『マッスルモンク』 (2003) RUNNING ON KARMA 93分 香港 2005/03/20鑑賞
監督:ジョニー・トゥ、ワイ・カーファイ アクション監督:ユエン・ブン 脚本:ワイ・カーファイ、ヤウ・ナイホイ 音楽:キャシーヌ・ウォン
出演:アンディ・ラウ、セシリア・チャン、チョン・シウファイ、カレン・トン、ユエン・ブン
鋼の筋肉を持った少林寺の坊主がクンフーで大活躍するか、身体を鍛え上げても煩悩を振り払えなかったボディビルダーが仏門にはいるのか、どちらにしてもアクションコメディだろうと思っていた。
なんと言ってもアンディ・ラウの着ぐるみ式筋肉肉襦袢が見るからに大笑いで、どう考えてもシリアスな映画だという印象を持つはずがない。
ところが、この映画はシリアスでしかも重い。アクションシーンはあるが、ほとんど爽快感を感じさせないまま“カルマ(業)”をテーマにして映画は進んでいく。
主人公のアンディ・ラウは相手の背負ったカルマが見える特殊能力を持った坊主。撃ち殺された警察犬は前世で犬を打ち殺した子供だったためにそのカルマで死んだ、といったことが見えてしまう。ヒロインである女性刑事の前世は戦争中に中国人を日本刀などで虐殺した日本兵で、そのカルマによって何度も死の危険にあう。カルマを背負った人を助けても、いずれはまたそのカルマが死を呼び寄せてしまう。人はそのカルマから解き放たれることはないのか?坊主は苦悩する。
男の日本兵が女性中国人に生まれ変わるなど、前世は性別・国籍が関係ないようだ。ナチスドイツの将校が前世のユダヤ人とかもいるのだろう。あー、ユダヤ教やキリスト教には前世という考え方がないか。警察犬の前世は人間の子供だったが、ということは犬が前世の人間もいるのだろうか。わたしとしては前世ではなく来世は猫に生まれ変わりたい。もちろん飼い猫。あいつらぐらい将来の不安とか行く末を考えずに暮らしている連中はいないだろう。
映画のストーリーに筋肉はほとんど関係していない。あえていうなら男性ストリップとボディビルダーコンテストのシーンぐらいだが、なければないでかまわないシーンだ。何故アンディ・ラウを筋肉だるまにしなければならなかったのか、謎である。
香港アカデミー賞で作品賞ほかを受賞しているそうだがこれまた謎だ。仏教的観点から観ないとこの作品の良さが分からないのだろうか。うむむ、寺に入って修行するか。
コメント (5)
この「悟るごとに脱ぐ映画」を観ました(笑)
レビュー書いたのでTバックさせて頂きました!
Posted by: お松 | 2005年06月09日 23:57
日時: : 2005年06月09日 23:57
お松さん
『マッスルモンク』を見てからそろそろ3ヶ月。
未だわたしの中で答えは出ていません。何故にアンディ・ラウが筋肉だるまでなければならないのか。何故に脱ぐのか。
筋肉モリモリな男が必要ならばアンディ・ラウに特殊メイク(あれを特殊メイクと呼んでいいのか迷いますが)を施すよりも、『Gメン75 香港ギャング編』で必ず出てきた筋肉男を起用すべきでした。毎回上半身裸になって胸の肉をピクピクさせ、倉田先生と戦ってましたなぁ。古い話ですが、彼はまだ健在なのでしょうか。
>悟るごとに脱ぐ
悟りが進めば物欲も無くなっていくわけで、動物が服を着ていないように、悟りを極めて解脱した者は素っ裸なんでしょうか。
Posted by: 東森時音 | 2005年06月11日 12:41
日時: : 2005年06月11日 12:41
初めまして。厖大なレビューを楽しく拝読してます。
さて、香港の風雲児ジョニー・トゥ監督、大真面目の巻です>マッスルモンク
アンディ・ラウの纏う筋肉は、力と煩悩の象徴。力を持って相手を制しても、カルマの因縁を消し去る事はできず、ただそれが繰り返されるのみ。
「屠刀を捨てれば即ち仏となる」と申します。どんな悪行もその一瞬の改心により許されるというのが、この映画の世界観のようです。
回心を成就し、僧職に復帰したアンディの身体は見事に削げています。
その落差を映画的に見せたいが為の「筋肉」かなあ、と考えています、はい。
Posted by: safra | 2005年06月14日 09:12
日時: : 2005年06月14日 09:12
>safraさん
>「屠刀を捨てれば即ち仏となる」と申します。どんな悪行もその一瞬の改心により許されるというのが、この映画の世界観のようです。
なるほどアンディ・ラウが背負っていた物をわかりやすく表現したのがあの筋肉と考えて良いのでしょうか。
死に至っても改心しなかった者はその罪を来世まで繰り越されてそこでも罰せられる。改心するまではいつまででも苦しみの輪廻転生は続く。そこから抜け出すには改心するしかない。
そういえば仏教における輪廻転生とは苦しみの現世を永遠に生まれ変わらなければいけない苦痛だそうですね。解脱ってのは転生の輪から抜け出してもう生まれ変わらなくてもいいことだとか。占いなどで「あなたの前世は誰々だ」なんてのがありますが、それが歴史上の有名人物だとしても解脱出来なかったってことですか。生まれ変わりなど信じていませんが、それが苦しみだとすればなおさらイヤです。
寺で悟りを求めて修行をする。精神的な物を突き詰めていっても簡単にはそれを手に入れることが出来ない。振り払えない肥大した世俗的な自我の象徴が筋肉なのでしょうか。
Posted by: 東森時音 | 2005年06月15日 00:06
日時: : 2005年06月15日 00:06
丁寧な御返事ありがとうございます。
アンディ演じる「ビッグガイ」は、元武術僧。法難に当っては降魔の力が必要とされる事もありますが、結局罪も無い少女の命を救う事もできず、怒りと悲しみに任せて力を振るえば、小鳥の命を消し去ってしまう。
無情を感じて山を去るまでの、この状況が最後に効いて来るのではと思います。
何の為の力、何の為のカルマを見る能力か。
それは仏の慈悲をもって、罪人を裁くのではなく救うことにある筈。「改心」なくばカルマの因縁からも永遠に逃れられないとは、東森さんのおっしゃる通りかと。
罪人と同じ苦しみを我が身に引き受ける事によって、ビッグガイの筋肉は消滅しました。分りやすいと言えば分りやすい設定なのかもしれません。
フンイーの「もう誰も死なないで」という台詞が、心に沁みる映画でした。
Posted by: safra | 2005年06月15日 10:48
日時: : 2005年06月15日 10:48