『突入せよ!「あさま山荘」事件』(2002) 監督:原田眞人 原作:佐々淳行 脚本:原田眞人
出演:役所広司/宇崎竜童/伊武雅刀/天海祐希/串田和美/山路和弘/矢島健一/もたいまさこ/螢雪次朗
1980年代も終わろうとしている頃、わたしは名古屋のとある私立大学の学生だった。世間では学生運動などはとっくに過去の物となっていた。しかし、彼らはかろうじて生き延びていて、大学のクラブハウスの壁には『民青粉砕』とか『天皇制反対』などの落書きがされ、新入生入学のシーズンになるとヘルメットにタオルで覆面をした怪しげな人々が白昼堂々とビラを配って歩いていた。中核派や革マル派などの流れでサークルがいくつかの連合に分かれ、すでになぜ闘っているのか理由も分からなくなっているような争いを時代とは関係なく繰り広げていた。
わたしが1年生の時の1987年の大学祭はその中核派か革マル派だかから脅迫状がきて中止になってしまった。まったく、時代錯誤にもほどがあるというものだ。
ひょっとしてこの『突入せよ!「あさま山荘」事件』の公開に際して『ブラック・サンデー』(1977)のように過激派からのテロなどないだろうかとニュースを眺めていた。しかし、過激は本当に過去になったらしい。テロはおろか脅迫状の話すら聞かなかった。
この作品は娯楽作としてのスタンスで作られたのだろう。浅間山荘事件を歴史的に浮き彫りにしようと作られたとは思えない。連合赤軍がいかなる思想に基づくどういった集団でどういったテロを行ったかは語られず、唐突にあさま山荘に立て籠もる。そして役所広司演ずる警視庁の男の視点で物語が進む。敵(連合赤軍)の姿はほとんどスクリーンに登場しない。主人公の視点からは籠城している敵の姿は見えないのだから、これでいいといえばいいのだが、いくらなんでも一方的だ。ホラー映画じゃあるまいし、もう少し連合赤軍という敵の存在が見えていた方が活劇としては盛り上がるだろう。
例えばTWA機ハイジャック事件を題材にした『エンテベの勝利』や『特攻サンダーボルト作戦』(おまけで『デルタ・フォース』も入れとこか)ではアラブゲリラ側の行動も描かれ、それによってサスペンスを盛り上げている。『あさま山荘事件』にはそれがない。ひたすら警察官たちがうろうろしているだけで、時に間抜けですらある。
「犯人を殉教者にしてはいけない。だから殺さずに捕まえるのだ」という方針で警察は動いていくのだが、個人的意見としてはこれがまず間抜けだ。犯人は容赦なく殺すべし。いいテロリストは一種類しかない、それは死んだテロリストだ。
1973年当時、日本にはカウンターテロリズムのスペシャリストはいなかった。もしも当時の日本にSASやGSG9、デルタ・フォースのような特殊部隊が存在していたら10日近くもの長丁場にはならなかったろうし、ひょっとすると殉職者も出なかったかもしれない。
望遠カメラ、ファイバースコープカメラ、集音マイクなどで可能な限り犯人の人数、所在箇所を調べ、少数精鋭の特殊部隊が窓などを突き破って突入。まずはスタン・グレネードの閃光と轟音で敵を無力化し、MP5あたりのサブマシンガンで射殺。所要時間は1~2分といったところだろうか。
ここでこんなことを言っても机上の空論に過ぎない。現場のつらさを知らない人間が勝手なことを言っているだけだろう。しかし、プロのカウンターテロリストとはテロリストを迅速かつ的確、そして徹底的に倒すのだ。ところが、この映画の中にプロの男たちの生きざまを観い出すことは出来なかった。素人に毛の生えたような連中がただドタバタしているだけだ。この映画の登場人物たちにわたしは自分の命を預ける気にはなれない。よって、この作品はわたしにとって駄作だ。
ところで、現在の日本にカウンターテロのスペシャリストはいるのだろうか?警察、自衛隊を問わずだ。ないのならば設立すべきだろう。昨年のアメリカ同時多発テロは沿岸の火事ではない。
それなりにいい役者が集まっている中で遊人は思いっきり邪魔だ。この男、監督の息子である。『おニャン子・ザ・ムービー 危機イッパツ!』の時から「息子使うのやめっつーの」だったが、あの頃は子役だったのでまだ大目にみることもできた。しかし、すでに青年。親離れ子離れして欲しいものだ。出すな、出るな。
まとめると「警察万歳!」の一言だ。
だったら、指揮をする立場の佐々木氏に視点を置くのではなく、前線にいて最後には突入する一警官を主人公にした方がよかったと思うのだが。
中間管理職は大変だと思うだけで、「ヘラクレスの選択」と言われてもピンとこないぜ、まったく。