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2004年12月 アーカイブ

2004年12月01日

『ランダウン ロッキング・ザ・アマゾン』 ザ・ロックとショーン・ウィリアム・スコットのアマゾン珍道中

『ランダウン ロッキング・ザ・アマゾン』(2003) THE RUNDOWN 104分 2004/11/30レンタルDVDにて鑑賞

監督:ピーター・バーグ 製作:マーク・エイブラハム、カレン・グラッサー、ケヴィン・ミッシャー 製作総指揮:アラン・ビーティ、クリス・チェサー、ジョン・コーリイ、リック・キドニー、ヴィンス・マクマホン 原案:R・J・スチュワート 脚本:R・J・スチュワート、ジェームズ・ヴァンダービルト 撮影:トビアス・A・シュリッスラー 音楽:ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ
出演:ザ・ロック、ショーン・ウィリアム・スコット、ロザリオ・ドーソン、クリストファー・ウォーケン

アメリカプロレス団体WWF(現WWE)の人気レスラーザ・ロックの主演作。
ゲスト出演した『ハムナプトラ2』のスピンアウト作『スコーピオン・キング』で主役デビューしたザ・ロックは単にプロレスラーが映画出演しているだけにとどまらず着実に俳優への道も歩んでいるようである。
映画にも出演していた人気プロレスラーとなると日本の力道山やアメリカのハルク・ホーガンなどがいる。メキシコではミル・マスカラスなど人気レスラー主演映画が日常的に公開されているそうだがさすがにそれはちょっと特殊なので横に避けておく。力道山の映画は「まぁ大昔にそんなものもあった」で終わらせておくとして、ハルク・ホーガンはバート・ケネディ監督による傑作『マイホーム・コマンドー』(1991)などに出演しているがお世辞にも演技が上手いとは言えない。棒読みに近いセリフも、名前にハルクとあるように一種怪物じみた人だからそれが味にはなっているものの、固定された役柄しか演ずることが出来なかった。
オーストリア出身のためドイツ語訛りが抜けないシュワルツェネッガーや、出産時の事故のため左顔面に軽いマヒがあるスタローンといった10年ほど前の肉体派スターと比べても、リングでのマイク・パフォーマンスも有名だったというザ・ロックはセリフ回しが上手く、わたしは英語が苦手なのではっきりと判断はできないが滑舌もしっかりしている。
アメリカのプロレスはショー・プロレスで、中でもWWEは娯楽要素が強いそうなので、ザ・ロックは自分をいかに見せるかということを理解しているようだ。人々が自分に強いスター像を求めていることを察しているようだし、今後も分かりやすいエンターテインメント作品に出演するだろう。
最近の肉体派スターにはヴィン・ディーゼルがいるが、ディーゼルは少年時代から舞台に立っていたり自ら監督・製作・脚本もつとめた作品をサンダンス映画祭に出品するなどクリエイター指向が強い。そのためか、最近は『ブルドッグ』(2003)や『リディック』(2004)などストレートな娯楽映画は避けるようになっている。個人的には素直に『トリプルX』(2002)をやってりゃいいのに、と思う。
少々、ザ・ロックのことを褒めすぎな気もするがまぁいいだろ。

映画のストーリーは単純。
高利貸しの取立屋屋である主人公ザ・ロックは、足を洗ってレストランを開くための最後の仕事として組織のボスを連れ戻しにアマゾンの奥地に向かう。その地には金鉱があり、クリストファー・ウォーケン演ずるボスが現地人を奴隷のようにこき使って金を掘らせている。息子はそこで伝説のお宝探しをしていたのだ。何故息子がトレジャー・ハンターをやっているのか、何故アマゾンなのか、いちいち考えちゃ駄目だ。
あれやこれやとあった挙げ句、最後には主人公がクリストファー・ウォーケンとその部下たちと戦い、もちろん勝利し現地人を圧政から解き放つ。良くある話だ、言われなくても分かっている。でも、それでいいじゃないか。最後にザ・ロックがあっさり殺され悪人がのさばったままという話よりましだろ。それに悪が栄える現実の世界、映画の中でぐらい悪党が倒されて欲しい。
悪党のボスであるクリストファー・ウォーケンが例によっていい。この映画の成功にウォーケンの存在は大きなウェイトを占めている。かなり痩せたのではないかという感じで最初は「クリストファー・ウォーケンに良く似た奴だなぁ」と思っていた。そういえばオープニング・クレジットにウォーケンの名前があったで、ではやはりウォーケンなのかと気付いた次第。神経質さを感じさせる顔つきの中にギラギラとぎらつく感じの眼が実に迫力を持っている。喋らなくても画面を圧倒させてしまうのはさすがだ。悪役が良いと映画が締まる。なんとなく『用心棒』の仲代達矢を思わせるラストの格好悪い死に方も良い。
息子役のショーン・ウィリアム・スコットはあまり活躍せず存在感も薄い。映画を観て学んだというカンフーで敵をやっつけろよ。ああ、あれは『バレット・モンク』(2003)での役柄だったか。
そういえばシュワルツェネッガーが冒頭に一瞬だけ出てた。

「俺は銃は使わない」と素手で敵と戦うザ・ロックだが、ラストの銃撃戦では2丁拳銃ならぬ2丁ショットガンを操って敵に挑む。ただしそのショットガンがポンプアクション式ショットガンなので、腕力があれば右手・左手それぞれで構えることはできるだろうが、排莢・装填にもう一方の手が必要になる。そこでなかなか面白い方法を駆使して排莢・装填をやってくれる。こういったガンアクションは始めて観た。なかなか面白い。

2004年12月03日

『ファム・ファタール』 先っちょの尖ったの

『ファム・ファタール』(2002) FEMME FATALE 115分 2004/12/2WOWOW録画にて鑑賞

監督:ブライアン・デ・パルマ 製作:タラク・ベン・アマール、マリナ・ジェフター 製作総指揮:マーク・ロンバルド 脚本:ブライアン・デ・パルマ 撮影:ティエリー・アルボガスト 編集:ビル・パンコウ 音楽:坂本龍一
出演:レベッカ・ローミン=ステイモス、アントニオ・バンデラス、ピーター・コヨーテ

カンヌ映画祭にゲストとして出席するトップモデルが着ている服は合計何百カラットものダイヤが散りばめられた1000万ドルもする高価な品。主人公たち盗賊は警備の隙をついてその服を偽物とすり替えようとするが、すんでの所で警備のボディガードに発見され、三人組の内一人は警察に捕まり、主人公の女性ともう一人は脱出に脱出に成功。仲間を裏切って宝石を独り占めにした主人公は、たまたま自分と瓜二つで子供を亡くしたため自暴自棄になっている女性に出会う。拳銃自殺した女性になりすましてそのパスポートでアメリカへと逃亡を図り、その飛行機内でアメリカ人外交官と出会い恋に落ちる。そして数年後、彼女は在仏アメリカ大使の妻として再びフランスに戻ってくる。決して人前に姿を現さない彼女を、パパラッチのアントニオ・バンデラスが撮影することに成功し、その写真がタブロイド誌の表紙を飾ったことから彼女に裏切られた盗賊仲間の復讐に動きだし、再び犯罪と血と銃の物語が始まる。
アントニオ・バンデラスにしろレベッカ・ローミン=ステイモスにしろ、みんな本心を押し隠した腹の探り合いが繰り広げられる。だが結局はレベッカ・ローミン=ステイモスに振り回されるアントニオ・バンデラス、所詮男は女には敵わない。
それなりに緻密な犯罪劇が繰り広げられるのだが・・・

映像的には割としっかりしているが、作品としては全体的にB級感に溢れた感じで、ブライアン・デ・パルマというのはこれぐらいの作品が一番向いているのだと思う。オチは怒る人は怒るかも知れないが、まあこういうもんだとあきらめてください。
中盤で花の配達トラックが登場するがこの後部ドアが先っちょの尖った杭が並んだ妙な作りのドアになっている。ブライアン・デ・パルマ作品で先っぽが尖ったものが登場すれば絶対誰かが串刺しになるはずだ、と観ていたらやっぱり串刺しでした。しかも二人も。相変わらずでなんかうれしい。
長回しやら画面分割などこれまた相変わらずデ・パルマ。

2004年12月04日

『魁!!クロマティ高校第11巻 あすなろ編』 玉子を大量に食う映画

少年マガジンで連載されている『魁!!クロマティ高校』の最新第11巻。
マガジンは時折立ち読みする程度だがこの作品の単行本だけは買っている。『課長バカ一代』もそうだが野中英次の作品は面白い。だが噂に聞く実写映画化は本気なのだろうか。メカ沢はロボコン式に着ぐるみでなんとかなっても(CGを使える程予算がなさそうだ)ゴリラはどうするのだ。こっちも着ぐるみか?すごく痛いシーンになりそうだ。

それはそれとして、今回収録作品の中には“前田が小説を書いたところそれがクロマティ高校内で人気になり、ついには映画化される”というエピソードがある。(第232~234話)
ところがその映画には前田の小説にはなかった“ゆで玉子を40コ一気食いする”というシーンが追加されていた。
例によってクロマティ高校の連中が無意味に雁首を揃えて

「ゆで玉子を食う映画ってどんな映画なんだ?」

「ゆで玉子の映画ってどんな映画かすっげえ気になるよな?」

いい加減なモヒカン頭の林田に至っては

「ああ・・・オレもかなりの映画通だがゆで玉子40個10分以内にたいらげる映画なんて観たコトないぜ」

と発現する。林田が映画通だとは知らなかった。
しかし実は存在する。何がって?大量のゆで玉子をたいらげる映画がだ。それもコメディじゃなくてアカデミー賞のいくつかの部門にノミネートされたシリアス作品で、しかも玉子を食うのはあの二枚目で演技派なポール・ニューマンときてる。
『暴力脱獄』(1967)はタイトルの示す通り刑務所を舞台にそこからの脱獄を描いた作品で、その中盤頃にそのシーンはある。なにかの拍子にポール・ニューマンが「オレは玉子を50個食える」と言い張り、面白がった囚人たちはポール・ニューマンが1時間でゆで玉子を50個食べられるかという賭けを行う。
山盛りになったゆで玉子を食べ始めるポール・ニューマン。ゆで玉子を黙々と食べ続けるポール・ニューマン。ついには自分で飲み込めなくなったポール・ニューマンの口にこれでもかと次々に玉子を押し込むジョージ・ケネディ。そして緊張して見守る囚人たち。これがアクション映画風のカットバックで描かれる。間抜けだがカッコイイ!
玉子の平均的な重さが1個80gというから、約4kgを食ったことになる。うーむ、4kgとは確かに多いがテレビの大食い番組に出てくる出場者ならペロリと食ってしまう気もする。
ちなみに、この賭けに勝つためなら親友に無理矢理玉子を押し込む演技でジョージ・ケネディはアカデミー助演男優賞を受賞。「そのシーンかよ!」というツッコミが入りそうだが、自分のためなら親友も犠牲にするのはラストの二人の関係につながる前振りなのだ。(ホントかよ)

ともあれ「ゆで玉子を10分間で40個食べる」ではないものの「ゆで玉子を1時間で50個食べる」という映画ならあったりするので世の中は油断がならない。

2004年12月05日

『大災難P.T.A.』 見てるこっちが大迷惑だわ

『大災難P.T.A.』(1987) PLANES, TRAINS & AUTOMOBILES 1988/2/17鑑賞

監督:ジョン・ヒューズ 製作:ジョン・ヒューズ 製作総指揮:ニール・A・マクリス 脚本:ジョン・ヒューズ 撮影:ドナルド・ピーターマン 音楽:アイラ・ニューボーン
出演:スティーヴ・マーティン、ジョン・キャンディ、ライラ・ロビンズ

そもそもジョン・ヒューズという奴が大嫌いなのだ。半端なコメディ、半端な青春モノ、半端なヒューマニズム。どれもこれもいかにもな中途半端さが頭にくる。
その半端野郎のジョン・ヒューズがスティーヴ・マーティンとジョン・キャンディという2大コメディアンを主役に起用しておきながら、例によって半端な映画に仕上がっているのがこの『大災難P.T.A.』だ。P.T.A.とは小学校などにある委員会のことではなく飛行機(PLANE)、列車(TRAIN)そして自動車(AUTOMOBILES)それぞれの頭文字を合わせたもの。
クリスマス休暇を家族と過ごそうとニューヨークからシカゴに向かう広告会社の男(スティーヴ・マーティン)がどういったいきさつか図々しい男(ジョン・キャンディ)と何故か道中を共にすることになり、ジョン・キャンディにはうんざりさせられるし何の因果か次々とトラブルに遭う。果たして無事シカゴにたどり着けるのか。という話なのだがこれが笑えない。どうしようかと言うぐらいつまらない。ギャグがつまらない、演出がつまらない。もうつまらない印のつまらない映画なのだ。
しかも、ラストには取って付けたような人情話になってスティーヴ・マーティンとジョン・キャンディは深い友情で結ばれる。・・・勝手にやっとれ。つーか、なめとんのか。
有能なコメディアン・役者も無能な製作・監督・脚本の下では実力を発揮できないことを示す作品。

エンディングクレジットの後にある1カットのギャグだけは笑った。しかし、そのためには約90分を無駄に過ごさなければならないのであった。

2004年12月08日

やっぱATOKじゃなきゃ

午後から丸々時間が空いたので映画を観に行った。
『ハウルの動く城』でも観ようかと思ったがちょうど上映開始直後だったので次の回まで待つ気はさすがになく、一番近い時間の映画に飛び込んだ。
その映画は『スカイキャプテン ワールド・オブ・トゥモロー』だ。アメリカのオタクが『CASSHERN』(2004)に似た印象のCGで構築された世界を撮った映画とだけ述べ詳しくは後日としよう。何故なら、この文章はインターネット・マンガ喫茶のパソコンで書いているからだ。IMEがMicrosoftの標準IMEしか入っておらず、変換能力は低いし操作が微妙にATOKと違っているため能率が大幅ダウンしている。
思えばキーボードで文章を書くようになったのは15年以上前の『一太郎Ver.3』からだった。当然FEP(IME)はATOK6だった。その後、プライベートでも仕事でもほとんどの文章はATOKを使って書いてきた。一時期Macに移行していたことがあったが『ことえり』の使えなさには呆れるよりむしろ感心しまった。現在ではMac版ATOKも出ているそうだがもっと早く発売してくれていれば今でもMacユーザーだったかもしれない。
そういえば来年2005年の2月には『一太郎2005』『ATOK2005』などがリリースされるそうだ。文章入力は秀丸エディタで書き、必要に応じてWORDでレイアウトしているので一太郎には興味がないが、現行より一つ前のATOK16を使いつづけており今回のATOK2005はアップグレードしようと考えている。ATOK16でも辞書を鍛えてありこれといって不満はないのだが、そろそろJUSTSYSTEMに多少のお布施をして今度のますますの活躍に期待するといったところだろうか。
今回たったこれだけの文章を書くのにかなりのストレスだ。真面目な話JUSTSYSTEMが無くなったら非常に困る。どうやら根っからのATOK野郎になっているようだ。

2004年12月10日

『スカイキャプテン ワールド・オブ・トゥモロー』 ラウレンティスかよ!

『スカイキャプテン ワールド・オブ・トゥモロー』(2004) SKY CAPTAIN AND THE WORLD OF TOMORROW 107分 2004/12/08鑑賞

監督:ケリー・コンラン 製作:ジョン・アヴネット、サディ・フロスト、ジュード・ロウ、マーシャ・オグレズビー 製作総指揮:オーレリオ・デ・ラウレンティス、ラファエラ・デ・ラウレンティス、ビル・ヘイバー 脚本:ケリー・コンラン 撮影:エリック・アドキンス 美術:ケヴィン・コンラン 衣装:ステラ・マッカートニー 編集:サブリナ・プリスコ 音楽:エドワード・シェアマー VFXディレクター:スコット・E・アンダーソン
出演:ジュード・ロウ、グウィネス・パルトロー、アンジェリーナ・ジョリー、ジョヴァンニ・リビシ、マイケル・ガンボン、、バイ・リン

敵のロボットや飛行機、後半で登場する恐竜はおろか背景までCGで、ひょっとするとセットすらほとんど組まずにブルースクリーンの前で俳優を演技させそれを合成して画面が作られているのではないかといった徹底ぶり。
第二次世界大戦寸前の1939年を舞台にしており建物やメカのデザインはレトロタイプで統一されており全体にセピアがかった色調だ。どこかで見た映像だと思ったら日本の『CASSHERN』(2004)だった。公開年は同じなので単に偶然だろう。

マンハッタンを皮切りに世界各地を襲い始めた謎のロボット軍団。人々はスカイキャプテンに助けを求めるために無線信号を送る。タワーから発せられた電波が輪になって広がっていくのはなんとなく今はなきRKOピクチャーのオープニングロゴを思い出させる。こんなところまでレトロだ。
レプシロの戦闘機を操るスカイキャプテンはヒーローという以外ほとんど正体が分からない。軍など政府組織に所属してはいないようだが、自分専用の航空基地を持っておりそこには技術開発者や整備士など専属のスタッフまでいる。以前は上海など世界各地でその内容は不明だが色々活躍していたそうだ。おそらくは金持ちの元冒険家で趣味としてヒーローをやっているのではないかと推測する。笑顔が爽やかだが基本的にそれだけの人で、ものすごく強いとか頭が良いといったヒーローとして裏付ける能力は持っておらず少々飛行機の操縦が上手いぐらいだ。人物的魅力はジェームズ・ボンドやインディアナ・ジョーンズのそれに遥かに及ばない。
そしてもう一人の主人公が女性新聞記者のポリー。スカイキャプテンとは昔恋人だったが現在はケンカ別れした仲らしい。今回は特ダネを手に入れようとスカイキャプテンの冒険に同行することになる。空中要塞で「ここのことは絶対秘密だからな」と言われ「分かったわ」と返事をしつつも後ろ手でカメラのシャッターを押しているなど、ちょっとした悪女ないしは小悪魔的な要素を持っている。だがほとんどのシーンではドタドタと下品に歩き回り自己主張ばかり強いただの頭の悪そうな女性にしか見えない。個人的に勝ち気な女性というのは好みなのだが、ポリーのは勝ち気じゃなくて単に自己中心的なだけだ。
この様に、主人公二人に魅力が感じられないのが観ていてつらい。これがデビュー作になる監督・脚本のケリー・コンランは細部に至るまで非常に凝ったCG映像を創り上げることに夢中で、映画において肝心な人物描写をおろそかにしているとしか思えない。空中要塞の女艦長アンジェリーナ・ジョリーが唯一ましだが、それだって演出側よりもむしろ彼女自身によるものが大きい。しかも登場シーンはせいぜい10分ときてる。
なんでもケリー・コンランがこつこつと4年がかりで作った6分の自主映画がプロデューサーの目にとまり、それをベースにして『スカイキャプテン』を撮ることになったそうだ。製作総指揮にはラウレンティスの姓が付いた人間が二人含まれているがどうやら“あの”ディノ・デ・ラウレンティスの一族らしい。ディノ・デ・ラウレンティスの“あの”は良い意味でもあるし悪い意味でもあるのだが、今作は悪い意味でのラウレンティスっぽさだろう。いわゆる「大作だがおおざっぱで登場人物の魅力に乏しい」、うむまさにその通りだ。

結局、わたしにとってこの作品の一番の欠点は監督・脚本のケリー・コンランがオタクだということだろう。美術や小道具、メカなど確かに細部にまで凝っていて世界観は作り上げられている。それは認める。だが世界観を作り上げるところで満足している、世界観を作り上げることが目的としか思えない。世界観は舞台に過ぎず、そこでいかに人間を動かすか描くかが重要であるのではないだろうか。
同じくオタク系監督であるウォシャウスキー兄弟や押井守などの作品を観た時のうっとおしさと同じ物を感じた。
だが、クエンティン・タランティーノやピーター・ジャクソン、サム・ライミもオタクなはず。どこが違うのだろうか。やはり内に向かうか外に向かうかか?結論が出ないまま今回は終わる。

しょーもないギャグで終わるあの終わり方だけは好きだけどね。

2004年12月11日

『メリー・ポピンズ』 メリーかメアリーか

『メリーポピンズ』(1964) MARY POPPINS 140分

監督:ロバート・スティーヴンソン 製作:ウォルト・ディズニー、ビル・ウォルシュ 原作:パメラ・L・トラヴァース 脚本:ビル・ウォルシュ、ドン・ダグラディ 撮影:エドワード・コールマン 作曲:アーウィン・コスタル 音楽:ロバート・B・シャーマン、リチャード・M・シャーマン
出演:ジュリー・アンドリュース、ディック・ヴァン・ダイク、デヴィッド・トムリンソン、グリニス・ジョンズ、ハーマイアニ・バドリー

久々に観た『メリー・ポピンズ』だが、こいつはディズニー実写映画のベスト作品だと思う。
『チム・チム・チェリー』や『一さじのお砂糖』そして『スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス』など名曲で彩られた愉快なミュージカル映画だ。

時と場所は1910年代の古き良きロンドン。建物の上には煙突が立ち並び道には馬車が走っている、そんな時代の話だ。
銀行で働くバンクス氏には女の子と男の子の姉弟である二人の子供がいる。その子供たちがわんぱくで今日も乳母(字幕では乳母となっているがむしろ住み込みの家庭教師といったところ)が「もうやってられません」と辞めて出て行ってしまう。
子供たちは「明るくて優しい乳母を捜しています」という募集広告を作ってバンクス氏に見せる。ところがバンクス氏はそれを破って暖炉にくべてしまい、自分で文を書いた「厳格でしっかりした乳母を求める」という募集広告を新聞に出す。そんな時、風が東の風に変わり、その風に乗ってコウモリ傘を差した一人の女性が空から舞い降りてくる。メリー・ポピンズと名乗るその女性は募集広告を手にバンクス家を訪れる。だが、彼女が差し出したその募集広告はバンクス氏が昨夜確かに破って捨てたはずの子供たちの書いた物だった。どうにも不思議なこの女性は乳母として採用され、そして奇妙で楽しい出来事が次々と始まるのであった。

映画の随所にディズニーらしい特撮が使われている。
メリー・ポピンズが風に乗って舞い降りてくるシーンはジュリー・アンドリュースをケーブルで吊った合成無しのフライング効果によるもの。ワイヤーがかすかに判別できるがそんなことよりもふわりふわりと浮き沈みする風の流れを感じさせてくれる優れた効果だ。ジュリー・アンドリュースはにこやかな笑顔を浮かべているが実際にはかなり苦しい撮影だったはず。
大道芸人・煙突掃除人のディック・ヴァン・ダイクが描いた絵の中にみんなで入り込むシーンでは実写の人物がアニメの背景と合成され、ペンギンやキツネなどアニメのキャラクターと触れ合い一騒動になる。
メリー・ポピンズが鏡の中の自分とデュエットするシーンなど合成も多用されている。
1964年という製作年度から考えるとかなり高度な技術だったことが分かるが、それよりもそのシーンをどうやって面白い物にするか、原作や脚本にあるイメージをいかに魅力的な映像化するかに工夫が施されているところが重要だ。

もちろん『ミュージカル映画』としてもにぎやかかつ愉快だ。
ジュリー・アンドリュースはそもそもブロードウェイの舞台ミュージカルだった『マイ・フェア・レディ』で主演をつとめ上げていた人なので歌はもちろん上手い。顔は美人と可愛いの中間ぐらいでなかなか好み(わたしの好みはどうでもいいか)。今回調べてみたところこの『メリー・ポピンズ』が映画デビュー作だが新人とは思えぬ堂々たる主演ぶりで、さすがブロードウェイで鍛えられた人は違う。唯一の欠点といえば夫が映画監督のブレイク・エドワーズということぐらいか。いや、『ピンク・パンサー』シリーズなどのファンには悪いんだが、わたしはブレイク・エドワーズって嫌いなんだ。どうにも野暮ったくって。1981年に『S.O.B.』(日本未公開・ビデオリリースのみ)なんてのをジュリー・アンドリュース主演で監督しているが、これがもうひどくて・・・ジュリー・アンドリュースも夫が監督・製作なんでしょうがなく出演したんだろうなぁ。

バンクス氏の近所には元英国海軍の提督が船型の家を建てて住んでいる。その屋根にマストや操舵輪を据えているのはまだしも、大砲まで設置してあり毎日定刻になると部下に命じて時報として空砲をぶっ放す。すると近所の家にはその轟音と衝撃で揺れ動き家具が動いたり花瓶が落ちたりするのだが、隣人もそこら辺は心得た物でちゃんと落ちては困る物のそばで控えてドッカーンとくるとタンスを押さえたりつま先でコップを受け止めたりする。実はここが一番好きなシーンだったりする。次は煙突掃除人集団のダンスだろうか。

笑い出すと宙に浮かんでしまうおじさんというのが出てきて、そこを訪れたメリー・ポピンズと子供たちまでついには笑って浮かびだしそのままお茶の時間になるというシーンがある。ここがどうもよく分からないのだがイギリスには「あんまり笑ってると空に飛んじゃうぞ」とかいう笑うのを戒めることわざがあるのだろうか。
そういえば「スミスという名の義足の男」のギャグも日本語に翻訳するとほとんどギャグになっていない。

映画のタイトルは『メリー・ポピンズ』だが原作の翻訳本だと『メアリー・ポピンズ』となっている。これはやはりMARYの発音がイギリス式とアメリカ式で違ったりするのだろうか。わたしは子供の頃に本の『メアリー・ポピンズ』を読んでいたのでどうも『メリー・ポピンズ』という呼び方には違和感があってしょうがない。
そうそう、ディック・ヴァン・ダイクは実は二役をこなしている。大道芸人・煙突掃除人以外のさて誰を演じているでしょうか?

2004年12月14日

『タワーリング・インフェルノ』 オレに触ると火傷するぜっ!

『タワーリング・インフェルノ』(1974) THE TOWERING INFERNO 165分

監督: ジョン・ギラーミン、アーウィン・アレン 製作:アーウィン・アレン 原作:トーマス・N・スコーシア、フランク・M・ロビンソン、リチャード・マーティン・スターン 脚本:スターリング・シリファント 撮影:フレッド・コーネカンプ、ジョセフ・バイロック 特撮:L・B・アボット 音楽:ジョン・ウィリアムズ
出演:スティーヴ・マックィーン、ポール・ニューマン、ウィリアム・ホールデン、フェイ・ダナウェイ、フレッド・アステア、O・J・シンプソン、リチャード・チェンバレン、ロバート・ヴォーン、ロバート・ワグナー

冬は乾燥して火災の多い季節だ。火事には気をつけよう。
ということで今日は火事の映画『タワーリング・インフェルノ』だ。

一流の設計士ポール・ニューマンが見事な高層ビルの設計をした。しかし、ビル会社の社長の娘婿リチャード・チェンバレンが建築費をピンハネして安い建築材で作らせてしまう。案の定、O・J・シンプソンが警備をするそのビルは火災を起こす。
大火災の中、折しも開催されていたオープニングセレモニーのため最上階にフレッド・アステアら数百名が取り残されてしまう。彼らを救うためスティーヴ・マックィーンを始めとする消防士たちが決死の救出活動を行う。エレベーターは階下の火で使えないため、向かいのビルにロープを張りゴンドラで渡すなどの手段を取るが、火の勢いは治まらずこのままでは大勢が焼け死ぬことになる。そして、最後には一か八かのアイディアで火は消し止められるが犠牲者の数は多く、黒こげになったビルは怪物のように人々を見下ろしているのだった。

要約すればこんなところだろうか。
リチャード・チェンバレンが悪いと言ってしまえばそれまでだが、これが映画だけではなく実際の建築建造物の工事などでも行われていそうなところが怖い。地震多発国である日本の建築基準は厳しいそうだが、それがちゃんと守られていないと意味がない。もちろん消防法もだ。
『タワーリング・インフェルノ』でも初期段階での発見、速やかな避難が行われていれば犠牲者の数はかなり少なくてすんだのだが、偉い人が「まだ火事かどうかははっきりしないんだろ」「たかがボヤだろ」と利益を気にして危険についての情報を伏せたままにするのはこの手のパニック映画の定石通り。

スティーヴ・マックイーンとポール・ニューマンの二枚看板を始めとする豪華キャストで、映画監督のジョン・ランディスも出演している。もっともジョン・ランディスは役者としてではなくガラスを突き破って落ちていくスタントマンとしてである。1974年当時のジョン・ランディスは自主制作映画の『シュロック』(1971)を撮ってはいたものの、『ケンタッキー・フライド・ムービー』(1977)や『アニマル・ハウス』(1978)はまだ先のことで、映画監督を夢見つつスタントマンや端役で生計を立てる一青年にすぎなかったのだ。

オハラハン消防隊長を演ずるスティーヴ・マックイーンはMcQueenの姓から分かる通りもちろんアイルランド系。Mcってのは“~の息子”を意味するアイルランド語だそうだ。だからMc~という姓は基本的にアイルランド人。メジャー・リーグのマーク・マグワイヤ(Mark McGwire)やハンバーガーのマクドナルドの創立者であるMcDonald兄弟もアイルランド系。それとMcで始まってるからM・C・ハマーもひょっとしたらアイルランド系かもしれない。いたなぁM・C・ハマー。ちなみにM・C・ハマー本当はアイルランド系ではないと思う。
同じく消防士の登場する『バックドラフト』の主人公マクフライ兄弟(カート・ラッセル他、ってアレック・ボールドウィンは他扱いかよ)もアイルランド系だった。
偶然の一致?
いやいや、昔から色々と差別されてきたアイルランド人は新大陸アメリカに移住してきても、危険で過酷な職業である警官や消防士といった職にしか就けなかったという過去があるのだ。現在でも警官や消防士に占めるアイルランド系の割合は人口比率のおけるそれよりも高いらしい。ちゃんと数字で知ったデータじゃないのであくまでも「らしい」ってことでひとつ。

監督がジョン・ギラーミンなんで例によっておおざっぱ。大味な映画を撮らせたら一流な人だ。だけれども重箱の隅をつつくような観方をする映画じゃないからかまわないでしょ。

上院議員役でナポレオン・ソロことロバート・ヴォーンが出ている。この人は本当に政治家役が似合う。思えば日本映画『アナザーウェイ D機関情報』(1988)はロバート・ヴォーンだけを目当てで観に行った。海外ロケをメインにして海外の俳優を多数起用した日本映画としてはそんなに悪くない、とは思う。今にして思えば監督は山下耕作だし。
しかし、音楽がジョルジオ・モロダーなど痛いところはちゃんと痛い。日本軍の伊号潜水艦などが特撮で再現されるが特撮監督が川北絋一だもんなぁ・・・『ガンヘッド』に『さよならジュピター』の人だからなぁ・・・

2004年12月17日

『サンタクロース』 何故にサンタが空中戦?

『サンタクロース』(1985) SANTACLAUS THE MOVIE 108分 1985/12鑑賞

監督:ジュノー・シュウォーク 製作:イリヤ・サルキンド、ピエール・スペングラー 脚本:デヴィッド・ニューマン 撮影:アーサー・イベットソン 音楽:ヘンリー・マンシーニ
出演:ダドリー・ムーア、ジョン・リスゴー、デヴィッド・ハドルストン、バージェス・メレディス、ジュディ・コーンウェル

アメリカではいまだにこの時期になるとテレビで『三十四丁目の奇蹟』(1947)が放送されているらしい。
この『サンタクロース』も本来ならばクリスマスシーズンの定番ムービーになっても良さそうな物だが、なにしろ出来が出来なのでDVD化もされずそのままになっている。でも、そのまま記憶の彼方に消え去ってしまってもなんら問題がない。

ある老夫婦の夫がサンタクロースになる様子を描いたとある雪国の過去のシーンは、妖精たちがおもちゃを作る不思議な国のセットなど美術が綺麗に仕上がっている。
だがそれなりに面白いのはここまで。現代に舞台が移り、ひねくれ者の妖精(ダドリー・ムーア)がサンタクロースとケンカをして不思議の国を飛び出し、おもちゃメーカーの社長と手を組んで魔法を使った新製品を開発する辺りから、「おい、ちょっと待てよ」という方向へ話はどんどん進んでいく。
ラストにはサンタクロースのソリと妖精の操縦する空飛ぶ車による空中戦が繰り広げられ、その子供だましぶりにはすでに高校生になっていたわたしとしては白旗を上げるしかなかった。
何故サンタクロースがドッグファイトをせにゃいかんのだ?謎である。
ついでに何故映画館まで観に行ったのかも謎である。

2004年12月20日

『マイ・ブルー・ヘブン』 証人保護プログラム

『マイ・ブルー・ヘブン』(1990) MY BLUE HEAVEN 95分 2004/12/19レンタルDVDにて鑑賞

監督:ハーバート・ロス 製作:ハーバート・ロス、シンシア・シルバート 製作総指揮:ゴールディ・ホーン、ノーラ・エフロン、アンドリュー・ストーン 脚本:ノーラ・エフロン 撮影:ジョン・ベイリー 音楽:アイラ・ニューボーン
出演:スティーヴ・マーティン、リック・モラニス、キャロル・ケイン、ジョーン・キューザック、メラニー・メイロン

FBIの捜査官ニック・モラリスに連れられ裁判まで身を隠すために証人保護プログラムで田舎町に連れてこられたイタリアンマフィアの一員スティーヴ・マーティン。髪の毛をツンと逆立てた伊達男のスティーヴ・マーティンは身を隠すどころかトラックの積み荷を奪ったりスピード違反でパトカーに捕まったりと好き勝手し放題。そんなスティーヴ・マーティンに、パンケーキに塗る蜂蜜の量まできっちり決めているという杓子定規で野暮ったいニック・モラリスは振り回されてばかり。
しかし、段々とスティーヴ・マーティンの影響を受けてパリッとしたスーツを新調したりジョークを飛ばすようになっていく。
だが、スティーヴ・マーティンの証言を食い止めるため殺し屋が差し向けられてきて・・・

朴念仁が洒落者に振り回されるが、トラブルを乗り越えていく次第に打ち解け合っていく定番コメディ。だがどうにもつまらない。
ニック・モラリスの“急変”とも言える変わりぶりが「何で?」としか思えない。95分という尺の短さのせいかも知れないが、もう少し心の動きをちゃんと描いて欲しかったものだ。
スティーヴ・マーティンの暴れぶりも妙に良心的なところがあって弾け切れていないのが残念だ。
その田舎町には証人保護プログラムで死んだことになってその後新生活を送っている元マフィアたちが大勢いるのだが、その設定を少しは有効に利用できなかったものか。隠居したジジイたちが昔取った杵柄と現在の職業を活かして殺し屋相手に立ち向かうなんてのは面白そうなんだが。

製作総指揮に名を連ねているゴールディ・ホーンはあの女優のゴールディ・ホーンだ。製作だけで出演はなし。
『ハウスシッター 結婚願望』(1992)でスティーヴ・マーティンと共演しているからその縁か?

2004年12月21日

『張り込みプラス』 続編作りは難しい

『張り込みプラス』(1993) ANOTHER STAKEOUT 108分 2004/12/20レンタルDVDにて鑑賞

監督:ジョン・バダム 製作:ジム・カウフ、キャスリーン・サマーズ、リン・ビグロー 製作総指揮:ジョン・バダム 脚本:ジム・カウフ 撮影:ロイ・H・ワグナー 音楽:アーサー・B・ルビンスタイン
出演:リチャード・ドレイファス、エミリオ・エステヴェス、ロージー・オドネル、デニス・ファリナ、マーシャ・ストラスマン

前作の刑事映画『張り込み』(1987)は面白くて好きな映画なのだが、監督・メインキャストとも同じ顔ぶれなこの続編ははっきりいってつまらない。
裁判の証人である女性が田舎の一軒家にFBIの警護の元かくまわれている。そこが殺し屋に襲撃されついには家が大爆発するオープニングは無駄に派手な爆発が笑えるのだが、勢いがあるのはそこまで。
逃げ出したその女性が隠れていると思われる海辺の別荘をリチャード・ドレイファスとエミリオ・エステヴェスの刑事二人組が隣家に張り込んで見張るのは前作と同じような流れなのだが、そこに女検事補のロージー・オドネル(この人はスタンダップ・コメディエンヌ出身の女優)がコメディリリーフとして加わり、彼女の引き起こすドタバタがコメディ部分の肝なのだがこいつがテンポが悪く泥臭くて笑えない。
張り込みには彼女の飼っている中型犬も一緒に付いてくるのだが、これも有効に活かされているとは言えない。もっと活躍させる方法はいくらであるだろうに。
ラストの銃撃戦はとてもしょぼく、「これって、TV用映画だった?」と確認したくなる出来だ。オープニングの派手さはどこへ行った?あそこで火薬用予算を使い果たしたのか?
殺し屋(『ロボコップ』でロボコッププロジェクトを立ち上げた重役をやってた人)もタフそうに登場した割には実際情けない。
前作で結ばれた主人公達が、続編だとあっけなく別れていてどちらかはちらっとも出てこないというのは多いが、『張り込みプラス』では前作のヒロインとリチャード・ドレイファスのロマンスがまだちゃんと続いていたところは良い。ただ、それ故にストーリーに融通が利かなくなっているのは苦しいところだ。

監督であるジョン・バダムはあまり監督論などで名前が出てくる人ではないが、アクション・SF・コメディなど幅広いジャンルで水準以上の娯楽作を作り続けてきたいわゆる“職人監督”だ。
わたしとしては結構評価している監督なのだが、そのジョン・バダムをもってしても“続編”作りは難しいということなのだろう。

2004年12月23日

『南極物語』 観客の心にブリザードが吹き荒れる

『南極物語』(1983) 145分 1983/07公開時に鑑賞

監督:蔵原惟繕 製作:古岡滉、鹿内春夫、蔵原惟繕 プロデューサー:森島恒行、蔵原惟繕 製作指揮:日枝久 企画:角谷優、蔵原惟繕 脚本:蔵原惟繕、野上龍雄、佐治乾、石堂淑朗 撮影:椎塚影 美術:徳田博 編集:鈴木晄 音楽:ヴァンゲリス
出演:高倉健、渡瀬恒彦、岡田英次、夏目雅子、荻野目慶子

暖冬だと言われつつもさすがに朝晩は冷え込んできた。うー寒い寒い。
しかし、南極よりはましだ。今の季節、南極は夏ですがそれでも零下30度や40度が平気であったりするそうだから、もう想像できないような冷え込み具合だ。
先日、南極観測隊が洗面器に入ったお湯を「せいやっ」でぶちまける実験をしていたが、地面落ちる前にそのお湯が水滴のまま凍っているそうで。瞬間湯沸かし器ってのはあるが、そっちのは瞬間冷凍機だ。
どう考えても南極には住みたくないと強く思った。ペンギンやシロクマってのは(シロクマはいないって)、何を好きこのんであんな極冠の大地に住んでいるのだろうか。“物体X”まで出没しやがるしな。ただしこの物体Xは1982年の『遊星からの物体X』であって、1951年の『遊星よりの物体X』のThe Thingではない。あっちはたしかアラスカが舞台だ。
今日はそんな南極を舞台にした映画だ。
タイトルはそのまんま『南極物語』。なんのひねりもない。
『なんたら物語』というタイトルの映画はクズであるの法則というのがあって、あるというかわたしが経験上編み出したんだが、その例に漏れずこの作品もクズだ。
ストーリーは有名なタロとジロに関する物。1958年、悪天候のため越冬観測をあきらめた日本の観測隊は南極観測船“宗谷”で日本に引き返すことになるが、15匹のソリ引き犬をヘリコプターに載せきらずそのまま取り残すことになってしまう。
そして翌1959年、昭和基地へと戻ってきた隊員達は元気そうなタロとジロ二匹の姿を目にする。人々は過酷な南極の冬を生き延びたそのたくましさに驚くのであった。
とまあ、それだけの話。それだけの話なのになんで145分もありやがるんだ。こんなの90分以内で充分だ。
人間が立ち去った後、15匹がどんな過酷な目にあったのかが展開され、クレバスに落ちたり、流氷に乗ってそのまま流されていったりして一匹また一匹と仲間が死んでいくのですが、それを誰が見たんだ。犬語の通訳を通じてタロとジロからインタビューしたのか?しかし、浅学なので犬語の通訳という存在を知らない。
ハリウッド映画に大型台風に巻き込まれて乗員が全滅したという実話に基づく『パーフェクトストーム』(2000)があるが、あれも船が出航した後のことは一体誰に聞いて脚本を書いたのだろうか。恐山のイタコでも脚本家に雇ったか?
タロとジロは絶対に死んだ仲間の肉を食ったと思うのだがその描写はなし。しかし『アンデスの聖餐』事件を描いた『生きてこそ』(1993)や『ひかりごけ事件』の『ひかりごけ』(1992)で分かる通り、人間だっていざとなれば死んだ仲間を食う。犬畜生のタロとジロが食わなかったと考える方が不自然だ。
それから、まだ少女時代の荻野目景子が「なんで犬たちを連れて帰ってこなかったんですか」と健さんをなじるシーンがあるが、南極の現場にいた人間はそれどころじゃなかったつーの。人間が生き残るんで精一杯だったんだわ、多分。それともなにか荻野目、人間を何人か残して代わりに犬たちを連れてくれば満足か。そんなに犬が大事か。お前は人間よりも犬やクジラ何かの方が大事だと思っている頭のイカれた動物愛護団体関係者か。だったら肉も食うな魚も食うな、野菜だって生きてるんだから食うな。土でも食ってろこのミミズ娘!と見た当時は思ったものだ。
全体的にあまりにもタロとジロはすごい、犬はすごい。一部の隊員を除く観測隊はひどい奴らだという論調だったのでわたしとしてはかなりむかついた。タロとジロに恨みはないが、あんまり美談にされるのもうんざりだ。

まあ監督が蔵原惟繕という時点で駄作クソ映画決定みたいな物だし、脚本に何人も名が連なっているのは大抵駄作の法則があるので『南極物語』がクソ映画なのはむしろ当然ではあるのだが。何で健さん出たのかなぁ。
クソ映画がクソなのは勝手にやっとれというところなのだが、一番イヤなのはこの作品が日本映画として観客動員数の歴代何位かに入っていること。日本人でいることがイヤになる瞬間だ。

2004年12月24日

ペプシのオマケの『Mr.インクレディブル』

ペプシコーラの1.5リットルペットボトルを買ったら、『Mr.インクレディブル』(2004)のフィギュアが付いてきた。
その手のグッズにはあまり興味がないので「ふーん」といった程度だったのだが、これがよく見ると裏に磁石が付いていて、鉄製の物に貼り付けることでフックとして使うことが出来るようになっていた。
試しにパソコンデスクの柱にくっつけて、Mr.インクレディブルの腕に携帯電話をぶら下げてみた。するとちゃんと重さに負けずに持ちこたえてくれた。さすがスーパーヒーローだけあって力持ちだ。

割と強めの磁石を使っているようで、放り投げるように携帯電話を引っかけるとさすがに落ちるが、普通にひょいっとぶら下げて使う分には充分な強度を持っている。さっそく携帯電話置きとして使い始めたのだが、これがなかなか便利。ならばキーホルダーやフラッシュメモリ、リムーバブルケースの鍵など他の物もぶら下げたいとペプシを何本も買い込んできた。おかげでここ数日飲んでるのはペプシばかり。まあ好きなんだけどね。
今回のフィギュアは袋に透明な部分があって中身が見えるようになっているので同じ物を買ってしまいダブらせることがない。こっちの方が正しい姿だと思う。全8種類あるうちの7種類を見つけた。
残念なことにあと一つ、Mr.インクレディブルの三人目の子供である赤ん坊JACK-JACKのが見つからない。すでにオマケなしのペプシが並び始めているので今後店頭で見つけるというのはちょっとなさそうだ。
こうなったらインターネットオークションか?・・・ってそこまでして買わない買わない。オマケだからイイんであって金を払うまでじゃない。

シリーズがあると揃えたくなるのは人情というかマニア心なんだろうが、最初に言ったようにわたしはこういうグッズに興味はない。その分、本やDVDでシリーズ物欲が働くが。クライブ・カッスラーの『ダーク・ピット』シリーズなんて中期以降はどれも同じような物なんだが、新刊が出ると「本棚のカッスラー部分に空きが出来ると何か嫌だ」というのでついつい買ってるし。『グイン・サーガ』や『ペリー・ローダン』シリーズには手を出さなくて良かった。あれはきりがないものな。
その点、映画はシリーズが長くてもせいぜい『007』の20作+2作ぐらいだ。えっ、『男はつらいよ』の49作?それがどうかしたか?何でわたしが寅さんなんか見なきゃいかんのよ。なんてったって山田洋次だぜ、あれ。『男はつらいよ DVDパーフェクトBOX』ってのが発売されてて税込195,510だそうだが、誰が買うんだか・・・買う人がいるんだろうなぁ。一枚辺り4,000円程度なので日本映画のDVDとしては価格が安めだが、安くてもいらないって感じだが。
昔まだ若かった頃は、大人になって年を取ると演歌を聴きだしたり『男はつらいよ』を見始めるのかなと思っていたのだが、自分がある程度の年齢になってみるとそうではないことに気付いた。結局、演歌な奴は若い頃から中身は演歌なの。十代の頃から寅さんなの。でもって、内田裕也は65歳になってもロッケンロール野郎なわけ。シェケナベイビー!

2004年12月25日

カラーコピー機と新千円札

先日、Photoshop CSでは新札のスキャンイメージが読み込めないという話をした。
こうなるとやはりコンビニエンスストアなどにあるカラーコピー機ではどうだろうかと気になってくる。
だが、お札をコピーした時点でもうれっきとした通貨偽造の罪になる。だから絶対にやってはいけない。
そこで、ここから先は想像の話になる。あくまでも架空の出来事だ。その辺、しっかり理解しておいて欲しい。

新千円札を持ったその男は近所のコンビニに行った。この店は今年出来たばかりの新しい店で、設置してあるカラーコピー機も新型でまだピカピカの新品に近い。
男はとりあえず辺りをきょろきょろ見渡して、店員や他の客が近くにいないことを確認すると、読み取り台の上に新千円札を野口英世の肖像を下にして置いた。そしてカバーを閉じ、コインスロットルに100円玉を入れた。設定はカラー、サイズはA4を選ぶ。
男の心臓がドキドキしている。今ならまだ引き返すことが出来る。これが最後のチャンスだ。
だが男は目を閉じて「ええい、ままよ」とばかりにコピーボタンを押した。
読み取り部が光り、ガーッとセンサーが移動する音がした。
「ピーーーーー」
コピー機が警告音を発した。
液晶には「このコピーを行うことはできません」といったメッセージが表示されている。
男は慌ててリセットスイッチを押した。コピー機は何事もなかったかのように元の状態に戻った。
カウンターを伺うと、レジにいる店員はコピー機での異変など別に気付いていない様子だ。だが、それは気付いていない振りをしているだけで、実は場合によっては警察に通報する用意をしているのかも知れない。疑心暗鬼に満ちた男にはそのように見えた。
目立たないように新千円札を取り出し、返却ボタンを押して100円玉を取り戻すと、男はコピー機のそばから離れた。
そして、カモフラージュのつもりで缶ジュースを一本買ってそのコンビニを後にした。
なるほど、最近のカラーコピー機もやはり新札のコピーは出来ないようになっているのかと男は納得した。
単なる好奇心を満たすためにしては危ない橋を渡った気もするが、なに人生にはスリルが付き物さ、などとうそぶきながら、後ろを気にしつつ歩き続けるのであった。

うむ、なるほど。
くどいようだが最後にもう一度、上記の出来事はフィクションであることを述べておく。実在の人物、出来事とは一切関係がない。
だからなんだってば。

2004年12月27日

橋本治と1990年末のバイトと『ああでもなくこうでもなく』

橋本治という人はいったいどういう人なのだろうか。もしかすると、世界でまではいかないが日本で一番頭のいい人なのかも知れない。で、頭がいいものだから自分が頭がいい人と他人から思われない様にしている。うむむ、ともかく謎な人である。
頭がいいというのは勉強が出来るということを言っているのではない。もちろん東京大学文学部を卒業しているからにはたしかに世間で言うところの“頭のいい人”ではあるのだろうけど、重要なのは知識が豊富な所ではなく物事を理解しそれを人に伝える“頭のいい人”であるところだ。
わたしが初めて読んだ橋本治作品は『ふしぎとぼくらはなにをしたらよいかの殺人事件』である。東大卒の青年が殺人事件の解決を依頼されるというストーリーは推理小説のそれであるのだけれど、殺人が起ころうと死体が登場しようと断じて推理小説ではなく、当時バカ高校生だったわたしは「変な小説だなぁ。この橋本治という人は変な人なんだろうなぁ」と思っていた。その後、講談社文庫で出ていた『桃尻娘』シリーズも読み始めたが、こちらも変な小説だった。
もしそこで読むのを止めていたらわたしにとって橋本治とはそれほど意味を持つ作家ではなかっただろう。
だがわたしは読んでしまったのだ。『’89』を。それは1990年が終わり1991年が始まる頃、ちょうどこの時期のことだった。

当時わたしは高速道路のサービスエリアに設置されている道路情報表示端末のリアルタイムデータ作成をバイトでやっていた。
平日はその会社の社員がやっているのだが、土日祝日は会社が休みなため学生のわたしがバイトで雇われていたのだ。
「○○インターチェンジから○○インターチェンジまで工事のため渋滞」とか「○○付近が雪のため渋滞」などといった情報が1時間毎に道路交通センターからFAXで送られてくるのでそれを元に情報端末で表示される画面を必要な件数だけ製作し、モデムを使ってアップロードするのが仕事の内容だった。だからリアルタイムとは言っても1時間に一度のデータ更新で、さらにそのデータは1時間以上前の物という、考えてみれば役に立つんだか立たないんだかといった物だ。
1990年当時はまだWindowsやMacOSのようなGUIは一般的ではなく、画面製作はDOSで動作するPC-9801シリーズで行っていた。画面作成の仕事は今のパソコンならそれこそ10分もかからずに終わらせられるような内容だが、その道路情報作成用にどこかのソフトウェア会社が作ったソフトの操作性が悪く、さらにマウスもなかった作業環境では毎時10分頃にファックスが届き、そこから作業を開始してどうにか仕上げたデータファイルを締め切りである毎時0分までにアップロードし終わるのがやっとだった。
社員からはまったく白紙の状態から車や工事マークなどの図形を読み出して貼り付け、そこに文字を入力していくという方法で教わり、実際社員の人は平日その様に作業していたようだ。だが、手を抜くことに関しては知恵の回るわたしのこと、「工事中」とか「事故のため」「雪のため」などほとんどの場合同じような画面しか作っていないことに気づくと、それらをテンプレートとして保存しておいて、次からはそれを読み出しちょいちょいと変更して仕上げるようになった。ごくまれに新しい状況も起きるがその都度テンプレートに追加していけばいいだけのこと。作業自体に慣れたとういこともあるのだろうが、1ヶ月もしたら毎時10分頃にFAXが届くと30分頃にはすでにアップロードが完了する様になっていた。朝の9時から夜の7時までの労働時間10時間、これで時給1000円なので1日で10000円。最初は拘束時間が長い上に、4階建てのビルの中でたった一人で仕事をしなければならない孤独さでちょっとつらいものがあったが、結果としてなかなかおいしいバイトになった。
こうして実労働時間が1時間の内20分ほどになると、これはこれで暇である。やることがないので残りの40分は主に読書に使うことにした。月にバイト代が5~8万になるので、バイト代が出るとまず本屋に行き「あれにこれにそれ」と目に付いた本を次々カゴに入れていって1~2万円分ぐらいは買い込んでいた。
その買い込んだ中の一冊が『’89』だ。ようやくと『’89』に話が戻ってきた。
何故『’89』を買ったのか、今となっては憶えていない。白い紙の装丁にイラストなどはなく「’89」「橋本治」などと少量の文字だけが並んでいたので本の見た目で買ったのではないと思う。
1990年末から1991年年始にかけてバイト先の会社は正月休みに入る。だがもちろん道路交通情報は稼働させなければいけないのでだれかが出勤してその仕事をやらなければいけない。そこでわたしにお鉢が回ってきた。
「東森君、12月30日から1月3日までの5日間、バイトに入ってくれないかな。29日と4、5日はわたしがやるからさ」
担当者は電話でこう告げてきた。そのまま「うん」とは返答せず取引に入った。
「うーん、でも僕もですね、正月ぐらいは実家に戻りたいんですよ。ほら下宿してますから」
実家のある愛知県半田市から大学のある名古屋市天白区までは片道1.5~2時間ぐらいの距離なのだが、最初の1年で通学時間や混雑ぶりに根を上げて大学近くのアパートに住んでいたのだ。それを理由にいかにも断りたさそうな口調に変えた。
「じゃあさあ、特別手当を出すから」
「特別手当っていくらですか」
「1万円」
「1日1万円ですか」
「・・・5日で1万円」
「母親が正月ぐらい顔を見せろってうるさいんですよね。ほら古い人ですから」
「うーん・・・ちょっと社長に相談して電話折り返すわ」
何だかんだでその5日間は時給1500円ということで決着が付いた。正月休みだけで75,000円の収入。どうせ実家に帰っても雑煮を食ってゴロゴロしているだけだし、比較的近所なので普通の週末にでも簡単に帰れる。それよりかは金である。
だが、その正月中の仕事は金よりも『’89』との出会いの方がわたしの人生にとって重要だった。バイト時には時間をつぶすために本を持ち込んでいたのはさっき書いた通りだが、12月30日には『’89』(現在入手しやすいのは文庫版の上巻
下巻を持って職場に行った。分厚い本なのですぐに読み終わって時間が余ることがないだろうと言うのが理由だった。
そして読み始め、読み進み、読みふけった。
10時10分にはFAXが着信し始めたが、それを無視してそのまま『’89』を読み続けたいとまで思ったが、かすかに残っていた責任感が仕事に向かわせた。そして速攻で仕上げると再び読み始めた。
分厚いと思っていた本はその日の夕方には読み終わっていた。読みやすい文体で書かれていたというのはあるが、内容はびっしり詰まっている。もともと速読なところにわたしには珍しい集中力が速度アップにつながったのだ。
面白い。ワクワクする。分類としてはコラム・エッセイ・論評になるだろう。手塚治虫や美空ひばりの死は昭和の終わりと関係がある、そして松田優作が死んだことと中森明菜が自殺を図りながら死ななかったことも昭和の終わりと結びつく。昭和とか日本について、大人であるオジサンやオバサン、そして若者、男の子、女の子についても語られる。そしてそれら筆の進むまま無軌道に進んでいるに見えたこれらの文章が、ラストで実はとある一人の少年から届いた手紙への返答であったことが分かってくる辺りはもうエキサイティングである。
読み終えた後は、なんかこう頭がよくなって世の中の仕組みや人の考え方が分かるようになった感じがして、まるで自分が変わったように思えたものである。

もちろん、人間は一冊の本ぐらいで変わったりはしない。とりあえず、わたしはしないと思っている。
一本の映画や、ある人との出会いでも人生が変わったなんてことは実際にはない。微妙に進路がずれて、10年や20年経ってみたらそのずれが開いていったために立っている場所が変わっているというのはあるが、これは結局その本、その映画によって変わったのではなく、自分が考え行動した結果にすぎない。
だから、『’89』はその後数ヶ月の間で何回か読み返し『おもひでぽろぽろ』(1991)について公開当時に書いた文章には明らかに『’89』からの影響が読んで取れるが、それぐらいのことだった。それぐらいだからいいのだ。もしも本当に「読むことで人の人生を変えてしまうような本」というのがあるとしたら、そんなうっとおしそうな物は絶対に読む気にならない。

一度その人の本が気に入ると、興味の続いている間はどんどん買ってどんどん読む癖があり、橋本治の本もどんどん読むようになった。『デビッド100コラム』『ロバート・本』は大爆笑したが、テレビシリーズ『ナポレオン・ソロ』で主人公二人を演じたデビッド・マッカラムとロバート・ヴォーンにひっかけたこのタイトルを今では、いやわたしが読んだ1990年代前半でどれだけの人に分かるダジャレだというのだろうか。ロバート・ヴォーンは有名な俳優だが(もちろん知っているよな!)デビッド・マッカラムは映画だと『大脱走』(1963)ぐらいしか思いつかない。ちなみデビッド・マッカラムはジル・アイアランドと結婚しており、ジル・アイアランドがその『大脱走』の撮影に付き添った際に共演者であるチャールズ・ブロンソンと出会い、いわば寝取られてしまった形で離婚になった。それでも二人のことを悪く言わなかったそうだからなかなかナイスガイだ。1960年代に『ナポレオン・ソロ』が放映されていた時には美青年ということで日本でも女性から大人気だったそうだ。
1990年代前半に熱中し『窯変 源氏物語』シリーズなども読んだ物だが、1990年代半ばには読まなくなってしまった。

そして約10年が過ぎた。最近、また橋本治の著作を読むようになった。雑誌『広告批評』に連載されていた文章をまとめた『ああでもなく こうでもなく』シリーズだ。赤・青・黄となにやら交通信号のような装丁だ。10年という歳月は作者にも読者であるわたしに変化をもたらしていたり、あるいは変わってなかったりだ。
まだ一冊目を読み始めたところで、この年末年始に読む予定である。

2004年12月29日

洗車と映画

洗車の予定だったのだが雨で中止。洗車といっても手洗いではなくセルフガソリンスタンドに設置されたドライブスルー方式のやつだけど。前に洗車したのはいつだったかなぁ?半年ぐらい前?いい加減な扱いですまんのお我が愛車よ。

ドライブスルー方式の洗車といってもアメリカ映画『リプレイスメント・キラー』(1998)に登場するような車を極低速で走らせてブラシやらバキュームの間を通過させて洗うタイプではなく、指定されたところで停車させると洗車機が前後に動いて洗ってくれるタイプ。アメリカタイプのは場所を取るのでたしかに日本向きじゃない。
他には『チアーズ』(2000)でキルステン・ダンストらチアリーディング部の部員達がお金を稼ぐためにバイトでやってた洗車サービス。水着など半裸に近い格好で胸をフロントガラスに押しつけたりしながら手で丁寧に洗う。中に乗っている人はそれを見てイシシシっていう、これもまたいかにもアメリカン。この半裸美女による洗車サービスは他の映画でもたまに見るが本当にあるんだろうか。あるんだろうな。うーん、アメリカン。
『007 美しき獲物たち』(1985)ではロールスロイスを自動洗車機にかけるシーンがある。いいのかよその手の車が洗車機で。どうみてもナイロンブラシタイプだから表面に細かい傷がついてもしらないぞ。ロールスロイスなんかは手で洗わせろよ。

『カー・ウォッシュ』(1976)という洗車場の一日を描いたまんまな作品もある。
いい加減な従業員が働く洗車場にやってくるのは奇妙でおかしな客ばかり。どっか歪んだどっかおかしい現代劇+コメディ映画で、傑作とまではいかないが結構面白い。監督は後に『ラスト・ドラゴン』を撮るマイケル・シュルツ。1976年という時代の空気と黒人文化が存分に含まれているので、そこら辺を頭に入れた上で観ないとちょっと楽しみどころがつかみづらいかもしれない。

多分今年だが、洗車場に勤める黒人が主人公の映画がwowowで放映された。録画して観たがかなりつまらなかったのですぐ消去してしまってタイトルも憶えていない。洗車係というのはかなり社会の底辺的な仕事として描かれていた。『カー・ウォッシュ』でもそうだったんで実際そんな感じなんだろう。

ちなみに日本映画で洗車のシーンっていうのは記憶にない。

2004年12月31日

『アリゲーター』 しっ、白いワニが来る!(江口寿史)。白くないけどワニは来る。

『アリゲーター』
(1980) ALLIGATOR 91分 2004/12/31レンタルDVDにて鑑賞

監督:ルイス・ティーグ 製作:ブランドン・チェイス 脚本:ジョン・セイルズ 撮影:ジョセフ・マンジーン 音楽:クレイグ・ハンドリー
出演:ロバート・フォスター、ロビン・ライカー、ディーン・ジャガー、ヘンリー・シルヴァ、マイケル・ガッツォ

ペットとして飼われていた子ワニが大きくなりすぎたため水洗トイレに流される。だがそのワニは死なずにゴミやネズミなどを食べ下水の中で育って大きくなり、時折下水道を管理する役所の職員が襲われる。そのワニはずっと日の光を浴びずにそだったので真っ白だそうな。
アメリカにはそんな都市伝説があるが、まさにそれを映像化したのがこの『アリゲーター』だ。ただし特撮の都合上か色は白くない。
ただ下水にいただけではなくて、薬品会社が不法投棄した実験動物を餌にしたため成長ホルモン過多で通常の倍ほどの大きさにもなったアリゲーター。このアリゲーターが地上に姿を現しノッシノッシと這いずり回るシーンは、縮尺を小さくして作ったセットの中に本物のワニを入れて撮影した物。この微妙なミニチュアセットがなかなか効果的に使われていて巨大ワニのスケール感が出ている。
ワニの頭だけや尻尾だけラージスケールメカニカル(実物大駆動モデル)も上手に活用されていてワニの迫力が出ている。パーティー会場襲撃のシーンでは全身像のラージスケールメカニカルが登場するが、テーブルや植え込みの陰を巧妙に使ってその姿をはっきりとは見せないようにしている。もちろんこれは全体像を長々と映してしまっては作る物であるところが観客にあまりにもばれてしまうのを防ぐためで、低予算の中でいかに特撮を生かすかということを制作陣が分かっている証拠だろう。
それにしても、ああいう大きな動物に生きたまま食われるってのは嫌な死に方だ。
登場するなりペット屋の主人に「あんた苦労してるんじゃない?頭が薄いよ」と言われる主人公の刑事。大きなお世話だほっとけよ、というかどんな登場の仕方だ。確かにちょっと頭が薄くて冴えない風采の主人公。でもそれがかえって味になってる気もする。
ワニ退治の専門家を演ずるのが怪優ヘンリーシルヴァだ。相変わらず無駄にこめかみをひくつかせている。腕は立つのだが、常識では考えられない怪物的なワニの前ではあまり役に立たないのはこういった動物パニック映画の定石だ。だが、ヘンリーシルヴァなら素手でもワニをコロンビアネクタイに仕上げてしまいそうだが。
ワニがマンホールを突き破って登場するシーンや、通りに並ぶマンホールの列からボンッボンッと爆発炎が吹き上げるラストの退治方法は好きなシーンだ。
そしてパニック物・ホラー映画にありがちなエンディングがうれしい。
脚本のジョン・セイルズは『ピラニア』(1978)や『ハウリング』(1981)なども手がけた、後に『ブラザー・フロム・アナザー・プラネット』(1984)などで作家性を持つ監督としても活躍するようになる。最近の作品だと『サンシャイン・ステイト』(2002)なんか面白かった。
うーむ、やっぱり大晦日の夜は『アリゲーター』に限る。2005年の大晦日は『アリゲーター2』を観よう・・・って先の話しすぎる上に『2』はすさまじい駄作だが。