「なるほど、アインシュタインはこんな人だったのか」と感心しないように。もちろん大嘘だから。

 『ヤング・アインシュタイン』というタイトルは、やはりメル・ブルックスの『ヤング・フランケンシュタイン』(1974)から思いついたのだろうか?
全編を通してふざけていて、その徹底ぶりが気持ちいい。
監督・脚本・主演を務めるヤッホー・シリアスはなかなかの二枚目。でも演技はバカ。真面目な顔でバカなことばかりやっているのは、昔のジム・キャリーを思わせる。1994年と1999年にも監督・脚本・主演で新作を撮っているようだが日本未公開でビデオ発売のみ。機会がなくてまだ観ていないが相変わらずバカだそうだ。
ヤッホー・シリアスという名前は多分芸名だろう。シリアスという姓は本名の可能性もあるがヤッホーは違うだろ。これが本名だったら親を尊敬する。
ちなみに綴りは「Yahoo Serious」。ヤッホーはヤフー!と同じ綴りだ。yahooにはバカとか田舎者という意味もあるそうだ。オーストラリア英語ではチンピラを意味する俗語だとか。・・・やっぱ芸名だよねぇ・・・

 多分今頃はあちこちのサイトで取り上げられているネタなのだろうが、やはりやるぞあえてやる。
お金を食べる『PACKMAN(パックマン) 楽しいしかけの貯金箱』である。

 うわーい、うわーい、パクマンさんだぁ?。なんてことは置いておくとして、ずいぶん久しぶりにみるラウンドフォルムだ。いつ頃に流行したのか忘れたが、わたしも子供の頃にパックマンで遊んだ世代だったはず。
パッと見は往年のままだが、内部機構は最新のテクノロジーを駆使しており、もはや『新パックマン』『パックマンMarkII』とでも呼ぶべき存在・・・ではない。おそらく昔のまんま。復刻と銘打ってあるし、当時ですでに完成の域に達していたのだろう。

 左手の上にコインをのせて(手なんだよなこれは)下に下げる。この時にコインを手の平の手前側にある溝にはめ込むことが重要だ。これを怠るとコインがあさっての方向に飛んでいって拾うのが面倒だし、下手をするとどこかに入り込んで紛失してしまうので財政的ショックが大きい。
 手を離すとバネ仕掛けで右手が上がり、一瞬開いた口にコインが飲み込まれる。飲み込まれたお金はパックマンを壊さないと取り出せないなんてことはなく、下部についたネジ蓋を外すと取り出せる。そのせいで、飲み込ませちゃあ出し、また飲み込ませちゃあ出しで、いっこうにお金が貯まらない。
案外と壊れやすいようなので手荒に扱わないようにしよう。

 色はグリーンの他にレッド、ピンク、ホワイト、ブラックの五種類。ホワイトの代わりにブルーがあれば東映戦隊ヒーロー物だ。
「パックマンレッド」
「パックマンブルー」
「パックマンブラック」
「パックマンピンク」
「パックマングリーン」
「「我ら銭食い戦隊パックマンジャー!!」」
チュドーンと後ろで五色の爆発が起きる・・・あーベタなネタだ。

 昔はトミーの商品だったが、現在はオムニクルという会社から発売されている。ちゃんと(C)TOMYは入っているので海賊版ではなく正規ライセンス物だ。
実際に貯金をするのに使うも良し、オブジェとして飾るのも良し。お一つどおっすか?

柏餅とチマキ

| コメント(0) | トラックバック(0)

 5月5日の「こどもの日」を過ぎたせいか、スーパーで柏餅とチマキが安売りされていた。
せっかくだからと、なにがせっかくなのかよく分からないが買ってきて食った。なんか最近このサイトでは食ってばかりで「映画バカ」はどこへ行ってしまったんだとも思うが、映画バカだって腹は減るし飯を食わないと映画も見られない。
とまあ詭弁を弄しつつまずは柏餅から食べる。まずは当然葉っぱをはがす。桜餅のように葉っぱごと食べられないのはちょっと残念。香り付けだというが言うほど付いてるか?昔の柏の葉はもっと香りが強かったのか、実は見た目優先じゃないかという気がする。
桜餅だって上品な食べ方だと葉は食べないから、とおっしゃる方もいるだろうが、それってのは全然分かってねぇ。桜餅の味における27%は葉っぱなんだよ葉っぱ。がぶっとかぶりつけ、がぶっと。
柏餅はコシアンの場合が多く、コシアンファンのわたしとしてはうれしい。餅部分がプレーンな味なので、粒アンだとアンコの主張が強すぎてしまうだろう。買ってきた3つの柏餅は、今日二つ、明日一つと計画していたのだがあっという間に三つとも腹の中に収まる。

 つづいてチマキに手を出す。
しかしチマキなんか食べるのは何年、いや十何年ぶりだ?巻かれた笹の葉を向いてぷるぷるしているのにかぶりつく。なんだか懐かしいもちもちした食感。どことなく名古屋名物ういろうに似ている。そういえばどちらも原料は米の粉か。

 食べ終えて思ったのは、柏餅は時々食べてもいいが、チマキを次に食べるのはまあ十数年後かなだった。チマキ業界の方申し訳ない。

ウェブページ

Powered by Movable Type 4.261

このアーカイブについて

このページには、2005年5月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2005年4月です。

次のアーカイブは2005年6月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。