10月8日 - 夜
酸素の管は8日の19時頃には外されたが、尿道カテーテルと点滴は刺さったまま夜を迎えた。
傷口に多少痛み出し、カテーテルのため泌尿器に強い違和感を感じる。ずっしりとした岩が下腹部に埋まっているかのようで人を憂鬱にされるタイプの違和感だ。
痛みにしろ違和感にしろ一つ一つは耐えられないほどではないのだが、タッグを組んでかかってこられるとそれぞれの力が+ではなく×になる。気を紛らわそうにも身体に管が二本刺さっているので寝返りも打てない。
眠ってしまえば楽なのかも知れないが、あいにく睡魔はなかなかその姿を現さない。うーうー唸るようにして苦しい夜を過ごす。21時に消灯なのだが、時計が午前2時を示した時までは覚えがある。
この8日から9日にかけての夜が、白線ヘルニア発症から完治までの間で一番苦しい時間だった。
10月9日 - 朝
たしか110時頃だっただろうか、看護師が来て尿道カテーテルを外してくれた。
軽い痛みと「しまった、尿失禁してしまったか」というような猛烈な尿意を感じた。だがそれはカテーテルが尿道を通っていく時に発した一種の錯覚で、幸いな事にベッドは濡れていなかった。
この瞬間から全ては快方へと向かっていった。
下腹部の違和感がなくなり、気分もすっきりして落ち着いてきた。この“気分”というのは入院生活にとって重要なのだなと感じた。色彩のない病室でのこれといってやることのない生活はどうしても落ち込みがちになりやすい。憂鬱な気持ちのままでは快復力が下がってしまうのではないだろうか。わたしの場合、一番の憂鬱が下腹部の違和感だったのだ。
カテーテルが外されたことでベッドを離れる事ができるようになった。腹部に負担をかけないように上半身を起こすのが結構難しかった。やってみていただくと分かると思うが、腹筋にかなり力を入れる必要があるのだ。激しい痛みが走るわけでもないが、傷口が綻びるんじゃないかと心配だ。ようやくのことで身体を起こすと、一旦ベッドに腰掛ける姿勢になってそこから立ち上がる。よたよたふらふらして頼りないこと甚だしい。腹部に緊張がある感じでまっすぐ胸を張ることができず、猫背までしか背を伸ばせない。点滴の袋を吊したキャスターをガラガラ転がしながらひとまずトイレに向かった。病室からのおよそ10メートルの距離は近いが遠かった。普通に歩いただけでそのドーンといった具合に傷口に響く。そこで一歩一歩ゆっくりゆっくりと、足を地面におろす時になるべく衝撃が少ないようふわっとした感じでおろす。端から見てたら月面を歩く宇宙飛行士のようだったのではないだろうか。
昼食から食事が再開された。おかずは通常食と同じだがご飯ではなく七分目のおかゆだった。38時間ぶりの食事は美味かった。もちろん、全部残さずたいらげた。
午後からはベッドの上半分を起こすとそこに机を渡して本を読みはじめた。H・F・セイントの『透明人間の告白』である。
1992年に文庫化された時に読んでいたのだがすでに手放してしまっていた。先日古本屋の100円均一コーナーで1988年に発行されたハードカバー版を見つけ、思わず買ってしまったのだ。
『透明人間の告白』はある証券マンが科学研究所で事故に遭い透明人間になってしまうというストーリー。「透明人間になれたら良いだろうな」と空想する人は多いだろうが、実際に透明人間になってしまったら普通の生活ですら不便で危険なことばかり。そこにある物を取ろうにも手が透明なのであっちかこっちかの手探り状態なのだ。しかも、彼の存在に気付いた政府組織からは追われる羽目に。はたして彼は不透明に戻れるのか、あるいは安住の地は?
10年ぶりに読んだがやはり面白い。一人称の小説はそんなに好みじゃないのだが、この作品の場合は読者の視線を主人公ニックと同じにするために必要で、またその効果を上げている。
1992年にはジョン・カーペンターが『透明人間』として映画化した。彼には珍しいコメディ作品である。透明人間を演ずるのはチェヴィー・チェイス。この作品では抑えめにしているが、真面目な顔をしてハチャメチャなことをやる人だ。映画についてはまた後日。
作者のH・F・セイントは、第一作目になるこの作品が売れ行き・書評ともに好調で、映画化権は250万ドル!!で売れたそうなのにその後さっぱり名前を目にしない。今、ちょっと調べてみたのだが米amazon.comでも『透明人間の告白』しか売っていない。しかし、死んだという情報もない。ハードカバーの裏表紙には「目下、ニューヨークを舞台にした二作目を執筆中」とあるのが、ひょっとしたらかなりの金額になるであろう印税や映画化権料を手にしてさっさと引退して楽隠居しているのかもしれない。