« 2005年03月 | メイン | 2005年05月 »

2005年04月 アーカイブ

2005年04月03日

「俺がこんなに強いのも、当たり前田のクラッカー」 ちょっとしたカルチャーギャップ

 珍しくスーパーのお菓子売り場をうろついていたところ、伝説のアイテムを見つけてしまった。
そう、『前田のクラッカー』だ。
『前田のクラッカー』といえば前田製菓株式会社のヒット商品だ。同社がスポンサーだったテレビ喜劇『てなもんや三度笠』(1962~1968)で主人公の侍あんかけの時次郎(藤田まこと)が襲いかかる悪党数人を打ち倒し、「俺がこんなに強いのも、当たり前田のクラッカー」と口上を述べるCMが有名だった。
さすがにこの番組はリアルタイムで見てはいないが(というかまだ生まれてない)、1990年頃にビデオ化されたことがあり、レンタルして見たことがある。関西発な番組だけあって吉本新喜劇風というか、NHKのクソ番組『コメディお江戸でござる』を1273万倍ぐらい面白くした感じでなかなか面白い番組だった。
財津一郎の「ひじょーにキビシーッ!」のギャグもこの番組で生み出されたんだそうだ。

「何だ、前田のクラッカーは普通に店で売ってるよ」という方もいらっしゃるかもしれない。
だが愛知県では、もうちょっと地域を狭めると知多半島では売ってるのを見たことがない。関西色の強い『てなもんや三度笠』からも分かるとおり、前田製菓は大阪は堺市の会社なので関西での勢力は強そうだ。で、愛知県ではちょっと苦戦していたのかも。
だけど、10年ほど前には愛知県のAMラジオで前田製菓のCMが流れていたな。藤田まことが「俺がこんなに強いのも、当たり前田のセサミハイチ。最近はこれですわぁ」というやつ。でも、肝心のセサミハイチを売り場で見たことはなかったなぁ。
こんな具合にある土地ではごく普通に売っている物が、他所に行くと全く見かけないなんてことは案外あるのだろう。狭いようで日本もそれなりに広いのだ。それによってちょっとしたカルチャーギャップも生じる。
そのカルチャーギャップについて「白みそのみそ汁なんて飲めるかよ」、「赤だしは貧乏人のみそ汁だよな。塩辛くておかずなしでもご飯がすすむ」といった具合に相手をけなし合うのも一つの対処法だが、それを面白おかしく楽しんじゃうってのもありだ。あんまり楽しみすぎると「あんた、馬鹿にしとんのか」と土地の人に怒られるがな。

ちなみに引っ越してきて一番驚いたのは『前田のクラッカー』ではなく、鮮魚売り場にあった『げんげ』という魚だ。ナマズを小さくしたような、いやいやハゼのウロコを取ってぬめっとさせたような、ドジョウを思いっきり太らせたような、こう見るからにぬめっとしてぬるっとしてぐにっとした奇妙な魚だ。好きな人には悪いがどう見ても美味そうではない。
日本海側では割と普通に売られているんだそうな。太平洋側で育ったわたしにとってこんなのもちょっとしたカルチャーギャップだ。

2005年04月04日

『ティアーズ・オブ・ザ・サン』 in the Jungle

B0006GAWHE.jpg
『ティアーズ・オブ・ザ・サン』(2003) TEARS OF THE SUN 118分 アメリカ 2003/10/28鑑賞

監督:アントワーン・フークア 製作:イアン・ブライス、マイク・ロベル、アーノルド・リフキン 製作総指揮:ジョー・ロス 脚本:アレックス・ラスカー、パトリック・シリロ 撮影:マウロ・フィオーレ 編集:コンラッド・バフ 音楽:ハンス・ジマー、リサ・ジェラード
出演:ブルース・ウィリス、モニカ・ベルッチ、コール・ハウザー、イーモン・ウォーカー、ジョニー・メスナー

 海軍特殊部隊シールズによるジャングル戦は面白かった。間隔を開けて斜め一列に並んだ兵士たちが、前の者から順繰りに後ろに下がっていってまた戦列を組むという敵に隙を見せない後退の仕方などがリアルっぽくていい。
だがストーリーとしては妙にストレスの溜まる物で面白くない上に爽快感もない。

ナイジェリアの内紛でアメリカ人をはじめとする外国人やキリスト教徒の虐殺が始まった。当地で医療活動を行っているアメリカ人女性医師を救出するためシールズが送り込まれる。だが、医師は他の人も連れて行かなきゃ駄目だと同行を拒否する。
もうね、この時点で医師を縛り上げて無理矢理引っ張ってきゃ良かったんだよ。他のナイジェリア人達はどうするのつったって、そんなもん連れて行けるわけないだろうに。ナイジェリアにアメリカの軍隊が乗り込んでアメリカ人を救出こと自体が本来はかなりヤバいというか国際的には問題もあるわけで、そんなのが平気でまかり通るならば日本だって自衛隊を北朝鮮に送り込んで拉致された日本人を救出していいってことになる。でも、そんなことやったら泥沼だわなぁ。まあ現状もある意味泥沼だが。

ナイジェリア人を置き去りにして医師だけを乗せてヘリコプターが飛び立とうとするときに、この医師は隊長(ブルース・ウィリス)のことを散々罵倒し唾まで吐きかける。
あのね、特殊部隊の連中は命がけであんたの救出活動をしてるんだっつーの。任務内容はアメリカ人を救出することで命令にないことは出来ないし、ナイジェリア人を国外に連れ出したら内政干渉になるんじゃないのか。
わがままも大概にしろというか、この医師にはまるで同情できないしそれから隠していることがあるならとっとと言えよ。あーもう、イライラするなぁ。「もう30時間も歩いてるのよ」って休憩している場合か。国境を越えればいくらでも休めるんだからとっとと歩け。
ブルース・ウィリスたちもプロの軍人ならばプロの軍人を貫いてくれればいいのだが、途中から妙なヒューマニズムに目覚めてくるし。でも結局はアメリカの立場でのヒューマニズムなんだよな。だいたい、ブルース・ウィリスは部下の兵士に対する責任もあるわけだがそこら辺はどうなのよ。軍人だから危険は覚悟の上だろうが、任務外の不必要な行動で部下を命の危機にさらすってのはまずいだろ。部下達は「隊長は間違っていません」と従ってるが、一人ぐらい不平を唱えたり反旗を翻しても良いだろうに。それとも任務外の行動でも上官は絶対なのか。

アフリカにおけるアメリカ軍特殊部隊の活動というと他には『ブラックホーク・ダウン』がある。
徹底したアメリカのエゴに基づいて作られている『ブラックホーク・ダウン』に対して、『ティアーズ・オブ・サン』は中途半端にアフリカ人に対する同情の視点がある。それだって上辺だけの通り一辺倒な同情で深く問題に踏み込んだものではない。娯楽としても社会派としても中途半端。
ストーリーなど無視してジャングルでの戦闘シーンを楽しむのが吉かも知れない。

2005年04月05日

『ブラックホーク・ダウン』 実は『エイリアン2』

B00018GYC4.jpg『ブラックホーク・ダウン』(2001) BLACK HAWK DOWN 145分 2002/04/12鑑賞

監督:リドリー・スコット 製作:ジェリー・ブラッカイマー、リドリー・スコット 製作総指揮:ブランコ・ラスティグ、チャド・オマン、マイク・ステンソン、サイモン・ウェスト 原作:マーク・ボウデン 脚本:ケン・ノーラン、スティーヴン・ザイリアン 撮影:スラヴォミール・イジャック 編集:ピエトロ・スカリア 音楽:リサ・ジェラード、ハンス・ジマー
出演:ジョシュ・ハートネット、ユアン・マクレガー、トム・サイズモア、サム・シェパード、エリック・バナ、オーランド・ブルーム

 ブラックホークが落っこちた、落っこちた、落っこちた。ブラックホークが落っこちた、さぁどうしよう?
というわけであれやこれやあったあげく、金と銀でできたブラックホークが作られパイプを加えた番人が見張ることになりましたとさ。だったら平和だったんだけどねぇ。

 内乱が続くソマリアの市内へアイディード将軍襲撃のために、アメリカ軍特殊部隊を載せた多目的ヘリ“ブラックホーク”が送り込まれる。軍用のヘリで“ブラックホーク”なんて名前だから“ヒューイコブラ”みたいな精悍な戦闘用ヘリかと思ったら寸胴な多目的ヘリだった。あれじゃ鷹(ホーク)というよりガチョウだな。そして、ソマリア民兵の放ったロシア製対戦車ロケット砲“RPG”のロケット弾によって乗員を乗せたまま墜落してしまう。対戦車用兵器でヘリコプターを墜とすとは、ソマリア民兵はなかなか応用が利くな。
敵地の取り残されたアメリカ兵を救出するためアメリカ軍はヘリの使用は諦めて軍用車両ハンビー(ジープの後継車。こいつの民生版がハマーだが、んな化けモンを街中で乗り回すんじゃねぇ)部隊などを送り出す。こうして、少数のアメリカ軍特殊部隊対雲霞のごときソマリア民兵との戦いが始まった。
 ここから始まる市街戦は確かに迫力抜群で、5.1ch音響システムで観ると部屋の中をピュンシューンと銃弾が飛び交っているかのようだ。市街戦メインの映画というのは意外に少ない。セットが大がかりになるためだろうか。ベトナム戦争を題材にしながらジャングル戦を描かなかった『フルメタル・ジャケット』後半のサイゴン(だったけ?)市街戦やスピルバーグの『プライベート・ライアン』辺りが記憶に残るが、近代装備での市街戦となるとこの『ブラックホーク・ダウン』の戦闘シーンが突出している。中盤からラストまで延々と続くこの戦闘シーンは観て損なし、というか観ないと損。

 だが、戦闘シーンからちょっと目を離すと、果てさてどんなもんだろと首をかしげたくなることが多い。
敵陣に取り残された味方を救出するために決死の作戦に出るというのは戦争物ではお馴染みのシチュエーションだ。そして数的に絶対有利な相手に対して最後まで諦めずに戦うというのもお馴染みだ。そしてこれらは、味方だけではなく敵側もプロの軍隊、プロの軍人だからこそ血湧き肉躍る戦争映画になるのではないだろうか。
『ブラックホーク・ダウン』の敵はソマリアの民兵だ。民兵というのは時折訓練はあるものの平時には民間人として一般の仕事に就き、一朝ことあらば銃を持って兵士として戦うというものだ。『ブラボー小隊 恐怖の脱出』(1981)に登場したアメリカの州兵や古くは日本の屯田兵なんかも多分そうだ。
だが、この映画のソマリア民兵はそういった所謂民兵ではなく“民間人の服装をした兵士”のようだ。大した訓練も受けていないようで兵士としての熟練度は低く、ひょっとしたら“武器を持った民間人”がその正体ではないだろうか。もちろん、アメリカ軍が民間人を殺したとあってはさすがに問題になるから「あれは軍人だ。民兵だ」という主張をくつがえさないだろう。
ラストのクレジットによるとアメリカ側に19人の死者が出てソマリア側の死者は千人を超えるとある。何人かのアメリカ兵を助けるためにどれだけのソマリア民兵を殺してんだよ、殺しすぎだろって感じだ。命の換算レートで言うと「わしらアメリカ兵1人の命は、お前らソマリア民兵500人分じゃけんのぉ」ぐらいの印象だ。

 戦争映画には敵がいる。その敵側の描写が少し入るだけでかなり違ってくるのではないだろうか。この映画ではソマリア民兵は人間というより『エイリアン2』のエイリアンみたいなものだ。殺すか殺されるかだけで、話し合いによる意思の疎通など不可能ということらしい。それどころか、ラスト近くのエリック・バナによると自国の民間人とすら心を通じ合わず信頼するのはアメリカ軍人同士のみ。戦う理由も、世界平和のためではなく、アメリカの平和のためですらなく、同じアメリカ軍の軍人仲間のために戦っているそうだ。
『ティアーズ・オブ・サン』にあった現地人への感情移入や仲間以外の命への配慮などは欠片もない。ここまで、アメリカ至上主義を通しているとそれはそれで見事だ。
もっとも、そういった感想は映画の見方として意味がないというか一番つまらない見方だと思うので反省。

 わたしは戦争映画が好きだが、それはプロの軍人同士が知力・体力・時の運の限りを尽くしてアメリカ横断・・・いやいやいや、尽くして戦い合う姿が格好いいのだ。その格好良さが『ブラックホーク・ダウン』にはなかったのが残念だ。

2005年04月06日

『オズ』 ドロシー、オズへと帰る

『オズ』(1985) RETURN TO OZ 110分 アメリカ 1986/03頃鑑賞

監督:ウォルター・マーチ 製作:ポール・マスランスキー 製作総指揮:ゲイリー・カーツ 原作:L・フランク・ボーム 脚本:ウォルター・マーチ、ギル・デニス 撮影:デヴィッド・ワトキン 音楽:デヴィッド・シャイア
出演:フェアルーザ・バーク、ニコル・ウィリアムソン、ジーン・マーシュ、パイパー・ローリー、マット・クラーク

 引っ越しの際に古い荷物の中からバッチが出てきた。
最初は横に見ていて、「O・・・N?なんのこっちゃ。往年のジャイアンツか?王と長島でON砲とかいってたもんな」と首をかしげていた。で、首をかしげたことで向きが90度横になり“ON”ではなく“OZ”だと判明した。
OZ、オズ、あー『オズ(RETURN TO OZ)』の前売り券のオマケでもらったヤツだ。多分。

 傑作ミュージカル映画『オズの魔法使』(1939)のラストで魔法の靴によって無事カンザスに帰ったドロシーだったが、その後日談にあたるこの『オズ』の冒頭では病院に入院している。
「えっ、ドロシーはどっか身体を悪くしちゃったの?」
と心配される方もいるかも知れないが、安心して欲しい。彼女の肉体はすこぶる健康である。
だって入院しているのは精神病院なのだから・・・

 ドロシーは幼くして両親を亡くし、叔父夫婦の元で育った夢見がちな少女。
そんな少女が竜巻の後で何日間も行方不明になってしまった。ようやく帰ってきたと思ったら自分はオズという魔法の国に行って、そこでカカシやブリキの木こり、そしてライオンと一緒に旅をして悪い魔女をやっつけたと真剣に話しそれを信じ込んでいる。
ひょっとしたらこの少女は悪人に拉致監禁されるかして心に深い傷を負ってしまい、幻想的な架空の話を作り上げそこに逃げ込むことで逃避しているのではないか。叔父夫婦から相談された精神科医がそう考えたとしてもおかしくない。
色彩に欠け重苦しい病院に閉じこめられたドロシー。医師も看護婦も怖ろしげで、彼女の言うことに聞く耳さえ持たない。そして彼女はある嵐の晩に病院を抜け出した。激しい風雨の中で意識を失った彼女が気がついたときはなんとふたたびオズの国にいたのであった。
だが、以前の美しく色鮮やかだった風景はすっかり荒れ果て、悪いモンスターがうろつく世界と化していた。
どうやら地下に王国を築くノーム王が地上侵略を始めたらしい。果たしてドロシーは美しかったオズを取り戻せるのか?

 子供時代にテレビで放映された『オズの魔法使』(1939)が好きだったので、この作品は気合いを入れて観に行ったのだが、いきなりな冒頭にかなり唖然としてしまった。
『オズの魔法使』(MGM)と『オズ』(ディズニー)とでは製作会社自体が違うのだが、作品としてもほとんど関係はなく『オズ』は『オズの魔法使』の続編ではない。
では、何作も書かれている原作小説の二作目を映画化したのかというとこれまた違う。中学一年生の時に虫垂炎いわゆる盲腸の手術で一週間ほど入院しているときに、何故だか早川書房から出ている文庫版で5、6作目まで読んだ。原作は後になるほどオズが理想的社会主義国っぽくなっていく基本的にお気楽路線で、『オズ』の重苦しさはない。
小説にもノーム王は登場するしその弱点も同じで、他にもかぼちゃ頭のジャックなど共通する登場人物は多いが全体の雰囲気としては別物だろう。
もっとも、原作を読んだのが遥か昔なので記憶違いをしているかもしれないが。

 岩で出来ているノーム王を表現したのが粘土をコマ撮りして動きを表現するクレイアニメーション(クレイメーション)という技法。
劇場版『クレヨンしんちゃん』シリーズのオープニングなどでお馴染みで、技術としては1900年代初め頃からあったそうだが、わたしの印象に残っているのはこれが最初である。ひょっとしたら古い技術ということで使われなくなっていたのが再評価されだしたのかもしれない。

 ドロシーはノーム王を倒しオズの国に平穏を取り戻す。そこまではいいのだが、その後に「なんだそりゃ」といいたくないようなこれまた重苦しく鬱っぽいラストを迎える。
 まあ今になって思うと『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』とかぽかったかもという気もする。

2005年04月07日

ADSL回線にガス自動検針システムが悪影響

(4月25日追記
*怒られました。ガス会社では異常が起きているのかそれとも回線が切られているか分からないので大変に困り、ガス事故と判断されれば警備会社や警察に連絡がいく場合もあるとか。電話回線を勝手に工事したのでNTTからクレームがつくこともあるそうです。下記行為は決してまねしないでください。)

 3月半ばにインターネットへの接続にADSL回線を利用するようになった。
ところが、家には電話回線を利用したプロパンガスの自動検針システムが使われていて、それがADSLに悪影響を与えているのかNTT基地局まで850mという好条件にもかかわらず速度が出ない。
もちろん引っ越しするとすぐガス会社に対応を依頼しており、3月末か4月頭までには対策用のADSLアダプターを付けますというので待っていた。
しかし、4月に入っても連絡がない。待ちくたびれてこちらから連絡したところ、ADSLアダプターが在庫切れで入荷が4月20日ぐらいになるとのこと。
この地域には光ファイバーが来ておらず、というかこの県自体の光化が進んでいないようで、ブロードバンド環境はADSLかケーブルテレビインターネットが中心だからADSLの需要はかなり多いはず。そして、プロパンガスの地域も多いようだからごく当然のようにわたしと同じケースは珍しくないだろう。
だのに、4月20日ってどういうことよ。半月も先じゃないか。

まぁ、そこでごねてどうなるわけでもないので、「ああそうですか」と電話を切った。
いや、世の中は案外とそこでごねたらどうなったりするのかも知れないが、そういうのは趣味じゃないしなにより面倒くさい。
それよりもいい方法がある。プラスのドライバーを一本持って表に出ると、玄関横にあるプロパンガスメーターの横にある自動検針装置の蓋を開けた。そして電話回線に通じる配線をバイパス処理しての電話信号がその装置を介さないようにしまった。
装置自体はガス会社の所有物だろうから壊すとまずいのが、これなら1分もあれば元に戻せる。
こうしてADSL直結にしたところ速度に大きな変化があった。
これまでは

下り 3.8Mbps 上り 200kbps

ぐらいだったのが一気に速くなって

下り 24.04Mbps 上り 2.216Mbps

になった。(Radish Network Speed Testingにて計測)
およそ6倍かよ!
契約内容はフレッツADSLのモアスペシャルで、NTTの線路情報開示システムで調べたところ、距離が850m、伝送損失が12dBだった。理論値の半分ぐらいは出ているので満足。これならばしばらくは光ファイバーも必要ないだろう。
ただ、ガス会社に検針データが送られない状態になっているのでばれると怒られるかも。まあ検針は月末に行われるだろうから、相手の言うとこを信用すれば20日頃には対処されているはずなので大丈夫だろう。
もしも文句を言ってきたら「だって4月20日まで待てなかったんだもん。ぷっぷ~」ととぼけてやる。
実際、仕事とかにも支障が出るとまでは言わないが、回線が早いほうが色々と助かるし。
一つ心配なのが、ADSLを付けても現在の速度が維持されるかと言うことだ。回路を通す分ロスやノイズが生じて遅くなったりしないだろうか。どうもADSLというのはかなり不安定というか無理をしている技術のようなので影響がありそうだなというのが感想である。

2005年04月09日

『遠い空の向こうに』 そのロケットはどこまでも高く高く飛んでいった

B00012T0NK.jpg
『遠い空の向こうに』(1999) OCTOBER SKY 108分 アメリカ

監督:ジョー・ジョンストン 製作:チャールズ・ゴードン、ラリー・フランコ 製作総指揮:ピーター・クレイマー、マーク・スターンバーグ 原作:ホーマー・ヒッカム 脚本:ルイス・コリック、ホーマー・ヒッカム・Jr 撮影:フレッド・マーフィ 編集:ロバート・ダルヴァ 音楽:マーク・アイシャム
出演:ジェイク・ギレンホール、クリス・クーパー、ローラ・ダーン、クリス・オーウェン、ウィリアム・リー・スコット

 以前からレンタルビデオ屋で見かけてはいたんだが、いかにも感動青春モノ風なパッケージのため手に取ることがなかった。
だがある日、ひょいと裏の解説を読んでみると4人の高校生達がロケットを自作して打ち上げる物語らしい。うーん、面白いかもというので借りてみた。
そしたらもう、当たりも当たり、大当たりだった。監督としてジョー・ヒューストン(『ミクロ・キッズ』『ロケッティア』など)のクレジットが出たところでひょっとしたらと思ったが、こりゃ面白いわ。

 1957年、アメリカはウエストバージニア州の炭坑町。すでに石炭は斜陽産業だったが、この町で生まれた男の子は炭坑夫になることを運命づけられていて、唯一町から抜け出す方法はアメリカンフットボールの選手として活躍して、スポーツ推薦で大学に行くことだけだった。
主人公の少年ホーマー・ヒッカムは身体も貧弱で、フットボール部の入部テストにも落第してしまう。自分はこのままこの小さな炭坑で生きてそして一生を終えるんだろうな、なんてことを考えているある日、ソビエトが人類初の人工衛星スプートニクスの打ち上げに成功したニュースを耳にする。夜空を見上げると小さな光点が星の間を横切っていく。
そして少年は宇宙を夢見た。
 夢を見るだけならば誰でもできるが、ホーマーは仲の良い2人の友達と一緒に実際にロケットを作り始める。最初のロケットはロケット花火を何本もばらしてそれを詰め込んだだけの代物で、空に打ち上がるどころか母親が大事にしていた庭の柵を一部吹き飛ばしてしまう。だがまるで懲りていない3人は、数学の天才で変わり者の眼鏡(今でいうオタク)を仲間に加え、ロケット・ボーイズとして本格的にペンシルロケットの製作に取り組んでいく。
 生徒達に学問の道を進んでもらいたいと思っている科学の女性教師(ローラ・ダーン)や炭坑の工場で溶接作業をしている男の協力も得るが、作るロケットはどれもまともに飛ばないか爆発する始末。それでも、どこが悪いんだろうか、どこを改良すればいいのだろうかと工夫を加える内に、ロケットは少しずつ形になっていく。
 以前、『ドラムライン』について書いたときに、文化系的スポ根というのは作れないのだろうかと思ったのだが、『遠い空の向こうに』の前半ではかなりその文化系的スポ根が成立している。

 後半ではロケット作りは進められるが、物語は主人公とその父親による父子物が全面に押し出される。
テーマ性とかをしつこく打ち出さずにじっくり静かに描いていてそれ故に感動的である。だが、前半のバカ4人組が他人から馬鹿にされたりしながらも懸命にロケットを作り続け、ついにはちゃんと飛ぶロケットを作り出すというのが大好きなわたしには、そのままラストまで疾走し続けて欲しかったのでほんの少し残念だ。
 炭坑長である父親は息子ホーマーを半人前だと考えていて、まだまだ自分の監視下で鍛え育て上げるつもりである。おそらくは息子は独立した人格ではなく自分の一部だと思っているのだろう。そして炭坑夫という仕事に誇りを持っている。
そんな息子が自分と同じ炭坑夫の道を選ばずに町を出て行きたいと考えているのが分かったときに、それを父親という権力で押さえつけようとする。もちろん、この父親は単なる暴君ではなくて息子のことを真剣に考えているから故の行動ではある。
 しかしホーマーはそんなプレッシャーに負けずに素晴らしいロケットを作り上げ、科学コンテストでグランプリを取って大学への奨学金を手に入れる。
コンテスト会場で展示品などを盗まれる。その危機を、抜け出そう抜け出そうと思っていた炭坑の人々、そして母親と父親が彼のために立ち上がるシーンも感動的。
ラストの初めてロケットの打ち上げに来た父親にその発射ボタンを押してもらうシーンは、和解というよりはむしろ父親との決別を表しているのだろう。もう父親の一部ではなく一人の自立した人間で、自分で自分の道を行くということ。父親もそれを受け入れてホーマーを一人前の男として認め、男同士としてある意味対等な関係になったのだ。

 母親が科学教師について町である噂を耳にする。その噂の詳細は観客には知らされないがおよその見当はつく。そして、ベッドに横たわるすっかりやつれ果てた教師の姿を見てその予想が当たっていたのに気付く。これについても、「えっ、先生が不治の病だって!」などと騒ぎ立てない慎ましさがこの映画にはある。

 一筋の煙を引きながらロケットはどこまでも高く高くそらに上がっていく。
そんなラストシーンの後、古い8ミリフィルムや写真によって彼らロケット・ボーイズたちのその後が紹介される。ホーマーはその後NASAのエンジニアになったそうだ。
それ自体はよくある手法なのだが、そこに登場する人物達が映画のそれと違う。というか、加工して古く見せているのではなく本当に古い写真だ。
あれれと思っていると、base on the book "Rocket Boys" by Homer H. Hickam,Jr. 原作“Rocket Boys”ホーマー・H・ヒッカムJr著とクレジットが出る。
ホーマー・ヒッカムって主人公と同じ名前じゃ・・・はっ!?まさかこれって実話ベースなのか?
慌てて調べたら本当に実話だった。知っている人には当たり前なんだろうが、映画雑誌を買わなくなって長いことになるし、映画のサイトも特に見ない上に作品を観る前の下調べもしないのでまるで知らなかった。
実話だから感動する、フィクションって結局は嘘ってことだろとは全く思わないが、1950年代末というロケットに関する情報もほとんどない時代の田舎町で、なんといっても図書館でロケット関係の本を探してもジュール・ヴェルヌの『月世界旅行』ぐらいしかない中で高校生が本当に自分たちでロケットを作ってしまったというのは驚きだ。
そしてそのロケットは単なる憧れや夢だけではなく、自分の現実の将来を切り開くためというのがまた良い。
閉鎖的な炭坑町とロケットが飛んでいく大空、そして宇宙との対比が面白い。
原作の小説は『ロケットボーイズ上下』『ロケットボーイズ2上下』として翻訳版が出ているようだが、一冊1,890円とちょっと高い。合わせて7,560円なのでなかなか手が出ない。ハードカバーのようだが文庫本化を期待する。

2005年04月10日

『クリムゾン・リバー2 黙示録の天使たち』 ファイト一発アンフェタミン!

B000EBDEWG.jpg
『クリムゾン・リバー2 黙示録の天使たち』(2004) LES RIVIERES POURPRES 2 - LES ANGES DE L'APOCALYPSE  100分 フランス 2004/06/03鑑賞

監督:オリヴィエ・ダアン 製作:アラン・ゴールドマン 共同製作:リュック・ベッソン 脚本:リュック・ベッソン 撮影:アレックス・ラマルク 音楽:コリン・タウンズ
出演:ジャン・レノ、ブノワ・マジメル、クリストファー・リー、カミーユ・ナッタ、ジョニー・アリディ

 小説などでマジノ線という存在は知っていたが、現物を見るのはこの映画が初めてだった。日本での一般的な知名度は低いだろうから、中盤からいきなり地面に格納してカモフラージュできる機関銃座や地下通路が出てきた時は「何だこれは」と思った方も多いだろう。
マジノ線とはフランスが第一次大戦終了後、ドイツへの脅威に対抗するためその国境線に沿って築き上げた要塞線である。要所要所に強固な陣地を作りそれを地下通路でつなげ絶対的とも思われる防御力を誇っていたそうだ。万里の長城の近代版みたいなものと考えてもいいのだろうか。
しかし、フランス国民があまりにもマジノ線を信頼しすぎ、またその建設に巨額な費用がかかっため他の兵器・武器の製造が後れを取ってしまう。結果ドイツの猛攻に耐えきれずいったんマジノ線の一部が破られると侵入してくるドイツ軍に対抗する手段がなく、フランスはあっけなくドイツに占領されてしまう。
防御を固めて守りに入って籠城戦になると、短期戦ならともかく長期戦になった場合は援軍がこないと勝ち目はないという。マジノ線の敗北も同じだ。

 『クリムゾン・リバー2』とはなっているが、ジャン・レノが同じ役柄で登場している刑事映画であることぐらいしか共通点はない。ああ、ナチスが悪者というのも同じか。
とある修道院を中心にイエス・キリストとその弟子たちに見立てた猟奇的な連続殺人が発生する。
ジャン・レノら三人の警官が捜査に当たるが、常に先を越され死体の数は増えるばかり。犯人の姿を目撃するが、修道僧の格好をしたその連中はフードを被りその中は真っ暗で顔が見えない。そしてものすごい怪力などの身体能力を持っており、銃で撃たれてもひるまずに俊足で逃げ去ってしまう。
そしてその者たちの陰に元ナチスの将校(クリストファー・リー)の姿が浮かび上がってくる。クリストファー・リーは第二次大戦中にマジノ線を占領していたドイツ軍の一人。いったいマジノ線に何があるのか?バチカンの秘宝とはいったい?

 人里離れた修道院の番号が不吉だからと使われていなかった13号室で、迷信を気にしないとその部屋を訪れた新しい修道僧が十字架をかけるために壁に釘を打つ。するとまるで奇跡かのように壁から血が流れ出す。いや、奇跡などではない。壁の中には殺された男の死体が塗り込められていたのだ。
この修道院という舞台設定と超常現象を思わせるようなオープニングは、これから何が起こるのだろうかと感じさせてなかなかに秀逸だ。
オープニングだけではなく中盤までは「何故だ?何故なんだ?」「一体どうなっているんだ?」とドキドキハラハラするし謎も深まるばかりなのだが、後半に入ると過去に失われたバチカンの秘宝がどうした遺跡がどうしたとかで、サイコサスペンスの色合いは薄れていく。「あれ?これはインディ・ジョーンズだったか」てな感じだ。
ラストの謎解きも、修道僧達の顔が見えなかったのはペイントで黒く塗っていたからだっ!と言われても・・・。ジャン・レノは「種を明かせば簡単だ」っていってるが、本当に簡単だな。
さらにジャン・レノは怪力の秘密はこのアンフェタミンだっ!と言い切る。そしてそのアンフェタミンのアンプルをちゃっかり一本ポケットにくすねる。
いよいよ大詰めで例によって遺跡の仕掛けが発動し、トンネルに大量の水が流れ込んでくる。ジャン・レノとブノワ・マジメルは小さな部屋に閉じこめられてしまい、通路とは反対側のハッチを開けなければいずれ溺れ死ぬ状況に陥る。だが何十年も前に作られたハッチは錆び付いていて、二人がかりでもびくともしない。
そこで二人はポケットから先ほどのアンプルを取り出す。栓を開けてゴクゴクッとアンフェタミンを飲み干す二人。
ファイトー!いっぱーつ!
というわけで、アンフェタミンの効果で超人的パワーを発してハッチを開け、無事に地下要塞から逃げ出すことだできたのであった。
・・・アンフェタミン?・・・それっていわゆるスピード、アイス、クリスタル、クランク、ヒロポン、シャブ、つまるところ覚せい剤だろ。(厳密にはメタンフェタミンのことでアンフェタミンの呼び名じゃないのもあるが、まあ同じようなものだ)
いいのか、ラスト絶対絶命の危機を乗り越える方法がそんなんで。刑事が覚せい剤やっちゃまずいだろ。フランスでは日本ほど覚せい剤の薬害がひどくないのだろうか。それにしてもリック・ベッソンはなんて脚本を書いてるんだ。

 クリストファー・リーの堂々たる悪役振りを見るだけでも価値がある。1922年生まれだそうだから今年で83歳になるがまだまだ元気。最近は大作への出演が多く、B級ホラー映画のハマープロ作品時代が嘘のよう。もっとも、そのハマープロの吸血鬼映画などでクリストファー・リーを観ていたピーター・ジャクソンやジョージ・ルーカス、スティーヴン・スピルバーグなどがクリストファー・リーを起用しているわけだが。リック・ベッソンもおそらくそうなのだろう。
でも、ハマープロの映画って実際にはかなりクソなんだけどねぇ。

2005年04月14日

『ダンテズ・ピーク』 大概、予知や警告は無視される

B0001FAB4Y.jpg
『ダンテズ・ピーク』(1997) DANTE'S PEAK 109分 アメリカ

監督:ロジャー・ドナルドソン 製作:ゲイル・アン・ハード、ジョセフ・M・シンガー 製作補:ジョフ・マーフィ、製作総指揮:イロナ・ハーツバーグ 脚本:レスリー・ボーエム 撮影:アンジェイ・バートコウィアク 音楽:ジョン・フリッゼル
出演:ピアース・ブロスナン、リンダ・ハミルトン、ジェイミー・レネー・スミス、ジェレミー・フォリイ、エリザベス・ホフマン

 10年ぶりに阿蘇山が噴火したそうだ。小規模な噴火だそうなので大きな騒ぎにはなっていないだろうが、三原山雄山や雲仙普賢岳からも分かるように火山とは強大なエネルギーを持った時に危険な存在である。そんな火山噴火を題材にしているのがこの『ダンテズ・ピーク』だ。
死火山と思われているダンテズ・ピークがわずかな異変を起こす。計測機器の数値から予兆を読み取った火山学者(ピアース・ブロスナン)はさらなる調査のために麓の町を訪れる。
実地での調査を続ける内に噴火の可能性を感じた火山学者は町の人々にその危険性を訴える。しかし、「全米で何番目かに住みよい村」といういまいち微妙な賞をもらったばかりで、町民は学者の警告に耳をかさない。唯一、女性(リンダ・ハミルトン)町長だけが真剣に話を聞いてくれるが、住民の避難には至らなかった。

 住民や町の上層部は主人公や学者、時には少数民族が訴える危険性をまるで理解しようとしないというパニック映画の法則はこの作品でも守られている。
この人たちは『ジョーズ』や『タワーリング・インフェルノ』を観たことがないのだろうか?「大丈夫、大丈夫」とか「そんなことあるはずがない。起こるはずがない」などといっていて結果大惨事を招くのは毎度のことではないか。
 後半ではやはりダンテズ・ピークがドッカーンと大噴火。たまには「騒いだけど噴火しませんでした。何もありませんでした」となって主人公がみんなから怒られるという映画もあっても良さそうなものだが、必ず噴火したり嵐に巻き込まれたりエイリアンに食われてしまう。まあ、何も起こらずそのまま終わったら実際には怒るけどね。
噴火の中、山の中で一人暮らしをする祖母を町長の子供達が迎えに行ってしまう。このままにしてはいけないと、子供達を探しに学者を町長も山に向かう。そして危機また危機のディザスターが始まるのだが、なにせジェームス・ボンド(ピアース・ブロスナン)とサラ・コナー(リンダ・ハミルトン)のコンビである。ちょっとやそっとのことでは死にそうにないのでハラハラ感はちょっと薄い。
逃げる途中でペットの犬がと離ればなれになってしまう。子供達は泣くが犬よりも人間の命の方が大切だ。そして火や溶岩、火山弾、強酸性水などの恐怖と戦い、ボートで川を下っている途中で祖母の死などがありぼろぼろになってなんとか山を下ると、どっからともなく犬がピンピンして現れる。彼ら人間達の苦労はなんだったんだ。犬について行けば楽勝だったのか?
まったくハリウッド映画は人はどれだけしんでも犬は死なない。
そうそう、リンダ・ハミルトン演ずる町長には二人の子供がいる。その娘の方がリンダ・ハミルトンにそっくり。鼻から頬の下を通る八の字の筋が特に似ている。

 製作にゲイル・アン・ハードの名前があるが、彼女は元ジェームズ・キャメロンの妻。でもって、リンダ・ハミルトンは1997年当時ジェームズ・キャメロンの現妻。なかなか微妙な人間関係だ。
リンダ・ハミルトンとジェームズ・キャメロンは結局1999年に離婚し、キャメロンは現在スージー・エイミスと結婚している。
キャメロンはキャスリン・ビグローと結婚していたこともあるから、都合4回の結婚経験だ。一度や二度ならまだしも四度とは・・・キャメロンって家庭人としてはちょっと問題がある人なんだろうか。それでもエリザベス・テイラーの七回と比べたらまだまだ未熟者だが。

2005年04月15日

『ボルケーノ』 溶岩と戦う奴ら

B0007WZTRU.jpg
『ボルケーノ』(1997) VOLCANO 106分 アメリカ

監督:ミック・ジャクソン 製作:ニール・H・モリッツ、アンドリュー・Z・デイヴィス 製作総指揮:ローレン・シュラー=ドナー 脚本:ジェローム・アームストロング、ビリー・レイ 撮影:テオ・ヴァン・デ・サンデ 音楽:アラン・シルヴェストリ
出演:トミー・リー・ジョーンズ、アン・ヘッシュ、ギャビー・ホフマン、ドン・チードル、ジャクリーン・キム

 1944年1月、北海道壮瞥町のある麦畑が突然盛り上がり始めた。その隆起は止まることを知らぬかのように大きくなっていき、時折火山性の爆発を繰り返し、その爆発で極めて粘度の高い溶岩が流出してそれがさらに上へと押し上げられた。
1945年9月に活動が治まった時には標高400メートルほどの山が誕生していた。もともとの畑の標高が150メートルだったのでおよそ250メートルほどの高さである。これがいわゆる“昭和新山”だ。
このように、火山活動は浅間山や桜島など一目見て火山と分かる場所でだけ発生するのではない。火山帯が通っているところならどこでだって火山活動が始まる可能性はあるということだ。
 そして、アメリカはロサンゼルス、華やかなこの街の地下にも火山帯があった。長年眠り続けてきたそれがついに目を覚ましたとしたら・・・

 タイトルの『ボルケーノ(Volcano)』とは火山のこと。ストレートかつそのまんまだ。
 主人公のトミー・リー・ジョーンズは危機管理局の局長。この危機管理局というのはどうやら緊急時には警察や消防よりも強い権限を持つ部署らしい。
トミー・リー・ジョーンズの苦み走った顔つきは現場から叩き上げて一流大卒のキャリアエリートを追い越して局長になったのだろうなと思わせる。もっとも、トミー・リー・ジョーンズ本人はハーバード大学出身でゴア元副大統領とルームメイトだったこともあるというから実はかなりのエリートだ。雰囲気は軍隊経験ありといった感じなのだが。
 ロスの地下で起きている異変にいち早く気付く火山学者がアン・ヘッシュ。その異変と危険性についてなかなか信じてもらえないのはいつものことだが、この作品ではそこら辺のごちゃごちゃとしたことはほとんど省かれ、とっとと火山活動が始まる。火山弾も飛ぶがこの映画で一番怖ろしいのは溶岩だ。粘度が低い溶岩らしくどんどん街中に広がっていき車も建物も飲み込んで燃やし尽くしてしまう。
 火山の近くに住んでいるのならば人々も心構えができているだろうが、地震すらほとんど起こらないロスに住む市民はまさにパニック状態。そこで危機管理局をはじめとして警察、消防のファイター、医師や看護師たちがそれぞれの分野で懸命な救援活動にあたる。トミー・リー・ジョーンズがメインの主役だとしたら、彼らファイターたちがもう一つの主役だ。
危険に直面してもそれを勇気で乗り越え、人々の命を守るために戦う姿は格好良く美しい。決してスーパーマンのような特別な人間ではなく、時には彼らの弱さも描かれる。だからこそ観客の心を打つ。
消防を呼びに来ただけなのに救援活動の邪魔をしたとして白人警官に逮捕されてしまった黒人が、もういいからとっとと逃げろと手錠を外されたのにそこに止まり、溶岩を足止めするためのバリケード作りに加わるところが一番好きなシーンだ。
かわりに、溶岩に襲われた地下鉄からの脱出のシーンはあまりにもあからさまな自己犠牲で好きではない。

 ヒロイン的立場のアン・ヘッシュは火山学者だけに火山活動については誰よりも詳しく、トミー・リー・ジョーンズに助けられずとも自分の身を守る方法を知っている。
東洋人の女医は金持ちの夫から早く安全なところに逃げろと言われても、前線の救助センターでの救急医療を放棄しようとはしない。
彼女らはいわゆる古典的ヒロインではなく男性と並んで同じように戦う現代的なヒロインである。
だがそれだけでは物足りないと思ったか、主人公に依存して守られる立場の登場人物として彼の娘が登場する。娘はすでに離婚した妻と暮らしていて、たまたま主人公のところに遊びに来ていたのだ。
ロスに起きている異常に気付いて休日返上で出かけようとする主人公に文句を言うし、留守の間に娘の面倒を見てくれる人を頼むと「わたしはもうベビーシッターが必要な年じゃないわ」と言う。火山活動が本格的になってからもあーだこーだとぶーたれていて、かわいくないことこの上ない。いなくても良かったんじゃないだろうか。

 例によって犬が出てくるがこいつは無事。で、飼い主は「良かったね~、良かった~」と大声で騒ぐ。目の前で自宅が盛大なキャンプファイヤーと化しているのにそれどころじゃないだろって気がするが。
わたしも犬は好きだし猫も飼っていたことがあるが、自分が生きるか死ぬかという状況になったら犬はロープこそほどいて自由にするぐらいで、後は放ったらかしてとっとと逃げるぞ。いくら可愛くても犬はしょせん犬だしな。
この作品では獣医さん達も活躍していて、怪我をしたペットたちをボランティアで手当てしているのがテレビに映し出される。しかし、動物を手当てできるんなら人間の手当も出来るだろうから、人手の足りない医療センターを手伝った方がよくないか?瀕死の重傷や大怪我を負った人が次々と担ぎ込まれてるんだしさぁ。

2005年04月18日

『オー!ゴッド』 とんでもない、わしゃ神様だよ

『オー!ゴッド』(1977) OH, GOD! 99分 アメリカ
監督:カール・ライナー 製作:ジェリー・ワイントローブ 原作:アヴェリー・コーマン 脚本:ラリー・ゲルバート 撮影:ヴィクター・ケンパー 音楽:ジャック・エリオット
出演:ジョージ・バーンズ、ジョン・デンヴァー、テリー・ガー、ドナルド・プレザンス、ラルフ・ベラミー

 スカイパーフェクTVのスターチャンネルで『ブルース・オールマイティ』を放映していたので観る。
神様に悪態をついた男の前に本物の神様が現れ、「お前さんそう言うけれどこれでなかなか大変なんだぞ。なんならちょっと神様をやってみろや」ってんで神の力を授かってしまう。
そこから神の力を好き勝手に使っての騒動が始まるのだが、前半はハチャメチャで面白いものの後半に入ってなんだか孤独を感じたり反省をし始めたりとヒューマンになってからはかなり退屈である。悪い意味で観ている人の予想を裏切らない展開だ。
だから『ブルース・オールマイティ』については特に書くことはない。だが、ブルース(ジム・キャリー)と神(モーガン・フリーマン)が出会うシーンで『オー!ゴッド』のことを思い出した。

 主人公ジェリー(ジョン・デンヴァー)はスーパーの売り場主任である。レタスの外側の皮は食べられないので剥いてから売り場に出すが、レタスが小さく見えるじゃないかと店長に怒られるような善良だがごく平凡な男だ。
そんな彼の元に一通の手紙が届く。不信に思いながらも指定されたビルのと27階2700号室を訪れたところ、ジェリーの前に自らを神と名乗る男が現れる。
ところがその男ときたら野球帽をかぶり眼鏡をかけた貧相な老人でとても神には見えない。神様の姿と言えばローブを着た白い髪に白いヒゲの老人か眩しいばかりの光の固まり、あるいはいつまでも燃え続ける柴と相場が決まっており、もちろん主人公も自称神の言うことなど信じない。
ところが、ビルを出たところでこの建物は17階までしかなかったことに気づく。

 神はこのままでは人類は破滅してしまう、それを防ぐためにお前が世の中に神の存在を知らしめろと告げる。
だが神の姿は主人公にしか見えず世間に訴えようにも神が存在するという物理的証拠は一つもない。ジョージ・バーンズそっくりなその姿も(というかジョージ・バーンズが演じてるんだが)、本来は神に姿などないのだがそれではわかりにくいだろうと主人公が受け入れることの出来る平凡な格好にしたとのこと。
取りあえず「わたしは神に会いました」と新聞社に行ってみるがまともに取り合ってもらえない。当たり前といえば当たり前だ。
それでもマスコミに神の話をし続けるうちに、神の伝道者ではなく「神に会った」と主張するイカれた男としてマスコミに取り上げられるようになる。
 そして神父や牧師など聖職者たちが「神がメッセージを下さるならばその相手は当然スーパーの主任などではなく自分たちだろう」と主人公を批判し始める。
 果たしてジェリーは神の存在を証明することが出来るのか?

 使命感に燃えるわけでもないが、頼まれたからには嫌とは言えない主人公の朴訥さが共感を呼ぶのではないだろうか。
妻や二人の子供たちも世間から笑いものにされながらも決してジェリーを否定したりはしない。だからといって頭から神様うんぬんの話を信じているわけでもない。
他の人には見えないけれど神は確かに存在している。それをどうやったら人々に信じさせることができるのか。コメディとして映画は進むが同時に困難かつ難解でもある。いや、コメディだからこそ描けた題材とも言える。
 最後には実際に神様が人々の前に現れて奇跡を披露することで解決してしまうのが痛快ではあるが少々残念だ。分かりやすい奇跡とかはなしで神様の存在を証明して欲しかった。もっともそれはかなり難しいだろう。
 単純にハッピーエンドにはならずちょっとやるせないラストにはぐっとくる。
「もう二度と会うことはないよ」とアフリカへと旅立っていく神様。

 監督のカール・ライナーは初期のスティーヴ・マーチン主演作品群を撮っており、もともとはテレビ界出身らしい。どうもコメディアンかなにかだったようで本人がホストを務める番組も持っていたようだが詳細がちょっとわからない。
自分の作品に時折登場し、『オー!ゴッド』でも主人公が見ているテレビのトークショーにゲストとして登場する。顔を「あんたの顔は特殊メイクか」とばかりにぐにゃっと歪ませて、顔が崩れ去っていく男という面白いんだが面白くないんだかなギャグをやる。『オーシャンズ11』では11人の一人である老詐欺師として健在ぶりを示している。
 ちなみに『スタンド・バイ・ミー』などの監督のロブ・ライナーはカール・ライナーの息子だ。

2005年04月20日

『セッション9』 その病院には近づくな

『セッション9』(2001) SESSION9 100分 アメリカ 2005/4/17、以前wowowで放映された録画をようやく鑑賞

監督:ブラッド・アンダーソン 製作:ドロシー・オーフィエロ、デヴィッド・コリンズ、マイケル・ウィリアムズ 製作総指揮:ジョン・スロス 脚本:ブラッド・アンダーソン、スティーヴン・ジェヴェドン 撮影:ユタ・ブリースウィッツ
出演:デヴィッド・カルーソー、スティーヴン・ジェヴェドン、ポール・ギルフォイル、ジョシュ・ルーカス、ピーター・ミュラン、 ブレンダン・セクストン三世

 閉鎖された巨大な精神病院があった。天井や壁に使われた有害なアスベスト(石綿)を除去するため、撤去業者である5人の男たちが作業に取りかかる。入札でライバル他社に競り勝つために通常は2週間はかかるところを1週間でやらなければならない。
作業の最中に男の一人が「証拠品」とかかれた箱を見つける。それを開けた時に、まるで悪しき何かが解き放たれたかのような感覚におちいる。箱の中にはSESSION1からSESSION9までの9本のオープンリールテープが入っていた。男はテープレコーダーでSESSION1から順に聞き始める。そこではある多重人格の女性を診察したときの会話が録音されていた。
そして日に日に彼らの中に恐怖と狂気、そして悪意がふくれあがっていく。

 男たちはそれぞれ悩みや苦痛を感じている。ある者は家族との軋轢だったり、ある者は成功への欲望、弁護士になるという夢などだ。現状と現実にうんざりして凡庸な毎日の繰り返しに埋もれている。
日常の中に常に狂気は潜んで待ちかまえているのだろうか。自分が暮らす毎日を振り返り、なるほどそうかもしれないと思ったりする。

 賛否が分かれる映画ではないだろうか。どちらかというと否が多そうだ。
どうも何かが起こっているようなのだが、それが具体的にどんなことなのかははっきりとは描かれない。箱を開けたときに解き放たれた物はおそらく狂気と悪なのだろうが、それもはっきりとはしない。
何か霊的な物によってある男は追いつめられていったのか、廃病院と環境のせいだったのか、いやそもそも男が狂気に走っていたのは病院を訪れる前からではなかったのか。
ラストもただ事件だけが起きてそれに説明らしい説明もないままぶった切られたようにそのまま終わってしまう。

 個人的にはたまにこういう映画を観るのも面白い。
分かりやすすぎる説明やどんでん返しのオチが強調された映画が多いが、何だかよく分からない・正体がはっきりしないゆえの怖さというのもあるだろう。逆にこの作品の終盤はちょっと分かりやすい要素に振れて残念なぐらいだ。
もちろん「たまに」だから面白いので、全部が全部「意味不明」な映画になったらそれはそれで困る。
実在する巨大な廃精神病院にカメラを持ち込んで撮影されている。建物は重厚でその廃墟ぶりにはセットとして作られたものではない力強さがある。この病院こそが映画の主役だろう。それに演出が負けている感がするのが残念だ。

2005年04月21日

『テキサス1の赤いバラ』 う~、踊る時はサイドステップ

『テキサス1の赤いバラ』(1982) THE BEST LITTLE WHOREHOUSE IN TEXAS 114分 アメリカ

監督:コリン・ヒギンズ 製作:トーマス・L・ミラー、エドワード・K・ミルキス、ロバート・L・ボエット 脚本:ラリー・L・キング、ピーター・マスターソン、コリン・ヒギンズ 音楽:パトリック・ウィリアムズ
出演:バート・レイノルズ、ドリー・パートン、チャールズ・ダーニング、ドム・デルイーズ、ジム・ネイバース

 テキサスを舞台にした楽しい上に面白いミュージカルなのだが、どういうわけか日本未公開でビデオ発売のみ。日本では今一つミュージカルは当たらないのと題材が売春宿だからだろうか。
WHOREHOUSEとは売春宿のことなので、原題を直訳すると「テキサスで最高の小さな売春宿」になる。さすがに「売春宿」じゃまずいだろうと邦題で頭を使ったのだろうが、何故に売春宿がバラになったのだろうか。ちょっと意味不明だ・・・「あっもしかしたら」とちょといやらしい考えになってしまったが追求はしない。
 ミュージカルなのだが主役の保安官はバート・レイノルズ。他にはドム・デルイーズやチャールズ・ダーニングにジム・ネイバース、大学アメフト部のイーハウ野郎どもなどおよそミュージカルに似つかわしくないオヤジ面々ばかりだ。唯一、売春宿のオーナーで保安官の恋人でもあるドリー・パートンとその元で働く売春婦たちがミュージカルらしい華やかさをかもしだしている。

 テキサスはヒューストンの郊外に100年以上もの歴史を持つ娼館があった。「チキン牧場」とも呼ばれるその娼館は犯罪の匂いやいかがわしさなどまったくない健全といってもいいぐらいで町の隠れた名所でもある。
ところがテレビで告発番組を司会しているメルビン・ソープ(ドム・デルイーズ)という男がチキン牧場に目を付けた。自分の番組で取り上げて批難糾弾し取りつぶそうというのである。
チキン牧場を守るため、町の保安官(バート・レイノルズ)はソープに直談判するべくテレビ局に乗り込んでいくが・・・

 健全な売春宿などあるはずがない。それはすべからく女性を商品にして搾取しており、女性差別の最たる物である。そんなものを感傷的に扱うべきではなく、むしろ取りつぶされて当然と思う人もいるだろう。確かにそれは正論ではあるのだが、この映画ではチキン牧場が地域社会にとけ込んでいて市民から受け入れられる明るい存在として描かれている。
実際にはそんなことはあるはずがないのかもしれないが、現実は現実であり映画は映画ということで頭を切り換えてそういう設定として受け入れて欲しい。売春宿が舞台というだけで否定してしまうには面白すぎる映画なのだ。

 主役のくせにバート・レイノルズはたった一曲、それもかなりいい加減にしか歌わない。まあ見るからに苦手そうだし無理して歌うこともない。その代わりに荒っぽくてどこか精神的に未成熟なところもあるテキサスの保安官という役柄はぴったりだ。
ドム・デルイーズのソープは名誉欲と顕示欲、出世欲のかたまりで俗物の見本みたいで、憎たらしいことこの上ない。何かというと正義を振りかざす人間はどこかうさんくさいものだが、そのうさんくささが実に良くあらわれている。
出番は少ない物のテキサス州知事を演じたチャールズ・ダーニングは意外なステップの軽さを見せてくれる。「う~踊る時はサイドステップ」と歌って踊るチャールズ・ダーニングなんてこの作品でしか見られないのではないだろうか。
そして色っぽさ抜群のドリー・パートン。本業は歌手だけあって歌が上手い、それに胸が大きい。バート・レイノルズに別れを告げるシーンで“ I Will Always Love You”という歌を歌う。この曲は聴けばわかる人が多いだろうが、後に『ボディーガード』(1992)でホイットニー・ヒューストンが歌った曲だ。一時期、結婚式などでよく使われていたが、『テキサス~』『ボディガード』両作品からわかるように別れの曲なんだがなぁ。

2005年04月22日

ADSL回線に対するプロパンガス自動検針システムの対策がまだされない

(4月25日追記
*怒られました。ガス会社では異常が起きているのかそれとも回線が切られているか分からないので大変に困り、ガス事故と判断されれば警備会社や警察に連絡がいく場合もあるとか。電話回線を勝手に工事したのでNTTからクレームがつくこともあるそうです。下記行為は決してまねしないでください。)

 プロパンガスの自動検針システムが使われているとその取り付け位置によってはADSLに悪影響がでる。そのことについては3月18日や4月7日にすでに書いており、ガス会社からは4月の20日ぐらいには部品が届くので取り付けますとのことだった。3月半ばに対応を依頼して1ヶ月後とはなかなかやってくれるじゃないかと思ったが、しょうがないかと我慢して待っていた。
そして期日の4月20日過ぎに連絡があった。
「すみませーん、来月頭か今月末になります」
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
あのー、わたしそんなに無茶なお願いしてますかー?
そんなに理不尽な頼み事ですかー?
ごく稀なケースなんですかー?
海は死にますかー?山は死にますかー?

 ネット上で検索すると、自動検針システムがADSLに干渉するという事例はいくつも見つけることが出来るし、ガス会社に連絡したところ翌日にはADSLアダプターの取り付けに来たというのも珍しくなかった。
翌日とまではいかないが、これは一週間程度でどうにかなる程度の問題ではないだろうか。
自動検針システムを使っている家にADSLを導入した場合、まず間違いなく発生するパターンだと思われるし、未だ都市ガスではなくプロパンガスを使っている地域となるとまだ光ファイバーが来ておらず、ブロードバンドといえばADSLかケーブルテレビしかない地域がほとんどだろう。だからこれまでにも幾度となく発生したケースだと思う。ADSLアダプターもさほど珍しい部品ではないだろう。常に在庫として数個ぐらい持っていないというのが不思議だ。
これまでにADSLを導入した他のお宅ではどのように対策をしたのだろう。そこでも1ヶ月や1ヶ月半も放置されたのだろうか。
ノイズが入るためか速度はわたしの家の場合で6分の1程度に落ちてしまうが、ADSLアダプターを取り付けなくても回線は繋がることは繋がるので、「こんなものか」とそのまま使っているのかも知れない。

 あと、ちょっと怖いのが、こちらの言っていることがちゃんとガス会社の方に伝わっていないかもしれないということだ。
NTTから説明されたりネットで調べたりしたことを簡潔にまとめて話したつもりだが、何か大層な問題として伝わって何から大げさな機器を取り付けにやってくるのかも知れない。でもって請求金額が、うわぁぁぁ。
ADSLアダプターについては基本的に無料なようなので請求は来ないと思うが大丈夫だろうか。

 そろそろ20日が近いからとバイパスを直しておいたが、またぞろADSL回線が自動検針システムを通らないようにしておいた。これで下りが20Mbpsに上りが2Mbps。一度速いのに慣れてしまうと低速には戻れない。
といっても、わたしの使い方だとメールの送受信が速いとかその程度だけどね。

2005年04月24日

『シカゴ・コネクション 夢みて走れ』 固定観念の上を行く

『シカゴ・コネクション 夢みて走れ』(1986) RUNNING SCARED 107分 アメリカ 1987/05鑑賞

監督:ピーター・ハイアムズ 製作総指揮:ピーター・ハイアムズ 原作:ゲイリー・ディヴォア 脚本:ゲイリー・ディヴォア、ジミー・ヒューストン 撮影:ピーター・ハイアムズ 音楽:ロッド・テンパートン
出演:ビリー・クリスタル、グレゴリー・ハインズ、スティーヴン・バウアー、ダーラン・フリューゲル、ジョー・パントリアーノ、ダン・ヘダヤ

 ロスアンゼルス、ニューヨークと並んで刑事映画が似合う街シカゴ。シカゴが舞台となれば『フレンチ・コネクション』で有名になった鉄道高架下でのカーチェイスがしばしば登場する。しかし、それをやってもしょせんは二番煎じ。映画自体は退屈だったが、あのシーンだけは良くできていたし時間も延々と長かった。やはり、最初にやった作品を超えることはできないのだ。
そこで『シカゴ・コネクション』ではさらにすごいカーチェイスを作り上げるために制作陣が頭を絞った結果、車に高架下を走らせるのではなくその上を使うことにした。まったくもって、固定観念や常識の上を行く映画だ。上を行くというか上を走る。高架の。
ローアングルにカメラを設置し、時に列車と衝突しそうになりながらのカーチェイスは面白くなかなかの迫力だ。自動車のタイヤ幅を線路の幅って同一なのかなぁといった疑問も頭にちらっと浮かぶがまあどうでもいい疑問だ。

 ビリー・クリステルとグレゴリー・ハインズの二人は、通常の操作手順にとらわれずかなり危ない橋を渡っても犯人を捕まえるはみだし者的な刑事コンビだ。時には実力行使で、時にはビリー・クリステルの口先で、時にはグレゴリー・ハインズが踊る。いや、踊りは関係ないか。
刑事映画にはありがちなキャラクターとも言えるが、捜査中にやりすぎた上に失敗してしまい、上司から休暇を言い渡された時の対応が違う。普通は反論したり、休暇には入るが独自で操作を続けたりするものだが、この二人はあっさりリゾート地のフロリダ・キーウエストに遊びに行ってしまう。
キーウエストではビールを飲んでカジキを釣って女をナンパしてまたビールを飲み夕陽が沈むのを見てはさらにビールを飲む。すっかりキーウエストが気に入ってしまった二人は、ビリー・クリステルが受け取った遺産を頭金にして潰れたバーを買い取りバーの経営に乗り出すことにする。
もっとも、退職手続きを取りにシカゴに戻って退職までの1ヶ月の勤務に就く内にデカ魂が再燃してきてまた一騒ぎやっちまうわけだ。

 悪党を銃で倒した後に二人して「俺の撃った弾が当たったんだ」「いや背が低いからお前の弾道は下になるだろ。だから当たったのは俺の弾だ」と言い争うシーンがある。ほとんどそのまま『あぶない刑事』でオマージュされていた。パクったという見方もできるがまあオマージュとしておこう。

 コメディアン出身のビリー・クリステルと、タップダンス出身のグレゴリー・ハインズという異色コンビによる刑事物だ。不思議とタフな腕利き刑事に見えるから不思議。
さらにタフなのが二人の上司である警部を演ずるダン・ヘダヤ。『エイリアン4』の軍人や『普通じゃない』の天国事務所の偉いサンといえば分かると思うが、常にムスッとした厳つい顔でいつでも怒っている様な役が多い。わたしは好きなんだこの人。
 まだDVDが出ていないが、とっとと出して欲しいものである。

2005年04月25日

『ホワイトナイツ/白夜』 踊れ、自由を求めて

B0007LCWCG.jpg
『ホワイトナイツ/白夜』(1985) WHITE NIGHTS 136分 アメリカ 1986/04鑑賞

監督:テイラー・ハックフォード 製作:テイラー・ハックフォード、ウィリアム・S・ギルモア 脚本:ジェームズ・ゴールドマン、エリック・ヒューズ 撮影:デヴィッド・ワトキン 編集:フレドリック・スタインカンプ、ウィリアム・スタインカンプ 音楽:ミシェル・コロンビエ
出演:ミハイル・バリシニコフ、グレゴリー・ハインズ、イザベラ・ロッセリーニ、イエジー・スコリモフスキー、ヘレン・ミレン

 当時流行っていた「ソビエト嫌い、ロシア嫌い」映画の一本。
戦争やスパイでなくダンスを絡めたところが目新しいが、監督が『愛と青春の旅立ち』のテイラー・ハックフォードだけに堅苦しくテンポに欠け退屈な仕上がり。
ミハイル・バリシニコフとグレゴリー・ハインズによるダンスシーンも、せっかく一流のダンサーが踊っているのにリズム感が感じられず、ストーリー上でもあまり生かされているとは言えない。

 ミハイル・バリシニコフが演ずるのはバリシニコフ自身と同じくロシアから亡命して現在は欧米で活躍しているダンサーだ。その彼を乗せたジャンボジェット機が故障し、運の悪いことにソビエト軍の基地に不時着してしまう。
この不時着のシーンで主翼が機にぶつかって折れるところなどとても良くできている。「このミニチュアはすごいな。スケール感が出ているしかなりリアルな仕上がりだ。部品が飛び散る時の速度など上手いもんだ」と思ったら、型落ちで使われなくなったジャンボジェット機を何万ドルかで買ってきて、実際に滑走路を走らせて機にぶつけて撮影したんだそうだ。そのまんま本物かよ。でも迫力があったのは確か。
 そしてソビエト当局に捕らえられたダンサーは監禁されてしまい、ベトナム戦争に反対してロシアに亡命した黒人ダンサーと共同生活をすることになる。
後は、二人のダンスシーンが延々続くと思ってもらえば間違いがない。脱走計画などもあるがそれはオマケだ。

 オープニングの劇場での踊りを始めミハイル・バリシニコフはさすがに素晴らしい。ダンスにはまるで興味がないわたしでも思わず見入ってしまった。
二人が一緒に同じ振り付けで踊るシーンではバリシニコフと比べてグレゴリー・ハインズは今一つ足がピシッと伸びきっていない。もっともグレゴリー・ハインズの専門はタップ・ダンスなのでクラッシックバレエを学んだバリシニコフにさほど遜色なく踊ることができるだけで充分すごい。

 ソビエトが崩壊してしまった今となっては、単にダンス映画として見るのがいいかもしれない。ただ、その場合はダンスシーンの演出が野暮ったさが気にかかる。全体に重苦しいのは作品のカラーから言っても仕方がないのだが。

2005年04月26日

プロパンガス自動検針装置とADSL 「怒られました」

4月7日と4月27日にADSL回線がプロパンガスの自動検針装置をスルーするように勝手に変更してしまった件ですが、

怒られました。

 自動検針装置NCUはガス料金確定のためにメーターの数字をチェックするだけではなく、ガス漏れや不審な長時間のガス放出などに対する警告もガス会社に送っています。
それは知っていましたが、「そんな大したことにはならんだろう」と高をくくっていたところ、全く信号がこないことからガス事故と勘違いして場合によっては警備会社や最寄りの警察に連絡されたり、電話回線を勝手に工事したということで電気通信事業法に違反したとしてNTTに訴えられたり、半鐘が鳴ったり火消しが飛んできたり大八車が来たり、あげくの果てにはゴジラが東京湾に上陸したりとの大騒ぎ。でも、東京湾にいるならまだ「上陸」はしてないんじゃないかなとも思ったりもします。

 過去の記事についてはすでに追記を入れて修正済みです。もしも記事を読んで「そうか、家もやってみよう」と思った方、止めといてください。
確かに最初に電話でガス会社にADSL対応工事の依頼をしてからすでに2ヶ月近く経ってもほったらかしだったり、IP電話が実用にならなかったりしますが我慢我慢。
どうしても腹の虫が治まらないというのならば、いっそのことオール電化にするというのはどうでしょうか。これならばガスの自動検針装置は当然関係なし。
えっ?電気代が高くつくだろうって?うーん・・・だったらかまどと五右衛門風呂でも導入しますかね。今時、どこで薪を手に入れるんだって気もしますが。下手に買ってくると電気よりも高きそうな気もします。なにより、年に一度のキャンプならばいいですが、毎日うちわでパタパタやりながら煙にむせてたんじゃ大変です。
この地域に光ファイバーが開通していればこんな苦労は必要ないんですけどね。日本中の全世帯に光ファイバーを整備するとか言ってたのはあれはどうなったんでしょうか。

 結局、ADSL対応工事は、紳士的な態度を捨てて強烈なクレームを入れたら5月末にようやく実施してくれました。5月31日分参照のこと。
 勝手に回線をスルーさせたのはもちろん悪いのですが、工事依頼をしてから2ヶ月半も放置するガス会社もどんなもんでしょうか?ADSLが実用レベルで使えないっつーの。

2005年04月28日

『タップ』 至高のタップダンス

B0007LCWBW.jpg
『タップ』(1989) TAP 110分 アメリカ 1989年鑑賞

監督:ニック・キャッスル 製作:ゲイリー・アデルソン、リチャード・ヴェイン 製作総指揮:フランシス・サパースタイン 脚本:ニック・キャッスル 撮影:デヴィッド・グリブル 音楽:ジョエル・シル
出演:グレゴリー・ハインズ、サミー・デイヴィス・Jr、スザンヌ・ダグラス、ジョー・モートン、ディック・アンソニー・ウィリアムズ

 グレゴリー・ハインズお得意のタップダンスが全編を通して披露される「タップ映画」。
一度は犯罪に走ったが刑務所での服役を終え更正を目指す主人公グレゴリー・ハインズに、昔のギャング仲間がつきまとい再び悪の道へと誘惑するなのどエピソードもあるが、まああまり気にする必要はない。
「グレゴリー・ハインズのタップめちゃすげー」という感想を持てればこの映画の94%は楽しめたということになるだろう。
 夜の街で工事や車などが奏でる様々な音の中でタップを踏み始めるシーンは素晴らしい。ここだけ唐突にミュージカル映画なテイストになるが、ありだろうこれは。ひょっとしたら北野武の『座頭市』(2003)終盤の下駄タップ群舞はこれが元ネタかもしれないと勝手に思ったりもする。
 主人公のタップは父親に仕込まれたものだが、その他に恩師的存在としてサミー・デイヴィス・Jrが登場する。亡くなる前年のサミーはすっかり老け込んだ様子で、『キャノンボール』シリーズ(1980、1983)のファンであるわたしには見ていてちょっとつらかった。
 サミーはこれまでにない新しいタップを作り上げようとしていて、その夢を主人公に託す。音楽の伴奏付きでタップをやるとタップの音が伴奏に負けてしまう。それを解決しようというアイディアで、具体的にはタップシューズの踵にマイクを仕込み、無線で飛ばしてアンプで増幅した音をスピーカーから流すというもの。確かにこれならば楽器の音に負けない。ちょっと卑怯じゃないかとも思ったが、アコースティックな楽器だってマイクを使って音を大きくする場合があるので同じようなものだ。
 監督のニック・キャッスルは『ニューヨーク1997』の脚本や青春SFの佳作『スターファイター』、『ミリィ 少年は空を飛んだ』の監督などSF系を得意とする人。『タップ』での監督・脚本としての起用はちょっと意外かも。