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橋本治と1990年末のバイトと『ああでもなくこうでもなく』

橋本治という人はいったいどういう人なのだろうか。もしかすると、世界でまではいかないが日本で一番頭のいい人なのかも知れない。で、頭がいいものだから自分が頭がいい人と他人から思われない様にしている。うむむ、ともかく謎な人である。
頭がいいというのは勉強が出来るということを言っているのではない。もちろん東京大学文学部を卒業しているからにはたしかに世間で言うところの“頭のいい人”ではあるのだろうけど、重要なのは知識が豊富な所ではなく物事を理解しそれを人に伝える“頭のいい人”であるところだ。
わたしが初めて読んだ橋本治作品は『ふしぎとぼくらはなにをしたらよいかの殺人事件』である。東大卒の青年が殺人事件の解決を依頼されるというストーリーは推理小説のそれであるのだけれど、殺人が起ころうと死体が登場しようと断じて推理小説ではなく、当時バカ高校生だったわたしは「変な小説だなぁ。この橋本治という人は変な人なんだろうなぁ」と思っていた。その後、講談社文庫で出ていた『桃尻娘』シリーズも読み始めたが、こちらも変な小説だった。
もしそこで読むのを止めていたらわたしにとって橋本治とはそれほど意味を持つ作家ではなかっただろう。
だがわたしは読んでしまったのだ。『’89』を。それは1990年が終わり1991年が始まる頃、ちょうどこの時期のことだった。

当時わたしは高速道路のサービスエリアに設置されている道路情報表示端末のリアルタイムデータ作成をバイトでやっていた。
平日はその会社の社員がやっているのだが、土日祝日は会社が休みなため学生のわたしがバイトで雇われていたのだ。
「○○インターチェンジから○○インターチェンジまで工事のため渋滞」とか「○○付近が雪のため渋滞」などといった情報が1時間毎に道路交通センターからFAXで送られてくるのでそれを元に情報端末で表示される画面を必要な件数だけ製作し、モデムを使ってアップロードするのが仕事の内容だった。だからリアルタイムとは言っても1時間に一度のデータ更新で、さらにそのデータは1時間以上前の物という、考えてみれば役に立つんだか立たないんだかといった物だ。
1990年当時はまだWindowsやMacOSのようなGUIは一般的ではなく、画面製作はDOSで動作するPC-9801シリーズで行っていた。画面作成の仕事は今のパソコンならそれこそ10分もかからずに終わらせられるような内容だが、その道路情報作成用にどこかのソフトウェア会社が作ったソフトの操作性が悪く、さらにマウスもなかった作業環境では毎時10分頃にファックスが届き、そこから作業を開始してどうにか仕上げたデータファイルを締め切りである毎時0分までにアップロードし終わるのがやっとだった。
社員からはまったく白紙の状態から車や工事マークなどの図形を読み出して貼り付け、そこに文字を入力していくという方法で教わり、実際社員の人は平日その様に作業していたようだ。だが、手を抜くことに関しては知恵の回るわたしのこと、「工事中」とか「事故のため」「雪のため」などほとんどの場合同じような画面しか作っていないことに気づくと、それらをテンプレートとして保存しておいて、次からはそれを読み出しちょいちょいと変更して仕上げるようになった。ごくまれに新しい状況も起きるがその都度テンプレートに追加していけばいいだけのこと。作業自体に慣れたとういこともあるのだろうが、1ヶ月もしたら毎時10分頃にFAXが届くと30分頃にはすでにアップロードが完了する様になっていた。朝の9時から夜の7時までの労働時間10時間、これで時給1000円なので1日で10000円。最初は拘束時間が長い上に、4階建てのビルの中でたった一人で仕事をしなければならない孤独さでちょっとつらいものがあったが、結果としてなかなかおいしいバイトになった。
こうして実労働時間が1時間の内20分ほどになると、これはこれで暇である。やることがないので残りの40分は主に読書に使うことにした。月にバイト代が5~8万になるので、バイト代が出るとまず本屋に行き「あれにこれにそれ」と目に付いた本を次々カゴに入れていって1~2万円分ぐらいは買い込んでいた。
その買い込んだ中の一冊が『’89』だ。ようやくと『’89』に話が戻ってきた。
何故『’89』を買ったのか、今となっては憶えていない。白い紙の装丁にイラストなどはなく「’89」「橋本治」などと少量の文字だけが並んでいたので本の見た目で買ったのではないと思う。
1990年末から1991年年始にかけてバイト先の会社は正月休みに入る。だがもちろん道路交通情報は稼働させなければいけないのでだれかが出勤してその仕事をやらなければいけない。そこでわたしにお鉢が回ってきた。
「東森君、12月30日から1月3日までの5日間、バイトに入ってくれないかな。29日と4、5日はわたしがやるからさ」
担当者は電話でこう告げてきた。そのまま「うん」とは返答せず取引に入った。
「うーん、でも僕もですね、正月ぐらいは実家に戻りたいんですよ。ほら下宿してますから」
実家のある愛知県半田市から大学のある名古屋市天白区までは片道1.5~2時間ぐらいの距離なのだが、最初の1年で通学時間や混雑ぶりに根を上げて大学近くのアパートに住んでいたのだ。それを理由にいかにも断りたさそうな口調に変えた。
「じゃあさあ、特別手当を出すから」
「特別手当っていくらですか」
「1万円」
「1日1万円ですか」
「・・・5日で1万円」
「母親が正月ぐらい顔を見せろってうるさいんですよね。ほら古い人ですから」
「うーん・・・ちょっと社長に相談して電話折り返すわ」
何だかんだでその5日間は時給1500円ということで決着が付いた。正月休みだけで75,000円の収入。どうせ実家に帰っても雑煮を食ってゴロゴロしているだけだし、比較的近所なので普通の週末にでも簡単に帰れる。それよりかは金である。
だが、その正月中の仕事は金よりも『’89』との出会いの方がわたしの人生にとって重要だった。バイト時には時間をつぶすために本を持ち込んでいたのはさっき書いた通りだが、12月30日には『’89』(現在入手しやすいのは文庫版の上巻
下巻を持って職場に行った。分厚い本なのですぐに読み終わって時間が余ることがないだろうと言うのが理由だった。
そして読み始め、読み進み、読みふけった。
10時10分にはFAXが着信し始めたが、それを無視してそのまま『’89』を読み続けたいとまで思ったが、かすかに残っていた責任感が仕事に向かわせた。そして速攻で仕上げると再び読み始めた。
分厚いと思っていた本はその日の夕方には読み終わっていた。読みやすい文体で書かれていたというのはあるが、内容はびっしり詰まっている。もともと速読なところにわたしには珍しい集中力が速度アップにつながったのだ。
面白い。ワクワクする。分類としてはコラム・エッセイ・論評になるだろう。手塚治虫や美空ひばりの死は昭和の終わりと関係がある、そして松田優作が死んだことと中森明菜が自殺を図りながら死ななかったことも昭和の終わりと結びつく。昭和とか日本について、大人であるオジサンやオバサン、そして若者、男の子、女の子についても語られる。そしてそれら筆の進むまま無軌道に進んでいるに見えたこれらの文章が、ラストで実はとある一人の少年から届いた手紙への返答であったことが分かってくる辺りはもうエキサイティングである。
読み終えた後は、なんかこう頭がよくなって世の中の仕組みや人の考え方が分かるようになった感じがして、まるで自分が変わったように思えたものである。

もちろん、人間は一冊の本ぐらいで変わったりはしない。とりあえず、わたしはしないと思っている。
一本の映画や、ある人との出会いでも人生が変わったなんてことは実際にはない。微妙に進路がずれて、10年や20年経ってみたらそのずれが開いていったために立っている場所が変わっているというのはあるが、これは結局その本、その映画によって変わったのではなく、自分が考え行動した結果にすぎない。
だから、『’89』はその後数ヶ月の間で何回か読み返し『おもひでぽろぽろ』(1991)について公開当時に書いた文章には明らかに『’89』からの影響が読んで取れるが、それぐらいのことだった。それぐらいだからいいのだ。もしも本当に「読むことで人の人生を変えてしまうような本」というのがあるとしたら、そんなうっとおしそうな物は絶対に読む気にならない。

一度その人の本が気に入ると、興味の続いている間はどんどん買ってどんどん読む癖があり、橋本治の本もどんどん読むようになった。『デビッド100コラム』『ロバート・本』は大爆笑したが、テレビシリーズ『ナポレオン・ソロ』で主人公二人を演じたデビッド・マッカラムとロバート・ヴォーンにひっかけたこのタイトルを今では、いやわたしが読んだ1990年代前半でどれだけの人に分かるダジャレだというのだろうか。ロバート・ヴォーンは有名な俳優だが(もちろん知っているよな!)デビッド・マッカラムは映画だと『大脱走』(1963)ぐらいしか思いつかない。ちなみデビッド・マッカラムはジル・アイアランドと結婚しており、ジル・アイアランドがその『大脱走』の撮影に付き添った際に共演者であるチャールズ・ブロンソンと出会い、いわば寝取られてしまった形で離婚になった。それでも二人のことを悪く言わなかったそうだからなかなかナイスガイだ。1960年代に『ナポレオン・ソロ』が放映されていた時には美青年ということで日本でも女性から大人気だったそうだ。
1990年代前半に熱中し『窯変 源氏物語』シリーズなども読んだ物だが、1990年代半ばには読まなくなってしまった。

そして約10年が過ぎた。最近、また橋本治の著作を読むようになった。雑誌『広告批評』に連載されていた文章をまとめた『ああでもなく こうでもなく』シリーズだ。赤・青・黄となにやら交通信号のような装丁だ。10年という歳月は作者にも読者であるわたしに変化をもたらしていたり、あるいは変わってなかったりだ。
まだ一冊目を読み始めたところで、この年末年始に読む予定である。

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