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『星くず兄弟の伝説』 伝説には良いのと悪いのがあるが

『星くず兄弟の伝説』(1985) 98分

監督:手塚眞 製作:近田春夫 製作総指揮:近田春夫 原案:近田春夫 脚本:手塚眞 撮影:大沢栄一、飯田哲也 特殊メイク:原口智生 音楽:近田春夫
出演:久保田しんご、高木完、戸川京子、尾崎紀世彦、ISSAY、景山民夫、戸川純、中島らも

昔、『宝島』という雑誌があった。いや、一応今でもあるにはあるが、ロックやポップカルチャーで満ちあふれていた1985年当時の『宝島』とはとっくに別物で、若者向けカルチャー雑誌からヘアヌード誌を経て今ではビジネス誌になっている。あれこれ雑誌の形を模索した結果、ビジネスマンになっている往年の読者層を頼ることにしたのだろうか。
ともあれ、1980年代の『宝島』は時代のムーブメントの一角を担っており、『宝島』系の勢力も強かった。そしてよせば良いのに映画製作に乗り出してしまった。ここから『宝島』の転落は始まっていたのかも知れない。

『星くず兄弟の伝説』は名古屋では上映館にかからず、会場を借りて一日だけの上映だったそうだ。
わたしの先輩達が数人で観に行き上映後のホールで感想を言い合っていた。その中の一人であるU氏が「もう全然っ駄目。なんだこれはよぉう」と大声で貶していた。(またこのU氏は普通に話していても声がでかいのだ)ふと辺りが静まりかえったので振り向くと、トイレに行こうと通りかかった監督の手塚眞が立っていた。その後、手塚眞の作品が名古屋で上映されても監督本人がその地を訪れることはなかったいう。
嘘か本当か知らないが、わたしの所属していた大学のシネマ研究会に伝わる伝説である。でもって、このしょうもない伝説の方がまだ『星くず兄弟の伝説』本編よりも面白いのだから困る。
『宝島』誌に掲載されたかねてつ(現カネテツデリカフーズ)の広告を担当していた縁で故・中島らもが数カット端役で登場しているが、根っからの“ひどい映画”や“B級映画”ファンだった氏ですらエッセイの中で「あれはひどい失敗作だった」と書き記していることからもひどさが分かる。
主役のある久保田しんご、高木完ともにその後ほとんど名前を聞かない。むしろその二人よりも、その追っかけ役で後にアイドルデビューする少女を演じた戸川京子の可愛らしさが印象に残っている。なんでこの人が戸川純の妹なの?と尋ねたくなるような似てない姉妹だったが、戸川京子は2002年7月に自ら命を絶ってしまった。内面では似ていたのだろう。
そう言えば中島らもと相方で景山民夫が出演していた。考えてみると製作年度や出演者の年齢にしては故人の多い映画だ。
音楽プロデューサーに見いだされたスターダスト・ブラザーズが大ヒットするシーンでは、『笑っていいとも』や『オレたちひょうきん族』の1コーナーだった『ひょうきん・ベストテン』に出演する二人が映し出される。これが映画の宣伝でテレビ出演した時の録画をそのまま使っており、予算もあまり多くはなかったことを感じさせる。
ラストで黒幕が登場するがその正体はクレイジーキャッツの『大冒険』へのオマージュないしパクリだったのだろうか?唐突でただもう破綻している。多分現場も破綻していたのではないだろうか。
そんな中、音楽プロデューサーを演ずる尾崎紀世彦がかろうじて映画が吹き飛ばされないよう重しになってくれている。始終サングラスをかけたこのプロデューサーは時に自らマイクを取ってスタンダードナンバーを歌う。もうサビの部分しか憶えていない『若者たちの心にしみる歌の数々』などの劇中歌は、さすが『また逢う日まで』などの大ヒット曲を歌った人だけの迫力がある。
何故に尾崎紀世彦がこの作品に出演しているのか不思議だったが、今回フィルモグラフィーを調べていてこの人は大林宣彦の『HOUSE』(1977)にも出ているのに気が付いた。大林と言えば『ねらわれた学園』(1981)で手塚眞を役者として起用するなど手塚眞との関係は深い。そのつてで紹介してもらったのだろうか。もちろん、わたしは大林宣彦嫌いなので、これは大林が手塚の才能に惚れ込んで後押ししたのではなく、手塚のバックにいる人物に媚びを売っただけではないかと推測している。
手塚眞という監督は東京で自主映画を撮っていた人で、これが一応のメジャーデビュー作になる。自主映画はそれほど悪くなくそこそこ面白い物を撮っていたらしい(未観)。アマチュアの世界でかなり上の位置にいて、「あいつはすごい」「超○○級だ」と鳴り物入りでプロデビューしたら全然通用しなくてそのまま鳴かず飛ばずというのはよくあることだ。だから『星くず兄弟の伝説』と“手塚眞”も単なるそういった事例の一つに過ぎないはずなのだが、それをそうさせない大きな要因が手塚眞が“日本を代表する大マンガ家の手塚治虫の息子”だったことにある。
かなりの失敗作だった『星くず兄弟の伝説』は手塚治虫という存在によって、それこそ伝説とも言える大失敗作になってしまった。
現在、手塚眞は監督ではなく“ヴィジュアリスト”なる肩書きを名乗っている。前向きに名乗っているのではなく“映画監督”など他に名乗れるような肩書きがないからだと推測する。

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