『エルミタージュ幻想』(2002) 監督:アレクサンドル・ソクーロフ
1シーン1カットで映画を構築するというアイディアは案外誰でも思いつく物だが、大概の場合は単にカット割りと編集を失う行為にすぎない。
そこに、1カットのリアルタイム進行でありながら、1613年から1917年までの3世紀にわたるロシア・ロマノフ王朝の栄枯盛衰を90分の1シーン1カットで描こうという、とても正気とは思えないアイディアを考えついた者がいた。エルミタージュ美術館にカメラを持ち込み、そこをセットとすることによってその途方もない夢が現実に映像化されたのである。
もちろん、それにはデジタルハイビジョンビデオカメラの発達も欠かせなかった。通常のフィルムで長回しをすればどうやっても物理的限界がある。しかし、ビデオならばその制約はかなり少なくなる。
試しにビクターの、なんならソニーのでもいいのだが、デジタルビデオカメラを持って録画ボタンを押したまま30分ほど街を散歩してくるといい。それが映画になっているかはともかくとして、30分1カットの作品が出来上がるはずだ。
『エルミタージュ幻想』はそれをエルミタージュ美術館でやったわけである。90分1カットはデジタルハイビジョンビデオあってこそだったのだ。
この作品は主人公の視点で漂うように進行していく。画面には女帝エカテリーナを始めとした過去の人々が現れては消えていく。全ては現実ではなくすでに過去の出来事、幻想である。そしてもう一人時に縛られない男が現れ主人公と会話を始める。ま、ちょっと素に戻るとこの会話が難解というか文学的というか抽象的なのか何が言いたいのかわけが分からん。
こういう場合の対処法としては
1.わかるまで観るべし。調べるべし。
2.こういうものだと頭を下げて通り過ぎるべし。
がある。わたしはまず2.だが。
ひたすら映像にたゆたってラストの大舞踏会でため息をつく。舞踏会の中に岡田真澄そっくりの人を見つけて、そういえば確か岡田真澄って先祖がロシア系だったよなと妙に納得。
例えこの作品が2002年に作られなかったとしても、いずれは同じ映像コンセプトの作品が映画史に登場していただろう。ただし、この1作あればそれで充分で、今後もう出てくることはまずないだろうが。
歴史的建築物をセットにしているだけあって美術面の完成度は高く、なにより90分1シーン1カット300年というアイディアが目の前に構築されていく様はスリリングかつエキサイティングである。だから面白いかと言われるとそれはまた別なのだが。