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『80日間世界一周』 やっぱ万博なんて今さらだよなぁ・・・

『80日間世界一周』(1956) AROUND THE WORLD IN EIGHTY DAYS 169 分

監督:マイケル・アンダーソン 製作:マイケル・トッド 原作:ジュール・ヴェルヌ 脚本:S・J・ペレルマン、ジェームズ・ポー、ジョン・ファロー 撮影:ライオネル・リンドン 音楽:ヴィクター・ヤング
出演:デヴィッド・ニーヴン カンティンフラス シャーリー・マクレーン ロバート・ニュートン

ジャッキー・チェンがパスパトゥ役を演じた『80デイズ』(2004)がまもなく公開だというので久しぶりに1956年版を観る。
それにしても、2004年版の邦題はちょっとひどい。本国アメリカでは予算の割にヒットしなかったそうだが、それで日本の配給会社もあまりやる気がないのだろうか。
ジュール・ヴェルヌの原作本『AROUND THE WORLD IN EIGHTY DAYS』を直訳だが『八十日間世界一周』と訳した人は偉い。翻訳家だろうか、編集者だろうか。まあ個人的には『80日間世界一周 2004年版』と呼ぶが、『アラウンド・ザ・ワールド・イン・80デイズ』なんてのにならなかったでよしとするか。
ジュール・ヴェルヌは小学校の図書館にあったのを夢中になって読みふけったものだ。『月世界旅行』『十五少年漂流記(二年間の休暇)』『海底二万海里』『気球に乗って五週間』『神秘の島』などなど。それらはわたしが後にSFを読み始める起点となっており、興味がSF小説→SF映画→映画となっていったことを考えるとある意味ヴェルヌはわたしの原点と言えるのかも知れない。
ただ、中学校に入り読む本の幅が広がるとヴェルヌは少々物足りなくなってくる。例えば、ウィリアム・ゴールディング『蝿の王』を読んで『十五少年漂流記』と比較し、『蝿の王』の方が衝撃的だし人間の本質を突いているなどといったことだ。今ではそんな比較は無意味だと分かっているが、変に知恵のつき始めた青少年は明快な物を下に見て難解な物をより高等だと思いこんだりするのだ。もっとも、『蝿の王』を読んだ中学時代のわたしは、「うわー、うっとおしい。邪魔くっさいですなこれは」などとボンクラ街道を突き進んでいたというのが実際だが。

映画は4:3のスタンダードサイズから始まる。書斎に立つ一人の男がカメラに向かって話しかける。
「ジュール・ヴェルヌは19世紀末に活躍した空想小説家です。彼が書いた『月世界旅行』はジョージ・メリエスによって映画になりました」
ここでメリエスの『月世界旅行』(1902)が数分にわたってスクリーンに映し出される。
そして画面はカラーになり現代(1956)のロケットが映し出され、画面が段々と広がっていきワイドサイズになる。これを今ではほとんど絶滅してしまった1000人は入る大劇場の大スクリーンで観たらそれだけで興奮物だったことだろう。しかし、この男の話は延々続きなんと6分を越える。長すぎて思わずリモコンの早送りボタンに手が伸びるがぐっと我慢。
実を言うと、劇中でも何度か早送りボタンを押しそうになってしまった。それというのも、この映画は基本的に万博映画だからだ。
気球で飛ぶパリから郊外の農村そしてアルプス、スペインでは闘牛、インドでは象に乗ってジャングルを抜けるといった具合に世界各地にカメラを持って行って様々な風景が映し出される。世界からいろんな物を一堂に集めましたよといったわけだ。これだけの撮影をするためにはかなり金がかかったことだろう。
飛行機の登場で確実に世界は狭くなっていたとはいえ、一般の人にとっては海外旅行はまだ高嶺の花だった。それに今ではテレビで各地の様子が見られるが、日本のNHKによるテレビ本放送開始が1953年。アメリカではもう少し早かっただろうが、当時のテレビは当然白黒なのでカラーかつワイドスクリーンのスクリーンに映し出される169分もの世界の風景はそれだけで価値があったに違いない。1970年の大阪万博では人々がこぞって訪れ各国のパビリオンで異国の文化・風景に触れて楽しんだように。
だがわたしたちは1956年に生きてはいるわけではない。あふれかえる情報の中で世界中のことを知ったつもりでいて、のんびりとというよりはだらだらと感じるリズムに飽きてしまい、風景だけが続くシーンではリモコンを使って編集すらしてしまう。もちろん、昔が良くて今が悪いといったことではなく、単に違いがあるだけでどちらが上というわけでも下というわけではないのだが。
実際、169分ある本編を120分に編集すればもっとテンポが良くなるだろうが、そうしなくても気持ちを切り替えて観れば割と面白い映画だ。最大公約数の観客を想定しており“傑作”ではないものの真正面から娯楽大作として作っているところがうれしい。
マレーネ・ディートリッヒやジョン・キャラダイン、シャルル・ボワイエなどの豪華スターが次々と出演しているが、さすがに昔の俳優だし出番はカメオ出演のためごく短いのであまりありがたみが感じられない。サンフランシスコの飲み屋でオルガンを弾いている男の後ろ姿が何度も繰り返し映し出され、何なんだいったいと思っていて最後に振り返るとなんとこの御仁はフランク・シナトラ。これなんか当時の劇場ではわっとわいたんだろうが、41歳とまだ若いシナトラなので晩年に『マイウェイ』などを歌っている姿や『キャノンボール2』(1983)での特別出演がまず先に思い浮かぶわたしには「ん、誰だ?あっシナトラか」ともう一つ不発ぎみ。
当時の映画はまだ多くがそのラストに「THE END」のクレジットを出していたが、この作品ではある登場人物が発する「This is THE END」がクレジットの代わりとなっている。ちょっと洒落ているではないか。
最後のどんでん返しと大逆転は痛快。原作で結果は知っていたがそれでもどきどきはらはら。そしてソール・バスによる色鮮やかで愉快なエンディングクレジット。これは間違いなく傑作。クレジット部門で上位入賞間違いなしの出来合い。

2004年版でジャッキー・チェンが演ずるのは召使いのパスパトゥとのこと。はて、パスパトゥはフランス人じゃなかったかと思うが、主人のフォッグ氏(デヴィッド・ニーヴン:1956版)が謎の多い紳士から発明狂に変わっていることと比べれば、軽業師出身の身軽さで何度も旅行の危機を乗り越えるパスパトゥがジャッキー・チェンというのはむしろベストキャスティングだ。

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コメント (3)

オンリー・ザ・ロンリー:

この作品は私には二っの思いがあります。
最初は戦争大勝国のアメリカは早々と各家庭にTVが普及してしまった事で映画館に足を運ばなくなって来た事を危惧したマイケル・トッドら製作者達は3本のフィルムで撮影し映写する方式、つまり「シネラマ」(昭和31年頃旧帝劇にて鑑賞、続も)を開発し、とてつもない大スクリーンに観客を再び呼び戻そうと試み、まさにそれは見世物として成功し、改良型の「スーパー・シネラマ」でそれまでは観光映画だったものが「西部開拓史」(昭和39年頃テアトル東京にて鑑賞)と言う劇映画でヒットした結果となりますが、その大袈裟なシステムと膨大なフィルム代等をクリアーすべき合理的な製作システムとしてマイケル・トッドはAO社と共同開発し完成したのが通常の倍の幅のフィルム1本で撮影するTODD-AO方式70ミリによる作品がこの「80日間」になる訳で、その後の大型画面の先魁と言う功績において映画技術史に残る輝ける作品と思っています。(長げー文!)付け加えるにこれだけの大物スタ
ーを集められるのは後年ダリル・F・ザナック製作による「史上最大の作戦」同様、他にはないと(今後も)断言出来る若き製作者だった事です。もう一つの思いとはそれまでは誰も見向きすらしなかったタイトル・デザインと言う新分野にソール・バスと言う優れたグラフィク・デザイナーが進出し数々の斬新、場合によっては格調高い作品を手掛け次世代にバトン・タッチしたと言う事です。想えば足元には到底及ぶ筈もなく今の私の仕事、つまり文字と書体に関する仕事を永年やっておりますが少なからず子供の頃に観たソール・バス作品が影響しているのかも知れません。相当前に仕事で彼のアトリエを訪問し普通の気さくなおっさんで安堵したのを昨日の出来事のように思えます。マイケル・トッド、ソール・バス共に偉大です。遅まきながら合掌。

東森時音:

オンリー・ザ・ロンリーさん
ソール・バスに会われたことがあるとはうらやましい限りです。昨年末からヒッチコック作品をイギリス時代のモノクロサイレント物から観返しています。都合でストップしていますが、順当に進めばソール・バスデザインによるタイトルも登場してきますね。
ヒッチコックはサイレント映画の字幕デザインの仕事から映画界に入った人ですから、ソール・バスとは通じるところがあったのかもしれません。
監督作品の『フェイズ IV/戦慄!昆虫パニック』は子供の頃にテレビで観ました。幾何学模様などを強調した画面作りが印象に残っています。ただ、何で初監督作品が昆虫パニック物だったのかは不思議です。

オンリー・ザ・ロンリー:

ソウル・バスは他方O・プレミンジャーの方が作品点数としては多いです。この頃、たまにYou-tubeのアメリカサイトで彼の作品なつかしんでいます。

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