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2004年10月 アーカイブ

2004年10月02日

『おつむてんてんクリニック』 患者が怖いよー

『おつむてんてんクリニック』 (1991) What About Bob? 99分 1992/2/21鑑賞

監督:フランク・オズ 製作:ローラ・ジスキン 原作:ローラ・ジスキン/アルヴィン・サージェント 脚本:トム・シュルマン 撮影:マトクル・バロウズ/ミヒャエル・バルハウス 音楽:マイルズ・グッドマン
出演:ビル・マーレイ/リチャード・ドレイファス/ジュリー・ハガティ/チャーリー・コースモー/キャスリン・アーブ/トム・アルドリッジ

潔癖性やらなにやらと恐怖症の固まりのような患者ボブ(ビル・マーレイ)が精神科医のレオの元を訪ねてくる。レオは週末の家族旅行に気が行っていたためボブを適当に診察してとりあえず追い返す。ところがその診察で一時的に恐怖症が治まったボブはレオを名医中の名医と思いこむ。しかし恐怖症が再発したためボブはレオの別荘先まで押しかけてくる。ストーカー状態でつきまとうボブのためにレオはストレスが溜まる一方。ところがボブはレオの家族や地元住民ともすっかり親しくなってしまう。ついにレオは精神のバランスを崩し爆発してしまうのだが・・・

このように精神病患者ネタなので被差別団体からクレームがこないように邦題に気を遣い、逆に気を遣いすぎて思いっきり差別的なタイトルになってしまった。「おつむてんてん」=「くるくるぱー」=「気違い」で『気違い病院』って意味だろ?そりゃまずいぞ。
変人と関わるとことになる『大災難PTA』(1987)や『ネイバーズ』(1981)などのタイプの映画で、ひたすらリチャード・ドレイファスが迷惑がるだけとストーリーは単純で面白みに欠ける。この脚本ではフランク・オズも手腕を発揮できずなくて当然だろう。
レオもストレスが溜まるが観てる観客もストレスが溜まる。
ビル・マーレイの相変わらずなイカレっぷりが唯一の見所だろうか。だが『知らなすぎた男』(1998)のような爽快感はない。

2004年10月05日

ひょっとして遺言?

明日から白線ヘルニアの手術のため10日間ほど入院だ。
必要な物をバッグに詰めながら「わーいお泊まりだったらお泊まりだ」とふと口ずさんでいたがもちろんこれっぱかしもうれしいお泊まりではない。
CTスキャン初体験もあるし「ひょっとしたら副作用が出るかも知れませんがそれについては説明を聞きましたし承知しています」というヨード系造影剤説明書にもサインをした。副作用って・・・怖いな。今日の内にヨード卵光を山ほど食っておくというのじゃダメか?ダメだな。
そして10月8日には手術本番。なんたって全身麻酔だ。注射なのかガスを吸入するのかはまだ聞いていないが、絵的にはマスクで口を覆う吸入の方が『医者物』っぽくて良い。しかし、全身麻酔での医療事故の話は時折耳にするわけで、麻酔科がある大型市民病院だし医師の事ももちろん信頼しているが、よくよく考えるとその医師とはたった一回、それも10~15分ほど診察で会っただけで、本気で信頼できるか命賭けるかと言われるとう、「むむ」と悩まないでもない。初診で手術日程まで決めて帰ってくるわたしに問題がある気もするが。
ひょっとしたら手術中に状態が悪化して、あるいは術後に様態が急変してそのまま死んでしまう可能性だって0ではない。
するとこの文章がわたしの遺言となるわけだ。
葬式は出さないで欲しい主義だが、やるやらないの最終的決断は身内などの関係者に委ねようと思っているので、一応葬式はとりおこなわれるだろう。あまり多くはないであろう参列者が「それで東森さんが亡くなられた原因は?」と尋ねると喪主は「ええ、実は脱腸の手術が失敗して・・・」
うわっ、嫌な死因だな、おい。

死んでしまえば本人にはどんな死に方だろうがさして関係はないのだが、どうせ一度しか死ねないのならば自分の望む死に方をしたいところだ。
モンティ・パイソンの『人生狂騒曲』(1983)だったかで、死刑囚が望んだその死刑の方法が、トップレスにTバッグの若い美女軍団に追いかけられ、ついには断崖絶壁から落ちて死ぬというのがあった。なかなかうらやま、いやげふんげふん、即物的な死に方だ。
わたしとしては是非とも“爆死”を選択したい。なんたって派手でいいじゃないか。ドッカーンと爆炎と爆風が吹き荒れ死体は木っ端微塵。これなら火葬の手間もいらない。
ダイナマイトを山ほど頭に巻き付けて“ちゅどーん”とか、ガスタンクの頂上に登り「Top of the World!」と叫んで点火して“ボカーン”、タンクローリーでヤクザの事務所に突っ込んで“ドゴーン”などいいなと思う爆死はいくらでもある。爆発が大きくて意味がなければないほど良い。手榴弾を口にくわえさせられたままピンを抜かれ、頭が“ボン”は嫌だな。
もちろん、みんなも爆死するときは人の迷惑にならないよう“いつもの石切場”でやること。死ぬついでに主義主張を訴えようと自爆テロなんて格好悪いことはするなよ。

では無事帰れたら10月15日ごろより再開の予定。
再開されなかったら、明け方の空に昇っていった一つの星が東森時音だったと思ってくれ。

2004年10月11日

白線ヘルニアと入院(1)とクリストファー・リーブ

とりあえず麻酔事故もなく手術も成功した。術後に様態が急変することもなく無事に帰ってきた。抜糸は済んでいないので腹には7針分の糸で縫い目が付いている。
10月だというのに暑い風の吹く晴れ上がった祝日は、残暑というより初夏の趣きだった。
家に着いて一段落したところでメールチェックなどのためPCを起動させたところ、最初に飛び込んで来たニュースがクリストファー・リーブの訃報だった。ウェブニュースの「“スーパーマン”のクリストファー・リーブ氏死去」という見出しは、80年代中盤以降の彼がいかにその肩書きを拭い去るかで悩み苦心して過ごしたことを考えると残酷かつ皮肉である。
クリストファー・リーブが死んだ日、わたしは生きて病院から帰ってきた。もちろんそのことにはなんら関連性はない。

入院初日
10月6日 9:30
白線ヘルニアの手術のため本日より入院。10時に入院受付に来るようにということだったので多少早めに到着。距離としては病院まで自宅から車で10分ちょっとなのだが、付属の駐車場はいつも満車状態でゲート前に行列ができておりいつ車を駐められるか時間が読めないのでどうしても早めになる。かなり昔は海だった埋め立て地に建てられた市民病院はJR・私鉄の駅から離れており、バスがあるといってもたまに走っているだけ。田舎なこの地域ではどうしたって来院は車が主体になりがちだ。
病院が市街地から移転した頃はその辺りも空き地ばかりだったのだが、今では一戸建てやマンションが建ち並ぶ住宅地で新しく駐車場を増設するだけの土地の余裕がない。今ある駐車場を立体駐車場に作り直せば良いとは思うのだが、ではそれが完成するまでの工事中はどこに駐めるのだとなってしまう。駐車場問題はこれからもついて回ることになるのだろう。

閑話休題
まずは3階の3A病棟に荷物を預ける。衣類などが入ったバックとノートパソコンのバックだ。ちなみにノートパソコン用バックはENIX製。そうあの『ドラゴン・クエスト8』のエニックスである。いやプレゼント用特製品などはない、4、5年前まではエニックスはパソコンサプライ用品も手がけていたのだ。というより、そもそもパソコン用品の取り扱いがエニックスの本業だったはず。それがまだBASIC主流だった1980年始めにゲームプログラムコンテストを主催し、そこでの入賞作品を製品化して販売するようになった。例えばパソコンを買ってプログラミングにはまり現在では『ドラゴン・クエスト』シリーズで有名な元祖オタク系ライターの堀井雄二が作った疑似3Dテニスゲームの『ラブマッチ・テニス』や、天才高校生プログラマーで現在チュンソフト社長の中村光一が作った『ドアドア』などである。
BASIC全盛の当時はユーザー自らがプログラムを書くことが多く、というよりもマイコンを使う=プログラムを書くに近かった。ソフトは買う物ではなく書く物だったのだ。知り合いからSHARPのMZ-80Kを借りて使っていたわたしも短いプログラムを書いては遊んでいた。
そんなわけで昔からのパソコン野郎、いやむしろマイコン野郎と呼ぶべきか、にとってはエニックスといえばパソコンサプライなのだ。確か。なにぶん入院中に書いているので手元に資料がない。間違っていたら申し訳ない。
このバックはサンワサプライやエレコムの商品が並ぶ中にその隅っこにぶら下がっていたもので、「おおっエニックスじゃん」と購入した。
パソコンデスク売り場には同じくエニックスの幅が100センチもあるラックが売っていた。思えばすでにエニックスはサプライ市場からの撤退を始めていたのだろうかかなり値引かれたお値打ち価格になっており、60センチ幅のラックを使っていたわたしはずいぶん心が動いたのだが、置くスペースがないなと買い逃してしまった。その後、サンワサプライの80センチ幅ラックをその100センチラックよりは高めの金額の買い使っているが、マウススペースを考えると若干狭い。しかし100幅のラックとなると家庭向けではなく業務用になるので一気に金額が跳ね上がる。そのうちまとまった金が入ったら100センチ幅以上のラックを買おうとか、エニックスの100センチラックを買わなかったのは失敗だったとか考えている。

2004年10月12日

白線ヘルニアと入院(2)とレインボー・シックス

荷物を預けた後はほっと一息を入れる暇もなく手術に関する検査の連続だった。
10時少し前に一枚の用紙を渡され、そこには行う検査の順番とわたしの名前、バーコードが書かれていた。院内を案内図に従って次々と検査室を移動し、そこで用紙を提出すると担当者がバーコードをリーダーで読み込む。まるでオリエンテーリングのようだ。
まずはX線写真。立ったまま胸部と腹部をそれぞれ一枚ずつ。横になって腹部を一枚。
続いて採尿だがこれは詳細を省略、採血室へと進む。採血室の奥には検査室が見え白衣にマスクをした検査員が遠心分離器などで血の検査をしているのが見える。
肘の内側に注射針が刺されピューット吹き出した血が真空採血管に溜まっていくのを眺める。人によっては目を背けてしまうのだろうけど、わたしはこの光景が結構好きだ。うむ、自分の体には血が流れているのだな。静脈採血だからどす黒いけれど、青や緑ではなくちゃんと赤い血だ。1本目の採血管が抜かれ2本目に替わる、結局4本も取られてしまった。普段採血される時は2本かたまに多くて3本だったが4本というのは初めてだ。4本合わせても献血で取られる量よりは少ないだろうが。
次は右の耳たぶにちょっと傷を付けられ血が止まるまでの時間を計測。自分では見えないが、正常値だったそうだ。
続いて心電図を計る。横になって手首・足首と胸に電極をつけ測定。で、終了。
X線、採尿、採血、心電図の検査が終わった時点で時計は10時20分。30分と経っていない。早っ!てっきり短くても午前中いっぱいはかかると思っていたのだが。用紙についているバーコードは病院のシステムが電子カルテになっておりその管理用だろう。検査の数の割に時間はかからなかったのは電子カルテのおかげもあるのだろうか。
便利な反面、わたしの主たる肉体状況が数値化され一括管理されているわけで、外部からの不正アクセスでその情報が流出するおそれなど危険性もある。もっとも、わたしの血糖値や体温を知ってどうするんだとも思うが、やはり関係のない第三者にデータを見られて気持ちのよい物ではない。
その後はCTスキャナなのだがこれは機器も大がかりなためか予約制になっておりその時刻が11時。ぼんやりと待つにはちょっと時間があったので病棟に戻って荷物から『レインボー・シックス第4巻』を取ってくる。トム・クランシーのこの著作は『レッド・オクトーバーを追え』などのジャック・ライアン物と比べるとだいぶ読みやすくなっている。初期のは本当に軍事オタクが趣味で書いたという感じで、ストーリーやキャラクターよりも兵器や軍という組織、出来事、そして露助はクソ野郎ということだけで構成されていてわたしには面白く感じなかった。
西側各国合同の対テロ特殊部隊“レインボー”の活躍には胸が躍ったが、ラスト近くは「お前らはそんなに偉いのか」といった具合で小説としての面白みよりも「テロ許すまじ」というメッセージのために書かれた感じで結局はトム・クランシーだなとうんざりしてしまった。
主人公の一人が途中で自分とジェームズ・ボンドを比べて「007の映画でボンドが寝ているシーンなどあっただろうか」とボンドのリアリティの無さを指摘するシーンがある。トム・クランシーとしてはこれで自分のキャラクターに血肉が通っていると思わせたかったのだろうが、人間としての薄っぺらさはどのみち大して変わりはしない。だったら、ちゃんとエンターテインメントしている007の方が勝ちだろうという気もするが。

2004年10月13日

白線ヘルニアと入院(3)とタイムコップ

CT室の前で待つうちに11時なり名前が呼ばれた。
部屋の中に入ると直径2メートルはある大きくて厚みのある白いドーナッツがわたしを出迎えた。中央の穴は80センチほどだろうか、表面には凹凸がなくなだらかな曲線を描いている。『2001年宇宙の旅』あたりのクラシカルなSF映画に出てくるオブジェの様でもあった。
その手前には寝台が置かれている。上半身を裸になったわたしに担当者は横たわるよう告げるとガラス窓を挟んだ操作室へと行き、そこにいたもう一人の担当者に指示を出し始めた。
その間にCTスキャナを観察する。写真などでは見た事があるが実物はこれが初めてだ。“TOSHIBA”のロゴが入っておりその下には機種名だろう“Aquilion”と書かれている。家に帰ってからその名前で検索したところ見つけたのがこの東芝のCT装置案内サイトだ。右下にリンクが張られているAquilion16と記憶にある形がほとんど同じだ。
CTスキャンというと輪切りにした平面図しか撮れないと思っていたが、移動しながら何枚も連続してスキャンし、そのデータから3D画像の作成も出来るようで、立体になった心臓の写真などが掲載されている。このデータを取り込んでアニメーションを作ったり、樹脂で加工してオブジェやフィギュアを作ることだって出来そうだ。自分の心臓を手に取ってみるなんてのは普通出来ないので、サービスの一環としてデータをCD-RやDVD-Rに書き込んでプレゼントしてくれないだろうか。
大体、レントゲン写真にしろ心電図にしろ、データの元はわたしなのに、本人にはまともに見せてくれずお医者さんばっかり楽しんでいる。よしっ、わたしも医者を目指すぞ。といっても、今更人生の方向転換はかなり難しいか。

「それでは上がります」とスピーカー越しに声がかかった。
わたしの身体がズムムムムとゆっくり宙に浮かび上がった。どこからかシルクハットに燕尾服の男が現れ、糸で吊っているのではない事を示すため大きな金属の輪っかでわたしの周りを二度くぐらせると、観客の盛大な拍手に軽いお辞儀で応えた。そう糸で吊っているのではない、寝台のベッド部分そのものが持ち上がっているのだ。
穴の高さまで来ると上昇は止まり、続いて「では穴に入ります」との案内の後、寝台は秒速20センチほどの速度で足側から穴へと入っていった。
なんかこういうのをどっかで観たとことがあるぞと考えたら、『12モンキーズ』(1995)でブルース・ウィリスを過去に飛ばす透明のビニールシートで周りを覆ったタイムマシンの転送シーンや、直径10メートルはあるドーナッツにロケットカプセルに乗ってジャン=クロード・ヴァン・ダムが突っ込む方式の『タイムコップ』(1994)のタイムマシンを思い出してしまった。
どちらにしろタイムマシンか、ふと気が付くと上半身裸のまま関ヶ原の合戦の真っ最中に突っ立っている羽目にならないだろうかと懸念したが、幸いな事にさすがの東芝の技術力もまだタイムマシンを完成させるには至っていなかったようだ。おかげでこの文章を書く事が出来るが、もし紀元前のエジプトに飛ばされていたらピラミッドの壁画の隅にでも刻まねばいけなかったところだ。象形文字の中に日本語が混じっていては吉村作治教授を驚かせてしまうだろう。「日本語の起源はエジプトだった」とか、逆に「エジプト文明の起源は日本だった」などのトンデモな学説を思いつくような学者ではなさそうなので変に悩ませてしまっても申し訳ない。
それにしても、最初にも書いたように穴の直径は80センチほどなのだが、もし格闘家の曙をCTスキャンにかけた場合はどうなるんだろうか。どう見たって穴に詰まりそうなんだが。上下逆に入れるとお前はクマのプーさんか、みたいな。
ズズズズっと胸まで入った後、寝台は後退し元の位置へと戻った。もちろん痛みも何も感じない。それどころか、何かの実験台にでもされているかのようでちょっと楽しい。実際に実験台にされたら楽しいどころの騒ぎじゃないが。
そして、「では、造影剤を打った後にもう一度やります」と告げられた。スピーカー越しのため少し無機質になったその声に、わたしは「きたかぁ」と少し顔をしかめた。

2004年10月14日

白線ヘルニアと入院(4)とトータル・フィアーズ

10月6日 午前11時 -
造影剤と聞いて顔をしかめたのには訳がある。
9月22日の診察の時に“造影剤(ヨード系)についての説明書”という用紙を渡され、造影剤の副作用について説明を受けた。
用紙のよると
「診断効率を向上させる目的で、造影剤(ヨード系)という注射薬を使用します。造影剤は安全な診断薬ですが、低率ながら」
おっ来たよ来たよ
「(3.13%といわれている)副作用が発現することがあります」
ほら、良い事ばかりではないのだ。主作用があれば副作用があるのは薬の常識だ。それまで“ですます”調で進んでいたのに、確率の数字となるといきなり“だである”調になる辺り、「遊びじゃねぇんだ、マジなんだよ」という凄みを感じる。
「副作用の多くは即時型で造影剤の注射開始後30分ぐらいまでに起こり、はきけがしてはいたり、からだが熱くなったり、かゆくなって皮膚が赤くなりじんましんがでたりするというような軽いものです。」
といってるが安心しちゃいけない。
「しかし、」
ほらやっぱり。
「ごくまれながら(0.04%すなわち2,500人に1人くらいという確率)呼吸困難、急激な血圧低下やショック、けいれん、運動まひや意識消失などの重い副作用が起こることも報告されています」
報告されていますってあんた事務的な。しょせん他人事なのねっ!
いやまあともかく、重い副作用が発現する可能性があるわけだ。宝くじの一等だってあれは何分の一かという確率は知らないがめったに当たらない物だというのに毎回だれかしらが当選している。それに比べたら低率といっても2,500分の一というのは宝くじよりかはずっと当たりやすい。
普段は外れてばかりだがこんな時ばかり当たるんじゃないかなと不安がよぎり、それで顔をしかめたというわけだ。
今回投与された造影剤は150cc。注射された場所から徐々に温かい物が広がっていくような感じを受ける。痛みといったような物は感じない。数分を経過した後にまたCTスキャンにかけられる。
造影剤なしで一回、造影剤ありで一回。合計二回の撮影が行われた。検査時間は約20分だった。

なぜ造影剤を使うかというと、普通にレントゲン写真を撮ると(今回はCTスキャンだったが)ご存じのように骨ははっきりと写るものの、それ以外の臓器とか筋肉とかはぼんやりとしか写らない。これは通常の細胞組織がX線を通過させてしまうからだ。しかし例えばどうしても血管のレントゲン写真が撮りたいとなるとそこで造影剤の出番となる。造影剤は放射線を遮る力を持っており、血管に注射すればその形が写真に写し出される。
わたしに使われたのはヨード系造影剤。ヨード剤といえば原子力発電所(原発)事故に備えて近隣地区にはヨード剤が備蓄されていると聞く。そういえば『トータル・フィアーズ』(2002)だったかで核爆弾が爆発し、対応の一つとして市民にヨード剤を配るシーンがあった。「子供の分しかヨード剤がない」というシーンはどの映画だったか。
勉強不足で効果の理由が良く分からないのだがなんでも甲状腺関連を守るらしい。鉛の部屋の中にいると放射線を防げるといったようなものだろうか。だったら造影剤もヨードよりも放射線を防ぐ効果の強い“鉛”を粉にして水に溶きそれを注射したらより鮮明な写真を撮ることができる。鉛中毒で死んだりするが、まぁ大したこっちゃない。・・・大したことか。

CTスキャンで午前中の検査は終了。
病棟に戻るとリクレーションルームにある机で看護師から入院についての説明を受け、預けておいた荷物を受け取り割り振られた病室へと案内された。
コップやタオルなど必要な物を設置しているうちに12時になり昼食となった。今日からの入院なので当然食事も出る。ベッドに腰掛けて食事を取りながら、造影剤の副作用が出ないか身体を気にするが特に異常は感じられない。もしなにかあってもすでに病院にいるというのは安心だ。検査と手術を一度の入院ですませることにした利点を感じた。一人暮らしの人が家に帰った後で意識消失でぶっ倒れたらと思うと怖い。

用紙の説明に「造影剤は『尿』と一緒に体外に出ていきます。いつもより水分(お茶、水、ジュース等)を多めに飲んで『尿』を出してください」と書かれている。わざわざお茶や水と指定されているのは、じゃあビールをグーッっとなどという人がいるからだろうか。
病院一階にある売店でミネラルウォーターの2リットルボトルを買ってきてゴクゴク飲んでいたらその日のうちに飲み干してしまった。夜に様子を見に来た医師に「それは飲み過ぎです」と怒られてしまった。やはり何事もほどほどにということか。しかし、ほどほどにしないからバカはバカなのである。

2004年10月15日

白線ヘルニアと入院(5)と鉄人28号

10月6日 午後14時20分 -
昼からは超音波検診があるのみ。
超音波検査室に行くと担当者からベッドに横たわるよう指示され、「医師にも見てもらうから」と呼び出しの電話をするため隣の部屋に行ってしまった。
その間に上半身を起こし、超音波診断装置を観察する。エコーとも呼ばれる超音波検診はその名の通り“超音波”を使って体内の様子を調べる検査機器だ。潜水艦のソナーやコウモリが超音波で物を感知するのと同じ理屈だ。痛みもないしレントゲン写真やCTスキャナと違って放射線を使わないので比較的手軽に検査を行える。
見た目はパソコン組み込み型の机といった趣きで、ディスプレイや操作パネルが設置されている。
CTスキャナと同じくここにも“TOSHIBA”のロゴが入っていた。東芝が医療検査機器業界でどのぐらいのシェアを持っているのか、その性能が優れているのかは知らないが、この市民病院での割合は高そうだ。
“aplio”というのが機器名だろう。で東芝のサイトに行って見つけたのがこれ。わたしが見たのもここにある写真とほぼ同じ。上下二画面構成になっているところはNINTENDO DSを先取っているのだろうか。キーボードの周りにジョイスティックの様なスティックや上下にスライドさせるスイッチが付いている。なかなかにメカメカしくてかっこよく、知識を持った技術者でなければ扱えないといった風采だ。なんとなくX-BOXで発売されたゲームソフト『鉄騎』の専用コントローラーを思い出させる。
何にせよレバーが二本と数個のスイッチやダイヤルだけしかない『鉄人28号』の操縦機よりは操作が難しそうだ。あのインターフェースで自由自在に操れるとは金田少年の能力がすごいのか鉄人のシステムが優れているのか。そういえば実写版『鉄人28号』が来年の公開だそうだが、最近公開されている昔のマンガやコミックの実写映画化と同じく“鉄人”もクソ映画なのだろうか。
ディスプレイ右上には「TOSHIBA aplio 2001」と表示されている。外観もきれいだが実際新しいようだ。

医師が来たので検査が始まった。
腹部にジェルが塗られ、マウス大のセンサーユニットが当てられる。すると上の画面にわたしの腹腔内がモノクロで映し出された。映し出されたといってもなんかゴニョゴニョゴチャゴチャとしているだかでわたしには何がなにやらさっぱりだ。だが検査担当者や医師にはどれがどの臓器や骨だというのがはっきりわかっているようでさすがプロだ。ひょっとして目を細めたら形がわかるかなと思ってやってみたがダメだった。
「あー、確かに穴が開いてますね。ほらここです」
検査担当者が画面を指し示した。
むー、どれ?相変わらずさっぱり。
操作盤をなにやらいじくると画面に線が引かれた。
「縦が18ミリぐらいですね」
どうやらこの線の所に穴が開いているらしい。そう言われれてようやく穴らしきものの存在がわかった。続いてもう一本線が引かれ。
「横は15ミリぐらいです」
すると20ミリより少し小さいぐらいの穴が開いている訳か。やはり500円玉大だ。

検査開始時に装置の電源を入れた。起動画面は見逃してしまったのだが途中で“DOS窓”らしきものが一瞬現れた。それからカーソルや処理待ちの時に現れる砂時計マークが普段見ている物と同じ。どうやらwindowsで基幹システムが組まれているようだ。Windows2000などのNT系OSだろうか。まさかWindows98なんてことはないだろう。
はっ!ひょっとしてWindowsMeベースっ?!・・・だったら怖いな、なんか。いっそのことDOSで組んでくれた方がはるかに信頼できる。使いづらいだろうが。

2004年10月16日

白線ヘルニアと入院(6)と関東無宿

10月6日 15時 -
医師から最終説明を受ける。

1:病気の内容
  病名は“白線ヘルニア”であること。ただし、手術で腹を開いてみたところ別の病気の可能性もある。超音波検診とCTによると開いている穴の大きさは10~20ミリ程度である。

2:手術の内容
  手術の名称は“ヘルニア根治術”。皮膚と皮膚下脂肪などを切り腹直筋の中央を縦に走っている白線に開いた穴を縫い合わせる。自前の組織では足りなかったり腹部の緊張が強い場合には人工シートを用いて穴を塞ぐ。全身麻酔で行い、手術自体で1時間、麻酔作業で1時間半を予定しているとの事。輸血は行わない予定。

3:起こりうる危険性、合併症
  出血、脂肪融解、創感染、皮膚下漿液腫、心肺合併症、下肢静脈血栓症、そしてヘルニアの再発。など

1、2はふむふむと聞いていられたが3で手術中の危険性や術後の合併症などはさすがに真面目になる。もちろん最初から真面目だがその度合いが違う。あまり聞いた事がない単語がずらずらと出てきて、なにやら大手術のように思えてきた。
出血に備えて輸血用血液は常備してあるとのこと。病院内の感染対策は行っており、様態が安定するまでは入院してもらい、心肺合併症については明日心肺機能検査を行うとのこと。
下肢静脈血栓症とは長い時間身体を動かさないでいると血液の流れが滞り、さらに水分補給を怠った事で血液の粘調度が増してネットリとしてしまい、膝から下の静脈に血栓(血の固まり)ができることだ。その血栓が細い静脈、特に肺の毛細血管につまり血液の流れを損ねて近辺の細胞組織を壊死させてしまう。
飛行機のエコノミークラスで遠距離旅行をしたときにも狭い席にずっと座っているのでこの下肢静脈血栓症が発症することがあり、俗に“エコノミークラス症候群”と呼ばれる。時には死を招きかねない恐ろしい病気だ。予防策としては少しでもいいので身体を動かして運動すること、水分を補給する事なんだそうだが、どちらも全身麻酔の最中には難しい。というよりメスで切られてる時に動いたらめちゃめちゃ危ないし。
そこで血液が溜まらないように下肢を圧迫する用品が支給された。アルケア株式会社の弾力性ストッキング“アンシルク・プロ(ハイソックス)”である。
すっ、ストッキングっすか・・・と内心思ったものの、紙箱を開けてみるといわゆる透けとおったストッキングではなく白い薄目の靴下といった様子だった。ハイソックスタイプなのでつま先から膝までの丈しかない。女性が着用している下半身全部を覆うタイプでなかったので少しほっとした。

そして、これが一番重要なのかも知れないが、大体10センチ程度の手術の傷跡がヘソの下から縦に上に向かって残るとのこと。ヘソの周りでカーブを書くので“?”の上の部分を逆さまにしたような傷になるらしい。
わたしの腹にはすでに盲腸の傷跡があるが、あれは右足の付け根に近いので長さが8センチほどあってもあまり目立たない。普通の盲腸の傷跡は3センチ程度らしいが、わたしの場合虫垂が奥に入り込んでしまっていたそうでなかなか見つからずまた引っ張り出すのが大変だったのだ。虫垂炎の手術は下半身麻酔で行ったので意識があり、医師から「虫垂が見つからないからもうちょっと切り口を広げるけど良い?」と尋ねられたが、この状態で誰が「嫌です」と言えるものだろうか。で、もうちょっと切りもうちょっと切りでそれでも見つからず、このままでは麻酔が切れてしまうので一旦縫い合わせて後日再手術という話も出てきた頃にようやく虫垂が見つかった。どうやら引っ込み思案な奴らしい。
ようやく切除され傷口を縫い合わせて病室に戻る最中にはもう傷が痛み始めていた。ほんとぎりぎりセーフだったのだ。
今度の白線ヘルニアの傷は割と大きい上に腹の真っ正面でど真ん中。パンツ一丁や水着になるとかなり目立つ。パンツ一丁で人前に出る趣味はないが、水着の場合は人前に出る。うむむ、そういえば最近の水泳選手は水の抵抗が少ないとかで男でも上下つなぎの水着を着ている。こうなったら水泳選手にでもなったらいいのだろうか。まぁ、わたしの場合は別段傷のことが気にならないのでどうでもいいか。
これが頬の傷だったりすると『関東無宿』の小林旭みたいに凄みが出たりもするのだが。うーむスカーフェイス。

2004年10月17日

白線ヘルニアと入院(7)とライトスタッフ

10月7日 -
今日は肺機能の検査と採血のみなので空いた時間は読書などをして過ごす。
ジャック・ヒギンズの『鷲は飛び立った』を読み始める。
こいつはかの傑作にして名作『鷲は舞い降りた』の続編なのだが、そちらがどうやったって続きの書きようがない終わり方をしている。実際、ジャック・ヒギンズはかなり強引な力技で続編を書いているのだ。その概要を聞いて「そりゃ力技だあ、無茶だよヒギンズ」と1992年に出た翻訳版ハードカバーはスルーし、1997年に文庫化されたとき同時発刊の『鷲は舞い降りた(完全版)』と一緒に購入した。『鷲は舞い降りた』は以前の版を持っていたのだが何度かの引っ越しの最中に紛失してしまったので買い直し、購入後改めて読んでその面白さに驚喜した。しかし、『鷲は飛び立った』はそのせっかくの喜びをぶち壊してしまうのではないかと怖くて、そのままずっと本棚にしまいっぱなしになっていた。7年間熟成された本である。
詳しいことはまた後日にするが、思っていたような破綻はなくてジャック・ヒギンズ最良の作品とは言えないが、十分に合格点はつける事ができる。
そんなこんなで読書をしているうちに看護師が肺機能の検査に行くよう告げにきた。そこで肺機能検査室に向かった。
肺機能検査の検査担当者は白髪混じりの比較的年配の方だった。
まずは年齢を聞かれ、続いて身長と体重を測る。体重は極秘だが、身長は173センチと教えられた。ここ10年ほどずっと自分の背は171センチだと思っていたのだがいつの間に2センチも伸びたのだろうか。ひょっとして今更成長期なのか。
そして一本のホースを手渡された。その先端には使い捨ての紙の管が付いている。トイレットペーパーの芯を少し細くし、長さを5~6センチで切ったような管だ。
それをくわえると鼻をクリップで止められる。何故か“シンクロナイズドスイミング”という言葉が頭をよぎる。
「では思いっきり息を吸い込んだ後、最後まで全部吐ききってください」との指示があった。
そこで、すうぅぅう、はぁぁぁぁーーーー
検査機のディスプレイにいびつな円が描かれているのだが、それがグニョグニョと大きく形を変える。どうやら吐く息の量でその大きさが変化するようだ。
うむ、では少しでも大きくなるよう、『ライトスタッフ』(1983)でデニス・クエイドたち宇宙飛行士候補が肺活量のテストで一秒でも長くと競っていたようにがんばろうと思ったが、あっという間に肺は空っぽになってしまった。風船を膨らませたりするのと違い何の抵抗もない上に紙の管で口を大きく開けているので息がそのまま出て行ってしまい一気に吐ききってしまうのだ。
その後、普通の呼吸を続けたり、吐ききったところから一気に吸い込んだりの検査が行われた。
検査時間は10分ほど。検査機器は“TOSHIBA”の文字はなかった。機械も結構年季が入っており、DOSかなにかのCUIベースのOSで動作していた。もしかしたら外国製の機器かもしれない。
そうか、別にどの機械どの機械も東芝製というわけじゃないんだなと部屋に戻ってきて、ふと床据え置き型のエアコンを見たら東芝製だった。

夕方にナースステーションの呼ばれ、何かなと行ってみたら看護師さんに術前処理をされてしまった。いわゆる剃毛その他である。昔、盲腸をやった時はカミソリだったが今は電気カミソリなのか。ま、詳細は省く。
この日の午後9時、消灯をもって絶飲食に突入。これ以降は“飲む打つ買う”は禁止だ。いや、“飲む”と“食う”が禁止か。まぁ、病室で打つ買うをしていたらどのみち怒られるんだが。そもそも両方とも法律違反だし。
腸の中をなるべく空にしておくためで、そのためにラキソベロン液という便秘治療薬も処方され朝に服用している。食べてはダメはいいんだが、飲んじゃダメはちょっとつらい。朝起きて、ノドが渇いているのを我慢する。あー、瓶の牛乳を一気に飲みたい~。って、いつもは飲んでいないのだが、禁止されるとやってみたくなるものだ。

2004年10月18日

白線ヘルニアと入院(8)とモンティ・パイソン's 人生狂騒曲

10月8日 - 13時
いよいよ本番の日。手術当日である。
手術室へは病室で寝ていたベッドと共に向かう。階が違うのでエレベーターを使うが、寝台専用のエレベーターは幅は普通のと大差はないが奥行きがある。
手術準備室にはいるとまずは名前の確認された。間違って別の人を開腹してしまったなんてことがないようにだろう。
まずはすでに顔見知りの担当医から「よろしくお願いしますね」とあいさつをされる。どう返して良い物かと一瞬迷ったが、素直に「こちらこをよろしくお願いします」とおじぎをした。その後、麻酔医、看護師からも「よろしくお願いします」とあいさつされる。いや、お願いするのはむしろこちらなのだが。「手術をしてやるぞ」という上の立場からの言葉は控えるということなのだろうが、ちょっときまりが悪い。さすがに土下座はしないが、腰を90度に曲げておじぎしたいぐらいだというのに。
そして服を全て脱ぐように指示され、Tシャツに綿パン、そしてトランクスを脱ぎ真っ裸になるとストレッチャーに横たわった。ストレッチャーでガラゴロと運ばれ手術室へと入っていった。
中央に手術台があり天井から丸いライト板が三つぶら下がっている。いろいろな機器があるようだが横になった状態なのではっきりとは見えなかった。無機質な実験室めいた部屋を想像していたのだが、壁紙などは案外普通の部屋のそれと同じような様子だった。患者に威圧感を与えないようになるべく普通に見せるようにしているのかも知れない。
ストレッチャーに寝たままのわたしを看護師が数人がかりでよいしょっと手術台に移し替える。大怪我をして担ぎ込まれたわけじゃあるまいし、そのぐらい自分で移動しますからとも思ったが、そういうものではないらしい。
頭にゴムで裾がぴっちりと止まる帽子をかぶせられると、手術台から落ちないように両手両足をマジックテープで止められた。ここで「やめろぉ!ショッカー!」と本郷猛(藤岡弘)こと仮面ライダー1号の真似をしようかと思ったが止めておいた。
胸に心電図のセンサーが幾つか付けられ、心臓の鼓動に合わせて「ピーン、ピーン」と電子音が鳴り始めた。うむむ、この心電図装置が病院内で一番高い機器だったりしてな。いわゆる“ピーン・マシーン”(『モンティ・パイソン 人生狂騒曲』(1983))か。
この“ピーン”が“ピーーーーーーーー”になったりするとえらいことだ。“ピッ、ピッ、ピッ。ピッ、ピッ、ピッ。ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ!”と三三七拍子ぐらい打てないかと力んでみたが心臓は不随意筋なので無理だった。
血液中の酸素をモニターするとかで左手の人差し指にクリップを付けられた。針を刺すわけでもなくただ挟んでいるだけなのにどうして血中酸素濃度が分かるのか不思議だったが、どうやら光を透過させることで測定しているらしい。要は酸素濃度によって血液の色が違うのでそこから算出しているというとこだ。確かに酸素濃度の高い動脈の血は鮮やかな赤だが、酸素濃度の低い静脈の血はどす黒い。しかし、エビやタコの血は青いのだが彼らの場合はどうするのだろうか?えっ、魚屋の店頭でやってたのは手術じゃなくてさばいてたんだって。なるほど。

準備は進み執刀の時は刻一刻と近づいてきた。
昨日、麻酔についてのヒヤリングをした麻酔医が、酸素マスクをわたしの口元にあてる。
もしかするとこれで人生にお別れかも知れない。
やはり、「やめろぉ!ショッカー!」と最後に叫んでおこうか、と強く思った。

2004年10月19日

白線ヘルニアと入院(9)とモモ

10月8日 - 13時過ぎ
麻酔医がわたしの口元に酸素マスクをあてた。すっきりとしているが乾いた感じの空気が流れ込む。
「ではこれから注射をします。ちょっとケッカン痛がしますよ」
この注射は直接されたのだったか、ひょっとするとすでに腕に刺さっていた点滴のチューブを通じてだったかも知れない。肩に痛みが走り「ああ、ケッカン痛とは“ケッカン痛”という意味か」と思ったので、たしか肩に注射をされたんだと思うが今一つはっきりしない。
そして、右の肩を軽くポンポンと叩かれた。
んー、次は何?と思ったら、
「終わりましたよ、東森さん」
えーっ、今なんと?
「ですから手術が終わりましたよ。ご苦労様でした」
えっー?えーっ?えーっ?えーっ?もう一個おまけに、えーっ?
なんかノドがイガイガする中、首を起こしてみてみると腹部にガーゼが当てられてはいる。
だけど、えーっ?一瞬しか経ってないじゃないですか。ひょっとしてただガーゼをあてただけで、手術をしたってわたし騙されてるのか?もちろん、そんなはずはなくちゃんと手術は行われていたのであって、時計の針は15時近くを指していた。約2時間が経過していることになる。
だが、わたしには注射を刺されてから肩を叩かれるまでの2時間がほんの一瞬にしか感じられなかった。注射が速効で効いて意識を失いそれきりだったのだろう。夢も見ないし時間が過ぎたという感覚もない。全身麻酔というのは眠るのではなく意識が止まってしまうものだったのだ。まるでミヒャエル・エンデ原作の『モモ』(1987)に登場する“時間泥棒”に出くわしてしまい2時間ほど盗まれた感じだ。
ひょっとすると麻酔で意識を失うまでもう少しあって、その間に医師たちの話を聞いたりしている時間もあったのかもしれないが、まるで記憶にない。だが、手術前や手術後のことはちゃんと憶えており身体のしびれなどはないので全身麻酔による後遺症というのはなく無事だったようだ。

ここから先は、わたしは意識を失っているので、術前術後の説明や資料を元に文章を書く。
意識を失ったわたしは全身の力が抜け、呼吸も正常に行われないのでそれを補助するために空気を通すチューブを口から気管へ入れる。手術に先立つ肺機能の検査はこれのためなどに行われたのだ。
尿失禁を防ぐため資料曰く“おしっこの管”、すなわち尿道カテーテルを入れられる。尿の出る先端部から入れて膀胱にまで達するというからかなり長い。しかも直径5ミリ以上はありそうな意外に太い管。意識を失ってからの処理で良かった。ただし、トイレに行かなくてもすむようにこの管は術後およそ18時間差しっぱなしで、下腹部にずしりとした違和感を与え続けた。
そしてついに腹の皮膚に鋭くとがったメスがあてられ、すーっと・・・以下省略。

うーん、時間泥棒の被害届は警察で受け付けてくれるのかな、などと思っていると、
「では、まばたきをしてください」との指示がでた。
意識がちゃんと回復しているか、身体はちゃんと動くかの確認だ。
手を握ったり、麻酔医が触れた足の指に感触はあるかなどいくつかの質問がある。
それでOKが出たので口から呼吸用チューブが抜き取られた。これのせいでノドがイガイガしていたのか。ちなみにこのイガイガは1日ほど続き、思わず咳が出ては傷口が痛んだりした。思いっきり大きな咳が出た時など、手術跡がパーンとはじけるんじゃないかと感じたほどだ。

10月8日 - 15時近く
ともあれ、全身麻酔からも復帰し、手術はひとまず無事終了となったのであった。

2004年10月20日

白線ヘルニアと入院(10)と『デッドコースター』

10月8日 - 15時00分
手術台からえいやっとストレッチャーに移されたわたしは手術準備室で今度はよっこらせっとベッドに移された。そしてベッドに横たわったまま廊下とエレベーターで病室まで運ばれた。テレビ・シリーズ『ER』など病院物の映画やドラマだとよく見る光景で、上に設置したカメラで患者を見下ろすカットがあったりする。だが、患者の視点で天井を見上げたままの移動撮影で撮った映像というのはあまり記憶にない。で、面白いのだ、これが。
頭の方向に進むので、天井が上から下へと流れていく。角を曲がった時の視点の移動がダイナミックだ。
みなさんも一度上を見上げたまま歩いてみて欲しいと思ったが、なんか永六輔作詞の歌みたいだし、つまずいたりぶつかったりするといけないので、やはり止めておいた方がいいだろう。

- 15時05分
病室に到着。ベッドが固定されると、壁にある“oxygen”、“vacuum”の“oxygen”にチューブがつながれ二股になった先端を鼻に差し込まれた。まだ呼吸が安定していないので酸素を供給してもらわないといけないのだ。『デッドコースター ファイナル・デスティネーション2』(2003)のラスト近くで黒人教師が事故で病院に担ぎ込まれ鼻にチューブを入れられるがあれだ。もちろん火気厳禁でタバコも吸えやしない。というかもともと吸わない上に病院内は禁煙だが。『デッドコースター』だともちろん大爆発を起こして病室は吹き飛んでしまうが、酸素は物の燃焼を助けるだけでそのものは燃えないのだから、あれはひょっとして酸素と間違えて水素ボンベを取り付けてたんじゃないだろうか。
鼻には酸素のチューブ、左腕手首内側には点滴の針、尿道にはカテーテル。3本もの管がつながった状態で身動きができない。しかもまだ飲食禁止。すでに18時間が経過し、空腹は案外感じないが気道に酸素チューブを入れられてイガイガしているし酸素ボンベからの空気は乾燥していてノドが乾いてしょうがない。水を、いやできればペプシ・コーラの冷えた奴をゴクゴクッと1缶丸々飲み干したい。だが我慢我慢。
ちなみに、ベッドから出られるようになってからさっそく1階の自販機でペプシを買った。紙コップ式の自販機で普通と大の二種類があったので迷わず大にした。いやもう、その一杯の旨かったこと。ペプシ最高!

こうして手術は終わり病室に戻ってきた。これから怖いのが感染症。点滴で抗生物質を投与されているのだが、消毒が頻繁に行われる病院内で耐えて生き残ったメチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)には抗生物質がほとんど効かないという。こいつは怖い。実をいうと、わたしの入院している市民病院は数年前にMRSAの集団感染が発生し死者まで出しているのだ。うむむ・・・
だが逆に、普通の病院以上に院内感染への対策が進んでいるかもしれない。まぁ、どの病院でも同じようにちゃんとした対策が取られているのが理想かつ当たり前なのかも知れないが。
院内感染やMRSAといった単語が一般的になったのは割と最近な気がするが、わたしが1993年頃にバイトをしていた医学系出版社ではすでに雑誌で『院内感染特集号』といったものを出していた。あまり厚くない本だったが、そのほとんどの校正をわたしが担当した。朝から晩まで“院内感染”についての原稿と校正ゲラを見比べる毎日。校正というのは文字は見ていても文を読んではいないのだが、それでもMRSAというのは恐ろしいと思った物だ。
その後、『性感染症特集号』というのも出されたのだが・・・毎日朝から晩まで・・・でっ、でら恐ろしい・・・。これ読んだらとてもじゃないが性風俗店なんて行けないよ。

2004年10月21日

白線ヘルニアと入院(11)と『透明人間』

10月8日 - 夜
酸素の管は8日の19時頃には外されたが、尿道カテーテルと点滴は刺さったまま夜を迎えた。
傷口に多少痛み出し、カテーテルのため泌尿器に強い違和感を感じる。ずっしりとした岩が下腹部に埋まっているかのようで人を憂鬱にされるタイプの違和感だ。
痛みにしろ違和感にしろ一つ一つは耐えられないほどではないのだが、タッグを組んでかかってこられるとそれぞれの力が+ではなく×になる。気を紛らわそうにも身体に管が二本刺さっているので寝返りも打てない。
眠ってしまえば楽なのかも知れないが、あいにく睡魔はなかなかその姿を現さない。うーうー唸るようにして苦しい夜を過ごす。21時に消灯なのだが、時計が午前2時を示した時までは覚えがある。
この8日から9日にかけての夜が、白線ヘルニア発症から完治までの間で一番苦しい時間だった。

10月9日 - 朝
たしか110時頃だっただろうか、看護師が来て尿道カテーテルを外してくれた。
軽い痛みと「しまった、尿失禁してしまったか」というような猛烈な尿意を感じた。だがそれはカテーテルが尿道を通っていく時に発した一種の錯覚で、幸いな事にベッドは濡れていなかった。
この瞬間から全ては快方へと向かっていった。
下腹部の違和感がなくなり、気分もすっきりして落ち着いてきた。この“気分”というのは入院生活にとって重要なのだなと感じた。色彩のない病室でのこれといってやることのない生活はどうしても落ち込みがちになりやすい。憂鬱な気持ちのままでは快復力が下がってしまうのではないだろうか。わたしの場合、一番の憂鬱が下腹部の違和感だったのだ。
カテーテルが外されたことでベッドを離れる事ができるようになった。腹部に負担をかけないように上半身を起こすのが結構難しかった。やってみていただくと分かると思うが、腹筋にかなり力を入れる必要があるのだ。激しい痛みが走るわけでもないが、傷口が綻びるんじゃないかと心配だ。ようやくのことで身体を起こすと、一旦ベッドに腰掛ける姿勢になってそこから立ち上がる。よたよたふらふらして頼りないこと甚だしい。腹部に緊張がある感じでまっすぐ胸を張ることができず、猫背までしか背を伸ばせない。点滴の袋を吊したキャスターをガラガラ転がしながらひとまずトイレに向かった。病室からのおよそ10メートルの距離は近いが遠かった。普通に歩いただけでそのドーンといった具合に傷口に響く。そこで一歩一歩ゆっくりゆっくりと、足を地面におろす時になるべく衝撃が少ないようふわっとした感じでおろす。端から見てたら月面を歩く宇宙飛行士のようだったのではないだろうか。
昼食から食事が再開された。おかずは通常食と同じだがご飯ではなく七分目のおかゆだった。38時間ぶりの食事は美味かった。もちろん、全部残さずたいらげた。

午後からはベッドの上半分を起こすとそこに机を渡して本を読みはじめた。H・F・セイントの『透明人間の告白』である。
1992年に文庫化された時に読んでいたのだがすでに手放してしまっていた。先日古本屋の100円均一コーナーで1988年に発行されたハードカバー版を見つけ、思わず買ってしまったのだ。
『透明人間の告白』はある証券マンが科学研究所で事故に遭い透明人間になってしまうというストーリー。「透明人間になれたら良いだろうな」と空想する人は多いだろうが、実際に透明人間になってしまったら普通の生活ですら不便で危険なことばかり。そこにある物を取ろうにも手が透明なのであっちかこっちかの手探り状態なのだ。しかも、彼の存在に気付いた政府組織からは追われる羽目に。はたして彼は不透明に戻れるのか、あるいは安住の地は?
10年ぶりに読んだがやはり面白い。一人称の小説はそんなに好みじゃないのだが、この作品の場合は読者の視線を主人公ニックと同じにするために必要で、またその効果を上げている。
1992年にはジョン・カーペンターが『透明人間』として映画化した。彼には珍しいコメディ作品である。透明人間を演ずるのはチェヴィー・チェイス。この作品では抑えめにしているが、真面目な顔をしてハチャメチャなことをやる人だ。映画についてはまた後日。
作者のH・F・セイントは、第一作目になるこの作品が売れ行き・書評ともに好調で、映画化権は250万ドル!!で売れたそうなのにその後さっぱり名前を目にしない。今、ちょっと調べてみたのだが米amazon.comでも『透明人間の告白』しか売っていない。しかし、死んだという情報もない。ハードカバーの裏表紙には「目下、ニューヨークを舞台にした二作目を執筆中」とあるのが、ひょっとしたらかなりの金額になるであろう印税や映画化権料を手にしてさっさと引退して楽隠居しているのかもしれない。

2004年10月22日

白線ヘルニアと入院(12)と『ブラック・ジャック』

10月9日 - 17時
何回か取り替えられた点滴も今つながっている100mlの袋で最後となる。
ポタリポタリと落ちる水滴が止まったので、ナースコールのボタンを押した。数分後にやってきた看護師が点滴を外してくれた。左手首内側から思いの外長い3センチほどの針が出てくる。多少弾力性はあってある程度は曲がるようになっているようだ。そうだろう、何かの拍子に体内でポッキリと折れたんではたまらない。そういえば、たしか手塚治虫の『ブラック・ジャック』で“体内で折れて血管の中を迷走する注射針を取り出す”というエピソードがあった。意外なオチが付いていたはず。
これでようやく身体につながれていた三本の管がすべてなくなった。本を読むにも左手が不自由だったのでページを押さえにくかったがそれもなくなった。なにより点滴を吊したキャスターを引きずって歩かなくても良いので行動範囲が広がった。まずはそろりそろりと歩いてエレベーターに乗り1階の自販機まで行って、以前にも書いたがペプシ・コーラのラージコップを飲んだ。苦難の道のり(そんな大げさなことか)にたどり着いたペプシは最高だった!
傷口のガーゼが取られ、代わりにスプレーをかけられた。その液が薄い膜を作りガーゼの代わりになってくれるそうだ。ちょっと黄色がかったその透明な膜は、退院後シャワーを浴びたりするうちに段々とはがれていった。伸び縮みをする膜で、子供の頃に木工用ボンドを薄く皮膚に塗って乾かして作った膜に何となく似ている。ただ、木工用ボンドは空気を通さないだろうが、このガーゼスプレー(勝手に命名)は目に見えないような小さな穴が開いているようで通気性が良いらしい。最初は「こんなので大丈夫なのかな」と思ったが、出血が止まっていれば術後の経過にとって綿ガーゼよりも優れているらしい。やはり技術は進歩しているのだ。

傷口が化膿したり感染症に罹病することもなく、その後は回復一直線だった。
夕食は通常量のおかゆとおかず。そして夜は昨夜の分を取り戻すかのようにぐっすりと眠った。
10日の朝食から通常食に戻り、ベッドから出て歩いた時も昨日と違って足を踏み出しても痛みが生じない。まっすぐ立つと傷が引きつる感じなので猫背なのはそのままだが、かなり普通に歩くことができる。自分の好きなように歩くことができるとはなんと素晴らしいのだろうかと軽く感動したりする。もっとも、しばらくしたら当たり前になってその感動は薄くなっていったが。
10日の夕方に医師が診察に来て傷などを確認した。
「うん、順調ですね。では予定通り明日退院ということにしましょうか」
8日に手術をして11日に退院。手術前に聞いた時はちょっと早すぎるんじゃないかと思ったが、実際に10日になってみるとその日程でちょうど良いかなと思うようになっていた。ベッドにいるのも退屈だし回復のためには身体を動かした方が良いのだが、病院にいてはそんなにやることがない。持ち込んだノートパソコンもインターネットにつながっていない状態ではあまり魅力がなく、この入院記の草稿を書いた以外はほとんどmp3プレイヤーとしてしか使っていなかった。iPodあたりと比べるとずいぶんでかい上に重たいHDDポータブルプレイヤーだ。しかもHDDの容量は15GBしかないのでiPodの上位モデルよりも少ない。代わりに15インチの液晶でDVDビデオも観られるが、こちらは何枚か持って行ったものの、やはり病室はじっくり2時間映画に集中できる環境ではなかったので結局観ずじまいだった。
各ベッドに一つずつ14インチ程度の小型テレビがあり、1000円のテレビカードを購入することで何時間か見ることができるのだが、普段からテレビはほとんど見ないので買わなかった。別段不便にも感じない。
せめて携帯電話が使えればノートパソコンと接続してメールのチェックや簡単なサイト閲覧ぐらいはできるのだが、残念ながら病院内では携帯電話の使用を禁止されている。各階にある公衆電話はグレータイプと最近のICテレホンカードタイプで、モジュラージャックが付いているのだが残念ながら近くにコンセントがない。わたしのノートパソコンはもともとがコンセント電源での使用を前提にしたマルチメディアノートの上に、もう何年も使っているのでバッテリーも疲労し内部電源ではせいぜい5分しか動作しない。OSがWindows2000なので起動に時間がかかり、バッテリーの場合は起動したらすぐに終了作業を始めなければならない。ほとんど停電などの場合のUPS的役割しか果たしてくれないので公衆電話でインターネットというわけにもいかない。
どのみち、エレベーターホールの片隅にある公衆電話でノートパソコンをカチャカチャ操るつもりもないのだが。

2004年10月23日

白線ヘルニアと入院(13・完結)と『スクール・オブ・ロック』

10月11日 - 10時
ついに、というかあっという間に退院である。
朝、起き抜けに病室のベッドから出てみたら、昨日よりもさらに身体か軽くなっていて傷口がつっぱるせいでの猫背も治まっていた。なかなかに快調である。
11日の今日は祝日のため市民病院の受付が休みで、とりあえず仮払いということで5万円を納め抜糸の日に精算することになった。退院時にもらった“退院療養計画書”によると抜糸の予定日は9日先の10月20日、通勤・通学は可で事務的労働はOKだが肉体的労働はまだ禁止、入浴・洗髪はシャワーのみ可。わたしの場合、日常生活にはほとんど支障が出ない内容だ。
帰宅後、郵便物のチェックなどをしている内に夜になり、入院中に書いた草稿を元に“映画バカ黙示録”を更新しシャワーを浴びて寝た。やはり病院のベッドより我が家の布団の方が寝心地が良い。

10月12日
仕事再開。事務仕事なのでさほど問題がなかったが、身体を使う仕事だったらまだ数日は難しいだろう。

10月13日
体力回復のためにウォーキングというか散歩を再開。片道1.5kmほど離れたレンタルビデオ屋まで行って帰って万歩計は4865歩だった。ちょっと汗をかくぐらいだ。『スクール・オブ・ロック』(2003)があったので借りてくる。映画館で観た時はもう一つ楽しめなかったのだが、再観してみてもあまり評価は変わらなかった。ラスト近くがイマイチなのと、なによりも生活苦から小学校教師になりすます主人公のロッカー(ジャック・ブラック)が弾けきっていないのが残念だ。ロックが好きだロックが人生だと突き進むのではなく、あれこれ姑息な小細工で周りだけでなく自らの心も欺いていてはロックバカ失格だ。
新作なので2泊3日レンタルで新作料金200円。ちなみに旧作だと1週間レンタルで100円。都市部と比べるとかなりお値打ちな料金だ。

10月14日-19日
シャワーだけで風呂に入れないこと以外はほぼ日常生活で傷に痛みもなく気にならない。散歩も毎日約5000歩程度。万歩計は以前“ポケットさくら”が叩き売りされていたのを見かけて買ったものだが、時計機能とメモリー機能があって7日前までの歩数を「1日前、2日前」といった具合に表示できるのが結構便利だ。説明書によるとゲームボーイ用『サクラ大戦』と連動して遊べるらしいが、そのソフトはおろかゲームボーイ自体持っていないので意味がない。

20日 - 11時
病院に行った。ようやく抜糸である。
11時の予約だったがそれまでの患者が長引いたようで診察は12時近くになってからだった。
担当医がと腹部の黒い糸を切っていく。チョキンチョキンと都合8針。傷口の大きさは縦に10センチメートルで横に伸びる縫い目がほぼ3センチ。ヘソを避けるためカーブした傷で見た目はあまり良くない。マンガに登場する魚の骨の頭と尾を取って腹に貼り付けた感じだ。
デジタルカメラで写真を撮っておいたのでここに掲載しようかと思ったが、グロ画像だったので止めた。いや、傷がグロいんじゃなくてわたしの腹がね。
帰りに窓口で精算。手術・入院関係が合計で保険点数30666点、自己負担3割で92000円。点数で大きいのがやはり手術料の13636点と入院料の11190点。高額療養費制度と生命保険の疾病特約である程度は戻ってくる。今更ながら医療保険に入っておけばなぁ。
家に帰るとまず先に風呂を沸かし好みであるぬるめのお湯にしてバシャッと肩までつかった。
あーいい気持ちだ~、とろとろと溶けていきそうな感覚である。普段はカラスの行水で湯には5分とつかっていないのだが、15日ぶりに入る風呂はやはり良い。
「んー、温泉行きてぇなぁ」などと思ったりする。最後に行った温泉は草津だったか。あれはもう何年前になるんだかなぁ。

10月23日
現在、すこぶる健康である。
4、5回で終わるつもりだったこの「白線ヘルニアと入院」シリーズもようやく完結の運びである。
“T字帯”など書こうと思っていて書きそびれてしまったこともあるし、毎日のネタを考えるのが楽だったのだがこのまま続けていては看板に偽りありになってしまう。
闘病記として書き始めたのだがずいぶんとお気楽な内容になってしまったが、実際痛い苦しいと感じたのは手術当日の夜ぐらいで後はさほど負担に感じなかった。腹部のぽこっとした膨らみに気付いて約1ヶ月後には手術と、迅速に進めていったのであまり悪化していなかったおかげもあるだろう。悪化しなければ痛みなどがなく、入院や回復までの日にちが必要になるため手術を迷う方もいるだろう。だが、放っておいても悪くなるだけなので、なるべく早い段階で手術したほうがいいだろう。
調べてみると“日帰り手術でのヘルニア根治術”を行っている病院もあるようだが、先ほど言ったように一番苦しいのは手術当日の夜なのでせめて1泊2日は欲しいところだ。様態が急変した時にナースコールを押すか救急車を呼ぶのかではかなり違う。特に、一人暮らしの場合は入院を強くお勧めする。

最後に、市立H病院のS医師に改めてお礼を申し上げる。

2004年10月24日

『80日間世界一周』 やっぱ万博なんて今さらだよなぁ・・・

『80日間世界一周』(1956) AROUND THE WORLD IN EIGHTY DAYS 169 分

監督:マイケル・アンダーソン 製作:マイケル・トッド 原作:ジュール・ヴェルヌ 脚本:S・J・ペレルマン、ジェームズ・ポー、ジョン・ファロー 撮影:ライオネル・リンドン 音楽:ヴィクター・ヤング
出演:デヴィッド・ニーヴン カンティンフラス シャーリー・マクレーン ロバート・ニュートン

ジャッキー・チェンがパスパトゥ役を演じた『80デイズ』(2004)がまもなく公開だというので久しぶりに1956年版を観る。
それにしても、2004年版の邦題はちょっとひどい。本国アメリカでは予算の割にヒットしなかったそうだが、それで日本の配給会社もあまりやる気がないのだろうか。
ジュール・ヴェルヌの原作本『AROUND THE WORLD IN EIGHTY DAYS』を直訳だが『八十日間世界一周』と訳した人は偉い。翻訳家だろうか、編集者だろうか。まあ個人的には『80日間世界一周 2004年版』と呼ぶが、『アラウンド・ザ・ワールド・イン・80デイズ』なんてのにならなかったでよしとするか。
ジュール・ヴェルヌは小学校の図書館にあったのを夢中になって読みふけったものだ。『月世界旅行』『十五少年漂流記(二年間の休暇)』『海底二万海里』『気球に乗って五週間』『神秘の島』などなど。それらはわたしが後にSFを読み始める起点となっており、興味がSF小説→SF映画→映画となっていったことを考えるとある意味ヴェルヌはわたしの原点と言えるのかも知れない。
ただ、中学校に入り読む本の幅が広がるとヴェルヌは少々物足りなくなってくる。例えば、ウィリアム・ゴールディング『蝿の王』を読んで『十五少年漂流記』と比較し、『蝿の王』の方が衝撃的だし人間の本質を突いているなどといったことだ。今ではそんな比較は無意味だと分かっているが、変に知恵のつき始めた青少年は明快な物を下に見て難解な物をより高等だと思いこんだりするのだ。もっとも、『蝿の王』を読んだ中学時代のわたしは、「うわー、うっとおしい。邪魔くっさいですなこれは」などとボンクラ街道を突き進んでいたというのが実際だが。

映画は4:3のスタンダードサイズから始まる。書斎に立つ一人の男がカメラに向かって話しかける。
「ジュール・ヴェルヌは19世紀末に活躍した空想小説家です。彼が書いた『月世界旅行』はジョージ・メリエスによって映画になりました」
ここでメリエスの『月世界旅行』(1902)が数分にわたってスクリーンに映し出される。
そして画面はカラーになり現代(1956)のロケットが映し出され、画面が段々と広がっていきワイドサイズになる。これを今ではほとんど絶滅してしまった1000人は入る大劇場の大スクリーンで観たらそれだけで興奮物だったことだろう。しかし、この男の話は延々続きなんと6分を越える。長すぎて思わずリモコンの早送りボタンに手が伸びるがぐっと我慢。
実を言うと、劇中でも何度か早送りボタンを押しそうになってしまった。それというのも、この映画は基本的に万博映画だからだ。
気球で飛ぶパリから郊外の農村そしてアルプス、スペインでは闘牛、インドでは象に乗ってジャングルを抜けるといった具合に世界各地にカメラを持って行って様々な風景が映し出される。世界からいろんな物を一堂に集めましたよといったわけだ。これだけの撮影をするためにはかなり金がかかったことだろう。
飛行機の登場で確実に世界は狭くなっていたとはいえ、一般の人にとっては海外旅行はまだ高嶺の花だった。それに今ではテレビで各地の様子が見られるが、日本のNHKによるテレビ本放送開始が1953年。アメリカではもう少し早かっただろうが、当時のテレビは当然白黒なのでカラーかつワイドスクリーンのスクリーンに映し出される169分もの世界の風景はそれだけで価値があったに違いない。1970年の大阪万博では人々がこぞって訪れ各国のパビリオンで異国の文化・風景に触れて楽しんだように。
だがわたしたちは1956年に生きてはいるわけではない。あふれかえる情報の中で世界中のことを知ったつもりでいて、のんびりとというよりはだらだらと感じるリズムに飽きてしまい、風景だけが続くシーンではリモコンを使って編集すらしてしまう。もちろん、昔が良くて今が悪いといったことではなく、単に違いがあるだけでどちらが上というわけでも下というわけではないのだが。
実際、169分ある本編を120分に編集すればもっとテンポが良くなるだろうが、そうしなくても気持ちを切り替えて観れば割と面白い映画だ。最大公約数の観客を想定しており“傑作”ではないものの真正面から娯楽大作として作っているところがうれしい。
マレーネ・ディートリッヒやジョン・キャラダイン、シャルル・ボワイエなどの豪華スターが次々と出演しているが、さすがに昔の俳優だし出番はカメオ出演のためごく短いのであまりありがたみが感じられない。サンフランシスコの飲み屋でオルガンを弾いている男の後ろ姿が何度も繰り返し映し出され、何なんだいったいと思っていて最後に振り返るとなんとこの御仁はフランク・シナトラ。これなんか当時の劇場ではわっとわいたんだろうが、41歳とまだ若いシナトラなので晩年に『マイウェイ』などを歌っている姿や『キャノンボール2』(1983)での特別出演がまず先に思い浮かぶわたしには「ん、誰だ?あっシナトラか」ともう一つ不発ぎみ。
当時の映画はまだ多くがそのラストに「THE END」のクレジットを出していたが、この作品ではある登場人物が発する「This is THE END」がクレジットの代わりとなっている。ちょっと洒落ているではないか。
最後のどんでん返しと大逆転は痛快。原作で結果は知っていたがそれでもどきどきはらはら。そしてソール・バスによる色鮮やかで愉快なエンディングクレジット。これは間違いなく傑作。クレジット部門で上位入賞間違いなしの出来合い。

2004年版でジャッキー・チェンが演ずるのは召使いのパスパトゥとのこと。はて、パスパトゥはフランス人じゃなかったかと思うが、主人のフォッグ氏(デヴィッド・ニーヴン:1956版)が謎の多い紳士から発明狂に変わっていることと比べれば、軽業師出身の身軽さで何度も旅行の危機を乗り越えるパスパトゥがジャッキー・チェンというのはむしろベストキャスティングだ。

2004年10月26日

『ミッドナイト・ラン』 See ya in the next life. - 来世で会おう

『ミッドナイト・ラン』(1988) MIDNIGHT RUN 126分 1988/12/30鑑賞

監督・製作:マーティン・ブレスト 製作総指揮:ウィリアム・S・ギルモア 脚本:ジョージ・ギャロ 撮影:ドナルド・ソーリン 音楽:ダニー・エルフマン
出演:ロバート・デ・ニーロ、チャールズ・グローディン、ヤフェット・コットー、ジョン・アシュトン、デニス・ファリナ

ロバート・デ・ニーロというと「演技が上手い名優だ」といった評価をよく聞くが、わたしは本当にそうなんだろうかと疑問に思っている。
『レイジング・ブル』(1980)ではボクサーの現役時代と引退後と太ったり痩せたりして演じわけたり、『アンタッチャブル』(1987)ではアル・カポネ役のために太った上に生え際の髪の毛を抜いてハゲにしている。確かに根性がいるし肉体的にも大変だと思うが、それと演技力はまた別物ではないだろうか。
おそらく、ロバート・デ・ニーロは役者としてすごく不器用かつ真面目な人なのだと思う。その彼がメソッド演技と出会うことで、役になりきるためその外見やスクリーンには映らない内面を作り上げるといった行為に徹底してのめり込んでいったのだろう。
だが、わたしには感心するよりもむしろ「うっとおしい」「暑苦しい」といった印象が先に立ってしまう。ロバート・デ・ニーロだけではなくメリル・ストープやアル・パチーンなど他のメソッド演技を学んだ俳優からも同じような物を感じるので、メソッド演技というスタイル自体が好きではないのだろう。そもそも、役者が勝手にその役柄を固定してしまって、監督がそのシーンで要求する演技と異なりもめるという話を聞くことがあるが、こうなると本末転倒だ。役者は自分の役だけを考えればいいが、監督や脚本家は映画全体の流れを考えなければならない。当然、監督の演出が優先されるべきだ。
そんなロバート・デ・ニーロも最近は肩の力を抜いた演技の作品が多くなっている。いいことだと思う。これまた暑苦しいロビン・ウィリアムスと共演し、監督はペニー・マーシャルの『レナードの朝』(1990)なんて二度と見たくない。

ロバート・デ・ニーロ作品の中で一番好きなのが『ミッドナイト・ラン』だ。
いつもの「これでもかぁあ」という入れ込んだ演技ではなく、ロバート・デ・ニーロ本人の素顔に近いのではないかと思わせる等身大の姿だ。演ずるのはマフィアからの賄賂を受け取ることを拒んだばかりに罠にはめられ首になった元警官のジャック。現在は賞金稼ぎとして保釈金金融業者から依頼を受け、借りた保釈金を踏み倒して逃げた人物を連れ戻す仕事をしている。
今回の依頼は、マフィアの金を横領しそこから大金を慈善団体に寄付した会計士ジョナサンを捕まえてくること。金融業者は「ミッドナイト・ラン(日帰りでできる簡単な仕事:深夜にトラックを走らせるのは道がすいていて楽な仕事だという意味だそうだ)だ。」と言うが、ジャックと過去に因縁のあるマフィアやFBI、そして別の賞金稼ぎが同じくジョナサンを狙っている。こうして、ニューヨークからロスまで大陸を横断しての騒動が始まる。
『ビバリーヒルズ・コップ』の監督マーチン・ブレストらしく軽快なテンポで映画が展開されるが、ジャックがとうの昔に別れた妻と娘に未だに未練を持っていることを、古くなった腕時計を時折耳に当て動いているかどうかを確認する癖で表現するなど、なかなかどうしてあなどれない。
『スティング』(1973)にも似た胸のすく大逆転に続くラストの別れのシーンがまた良い。下手な映画だとここぞとばかりに盛り上げようとして逆に観客は冷めてしまうのだが、この作品では抑えた演出を崩さない。立ち去る途中のジャックが数歩行ったところでふと振り返ると、公衆電話の横にはもうジョナサンの姿がなく、そしてその後二人は二度と会うことはなかったのだろうなと感じさせる。うむむ、泣けるぜ。
これで『ミッドナイト・ラン2』とかいって再びジャックとジョナサンが組んだりするとこのラストも台無しなのだが、幸いなことにそれはなかった。
短気で怒りっぽいジャックに対し、常に冷静なジョナサンを演ずるのはチャールズ・グローディン。この人は他には『ベートーベン』(1992)ぐらいしかぱっと思いつかないのだが、ひょうひょうとしてつかみ所のない感じが良く出ている。
目立とうとする派手さはないが、噛めば噛むほど味が出てくるきっちりした娯楽映画だ。傑作である。

2004年10月28日

『死霊のえじき』 第二のアダム

『死霊のえじき』(1985) DAY OF THE DEAD 102分 1986/04鑑賞

監督:ジョージ・A・ロメロ 製作:リチャード・P・ルビンスタイン 製作総指揮:サラ・M・ハッサネン 脚本:ジョージ・A・ロメロ 撮影:マイケル・ゴーニック 特殊メイク:トム・サヴィーニ 音楽:ジョン・ハリソン
出演:ロリ・カーディル、テリー・アレクサンダー、ジョセフ・ピラトー、リチャード・リバティー、アントン・ディレオ、ハワード・シャーマン

この作品はジョージ・A・ロメロの『リビングデッド』シリーズ第三弾にあたる。『NIGHT(夜)』→『DAWN(夜明け)』ときてついに『DAY(日中)』までゾンビのものとなってしまった。
疲れ切った一人の女性から始まるオープニングは前作『ゾンビ(DAWN OF THE DEAD)』とほとんど同じで、「はて、リメイクだったか?」と思ったところで・・・。当時の劇場では大概の人が椅子から飛び上がっていた。
舞台は岩盤を削って作った洞窟状の地下軍事基地。第二次大戦末期に建設が進んだあの“松代大本営”の様なものだと思ってもらえばいい。『ゾンビ』の食料をはじめとする物資が豊富なショッピングセンターと比べてさらに閉塞感が強く殺風景で息苦しい。とても人間が生活する場には思えず、日常が消え去り希望のかけらもないことがうかがえる。
今回そこに立てこもるのは軍人たちと幾人かの科学者。ゾンビを研究しひょっとしたらゾンビと人間が共存できるのではないかとまで考える科学者と、ゾンビは全て敵で滅ぼすべき存在であるとの頑迷に思いこむ軍人との対立がストーリーのメインで、そして双方とも代表者を始めほとんどの連中はもはや気がふれている。人間の狂気こそが一番の焦点だ。
フェンス越しに溢れんばかりに押し寄せているゾンビの大群やDVD『死霊のえじき・最終版』ではカットされていたラストのゴアシーン(残酷シーン)は実は添え物にすぎない。だからって勝手にカットするなとは思うが、なんでも最終版はアメリカのケーブルテレビ放映用バージョンだそうだ。確かにゾンビに食われるゴアシーンはケーブルテレビの専門チャンネルとはいえ放送してはまずいだろう。2004/10/22に発売された完全版はノーカットなので最終版に不満だった方には完全版を観るといい。ただ、最終版ではゴアシーンがカットされているが故にかえって人間の有様が浮き出ているかもしれない。
結局は組織として破綻した軍人側によってその共同体は壊滅する。だが科学者の側が正しかったわけでもなく、もはや人類の時代は終わり死者の時代になったということだ。多少の人間が生き延びることができてもその先に繁栄はない。
知恵を付けたゾンビ“バブ”はひょっとして新しいアダムなのかもしれない。