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『わんわん物語』

『わんわん物語』(1955) 監督:ハミルトン・ラスケ/クライド・ジェロニミ/ウィル・ジャクソン 製作:ウォルト・ディズニー/アードマン・ペナー

ディズニーか。ディズニーと言うのは、それだけですでに一つのジャンルなのかも知れない。
「わんわん物語」はディズニーがまだディズニーであった頃の作品であって、独特の暖かさを持っている。同じディズニープロの作品でも、ウォルト・ディズニー死後の作品は明かにそれ以前の作品とは色を異にしている。
時代の流れといったものもあるだろうが、そこにはやはりウォルト・ディズニーの思想のようなものが感じられる。思想と言っても、小難しい理屈じゃなくて、一言で言えば優しさだが、ただの優しさとは違うのである。軟弱や逃げの裏返しの優しさではなくて、どっしりと腰を据えて全てを受け止める、受け止めようとする優しさなのである。それは同時に強さでもあるのだ。
やはりディズニーは避けては通れない。ルーカスだって、スピルバーグだって、ハワードだって(いや、ホークスじゃなくてロン・ハワードだけどね)、アメリカの中堅の映画人は、なんらかの形でみんなディズニーの影響を受けているのである。
特にスピルバーグの傾倒ぶりは有名である。「未知との遭遇」のラストで流れる曲は、やはり「星に願いを」でなければならなかったのだ。スピルバーグだけではない。ディズニーを観ているとき、全ての人は幸せである。暖かい気持ちになれるのである。
閑話休題。さて「わんわん物語」であるがこれは要するに、ブラブラと気ままに生きているチンピラが、家出してきた上流階級のお嬢様と出会って、すったもんだの挙げ句そのお嬢さんと結婚して家庭を持ち落ち着くことになると言った内容である。男はちゃんと家庭を持たなければならない、とまあアメリカがまだ家庭に夢を持てた頃の話だ。3組のうちの1組は離婚するといった現代のアメリカではとてもそんなことは言ってられないだろう。
もっとも日本でも家庭の虚構化や崩壊は進んでいるというが。
まったく、家庭ってなんだっけ。そういった物を否定して喜んでる奴も多いしなあ。でも、ディズニー遠くなりにけりでは、あまりに悲しすぎる。

この作品では動物が主人公であるが、その擬人化が、例えば「トムとジェリー」などとは多少違っていて、人間がでているシーンと犬だけのシーンでは犬の描写に工夫があるのである。
人間が出ている時は、その世界の人間としての存在はあくまでも人間であり(ややこしい文だ)、犬だけになったときには、その世界の中心が犬になるのである。つまり描き方としては人間になるわけだ。つまり、視点の移動があるわけで、そこが「トムとジェリー」と違うわけだ。その移動が非常にうまくて違和感を感じさせない。スムーズに流れるように移るのだ。
後、当然カメラ位置も変わるわけであって、これらによって犬と人間の両方がうまく描かれている。登場する人間がただのオマケで終わっていないのだ。
2つの世界をうまくまとめあげている所はなかなかうまい。さすがだ。
落ち着いた色調の絵も心を落ち着けてくれる。かなりの部分が計算され尽くして創られているのである。

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コメント (2)

オンリー・ザ・ロンリー:

飼い主の奥さんに子供が出来た為、ベティ(名前失念、メスの犬)をかまってやれなくなると寂しそうな表情を見せる。とてもアニメとは思えませんね。この映画以降コカスパニエルは流行りました。それにしてもパイレーツ何とかがディズニー映画とは知らなかった。昔のディズニーでは鹿皮服のフェス・パーカーがヒーロー。隔世の感。優しさがあったのに・・。

東森時音:

オンリー・ザ・ロンリーさん

ディズニーの実写映画第一作が『宝島』なのを知ってから『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズのことはあまり気にならなくなりました。ディズニーは昔から海賊好きなんですね。私は日本アニメ『宝島』を幼少期に観て大きな影響を受けたので海賊ってのは好きですね。「えいやほら、ラムをもう一瓶だ」

ディズニーを始めとしてアメリカのアニメはすっかり3Dが主流になってしまいましたが、『わんわん物語』や『ファンタジア』なんてのは2Dだからこそ味があるもの。時代の流れとはいえ少し寂しいですね。

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