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2004年11月 アーカイブ

2004年11月01日

『きまぐれロボット』 星新一と黄緑色の背表紙

星新一のショートショート『きまぐれロボット』が全10話で短編アニメになり、yahoo!JAPANで無料配信されるそうだ。
思えば中学一年生の時、学級文庫にあった『ようこそ地球さん』を放課時間に何の気はなしに手にとって読み始めたらこれがもう止まらない。授業が始まったが文庫本を教科書に挟んでそのまま読み続け、先生にばれて頭を平手で一発パコーンと叩かれた。
後になって「いや平手ではなく拳骨だった」とか「一発ではなく何発もだった」とか先生が泣きながら記者会見を開いたりするわけだが、こんな時事ネタは2週間もすれば寂れてしまうのだろう。
だから基本的に時事ネタは扱わないのだが、それはそれとして、今でもそうだが「本は図書館で借りるよりも買って手元に置いて読む」主義だったので中学生の乏しいお小遣いはどんどん星新一の本に変わっていった。電車で名古屋まで出かけて古本屋巡りをして何冊も買い込んだ。新刊との差額を考えると安くはない名鉄の電車賃を出しても十分元が取れたのだ。特に、星新一の本は比較的古本として出回る率が高いようで、めぼしい本は揃えることができた。
新潮文庫の例の黄緑色の背表紙がずらりと並び、それに講談社文庫の黄色い背表紙が混ざっていたりした。中学時代に星新一の著作と出会わなければその後の読書量はもっと少ない人生になっていたことだろう。感謝である。

『きまぐれロボット』はおそらく読んでいると思うのだが、「ロボット研究者の「博士」と「助手」を中心におこるさまざまな出来事を描いた作品」という説明を読んでもさっぱり思い出せない。星新一にしては珍しい連作のようだ。発行が角川書店というのも星新一としては珍しい。

わたしは1992~1994年にかけて東京都品川区の大崎に住んでいた。その四畳半風呂なしトイレ共同のアパートから歩いて10分ほどのところに日本一長い商店街“戸越銀座”がある、星新一氏はその近くに住居を構えていたそうだ。星氏が父・星一から受け継ぎ倒産処理を行った星製薬の跡地は現在TOC(東京卸売りセンター)となってこれまた徒歩10分ほどの距離だし、星製薬の社内教育部が原点の星薬科大学は戸越銀座の近く。星氏とは縁の深い土地なのであろう。
休みの日などには戸越銀座へと買い物に出かけていたので、ひょっとしたら一度ぐらい氏とすれ違っていたのかも知れない。あの白髪の紳士がそうだったのかも、などと思うとなにやら感慨深い。

アニメでは博士役をお笑い芸人コンビ・インパルスの板倉俊之と、助手をグラビアアイドルのMEGUMIがそれぞれ担当するそうである。
うーむ、誰?MEGUMIという名はまだ聞いた記憶があるが、インパルスって何?何っていやお笑いコンビなんだろうが知らん。有名なのか?ほんと、芸能界にはうとい。まぁ、それでなにが困るわけでもないし別にいいのだが。

2004年11月02日

『ハリー奪還』 誰も助けてくれないなら俺が助けに行くぜ

『ハリー奪還』(1986) LET'S GET HARRY 105分
監督:アラン・スミシーことスチュアート・ローゼンバーグ 製作:ダニエル・H・ブラット、ロバート・シンガー 原案:マーク・フェルドバーグ、サミュエル・フラー 脚本:チャールズ・ロバート・カーナー 撮影:ジェームズ・A・コントナー 音楽:ブラッド・フィーデル
出演:ゲイリー・ビューシイ、ロバート・デュヴァル、マイケル・シューフリング、ブルース・グレイ、マーク・ハーモン

ダムを建設するため南米コロンビアに派遣されていたアメリカ人建築技師ハリーが、完成式典のために訪れたアメリカ大使と共にコロンビアの麻薬テロリストに襲われる。大使には警備としてボディガードが数名同行していたがアサルトライフルなどで重武装した多数のテロリストに撃ち殺され、大使とそれのまきぞえでハリーも誘拐されてしまう。
テロリストの要求は人質とアメリカの刑務所に収容されている麻薬犯罪者との交換で、10日以内にそれが行われない場合人質を殺すと脅してくる。だが、テロリストとは一切交渉しないという暗黙的な国際ルールに従ってアメリカは犯罪者の釈放を拒む。しかし独立国家であるコロンビアに米国軍を派遣して救出活動を行うわけにもいかず、人質の運命はコロンビア政府とコロンビア警察にかかってくるのだが、腐敗したコロンビア政府はとてもあてに出来る状況ではなく、人質はすでに見捨てられたに同然だった。
そこで、政府に頼っても無駄だと考えたハリーの弟と友達たち4人は自分たちがコロンビアに乗り込んでハリーを救出することを決意する。
製鉄会社のパイプ工場の作業員である彼らに特殊任務ができるはずもないので元軍人のプロを募集する。広告を見て集まったのはほとんどが異常者か酔っぱらいだったのだが、その中に一人強面のする腕利きでさらに裏社会にも通じている元軍人(ロバート・デュヴァル)が現れる。名誉勲章を受けたこともある元軍人と、スポンサーとして資金を提供したハンティング好きの中古車ディーラーを交えた6人は空路でコロンビアへ向かった。果たして彼らはハリーを奪還(Let's get HARRY)することが出来るのだろうか。

ある事件でこの映画のことを思い出してしまった。だからといって、この時期にこの映画を取り上げることについてはなんら政治的意図はない。別にあると思ってもらってもそれはそれでかまわないが、わたしの政治的スタンスが『ハリー奪還』で決まってしまうというのはさすがにちょっとあれだ。いくらサミュエル・フラーが関わっているといっても、サミュエル・フラーの原案はどのようなものだったのか知らないのだが、実際の映画との間にどれだけ共通項があるのかは不明だ。とりあえずわたしにはフラーの匂いは感じられなかった。

誰も助けてくれないならば自分たちで助けに行くというシチュエーションは燃えるのだが、なにせ監督がごくまれに面白い映画もあるがほとんど駄作ばかり撮っているアラン・スミシー(*)なので例によって素材を生かし切れていない。弟たちが立ち上がり行動に移すまではまだいいのだが、コロンビアに着いてからはひたすらグダグダになっていって観るべき所は少ない。さらに金がかかっていないことが画面の隅々から感じられ、B級映画というよりむしろC級映画だろう。
そもそも、ただの工員であった主人公たちがこれといった訓練も受けていないのにサブマシンガンを手に持ってテロリストをバリバリと撃ち倒していくのには違和感を感じてしまう。
トニー・ケンリックの小説『バーニーよ銃をとれ』では、南米の某国から亡命してきた元独裁者がスイスの銀行に隠していた大金を、サラリーマン3人組ちょっとした手違いから盗んでしまい、1週間の猶予の間に退役した鬼軍曹の特訓を受けて即席の兵隊になって独裁者の手下である殺し屋集団と戦う羽目になる。まさに原題である『THE SEVEN DAYS SOLDIERS』の名前通りの佳作だ。
『ハリー奪還』の場合も、10日間という猶予があるのだから、まずはアメリカでロバート・デュヴァルから短期間で基礎軍事訓練を受け、それからコロンビアに乗り込んでいくといった方が主人公たちがそれなりに戦えることへの説得力も付くし訓練という見せ場も作れて良かったのではないだろうか。

コロンビア駐在米国大使はまだテロや誘拐に対する心構えもあったろうが、ごく普通の建築技師で一般人のハリーですらテロリストに監禁されているのに「国がなにもしてくれない。俺たちを見捨てたんだ」などとなげくことはない。一度は脱走も試みるが、建物を出てすぐのところで足下を銃で撃たれて脅される。そこでハリーは泣き叫んだか?いや、最後までプライドと希望を捨てずいかにして生き残るかに全力を尽くす。
タイトルロールの割にほとんど出番のないハリーにとって数少ない見せ場である。

*:アラン・スミシーとは監督と制作側とでトラブルが生じ、監督がその作品に自分の名前がクレジットされるのを拒んだ場合に一種の匿名として使われる名前。監督が署名を拒んだ作品なので当然面白いことがほとんどなく、駄作の代名詞でもある。そ
のアラン・スミシーを題材にした『アラン・スミシー・フィルム』(1998)は実にアラン・スミシーの名にふさわしい映画で、シルベスタ・スタローンやジャッキー・チェンなど妙にゲスト出演者が豪華なのが一層痛い。監督のアーサー・ヒラーはクレジットでアラン・スミシーになっているが、これはシャレなのか本当に拒否したのかどちらだろうと迷うぐらいのクソ映画だ。
デニス・ホッパーが監督・主演した『ハートに火をつけて』(1989)も編集権でもめたためアラン・スミシー名義となっており、後年同じ素材を使ってデニス・ホッパーが再編集した『バックトラック』(1995)が作られた。『ハートに火をつけて』も良いじゃないかと思っていたが、なるほど『バックトラック』の方が多少難解になっている部分もあるがより面白い。

2004年11月06日

『フラバー』 真のヒロイン“ウィーボ”

『フラバー』(1997) FLUBBER 95分 1998/03鑑賞

監督:レス・メイフィールド 製作:ジョン・ヒューズ、リカルド・メストレス 脚本:ジョン・ヒューズ、ビル・ウォルシュ 撮影:ディーン・カンディ 音楽:ダニー・エルフマン
出演:ロビン・ウィリアムズ、マーシャ・ゲイ・ハーデン、クリストファー・マクドナルド、レイモンド・J・バリー、クランシー・ブラウン

1961年のディズニー実写映画『うっかり博士の大発明』のほぼ忠実なリメイクである。ものすごい弾力を生み出すゲル状の物質“フラバー”の描写はCGでパワーアップしているが基本的なストーリーはほぼ同じだ。
一つ大きく違うのは主人公フィリップの秘書ロボット“ウィーボ”の存在だろう。直径40センチぐらいの円盤形をしたこのロボットは性格が女性的属性で、実は主人公を密かに恋している。だからスケジュールを尋ねられた時に、彼が恋人との結婚式の予定をすっかり忘れているので、これ幸いとよそ見をしている時を狙ってディスプレイに「本日、午後6時半から結婚式」と表示するのである。ロボット三原則が組み込まれているのかは知らないが、たしかにウィーボはフィリップに嘘はついていない。“たまたま”フィリップが見ていなかっただけだ。
ディスプレイには感情表現として時折映画やカトゥーン(アニメ)の映像が表示される。叫んでいる女性のシーンや騎兵隊の突撃シーンなどで、顔を持たないロボットの感情表現として単にディスプレイに顔の絵や記号などを使うのは面白いアイディアだ。ただ、「有名な映画から引用してるから、それぞれの作品を当ててみろ」といったいかにもさがあるのも事実だ。脚本・製作がジョン・ヒューズだがおそらくこの厭らしさから察するに彼のアイディアではないだろうか。
色々あってフィリップと恋人との結婚は破談になり、フィリップはウィーボに「もういいんだ、僕には君がいるから」と寂しげに告げる。その夜、ウィーボは家を抜け出しフィリップが本心を告白したメモリーと共に恋人の家へと向かう・・・
いやー、もうウィーボには泣る。アメリカの映画や小説などに登場するロボットとはひと味違い、そうこれは非常に手塚治虫的なロボットである。日本人ほどロボットに愛着を持つ民族はいないといわれるが、それは手塚治虫を始めとしたクリエイターたちによって「ロボットにも感情があり、人間の最大のパートナーになれる」という思想が広まっているせいだろう。
もう一台家事担当のロボットもいるが、こちらは人間の言葉を話すことができず、ピーガー言うだけで出番も少なく活躍もしない。ウィーボがアトムないしロビタだとしたらこちらはR2-D2的存在か。

靴の裏に塗れば何メートルもジャンプが可能で、なんとガンマ線を当てることで(そんなもんほいほい当てるなとも思うが)車を空に飛ばすこともできる世紀の大発明“フラバー”。
しかしその発明前からウィーバーは音も立てずに宙を飛んで移動しているのだが、あの飛行方法やエネルギーは何なんだろうか。勝手に踊ったり暴れ回ったするフラバーよりもウィーバーの方がずっとすごい大発明だろう。

2004年11月07日

『エノケンの孫悟空』 DVDソフトが出ないのはディズニーのせいだろうか

『エノケンの孫悟空』(1940) 140分

監督・脚本:山本嘉次郎 製作:滝村和男 原作:山形雄策 撮影:三村明 編集:岩下広一 音楽:鈴木静一、栗原重一 特殊技術撮影:円谷英二、奥野四郎
出演:榎本健一、岸井明、金井俊夫、柳田貞一、北村武夫、清川虹子、高峰秀子、中村メイ子、徳川夢声、李香蘭

日本が太平洋戦争前年である昭和15年(1940年)に製作された作品である。面白いと噂には聞いていた作品だが、なかなか観る機会を得られず、NHKBS2で先日放送されたのでやっと観ることができた。なるほど、歌あり踊りありで実に楽しい。
対象は子供向けで、『西遊記』をベースにはしているものの主要登場人物と天竺を目指すという目的以外はかなりアレンジが加えてある。すでに大陸では日中戦争が始まっている時勢もあってか孫悟空が乗るのは筋斗雲ではなく如意棒を「イー、リャン、サンッ」のかけ声で変化させた戦闘機になっている。ラスト近くには敵の戦闘機とのドッグファイトまで用意されている。
他にもSF的要素が満載で、はぐれてしまった猪八戒を捜すために三蔵法師が手鏡にえいっと念を送るとそこに捕らえられ縛られた猪八戒の姿が映し出され、孫悟空が「こりゃあ大した術ですね」と感心すると、沙悟浄は「兄貴、遅れてるなぁ。これはよぉテレビジョンっていうんだぜ」とからかう。1939年にNHKがテレビの実験放送公開を始めたそうだから、最先端のネタを盛り込んだようである。映画を観た子供のほとんどが実際のテレビを見たことはなかっただろうから、遠くの出来事をリアルタイムで見ることのできる“テレビジョン”というのは未来的に映ったことだろう。
後半の、スズメが化けた妖怪たちのお城には40インチクラスのモニターまで設置されており、城内の映像が映し出され監視に使われていた。もちろん当時そんなサイズのブラウン管があろうはずもなく、単なる合成なのだがその特撮を担当したのが後に日本特撮の大家となる円谷英二だけあって様々なアイディアが見て取れる。

エノケンこと榎本健一は歌劇出身のボードビリアンで、映画出演も多いが本来の活躍の場は舞台だった。自ら主催するエノケン一座での歌と踊りをふんだんに盛り込んだレビューで有名だった。
『エノケンの孫悟空』でもちょいとしわがれた感じの得意ののどを鳴らし、他の出演者も歌って踊る。セットや衣装も豪華で面白い。それと同時にこういった面白さはやはり過去の物だよなとも思う。いまだにこういった具合のをやっているのは『ムトゥ 踊るマハラジャ』(1995)のインド映画ぐらいではないだろうか。
歌われる歌には、『星に願いを』(ピノキオ)、『ハイホーハイホー 七人の小人の歌』(白雪姫)、『狼なんかこわくない』(三匹のこぶた)などディズニー映画の替え歌が何曲か登場する。『エノケン孫悟空』がこれまでDVDはおろかLDでもビデオでも出ていないようなのはこのせいだろうか。なんってったって著作権にはうるさいディズニーだ。当時は敵対国ということで著作権も何も関係なかったんだろう。1940年まだ真珠湾攻撃の一年前で敵性語の排斥などが行われておらず、ハリウッド映画も一般的に観られていたということでもあるだろう。
この作品は1940年に作られた過去のモノクロコメディー作品というスタンスで観て楽しめたが、劇中に替え歌が出てくるようにディズニーの『白雪姫』(1937)や『ピノキオ』(1940)は同時代の作品である。それを考えるとその国力の差が実感でき、そりゃ太平洋戦争は勝てなかったはずだ。
戦争中に国揚映画を撮るためにシンガポールに行った小津安二郎が当地で『風と共に去りぬ』(1939)を観て、そこに投入された物資や人の数そして膨大であろう予算から「この戦争は勝てないな」と感じたという話がある。もちろんこれは映画として『風と共に去りぬ』が優れているといった話ではないのだが。

作中には中国でロケしたと思われる広大な平原や巨大な断崖などが登場する。
そういえば、後に堺正章(孫悟空)・夏目雅子(三蔵法師)で1978~1979年にテレビドラマ化された『西遊記』でも日中国交回後ということで特別に許可されての中国ロケシーンがあった。
この二つの中国ロケの性質の差は時代の差でもある。

2004年11月09日

『ドラムライン』 単なるスポ根吹奏楽部

『ドラムライン』(2002) DRUMLINE 119分 2004/11/8レンタルDVDにて鑑賞

監督:チャールズ・ストーン三世 製作:ティモシー・M・バーン、ウェンディ・フィネルマン、ジョディ・ガーソン 製作総指揮:ダラス・オースティン、グレッグ・ムーラディアン 原案:ショーン・シェップス 脚本:ティナ・ゴードン・キスム、ショーン・シェップス 撮影:シェーン・ハールバット 音楽:ジョン・パウエル
出演:ニック・キャノン、ゾーイ・サルダナ、オーランド・ジョーンズ、レナード・ロバーツ、GQ、、ジェイソン・ウィーヴァー、 アール・C・ポインター

アメリカン・フットボールの試合などで演奏をするマーチングバンド(吹奏楽団)。ハーフタイム中にグラウンドに出て演奏する見所はあっても、しょせんフットボールの観客にとって彼らは脇役に過ぎない。そんな彼らを主役にした着目点は面白い。
だが、ストーリー自体はいったってありきたりで「努力・友情・勝利」と一昔前のジャンプ三拍子が揃ったスポ根物にすぎない。観客をまったく興奮させることなく平凡に話は進み予定調和のラストを迎える。題材に期待したのだが中身は古くからある映画のままで正直つまらない。せっかく普段の映画では目立たないマーチングバンドを主役にしたのだから、体育会的な盛り上げ方以外に方法はなかったのだろうか。
名門マーチングバンド部に入部したとたん、早朝に叩き起こされグラウンドに整列させられるなどのシゴキが始まり、「おや、これは軍隊物だったか」と確認してしまったほどだ。他にも罰則としての腕立て伏せ30回、ドラムを抱えての階段の上り下りランニングなど運動部さながらの猛特訓。わたしだったらこんなのにはとてもついていけない。根性なしには定評があるのではっきり自信を持って言える。
吹奏楽部に所属していたことはないが、高校生の時にわたしが所属していた放送部は音楽室の隣に部室があったので多少は練習を見聞きしている。その限りでは体育会的なノリではなかったのだが、大学の名門部だとやはり違うのか。
それなりに楽しめなくもないが、やはり体育会的視点に始終していたのが残念。それ以外に燃えるドラマ作りの方法を思いつかなかったのだろうか。なんでこう体育会系の人は日常的に無駄に熱いのだろうか。普段はのほほんでいざという時に熱くなればいいのではないか。いや、それもありきたりなので、いざという時ものほほんとしたまま解決してしまう非体育会系スタイルの映画も観てみたい。
例えば、これまたつまらない映画だったがVHSビデオ開発についての映画『陽はまた昇る』(2002)というのがある。繰り返しになるが思いっきりつまらないクソ映画であるこの作品は、技術者が主人公でVHSビデオという規格・機械を作り出すのがストーリーの主題であるというのに従来からあるアクション映画の文法で撮られている。そこになんら工夫が見られない点がクソがクソたる所以だ。
文化系的スポ根、文系的アクションの存在と意義についていずれちゃんと考えてみたい。

2004年11月10日

FANTASTIC!BOX 80年代が好きなのだ

FANTASTIC!BOXというDVDボックスを見つけたのだが、これがとてもそそられるラインナップで物欲が刺激される。
なんといっても藤岡弘が現代アメリカに蘇った侍を演ずる『SF/ソードキル』がうれしい。藤岡弘の「どこじゃここは。なんじゃこれは」と久々に聞いてみたい。「トシロー・ミフネ」も楽しみだ。
他には『プリズン』『ハードカバー/黒衣の使者』『ダーク・エンジェル』『ウォンテッド』などなど。『ソードキル』は日本未公開でビデオ発売のみだったが、『プリズン』~『ウォンテッド』は劇場で観ている。どれもいわゆるB級映画で面白さ爆発な作品ばかりだ。もう一度観直してみたいが1作品4000円台はちょっと高い。あまり数が売れる物ではないからこの価格でもしょうがないのだろうが、これが2000円ぐらいだったら迷わず買ってしまうのに。レンタル品として出てくるのも期待できないだろうし残念だ。古くからある大型ビデオレンタル屋だと、まだビデオ版が残っている可能性は大きいのでビデオで思い出した記念に観るか。たしか近くのビデオ屋で『ダーク・エンジェル』(米国TVドラマではなくドルフ・ラングレン主演SF)や『プリズン』は見かけたことがある。
静かなサスペンスとして進んで、ラストでいきなりモデルアニメーションの怪物が登場する(これがまた良い出来なんだ)『ハードカバー/黒衣の使者』も再観したいが、あれは見かけなかったが、なにぶんその店はジャンル分けが非常にいい加減なのでサスペンス、ホラー、SF、アクションのどこにあるかで探すのにまず苦労する。コメディの棚にあってもあの店の場合驚かない。
わたしとしてはC級映画の『ドールズ』や『ナイト・オブ・ザ・コメット』は興味がないので、BOXのみでなく単品のしかも廉価版を発売してくれないだろうか。たしかに、出してくれるだけでもありがたくはあるのだが・・・うーん、『ダーク・エンジェル』だけでも買おうかなぁ。あれは悪役宇宙人もぶっ飛んでてスペースガン(キャリコピストルベースのプロップガン)の100連発&着弾点大爆発もイカすしなぁ。4,500円かぁ・・・
それを言い出すと、悪役ジーン・シモンズの死に方も楽しい『ウォンテッド』も欲しいしなぁ・・・
レニー・ハーリンのハリウッドデビュー作である『プリズン』は・・・買うまではないな。レンタルビデオになったからあれで十分。このころからすでに難しいことは考えないあるいは考えられない監督だったよなぁ。

80年代後半から90年代初頭は、わたしが一番映画に熱中しており映画館に足繁く通っていた時代だ。やはりその時期に観た映画が一番記憶に残っているし好きな作品の占める率も高い。
60年代からの“ニューシネマ”からようやく抜けだし、一転して娯楽映画へのシフトが進んで理屈抜きで面白い映画が主流になったが80年代後半であると思う。だがその“理屈抜き”は観客にとっての“理屈抜き”であって、制作者側は面白がらせるために知恵の限りを尽くしていた。『ダイハード』(1988)などまさにそうだろう。
最近の映画に作り手の知恵があまり感じられないのはわたしも年を取ったということだろうか。

2004年11月15日

NHK大河ドラマ『新撰組!』第45回 あきれて物が言えん

日・月曜と遠出をした。だが、今回はその旅行譚ではなく、行った先で叔父がテレビをいたためで仕方なく見てしまったNHK大河ドラマ『新撰組!』についてである。タイトルでは「物が言えん」となっているが言う、言わせてもらう。
普段からほとんどテレビは見ず、特にテレビドラマは嫌いだ。「それはあなたが映画ファンだからテレビドラマを見下しているんでしょう」と言う方もいるかもしれないがそれは違う。わたしが映画を趣味としてちゃんと観始めたのは高校も後半に入ってからで、テレビドラマはそれ以前の中学の時点ですでにつまらないし嫌いだった。それには『3年B組金八先生』が大きな原因なのだがそれはまたいずれ書く。
わたしが食事を終えて居間へと移った時にはすでに『新撰組!』は始まっていた。さすがに客の分際ではチャンネル権がないので、まぁたまにはいいかと見ることにした。ちなみに『新撰組!』を見るのはこれが初めてで、歴史には興味がないので新撰組についての知識もほとんどない。
なにやら新撰組の羽織を着た親父が若者に語っている。
「わしはまさか自分がこんな風に戦をすることになるとは思ってもいなかったよ。江戸の侍として平凡な一生を終えると思っていたのに、それがまさか新撰組六番組隊長になるとはな」
折しも薩長軍が迫っており、そんな状況でそんないかにもなセリフを吐いては「その後で死ぬぞ」と言ってるようなものである。で、案の定そのすぐ後にこの親父(NHKのサイトで調べたところ“井上源三郎”なる人物だった)は死んでしまう。だが、さすがに最近ではやる人が少なくなったものの“戦争映画の法則”で「戦争から帰ったら○○をやるんだ」といった兵隊はほぼ間違いなく死ぬというのがあるのでとりあえずは許そう。11月14日放送の第45回のタイトルが『原さん、死す』だというのを今知って「タイトルでネタバレしてどうすんだよ。少しは考えて付けろよ」とも思うが、それよりも問題はその死に方だ。
薩長軍の鉄砲隊が一斉射撃をしてくる。新撰組は「いったんあそこの祠まで下がろう」と退却するのだが、そのうちの一人が逃げ遅れ木の陰に隠れたまま取り残されてしまう。源三郎はその若者を救うために鉄砲隊の前に立ちはだかる。発射される銃、途端画面がスローモーションになる。軌跡を残しながら横をかすめていく数発の銃弾。そしてそのうちの一発は構えた刀がはじき返し火花が散る。

・・・『マトリックス』かよ・・・

そりゃあまぁ『マトリックス』(1999)の後にはあのブレットタイムやブレットタイムもどきが流行って真似した作品がいくつも出た。しかし、とっくに流行は終わってこの1、2年はすでに恥ずかしい映像ってことになっている。それに、『マトリックス』シリーズやウェズリー・スナイプスの『ブレイド』シリーズのようなアクション主体の作品ならともかく、史実に基づいた『新撰組!』では浮きまくっているとしか見えなかった。ひょっとしてこれまでの44話の中でもこの手の映像が何度も登場していたのだろうか?アホですか、君ら。
振り返って若者に逃げろと告げた源三郎を再び鉄砲隊の銃弾が至近距離から襲う。肩の辺りから腰の辺りまでの背中に少なくとも5、6発が命中する。どう考えても即死だ。だが、源三郎は祠に戻った後、仲間に囲まれた中で「近藤局長がどうのこうのああだこうだうんぬんかんぬん」と延々語った後にようやくと息を引き取る。

・・・だから、普通即死だろ・・・

21世紀にもなって“死ぬ間際に延々と語ってようやく息を引き取る奴”なんてのを見る羽目になるとは思わなかった。遅くとも10年前には絶滅したシーンだろうに。腹を撃たれてのシーンならまだ許さなくもない。あれはショック死しなければ割と息が持つそうだから語ることもできるだろう。ただ、散々苦しんで死ぬそうなので「痛てーよー!」と叫んだりするので精一杯な気がする。
「もうこれでもかこれでもか、お前ら感動しろ泣け涙しろ」という演出にはほとほとうんざりした。
源三郎が死んだのを見取って新撰組の一人が「うわー」と飛び出すと目の前には薩長軍がいて何人か斬り殺された挙げ句に逃げ出してしまう。
すぐそこまで追いつめ、しかも新撰組は全員源三郎の周りに集まっていたのでまったくの無防備状態だったというのに、その源三郎が死ぬまで素直に待っていてやる薩長軍はなかなか良い奴らだ。

・・・っつーか、飛び出してきた奴に向かって撃てよ。弾切れだったとしても再装填の時間はそれこそ延々あっただろ・・・

こうして疲れ切ったわたしに、さらにとどめを刺そうと“近藤勇の元へ源三郎の幽霊が現れる”というクズシーンが襲いかかる。
近藤勇がふと机から目を上げると妙に青っぽいスポットで照らされた源三郎が板の間に控えていて、これまた延々と語り合った挙げ句に泣き出して「こら原さん、幽霊のくせに泣く奴があるか」と近藤勇に怒られ、最後には特撮ですーっと透けて消え去っていく。

・・・だから、これは史実に基づいた作品なんじゃないのか。それにそのまんまな幽霊を出してくるなんて・・・

江戸末期の話とはいえあまりに古典的な幽霊パンチがテンプルに決まる。
例えば『ゴースト ニューヨークの幻』(1990)で夜道を歩く恋人二人が拳銃を持った悪党に襲われ、パトリック・スウェイジと悪党がもみ合いになりパーンと発砲音が響く。パトリック・スウェイジは逃げ去っていく悪党を追いかけるが途中であきらめて戻ってくる。するとそこには、血まみれの自分が倒れておりそれを抱きかかえたデミ・ムーアが助けを求め叫んでいる。「ああ自分はもう死んでいるのか」と気づき愕然とするというの名幽霊登場シーンがある。あれが、撃ち殺された身体からすーっと半透明なパトリック・スウェイジが抜け出てくるだったら映画自体の印象が全然変わっていたのではないだろうか。
せめて姿を透けたり変な青いスポットライトを当てたりせずに、普通にそのまま撮って「幽霊のくせに」などという頭の悪いセリフは削って、最後のカットで近藤勇から切り返したら誰もいない板の間があるぐらいにしてくれ。これならば見る人によって“幽霊”だとも“近藤勇が見た幻覚”だとも取れる。

脚本も演出もあまりにもクソだった。説明が、それもセリフによる説明があまりにも過剰すぎ。見る人が想像力を働かせてみる余地が無くてはつまらない。視聴者に鑑賞する力が無いとでも思っているのだろうか。
NHKの大河ドラマというのはテレビドラマとしては良質な方なのだろうかと思っていたがこの程度か。それとも民放のテレビドラマの方がましなのだろうか。だが、確かめてみる気はないので謎のままにしておこう。
テレビよりも映画や本の方がずっと面白い。NHKにしろ民放にしろ次にテレビドラマを見るのは遠い先の話になりそうだ。

2004年11月16日

3年B組クズ先生と卒業式前の暴力 - わたしがテレビドラマを嫌いになったわけ

その当時、学校ではあるテレビドラマが話題になっていた。そもそもアニメや特撮番組以外のテレビはほとんど見ていない少年だったが、そんなに面白いのならば一度見てみるかと夜になってテレビの電源を入れた。
そして『3年B組金八先生』 第二シリーズ第24話「卒業式前の暴力2」が始まった。1981年3月20日のことである。
それまでの23話分を見ていないので話や人間関係がさっぱりわからないがそれは仕方がない。これからのシーンは当時見たきりのわたしの記憶だけで書くので多少間違っている部分があるかも知れないことを最初にことわっておく。
金八の務める中学校である生徒が学校の放送室に立てこもっている。教師たちは説得を試みるが失敗、そして110番通報で呼ばれた警察がついに強行突破で放送室に押し入り、その生徒を取り押さえる。
手錠をかけられ警官に囲まれた生徒が放送室から出てくるシーンがスローモーションになる。そこへ中島みゆきの『世情』が流れる・・・

なんてことしますか、君らーー!
猛烈に腹が立ったし吐き気がした。えっ、大人が若者の主張を暴力でねじ伏せたのが許せなかったのかって?そんないかにも全共闘世代の人間が書いたようなクソストーリーはどうでもよろしい。(当時はまだ学生運動のことなど知らなかったが)
わたしとしてはただそのスローモーションの使い方が許せない。
そんないかにもなシーンで中島みゆきを流してしまう感覚が許せない。
あまりにも工夫が無く考えが無くセンスがない。制作陣は真面目に作ってるのかこれは。
連れ出されるところにスローモーションというテクニカルな手法を用いるのがまず普通は恥ずかしくて出来ないし、そこに流す歌が中島みゆきの『世情』だ。中島みゆきが嫌いなわけではなく、オールナイトニッポンを聴いていた時期もありしゃべりに関してはファンなぐらいなんで、悪いのは選曲者だ。スローモーションと中島みゆき、ドラマとして盛り上げる演出として絶対やってはいけない組み合わせだと誰か放送前に指摘しなかったのだろうか。
東大講堂陥落の映像をスローにして、そこに「シュプレヒコールの波~通り過ぎていく~」と流れるシーンを想像すると、いかに第24話が映像作品として犯罪的かつクソだったかがわかる。

もちろん、まだガキだったのでその時点ではっきりとした考えとしてダメな理由が分かっていたわけではない。ただもう、生理的にイヤだったのだ。
この件はわたしが中学生だった頃だと思っていたのだが、この文を書くためにウェブで調べてみたところ放送日が1981年3月20日だったことがわかった。当時わたしは小学校を卒業し中学校へと進む時期だ。テレビの一般向けドラマを見始めるのは中学生ぐらいからだろうが、その入り口で「卒業式前の暴力」と出会ってしまったために、「テレビドラマなんかつまらん。んなーもの見るより面白い物はたくさんある」と小説(主にSFや推理小説、冒険小説)やMZ-80やPC-8001などのマイコンにはまっていって、ほとんどテレビドラマとは縁がないまま2004年に至る。
考えようによっては「金八先生によって人生が変わった」と言えなくもないが、「金八先生に感化されて人生が変わった」などという変わり方でなくて良かったなと個人的には強く思う。

1980年代末に映画『いちご白書』(1970)を観る機会があった。
アメリカの大学を舞台に、あるノンポリ学生(*)が学生運動に巻き込まれていき、最後には大学に突入してきて州兵によって学生たちは鎮圧されていく。もちろんスローモーションが入る。ほんと頼むから止めてくれ。
なんのことはない、「卒業式前の暴力」はストーリー的にも演出的にも『いちご白書』のまるまるパクリに過ぎなかったのだ。こんなとほほな映画をパクるとは。えっ、オマージュだって?じゃあ、こんなとほほな映画をオマージュするとは。
ちなみにプロフィールの嫌いな物に相田みつをを入れている.
この間本屋で見つけた相田みつをの新刊らしき本の帯には“金八とその後ろの黒板に貼られた相田の言葉”の写真が載せられていた。わたしの大嫌いな物が二つ結びついており拷問として読まされたらどんな秘密でもしゃべってしまいそうだ。逆に考えると、自分の好き嫌いの価値観の方向はこれで案外ちゃんと定まっていたことが確認できた。

(*)ノンポリとはノン・ポリティカルの略。左翼・右翼どちらの思想も持たない学生がそのように呼ばれた。そんなことを言ったらわたしらの頃はほとんどノンポリ学生。

『3年B組金八先生2』 第24回 「卒業式前の暴力2」 1981年
演出:生野慈朗 脚本:小山内美江子
出演:武田鉄矢、沖田浩之

2004年11月18日

『ガス人間第一号』 八千草薫が美しい

『ガス人間第一号』(1960) 91分 2004/11/17鑑賞

監督:本多猪四郎 製作:田中友幸 脚本:木村武 撮影:小泉一 美術:清水喜代志 編集:平一二 音楽:宮内国郎 特技・撮影:有川貞昌 特技・美術:渡辺明 特技監督: 円谷英二
出演:土屋嘉男、三橋達也、八千草薫、左卜全、佐多契子、野村浩三、伊藤久哉

『透明人間』『美女と液体人間』とならぶ東宝特撮○○人間物の一本。
ようやくDVDレンタルになったので初めて見ることが出来た。10数年前に『透明人間』は観ていたので、残るは『美女と液体人間』だが、こいつは原爆実験が絡んでいるのでソフト化は難しいかも知れない。『ウルトラセブン』の第12話『遊星より愛をこめて』みたいなものか。
人体実験の犠牲になり感情を操作することでガス状に変身できるようになったガス人間。そのガス人間が思いを寄せる日舞の家元と謎の銀行強盗などによって物語は進むが、ドラマの中心はSFというよりむしろ悲恋である。報われぬ愛はついに死をもって終わる。
ガス人間を追う三橋達也ら刑事たちが、何かというとすぐにピストルを抜いて乱射する。『天才バカボン』のおまわりさんじゃないっての。
ガス人間の特撮も1960年という時代を考えると素晴らしいが、それよりも家元を演ずる八千草薫の人を寄せ付けぬような美しさが勝っている。その下男で女主人に最後まで忠実なじいやを演じた左卜全も味がある。
この頃の東宝映画はどの作品の銃声や爆発音も同じような音だが、あれは同じ音素材を使い回していたのだろうか。

2004年11月19日

『スクービー・ドゥー』 きっちりお子様向け

『スクービー・ドゥー』(2002) SCOOBY-DOO 87分 2004/11/18レンタルビデオにて鑑賞

監督:ラージャ・ゴスネル 製作:チャールズ・ローヴェン、リチャード・サックル 製作総指揮:ジョセフ・バーベラ、ロバート・エンゲルマン、ウィリアム・ハンナ、アンドリュー・メイソン、ケリー・スミス=ウェイト 原作:ウィリアム・ハンナ、ジョセフ・バーベラ 原案:ジェームズ・ガン、クレイグ・ティトリー 脚本:ジェームズ・ガン 撮影:デヴィッド・エグビー 編集:ケント・バイダ 音楽:デヴィッド・ニューマン
出演:マシュー・リラード、フレディ・プリンゼ・Jr、サラ・ミシェル・ゲラー、リンダ・カーデリニ、ローワン・アトキンソン

クレジットにウィリアム・ハンナ、ジョセフ・バーベラの名前があることからもわかるように、『チキチキマシーン猛レース』や『原始家族フリントストーン』などで有名なハンナ・バーベラ社のカトゥーン(アニメ)が原作だとのこと。1969年から20年以上も続いた長寿番組で日本では『弱虫クルッパー』として放送された。犬の名はスクービー・ドゥーからクルッパーに変更されたこの日本版を寡聞にして見たことも聞いたこともなかった。田舎じゃやってなかったのか。ちなみにハンナ・バーベラ社は現在も存続しており、最近のヒット作は『パワーパフ・ガールズ』だそうだ。
スティーヴン・キングの『ドリーム・キャッチャー』では過去のパートでダウン症児のラディッツが『スクービー・ドゥー』のランチボックスを愛用していることになっており、アメリカでは古くから子供たちに愛されてきたキャラクターであることが分かる。

スクービー・ドゥーと若者4人による探偵社ミステリーはとある島に作られたレジャーランドで怪事件に出くわすのだが・・・
実写映画化では犬のスクービー・ドゥーをCGで再現。リアリティを極める必要のないキャラクターなので実写の人物にはさまれていてもさほど違和感がない。
原作ファン中心に作られているためか主人公たちについて詳しい説明なしに話は進んでいく。それでも人物設定がオーソドックスなのでさほどとまどわずにすむだろう。なんといっても、臆病な少年シャギー、ハンサムなフレッド、頭は切れるがガリベン眼鏡な少女ヴェルマ、おつむはいまいちな美少女ダフネというわかりやすさ。
それでもオープニングで怪人の脇にかかれられたダフネが「何でわたしばっかりさらわれ役なのよ~」と叫び、その後修行を積んで“クロオビ”を取って再登場する。何のクロオビだかよくわからないが格闘要員として活躍するので、少しは設定に変化があったらしい。
ストーリーは明快単純。島で悪事をたくらむ謎の人物との対決と、一度バラバラになった主人公たちの絆が再生する様を描く。子供向けの映画をきっちり子供向けとして作っている。その割には主人公たちの見た目は20歳ぐらいでもう少し若くて10代半ばでもいいんじゃないだろうか。子供向けだとちゃんと分かった上で観るとそれなりに楽しめるし、下品なところや残酷なシーンはないので子供に観せるにも問題なし。
ローワン・アトキンソンがちょっと意外な役を楽しげに演じている。相変わらず妙な人だ。

日本での興行成績はおそらく惨敗だったと思うが、本国アメリカではヒットしたようで続編も製作されたが、そちらは未観。

2004年11月21日

『エスパイ』 戦う超能力者

『エスパイ』(1974) ESPY 94分 2004/11/20レンタルDVDにて鑑賞

監督:福田純 製作:田中友幸、田中文雄 原作:小松左京 脚本:小川英 撮影:上田正治 美術:村木忍 音楽:平尾昌晃、京建輔 特技・光学:宮西武史 特技・撮影:富岡素敬 特技・美術:井上泰幸 特技監督:中野昭慶
出演:藤岡弘、由美かおる、草刈正雄、加山雄三、若山富三郎

東宝特撮映画が相次いでレンタル化されているので、片っ端から借りてきては観ている。セルソフトとしては前から出ていたが、ほとんどはすでに観たことのある作品だし1枚5000円をさすがに買ってまで観ようとは思わない。それにしても邦画、特に東宝のDVDは高い。コアなファンしか手を出さないような値段で出してくる。逆に言えばコアなファンならこの金額でも買うだろうというあこぎな価格設定だ。安くすればいいというものではないが、購買層を広げるにはもう少し抑えるか、洋画DVDのように発売後しばらくしてから廉価版を出すなどは出来ないのだろうか。それでも最近はレンタルもしてくれるようになっただけましか。

エスパイとはエスパーによるスパイ組織の名称である。エスパー+スパイ=エスパイ。・・・怒るな、文句なら小松左京氏に言ってくれ。当時流行していた007シリーズを始めとするスパイ映画(同じ1974年には『007 黄金銃を持つ男』が製作されている)に、これまた当時流行していた超能力(ユリ・ゲラーの初来日がこれまた1974年)を盛り込んだというわけである。
こうした単純な足し算で面白い物を作ることが出来れば制作者は何の苦労もいらないわけだが、もちろん例えば美少女+メイドは必ず売れるといった具合に簡単な物ではなく、この映画もスパイと超能力という要素が上手く噛み合わないまま終わっている。
海外ロケや特撮もがんばっているのは感じるのだが、それが映画の中で浮いているし予算の少なさも随所で感じられる。同じ小松左京原作でも『復活の日』(1980)の海外ロケは有効に生かされており、なんだかんだいって当時の角川春樹は製作者として有能だったのだろう。日本を舞台にした映画と世界を舞台にした映画では作り方からして違ってくるということで、もちろん田中友幸氏の悪口を言っているわけではない。

子供の頃にテレビ放映で観た時にはわりと面白かった記憶があるのだが、今改めて観直すとかなりトホホではある。
それでも髪の毛フサフサでひたすら熱い芝居の藤岡弘や胸を露わにするお色気シーンのある由美かおると、年を取らん人たちだな~と感じる。テレキネシスを操る草刈正雄はいいとして、エスパイのボスが加山雄三ってのはどんなものだろうか。息を詰める緊張したシーンでいきなりギターを手に窓辺に腰掛けて「君が~うんたら、海の~からんたら」と歌い出しそうな様子だ。
主人公たちが超能力者ならば敵ももちろん超能力者。その名も“逆エスパイ”!・・・怒るな、文句なら小松左京氏に言ってくれ。

2004年11月22日

『エノケンの近藤勇』 闇夜の斬り合い

『エノケンの近藤勇』(1935) 81分

監督:山本嘉次郎 原作・脚本:ピエル・ブリヤント、P.C.L.文芸部 撮影:唐沢弘光 編集:岩下広一 音楽:伊藤昇
出演:榎本健一、二村定二、中村是好、柳田貞一、如月寛多

「ワタナベのぉぉジュースの素です、もう一杯」のCMでお馴染みの榎本健一主演作。
と言ったところでエノケンこと榎本健一のことなどもはや知らない人の方が多いだろう。わたしだって、さすがに上記のCMをリアルタイムで知っている年齢ではないし、主演映画もあまりソフト化やテレビ放映がされなかったので、小林信彦の著作などでその姿をかろうじて知っているぐらいだった。
うれしいことにNHKBS2が『エノケンの孫悟空』など戦前に主演した作品を連続放映してくれた。最近なにかと叩かれがちなNHKだが、民放ではなかなかこういう企画は通らない。受信料を払っている甲斐があるってものだ。民放だって「タダで見られる」と思っている人が多いが、あれは普段の生活で買う様々な商品のうちに広告料として含まれているだけの話だ。自分で意識して支払うことが出来るだけNHKの方が理にかなっているかもしれない。それに、まったくテレビを見ない、テレビを持っていない人からも広告料は徴収されているのだ。

話を戻して、榎本健一の第一回主演作(多分)がこの『エノケンの近藤勇』。監督が喜劇映画を中心に日本映画に大きな役割を果たした山本嘉次郎とはうれしい。タイトルは『エノケンの近藤勇』と現在と同じく左から右に文字が並ぶ。戦前でも子供向けの本などでは左から右に書かれている物もあったと聞くが、なるほど本当らしい。
京の都でにらみ合う新撰組と勤王派の侍たち。さあチャンバラが始まるぞというところで、近藤勇(榎本健一)に高下駄が投げ渡される。榎本健一が演ずるのでずいぶんとチビな近藤勇だが、この男高下駄を履くとめっぽう強くなるという設定。ポパイのホウレン草といったところか。
「近藤が下駄を履いたぞ」「近藤が下駄を履くと強くなるからな」「うぬ、下駄を履かれてはちと具合が悪い」と勤王派たちの間で声が交わされる。そんなことを言ってる間に下駄を履いてる最中の近藤勇を斬っちゃえと思うのだが、変身中の仮面ライダーは攻撃しないの原則は1935年の時点ですでに登場していたのか。
そんな争いを町人たちは将棋など指しながら「今日はどっちが勝ちますかねぇ」などとすでに斬り合いなど慣れっこの様子。それどころか、「ちょっとそこ掃きますのでどいていただけませんか」などと新撰組たちを空き地へ追いやる始末。
そんな感じに序盤は「呑気にのほほん」と展開していく。近藤勇の他にも、ド近眼なため丸眼鏡をかけた坂本龍馬(榎本健一二役)、桂小五郎、山岡鉄舟など歴史上の人物が何人も登場してくる。幾たびかのチャンバラを経て話は時に深刻にもなっていく。
チャンバラのシーンの多くは少し離れたところに据えたカメラで画面を固定したまま撮るという古いスタイルだが、龍馬暗殺のシーンはカットが割られている分だけスピード感が出ていて迫力がある。
中でも一番素晴らしいのが、近藤勇が数十人の黒装束に闇討ちされそれを返り討ちにするシーンだ。近藤勇が刀を抜くと、アニメによってベティー・ブープばりに女性として擬人化された月がこれから起こる惨劇を恐れて顔背け雲に隠れる。途端、画面を闇が支配して背景にある建物からの明かり以外は真っ暗になる。そこへ刀のぶつかり合う火花だけが飛び散る。
う~む、素晴らしい!北野武は『ソナチネ』(1993)においてビル内で繰り広げられる銃撃戦を窓から漏れる銃の閃光で描写していて、観た時に「すごいな、これは」と思ったものだが、それとほぼ同じアイディアをその60年近く前にすでにやっていたわけだ。
ギリギリまで絞った描写を投げかけて後は観客の頭の中で大立ち回りを展開させている。もちろん、これは観客の想像力を信用しているからだ。『新撰組!』でのマトリックスばりのブレットタイムと『エノケンの近藤勇』における闇討ちのシーンでどちらがより演出として優れているかは言うまでもないだろう。

2004年11月23日

『ラスト・パトロール』 元気にしてっか?ラングレンよぉ

『ラスト・パトロール』(1999) THE LAST PATOROL 95分 2004/11/23レンタルDVDにて鑑賞

監督:シェルドン・レティック 製作:ジェイコブ・コッキー 製作総指揮:スティーヴン・ブラックリー、パメラ・L・ロング、スティーヴン・メンデルソン 脚本:スティーヴン・ブラックリー、パメラ・L・ロング 撮影:デヴィッド・ガーフィンケル
出演:ドルフ・ラングレン、シェリー・アレクサンダー、ジョー・マイケル・バーク、レベッカ・クロス

始まるなり画面は4:3のスタンダードサイズに明らかにビデオな素材がインサートカットとして使われている。ひょっとしてテレフューチャー(テレビ用映画)か?
うーむ、ドルフ・ラングレンもついにテレフューチャーに出演するようになったか。まぁチャック・ノリスだってテレビシリーズに出てたしな。重要なのは劇場用かテレビ用かということではなく、その作品が面白いかどうかだ。

舞台は近未来のカリフォルニア。世紀末を何事もなく過ごした人類は繁栄という名の堕落を貪っていた。軍人のドルフ・ラングレンはある小さな軍事基地を閉鎖するため赴任したばかり。
そこに地球的規模の大地震が起こり、カリフォルニア半島はアメリカ大陸から引き離され孤島と化す。基地で生き残ったのはドルフ・ラングレンを始めたった3人の軍人だけ。そこに旅行中の夫婦や若い女性などがたどり着き必死のサバイバルを続ける。だが生き残っていたのは彼らだけではなかった。刑務所が地震のどさくさに囚人にのっとられ、ある死刑囚による支配の下恐怖の帝国となっていたのだ。
さらには予知能力などを持つ神の使いの黒人女性や、ドルフ・ラングレンが実は記憶喪失であるなどなど・・・95分にしてはちょっと要素を盛り込みすぎだ。特に、ドルフ・ラングレンの記憶喪失はストーリー上ほとんど意味が無く、なぜそんな設定にしたのか理解に苦しむ。
ジョン・カーペンターの『ニューヨーク1997』と『エスケープ・フロム・L.A.』のリチャード・プリスケン物や、永井豪の『バイオレンス・ジャック』に似た世界観であり、予算のためかスケールは小さいがそれ自体は面白い。
問題は登場人物が精彩を欠き魅力に乏しいことで、敵側のボスである死刑囚など迫力に欠けている。ちょっと頭の回転が鈍いお色気姉ちゃんのあまりにも行き当たりばったりな行動が笑えるぐらいか。
緊張感がない演出は見る側もダラダラするしかない。この作品を借りるのは他によっぽど観たい作品がない時ぐらいか。

2004年11月24日

『地球防衛軍』 女よこさないと暴れっぞ

『地球防衛軍』(1957) 東宝 88分 2004/11/23レンタルDVDにて再鑑賞

監督:本多猪四郎 製作:田中友幸 原案:丘見丈二郎 脚本:木村武 潤色:香山滋 撮影:小泉一 美術:阿部輝明 編集:岩下広一 音楽:伊福部昭 音響効果:三縄一郎 特技・合成:向山宏 特技・撮影:有川貞昌、荒木秀三郎 特技・美術:渡辺明 特技監督:円谷英二
出演:佐原健二、平田昭彦、白川由美、河内桃子、志村喬、土屋嘉男、中村哲

チケチケ、チーケチーケーチケテケテー、ティケチーケーテー、ティケチーケーチケテテ、チーケーテーチケチケーチケケ
の勢いのある脂ののった伊福部節に乗って始まる地球侵略物SF映画。(このチケチケでもJASRACに訴えられたりするのだろうか)
火星と木星の間にあるアステロイドベルト。それは大昔、原水爆戦争で滅んでしまった惑星“ミステロイド”の残骸だった。火星に移住しかろうじて生き延びていたミステロイドの住人ミステリアンは、新たなる繁栄の場所として地球侵略を開始する。巨大なドーム型基地、攻撃用小型宇宙船など科学の粋を凝らしたミステリアンに人類はいかに戦いを挑むのか?
基本的なストーリーや小型宇宙船と戦車との戦闘シーンなどは、明らかにH・G・ウェルズ原作でジョージ・パルがSFXを担当した『宇宙戦争』(1953)の影響が見て取れる。実際、小型宇宙船のデザインやその光線でやられる戦車の描写は『宇宙戦争』のウォー・マシーンに非常に似通っている。
それと同時に、これはもう一つのゴジラでもある。一作目の『ゴジラ』(1954)とスタッフ・キャストがかなり共通しているだけではなく、老科学者の志村喬、世をすねて人前から姿を消した宇宙物理学の科学者が平田昭彦、その友人でおなじく学者の青年、河内桃子が志村喬の娘でないことと恋愛の三角関係がないのが残念だが、人間関係は非常に似通っている。ミステリアンの巨大ロボット“モゲラ”の登場シーンや、人類側が繰り出す作戦を次々と破られていくところ。そして平田昭彦がラスト身を挺して人類を守るところまで同じだ。
では、この『地球防衛軍』が『宇宙戦争』のパクリで『ゴジラ』の焼き直しにすぎないかというとそんなことはない。個人的は変に持ち上げられ神格化された『ゴジラ』よりも『地球防衛軍』の方がずっと面白い。なによりもミステリアンや地球防衛軍が繰り出す様々な兵器が格好いい。ジャンボジェットの翼を取り外したようなロケット型α号とβ号はその巨大さのスケール感が出ていて、ちょっとテレビ版『サンダーバード』(1964~66)を思わせる。
そして巨大パラボラ型兵器その名も“マーカライトファープ”には男なら心をくすぐられるはず。キャタピラで移動するこのマーカライトファープはその駆動部を見る限り高さ100メートルはゆうにありそうな巨大さだ。この兵器のせいで衛星放送のパラボラアンテナを見るたびに「はっ攻撃か?攻撃するのか?」と身構えてしまう人も多いだろう。多くないか。
“スーパーパラボラ”などといういかにもお子様向けではなくマーカライトファープとなにやら意味ありげなネーミングも優れている。ちなみに未だに意味が分からない。
科学力が優れているくせに、「子作りしたいんで女よこせ。若くて綺麗なのな。あらかじめ下見して目を付けといたからそいつらよこせ」やら、巨大ロボットモゲラで女湯を覗いたりとミステリアンのやることがせこい。いや、あれは女性が入浴している風呂場の窓から遠くのモゲラが写り込むカットで覗いてるんではないが。でもミステリアンのことなんで望遠カメラでチェックとかしているのかもしれん。そんなことばかりやってるから滅ぶのではないか。
『ゴジラ』の1954年から3年の間に、映像がカラーになっただけではなく特撮も一気に進歩している。光学合成やホリゾント合成、ミニチュアなど当時の円谷特撮の総力を挙げた映像である。宇宙の描写なども、人類初の人工衛星スプートニクスの打ち上げが同じ1957年だということを考えると、当時としては出来うる限りのリアリティだったのだろう。ドラマと特撮の融合もバランスが取れている。おそらく公開当時は子供よりもむしろ大人の娯楽作として作られたのではないだろうか。
特撮ファン以外からはあまり語られることのない監督の本多猪四郎だが、かなりの技量があった人であるのは間違いない。その本多猪四郎の個人的ベストがこの『地球防衛軍』だ。
『クレヨンしんちゃん 爆発!温泉わくわく大決戦』(1999)では往年の東宝特撮映画にオマージュが捧げられているが、その中でもメインの一本。

ちなみに『地球防衛軍』と大仰な名前の割に事実上日本国自衛隊である。外国人は学者が2、3人出てくるだけ。ということは自衛隊の新兵器開発能力はかなりの物ということか。
考えてみればミステリアンの侵略もとりあえず富士山麓と日本限定。きっと彼らは大和撫子好みなのだろう。だが、連れて帰って嫁にした後まで大和撫子でいてくれるか分からないぞ。

2004年11月27日

『ビルとテッドの大冒険』 声の出演:ちびっこギャング

『ビルとテッドの大冒険』(1989)が待望のDVDソフト化!!!
11月10日に発売されていたがamozonで他の11月26日発売の商品と一緒に注文していたので本日ようやくと入手できた。
大好きなんだわぁこの映画。笑えるしスカッとするし時には燃える、でもってバカ。バカ映画ランクで上位入賞は間違いなしだ。

DVDには英語だけではなく日本語吹替音声も収録されている。ビルとテッドを演ずるのはお笑いコンビ“ちびっこギャング”で、なんと音源は昔ビデオ化された時の、幻のちびっこギャング吹替版ではないか。ちなみに“幻の”は“吹替版”にではなく“ちびっこギャング”にかかっている。
ちびっこギャングの片方は声優の島本須美と結婚したはずで、もともとこのコンビは演劇出身だったらしい。ちょっと調べてみたところ島本須美と結婚した越川大介は現在“劇団D.K.HOLLYWOOD”を主催しているとのこと。相方である藤井一男の消息は不明。同じ名前のクラリネット奏者がいるのでウェブ検索してもそちらばかりヒットしてしまう。
ちびっこギャングは割と好きだったんだがいつの間にか消えてしまった。怪物ランドなどわたしの好きなコメディアンは消えてばかりだ。

ビルとテッドの口癖は「EXCELLENT!(エクセレント)」でもちろん感嘆を表す言葉だが、吹替版ではこれが「シェケナベイベー」に変更されている。「shake it up baby」では意味不明だ。内田裕也じゃないっての。

過去に飛んでイギリスの城を訪れた二人は衛兵に捕らえられ、王から「この二人をIron Maidenにかけろ」と言われ、ロックバカな二人は「Iron Maidenだっ!」と喜ぶ。
これは拷問道具である“鉄の処女”=Iron Maidenと、大御所ヘヴィ・メタルバンドの“アイアン・メイデン”=Iron Maidenをかけたギャグだ。
これが字幕版だと、
  王「鉄の女にかけろ」
  ビル・テッド「やったオンナだ」
と二人が単なる女好きだし、
吹替版だと
  王「この者たちを鉄の女に」
  ビル・テッド「鉄の女?ヘヴィ・メタだぜ」
とアイアン・メイデンという単語が出てこないのでもう一つ意味不明だ。
こういうギャグは言葉遊びなので訳すのが難しいのだろう。

チャプター・リストの裏側にはアメリカンなセンスのポスターが描かれている。テッドはまだしもビルの目はいっちゃってて危ない奴っぽい。大きく引き伸ばして壁に貼りたい。

映画自体についてはまた後日。

2004年11月30日

『ザ・ボディガード』 セリフで勝負のスタローン

『ザ・ボディガード』(2002) AVENGING ANGELO 98分 2004/11/29レンタルDVDにて鑑賞

監督:マーティン・バーク 製作:タラク・ベン・アマール、エリー・サマハ、スタンリー・ウィルソン 製作総指揮:ケヴィン・キング、ポール・ローゼンブラム、アンドリュー・スティーヴンス 原案:ウィル・アルディス 脚本:ウィル・アルディス、スティーヴ・マッコール 撮影:オウサマ・ラーウィ 音楽:ジョン・ボン・ジョヴィ、ビル・コンティ
出演:シルヴェスター・スタローン、マデリーン・ストー、アンソニー・クイン、ラウル・ボヴァ

どうにも楽しみどころが捉えづらい少々妙な感じの作品だ。
スタローンはマフィアのボスアンソニー・クインの隠し子を彼女が小さな時から陰から守っている。ところがアンソニー・クインが敵対組織に暗殺されたため、スタローンはその遺言である映像を収めたDVDを持って彼女の前に姿を現す。自分が養女として他人である夫婦に育てられたとはまったく知らなかった彼女は大いに驚く。
夫が子供を全寮制の軍隊式学校に入学させ、さらにその夫は知人の女性と浮気をしていたのが発覚して彼女が家から叩き出したばかり。そこへ実の父親やらマフィアの勢力争いの話などされたのだから混乱し戸惑うばかり。しかも、アンソニー・クインの唯一の子供であった彼女も他のマフィアから命を狙われているのだ。

ストーリーの中心はヒロインとスタローンが次第にうち解けていき、スタローンが自分を昔から守ってきたことを理解していくとろこや、自分をイタリア人系と思っていなかったヒロインが段々とイタリア文化に染まっていく辺りだろうか。基本的にコメディ仕立てになっているが二人のやりとりなどに特に斬新な部分はなく、オーソドックスと言えばオーソドックスで悪くはない物のさして笑えない。スタローン+ボディガードという図式だが、銃撃戦や格闘はオマケ程度なのでアクション映画だと思って借りない方がいいだろう。ラストにある殺し屋との対決など「なんじゃそりゃ?」だが、アクション映画ではないと思って観れば大丈夫だ。
肉体の演技ではなくセリフ中心の演技で映画を成立させることにスタローンが挑んで、ある程度はそれが成功しているのだから、今後に期待するためのステップと考えることにする。

アンソニー・クインはこの作品を最後に亡くなった。『道』のアンソニー・クインともあろう人が、これまた微妙な作品が遺作になったものだ。
アーノルド・シュワルツェネッガーの『ラスト・アクション・ヒーロー』(1993)でもマフィアのボスを演じていた。あの映画の中のさらに映画の中では『ターミネーター2』の主役はシルヴェスター・スタローンということになっていた。10年前はほぼライバルだった二人だが、今では片やカリフォルニア州知事、片やここしばらく微妙な存在な俳優。でも、政治家になってしまったシュワルツェネッガーよりもあくまで俳優を貫こうとするスタローンの方が映画している。
次回作を待ってるぞ、スタローン。