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2005年02月 アーカイブ

2005年02月01日

電動!命中!威力! 東京マルイのグロック18C

トミー・リー・ジョーンズ主演の『追跡者』で大活躍だったグロックがエアガンになった。いや、単なるコッキング式エアガンやガスガンならば以前から発売されていたが、東京マルイが今回出してきたのはなんと“電動ハンドガン”だ。M16やAK47などのアサルトライフルをはじめとするいわゆる長物の電動ガンや10歳以上から買うことの出来る子供向けの電動ハンドガンは以前からあったが、18歳以上向けの本格的な電動ハンドガンはこれが初めてである。しかもモデルはフルオート射撃も可能なグロック18C。もちろんそのフルオートも再現されている。うむむ、これはすごいかも。
しかし、拳銃サイズにバッテリーやモーターなどを組み込んでちゃんと動くのだろうか。長物電動ガン用のラージバッテリーは文庫本ぐらいの大きさがあるぞ。それにある程度威力がないと撃ってもあまり面白くない。
だがそんな心配は無用だった。撃ってみるとこれがなかなかイカした銃に仕上がっている。さすが東京マルイ。ちなみに大阪マルイや名古屋マルイはないが、ひょっとしたら綾金マルイってのはあるかもしれない。
バッテリーは100円ライターを縦に3cmほど伸ばしたぐらいの大きさ。銃上部のスライドを外し銃身と並べるようにセットする。心臓部であるモーターやギアボックスなどの機関部はグリップの後方に位置している。そのためマガジンは実銃のサイズではなく細長い割り箸マガジンとなっているのが残念だがこれはいたしかたないだろう。装弾数は30発とハンドガンとしてはごく普通だ。発射するのは6ミリBB弾で、わたしは家にあった東京マルイの0.25g弾を使った。弾をセットするローダーは付属していないのでポチポチと一発ずつ装填していく。これがかなり面倒なので定価950円のBBローダーも一緒に買っておけば良かったなと後悔している。戦争中の兵隊もやはり自分で銃に弾を込めているんだよな。それともマガジンに装填済みのが支給されるのか?BB弾のマガジンと違い底部のバネも強力なのでさぞや力もいることだろう。M16の標準マガジンに30発をやっと込め終わっても、フルオートで撃ってしまうとほんの2秒ほどで弾切れになってしまう。そしたらまた弾を込めて、でもってそのための予備の弾も持ち歩かなければいけないが、これも数が多いと重くてしょうがない。うーん、やっぱり歩兵にはなりたくないねぇ。まあ、兵隊自体なりたくないが。
フル装填したマガジンをセットし、部屋の反対側に置いたターゲットに向かう。電動ガン化にあたっては業界の基準に則ってマニュアルセイフティ(安全装置)も付いているが、グロックの基本はトリガーセイフティと内蔵オートセイフティ。引き金を引けば弾が出る、引かなければ出ないといたって分かりやすい銃だ。だから撃つまでは決して引き金に指をかけてはいけない。基本である。
右手でグロックのグリップを持ち、左手で包み込むようにして支える。切り替えスイッチが連射ではなく単発になっているのを確認する。ターゲットとサイトが重なったところで息を吸いそこで止める。引き金を引く。
シュポッッッ!!
瓶ビールの王冠を勢いよく抜いたような音が響いた。そして、BB弾が一瞬の真っ白な線を描きターゲット用紙に穴が一つ開いた。シュポッッッ!!って音はないだろと思ったが、弾道はまっすぐ安定した感じでほぼ狙ったところに行った。
セミオートのまま残りの29発を撃ち終える。ブローバックガスガンのような反動がないので連射しても狙いが狂わない。そしてスライド固定ガスガンと比べると格段にトリガーが軽い。そのおかげもあってか約4.2メートル先にあるターゲット用紙に全弾命中した。ターゲット用紙中央にある黒い丸の直径がおよそ7センチである。感じとしては5メートル先の空き缶にほぼ間違いなく命中させられるといった精度だろうか。くせのないすっと真っ直ぐ伸びる弾道だ。
威力はどうだろう。普通のコピー用紙を使ったターゲットは貫通したがそれだけでは判断がしかねる。しばらく考えて結局自分に向かって一発撃ってみることにした。立ったまま肩の高さでグロックを構え裸足になった足の甲の部分を狙う。よーし撃つぞ・・・撃つぞ・・・片目をつぶって足元を眺めたりする。えーいっ!
シュポッッッ!!
足に命中したBB弾は跳ね返って天井に当たり床の上をどこかに転がっていった・・・ほんの1,2秒ほどは何も感じなかった。そしてじわっと痛みが走ったと思ったら突き刺さるような激痛になった。痛い痛い痛い痛いっ!いや、これはちょっと大げさか。だが、足の甲なんてのはどちらかというと鈍い部分だろうにかなり痛い。比較実験をしないと意味がないのでガスブローバック方式のマルゼン・ワルサーP99を同じようにして撃ってみた。さっきは右足だったんで今度は左足に狙いを定めて一発バシャコン!・・・痛ぇ。P99が発射したBB弾も痛い。痛いには変わりないが、どちらかと言えばP99の方がより痛い。ということは若干威力が高いのだろう。なんにせよやはりトイガンといえど銃は人に向けて撃つ物じゃない。サバイバルゲームなんてものがあるが、まあ服の上から当ったら素肌よりはましなんだろうがそれでもこんなものを撃ち合ってるわけだ。うーん、わたしは本物の兵隊も嫌だけどゲームの兵隊も嫌だなぁ。ゴーグルをはめてるから眼は大丈夫だろうけど顔に当たったらどうするんだこれ。しかもフルオートで食らったらのたうち回る羽目になるぞ。説明書や日本遊技銃協同組合からの注意書きとしてしつこいほどに「人を撃つな」と書いてあるがその通り。なんでも車の中から通行人を撃って遊ぶ頭の悪い奴らまでいるという。その手の輩は同じように撃って怖さと痛さを思い知らせてやればいい。それも実銃の岩塩弾辺りでどうだ。世間がトイガンに関して偏見の眼を持っているのはまあしょうがないのだがそれを助長することはないわな。
サバイバルゲームをやらないなら電動ガンなんかどうするんだと言われるだろうがわたしは銃が好きなのだ。実物の銃ではなくて映画に登場する小道具としての銃が大好きだ。ハンドガンだとブローニング・ハイパワーが一番好きで二番目がグロック。そのグロックをガスという消耗品を気にせず撃ちまくって遊ぶにはこのグロック18Cはかなり良いおもちゃだ。ただ、庭で撃っていると近所の目が怖いし、どっか人気のない山の中や港で撃っていると実は人目があって警察に通報されたりしかねないので、射撃場所はもっぱら自室だ。わたしの部屋は鰻の寝床状の変形八畳なので普段はちょと不便だがこういう時には役に立つ。PCで作業をしていて時折気分転換でターゲットを撃つ。本を読んでいて肩が凝ってきたらターゲットを撃つ。その度にターゲット用紙の中心周辺に穴が開く。うん、良い銃だ。
フルオート射撃も一度やってみたんだが、引き金を引いた途端に飛び出したシュポポポポポポッ!!という勢いについ銃口が他所を向き部屋の中にBB弾をばらまいてしまった。心構えはしていたのだがそれでもびっくりした。それなりに面白いがやはり一発一発ねらい打ちする方が個人的には楽しい。
東京マルイにはグロック18Cだけではなく他のハンドガンも電動エアガンで出して欲しい。やはり定番のM92Fは欲しいし、マルイお得意のデザートイーグルもいいだろう。グリップが太くないと機関部が入りきらないだろうからコルト45オート(ガバメント)などはちょっと難しいだろうが、最近の拳銃はダブルカラムマガジンがほとんどだから電動ガン化しやすいだろう。モーゼルミリタリーなんかも良いが、あの形はちょっと難しいだろうな。そうだ、キャリコピストルを100連発モデルで出してくれないだろうか。ドルフ・ラングレンの『ダーク・エンジェル』ごっこで遊びたい。

2005年02月03日

『カンフーハッスル』 男ならカンフーだっ!もちろん女もなっ!

『カンフーハッスル』(2004) 功夫 KUNG FU HUSTLE 中国(香港) 103分 2006/01/30鑑賞

監督:チャウ・シンチー 製作:チャウ・シンチー、ジェフ・ラウ、チェイ・ポーチュウ 脚本:チャウ・シンチー、ツァン・カンチョン、ローラ・フオ、チャン・マンキョン 撮影:プーン・ハンサン 音楽:レイモンド・ウォン
出演:チャウ・シンチー、ユン・チウ、ユン・ワー、ドン・ジーホワ、シン・ユー、ブルース・リャン

エブリバディ ワズ カンフーファイティングッ! ハッ!という例の曲を聴くと『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶジャングル』(2000)を思い出してしまうのだが、元々はカール・ダグラスという人が歌い70年代にヒットしたアメリカのディスコミュージックだそうだ。70年代、ディスコとくればなるほどファンキーでアフロでついでに『サタデー・ナイト・フィーバー』(1977)だ。すると『嵐を呼ぶジャングル』は1970年代対2000年代の戦いだったわけか。
それはともかく、ブルース・リーの熱狂的マニアとして知られるチャウ・シンチーがついに本格的カンフー映画を作り上げた。誰がなんと言おうと本格的だっ!ハッ!

チャウ・シンチー演ずるシンは相棒のデブと一緒にせこい詐欺や強盗で半端な暮らしをしている。だがそんな彼も子供時代は正義心が強い少年だった。あるルンペン(ユエン・チョンヤン、袁家の一人で『チャーリーズ・エンジェル』の武術指導を担当)から100年に一人の天才だと褒められ『如来神掌』という拳法の極意書を売りつけられる。それから彼は本を片手にクンフーの練習に明け暮れる毎日を過ごし、そしてある日、唖(おし)の少女が悪ガキたちにいじめられているのを見かけた彼は少女を助けようと悪ガキに立ち向かった。しかし、必殺であるはずの『如来神掌』はまったく通用せず、逆にこてんぱんに叩きのめされてしまった。そう、その極意書とはそこらの駄菓子屋で売っているインチキ本で、彼はルンペンにまんまと騙されたのだ。少女が奪われそうになった棒付きキャンディーをお礼にと差し出すが、彼はそれを振り払うと「正直者は馬鹿を見る。悪どく生きなければ」と悪の道へと入ってしまう。
それから月日が流れ、シンは悪党になったと言ったも大した悪事も出来ずチンピラのままなのだが、その地域一帯を支配しているギャング団斧頭会のメンバーになりたいと願っていた。その斧頭会は豚小屋砦というスラム街を乗っ取ろうと手下を送り込むが、住人の中に職人として平凡に暮らす三人のクンフーの達人がいて返り討ちにあってしまう。そこから斧頭会、豚小屋砦、そしてシンたちによる「ありえねー」争いと大騒動が始まるのだった。

とにかくね、「CGを使いすぎだ」とか「いくらなんでもあんなのはありえない」とか「痛い残虐なシーンが嫌だ」とか「ギャグがしょーもな」とか「下品だ」とか文句を言うな。CGをつかいすぎのありえないクンフーと残虐・下品なギャグがあるから面白いんだろうが、こら。「しょーもないけど笑える」とか言うな。しょーもないから笑えるんだ。分かってねーな、お前ら全員校庭10周!
それともなにか、チャウ・シンチーが金を出せとアイスキャンディー売りに詰め寄ったシーンで、カメラが引くと後ろの建物に貼られたロマンス映画(フレッド・アステア主演のミュージカル『オペラハット』)の巨大ポスターに写し出された男女が、チャウ・シンチーたちと同じポーズで熱く抱擁しあってるという構図に君らの映画的感性は揺り動かされなかったのか?
火雲邪神に瀕死の重傷を、いや凡人ならば間違いなく死んでいた傷を負わされ、軟膏や包帯でぐるぐる巻にされたチャウ・シンチーが、実は100年に一人どころか一万年に一人の才能の持ち主で驚異的な回復力によってバキッパシッと包帯にヒビが入り、続いてサナギから羽化した蝶が色鮮やかな羽を広げて空へと飛び立っていくシーンにつなげることで、チャウ・シンチーが再生し、生まれ変わり、ついに真の力を手に入れることを表現する、その手法の大胆さに胸は打たれなかったか?
そして、開店したばかりのキャンディー屋の前で向かい合う男女が、カメラが回り込んでいる間にあの時と同じ少年少女の姿になっているところで涙を流さなかったというのかっ!
色々な物をはぎ取っていくと最後に残る一本の芯はこれがなかなかに映画している。そこをちゃんと感じなきゃ。考えるな、感じるんだbyブルース・リーだぞ。
「CGを使いすぎだ。CGは補完的に使うべきだろう」とか言うがな、そりゃ普通の映画の場合だろ。これはギャグ色の強いコメディ映画なのでとにかく派手にとにかくしつこくて当然。中途半端が一番いけないのであって、これだけ徹底させなければ本気で笑えるギャグ映画にはならなかった。ラストの斧頭会対チャウ・シンチーの戦いも、ブルース・リーばりにリアルに戦ったらそりゃ格好いいけど笑えないだろ。斧頭会のギャングがぽんぽん空をすっとんでいき、投げ飛ばされたギャングが壁を突き破って大きな穴を開けるから笑える。『マトリックス リローデッド』のネオ対100人スミスなんざ眼じゃないぞ、これは。それに、チャウ・シンチーら主要キャストがちゃんと身体が動く人だからこれだけのことだできるわけで、そこらの人を捕まえて同じ役をやらせたってとうてい画にならず無理だ。CGがあれば何でも出来るってわけじゃない。
例えばジャッキー・チェンみたいに生身の役者が命がけでやってるからスゴイというのもあるが、この作品の場合そもそも目指しているところが違う。だから特撮が役者のクンフーの魅力を薄めているという非難は的はずれだろう。普通のクンフー映画ではなく、「ありえねー」クンフー映画なのだ。わたしなんか逆に、「えーこんなもんなの?もっともっと無茶苦茶やってよ。出来る、あんたらなら出来るはずだ。本気でありえねーと叫ばせてくれ」と思ったぐらいだ。
痛いギャグは確かに好みがあるだろう。いかにも痛そうだからギャグになるんで嫌いな人はまあ我慢してくれ。豚小屋砦の大家夫婦にナイフを投げようとして、どういうわけか全部チャウ・シンチーの肩や腕に刺さってしまうギャグとか好きだけどね。しかも、その後のレースゲームの様なマンチェイスシーンでは肩に刺さったナイフをバックミラー代わりに後ろを見てるし。でも、わたしはテレビはほとんど見ないのだが、日本のバラエティ番組なんかもっと人を不快にさせるギャグをやってるとわたしは思うのだが。
同じチャウ・シンチー作品と言うことでどうしたって『少林サッカー』(2001)と比べてしまう。ストーリーや登場人物から言えば正直『少林サッカー』の方が上だ。『カンフーハッスル』には魅力的な登場人物がちょっと少ない。相棒のデブ(少林サッカーの空飛ぶ弟弟子)やアイスキャンディー売りの女性は大きな意味を持っている割にはあまり目立たない。斧頭会も物々しく登場し集団で踊ったりしていた割にはボスなどほんの脇役に過ぎない。死に方情けないしな。
その分を豚小屋砦の大家夫婦と火雲邪神が埋めてくれるがこれまたあまり日本の若い観客には受けなさそうなオジさんとオバさんだ。
大家は『サイクロンZ』で「香港のトニー谷」として有名になったユン・ワー。この人はジャッキー・チェンやサモ・ハン・キンポーらと同じ京劇学校出身でスタントマン経験もあって、ちゃんとしたアクションが出来る人。奥さんの方は知らないなと思っていたら28年振りの映画出演だそうだ。そりゃ知らんわ。こちらも京劇出身でスタントもこなす女優さんだったとか。
で火雲邪神はと・・・うわあああぁブルース・リャンでねーの。『帰って来たドラゴン』(1974)なんかのあのブルース・リャン?わたし『帰ってきたドラゴン』のDVD持ってるよ。なんというか、昔はいい男だったがだいぶと変わったねぇ、というか太ってぱっと見はただのオジさん。映画界を追われた後苦労したんだろうな。しかし、戦い始めると往年の輝きを取り戻すのはさすが。
わたしはそれほど香港映画の俳優について詳しいわけではないので分からないのだが、他の出演者も三職人などクンフー使いは実際にちゃんとしたクンフーとアクションが出来る役者を使っているそうだ。最初にも言ったがチャウ・シンチーはブルース・リーだけではなくクンフー映画そのものがかなり好きでマニアックなネタが仕込んであるらしい。『如来神掌』というのは香港のクンフーコミックに登場する必殺技だそうだ。日本で言うところの『かめはめ波』みたいな物か。
『少林サッカー』に作曲家になりたいと言って登場していた変な顔の兄ちゃんや筋肉男、小さいかと思ったら実は・・・な男などみょうちくりんな豚小屋砦の住人は愉快な連中なのだが、あまりの騒動を恐れて途中で逃げ出したのか後半はほとんど姿を見せない。そのためラストの戦いは「豚小屋砦を守ってみせる」「いや奪ってみせる」といった正義対悪という構図が薄くなっている。だがチャウ・シンチーはそもそも豚小屋砦側の人間ではないわけで、砦云々よりも達人同士が決着を付けるのが戦いの目的なのだろう。

「カンフーでの戦いでCGを使って相手を吹き飛ばしたら面白くね」「面白い、それいこうそれ」などと適当に作ったのではいわゆるおバカ映画にしかならない。
『カンフーハッスル』の素晴らしい点は「くだらねー」とか「しょーもなー」とか言った周りからの騒音に耳を貸さずに、こんな面白い映画を作りたいんだっ!こんな燃える映画を、笑える映画を作りたいんだっ!という貫いた意志のもとに一心不乱に作られているだろうことだ。映画作りに対するその熱き思いの真摯さにわたしは胸を打たれ感動が止まないのである。
劇場を後にしながら「あー、わたしも身体を鍛えなきゃなぁー」と思った。
EVERYBODY WAS KUNG-FU FIGHTING HAAAA!

2005年02月04日

『プロデューサーズ』 メル・ブルックスにアカデミー賞を与えるな

『プロデューサーズ』(1968) THE PRODUCERS アメリカ 88分

監督:メル・ブルックス 製作:シドニー・グラジエ 脚本:メル・ブルックス 撮影:ジョセフ・コフィ 音楽:ジョン・モリス
出演:ゼロ・モステル、ジーン・ワイルダー、ケネス・マース、ディック・ショーン、リー・メレディス

今年もアカデミー賞の季節が近づいてきた。受賞者の顔ぶれを見ては「うん、こいつが監督賞は当然だろう」とか「えーっ?こいつが脚本賞ってのは間違ってないか」など勝手な批評をするのも一つの楽しみである。
そうやって批評していくと、アカデミー賞の歴史の中で最大の間違いが『プロデューサーズ』へのアカデミー脚本賞の授与だろう。なんといっても脚本家はメル・ブルックス。泥臭いユダヤジュークで名を知られ、おバカ映画の元祖のようなことを言われている人物である。メル・ブルックスはバカ映画であっておバカ映画じゃないとは思うがしょーもないのは事実だ。『泥棒野郎』(1969)など初期のウディ・アレン作品から繊細さとリズムを抜いたような感じだろうか。この人にアカデミー賞をやっちゃいけないだろとわたしなんざ思うのである。
学生時代、ある下宿に集まって飲み会をやったことがある。その時に各自お勧めの映画を持ち寄ることになり、わたしが持参したのがメル・ブルックスの『サイレント・ムービー』(1976)だった。サイレント映画の形式で撮られていながら軽快さに欠け非常に野暮ったい映画だ。それは認める、認めるが先輩のC氏はなにも怒ることはないだろうに。うーん、『新・サイコ』(1977)にしておいたほうが良かったかな。
プロデューサーズはメル・ブルックスの監督デビュー作で、ギャグ映画である『サイレント・ムービー』や『スペース・ボール』(1987)と違い、ストーリー主題で笑わせるようになっている。ブロードウェイのパッとしない演劇プロデューサーが、いっそのことあまりにもひどい劇をプロデュースして大コケで赤字を出して出資者からの資金を頂戴したほうが儲かるという手段を思いつく。そこで、最低の脚本家、最低の役者、最低の演出家を集め最低な芝居を作り上げる。ナチス・ドイツのアドルフ・ヒットラーを主人公にしたその芝居はこれでもかという最低な出来に仕上がるのだが・・・
プロデューサーを演ずるゼロ・モステルの怪物ぶりが良い。巨体を揺らせてなにやらせこいことを考えているペテン師じみた人物の雰囲気が良く出ている。それに神経質で小心者なジーン・ワイルダーの会計士という組み合わせは笑える。他の登場人物もイカれた連中ばかりだが、後のメル・ブルックス作品ほど滅茶苦茶ではなく比較的受け入れられ易いというのはあるだろう。
ラストの“逆スティング”とでも呼ぶべき悲惨な大逆転は痛快で、この辺りも脚本賞において評価されたのだろう。
だがしかし、やはりメル・ブルックスにアカデミー賞を与えるべきではなかっただろう。このハリウッド映画のおける最高の栄誉を手にしたメル・ブルックスはその栄光をバックに『珍説世界史PART I』(1981)や『ロビン・フッド キング・オブ・タイツ』(1993)など好き放題な監督作品ばかりいくつも作っている。
いや、むしろアカデミー賞受賞者というプレッシャーなど微塵も匂わせずにしょうもない作品ばかり撮っていたのか。権威とか面子に囚われずに自由な映画人だったとも言えるな。しかもその裏で、『エレファントマン』(1980)や『ザ・フライ』(1986)などの製作総指揮も手がけているしな。
監督ではなく製作と出演のみとはいえエルンスト・ルビッチの『生きるべきか死ぬべきか』(1942)を『メル・ブルックスの大脱走』(1983)としてリメイクをしてしまったことだけは許せないが、監督作品としては三十年以上の間を首尾一貫してバカであり続ける根性は見習うべきだろう。
奥さんは『奇跡の人』(1962)でアカデミー主演女優賞を受賞したアン・バンクロフト。実力派女優の上に美人ときてる。いかにもオッサンくさく見えてメル・ブルックスは実はもてるのかも知れない。

2005年02月05日

『八甲田山』 あるいはスコット隊とアムンゼン隊

『八甲田山』(1977) 日本 169分 2005/02/05レンタルDVDにて鑑賞

監督:森谷司郎 製作:橋本忍、野村芳太郎、田中友幸 企画:吉成孝昌、佐藤正之、馬場和夫、川鍋兼男 原作:新田次郎 脚本:橋本忍 撮影:木村大作 美術:阿久根巌 衣裳:長島重夫 音楽:芥川也寸志 助監督:神山征二郎
出演:北大路欣也、高倉健、丹波哲郎、三國連太郎、緒形拳、前田吟

暑い時にはカレーのような辛くて熱い物を食って暑さを吹き飛ばす。そこで寒い時には寒い映画だろと思って観てみた。結果、寒さが吹き飛ぶどころか余計と寒くなった。しかも気分まで思いっきり憂鬱にマリアナ海溝級にまで沈み込んだ。まったく、橋本忍はいったいなにがしたい、なにが言いたくてこんな映画を撮ったのか。
製作と脚本を兼ねている橋本忍、この人は『七人の侍』(1954)や『砂の器』(1974)などを手がけた東宝系の大物脚本家なのだが、わたしはこの人の作品はあまり好きじゃない。それどころか嫌いと言っても良いだろう。重苦しいのはまあ作風だろうがストーリーよりもテーマを優先させ、登場人物が愚鈍でセリフなどに魅力が感じられない。何より説明的なシーン・会話に終始してしまうことが反映画的で面白みがない。
『八甲田山』では明治35年1月末に青森県八甲田山にて陸軍の兵士200人以上が雪中行軍を行い吹雪のためほぼ全員が凍死に至った『八甲田山事件』という実際にあった出来事を描いている。青森第五連隊からの重装備・多人数の神田隊に対し、史実では存在しない(2005/2/27訂正:弘前三十一連隊による八甲田山踏破も事実。ただし指揮官の名前は徳島ではなく福島)軽装備・少人数の弘前第三十一連隊からの徳島隊を登場させたのは、南極探検におけるイギリスのスコット隊とノルウェーのアムンゼン隊が発想の元となっているのだろう。南極点を目指したスコット隊とアムンゼン隊も南極の雪と風に苦しめられ、スコット隊は南極点到達をアムンゼン隊に先を越されてしまいついには帰路の途中で力尽き全滅してしまった。神田隊と徳島隊が対比されることによってより悲劇性が強調されるというわけだ。
だが、そもそもひたすらうっとおしくなるような悲劇を何故映画化しなければいけなかったのか個人的には理解できない。映画も中盤以降はモノクロのような雪景色の中を軍服の男たちがずらっと並んでゆっくりゆっくり行進し続けていくだけで、段々と力尽きた兵士が一人ぱたり、また一人ぱたりと倒れていく。残った兵隊はもはやそれにかまう余裕もなく死への行進を続けるだけ。ああ、天は我を見放した。確かに鬼気迫る物はあるが、これが短めの作品ならともかく169分もあるのだ。これは観ていて精神的につらい。
無能な指揮官によって部隊が全滅していく様が描きたかったのか、大自然の怖ろしさとその前での人間の無力さを描きたかったのか。だからどうした、そんなこと169分も使ってやるなと思うわけだ。
雪中行軍の撮影は大変だったとは思う。雪の中に機材をセットして、大勢の役者にメイクや衣装を施して揃えそしてカメラを回す。撮影現場を多少知っている者から見るとただそれだけで大仕事だったのが分かる。だが、撮影が大変そうだったということと作品への評価はまた別物で、そこら辺でちょろっロケして低予算で撮った物でも良ければ傑作だし、予算をつぎ込み大規模なセットを作った物でもつまらなければ駄作だ。
唯一良かったなと感じたシーンは、雪国育ちの兵士である緒形拳が雪の寒さの中で初夏の花畑を思いやるシーンだろうか。暖かそうなその花畑の中で軍服の緒形拳がぴょんぴょんはね回ってはしゃいでいる。この撮影シーンを想像しただけで笑える。「緒形さーん、次はちょっとスキップしてもらえますか~?」
徳島隊を指揮する高倉健は『網走番外地』(1965)、『居酒屋兆治』(1983)、『鉄道員』(1999)など雪のある風景がよく似合う。『南極物語』(1983)では極寒の地・南極にまで行っている。だがしかし、健さんは雪国ではなく九州は福岡県の出身なのであった。

2005年02月09日

『Dr.ギグルス』 気違い医者の襲撃

『Dr.ギグルス』(1993) DR. GIGGLES アメリカ 1993/10/24鑑賞

監督:マニー・コト 製作:スチュアート・M・ベッサー 脚本:マニー・コト、グレイム・ウィフラー 撮影:ロバート・ドレイパー 音楽: ブライアン・メイ
出演:ラリー・ドレイク、ホリー・マリー・コムズ、クリフ・デ・ヤング、リチャード・ブラッドフォード、ミシェル・ジョンソン、グレン・クイン

昨日(8日)から体調が悪い。悪寒が走り胸がむかむかするして吐き気があるし、体温は37度後半から下手をすると38度台である。
取りあえず、飯食って寝ていたが今日になっても状態が改善されないので諦めて医者に行った。

「こりゃ、多分“胃腸風邪だね”インフルエンザではないと思うよ」
と医師からの診断を下される。風邪ということで少しほっとする。
点滴を打ってもらい3種類の薬を出してもらった。家に帰って、薬を飲んで昼間っから布団に入っていたら大夫と楽になった。
しかし、「相手が医者だから」となると出された薬を疑いもせずに服用したり様々な治療を受けたり、場合によっては手術で身体を切り裂かれてしまうのが医療の現場である。
もしここで、その医者がまるっきりのイカれた精神異常者だったらどうなるだろうか、というのがこの『Dr.ギグルス』である。
ギグルスというのは医者の名前ではなく“GIGGLES”=くすくす笑いなのでくすくす笑いをする医者と言った意味だろうか。『ダークマン』のラリー・ドレイクが冷静かつ論理的なようでいて根本から破綻した気違い医者エヴァンを演じている。真夜中にストレスからアイスクリームの巨大カップをやけ食いしているような奴は胃を取り出しての強制胃洗浄だ。
ヒロインは心臓疾患の持ち主で、エヴァンはこの娘を手術して治療してやろうと思っている。しかし、正規の医療知識などないのでそんなことをされては命の危機。不気味に迫り来るエヴァンが怖い。
ちなみに、この気違い医者は医者だと強く思いこんでいるだけで、実際には医者の免許などは持っていない。だからこの映画の中で繰り広げられる惨劇は実際には起こりえないはずだ。はずだが、医者だって人間だ。疲れたり精神が不安定になることもあるだろう。ミリ単位での細かさが要求される脳神経外科の手術中に「あーもう、なんかこの脳やだな。そこら辺の神経4~5本切っちゃおうかな」なんてことは本当にないのだろうか。
気に入らない患者の虫歯の治療をしていて「こいつ嫌な奴だから必要以上に痛くしちゃお」なんて考える歯科医は案外いるんじゃないだろうか。
それに、時折医療免許を持っていないのに医療行為をして捕まっているやからもいる。ブラックジャックなら話は別だが、大概はインチキくさい連中だろう。

・・・ん?なにやら背後で気配が・・・
(振り返る)
はっ!おっ、お前は!!
エヴァン「君は熱があるようだね。熱を冷ますには身体を冷やすのが良いよ」
そしてエヴァンは金属バットを振り上げた・・・ゴインっ!
・・・
・・・
・・・
うっ・・・ううう・・・頭が割れるように痛い。いったいどうしたんだ。そうが、エヴァンに殴られたんだった。
って、なんで身体が縛られているんだ。それにとても寒い。吐く息が白いがここはどこだ?
どうにか縄がほどけないかなともがいている内に足の先が冷凍マグロの堅い身に当たる。
身体が一刻一刻冷えてくる。確かにこれならば体温は下がるが、ついでに死にかねない。
『ジェイコブス・ラダー』(1990)で高熱に陥ったティム・ロビンスを氷をガンガンに放り込んだバスタブに入れて治療するというシーンがあったが、あれはかえって病状が悪化して死んだりするんじゃないかと思う。たまに洋画で登場するが、あんな治療法は本当に行われているのだろうか?

2005年02月12日

『恐怖の報酬』(1953) 最悪のニトログリセリン輸送

『恐怖の報償』(1953) LE SALAIRE DE LA PEUR フランス 149分

監督:アンリ=ジョルジュ・クルーゾー 原作:ジョルジュ・アルノー 脚本:アンリ=ジョルジュ・クルーゾー 撮影:アルマン・ティラール 音楽:ジョルジュ・オーリック
出演:イヴ・モンタン、シャルル・ヴァネル、ペーター・ヴァン・アイク、フォルコ・ルリ、ヴェラ・クルーゾー

東京の住宅地の真ん中で温泉を掘っていたところ地中から噴出した天然ガスに引火し火災になったそうで。消防隊が急行して火を消そうにも、地面の中から次から次へと天然ガスが吹き出して来るものだから、いくら水をかけようが化学消化剤をまこうがなかなか消えない。このように天然ガスや石油掘削現場での火災事故というのは燃えるのが仕事のような可燃物が大量にあるのでいったん火事になると消火は困難だ。
ちょっとした大きさの天然ガス溜まりを掘削機がぶち抜いてしまったのならばガスが燃え尽きるのを待つという手もあるが、油田の掘削現場だと石油が燃え尽きるのを待つというわけにもいかない。それどころが一分一秒ごとに金になる大量の原油が燃えているのだ、関係者は気が気じゃないだろう。
こういった火事を消すのに奥の手がある。火災現場を爆薬で吹き飛ばし、爆発で生じた炎が周辺の酸素を全て燃やし尽くし、しばらくの間だけ酸欠状態にして消火するというかなり荒っぽい技だ。『沈黙の要塞』(1994)の冒頭でスティーヴン・セガールがアラスカの油田火災でやっていたあれである。
今日紹介する『恐怖の報酬』は、中南米にある油田で火災が発生し、それを消火するために使う爆薬のニトログリセリンを500キロの山道を運ぶ男たちの映画だ。
ご存じのようにニトログリセリンは爆発力の強い液体状の爆薬で、ちょっとした衝撃でも爆発することがある危険な薬品だ。それを運ぶのはトラック運転のプロや肝っ玉のすわった奴などではない。多額の懸賞金に吊られて運転手に選ばれたのは本国フランスで食い詰めて流れ流れて中南米までやってきたようなあぶれ者ばかりの4人の男だ。つまり、油田会社にとっては失敗して死んでも惜しくも何ともない連中というわけだ。
2人1組で2台のトラックに分けて出発した男たちは、いくらニトログリセリンが危険と言ってもただ運ぶだけだろ、たかが500kmの距離だと高をくくっているのだが、先に進む内に普段ならどうということのない山道が彼らに牙を剥き始め、気のゆるみが危険につながってくる。簡単だと思いこんでいた仕事が恐怖そのものだと気付いたときにはすでに引き返すことは出来なくなってた。彼らは疲弊し狂気の縁を歩き始める。

ドキドキハラハラではなくドキドキだけの映画。立ちふさがる困難を一つ一つ対処しては先へ進むのだが、そこに爽快感はない。むしろ、進めば進むほど仲間が倒れ減っていき重苦しさが増すばかり。これがハリウッド映画ならば一つ難問が片付く毎にわっと盛り上がるのだろうが、さすがフランス映画というか監督がアンリ=ジョルジュ・クルーゾーだけのことはある。
若き日のイヴ・モンタンが格好いい。ニヒリストでタフなのは少々ステレオタイプだが当時衝撃だったラストへの逆伏線なのかもしれない。

1977年にハリウッドで同タイトルの『恐怖の報酬』として監督ウィリアム・フリードキン、主演ロイ・シャイダーで再映画化されているが、モノクロからカラーに変わったこととラスト以外はほぼそのまま構図まで同じに近いリメイクの上に、監督がフリードキンなのでアンリ=ジョルジュ・クルーゾーの53年版を観ていれば77年版は観る必要はなし。
どうせなら、油田火災とニトログリセリンいう題材なら、ジョン・ウェインが率いる油田消火のプロフェッショナルチームの活躍を描いたアンドリュー・V・マクラグレンの『ヘルファイター』(1968)をお勧めする。ジョン・ウェイン西部劇のカウボーイの子孫は現在こうやって暮らしてるのかと思わせるような楽しい(いや、やはり火災は楽しくないが)映画だ。

2005年02月13日

『ハウルの動く城』 ハウルはヨン様?

『ハウルの動く城』(2004) HOWL'S MOVING CASTLE 日本 119分 2005/01/23鑑賞

監督:宮崎駿 プロデューサー:鈴木敏夫 原作:ダイアナ・ウィン・ジョーンズ 脚本:宮崎駿 美術監督:武重洋二、吉田昇 音楽:久石譲
声の出演:倍賞千恵子、木村拓哉、美輪明宏、我修院達也、神木隆之介、大泉洋、大塚明夫、原田大二郎

宮崎アニメの集大成的側面を持っているが、その割には心底のめり込んで作ったという感じはしない。なんか微妙な映画だ。
もうね、多分宮崎駿自身はいい加減引退したいのではないかと。前に「もう監督はやらない」発言をしていたし。宮崎のように自分でキャラクターデザインから世界観などの美術までやってしまう人は、映画の隅々の細かい点に至るまで自分で把握・管理し支配下に於かないと我慢がならないのだろう。実写の監督ならば美術・衣装・撮影の各担当者に監督によって程度は変わるがお任せして負担を減らせるだろうが、宮崎はかなりの部分が自分の背中に背負ったまま。そりゃ年も年だしいい加減疲れるわ。
だからってスタジオ・ジブリという所帯を持ってしまったからには、そこの人間を遊ばせているわけにもいかない。ジブリ自体は金銭的に余裕があるだろうが、映画作りをしないと現場の才能が育たないどころか枯れていくから、1~2年に1作程度のペースで新作を作らなければならない。本当はそこでそろそろ若手に監督をバトンタッチしてもいいのだが、それなりに才能を開花させていた『耳をすませば』(1995)は病死してしまうし、では他の奴はどうかと撮らせてみると『猫の恩返し』(2002)や『ギブリーズepisode2』(2002)などという駄作を出してくる。こりゃ、後を託そうにも頼りなくて引退できんわ。
そんなわけで、しょうがなく撮ったのではないかなと思われる『ハウルの動く城』には『もののけ姫』や『千と千尋の神隠し』が持っていた張りつめるような緊張感は存在しない。はっきりしたメッセージを打ち出しているわけでもない。ここしばらく精神的に追いつめるように撮っていた宮崎駿が、久々に肩の力を抜いて撮っている感じで観ていて少し嬉しかった。

主人公は地味な娘のソフィー。彼女は呪いで老婆にされてしまう。その声を演ずるのは倍賞千恵子で、最初は「老婆の時はともかく、若いときも倍賞なのかよ。若い役者がやったほうが良かったんじゃないの」と思ったが、観ている内にそれはまったく気にならなくなる。いや、映画を観れば分かるが、老婆のソフィーと娘のソフィーははっきり線引きされた異なる存在ではなく、彼女の心がときめくことによってボーダレスにその間を揺れ動く、突き詰めれば同一の存在なのだ。
ソフィーは今は亡き父親から譲り受けた帽子屋で働く地味な娘だ。母親は遺産で遊び暮らしているようだし、妹は社交的な性格でソフィーとは正反対だ。しかし、ソフィーはそんな母や妹を羨むことなくやはり地味に暮らしている。おそらく友達も多くはないだろうし、恋人はいない。これまであまり恋もしてきたことがないのだろう。だからひょっとすると、ソフィーは荒れ地の魔女呪いで若さを奪ったのではなく、その心の年齢にふさわしい姿に変身させたのかも知れない。
老婆になることによって初めて自分とはなにかという自我に目覚めたソフィーは、自身を模索するうちに心の中に固く縮こまっていた「ときめき」とでも呼ぶ物の存在に気付き、ときめくソフィーの心に合わせて時には姿が若い娘のそれに変わる。冒頭のソフィーは他人を寄せ付けず自分の殻にこもった娘だったが、問題なのは地味であることではなく他人への心の開き方なのだろう。
恋するとは自分以外に他人の存在を意識すること。つまり恋には自我の目覚めが不可欠である。城が動くとか飛行機械からの爆撃などが登場するが、突き詰めるところ一人の女性が自我に目覚めていく過程を描いた映画なのだ。
重要なのは外見ではなく心である、女はいくつになってもときめけば恋してもいいのだ、というこの映画の主張は、2004年に日本を席巻した『春のソナタ』へのオバサンの想いと同じ物なのかも知れない。だからハウルを演ずるのが木村拓哉なのだろう。どこか現実離れした生活感を感じない木村拓哉”という存在とその声は、才能溢れる魔法使いハウルにぴったりだ。もちろん、ハウルは同時にヨン様ことペ・ヨンジュンでもある。汗の匂いも男臭さも感じさせないハウルは、男の側から見ると現実味のない薄っぺらな存在にも思えるのだが、だからこそ理想的な初恋の対象になりうるわけで、遠い日の初恋を再体験もさせてくれるのだろう。

『ハウルの動く城』はもちろん韓国でも公開されるだろう。そのときのハウル吹替担当はペ・ヨンジュンでどうだろうか。

2005年02月14日

『F/X 引き裂かれたトリック』 SFXテクニックで生き延びろ

『F/X 引き裂かれたトリック』 (1986) F/X: MURDER BY ILLUSION アメリカ 109分

監督:ロバート・マンデル 製作:ドディ・ファイド、マイケル・ペイサー、ジャック・H・ウィナー 脚本:グレゴリー・フリーマン、ロバート・T・メギンソン 撮影:ミロスラフ・オンドリチェク 編集:テリー・ローリングス 音楽:ビル・コンティ
出演:ブライアン・ブラウン、ブライアン・デネヒー、ダイアン・ヴェノーラ、クリフ・デ・ヤング、メイソン・アダムス

タイトルにあるF/Xとは特殊効果=Special Effects(SFX)のこと。最近ではVFXなんて言葉が主流になっているが、それらの一番大きな違いはCGの有無だろう。
ハリウッドの腕利きSFXマンが司法省から証人の殺害偽装を依頼される。犯罪組織から狙われているその人物を守るためには殺されたことにしてしまうのが一番だというのだ。衆人環視の前でSFXによる迫真に迫る殺しのシーンを成功させるが、その瞬間から主人公は警察からも犯罪組織からも追われる身になってしまう。果たし裏切り者を突き止め生き残ることができるのか?

実際のSFXの現場というのは細かく分業化されており、この映画の主人公(ブライアン・ブラウン)の様に特殊メイクから火薬効果、スタントまでこなしてしまうというのは少々リアリティに欠ける。どうせなら6~7人のSFXチームが悪に追われるというのはどうだったろうか。
SFXはかなり誇張されていて、当時SFXファンだったわたしには「そりゃ嘘だろう」というシーンも多かった。大げさなSFXよりもむしろ廊下に斜めに置いた鏡で敵同士を相打ちさせてしまう技など小技が面白い。
もっとSFXのテクニックを盛り込むか、いっそ映画ではなく冒険小説にしたら面白いのではないかというストーリーではあった。

2005年02月15日

『ミッションX』 お子様怪盗団、銀行を襲撃!

『ミッションX』(2004) CATCH THAT KID アメリカ/ドイツ 92分 2005/02/13レンタルDVDにて鑑賞

監督:バート・フレインドリッチ 製作:アンドリュー・ラザー、ウーヴェ・ショット 製作総指揮:ジェームズ・ドッドソン 脚本:マイケル・ブラント、デレク・ハース 撮影:ジュリオ・マカット 音楽:ジョージ・S・クリントン
出演:クリステン・スチュワート、コービン・ブルー、ジェニファー・ビールス、サム・ロバーズ、ジョン・キャロル・リンチ

 レンタルDVDのパッケージは普通のアクション映画っぽいが、実際には徹底したお子様ムービー。『スパイキッズ』の類だと思ってもらえば間違いない。
アクション映画だと思って借りてしまったわたしだが、フットワークは軽いので冒頭で子供向けと分かった時点でそのように見方を変えたところ、案外楽しく観ることができた。パッケージは詐欺だと思うし、アクションコーナーじゃなくてキッズ向けコーナーに置くべきだと思うけど。

 主人公の少女はロッククライミングが趣味で今日も工場の建物に登って記録を更新したばかり。演ずるのは『パニック・ルーム』(2002)でジョディ・フォスターの娘役だったクリステン・スチュワート。『パニック・ルーム』では若年性糖尿病だったが、今作では元気いっぱいな、少々元気すぎる健康少女だ。
彼女の父親はエベレストに登ったこともある元登山家。フリークライミングでの事故で背中に大きな怪我を負っており、それが元で突然倒れこのままでは下半身不随になってしまう。手術をすれば回復するかも知れないのだが、それには25万ドルの費用が必要だ。困り果てた少女は、親友であるゴーカート整備が得意な少年と、ビデオの撮影とコンピュータが趣味の少年と共に、母親が警備システム開発をしている銀行ビルの大金庫に25万ドルを盗むために忍び込むことにするが・・・

 二人の男の子は少女に恋していて三角関係の恋のさや当ても見所の一つだ。主人公は時に自分への恋心を巧みに利用して少年を操る。オタクっぽい少年二人は、クリステン・スチュワートの甘い言葉や頬へのキスに振り回されてもうメロメロだ。考えてみれば末恐ろしい娘だ。
いくら母親のコンピュータなどから情報を引き出したにしても銀行ビルへの侵入が簡単すぎる気もするが、防犯のため大金庫が宙づりになった金庫室はセットも大きく一番の見せ場である。フリークライミングの要領で金庫まで登っていくシーンは、泥棒映画の名シーンの一つに加えても良いのではないだろうか。
他にも、コンピュータのハッキングや防犯ビデオへの偽画像、ゴーカートでの逃走劇など主人公たちそれぞれの特技がちゃんと活かされている。ただどうせなら、主人公のまだ幼い弟も盗みに付いてくることになるのだから、小さな子でしか入っていけないところに行って鍵などを取ってくるとか、あるいはスイッチを押してくるなどして、単なるお荷物ではなく活躍シーンが欲しかったところだ。

 主人公の母親はジェニファー・ビールス。『フラッシュ・ダンス』(1983)から22年が経っておりすでに単なるオバサン。
銀行の支店長はギャグが多く、ラストには頭取に啖呵を切るなどおいしい役どころ。あのカツラは反則だよな。

 お金を盗んでめでたしめでたしと終わるわけにはいかないが、さてどうやって終わらせるかと思っていたらちゃんとオチを付けてくれた。ほとんど全員がハッピーハッピー。
 で、恋の結末は?

2005年02月16日

『Mr.インクレディブル』 やっぱヒーロー稼業はやめられない!

『Mr.インクレディブル』(2004) THE INCREDIBLES アメリカ 115分 2005/01/23鑑賞

監督:ブラッド・バード 製作:ジョン・ウォーカー 製作総指揮:ジョン・ラセター 脚本:ブラッド・バード 音楽:マイケル・ジアッキノ
声の出演:クレイグ・T・ネルソン、ホリー・ハンター、サラ・ヴォーウェル、スペンサー・フォックス、エリザベス・ペーニャ、ブラッド・バード、サミュエル・L・ジャクソン、ジェイソン・リー

 ピクサームービー第6弾はついに人間が主人公になった。人形や動物と比べると人間をCGで表現するのはずっと難しい。だが賢明なるピクサーのこと、どこぞの『FINAL FANTASY』の凡庸なる制作陣とは違い人間を緻密かつリアリティを持って描写しようなどとは決して思わず、適度にデフォルメ、適度にリアルな登場人物たちを作り上げている。CGなのだが、質感としては『ウォレスとグルミット』などのクレイ・アニメーションに近い。デジタルなCGでアナログなクレイ・アニメーションを再現するとは面白い。

 主人公のMr.インクレディブルはタイツ姿のコスチュームを着たスーパーヒーロー。正確には元スーパーヒーローで現在は保険会社のサラリーマンとして日陰の人生を歩んでいる。飛び降り自殺した人を受け止めて助けたところ、「自殺する権利を侵害された。しかも首がむち打ち症になった」と訴えられ、他の件でも訴えられてついにアメリカではスーパーヒーロー禁止法が制定されてしまったからだ。
スーパーヒーローがテレビのニュースや新聞で弾劾されていくところやその後の落ちぶれた様子は、『キャプテン・ザ・ヒーロー 悪人は許さない』(1983)を思い出させる。考えてみれば警察や消防でもないのに悪人を捕まえたり災害を防いだり、スーパーヒーローは何の権利があってやっているのだろうか。キャプテン・アメリカは第二次大戦中のドイツ軍と戦っていたが、あれは軍人扱いなのだろうか、それともゲリラかパルチザンなのだろうか。前者ならばドイツ軍に捕まっても捕虜収容所行きですむが、後者ならば問答無用で銃殺だ。ずいぶんとした違いである。
そう、司法・行政・立法がちゃんと機能していて人心が穏やかならば、実のところスーパーヒーローは必要ではないのだ。理想とされる現代社会にスーパーヒーローは必要ではない、必要とするならばそれはその社会がまだ近代にとどまっている証拠である。もちろん、スーパーヒーローの不在=理想的現代社会ではない。そのことは今の日本を見れば分かる。
 そんなMr.インクレディブルに政府の謎の組織からヒーロー復帰の依頼が来る。少々太ってしまったMr.インクレディブルがダイエットや鉄道貨物置き場でトレーニングして鍛え直すシーンが笑える。そういえば、あまりアメリカンコミックのヒーローが日常のトレーニングや特訓しているのを見たことがない。スーパーマンなんかクリプトン星生まれの異星人だから強いという理屈で、腕立てや腹筋の必要はないのだ。日本のコミックやアニメのヒーローは何かというと特訓や修行だが、ここら辺大きな違いである。今年公開予定の『バットマン ビギンズ』では若き日のバットマンがチベットかどこかでリーアム・ニーソンから武術の指導を受け修行するシーンに重点が置かれているそうでちょっと珍しい。
 邦題では『Mr.インクレディブル』となっているが、原題は『THE INCREDIBLES』で『インクレディブル一家』とでもいったところか。実際、父親であるMr.インクレディブルの特殊能力は怪力だがあまり頭の回転は速くないようで、悪党シンドロームとその部下の美女にころっと騙されて捕まっておりあまり頼りにならない。それを助け支えるのが身体がゴムのように伸び縮みする奥さんのインクレディブル夫人(元イラスティ・ガール、子供が二人もいるのでさすがに“ガール”と名乗るのは止めたようだ)、透明になったりバリアを張ることの出来る娘のヴァイオレット、走ったりするスピードが超高速な息子のダッシュ、そしてまだ産まれたばかりの赤ん坊ジャック・ジャック。ジャック・ジャックの特殊能力は観てのお楽しみ。
 スーパーヒーローシステムが崩壊したのは社会の変革だけでなくその敵である悪玉がいなくなってしまったことが大きい。ジャンルは違うが、ソビエト連邦の崩壊で007シリーズの最大の的KGBがいなくなってしまい、それ以降停滞しいまだ迷走中なのと似通っている。今作の敵はスーパーヒーローに憧れそしてついになれなかった一人の悲しい男。インクレディブル一家がやっつけた爽快感の中でどこか悲しい。

 スーパーヒーロー御用達のコスチュームデザイナーの登場には笑った。そういえば、スーパーヒーローたちのあの衣装はどこから調達してくるのか案外謎だった。『スパイダーマン』のピーター・パーカーは器用にも手作りしていたようだが、その友人である『デアデビル』は目が見えないのにどうしているんだ?教会の神父に手伝ってもらってるんだっけか?
昔デザインした紺色のコスチュームを「嫌ね、古くさくて見たくもない」と焼き捨て、ポスターなどに登場する赤いコスチュームを作る。
「マントは?」と聞かれると「マントなんて駄目よ。格好良くないしそれに危険でしょ」と答える。
そう、これまでに何人ものスーパーヒーローがマントが絡まったり引っかかったり巻き込まれたりして非業の死を遂げているのだ。これえはひょっとしたら大物スーパーヒーロー“スーパーマン”へのくすぐりかも知れないし、それ以上にマントを付けてスーパーヒーローごっこをしたがる子供へのメッセージでもあるだろう。自分も子供の頃に風呂敷などの大きな布をマントにして遊んだが、よく考えるとあれは枝や手すりに引っかかって首つりになったりといかにも危なそうだ。
というわけで、小さなお子様よマントを付けてのヒーローごっこは禁止だ。もちろん大きなお子様もな。

2005年02月18日

『IN DREAMS/殺意の森』 もうリンゴなんか食べない

『IN DREAMS/殺意の森』(1989) IN DREAMS アメリカ 100分 2005/02/18レンタルDVDにて鑑賞

監督:ニール・ジョーダン 製作:スティーヴン・ウーリー 原作:バリ・ウッド 脚本:ニール・ジョーダン、ブルース・ロビンソン 撮影:ダリウス・コンジ 編集:トニー・ローソン 音楽:エリオット・ゴールデンサール
出演:アネット・ベニング、エイダン・クイン、ロバート・ダウニー・Jr.、スティーヴン・レイ、ポール・ギルフォイル

 未来や過去を夢に見る特殊能力を持った女性が、連続少女誘拐殺人に巻き込まれていく。
 といった粗筋をDVDパッケージで読んだときには、サム・ライミの『ギフト』(2000)を思わせたが、かなり重苦しい雰囲気だった『ギフト』と比べてもさらに重苦しかった。
 観終わった後には胃袋にずしりと重いしこりが残こり、しくりしくりと痛みを発し続けた。そのせいで夕食の箸が進まなかった。
 『イン ドリームス』を毎日毎日観続ければダイエットになるやもしれん。痩せる前に胃袋に穴が開くかも知れないが。

 主人公の女性が自分の娘が誘拐されることを予知していたり、殺人犯の過去を夢に見てしまうのは超常現象を扱ったサイコ・サスペンスに分類されるだろう。
 だが、そういったサスペンス的要素よりも、望むと望まぬに関わらず眠りに落ちる度に狂気に満ちたシーンを見せられ続け、送られてくる殺人鬼の思考で頭が満たされていき、もはやどれが現実でどれが夢なのか分からなっていく“悪夢”の存在がこの映画の肝だろう。
 こうして言葉にしてしまうとありきたりに感じてしまうが、ニール・ジョーダンならではの映像美は決してやりすぎることない節度を持っている。
 ただショッキングな映像で観客を驚かせるのではなく、一つずつ主人公の居場所を奪っていくことで観る側の逃げ場もなくなっていく。
 繰り返し挿入されるリンゴのイメージや歌の歌詞が不気味で、後半になって実体を持った殺人鬼が登場することでかえってほっとしてしまったほどだ。
 もちろんそこには観客に理解しやすいストーリーというハリウッド映画の束縛もあるわけだが。

 アネット・ベニングの統合失調症めいた演技が「わたしって演技上手いでしょ」といわんばかりで少々退屈ではあるが、確かに上手ではあって観ていて精神的に負荷が大きくつらい。

 ダムの底に沈んだ村など設定や小道具が面白いが、ストーリーとしては特に目新しい点はない。キーワードである映像にしても悪夢の中には際立ててショッキングな物は少なく、むしろ現実のシーンにおける車でのダイビングやトレーラーによる連続追突事故、橋からの落下などの方が派手だ。ここら辺のVFXはドリーム・ワークス製作だけのことがある。

2005年02月19日

『ジャズ大名』 最強の反戦映画とタラリタラリラタラッタ~

『ジャズ大名』(1986) 85分 1986/04鑑賞

監督:岡本喜八 製作:山本洋、小林正夫 原作:筒井康隆 脚本:岡本喜八、石堂淑朗 撮影:加藤雄大 美術:竹中和雄 編集:黒岩義民 音楽:筒井康隆、山下洋輔
出演:古谷一行、財津一郎、神崎愛、岡本真実、殿山泰司、本田博太郎、唐十郎、利重剛

 写真は『ジャズ大名』のパンフレットである。わたしの宝物の一つだ。
 1970年代から80年代の映画館やテレビで放送されていたハリウッド映画で育ったわたしにとって、日本映画とはあか抜けず古くさくテンポが悪いという「イカさない・野暮ったい」存在だった。そんな中、高校三年生になった時に筒井康隆の短編小説が映画化されたというので名古屋まで観に出かけた。住んでいた半田市から名古屋までは名鉄電車の急行で片道30分、往復の交通費で約1,000円かかり映画館の入場料を含めると結構大きな出費だった。だが、そこで出費を嫌がって観に行かなかったとしたらその後のわたしの人生は違っていた物になったかも知れない。

 時はまさに幕末、幕府側と倒幕側がなにやらきな臭い動きを繰り広げている中、駿河の小藩である庵原藩の藩主(古谷一行)は口うるさい家老(財津一郎)の目を盗んでは篳篥(ヒチリキ、小さめな笛)を吹いているだけで天下大事の出来事にはまるで興味を示さない。
 そこへ奴隷解放によってアメリカから貨物船でアフリカに帰ろうとした3人の黒人が、嵐の最中に船から逃げ出し庵原藩に流れ着く。面倒事を怖れた家老によって城の座敷牢に放り込まれた黒人たちだったが、こいつらは根っからの音楽好き。牢屋だからと大人しくしているはずもなく、船から持ち出した命の次に大切な楽器でさっそくアメリカ南部で流行中のリズムで演奏を始める。
 これを聞きつけた藩主は地下牢へと行き、彼らから借りたクラリネットで演奏に加わる。そして地下牢では一大セッションが始まる。その間に、街道代わりにされた城内をええじゃないか騒動や幕府軍、官軍が通り過ぎ、ついにはラーメンの屋台を引いたタモリまでが通り過ぎ、いつしか徳川の世は終わり明治になっていたのであった。

 ストーリーの無茶苦茶ぶりも嬉しいが、なにより「日本でもこんな映画が撮れるんだ」というのがわたしには衝撃的だった。それ以降、これまで観てこなかった過去の日本映画も積極的に観るようになり、そこで数多くの魅力的な作品に出会った。もしも『ジャズ大名』を観ていなければその出会いがあったとしても遅くなり、ひいては今の私のそれとは映画の見方が違っていたかもしれない。
 音楽・ジャズについての知識はほとんどないが、「タラリタラリラタラッタ~」で始まるメロディが映画の全てを支配して、テーマや主張などがあるにしてもそれを吹き飛ばしている。
ジャズは実は日本で誕生していたとか、テキサスやルイジアナが舞台のシーンをどうしたって日本にしか見えないところで撮影してしまう太々しさ。細かい辻褄の穴を変に隠し立てせず勢いで押し通してしまう強引さ。これらパワー主体の演出が後半のジャズセッションで見事に爆発する。
まったく、日本という国が二つに割れての明治維新という戦争を、ジャズセッションで乗り切ってしまうとは反戦映画にもほどがある。

 パンフレットの序文で岡本喜八監督の言葉として
「なにしろ/五年ぶりに撮る映画です/五年も間があくと/いま六十二歳ですが/二十六歳の新人監督の気分になります(以下略)」とある。
五年ぶりに映画を撮った六十二歳の監督はその後『大誘拐』(1991)、『EAST MEETS WEST』(1995)などを撮り、『助太刀屋助六』(2001)を遺作にこの19日午後0時半、食道ガンのため亡くなった。
新作の企画も進行中だったそうだ。『EAST MEETS WEST』以降は正直ちょっと・・・という作品だったが、最後まで現役であり続けた岡本喜八氏に敬意を表すると共につつしんでご冥福をお祈りする。

 ともあれ、東宝にはとっとと『独立愚連隊、西へ』と『殺人狂時代』などをDVDで出してもらいたいものだ。若い人たちにとってこれらの作品を観る機会がほとんどないというのは日本映画にとってマイナスだと思う。

2005年02月21日

一泊二日大阪行きとオーバー・ルック・ホテルごっこ

 用事があって20・21日と大阪まで行ってきた。
 阪急や新幹線などで行けば楽なのだが荷物があったので車で行った。愛知県知多郡武豊町から大阪市北区の梅田まで片道およそ250Km4時間ほどの行程だ。横浜生まれのわたしにとって東京方面というのは子供の頃からよく行ったし向こうで就職したこともある。だが名古屋から西にはほとんど縁がなくて、大阪には学生時代に就職活動で一度行ったきり。
「大阪は車の運転が荒いそうですが、わたしみたいなのっそりした走り方のが行って大丈夫なんですかね?」と訪問先の人に尋ねたら「そんなまた東森さん、テレビなんかで言ってるのは嘘ですよ。大阪の人もちゃんと交通ルールは守ります」と返されてしまった。それもそうかと思って実際に大阪の街中、大阪駅などの梅田周辺を走った印象としては確かにそれほど無茶な割り込みとか煽ってくるといった乱暴な運転はほとんど見かけなかった。名古屋駅周辺や栄辺りを走るのとさほど変わらない。でも、路上駐車が多くて歩道側はびっちりと違法駐車車両で埋まっている。
で、「んーでも路上駐車が多いですよね」と感想を伝えたところ、「なに言ってんですか。昔は二重駐車は当たり前で三重駐車でようやく怒られてたんですよ。今ではほんと交通マナーが良くなりました」とのこと。
 あれやこれやで用件を終わらせ、晩飯は一緒に食べようということでわたしはいったん宿泊先のホテルにチェックインした。阪急梅田駅隣の新阪急ホテルである。西洋風の間接照明だけで照らされた長い廊下を一人で歩いていると、人気の無さにどうも少し心細くなってくる。ひょっとしたらそこの角を曲がったら手斧を持ったジャック・ニコルソンがにたぁと笑って立っているのではないだろうか。エレベーターのドアが開くと大量の血ないし錆で色が付いた水が溢れ出るのではないか。そんなことを考えている内にようやく部屋へとたどり着いた。
 まずは革靴を脱いでスリッパに履き替える。これで一気にくつろぎモードになる。荷物を点検して必要な物を取り出す。ノートパソコンを部屋のモジュラージャックにつなげていくつかのメールをやりとり。終わった後、そのまま電源を切るのもつまらなかったので最大化表示したテキストエディタに

仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。 仕事ばかりで遊ばないとジャックはそのうち気が狂う。

と数ページにわたって表示させてみた。
最初は延々とキーボード入力してみようと思ったが3回目ぐらいで飽きてしまい、後はコピーアンドペーストで貼り付けただけ。例によって根性なしである。
さらに壁にでかでかと「REDRUM」と書いてそれを姿見に映して遊ぼうかと思ったが、それをやると新阪急ホテルからルームクリーン代でとんでもない金額を請求されても困るので止めておいた。
ユニットバスのバスルームに女性の腐乱死体はなかったのでとりあえず軽くシャワーを浴びる。待ち合わせまでまだ1時間ほどある。さぁ今夜はフグだ河豚。てっちり、てっさ、白子~、実は河豚初体験である。いざ出撃~。
 以下次回

2005年02月22日

ふぐ【河豚・鰒】フグ目フグ科の海魚の総称。 来た、見た、食った

ふぐ 【河豚・鰒】 〔古くは「ふく」〕
フグ目フグ科の海魚の総称。広義にはハリセンボン科・イトマキフグ科・ハコフグ科などを含む。体は長卵形で丸みを帯びる。ひれが比較的小さく鱗を欠き,鋭い歯はくちばし状。外敵に襲われると腹を著しく膨張させるものもいる。美味だが卵巣や肝臓などにテトロドトキシンという毒をもつものが多い。フグ料理に用いる代表的なものは,トラフグ・マフグ・ショウサイフグなどで,日本近海では約四〇種が知られる。世界中の温・熱帯海域に分布。カトン。フクベ。フグト。

 というわけで晩飯はフグをごちそうになることになった。ホテルのロビーで待ち合わせ、歩いてふぐ料理店へと向かう。
梅田の街中を歩いたわけだが、大阪の人は赤信号でも気にせず渡るなんてことを聞いていたが、三分の二ぐらいの人はちゃんと信号に従って道路を横断している。じゃあ残りの三分の一はどうなんだと言われると、それは文脈から読み取っていただきたい。「大阪の悪口を書くな」とクレームが来てもこまる。単に見てきたことをそのまま書いてるのだが。
 ともあれ某ふぐ料理店に到着。席に案内されどかっと座り込む。まずは飲み物のオーダーからと店員が注文を取りに来た。酒は飲まないわたしだが乾杯もあるので最初の一杯だけは巨峰サワーを頼んだ。昔はこれでもかとばかりにビールを飲んでいたのだが、2002年の入院を機会に止めてしまった。別に医者に止められたとかではなく、3ヶ月ほど飲まない間に味覚が変わってしまったのかビールを飲んでもまるで美味しくなくなってしまったのだ。チューハイ・サワーもあまり美味しくない。スクリュードライバーやモスコミュールなどのカクテルならジュースみたいな物なんで飲めるがだったらジュースを飲めばいいじゃないかという話になるし、そもそも今回のふぐ料理にカクテルは合わない。
 乾杯をしてから突きだしの“ふぐの皮の和え物”をつつきながら雑談をしている内にまずは“てっさ”(ふぐの刺身)が来る。薄めに切られた刺身が綺麗に並んでいる。もみじおろしの薬味を入れたポン酢醤油で食す。ちょっとこりこりした感じで歯ごたえがある。噛んでいる内に味が出てくるが白身魚なので濃い味ではない。あえていうなら平目の刺身に似ている。普通に美味い。
 飲み物のおかわりはウーロン茶に変更。そこへ“ふぐの唐揚げ”が登場。うーむ・・・鶏の唐揚げみたいな味。鶏の唐揚げは飲み屋に行くと必ず頼む好物だが、だったら鶏唐を頼むんで、個人的にはいまいち。
 続いて“てっちり”(ふぐ鍋)。皮を剥かれたふぐはカワハギに似ている。味もカワハギに似ていた。というか

かわ-はぎ カハ- [0] 【皮剥】
フグ目の海魚。全長約30センチメートル。体は菱形で,極端に側扁。口先が突出し,小さいが強い歯をもつ。目の上方背部に鋭いとげがある。皮は厚く,まず皮をはいでから調理する。夏が旬(シユン)で,ことに肝臓が美味。釣りの対象魚。本州中部以南の沿岸に分布。ハゲ。ハギ。カワムキ。バクチ。

だそうなので、カワハギはふぐの仲間。似ていて当然か。これも普通に美味い。美味いが「はっ!」と驚いて宙に舞い上がり、背景がふぐになってそこを「美味しい美味しい美味しい」と転げ回って、ついでに自分の人生がフラッシュバックして美味しいのになぜか切なくなってしまうなどというチャウ・シンチーの『食神』(1996)みたいなことはなかった。
「お前はふぐをなんだと思っているんだ」と言われるかも知れないが、もうそれなりに生きてきてようやくとふぐ初体験。世の人が「ふぐは美味い、ふぐは珍味」という書いたりしているのを読んで過剰に期待していたのだろう。
 でも“白子”にはちょっと空を飛びかかった。“焼き白子”も良かったが“生の白子”はとろっと濃厚な味で旨味が凝縮された感じ。白子でこれなら“ふぐの肝”とはどんな味なんだろう。食ってみたいが「ふぐの肝は食いたいが、命は惜しし」か。もう人生の最後って時にはふぐの肝を食ってみるか。最近は練炭での集団自殺なんてのが多いが、集団でふぐの肝を食ってあの世行きってのはどうだろう。練炭なんてのよりは粋だと思うけどね。
白子酒が飲みたかったが日本酒は昔から苦手なので結局止めた。やっぱ飲んどけば良かったかなと今になって後悔している。

 コースや単品で一通りふぐを食べた。個人的結論としては何度も言っているが「普通に美味かった」。
鍋を囲むことからも基本的に宴会料理だと思うので酒と一緒に楽しむ物だろう。酒を飲まないわたしにはその魅力が半減してしまう。だから今後ふぐの常連になるってことはなさそうだ。食べるとしたらまた何かの機会にってことで、それがいつになるかは分からない。自分からふぐ料理屋に行くってことはあまりないだろう。

 さーて、明日は朝一番の用件をすませたらフリーだ。せっかくの大阪だし大阪城に行くか!・・・いや、ユニバーサルスタジオにしよっと。

2005年02月23日

ユニバーサル・スタジオ・ジャパンその1 『ターミネーター2:3-D』

 朝一で顔を出しじゃあ帰りますんでと挨拶をして大阪での用件は終了。
このまままっすぐ帰ってもいいのだが、どうせ今日はもう一日フリーだ。せっかくなのでユニバーサル・スタジオ・ジャパンに行くことにする。
2月21日の月曜日と平日なので空いていてアトラクション乗り放題だろうと思っていたら10時半頃に到着したところ駐車場には結構車が駐まっていた。あれ?ちょっと嫌な予感がしたがチケット売り場でそれが的中した。5~6ヶ所ある売り場の前にはどこも長蛇の列。しょうがないのでその最後尾に並ぶ。右の方にはカーテンを閉めたままの売り場が2ヶ所あるが、行列も出来ているのだしそっちも開けてもらえないだろうか。
20分ちょっとかかってようやく順番になった。5,500円でスタジオパスを購入。悲惨だったのがわたしの前に並んでいた二人組の女性で、窓口に「入場券と引き替えてください」となにやらチケットを出したところ、係員から「それ、そのまま入れますよ」と言われていた。20数分が無駄の並び損。でもそういったことを尋ねようにもチケット売り場の行列を管理する係員の姿がないのでちょっとしたことを聞くことも出来ない。2~3人でいいんだから人を配置して欲しいところだ。
 入場ゲートから中に入り、置いてあったパンフレットをもらう。来る前にUSJのサイトでアトラクションのチェックはしておいたがここで最終確認。見たい物をちゃんと抑えるためには無駄なく無理ないプランが必要だ。
絶対に見たいと思っているのが『アメージング・アドベンチャー・オブ・スパイダーマン・ザ・ライド』と『ターミネーター2:3-D』、そして『バック・トゥ・ザ・フューチャー・ザ・ライド』である。『セサミストリート4-Dムービーマジック』などはよっぽど時間が余ったらの場合。
あちこちを行ったり来たりでは無駄なので道筋に沿って『ターミネーター』『スパイダーマン』『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の順で廻ることにする。

 まずは『ターミネーター』
入り口には「30分待ち」となっている。まあこんなものかと入場し列の最後に並ぶ。
アトラクション会場はサイバーダイン社のショールームという設定になっており、わたしたち観客は新製品の発表会を見に来たことになっている。ロビーにはテレビがいくつも設置されておりサイバーダイン社のイメージビデオが上映されている。よく見ると壁にはサイバーダイン社の各種商品のポスターまで貼ってあってなかなかに凝っている。
『ターミネーター』は映画館式のアトラクションなので数百人単位でごそっと列が進む。第二ロビーにはいると高台のステージがあってそこにバリバリのやり手キャリアウーマンといった感じの赤いスーツを着た女性が登場。
「ようこそ、我がサイバーダイン社へ」と案内を始めるのだが、このお姉ちゃんがどうにも気にくわない。「どこからいらっしゃいましたか?」と観客を指名して答えさせるのだが、

「天王寺」
「天王寺ですが、それはクソ近くからようこそ」
「東京です!」
「ずいぶん大きな声ですがやっぱり自慢ですか」
「長崎」
「長崎、それは最後の人としては中途半端なところからですね。で、長崎で美味しい物は何ですか?」
「えっとちゃんぽんですかね」
「ちゃんぽん、これはまた予想通りのお答えでございます」

会場ではそれなりにウケて笑い声も上がっていたが、わたしはこの手の芸風は認めない。“客いじり”ってのはやっちゃいけないと学校でも習っただろ。下品で嫌なんだよ“客いじり”は。ちゃんとネタで勝負しろネタで。
ひとしきり説明を終えてからこちらに背を向けて「なんでわたしがお客の面倒なんて見なきゃいけないのよ」と小声でぶつぶつグチを言うギャグには、会場は静まりかえって無反応だがわたしは笑った。こちらはちゃんとネタになっている。
そして上映会場の準備が調ったようでお姉ちゃんの案内でさらに右手に続くドアをくくった。
パッと見は映画館というかイベント会場で、舞台に向かって観客席が並んでいる。わたしが座ったのは後ろから5列目ほどとちょっと後ろなのが残念だが左右に関してはほぼ真ん中。観劇にはわりと良い場所だ。あらかじめ渡されていた3-D眼鏡をかけて始まるのを待つ。
またもや赤いスーツのお姉ちゃんが登場。この人が新製品の案内を始め舞台の左右から6体のメカタイプターミネータがせり上がってくる。そこへサラ・コナーとジョン・コナーが登場。サイバーダイン社を壊すからわたしたちに逃げろと伝えてくる。このジョンとサラはリンダ・ハミルトンらが演ずるスクリーンの中と、生身の俳優が演ずる舞台上の二つを上手く組み合わせている。面白いけどタイミングを取ったりするのはなかなか大変だろう。しかも一日中やっているわけだが全何公演なのだろうか。
メカターミネータが暴れる中、シュワルツェネッガー型ターミネーターとT-1000型まで現れちょっとしたアクションの後で3-Dムービーの上映が始まる。わたしたちはジョンとターミネーターと一緒に未来に行きスカイネットを破壊することになるのだ。
スクリーンは正面と左右の3スクリーンによるワイド画面になっている。小型飛行マシーンなどが立体でまるで目の前にあるかのように飛び出してくる。飛び出してくるのだが、わたしはあまり3-D映像が3-Dに見えない。まるで平らってわけではないが飛び出す絵本状に軽く浮き上がって見えるだけ。思わず手を出して触ってみようとするなんていう臨場感はない。これは個人差があるのだろうか。両目の視力はほとんど同じで各1.2ぐらいで特に問題はないだろう。映像を処理する脳の方に問題があるのかも知れない。
ラスト近くではT-1000の様なリキッドメタルの巨大メカが暴れ回る。立体感はともあれ2-Dとしても迫力はある。CGとしては作られてからもう何年も前に作られた物なので(USJのオープンが2001年3月31日)若干の古くささは否めないが、代わりに本物のシュワルツェネッガーが出演しているといううれしさがある。今ではもうテーマパークのアトラクションには出演してくれないだろうな。仮に出てくれたとしても幾らの出演料を取るのやら。
最後の最後に一つどっきりがあるが詳細は行ってみてのお楽しみ。

 土産物屋でターミネーターのヘッド模型を買った。それなりに大きいのに値段は1,260円と案外安い。3,000円ぐらいかな~、だったら買わないよな~と思ったがつい衝動買い。ちなみに手に取ってみるとつくりはちゃちで中身にはクッキーが入っている。食べてしまえば中身は空っぽで、『ターミネーター2』で問題になった例のチップは入っていない。どうせならクッキーじゃなくてポテト"チップ”が入ってればうれしかったのに。