『ブラインド・フューリー』 (1989) 監督:フィリップ・ノイス 原作:笠原良三 脚本:チャールズ・ロバート・カーナー 出演:ルトガー・ハウアー/ブランドン・コール/ランドール・“テックス”・コッブ/テリー・オクィン/リサ・ブロント/ニック・カサヴェテス/メグ・フォスター/ショー・コスギ
アメリカン座頭市~子連れ血煙街道~
と、まあ題の通りの映画である。以上、終わりっっ!
いかん終わってしまった。映画も二週間ぐらいで終わってしまったが。
ベトナム戦争で目をやられ視力を失ったアメリカ兵士が、ベトナムの村人に助けられ、そして彼らから居合切りの極意を教わる。そして、アメリカに戻った男が悪人を倒すと言う話。
まず、ベトナムの村人の描き方がすごい。あれではどう見てもアフリカやパプアニューギアの原住民の方々だ。ルトガー・ハウアーだってひげを伸ばしボロを来て、まるで乞食・・・いやもといルンペン・・・いやもとい自由労働者のようである。
ナイフのクローズアップがフレームインして始まるランボーのオープニングに対し、日本刀のクローズアップで始まるなどパロディー精神も旺盛である。
この作品はある意味、ランボーなどの肉体派ヒーローのパロディーであるわけだ。
ランボーが殺気を露骨にばらまいているのに対し、この作品のルトガー・ハウアーは極力暴力に訴えることを避けようとしている。彼は自衛のための戦いはしても自分から喧嘩を売ることはない。なぜか?それは彼が盲・・・もとい目が不自由であるからだ。
彼はその肉体的欠陥によって一見弱者であるように見えるが、あるいは世間はそう思うが、しかし彼は最強の人間であり、自らそのことを自覚していること故にゆとりがある。言い換えれば彼には盲・・・もとい目が不自由な故の優越感があると言うことである。矛盾して聞こえるかも知れないが、映画を見た人には分かってもらえるだろう。
この文章の題から分かる通り、ルトガー君はガキ・・・もといお子様を一人連れて逃げ回ることになる。
ちなみにその母親がメグ・フォスターだったりするのは友情出演なのでありましょうか?
彼らにとって頼れるのはルトガー君の刀一本と彼の居合の腕だけ、果てさて2人の運命やいかに?
とまあ、『座頭市血煙り街道』という作品をベースにしており、クレジットにモトネタである座頭市血煙街道の脚本家“笠原良三”がちゃんと記載されているのは良心的である。
何よりルトガー君がちゃんとしたサムライスピリットを持っているのがうれしい。悪人に奪われた刀が車の窓から捨てられたとき、バンの荷台で縛られていたルトガー君は見えるはずも聞こえるはずもないのに(見えないのは当り前だが、だって盲だもん)刀と自分が引き離された事に本能的に気付く。ああ、なんと感動的。刀と持ち主との心のつながりは、物を物としか思わないアメリカ映画らしくなくてここら辺にもセンスが伺える。
この後ルトガー君は抱腹絶倒の方法で刀を見つけ取り戻すのだが・・・それは観てのお楽しみ。
ちゃんと賭場に行ってさんざ勝ったあげく相手のイカサマを暴くと言う、本家を見てる人にはこたえられないクスグリもあるし、悪人に囲まれながらも明りが消えて部屋の中が真っ暗になり、「ここは俺の世界だ。」とボソッという格好良さ!!
しびれるねえ~!
最後の最後に殺し屋としてショー・コスギがメバリ入れて出てくるし最高だ。