日・月曜と遠出をした。だが、今回はその旅行譚ではなく、行った先で叔父がテレビをいたためで仕方なく見てしまったNHK大河ドラマ『新撰組!』についてである。タイトルでは「物が言えん」となっているが言う、言わせてもらう。
普段からほとんどテレビは見ず、特にテレビドラマは嫌いだ。「それはあなたが映画ファンだからテレビドラマを見下しているんでしょう」と言う方もいるかもしれないがそれは違う。わたしが映画を趣味としてちゃんと観始めたのは高校も後半に入ってからで、テレビドラマはそれ以前の中学の時点ですでにつまらないし嫌いだった。それには『3年B組金八先生』が大きな原因なのだがそれはまたいずれ書く。
わたしが食事を終えて居間へと移った時にはすでに『新撰組!』は始まっていた。さすがに客の分際ではチャンネル権がないので、まぁたまにはいいかと見ることにした。ちなみに『新撰組!』を見るのはこれが初めてで、歴史には興味がないので新撰組についての知識もほとんどない。
なにやら新撰組の羽織を着た親父が若者に語っている。
「わしはまさか自分がこんな風に戦をすることになるとは思ってもいなかったよ。江戸の侍として平凡な一生を終えると思っていたのに、それがまさか新撰組六番組隊長になるとはな」
折しも薩長軍が迫っており、そんな状況でそんないかにもなセリフを吐いては「その後で死ぬぞ」と言ってるようなものである。で、案の定そのすぐ後にこの親父(NHKのサイトで調べたところ“井上源三郎”なる人物だった)は死んでしまう。だが、さすがに最近ではやる人が少なくなったものの“戦争映画の法則”で「戦争から帰ったら○○をやるんだ」といった兵隊はほぼ間違いなく死ぬというのがあるのでとりあえずは許そう。11月14日放送の第45回のタイトルが『原さん、死す』だというのを今知って「タイトルでネタバレしてどうすんだよ。少しは考えて付けろよ」とも思うが、それよりも問題はその死に方だ。
薩長軍の鉄砲隊が一斉射撃をしてくる。新撰組は「いったんあそこの祠まで下がろう」と退却するのだが、そのうちの一人が逃げ遅れ木の陰に隠れたまま取り残されてしまう。源三郎はその若者を救うために鉄砲隊の前に立ちはだかる。発射される銃、途端画面がスローモーションになる。軌跡を残しながら横をかすめていく数発の銃弾。そしてそのうちの一発は構えた刀がはじき返し火花が散る。
・・・『マトリックス』かよ・・・
そりゃあまぁ『マトリックス』(1999)の後にはあのブレットタイムやブレットタイムもどきが流行って真似した作品がいくつも出た。しかし、とっくに流行は終わってこの1、2年はすでに恥ずかしい映像ってことになっている。それに、『マトリックス』シリーズやウェズリー・スナイプスの『ブレイド』シリーズのようなアクション主体の作品ならともかく、史実に基づいた『新撰組!』では浮きまくっているとしか見えなかった。ひょっとしてこれまでの44話の中でもこの手の映像が何度も登場していたのだろうか?アホですか、君ら。
振り返って若者に逃げろと告げた源三郎を再び鉄砲隊の銃弾が至近距離から襲う。肩の辺りから腰の辺りまでの背中に少なくとも5、6発が命中する。どう考えても即死だ。だが、源三郎は祠に戻った後、仲間に囲まれた中で「近藤局長がどうのこうのああだこうだうんぬんかんぬん」と延々語った後にようやくと息を引き取る。
・・・だから、普通即死だろ・・・
21世紀にもなって“死ぬ間際に延々と語ってようやく息を引き取る奴”なんてのを見る羽目になるとは思わなかった。遅くとも10年前には絶滅したシーンだろうに。腹を撃たれてのシーンならまだ許さなくもない。あれはショック死しなければ割と息が持つそうだから語ることもできるだろう。ただ、散々苦しんで死ぬそうなので「痛てーよー!」と叫んだりするので精一杯な気がする。
「もうこれでもかこれでもか、お前ら感動しろ泣け涙しろ」という演出にはほとほとうんざりした。
源三郎が死んだのを見取って新撰組の一人が「うわー」と飛び出すと目の前には薩長軍がいて何人か斬り殺された挙げ句に逃げ出してしまう。
すぐそこまで追いつめ、しかも新撰組は全員源三郎の周りに集まっていたのでまったくの無防備状態だったというのに、その源三郎が死ぬまで素直に待っていてやる薩長軍はなかなか良い奴らだ。
・・・っつーか、飛び出してきた奴に向かって撃てよ。弾切れだったとしても再装填の時間はそれこそ延々あっただろ・・・
こうして疲れ切ったわたしに、さらにとどめを刺そうと“近藤勇の元へ源三郎の幽霊が現れる”というクズシーンが襲いかかる。
近藤勇がふと机から目を上げると妙に青っぽいスポットで照らされた源三郎が板の間に控えていて、これまた延々と語り合った挙げ句に泣き出して「こら原さん、幽霊のくせに泣く奴があるか」と近藤勇に怒られ、最後には特撮ですーっと透けて消え去っていく。
・・・だから、これは史実に基づいた作品なんじゃないのか。それにそのまんまな幽霊を出してくるなんて・・・
江戸末期の話とはいえあまりに古典的な幽霊パンチがテンプルに決まる。
例えば『ゴースト ニューヨークの幻』(1990)で夜道を歩く恋人二人が拳銃を持った悪党に襲われ、パトリック・スウェイジと悪党がもみ合いになりパーンと発砲音が響く。パトリック・スウェイジは逃げ去っていく悪党を追いかけるが途中であきらめて戻ってくる。するとそこには、血まみれの自分が倒れておりそれを抱きかかえたデミ・ムーアが助けを求め叫んでいる。「ああ自分はもう死んでいるのか」と気づき愕然とするというの名幽霊登場シーンがある。あれが、撃ち殺された身体からすーっと半透明なパトリック・スウェイジが抜け出てくるだったら映画自体の印象が全然変わっていたのではないだろうか。
せめて姿を透けたり変な青いスポットライトを当てたりせずに、普通にそのまま撮って「幽霊のくせに」などという頭の悪いセリフは削って、最後のカットで近藤勇から切り返したら誰もいない板の間があるぐらいにしてくれ。これならば見る人によって“幽霊”だとも“近藤勇が見た幻覚”だとも取れる。
脚本も演出もあまりにもクソだった。説明が、それもセリフによる説明があまりにも過剰すぎ。見る人が想像力を働かせてみる余地が無くてはつまらない。視聴者に鑑賞する力が無いとでも思っているのだろうか。
NHKの大河ドラマというのはテレビドラマとしては良質な方なのだろうかと思っていたがこの程度か。それとも民放のテレビドラマの方がましなのだろうか。だが、確かめてみる気はないので謎のままにしておこう。
テレビよりも映画や本の方がずっと面白い。NHKにしろ民放にしろ次にテレビドラマを見るのは遠い先の話になりそうだ。
コメント (3)
世間の評価は逆なんですが、私はこの作品を
担当した三谷幸喜の才能を疑っております。
というのは、この人の作品は「軽薄、ワンパターン、偽善的」の三拍子揃っている上に、舞台
出身のせいか、せりふばかりでものをすすめていて、話方とか、どもりとか癖とかいうしゃべらない演技を理解していないんですよね。
そういう役者の魅力を引き出さない本ばかり書いていて、よく役者からクレームがこないものだと思ってます。
Posted by: ネスカフェ | 2005年09月30日 21:30
日時: : 2005年09月30日 21:30
あたなはアホだ。
Posted by: 調子恋店の香 | 2007年03月14日 14:05
日時: : 2007年03月14日 14:05
ネスカフェさん
舞台には興味がまったく興味がないんですが、舞台芝居脚本家としての三谷幸喜には才能があるのかもしれません。
でも映画には関わって欲しくない、というか関わるなですね。
『有頂天ホテル』までの前作は観ましたが、「あー演劇の人だなぁ。映画を分かってないなぁ」というのが感想です。
そういえば学生時代に『12人の優しい日本人』という映画を観て「つまんねーねー」というのが感想だったんですが、今にして思えば三谷幸喜脚本作。わたしとは根っから合わないんでしょう。
調子恋店の香さん
何がどうアホなのかさっぱりわからない書き込みですので、スパムコメントとして無視させていただきます。
Posted by: 東森時音 | 2007年03月14日 18:39
日時: : 2007年03月14日 18:39