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2004年08月 アーカイブ

2004年08月03日

『ボウリング・フォー・コロンバイン』 潤色を加えず実際のままがドキュメンタリーじゃないのか

『ボウリング・フォー・コロンバイン』(2002) BOWLING FOR COLUMBINE

監督:マイケル・ムーア 製作:チャールズ・ビショップ/ジム・ザーネッキ/マイケル・ドノヴァン/キャスリーン・グリン/マイケル・ムーア 製作総指揮:ウォルフラム・ティッチー 脚本:マイケル・ムーア 撮影:ブライアン・ダニッツ/マイケル・マクドノー 編集:カート・エングフェール 音楽:ジェフ・ギブス
出演:マイケル・ムーア/チャールトン・ヘストン/マリリン・マンソン/マット・ストーン/ジョージ・W・ブッシュ

新聞のコラムじゃないんで、時事ネタとか季節ネタはなるべく扱わないようにしているんだが、この陽気だと一言ぐらいは言いたい。「暑い!」
それでも、割と雨は降っているんでとりあえず水不足の心配はなさそう。ダムの水位情報でも一部を除いて50%は確保している様子。
わたしの住む知多半島は大きな河川が無く木曽川から引かれた愛知用水が頼り。用水が引かれる1961年以前には慢性的に水不足で悩んでおり、農業用のため池がそこら中にあった。現在では埋め立てられてしまった物も多いが、新美南吉の『おじいさんのランプ』に登場する“半田池”などはまだ残っている。山と田んぼの中にある大きなため池で、南吉の生きていた昭和10年ごろにはそれこそ狐も出るような様子で、人目に付かずにランプを割るには良い場所だっただろう。

わたしが小学生の頃、ひどい雨不足があり愛知用水が取水制限になったことがあった。時間断水が行われ、地元の市営プールも休みになってしまった。毎日のように通っていたわたしは、友人を誘って海まで泳ぎに行くことにした。海水浴場のある河和までは名鉄電車を利用するため、水着の入った水泳用バッグを提げるとまずは駅へと向かった。
家から駅までの途中にその市営プールがある。その前を通りかかったところ、他に車のない駐車場に一台だけワゴン車が駐まっていて、なにやら機材を運び出していた。その中の一人が、わたしたちに「プールに泳ぎに来たのか?」と声をかけてきた。いや、確かに当時のわたしは愛くるしい少年だったが、犯罪関係に話は進まないので安心して読み進んで欲しい。
「そうじゃない、海に行くのだ」と答えると、その人はしばし考え「実はテレビのニュースの取材で来た某地元の民間放送なんだが、ちょっと画面に出てもらえないか」と言ってきた。
「おいおい、テレビに出られるよ」と喜びいさんで承諾すると、プールを囲んでいるフェンスのところに連れて行かれた。そこにはすでにテレビカメラなどがセットされており、「じゃあ、そのフェンス越しに中をのぞき込んで」と言われ、その指示に従って10分ほどで撮影は終わった。
最後に「今日の夕方に放送するからね」と教えてもらった。

海でさんざん泳いでから家に帰り、母親に「テレビに写ったよ」と告げ、姉弟たちとテレビの前で放映を待った。
そして夕方の5時、ニュースが始まった。
いくつかのニュースの後で、「雨不足の続く中、知多半島では時間断水が始まり、半田市の市営プールはしばらくの間閉鎖となりました」
そしてわたしたち二人がフェンスにしがみついている様子が移された。
「休みを知らずに泳ぎに来た子供たちは、うらめしげにプールを眺めておりました」
こうしてわたしのテレビ出演は終わったのである。

・・・っていうか、“ヤラセ”って言わないか、これ。
プールが休みなのは知ってたっつーの。これじゃわたしたちが新聞も読まなきゃニュースも見ない、インターネットの情報サイトも見ない(見ようにも当時はまだなかったが)ようなアホみたいじゃないか。
ほいほい誘いに乗ったわたしにも問題があるが、報道の側がそんなんでいいのかね。
そりゃ確かに誰もいないプールよりは、休みで悔しがる子供たちの方が画的にインパクトがあるのは認めるが、それを作っちゃダメだろ。そこんとこどうなんだ、地元の某民間放送!

この件をきっかけに、「テレビのニュースや新聞も案外嘘があるんだ」と思うようになり、もともとどっかがひねくれていたのに拍車がかかって物事を斜めに見る傾向がより強くなる。
ひいては後の“ドキュメンタリーなんて結局製作者の一方的な見方だ”とドキュメンタリー映画嫌いにつながる。
『ボウリング・フォー・コロンバイン』なんていかにもそれがあからさまで、マイケル・ムーアがあらかじめ脚本を書き、それに沿って撮影した素材を編集していっただけ。最初っから答えがあり、都合の良い物だけを残し都合の悪い物は削除していったのだから、予定された結末に行き着くだけのこと。
チャールトン・ヘストンとの問答も、別にヘストンの味方をする気はないが、相手の返答を予測してあらかじめ調べ上げ、いきなり押しかけ行って追求していくのでどうにも始末が悪い。犯人のトリックなどを調べ上げ、すべて分かっているのに知らない振りをしながらじわじわと犯人を追いつめていく『刑事コロンボ』のようで後味が悪い。コロンボってのは映画で観る分にはともかく、実際の知り合いにいたらかなりイヤな人物だろう。
ドキュメンタリーとか言っても、カメラが回されていたら登場人物たちは結局カメラを意識せずにはおられず、本来の自分を隠して演技してしまう。仮に隠し撮りをしたとしても、それを製作者が編集した時点で、一定の視点・考え方に基づいた物にならざるを得ない。観客は意識するしないにかかわらず、その視点を押しつけられてしまうし流れに動かされ用意された結末に誘導されてしまう。これのどこが劇映画と異なるのだろうか。
そもそも個人的にはドキュメンタリーに結論はいらないと思う。最初から結論が用意され、それに向かって制作されるなどもってのほかだ。映像によってあれこれ考えずとも頭の中に入ってきてしまう分だけ、ドキュメンタリー映画は活字のそれよりも危険だ。
マイケル・ムーアもあれこれケチを付けるのも良いが、せめて多少なりとも芸になっていればなというのが正直なところだ。

2004年08月04日

ダラボンの駄法螺(ダボラ)

脚本家としてはともかく、『ショーシャンクの空に』『グリーン・マイル』『マジェスティック』など監督としてはまったく買っていないフランク・ダラボンだが、次回作として『華氏451』の映画化を考えているそうだ。
『華氏451』は1966年にフランソワ・トリュフォーがすでに映画にしており、そちらについてダラボンはこう述べている。

「あのバージョンは著しくパッションに欠けるね。原作をなんて情熱的な本だろうと思っている私には、とてもビザールな作品に感じられた。私は今回の作品をリメイクとは考えてはいない。まだ一度も映画化されていない本の映画化と思って取り組んでいるんだ」

やはり、フランク・ダラボンはダメ野郎で間違いないようだ。
そもそも、“情熱に欠けている”と“抑えた演出”の区別すら出来ていない。
本が禁じられ自由な思想も許されない管理社会と、感情を失いただテレビを見るだけの人々を静かな口調で語っているからこそ、ファイヤーマンとして本を焼き払う仕事に就いている主人公が、一冊の本と出会うことで自由と生きる意義に目覚めていく様がひたすらに感動的なのだ。
世の中にはハリウッド映画の文法がだけではない。なんでも大げさにして起伏を強くし派手にすればいいと思うのは勝手だが、それだけでは理解できない映画はいくらでもある。
それに「パッションに欠ける」と言っても、ダラボンとは関わりの深いジョージ・ルーカスが撮った『THX-1138』と比べてみればいい。同じような管理社会を題材にしていても、ただ退屈で凡庸なだけの『THX-1138』に対して、『華氏451』のなんと詩情に溢れドラマチックであることか。
確かに、『華氏451』はフランソワ・トリュフォーのベストな作品ではない。だがいやしくもトリュフォーである。ダラボンごときがまるっきり的外れな批評をして許される物ではない。

2004年08月05日

『ムトゥ踊るマハラジャ』 近代の映画

『ムトゥ踊るマハラジャ』(1995) MUTHU

監督:K・S・ラヴィクマール 脚本:K・S・ラヴィクマール 音楽:A・R・ラフマーン
出演:ラジニカーント/ミーナ/サラットバーブ

『ムトゥ 踊るマハラジャ』をきっかけにインドの娯楽映画がマサラ・ムービーの名で流行したことがあった。わたしもいくつかの作品は観たのだが、どれも今ひとつ受け入れにくかった。歌や踊りなど様々な娯楽要素が詰め込まれているのはわかるが、ひたすら山場ばかりのストーリーと演出には“急”ばかりで“緩”が存在しておらず疲労を覚えた。そして無駄なカットとシーンが多いため上映時間も166分と作品のカラーにしてはずいぶんと長目だ。本来ならばカットすべきところそのままに、綿密な編集を行わずに完成させてしまった感がある。
これは“近代”映画であって、“現代”映画ではないなというのが感想だ。
確かに勢いは感じるが、勢いだけでしゃべる芸人は得てしてつまらないもの。それと同じような一種の空回りを感じた。
もっともインドは映画人口が多く、製作本数も世界のトップクラスなので、別に『ムトゥ 踊るマハラジャ』の様な映画ばかりでもない。『ムトゥ 踊るマハラジャ』だけを観てインド映画を語ることは『踊る大捜査線2』だけ観た外国人が日本映画を語ることに等しいだろう。
『サラーム・ボンベイ!』(1988)のような社会派作品や、『ストーミー・ナイト』(1999)などのサスペンス作品もあり、あまり日本では公開されることがないので現在の詳細は分からないが、進化をし続けているはずである。製作本数が多いだけに、どんな傑作が飛び出してくるかも分からない。そういった意味では楽しみである。

2004年08月06日

『亡国のイージス』 クランシー風?

『亡国のイージス』上下巻 福井晴敏 講談社文庫

『平成ガメラシリーズ』などで特撮を担当した樋口真嗣が初監督を勤める『ローレライ』
原作があるというのでとりあえず読んでおこうかと思ったが、ハードカバーしか出ておらず上下巻合計で3780円と高い。まだ読んだことのない作家にはちょっと出せないなと、とりあえず文庫になっている『亡国のイージス』上下巻を購入。こちらも合計1760円なんで少々迷い、『川の深さは』(680円)にしようかとも思ったが、日本冒険小説協会大賞作とのことなので『亡国のイージス』にした。
家に帰るとさっそく読み始めた。最初の一ページ目でなにやら違和感を感じた。何故だが読みにくさを感じる。座り心地の悪さを感じながら、ようやくと序章・第一章である221ページをとりあえず読み終えた。

・・・この本って、つまらないんじゃないだろうか?

暗い過去を背負わせれば人物描写に厚みが出ると単純に勘違いしているようだし、単語だけを書き並べて画が浮かんでこない情景描写、そして堅苦しくしただけで実はジュニア小説とさほど変わらない文体。
単に好みではないだけかもしれないが、全体から鈍重さを強く感じさせ、読んでいてとにかく気が重い。
セリフに魅力が無い上に個性もないので、誰がしゃべっているのか分かりにくい。別に“個性”といっても語尾に「にょ」とか「だっちゃ」を付けてキャラを立たせろってわけじゃなく、その人物だったらどうしゃべるかってだけのことなんだが、頻繁に回想シーンを入れて登場人物の過去を語るよりもむしろ重要だと思うのだが。

著者曰く「ハリウッドのアクション映画に憧れ、その醍醐味を表現する手段として小説を選んだ」というが、この粘着・偏執さのどこにハリウッドのエンターテインメントを感じ取れというのだろうか。
スマートさに欠ける点、出来事先行で人物描写に魅力が欠けおろそかな点など、あえて例えるならトム・クランシー風ではあるが、そういえばトム・クランシーは嫌いな作家であった。

2004年08月09日

『リディック』 カッコつけすぎだろ

『リディック』(2004) THE CHRONICLES OF RIDDICK 2004/8/8鑑賞

監督:デヴィッド・トゥーヒー 製作:ヴィン・ディーゼル/スコット・クルーフ 製作総指揮:テッド・フィールド/デヴィッド・ウォマーク/ジョージ・ザック 脚本:デヴィッド・トゥーヒー 撮影:ヒュー・ジョンソン 音楽:グレーム・レヴェル
出演:ヴィン・ディーゼル/ジュディ・デンチ/コルム・フィオール/タンディ・ニュートン/ニック・チンランド/カール・アーバン/ライナス・ローチ/アレクサ・ダヴァロス/キース・デヴィッド

ヴィン・ディーゼルカッコつけすぎ。『ブレイド』のウェズリー・スナイプスと競演したらさぞかしうっとおしい映画になることだろう。
前作『ピッチブラック』は『グランド・ツアー』や『アライバル』のデヴィッド・トゥーヒーらしい良く出来た低予算SF映画だったが、ヴィン・ディーゼルの俳優としての成功も受けて予算をつぎ込んだ大作として製作された今作は、とにかく大味で派手な画面に始終するだけの作品になってしまっている。これは厳密には“SF”ではなく“スペースオペラ”だ。
そもそも、話がよく分からない。別にストーリーが難解で複雑という訳ではなく、誰がどんな役割で何をしたいのかがさっぱり分からずまとまりがないのだ。まるでトラブル続きで脚本家が何人も交代になり、それぞれが書いた部分部分をパッチワーク状に繋ぎ合わせたかのような脚本だ。クレジットでは脚本は監督のデヴィッド・トゥーヒーだけだが、これまでの脚本作を観ると割と良い本を書く人なのだが。
いきなりリディックが「実は絶滅したなんちゃら族唯一の生き残りだ」とか言われても、風呂敷を広げすぎて収集がつかなくなり破綻した日本のマンガ・アニメじゃないんだから。でもって、取って付けたようなラストには激しく疲れる。
前半には明暗が激しく点滅するシーンが多くて目が疲れる。ピカチュウ発作で倒れる観客とかいなかったんだろうか?これ、このままだと日本のテレビ規定に引っかかり放映出来ないんじゃなかろうか。
戦闘シーンは多いが、音やカット割りによるごまかしばかりで興ざめ。敵側の衣装や建造物など美術ががんばっているのが数少ない見所か。

2004年08月10日

『スパイダーマン2』 悩めば悩む悩むとき

『スパイダーマン2』(2004) SPIDER-MAN 2 2004/8/8鑑賞

監督:サム・ライミ 製作:アヴィ・アラッド/ローラ・ジスキン 製作総指揮:ジョセフ・M・カラッシオロ/スタン・リー 原作:スタン・リー/スティーヴ・ディッコ 脚本:アルヴィン・サージェント 撮影:ビル・ポープ 音楽:ダニー・エルフマン
出演: トビー・マグワイア/キルステン・ダンスト/アルフレッド・モリナ/ジェームズ・フランコ/ローズマリー・ハリス/J・K・シモンズ/ウィレム・デフォー

7月前半から中盤にかけての“気が狂う”ほどの暑さをくぐり抜けた後なので、頭では「割と過ごしやすい夏だな」と勘違いしているのだが、やはり身体がついて行かない。バテ気味でストレスもたまっているのかこのところグチやら貶した文章ばかり書いている。こういう時は思いっきり爽快な娯楽作に限る。
と言うわけで、『リディック』で空振りをしたそのすぐ後に改めて入場券を買い『スパイダーマン2』を観ることにした。

スパイダーマンことピーター・パーカーは前作に引き続きあれこれと悩んでいる。
ヒーローと学生の両立。ボランティアであるヒーロー業が忙しくてアルバイトに遅刻しついにはクビになって収入も乏しく不安定。子供の頃から目をつけていたメリー・ジェーンが、前作よりちょっと綺麗になった上に自分に対して好意も持つようになってくれたというのに、彼女の出演する演劇にはこれまた遅刻をしてしまう。そして彼女を事件に巻き込むのが怖くて積極的になれないまま。更には新聞では「スパイダーマンは悪党だ」と書き立てられる毎日。
悩みに悩んだせいか特殊能力まで弱まってきたピーター・パーカーは「僕、もう辞めた。スパイダーマンなんか辞めたもんね」とあっさりヒーローを廃業してコスチュームまで路地裏に捨ててしまう。『スーパーマン2』でもクラーク・ケントは超能力を捨てて普通の人間になったが大体同じようなものだろう。アメリカン・コミックというと派手な構図に派手なアクションが思い浮かぶが、実際のところ『スパイダーマン』や『バットマン』などのように複雑な過去を抱えた悩める主人公の方が多いそうだ。『X-メン』なんで集団で悩んでる。ガタイの良いのが揃ってウジウジしてるのはうっとおしいことこの上ない。
スパイダーマンであることを辞めたピーター・パーカーだが、危機に瀕した人を救えるのは自分だけという状況になり、再びスパイダーマンになることを選択する。結局のところニューヨークはヒーローを必要としているのだ。
「こうなったらもうヤケだもんね」とばかりに、ピーター・パーカーは覆面ヒーローにあるまじき行為にも出るのだが、それが大失態にならなかったのはスパイダーマンが「我らが街のヒーロー」になっていたからだろう。

急展開を告げたところで映画は終わる。「えーっ、あれどうなったの?」とか「あいつはどうなるの」とかは三作目へ持ち越し。これは2がヒットして“三作目”も作れるという自信があったからこそ。
連続活劇の昔ならともかく、現在ではシリーズと言ってもそう延々とは続かない。三作かせいぜい四作ぐらい。そう考えると次回作は全力の上に全力を注ぎ込んだ最強の作品になるはずだ。あるいは、脚本がごたつき、俳優は「もうコスチュームは辞めたい」と言いだし、現場はしっちゃかめっちゃかな歴史的大駄作になるかもしれないが、まぁサム・ライミなら大丈夫だろう。

2004年08月11日

『ゴッド・ギャンブラー』 賭神、賭聖、賭侠

『スパイダーマン2』でかなり調子が復活したんですが、そこで満足していたら人類は未だに洞窟暮らしだったわけで、さらに快適を目指して『ゴッド・ギャンブラー/賭聖外伝』『ゴッド・ギャンブラー2』『ゴッド・ギャンブラー3』をレンタルしてきた。この三本、賭博物とは仮の姿でその実体はハチャメチャギャグコメディなのだーっ!
「あれ、『ゴッド・ギャンブラー』ってコメディだったか?」とお思いのあなたのためにシリーズの流れを簡単に説明しておきましょう。

そもそも第一作の『ゴッド・ギャンブラー(賭神)』がチョウ・ユンファ主演で作られたのが1989年です。
ヒットしたこの映画の柳の下を狙って、さっそくパロディ作品が作られました。ジョン・ウー監督の『ワイルド・ヒーローズ/暗黒街の狼たち』などで二枚目を演じていたチャウ・シンチーをコメディアンとして大胆に起用した『ゴッド・ギャンブラー/賭聖外伝(賭聖)』です。これが本家をしのぐ大ヒット。その後のチャウ・シンチーのコメディー路線を決定づけることにもなります。
こうなると本家の方も黙ってはいられませんが、あいにくと主演のチョウ・ユンファはB型肝炎で休養中。そこで一作目でチョウ・ユンファの仲間になったアンディ・ラウを格上げし、賭博に生きる任侠-“賭侠”として主役に据えることにします。だがこれだけでは少々不安があると思ったのか、パロディ作である『賭聖』からチャウ・シンチーを連れてきて“賭侠”+“賭聖”二枚看板にしてしまったのです。
さすが香港映画、発想が並ではありません。いや、こういう言い方だと「内心馬鹿にしてるんだろ」とか思われますが、本気で言ってますよわたし。監督のバリー・ウォンは天才に違いありません。
チョウ・ユンファも一応、前作からの使い回しのカットや写真、明らかに別人な後ろ姿、そして黄金の銅像として登場してます。微妙に似ていて、微妙に似ていないこの胸像が気持ち悪いこと。

そして三作目の『ゴッド・ギャンブラー3(賭侠Ⅱ之 上海灘賭聖)』では原題に“賭侠”とあるもののアンディ・ラウは欠片も出てきません。チャウ・シンチーは一枚看板の主役です。
これは、ビートルズのステージにゲストとしてラットルズが出演したと思ったら次のコンサートではラットルズだけだったような、アテネでナインを指揮していたのがプリティ長島だったような、“美空ひばり”のコンサートが地元であるというので公民館に行ったらエノケソ一座の“美空いばり”だったような、もう自分でも何を言ってるんだかよく分かりませんが、ともあれ大したことです。
しかも、初っぱなから超能力者のサイキック合戦が始まります。その影響で時空に穴が開き、1930年代末の上海に飛ばされてしまうチャウ・シンチー。『賭聖』では透視がせいぜいだったのがずいぶんとパワーアップしています。そして『少林サッカー』で少林隊の監督をやっていたいつもの相棒ン・マンタが演ずる自分の祖父と出会い、未来に帰るべく方法を探るのですが、時は正に第二次世界大戦も間近い頃、日本軍の侵略の手が上海にも伸びスパイの“男装の麗人”川島芳子までが暗躍跋扈しています。
「そうか、この危機をギャンブルの腕を活かして乗り切るのだな」と思いましたが、ギャンブルはほとんど出てきません。代わりにチャウ・シンチーが使うのは超能力とクンフーです。ラストでは“賭神”のボディーガードが特殊部隊を率いて登場し、サブマシンガンなどの近代兵器で日本兵を皆殺しにします。その影響で未来が変化してしまうのがSFの決まりごとですが、誰も気にしちゃいません。美人だったはずの川島芳子が憎たらしいオバサンになっているのも史実と違いますが、これも歴史への干渉があったせいなのでしょう。
エンディングが飛び上がったチャウ・シンチーのストップモーションというのもうれしいところです。

『ゴッド・ギャンブラー3』は、もうどこが『ゴッド・ギャンブラー』なんだよとツッコミ所で一杯ですが、あえて言うならボディーガードのドラゴンが一作目から皆勤賞で出演していることと、監督がバリー・ウォンということでしょう。
こうなるとチョウ・ユンファが復帰したシリアス作『ゴッド・ギャンブラー完結編』の方がむしろ番外編に思えるってのは無茶でしょうか。

2004年08月14日

『ゲノム』 知られざる昆虫の世界?

今更ながら、『ゲノム 1~4巻』を読む。作者は『ニニンがシノブ伝』の古賀亮一だ。
エロエロなロボット“パクマン”がエロかったり強引だったりあるいはその両方な発言をし、純真なエルフ娘の“エルエル”が主にその被害に遭う。しかしエルエルは強度の天然ボケなキャラクターなのでその被害にあまり気づいていない。
面白い。面白いがしかし『ニニンがシノブ伝』そのままだ。
もっとも、連載開始は『ゲノム』が1997年1月号で、『ニニンがシノブ伝』が2000年8月号からだから、むしろ『ニニンがシノブ伝』が『ゲノム』に似ているってのが正解だろう。

なんでも成年コミック誌連載だそうだが、エロ度はパクマンの発言を除けば別に高くはない。色々な昆虫をテーマに話が進んでいき、虫の生態に関する知識が登場するので、子供が学習マンガとして読んでもいいぐらいだ。18歳以下お断りのマークは付いていないので、10歳の子が読んでも特に問題はない。ただ、その知識にはかなりウソが混ざっており、むしろウソに真実がビールのアルコール度数程度の割合で混ざっているというのが問題か。

一応、ツッコミ役としてメガネをかけた女性所長がいるが、話数が進むごとに登場シーンが減っていく。例えるならば『すすめ!!パイレーツ』のジェロニモ的キャラクターといったところか。所長を描いても作者としてはあまり面白くなかったのだろうか。
その点を考慮して楓は高校生になったのかも知れない。

2004年08月17日

『BMXアドベンチャー』 ビエ~ムエックス、ビエ~エックス

『BMXアドベンチャー』(1983) BMX BANDITS 1985年鑑賞

監督:ブライアン・トレンチャード=スミス 原作:ラッセル・ハッグ 脚本:パトリック・エッジワース 撮影:ジョン・シール 音楽:コリン・ステッド/フランク・ストランジオ
出演:ニコール・キッドマン/ジェームズ・ラグトン/アンジェロ・ダンジェロ

ガキの頃に観た作品。たしか、ジャッキー・チェン映画の同時上映ではなかっただろうか。
女の子一人と男の子二人がトラブルから銀行強盗を企む犯罪組織に追われることになり、愛用のモトクロス用自転車“BMX”を操って逃げまくるアクション映画だ。
ほとんど何も憶えていなかったので調べてみたら、オーストラリア映画とのこと。ちょっと以外だな~とスタッフリストを眺めていくと・・・ニっ、ニコール・キッドマン。以前トム・クルーズを夫にしていたあのアカデミー主演女優賞女優ニコール・キッドマンが主人公の女の子だったのか。
ニコール・キッドマンは1967年生まれなので当時16歳。男の子たちが憧れる美少女役だったが、今にして思えばそれも当然だ。
もしもニコール・キッドマンと話す機会があったとして「あなたを初めてスクリーンで観たのは“BMX BANDITS”ですよ」と言ったら喜んでくれるだろか?それとも怒られるだろうか?
「えっ、何ですかそれは?」と知らんぷりされたりしてな。

「ビエ~ムエックス、ビエ~エックス ビエ~ムエックス、ビエ~エックス」と主題歌のサビだけは20年近く経つというのに何故かはっきり覚えている。

2004年08月18日

『エイリアン・ネイション』 腐った牛乳が大好き!

『エイリアン・ネイション』(1988) ALIEN NATION 1989/7/4鑑賞

監督:グラハム・ベイカー 製作:ゲイル・アン・ハード/リチャード・コブリッツ 脚本:ロックニ・S・オバノン 撮影:アダム・グリーンバーグ 音楽:カート・ソベル
出演:ジェームズ・カーン/マンディ・パティンキン/テレンス・スタンプ/ケヴィン・メイジャー・ハワード/スリー・ビーヴィス

『ゴッドファーザー』(1972)や『ローラーボール』(1975)など1970年代に活躍がめざましかったジェームズ・カーンだが、1980年代に入ってからは低迷が続いていた。そんな彼の主演復帰作がこの『エイリアン・ネイション』である。

近未来、アメリカに巨大宇宙船が墜落し、その中には多数のエイリアンが乗っていた。
エイリアンたちとコンタクトを進めるうちにさらに驚くべき事実が明らかになる。エイリアンたちはより高度な生命体によって遺伝子改造され“奴隷”として生み出された種族だったのだ。奴隷として最適化された彼らは、生まれつき力が強く、頭は賢く、そして忍耐深く従順だった。
ただし、創造的な仕事は不得意で、知識も労働に必要な事柄だけで学問として根本を理解してはおらず、宇宙船を操作することは出来るがそれを作り出すことは出来ない。そのため、もはや大破した宇宙船を修理することもかなわない。
時のアメリカ大統領は、流浪の民となった30万人のエイリアンを“ニューカマー(新移民)”として受け入れることとした。
そして、三年の年月が流れた。

という設定で映画は始まる。
なんでも『DearS』というコミック&アニメがこの設定そのまんまだと聞く。ちょっと調べてみたところ“ホント、そのまんま”だ。
せめてものオリジナルとして“エイリアン”が“美少女・美少年”揃いになっているが、それをアイディアと呼んで良いかは個人的に躊躇するところだ。まぁ、勝手にしてくれ。

閑話休題。
設定だけ見るとSFのようだが、実体は刑事映画の相棒映画(バディ・ピクチャー)である。
主人公のジェームズ・カーンは新移民嫌いな偏屈者だが腕利は確かな刑事。相棒の刑事(人間)とパトロール中に強盗と出くわし銃撃戦になる。相手が持っていた特殊な大型ライフルで相棒は射殺され、さらにそのまま取り逃がしてしまう。
ジェームズ・カーンはこの強盗殺人事件の捜査から外された上に、新しい相棒として新移民の刑事マンディ・パティンキンと組まされる。上司に無断で捜査を続ける内に、新移民とある薬物の関係が浮かび上がってくる。
果たして真相は・・・

異なる価値観を持つ者同士がコンビを組んで仕事をし次第に互いを認め合っていくのは、『リーサル・ウェポン』(1987)-家族持ちで定年間近な黒人と妻を亡くした若い白人のコンビ-や『レッドブル』(1988)-ソ連のガチガチ頭なモスクワ警察官とシカゴ警察のはみ出し刑事-などでお馴染みのシチュエーションだ。
この作品もエイリアンとなってはいるが、実際にはラテン系の俳優マンディ・パティンキンの起用や麻薬問題からも分かるように、国境を越えて大量密入国してくるメキシコ人がそのイメージだろう。
新移民嫌いなジェームズ・カーンが中盤で相棒と酒を飲み明かした途端、親しくなってしまうのは少々脚本の詰めが甘い気もするが、新移民にとって“腐りかけの牛乳”が人間におけるアルコール類の働きをするという抜群のアイディアが挿まれているので良しとしよう。「うぇっ」とくるかもしれないが、酒だって小麦や米、竜舌蘭などが腐って(発酵して)できているのだから考えてみれば同じような物だ。

新移民は海水が大の苦手で、濡れると溶けてしまうというのは『トリフィドの日』(映画化名『人類SOS!』)からのいただきだろうか。案外『オズの魔法使』かもしれない。
そう考えると『DearS』とやらの『エイリアン・ネイション』からのいただきもアリなのかなぁ・・・なんて言うと思ったら大間違いだっ!

2004年08月19日

“MP3onChannel” 車載専用mp3プレイヤー

みょうちくりんな形をしていますが、れっきとしたmp3プレイヤーです。
シガーライター・電源ソケットに本体をそのまま差し込んで電源を取り、内蔵されたFMトランスミッターでFM電波を飛ばしFMラジオ経由で音楽を聴くという、こだわりの車載仕様となっています。メモリは搭載されておらず、先端にあるUSB端子にUSBメモリを差し込んで利用します。

わたしの車のカーオーディオはmp3はおろかCD-RWにすら対応していないので、好きな曲だけのマイベストCDを作ろうにも70分のCD-Rまでという制限がありました。好きな曲といっても繰り返し聴いていると飽きてくるので、その度に新しいメディアで焼き直ししていましたがどうにももったいないし無駄に感じていました。
やはりmp3プレイヤーかなと思いましたが、iPodの様な何千曲も収録できるGバイトクラスのHDDプレイヤーは用途からいって必要ありません。しかし、メモリータイプのmp3プレイヤーは割高に思えます。いっそのこと、一万円程度のmp3&CD-RW対応のポータブルCDプレイヤーにしようかと思いましたが、カーオーディオと繋ぐカセットアダプターないしFMトランスミッターが三千円ぐらいするので、合計一万五千円程度。こうなると、頑張って資金を捻出しiPodminiもありかなと考えてしまいます。ならば、もうちょっと出してiPod20Gは・・・まったく人間の欲望には限りがありません。
そんな時に見つけたのがこの“MP3onChannel”です。

すでに説明したように、メモリ以外はオールインワンタイプになっています。USBメモリはデータ移動用に256MBのを一つ持っていて、日常的に使っている容量はせいぜい10MBですから50曲ぐらいは収録出来る計算です。CD約5枚分の曲数ですし、曲の書き換えもPCのUSB端子に繋げばあとはエクスプローラーで簡単に出来ます。CDを焼くことを考えればかなり楽です。複数のUSBメモリを持っていれば持ち運べる曲数は増えますし使い分けも便利です。
しかも値段は4,999円。FMトランスミッター単体が3000円程度ということを考えればかなりお値打ちに感じられます。
で、買っちゃいました。

車にセットするとUSBメモリも合わせると8センチほど飛び出します。近所をドライブしてみましたがペダルやギヤなどの操作に邪魔となることは意外にありません。しかし、何かの拍子にペキッと折ってしまいそうで不安。
それから、これはわたしが外れ品を引いてしまったのかもしれませんが、USB端子の接点がかなり熱を持ってメモリの接点が触ってられないぐらい熱くなり、30分ほどすると急にノイズが混じりだして最後には“ハングアップ”してしまいます。熱暴走でしょうか。
そこで、本体とメモリの間に手持ちのUSB延長ケーブルを挿んでみました。いまいちスマートさに欠けますが、万が一壊してしまった場合でもUSBメモリは無事ですし、とりあえずハングアップも収まりました。

肝心の音についてですが、わたしはあまり音楽にはこだわらないので充分な音質でした。AMラジオよりは当然良く、FMラジオにかなり近い音だと思います。もちろん、CDの直再生に比べるとスカスカな部分もありますが、そもそもソースがMP3ですので妥当なところでしょう。88.0から89.2の間で七段階にチューニングが可能です。
操作ボタンは再生・一時停止、次の曲、前の曲の三つだけ。早送りや巻き戻しが無いのは多少不便ですが、ソケットの位置からもほとんどの車では操作がしずらいでしょうから、手探りでも押せる三つのボタンだけで必要充分でしょう。
わたしは再生し始めたら流しっぱなしなのでこれでいいのですが、あれこれ選曲などをしたいならばもっと操作性の高い物を選ばれた方がいいでしょう。
それと、電源を落とすと初期状態に戻るようで、車に乗る度に1曲目からの再生になるのはかなり残念です。次モデルが出るならばこれだけは改善して欲しいですね。

パッケージの写真は白人・黒人の若者たちの写真で「さぁ遊ぶぞ!音楽聴くぞ!」とレジャー色満載ですが、説明書(全て英文)の表紙はスーツ姿のアジア系男性の写真で「さぁ仕事だ!営業回るぞ!」とビジネス色満載です。

あっそっかぁ、ラジオしか付いていない営業車でも“MP3onChannel”ならOKか。付け外しも簡単だし。
動作に不安定なところがある(かもしれない)点を除けば、通勤・移動などがもっぱら車なわたしにはわりと“イイ”商品でした。すぐに売っちゃいましたが。

2004年08月20日

『サンダーバード』(2004) 兄ちゃんたち、出番無し

『サンダーバード』(2004) THUNDERBIRDS 2004/8/20鑑賞

監督:ジョナサン・フレイクス 製作:ティム・ビーヴァン/エリック・フェルナー/マーク・ハッファム 製作総指揮:ライザ・チェイシン デブラ・ヘイワード 原案:ピーター・ヒューイット/ウィリアム・オズボーン 脚本:マイケル・マッカラーズ/ウィリアム・オズボーン 撮影:ブレンダン・ガルヴィン 編集:マーティン・ウォルシュ 音楽:ハンス・ジマー
出演:ビル・パクストン/ブラディ・コーベット/フィリップ・ウィンチェスター/レックス・シャープネル/ドミニク・コレンソ/ベン・トージャーセン/ベン・キングズレー/ヴァネッサ・アン・ハジンズ/アンソニー・エドワーズ/ソフィア・マイルズ/ロン・クック

予告編を観た段階であまり期待していなかったので、いっそのことの怖い物見たさで“日本語吹替版”を観に行った。
V6による吹替だが良かったかと言われると困るが、それなりに悪くない。さすがにジェフ役(ビル・パクストン)の声は勘弁して欲しかったが、これは本人の演技力うんぬんよりもキャスティングの問題だろう。いくらセリフが多い役だからって父親役を割り振ることはないだろうに。いっそのことフッド(ベン・キングスレー)にしておけばネタになったかもしれない。
1号の操縦士スコット役の吹替が普通に上手かったが、長男~四男までの兄ちゃんたちはミサイル攻撃された5号(宇宙ステーション)に行ったまま「うわーうわー」騒いでいるだけとほとんど出番がないので、あまり意味がない気もする。

世界を襲った未曾有の危機にサンダーバードの面々が挑む。大地震や大火災など次々と襲いかかる大災害と戦い、国や人種を問わずに人々を救う国際救助隊のプロフェッショナルぶりを観たかったのだが、そういったシーンはほとんどなく、サンダーバードの秘密基地であるトレーシー・アイランドを乗っ取った悪党フッド一味に対して、かろうじて逃れたアラン、ミンミン、ファーマットのお子様三人組がいかに挑むかというキッズ・アドベンチャーがストーリーの中心である。
オリジナルの熱心なファンにはあまり受けが良くないかもしれないが、制作側は子供たちをメインの観客層と設定し、悲惨な側面が強い“災害”を題材にせず、分かりやすい悪役のフッドによる銀行強盗という分かりやすい悪事にしたのだろう。
そう考えると肩の力が抜け、けっこう楽しんで観ることができた。ここが突出して良いといった部分はないが、ここがひどく駄目という部分もない。平均点を狙った平均点な作品。
CGによるメカは「納期が短くて・・・」といった具合の出来で質感に乏しく大きさが感じられない。他のメカはさほど変わりはないのに、何故よりによって2号(緑色の甲虫型輸送機)だけデザインをいじりますか。ジェット噴射口は筒状だろっ!ええっ!
実物が登場した“ファイヤーフライ”“サンダライザー”に関してはブルドーザーに外装パーツを付けただけ。ま、出番も少ないし。
レディ・ペネロープやフッドが戦う格闘アクションがあるが、これが非常に脱力したアクションでやる気が感じられない。そもそもアクションが出来る人がいない。御年六十歳のベン・キングスレーにやれってのが無理だ。
ついでにギャグも脱力型。笑わせているつもりなのだろうが笑えない。特にパーカー&ペネロープ絡みのギャグはツラい。お子様は笑うんかなあ。
アニメーションによるオープニングクレジットが『ピンクパンサー』シリーズっぽくてなかなか良い。
ただ、オープニングはミニチュアによるメカを使って、1960年代のオリジナルから上手く本編へとリンクさせるぐらいのことはやってくれるかと期待していたので少々残念。

つまるところ、母親を事故で失った反抗期の少年(五男のアラン)が距離を感じていた父親と、アクシデントを乗り越えることで理解し合い成長するといった父子物なのであった。
個人的には楽しめたが少々不完全燃焼。キッズ・アドベンチャーでも『スパイ・キッズ』シリーズぐらいバカだったらうれしかったのだが。

続編は多分ない。

2004年08月25日

『ジーパーズ・クリーパーズ』 飛びやがりますか、君は

『ジーパーズ・クリーパーズ』(2001) JEEPERS CREEPERS

監督:ヴィクター・サルヴァ/製作:トム・ルーズ/バリー・オッパー 製作総指揮:ウィリ・バール/フランシス・フォード・コッポラ/エバーハード・ケイサー/マリオ・オホーヴェン/リンダ・レイズマン 脚本:ヴィクター・サルヴァ 撮影:ドン・E・ファン・ル・ロイ 音楽:ベネット・サルヴェイ
出演:ジーナ・フィリップス/ジャスティン・ロング/ジョナサン・ブレック/パトリシア・ベルチャー/アイリーン・ブレナン/ペギー・シェフィールド

親元に帰省する途中の姉弟が田舎を車で走っていたところ、怪しげなトラックが後ろにつき煽ってくる。どうにかトラックをやりすごし先に行かせたが、トラックは少し先の古びた教会の横に駐まっていた。運転手は血の付いた布でくるんだ“何か”を下水パイプに幾つも放り込んでいる。興味を引かれた彼らは好奇心からパイプの中へと入っていった。まったく、よせばいいのに。
案の定、布の中身は死体で、パイプの中は捨てられた死体で一杯だった。そして、姉弟は謎の運転手に追われることとなってしまう。

閉鎖的な片田舎で起こる猟奇殺人とくるので、てっきり“エド・ゲイン(*)”系のサスペンスホラーだと思っていたら、千里眼・予知の超能力を持った黒人老婆が出てきた辺りから話は妙な方向に進み、ついには“そのまんまなモンスター”が登場してくる。しかもこいつは空まで飛び銃で撃たれても死なない。「なんじゃそりゃー」、これではまるでスティーヴン・キング原作みたいではないか。
『サイコ』『激突!』の様子で静かに進む前半と、『死霊のはらわた』『悪魔のいけにえ2』ばりで支離滅裂に暴走する後半が見事に噛み合っておらず、ここまでいってしまうと逆にイイ!観た人みんな嫌な気分になること間違いなしのバッドエンドも、「なんじゃそりゃー」とツッコミがいがある。
製作総指揮にフランシス・フォード・コッポラが名を連ねているが、どこをどう指揮したんだか。続編の『ジーパーズ・クリーパーズ2』もあるそうだが作るなよ。
主人公のお姉ちゃんがなかなか可愛い&色っぽい。

*エド・ゲイン:1957年に逮捕されたアメリカの連続猟奇殺人鬼。少なくとも10数人を殺したが、世間の目を引いたのは人数だけではなく殺した後の死体の扱い方だった。恐るべき事に、皮を剥いでなめして家具や衣服を作ったり、肉や内臓を調理して食べていたのである。
『サイコ』のノーマン・ベイツや『悪魔のいけにえ』シリーズのレザーフェイス一家、そして『羊たちの沈黙』のバファロー・ビルなどは全てエド・ゲインがモデルと言われ、アメリカでは非常に人気の高い殺人鬼である。日本にも猟奇殺人鬼はいるが、まだまだ世界のレベルには達していないようだ。別に世界は目指さなくていいけどな。
歴代の殺人鬼が勢揃いして殺しの技を競う“殺人鬼オリンピック”というネタを思いついたが封印しておこう。

2004年08月26日

『ルール』 ヒッチコックを百回観ろ

『ルール』(1998) URBAN LEGEND

監督:ジェイミー・ブランクス 製作:ジーナ・マシューズ/マイケル・マクドネル/ニール・H・モリッツ 製作総指揮:ブラッド・ラフ 脚本:シルヴィオ・ホータ 撮影:ジェームズ・クレッサンティス 音楽:クリストファー・ヤング
出演:ジャレッド・レトー/アリシア・ウィット/レベッカ・ゲイハート/ジョシュア・ジャクソン/ナターシャ・グレグソン・ワグナー

様々な都市伝説に基づいた連続殺人が起こるという基本的なアイディアは良いんですが、話が進むにつれ面白味が失われていき、「なんだ、『スクリーム』の亜種か」になってしまうのが残念です。
殺人犯が“見立て殺人”として都市伝説を模倣する点や、連続殺人の理由などアガサ・クリスティ風と言えなくもないですが、ミステリー的要素は期待しない方が良いでしょう。なにしろ、殺人の動機こそ一応あるものの、つまるところ「犯行の理由は犯人が気違いだったから」ですから。
面白いサスペンスには「頭の切れる意地の悪さ」が重要なのですが、この映画の作り手にはそれが欠けているようです。アルフレッド・ヒッチコックを百回観てから出直しましょう。

『スクリーム』シリーズや『ラストサマー』シリーズなどのヤングアダルトホラーが一時期流行しましたが、そのブームの後には何も残らなかったのだなぁ、といったところでしょうか。