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『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ栄光のヤキニクロード』

『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ栄光のヤキニクロード』(2003)  監督:水島努 脚本:水島努/原恵一 出演:矢島晶子/ならはしみき/ 藤原啓治/こおろぎさとみ/林玉緒/真柴摩利/一龍斎貞友/佐藤智恵/石丸博也/華原朋美

 たしかに良い作品だし滅多に泣かないこのわたしが思わず泣いたのだが、しかし同時に「これはすでにクレヨンしんちゃんじゃないっ!」と叫んだ『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦』(2002)。
 だって本気でマジなんだもん。おふざけの主人公が真剣の悪役(の割にバカなのだが)に勝つというクレヨンしんちゃんの図式から思いっきり逸脱して、これじゃ普通の映画だ。いや、良い映画なんだけどね。
 で、次作の『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ栄光のヤキニクロード』(2003)はその反動もあってか、どちらかというと原点回帰した作品になっている。
 バラバラになりそれぞれひたすら走り続ける野原一家の姿は感動的である。思えば、正月の駅伝、オリンピックのマラソンなどでわたしたちは走り続ける人の姿を目にするが、彼らはつまるところ学校の名誉であったり国のためという看板を背負って走っている。マラソンの起源であるマラトンからアテネまで走り通した名も無きギリシャの兵士は戦いの勝利を伝えるためだった。太宰治の『走れメロス』のメロスは友人の命をかけて走っている。それに対して野原一家の走る理由が「晩ご飯の美味いヤキニクを食べるため」という実にバカなものであることの美しさ純粋さ。
 そもそも走るという行為は実に映画に合う。机の前に座って悩んでいる人を撮っても絵にはならないが走っている人はそれだけで絵になる。その走るという行為をメインに持ってきただけでこの作品はすでにある程度成功している。

 細かい点を言うと不満がないわけではない。
 マスコミなどを通じて無実の野原一家が天下の極悪人として報じられ、世間の人々から憎まれ追われ密告されるようになっていく様は、なかなかに恐ろしいシーンである。しかし、アクション仮面がテレビで「野原一家を捕まえよう」と呼びかけるのはどうだろうか?アクション仮面としんのすけといえば『嵐を呼ぶジャングル』(2000)などでともに戦った仲間ではないか。せめて、カメラに写らない部分で回りを銃を持った悪人たちに囲まれているアクションの絵が欲しかったところだ。
 デパートの屋上でカメラ小僧相手に媚びを売るゲスト出演の華原朋美は、そもそも彼女にこれっぱかしの興味も持っていなかったわたしにすら哀れである。華原朋美が自虐的なギャグとして理解していればまだ救われるが、わかってるんだろうか?ま、どうでもいいか。
 悪人が何人か出てくるが、あまりぱっとしないのもつらい。やはり悪役が魅力的でないと。

 ともあれ、走れ。そしてヤキニクを食え、腹一杯。

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