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2004年04月 アーカイブ

2004年04月03日

ポコペンへの侵略開始!

『ケロロ軍曹第1巻』 吉崎観音 角川書店

 なんだかんだでアニメは全然見なくなっているのだが、久々にチェックしたい作品が始まった。丁寧な線の可愛らしい絵にマニアックなネタを絡めつつ繰り広げられる地球制服をたくらむ宇宙人との日常生活。そう、『ケロロ軍曹』である。
 先日発売された第8巻の帯で今日からのアニメ化を知ったので、下手をすれば危うく見逃してしまうところだった。書店で手に取ったのがおとといの4月1日だったので、「えっ?エイプリル・フール?」と思わず周りを見渡してしまった。すると、書棚の陰から『どっきりカメラ』と書かれたプラカードを持った野呂圭介が現れて目の前を通り過ぎていった。ま、それはウソだがアニメ化は本当だった。テレビを付けて待っていたら(考えてみたらビデオ・DVD以外の映像が映し出されるのも久しぶりだ)ちゃんと放送が始まった。
 今日のエピソードではケロロが日向家に現れ個室を手に入れるまでが語られた。うーむ、そうか、原作だとこの頃の夏美はルーズソックスだったのだが、アニメでは普通の白いソックスになっているのだな。そうだよな、ルーズソックスなんて最近はあんまり見かけないもんな。個人的にあれは好きじゃなかったんで良い傾向である。靴下は見えるがパンツは見えないのがやっぱテレビ東京か。
 ガンプラを始めとした様々なアイテムをどうするのかちょっと不安だったがちゃんと画面に登場していた。ガンプラを作らない軍曹なんて軍曹じゃないものな。iMacもちゃんと新型になって登場。アップルマークじゃなくて星印になっていたが。その他にも「姉ちゃんがドロドロに。まるでニンゲンモドキかボアジュースに」と手塚・石ノ森両巨頭捧げられたかのようなセリフは出てくるし。ゴックリ、ゴックリコンとボアジュース~♪ってか。
 絵はちょっとクセがあって吉崎氏の原作にはあまり似ていない。軍曹はほぼ同じだが(どう描いたって似るって気もするが)冬樹はなんか違ってて、夏美はぱっと見別人。ママにいたっては「誰?」
 気になったのは壁紙がペリペリとめくれていってその下のケロロが冬樹と夏美に発見されるシーン。無駄に秒数とカット数が多くてリズムが悪い。いわゆるファーストコンタクトのシーンなので「これでもか~」と見せたいのは分かるが、それをあえてトンチキに描いていたところが魅力だったと思うのだが。
 とにかく展開が早いが、ケロロ小隊の面子が揃わないと作品本来のおもしろさが出てこないので、せめてギロロ伍長が登場するぐらいまではある程度飛ばしていってもかまわないだろう。多分、全26話ぐらいなのだろうし。

2004年04月04日

『地獄のコマンド』 侵略を阻止しろ!

『地獄のコマンド』(1985) 監督ジョゼフ・ジトー 出演チャック・ノリス

 5月21日に『チャック・ノリス アクション DVD-BOX』が10,290円で発売される。
 これは買うしか!と思ったが、収録作品は『地獄のヒーロー』『デルタフォース』『テキサスSWAT』『野獣捜査線』そして『地獄のコマンド』の5本。あのー、『地獄のヒーロー』と『デルタフォース』はもう持ってるんですけど。しかも廉価版ではなくもちろん発売と同時に買ったのでそれぞれ3,980円。あーもう買わずに待ってた方が得だったってこと?せめてバラ売りもして欲しいんだがなぁ。

 実はわたしは割とチャック・ノリス好き。今回のDVD-BOXも『コマンド』『ヒーロー』『デルタ』『野獣』の4本は劇場で観ている。なんだ『テキサスSWAT』は観逃してるじゃないかと思う人もいるかもしれないが『テキサス』は劇場未公開のビデオ発売のみなのだ。そう考えると結構なチャック・ノリスファンって気もするが、大学のシネマ研究会のある先輩にはかなわない。この人は入部時に「好きな俳優は?」との問いに「チャック・ノリスです」と答えたばっかりにその場で“チャック”というあだ名が命名されてしまった。そして卒業までの4年間ずーっと“チャック”呼ばわり。っつーか今でもチャック。このままだと多分一生関係者の中ではチャックのままだろう。

 『地獄のコマンド』は原題の『INVASION USA』が示すとおりアメリカが侵略の危機にさらされるストーリー。といっても『若き勇者たち』のように軍隊が侵攻してくるのではなく、テロリストによる同時多発テロというのが今となってはタイムリーである。テロリストはイスラム関係ではなく(おそらく)ソビエトの手先。まだソ連があった時代である。チャック・ノリスはこのほかにも出世作であるベトナム戦争でのMIA(戦闘中行方不明者)奪還の『地獄のヒーロー』やイスララムテロリストによるTWA機ハイジャック事件を題材にした『デルタフォース』などがあり、映画の傾向から察するにおそらく愛国者でタカ派なのであろう。
 チャック・ノリスといえば元全米空手チャンピオンとして有名だがこの作品ではあまり格闘アクションはなく、写真の2丁UZIピストルの乱れ撃ちなどのガンアクションが中心だ。ショッピングモール内でのカーチェスはなかなかいい。
 終盤にはアトランタでと市街戦があり、極めつけはラストのバズーカによる至近距離銃撃戦。それ絶対バズーカの使い方として間違ってるって。しかも自分まで爆発で吹き飛びそうだし。てなことをツッコみつつもカッコいい!と拍手喝采してしまうのでした。ぱっと見は単なるヒゲのオッさんなんだけどね、チャック。

2004年04月05日

『デルタ・フォース』 人質を救出しろ!

『デルタ・フォース』(1985)のパンフレット 監督メナハム・ゴーラン 主演チャック・ノリス

 1985年のイスラムテロリストによるTWA機ハイジャック事件をヒントにして制作された作品。登場する航空会社が“ATW”という名前なのは実にそのまんま。『エグゼクティブデシジョン』(1996)と同じ今くテレビで放映するにはちょっとやばい内容である。

 チャック・ノリスを始めとする対テロ特殊部隊デルタ・フォースの連中がアラブ人ハイジャッカー達をこてんぱんに叩きのめす。監督のメナハム・ゴーランはパレスチナ生まれのイスラエル人で、そもそも制作会社の今は無きキャノンフィルムは確かイスラエル資本だったはず。そういった点を考えると「UZIをかまえたチャックかっこいい」とか「バズーカをかまえたリー・マービンが渋い」とか「偉いさん役が実に似合うぜロバート・ヴォーン」とか「やっぱ出てたかジョージ・ケネディ」とか単純に言ってちゃいかんのかなぁともちょっと思うがちょっとだけだ。現実世界は現実世界、娯楽映画は娯楽映画という割り切りも一種のバランス感覚だ。

 デルタ・フォースは実在のアメリカ軍特殊部隊。世界最強と言われるイギリスのSASをモデルにしていると言われるが、映画のデルタ・フォースはおそらく本物とはあまり関係がない。UZIサブマシンガンは使ってないと思うし防弾性能0の装甲無しバギーも使っていないだろう(と思ったらバギーは使っているらしい。デルタ・フォースの作戦は相手の虚をついて一気に突入、終了後即退散なので小回りのきくバギーは状況によってかなり便利だそうだ)。
なにより、マシンガンや小型ミサイルを発射し後部にグレネードランチャーまで装備したスーパーバイクは絶対持っていない。あのね、『メガ・フォース』(1982)じゃないんだから。
 ラストでは親玉相手にチャック・ノリスの空手殺法が炸裂するが、いかんせん相手が普通の役者なんで格闘になっておらず、ひたすらにチャックが弱い者をいじめているようで爽快感がない。やはり1対1の格闘アクションはある程度互角じゃないとダメだ。ともあれ、リアルなコマンド物を期待するとかなり裏切られるんで、そこら辺は注意が必要だ。

 良い意味でトンチキな(わたしはそう思う)デルタ・フォース側に比べると、ハイジャック機内は結構シリアスな描写がなされている。ま、ハイジャックされているのに呑気にしてるヤツはいないんでしょうが、ナチのユダヤ人収容所にいたことがあるユダヤ人乗客いたり(ハイジャッカーにパスポートを提出する時の手首の数字の刺青は名シーン)、ソ連から亡命してきたロシア人が名前からユダヤ人に間違えられたりする。ハイジャッカーと乗客の間に挟まれる形となったフライトアテンダントのドイツ人女性が「あなたたちのやっていることはナチと同じよ」と叫ぶ。それなりに人間ドラマが成立しているのだが、アクション部分とあまりにスタイルが違うのでまるで別々の2本の映画をつないでしまったような感もある。

 細かいことを考えると色々ある作品だが、なによりリー・マービンの遺作なので必見ではあろう。一流のB級俳優であった。

2004年04月06日

『野獣捜査線』 悪党を逮捕しろ!

『野獣捜査線』(1985)のパンフレット 監督アンドリュー・デイヴィス 出演チャック・ノリス

 わたしがチャック・ノリスファンになったきっかけがこのアクション刑事映画『野獣捜査線』。
 『地獄のヒーロー』は正直ヒゲオヤジがランボーの真似をしているといった感じでピンとこなかったのだが、この作品のあくまでも正義と己を貫くタフガイ刑事にはやられてしまった。
 舞台はシカゴ。麻薬を扱うコロンビアマフィアを追うシカゴ警察特捜班。そのリーダーがチャック・ノリス。老刑事が捜査中に犯した不正に関して審問会で証言したためにチャックは裏切り者として警察内部で孤立していく。だが、そんな逆境を物ともせずチャックはただ黙々と悪を追い続ける。賢しげに正義を口にしたり権力に溺れることなく戦うその姿はなるほど“野獣”だ。
 全体的にガンアクションが多いが、敵の集まる酒場での30対1の格闘アクション。派手な技はないが地道に骨の髄まで痛そうな突きに蹴りがさすがチャンピオンである。演出いかんでもっと見せ場になっていたのだろうが、これが1985年のアメリカ映画での格闘シーンの限界なのだろう。ボクシング的な殴り合いの演出ならばとっくに形が出来ていたが、空手やクンフーなどの動きが速く足技もあるアクションについてはまだ定着しておらず演出方法も模索中だったのだ。
 もちろん、色んな物を積極的に取り入れるハリウッドではその後格闘アクションの分野では飛び抜けた進化をしていた香港映画からキャストやスタッフを引き抜きすでにその弱点を克服してしまっている。自分のところで一から育てるのではなく、すでに技術を持っている者がいるならばそれをヘッドハンティングしてくるというのが実にアメリカ的だ。
 1985年のアメリカ映画なりの空手アクションを手がけた監督のアンドリュー・デイヴィスはその後『刑事ニコ 法の死角』(1988)で合気道アクションに挑戦し、引き続きスティーブン・セガール作品の『沈黙の戦艦』の大ヒットで今では一流監督になってしまった。
 チャック・ノリスと並んでこの映画を支えているのが悪役コロンビアマフィアのボスヘンリー・シルヴァだ。『シャーキーズ・マシーン』(1982)や『パリ警視J』(1984)などの主役を食ってしまう狂人じみた悪役ぶりはここでも健在。特筆すべきは“コロンビア・ネクタイ”だろう。これは制裁の手段で、相手の喉を切ってそこに手を突っ込むと舌を引っ張り出すという荒技だ。切れ目からぶら下がった舌がまるでネクタイみたいなのでコロンビアネクタイ。うん、これでノーネクタイお断りの店でもOK、おしゃれさん。なんてことはないわけで、普通喉を切られた時点で死んでるな。
 そして、ラスト。悪投どもが待ちかまえる倉庫に他の警官の応援がこないまま一人で乗り込んでいくチャック。男だねぇ。いや、正確には一人じゃない。テスト期間中の警察ロボットも一緒だ。(見にくいだろうが写真の左上がそのロボット。人型ではなく自動で動く小型装甲車といったところか)最初は「おいおいロボはないだろロボ」はと思ったが、いったん戦い始めるとこいつがなかなか頼りになる。物騒な昨今、我が家にも一台欲しいところだ。・・・マシンガンやランチャーで撃ち殺しちゃったら過剰防衛かな、やっぱ。

 刑事物好きなら押さえておきたい1本。刑事がたむろっているバーに押し込み強盗が入ってくるシーンは爆笑だ。

2004年04月07日

『地獄のヒーロー』 捕虜を奪還しろ!

『地獄のヒーロー』(1984)のDVD 監督ジョゼフ・ジトー 出演チャック・ノリス

 チャック・ノリス主演作としては日本初お目見えの作品で、これと言って突出したところのない凡庸なアクション映画。この後、なにかというとチャック・ノリス主演作は『地獄のヒーロー』のタイトルが付くが、ベトナム戦争戦闘中行方不明者(MIA)を扱ったブラドック大佐モノは3まで。個人的にはチャックファンやB級アクション映画ファン以外の人には、「戦争中に死んだと思っていたベトナム人女性の妻と子供を取り返しに行く」という戦争+父子モノの佳作『地獄のヒーロー3』しかお勧めしない。

 割に楽しめる『地獄のコマンド』(1985)と監督はおろか脚本などのスタッフもほとんど同じなのだが、最初に言ったようにどうにも面白くない。こんなもんだろと適当に作った感じで制作側のこだわりが見えてこないのだ。
 主人公ブラドック大佐(チャック・ノリス)はベトナム戦争中に一度捕虜になったものの辛くも脱出したのだが、そのことを引きずったまま酒に溺れている元軍人である。その彼が何故再び単独でベトナムに赴き捕虜奪還作戦を始めるのかという動機が見えてこない。ストーリー的に細かく語らなくとも、せめて雰囲気だけでも作ってほしい。ベトナム戦争にこだわりのあるアメリカ人にとってはこれでいいのかもしれないが、そこが描けていないと「なんかヒゲオヤジが銃持って暴れてる」としか思えないのだ。
 途中、敵側が撃ったバズーカで子供を含めた無関係の通行人が巻き込まれて怪我をするシーンがある。これは「こんなに悪いヤツらなんだぞ。だから問答無用でやっつけてもいいんだぞ」という説明のシーンであって、見ていてあまり良い感じはしない。
 どうにも辛口の感想になってしまったが、まこんなものだろう。
 ただ、同じくMIAモノの『ランボー2 怒りの脱出』(1985)より『地獄のヒーロー』(1984)の方が1年早いことだけは補足しておく。『地獄の7人』(1983)はさらにその1年前だが。

2004年04月08日

『テキサスSWAT』 宿敵を撃破しろ!

『テキサスSWAT』(1983) 監督スティーヴ・カーヴァー 出演チャック・ノリス

 邦題には“SWAT”とあるが主人公マッケードは警官ではなくテキサスレンジャー。原題の『Lone Wolf McQuade』にはSWATなんて一言も出てこない。レンジャーはテキサス州独自の組織でおおざっぱに保安官のような物・・・だと思う。アメリカは地方自治が思いっきり強い上に司法制度が複雑で正直細かいところがよく分からない。地方警察にFBI、DIAにNSAとDEAとATFとなにがなにやら。そりゃ縄張りでもめたりするわな。ちなみに一般的に映画だと大規模で全国的な組織になればなるほどイヤな奴等ってことになっている。
テキサスレンジャーだが刑事映画の変種として分類して構わないだろう。

 監督のスティーヴ・カーヴァー(『超高層プロフェッショナル』『サンダー・ブラスト 地上最強の戦車』)らしい豪快かつおおざっぱな演出で「細かいことを考えたら負け」なバカアクション映画に仕上がっている。西部の荒野という舞台もネイティブ・アメリカンの血を引くだけあってかチャック・ノリスによく似合っている。

 西部劇時代のレンジャーは馬だったがマッケードはドッジの四駆を乗り回している。マッケードが悪人に捕らえられ、「愛車と一緒に埋めてやれ」と車ごと大きな穴に埋められてしまう。危機一髪!さぁどう乗り切るか?缶ビールで頭を冷やした後に、おもむろにエンジンを始動させる。劇中何度も活躍してきたスーパー・チャージャーがうなりを上げる。悪人の部下が驚く中、地面に地割れが起こるとそこからドッジが飛び出してくる!ブォォォォン!スーパー・チャージャーはガソリンの燃焼に必要な空気を強引に取り込む過給器なので空気の無い地中では役に立たないだろ!とか考えちゃ負けだ。

 『野獣捜査線』(1985)の回に、「当時まだハリウッド映画では空手・クンフー系のアクションの演出がまだ出来上がっていなかった」と書いたが、それを考えるとこの『テキサスSWAT』のチャック・ノリスとデイヴィッド・キャラダインの対決シーンはなかなかがんばっている。今となっては学生の自主映画の方がレベルが高そうなカット割りなどであるが、個人的に燃えるモノがある。
 どちらかというと小柄なチャックの空手に、身長が高いデイヴィッドの蟷螂拳が迫る。そう、デイヴィッド・キャラダインと言えばブルース・リーからTVドラマ『燃えよ!カンフー』の主役を奪った男。ブルース・リーと親交のあったチャック・ノリス(『ドラゴンへの道』の格闘ゲームでいうところのラスボスがチャック・ノリス)とは因縁の対決である。

 90年代のチャック・ノリスは主にTVドラマ『テキサス・レンジャー』シリーズで活躍する。残念ながらこちらの方が縁がなくて未観だ。

2004年04月09日

『ラン・ローラ・ラン』 真っ赤な髪をなびかせて

『ラン・ローラ・ラン』(1998) 監督・脚本トム・ティクヴァ 出演フランカ・ポテンテ、モーリッツ・ブライブトロイ

 ひょっとしたらこの作品のアイディアは、プレステかなにかでアドベンチャーゲームをプレイ中に思いついたんじゃないだろうか。
 制限時間は20分、クリア条件は10万マルクを手に入れて彼氏の元にたどり着くこと。さあ、ゲームスタート。プレイヤーキャラのローラを操作しベルリンの街を西へ東へ。登場人物と会話したりアイテムをゲットしてゲームを進めるがバン!ローラ死亡。ちくしょう、どこかで選択肢を間違えたな。再スタートだ。2度目のプレイなので最初よりタイムロスを減らせたし10万マルクも手に入れた。ゲームクリアか?ドン!またダメだ。3度目の正直でどうだ。シナリオのトラップには気を付けて、やったついにクリアだっ!・・・という内容ではあるんだよな、ある意味。

 ダメ男の彼氏が犯罪がらみの金10万マルクを紛失してしまった。20分以内に金を用意しないと彼氏の命が危ないとベルリンの街に飛び出してく主人公ローラ。ちょっとした選択肢の選び方次第でまったく違う形で進んでいくストーリーが3度に渡って繰り広げられる。上映時間が81分と短いせいもあるが、とてもテンポが良く観ていて楽しい。
 この作品の大きな魅力の一つがローラの走りっぷりだろう。演ずるフランカ・ポテンテはあまり美しいとも可愛いとも思えないが、水色のタンクトップを身にまとい真っ赤に染めた髪を風になびかせて疾走する姿は実にカッコいい。かなり長いカットもあるのだが息も切らせずに真っ正面を見据えたまま走る。そのくせどこに向かって走っているのか時にはローラ自身にも分かっていないのもいい。
 基本的に娯楽作品なのだが、ローラとぶつかるなどして関わった人のその後が何枚かの写真で語られる場合があり、ある時はLOTOくじで大金を当て次の回では宗教に転んでいたりするのだが、そんな中に、ホームレスになっていたり自ら命を絶っているケースが入っている辺りにドイツ映画を感じる。

「大きなガラスを運んでいるシーンが登場した場合、間違いなく車などが突っ込んでガラスが割れる」の法則がきっちり守られているのもうれしいところだ。

2004年04月10日

『妖星ゴラス』 君子危うきからとっとと逃げる

『妖星ゴラス』(1962) 監督:本多猪四郎 出演:池部良、上原謙、志村喬

「狭い地球にゃ未練はないさ、未知の世界に夢がある夢がある。(中略)オイら宇宙の、オイら宇宙の、オイら宇宙のパイロットっ!」
 10数年前にテレビで1回、ビデオで1回観ただけなのに、劇中で歌われた宇宙飛行士の歌が空で歌えてしまうのはどういうわけだろう?

 地球に強大な隕石衝突の危機が迫る。最近の『ディープ・インパクト』(1998)や『アルマゲドン』(1998)などでお馴染みのシチュエーションだ。ちょっと古いところだと『メテオ』(1979)を含めたそれらの映画だと核兵器で隕石を破壊することで衝突を防ごうとする。自分(地球)と相手(隕石)がいて、相手を攻撃することによって危機を避けようとする考え方である。
 しかし、日本で制作された『妖星ゴラス』は全く違ったアプローチをする。ゴラスと名付けられた小惑星が地球の公転軌道と交差するというのなら、地球を動かして逃げればいいではないか。こうして、人類存亡の危機を賭け南極の大地に巨大ロケットの建設が始まる。自分(地球)と相手(ゴラス)がいて、トラブルが起きないように相手との距離を取ろうというのだ。『アルマゲドン』などが西洋思想だとしたら、『妖星ゴラス』は東洋思想に基づく作品とだといえるのである。

 おそらくは同様の危機に際し一部の人間だけがロケットで地球を脱出した『地球最後の日』(1951)の拡大解釈なのであろう。『ディープ・インパクト』でも選ばれた人だけがシェルターに入れることになっていたが、日本人のメンタリティには合致しなさそうだ。生き延びる権利がある人とない人にきっぱり分けることが出来ず「わたしと家族と、それからお隣さんと会社の同僚と」とどんどん増えてしまいそう。そこで、人類全員が乗れるロケットとして地球を動かそうということになる。

 重箱をつつけば些末なことはいくらでも出てくるが、南極から炎を吹きながら画面を横切っていく地球をその目で見れば「やられたぁ」と思うはずだ。しかも、ラストのセリフが「さぁ地球を元の軌道に戻さなきゃ。今度は北極だから陸地がないんで大変だぞ」と環境へのアフターケアも充分である。
 退屈してるお子様には、唐突に現れる全長数十メートルの巨大セイウチ怪獣のおまけ付きだ。

2004年04月11日

『ラスト・ドラゴン』 クンフーを極めろ!

『ラスト・ドラゴン』(1985)のサントラ盤・アナログLPレコード 監督:マイケル・シュルツ 出演:タイマック、ヴァニティ

 サントラ盤なんて10枚も持っていないのだが、その数少ない内の1枚がこれ。ブラック・ミュージックが好きと言うことはなかったから映画自体が気に入ったのだと思う。『ラスト・ドラゴン』に入れ込むとはなかなかやるな、高校時代のわたし。

 青年リーロイ・グリーンはブルース・リーに憧れ、東洋人師匠の元で修行に励む毎日である。そんな彼を物陰から狙う弓矢。背後から飛んできた矢からヒラリと身をかわすリーロイ。そこへ弓を手に持った師匠が現れる。
「よくやったな、リーロイ」
 よくやったなじゃねーっつーの。刺さってたらどーする。
「これでもうお前に教えることはなにもない。後はお前自身で“最後のドラゴン”になるべく道を極めるのじゃ」
 なんて、分かるような分からないようなことを言われて、生まれ育ったニューヨークの街に帰ってくるリーロイ。しかし、そこは悪党の支配する恐怖の街になっていたのだ。ミュージックビデオ産業を牛耳ろうとする悪の親玉や悪の空手使いの手から人気女性タレントを守るべく戦いの火ぶたが切って落とされた。って、なんでミュージックビデオ?
 実は、1985年といえばマイケル・ジャクソンの『スリラー』(1982)の爆発的ヒットなどによるミュージックビデオ最盛期。そこで、モータウンレーベルの会長ベリー・ゴーディJRが映画制作に乗り出して作り出したのがこの『ラスト・ドラゴン』なのだ。
 と言っても、最初に言ったとおり、わたし自身は音楽にはさほど興味がないので、作中に登場するディスコシーンなどはほとんど覚えていない。
 それよりも『ラスト・ドラゴン』と言えば、最後の悪の空手使いとの対決シーンである。
「貴様など一ひねりだぜ、ブルース・リーロイ」と実にふてぶてしい空手使い。
 対するリーロイは様々な人との出会いや戦いを通じて成長し、ドラゴンの悟りが近いことを感じていた。
 そして戦いが始まった。
 戦いの中で、空手使いは怒りによって、そしてリーロイは静かなる心によって悟りを開く。
 すると、パンチが炸裂すると火花が、キックが炸裂すると火花が、バッシンバッシンと緑や赤の火花が光学合成で画面に飛び交うようになるのだ。
 こっ、これはまるで『ストリートファイター2』などの格闘ゲームではないかっ。思いついても普通やらないぞ、こんな演出。でも、カッコいいぞ。
 ついに打ちのめされた空手使い。しかし、卑怯にも隠し持っていた拳銃をリーロイに向けて発射する。倒れるリーロイに駆け寄るヒロイン。正義は負けてしまうのか。最後のドラゴンになっても銃にはかなわないのか。ヒロインが抱き起こす中、にっこり微笑むリーロイ。その歯の間にキラリと光るは受け止められた弾丸・・・丈夫な歯だな~。

 思い出していたら、ぜひもう一度観てみたくなったのだがDVDにはならないだろうなぁ。

2004年04月12日

『プリンセス・ブライド・ストーリー』 我が名はイニーゴ・モントーヤ、父の敵だ覚悟しろ

『プリンセス・ブライド・ストーリー』(1987)の原作本 監督:ロブ・ライナー 原作・脚本:ウィリアム・ゴールドマン 出演:ケアリー・エルウィズ、クリス・サランドン

「この映画は面白いよ」とか「この映画はカッコイイよ」など割と無責任なことは普段から言っているが、「こいつは観なきゃ損だ」「ぜひとも観に行け」と映画を保証付きで勧めたことはほとんどない。そんな数少ない“お勧め”の内の1本がこの『プリンセス・ブライド・ストーリー』(原題The Princess Bride)だ。名古屋駅近くの小さな映画館で『ラスキーズ』という映画と2本立てだったと記憶している。

 風邪をひいて寝込んでいる少年のもとに祖父がお見舞いに訪れる。おみやげは一冊の本。昔から病気の子供に親が読んで聞かせてきたという本だ。最初は興味を示さなかった少年だが、フェンシングに格闘、拷問に復讐、なにより真実の愛と奇跡についてのお話に引き込まれていく。そして、昔々、まだ剣士や海賊が活躍していて巨人や魔法が身近だったころの物語が始まる。

 愛しい恋人ウェスリーを海賊ロバーツに殺されてしまったキンポウゲ姫。数年後、その国の王子との結婚を控えたキンポウゲ姫が巨人と剣士を含めた三悪人に誘拐されてしまう。捜索隊を指揮してその後を追う王子。それとは別に謎の黒装束の男も三悪人に迫る。
 追いついてきた黒装束の男に対し、三悪人は剣士イニーゴ・モントーヤが立ち向かう。父親の敵を討つために子供の頃から剣の修行を積んできたイニーゴと黒装束の男との、まるでダグラス・フェアバンクスばりの西洋チャンバラが始まる。そして、一枚上手だった黒装束の男がイニーゴを追いつめる。
 だがイニーゴはにやりと笑うと「お前にまだ言ってなかったことがある。俺は左利きじゃないんだ」そして、剣を右手に持ち替えるとさらに鋭くなった動きでたちまちに黒装束の男を追いつめる。
 しかし、黒装束の男もにやりと笑うと「俺も言ってなかった。左利きじゃないってね」
 クワーッ!シビレる~。もう、個人的ツボにはまりまくった。
 その後、キンポウゲ姫を取り返した黒装束の男は実は死んだと思っていたウェスリーで、二人は隣国との戦争に関わる陰謀に巻き込まれ、仲間になった剣士イニーゴや巨人フェジックと一緒に大活躍を繰り広げる。
 1987年当時はまだ「ファンタジーは子供向け」という風潮だったが、今ならばちゃんと評価される作品なのではないだろうか。

 監督のロブ・ライナーは『スタンド・バイ・ミー』(1986)で有名だが、その前年に撮ったデビュー作の『シュア・シング』、そしてこの『プリンセス・ブライド・ストーリー』(1987)と続けて撮ったこの3作が絶頂期だった気がする。後は落ちる一方で、これには親父のカール・ライナーも困ったモノだと思ってることだろう。
 原作のウィリアム・ゴールドマンは『明日に向かって撃て』(1969)や『マラソンマン』(1976)の脚本家として有名な人で、当然この作品でも自ら脚本を手がけている。原作の方は、子供の頃父親に読んでもらったS・モーゲンスターンという作家の『プリンセス・ブライド』を手に入れたウィリアム・ゴールドマンが、父親が子供に分かりやすいように退屈だったり難解な部分は飛ばして読んでいたことに気付き、それではと自らも娯楽抜粋版として『プリンセス・ブライド』を書き直していくというストーリーである。もちろん、S・モーゲンスターンもその著作『プリンセス・ブライド』もゴールドマンが生み出した架空の存在。映画化に際して、主人公を作家から少年に変更したのは妥当だろう。
 祖父役はピーター・フォーク。かなり老けたメイクをしているので、当時はすぐにピーター・フォークだと分からなかったが、先日『新刑事コロンボ』をWOWOWで観たらかなり似た感じになっていた。
 そして、巨人のフェジックを演じているのが故アンドレ・ザ・ジャイアント。そのまんまなキャスティングだが、さすがにデカい。モサッとしたセリフ回しだったが、役柄に合っていて良かった。
 主人公ウェスリー役のケイリー・エルウィズはその後メル・ブルックスの『ロビン・フッド キング・オブ・タイツ』(1993)のロビン・フッド役などでたまに見る。『ロビン・フッド~』劇中で「あっちのロビン・フッド(ケビン・コスナー版)と違ってわたしはちゃんとしたイギリス英語をしゃべる」とか言ってたな。

2004年04月13日

『ワイルド・シングス』 裏の裏は表っ!

『ワイルド・シングス』(1998) 監督:ジョン・マクノートン 主演:マット・ディロン、ケヴィン・ベーコン

 あらすじなどを読んだ時にはまるで興味がわかなかったのだが、監督がジョン・マクノートンだというので観ることにした。マクノートンが1986年に監督した『ヘンリー』は実在した殺人鬼を題材に、殺人鬼側にも被害者側にも感情移入することなくただひたすらに恐ろしいぐらい淡々と描いた佳作だった。その後まるで名前を聞かないので消えてしまったのかと思ったが元気にしてた様である。
 サスペンスミステリーなので詳しいストーリーにはふれないが、教師に乱暴されたと訴え出た女生徒とその教師、捜査に当たった刑事などが、もうこれでもかこれでもかとどんでん返しに次ぐどんでん返しを繰り広げる映画だ。もう感心するやら呆れるやら。
 どんでん返しの多い映画というと『名探偵登場』(1976)辺りが頭に浮かぶが、シリアスな作品としては『ワイルド・シングス』が一番かもしれない。
 テーマは「目標!ギネスブックどんでん返し映画部門掲載」なのだろうか。

2004年04月14日

『ロープ』 80MINUTES

『ロープ』(1948) 監督:アルフレッド・ヒッチコック 出演:ジェームズ・スチュアート

 24時間の出来事をリアルタイムに描いたTVムービー『24 TWENTY FOUR』が話題になっている。さすがに24時間というのは映画では無理だが、作中の時間と上映時間がシンクロしている作品には『真昼の決闘』(1952)、『ニック・オブ・タイム』(1995)などがある。
 アルフレッド・ヒッチコックの『ロープ』(1948)はそれらリアルタイム映画の先駆けであるが、ヒッチコックだけあってただ単にリアルタイムなだけでは終わらせない。

「優れた者は劣った者を殺してもかまわない」という論理(ニーチェの超人思想)で知人を“ロープ”で絞殺した二人の青年。そして、殺人の彩りとして死体を衣装箱に隠したままの部屋に人を招き小さなパーティーを催す。だが、来客者の大学教授(ジェームズ・スチュアート)は二人の言動の小さなほころびから犯罪に気が付いていく。
 殺人の光景から結末までの80分全てがアパートの一室で起こり、しかもそれがたった3カットの長回しで語られる。実際には長回しは機材の関係で最長でも8分までで、カットの変わり目になると人がカメラの前を横切るなどしてレンズを塞ぎ、フィルムを入れ替えると再びそこからスタートする疑似1カットを使っている。その手法を使えば全編1カットも可能だったろうが、ジェームズ・スチュアートが二人の言動に始めて違和感を覚えたシーンと、青年が拳銃を取り出すシーンではクローズアップでカットを割っている。やはり映画を知り尽くしているヒッチコックにとって、そのシーンに最も適した演出としてカットを割るという欲求に耐えかねたのだろう。

 オーソン・ウェルズ以降の近代映画に於いては、作中の時間の進行は制作者の自由になった。カットが変わった途端10年後あるいは10年前になることも当たり前だ。『市民ケーン』(1941)や『パルプ・フィクション』(1994)の自在な時間軸は映画ならではの表現だ。
 そういった意味に於いて、リアルタイム進行や長回しという演出が非映画的でありうるということを逆説的に示したのが『ロープ』なのだろう。

2004年04月16日

『悪漢探偵2』 日本未公開

『悪漢探偵2』(1983) 監督:エリック・ツァン 出演:サミュエル・ホイ、カール・マッカ

 ギャグ、アクション、メカなど盛りだくさんな作品『悪漢探偵』(1982)は本国香港で記録的な大ヒットを飛ばした(もっとも日本では大コケだったが)。そこで当然のごとく続編が制作された。『悪漢探偵2』(1983)である。こちらも大ヒットしたのだが『悪漢探偵』の悪夢のためか日本未公開となった。だが、1作目を上回るハチャメチャさで実に楽しい作品となっているのだが。『悪漢探偵』シリーズは全部で5作あるが、この2が個人的ベストだろう。

 主人公キング・コング(サミュエル・ホイ)は元国際的大泥棒。ちょうど帰宅しようとする彼の部屋に、窓ガラスを突き破って2台のラジコンヘリが押し入っている。ガチャンガチャンと変形合体を繰り返したラジコンヘリは全長2mはありそうな黒いロボットになるのであった。ロケットパンチやミサイルを繰り出すロボットを相手に勝てるのか、キング・コング?
 二足歩行というよりその場でジタバタしているだけにしか見えないロボットだが、センス・オブ・ワンダーという意味では『マトリックス レボリューションズ』のAPUを遥かに上回っている。しかも、動作音がなぜかガンダムだし。
 キング・コングと相棒のハゲ刑事コージャックのコンビが犯罪組織を相手にするコメディなのだが、とにかく無駄にすごいアクション、無駄に派手なカースタントなどが目白押し。
 ルパン三世でおなじみの、縦に真っ二つにされそのまま右と左に分かれて走っていく車を、実写で観ることが出来るのはうれしいところだ。
 悪漢探偵シリーズといえば有名人のそっくりさん。『悪漢探偵2』ではクリント・イーストウッドやキッシンジャー元アメリカ国務長官が登場する。あっ、倉田保昭のそっくりさんも出てる・・・いやご本人であった。せっかくの出演なのにアクションがないのが残念。

 その後、香港映画もだいぶ様変わりし映画としてのクオリティが格段に高くなっていく。『悪漢探偵』シリーズはその直前に存在し、面白ければなんでもありの娯楽一直線路線の一つの頂点であろう。

2004年04月19日

『ミート・ザ・フィーブルズ 怒りのヒポポタマス』 ピンクの河馬

『ミート・ザ・フィーブルズ 怒りのヒポポタマス』(1989) 監督:ピーター・ジャクソン

史上初のパペットスプラッタームービー。もっとも、これが最初にして最後というたぐいの“史上初”ではあるが。
「マペットショーやセサミストリートみたいな人形達の劇団で怒ったカバが大虐殺する」と覚えておけばほぼ間違いない。

それは人形達が暮らしている世界。人気劇団フィーブルズに夢を抱えたハリネズミが入団してくる。しかし、ショービジネスの舞台裏は汚く堕落しきっていた。そんな中でハリネズミはプードルと恋に落ちるが、いろいろあったあげくにスター歌手のカバがオーナーに騙されていたことに気付きブチ切れて大爆発。マシンガンを手に片っ端から殺しまくる。飛び散る血、吹き飛ぶ肉片。でもパペット(人形)。
ほとんどギャグの領域のスプラッターシーンよりも、人形が演じてる分だけ逆にリアルな舞台裏の方がヘビーで生々しい。
「『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズの監督が撮った人形劇」だからって、間違ってもお子様に観せないように。
個人的レイティングとしてはR-15(15歳未満お断り)である。

2004年04月20日

『エルミタージュ幻想』 1カット300年

『エルミタージュ幻想』(2002) 監督:アレクサンドル・ソクーロフ

1シーン1カットで映画を構築するというアイディアは案外誰でも思いつく物だが、大概の場合は単にカット割りと編集を失う行為にすぎない。
そこに、1カットのリアルタイム進行でありながら、1613年から1917年までの3世紀にわたるロシア・ロマノフ王朝の栄枯盛衰を90分の1シーン1カットで描こうという、とても正気とは思えないアイディアを考えついた者がいた。エルミタージュ美術館にカメラを持ち込み、そこをセットとすることによってその途方もない夢が現実に映像化されたのである。
もちろん、それにはデジタルハイビジョンビデオカメラの発達も欠かせなかった。通常のフィルムで長回しをすればどうやっても物理的限界がある。しかし、ビデオならばその制約はかなり少なくなる。
試しにビクターの、なんならソニーのでもいいのだが、デジタルビデオカメラを持って録画ボタンを押したまま30分ほど街を散歩してくるといい。それが映画になっているかはともかくとして、30分1カットの作品が出来上がるはずだ。
『エルミタージュ幻想』はそれをエルミタージュ美術館でやったわけである。90分1カットはデジタルハイビジョンビデオあってこそだったのだ。

この作品は主人公の視点で漂うように進行していく。画面には女帝エカテリーナを始めとした過去の人々が現れては消えていく。全ては現実ではなくすでに過去の出来事、幻想である。そしてもう一人時に縛られない男が現れ主人公と会話を始める。ま、ちょっと素に戻るとこの会話が難解というか文学的というか抽象的なのか何が言いたいのかわけが分からん。
こういう場合の対処法としては
1.わかるまで観るべし。調べるべし。
2.こういうものだと頭を下げて通り過ぎるべし。
がある。わたしはまず2.だが。
ひたすら映像にたゆたってラストの大舞踏会でため息をつく。舞踏会の中に岡田真澄そっくりの人を見つけて、そういえば確か岡田真澄って先祖がロシア系だったよなと妙に納得。

例えこの作品が2002年に作られなかったとしても、いずれは同じ映像コンセプトの作品が映画史に登場していただろう。ただし、この1作あればそれで充分で、今後もう出てくることはまずないだろうが。
歴史的建築物をセットにしているだけあって美術面の完成度は高く、なにより90分1シーン1カット300年というアイディアが目の前に構築されていく様はスリリングかつエキサイティングである。だから面白いかと言われるとそれはまた別なのだが。

2004年04月21日

やっぱ科学は面白い-Newton-

理科大好きだったわたしは、当然のように『Newton』を0号から定期購読していた。
確か取っておいたはずだと物置の本棚を調べてみたら19号の一冊だけ残っていた。どうやら残りは数年前の引っ越しの時に捨ててしまったようだ。仮に残っていたとしても読み直すかは分からないが、ちょっともったいない。
全ページフルカラーで写真を多用し、文章の分かりやすさに重点を置いていたのだろう、各分野の専門家に執筆を依頼しながらも中学生のわたしでも楽しみながら読むことが出来た。思えば、学研の『○年の科学』から『Newton』へと読み継いだはずだ。
バイオテクノロジー、コンピューターの発達、1981年のスペースシャトル初打ち上げ、1980年代は宇宙からDNAまでと科学の時代だった。その一つの象徴が『Newton』だったように思う。

その『Newton』の第0号からの編集長竹内均氏が4月20日に亡くなられた。
原作・映画ともに科学理論で協力した『日本沈没』(1973)に特別出演した時の“竹内教授役”の誠実そうな姿が今でも目に浮かぶ。映画やテレビへの露出は他の学者からの批判要因だったが、人々への科学についてのアピールの意味が大きかったのだろう。
日本の科学啓蒙において大いなる貢献を果たされた氏の冥福をお祈りする。

2004年04月22日

『シャーキーズ・マシーン』 アトランタ、風紀課刑事根性

『シャーキーズ・マシーン』(1982) 監督・主演:バート・レイノルズ

陽気なタフガイ役が多いバート・レイノルズだが、この作品はかなりハードボイルドな色合いが強く仕上がっている。ヘンリー・シルヴァの狂ってる敵役や風紀課の刑事達など脇もしっかり固めていて、単なるワンマンスーパー刑事モノではない、かなりイイ出来だと思う。本人が監督も務めており、所々をのぞいて押さえた演出を揮っている。で、レイノルズ・ファンにはその所々の暴走振りもまた楽しい。
だが、「ヘナチョコヒゲオヤジと毛皮のコートの女、そしてパースのいい加減な大型リボルバー」という安っぽいイラストによるDVDパッケージはなんとかならなかったのだろうか。「これイイよ」と言っても説得力が後押ししてくれない。

ヤク中や売春婦を相手の毎日ですっかりやる気をなくしているアトランタ警察風紀課の刑事連中。そこに、麻薬課の凄腕刑事シャーキーが捜査上のトラブルから左遷されてくる。ある高級娼婦を調べる内に殺人事件に出くわしたシャーキーは「これは俺のヤマだ」と殺人課に連絡せず独自に調査を続ける。そんなシャーキーを見ている内に風紀課の刑事達は失っていた誇りを取り戻し、シャーキーの一味(SHARKY'S MACHINE)となって捜査に加わる。プロの刑事の動きを始めた彼らの前に、大物政治家が絡んだ陰謀が現れる。

ダメになっていた奴らが復活していくくだりバート・レイノルズの最高傑作『ロンゲスト・ヤード』(1974)を思わせる集団モノである。大物政治家と高級売春婦というのはクリント・イーストウッドの『ガントレット』(1977)に似ていなくもないが。
すっかりイカれた敵役を演ずるはヘンリー・シルヴァ。こめかみをヒクつかせたらハリウッドで右に出る者なしだ。イカれた悪党にはイカれた死に方が似合うもので、ラストでは「ウォー、バン、ガシャン、ヒュー、ドシン!」だ。

で、このままハードボイルド刑事映画らしい苦みの残るザラついた終わり方をするのかと思ったら・・・ある意味、映画史に驚天動地を残したラストシーンが待っていたわけで、それを「全部ぶち壊し」と思うか「これも味だ」と思うかは、観終わってのあなたしだい。

2004年04月23日

『スタートレックV新たなる未知へ』 そういうヤツさ、カークってのは

『スタートレックV新たなる未知へ』(1989)のパンフレット 監督・主演:ウィリアム・シャトナー 出演:レナード・ニモイ

スポック役のレナード・ニモイが監督したシリーズ4作目『故郷への長い道 スタートレック4』(1986)が作品的・興行的両面で成功を治めたのがきっと悔しかったのだろう、5作目の『新たなる未知へ』(1989)ではカーク船長のウィリアム・シャトナーが初監督としてメガホンを取ることになった。
きっと、「俺にも監督やらせろ」とごり押ししたに違いない。ウィリアム・シャトナー本人のことは知らないが、ジェームズ・T・カークの事なら再放送で観た『宇宙大作戦』からの長い付き合いだ。
『宇宙戦艦ヤマト』シリーズの沖田艦長や古代の様に部下に厚く信頼されているわけでもなく、頭が切れたり知識が豊富なわけでもなく、その場の勢いや勘などで回りの迷惑考えずに猪突猛進に突き進む短躯猪首な男。そう、そういうヤツさ、カークってのは。

スポックの腹違いの兄であるバルカン星人が悪事を企み、(中略)で色々あったあげく宇宙の果てにある誰も越えることの出来なかった大障壁の向こうにある伝説の惑星にたどり着くエンタープライズ。
見渡す限り荒野のその惑星に降り立ったカーク達。突然大地が揺れるとあふれんばかりの光と共に“神”が現れ彼らに話しかける。
「わたしは全知全能の存在だ。よくぞ試練として与えた大障壁を越えてここまで来た。我が知恵を宇宙の隅々まで広げたい。そのためにお主らの宇宙船を使わせてくれ」
神の重々しい威厳にすっかり圧倒されている面々。(旧約聖書でモーゼがシナイ山で燃える柴の中の神と会話するくだりがあるが、それをイメージしたのではないだろうか)
だが、場の雰囲気など一切考えずにカークが“神”に疑いの質問をする。
「ちょっと、ちょっと質問させてください。全能の神だったら何で宇宙船が必要なんですか」
「おいおい、よせよ。神に無礼だろ」とDr.マッコイが止めに入るが、気にせず続けるカーク。
「神だったら宇宙船なんかいらないでしょ」「あんた本当に神なんですか」「神だって言うならその証拠を見せてください」
全くもって不遜な口ぶり。証拠見せろってあんた小学生のケンカか。
さすがに怒った神は「これが証拠だ」と目からビームを発してカークを吹き飛ばす神。
だが、「神だとしたら何故怒る?神だったらこれぐらいで怒らないだろ」とカークはめげない。
そんな彼を見て仲間達も次第に神を疑い始め、ついに神はその正体を現す。大障壁は人類への試練ではなく、神を称す謎の精神生命体を幽閉する牢獄で、もし宇宙船を渡していたら宇宙が危なかったのだ。

ひねくれ者で何でも疑ってかかり、ちょっとそっとでは信用しない。そんなイヤな男だったからこそ宇宙は救われた。まったく、そういうヤツさ、カークってのは。

2004年04月24日

『グレート・ウォリアーズ 欲望の剣』 食べてみます?マンドレーク

『グレート・ウォリアーズ 欲望の剣』(1985) 監督:ポール・ヴァーホーヴェン 主演:ルトガー・ハウアー

下品大王ことポール・ヴァーホーヴェンがオランダ時代に撮った西洋時代劇。
合戦シーンなどの迫力のある場面もあるが、やはりヴァーホーヴェンとくればグロとかゲロ。

絞首刑になった男が精液を滴らせた大地に生える魔法の植物マンドレーク(マンドラゴラなどとも呼ぶ)。
そのマンドレークを見つけた若い女性と青年。さっそくマンドレークを引き抜くと二人で食べてしまった。(この映画ではマンドレークは引き抜かれる時に悲鳴をあげるうんぬんは出てこない)
マンドレークを食べた恋人達は永遠の愛で結ばれるという。気持ちが高ぶってきて熱いキスを交わす男と女。
で、カメラが切り替わって引きのショットになると、木の下で抱き合っている二人の後ろでは絞首刑になった男がぶらんぶらんと所在なげに揺れている・・・しかも、かなり腐りかけ。
まったく、どんなラブシーンやねん。

単にグロいだけのラブシーンなら他にもあるが、一見美しくて実はメチャメチャグロいというところがさすがヴァーホーヴェンだ。
ただ、個人的にはこの人の下品は「ほらどうだい、下品だろ」という“いかにも”さがあるのであまり好きではなかったりするが。

2004年04月25日

『いとこのビニー』 落ちこぼれ弁護士奮闘す

『いとこのビニー』(1992) 監督:ジョナサン・リン 主演:ジョー・ペシ

ど田舎のアラバマ州で警察に捕まってしまった若者二人。てっきりコンビニでの万引きのことだとばかりに「はい、俺たちがやりました」と自白したところ、なんと容疑は殺人事件。慌てた二人は、そういえば“いとこのビニー”が弁護士だったとニューヨークからビニーを呼び寄せるが、これが落第ばかりしていていい歳なのにようやく司法試験に合格したばかりの新米弁護士。もちろん法廷の経験なんて無い。
果たしてビニーはちゃんと弁護が出来るのか。二人の運命やいかに。

アメリカ映画では割と多い法廷モノだ。
あちらは陪審員制があったり、日常的な事柄で訴訟を起こしたりするので、日本と比べて裁判が身近なせいか法廷モノは結構人気があるらしい。
陪審員は普通の人が裁判所の呼び出しで任命されるので特に法律に詳しいわけではない。そのため、陪審員にアピールするために弁護士や検察側の言動も分かりやすく大げさになっているそうだ。そこで、日本ではあまり考えられない法廷コメディが成立する地盤が出来てくる。
革のジャケットにノーネクタイとブーツ姿で法廷をうろつき回り、裁判長から法廷侮辱罪を言い渡されるなんてのはいくら新米弁護士でも実際にはありえないんだろうが、ジョー・ペシがやると「なんかこういうヤツいそうだな」と思えてくる。ニューヨークの弁護士と保守的な田舎のアラバマという対比もあるのだろう。
最初はまるで頼りにならないのダメ弁護士なのに、だんだんと色んな事を学んで後半にはジョー・ペシ得意のしゃべくりで鮮やかな弁護振りを発揮する。
派手な格好で何かというとカメラであれこれ撮っている「あんた林屋パー子ですか」のビニーの恋人モナ・リサ(マリサ・トメイ)は単なる彩りかと思いきや、こちらも単なるお姉ちゃんから後半しっかりしてきて、ラストでは大きな役割を持ってくる。マリサ・トメイはこのもうけ役で、アカデミー助演女優賞を受賞。

2004年04月26日

『シリアル・ママ』 コマったヤツらは、皆殺し

『シリアル・ママ』(1994) 監督:ジョン・ウォーターズ 主演:キャスリーン・ターナー

「シリアル・ママ フロム、ニューオリンズ~♪」
いや、あれはルイジアナママか。

バードウオッチングが趣味の善良な母親。しかし、その正体はムカつくヤツらは皆殺しの連続殺人鬼(シリアル・キラー)、その名もシリアル・ママだったのだ。読んでいる本もカバーこそ鳥類図鑑だが、中身はチャールズ・マンソンの写真が載った殺人鬼全集。
例えばレンタルビデオを巻き戻さないで返却する客、駐車場の順番待ちで割り込むヤツ、ゴミの分別をしないヤツ、などなどの困った人々が次々とシリアル・ママの餌食になるのだ。シリアル・ママを演ずるはキャスリーン・ターナー。にこやかに笑いながら本気で楽しそうに人を殺していく。罪悪感の欠けらもなし。
『アニー』の『トゥモロー』が流れる中で子羊(?)のもも肉で殴り殺すところは、『時計仕掛けのオレンジ』の『雨に唄えば』と並ぶ映画史に残る殺人シーンの一つだ。
実はここら辺結構共感するものがあって、わたしも普段の生活の中で遭遇する困った人々にやはりムカつくことがある。こんな時、シリアル・ママがいてくれたらと思ったりもする。もっとも、気付かないうちに自分自身が困った人になっていて、シリアル・ママに殺されちゃってるのかもしれない。
ついに逮捕され殺人罪で起訴されるが、裁判では弁護士を首にすると自ら弁護を始め、あれやこれやで証人の証言をくつがえし陪審員を丸め込んでなんと無罪を獲得。
アメリカの司法制度というのは厳格なのかいい加減なのかよく分からないところがあり、例えばO・J・シンプソン事件にしてもわたしはO・J・シンプソンがやったんだろそりゃと思うが、刑事裁判では最強の弁護団の弁護もあってか無罪になった。逆に今話題のマイケル・ジャクソン事件は幼児がらみの忌み嫌われる犯罪ということで圧倒的不利な状況だ。陪審員に悪い感情を持たれたら難しい裁判になるのだろう。もっとも、陪審員は感情論ではなくきちんと論理的に話し合っているとも聞くが。
「ママが殺人鬼?まさか」と振り回される夫、息子、娘の三人のドタバタぶりも楽しい。裁判所では「ママは無罪だ」とビラを配って訴えるが、いざママが無罪になって家に帰ってくることになると、さてどうしようと困惑する有様。

悪趣味大王ことジョン・ウォーターズが初っ端から「これは実話です」と大嘘をカマすブラックコメディ。
もっとも、ジョン・ウォーターズは『ピンク・フラミンゴ』(1972)こそあまりにもアングラな悪趣味で塗りつぶされていて観客を強く選ぶ映画だったが、それ以降の作品は例えば同じディヴァイン主演モノの『ポリエステル』(1981)や『ヘアースプレー』(1988)などでもヘンな作品ではあるが一般客でも観ることが出来る。
『クライ・ベイビー』(1990)や『I Love ペッカー』(1998)なんかはかなり普通だし。

ともあれ、これだけははっきり言えるとしたら、秋になったのにまだ白い靴を履いてちゃ駄目だ、ってことかな。


*念のため。
シリアル・ママのシリアルはシリアル・ナンバー(通し番号)と同じシリアルで綴りはserial。
コーンフレークのシリアルは綴りがcereal。
最初の文字がsかcかで違ってくる。発音は同じだそうだが。

2004年04月27日

『ミステリー・メン』 早くヒーローになりたい

『ミステリー・メン』(1999) 監督:キンカ・ユーシャー 主演:ベン・スティラー

以前、「ヒヨコの雄雌を区別できる能力」などあまり役に立たない能力ばかりもった『ダメX-メン』というネタを思いついたことがあったが、やはりわたしが思いつくようなアイディアはすでに使われているわけで、この『ミステリー・メン』はそのまんま『ダメX-メン』だった。

それは実際にヒーローが活躍している世界。
明日のヒーローを夢見て戦う3人の男達がいた。それぞれ持っている能力は、食器のフォークを投げる、シャベルでぶっ叩く、なんか怒りっぽい。前の二つはともかく“怒りっぽい”ってのは能力か?どちらかというと単に性格だろそれは。
事件が発生するたびに現場に飛び込んでいっては失敗ばかりの3人。
そんなある日、彼らが憧れるヒーロー、キャプテン・アメージングが悪の帝王カサノバに誘拐されてしまった。これは一大事と、キャプテン救出計画のために更に仲間を集めるが、これがボーリングのボールで敵をなぎ倒す女、気絶するぐらい屁の臭い男、誰にも見られていない時だけ透明になれる少年と、頼りになるんだかならないんだか。
ともあれ、彼らミステリー・メンの一世一代の戦いが始まるのであった・・・

あらすじを読んだ時に、これは面白そうだと期待していたのだが、実際の映画の方はコメディとしてもヒーローモノと中途半端な出来でちょっと期待はずれ。
ダメ呼ばわりされてきたヤツらが、奮起して大活躍するといった話は大好きなんだが。変にひねりすぎで屈折しすぎの気がする。中途半端な毒気も笑いに結びついていないし。
もっとも、原作のアメリカン・コミックはさらに屈折しているそうで、これでも映画向けにかなりアレンジしているそうだ。
屁の臭い男役でピーウィー・ハーマンことポール・ルーベンスが出演しているのは収穫だった。

2004年04月28日

『レイジング・ケイン』 ジョン・リスゴー七変化

『レイジング・ケイン』(1992) 監督・脚本:ブライアン・デ・パルマ 主演:ジョン・リスゴー

『アンタッチャブル』(1987)や『ミッション:インポッシブル』(1996)などの大作も監督するブライアン・デ・パルマですが、その真骨頂はむしろB級サスペンス映画において発揮されます。
この『レイジング・ケイン』は多重人格者による二重三重の構造や警察署での長回しなど、デ・パルマのヒッチコックへの傾倒ぶりもうかがえて、そこら辺がわかっていると「あ~デ・パルマだな~」と良い意味で笑えます。目指す物は一流なんだけども根がトンチキ。

サスペンス・ミステリーなんでストーリーにはあまり触れないでおきますが、ジョン・リスゴーの多重人格っぷりはさすがです。小心者人格、不良人格、子供人格、などなど。
でも女性人格って・・・。しかも服装まで女装してますよ。ジョン・リスゴーの女装、うっ・・・。あまり見ることが出来ないという意味では貴重かもしれませんが、貴重だからといって価値が高いとは限らないってとこでしょうか。
「フッ、こんなの考えてみたぜ」というどんでん返しなど楽しいんですが、万事が真面目な人にはイマイチかも。気楽にトンチキ振りを味わうのが吉でしょう。

2004年04月29日

『身代金』 覚えてません

『身代金』(1993) 監督:ロン・ハワード 主演:メル・ギブソン、レネ・ルッソ

2、3回は観てるんだがまるっきり覚えてません。
メル・ギブソンとレネ・ルッソが大金持ちの夫婦で、子供が誘拐されて、それからどうなるんだっけか?
つまらない作品ならつまらないと記憶に残っているものですが、それすらもはっきりしません。
わたしもボケたかな。
とにかく印象の薄い作品です。

それでも、監督は『アポロ13』などのロン・ハワード。『リーサル・ウェポン3、4』と同じ組み合わせのメル・ギブソンとレネ・ルッソ。ゲイリー・シニーズなんかも出てる。こうしてみると顔ぶれは揃ってます。
必死に記憶をたどりましたが、息子が誘拐された父親であるメル・ギブソンが勝手な行動ばかりで共感できなかったような・・・うーん。
やっぱボケたかな。

2004年04月30日

『ヒルコ/妖怪ハンター』 続編まだぁ?

『ヒルコ/妖怪ハンター』(1991) 監督:塚本晋也 主演:沢田研二、工藤正貴

自主映画『鉄男』(1989)で衝撃的デビューを果たした塚本晋也の初メジャー作品。でもって、今のところ最後のメジャー作品。『双生児』(1999)がどっちだか微妙なところだが、まっ、マイナーだろう。
『ヒルコ』ではニヒルだった稗田礼二郎は頼りなくコミカルなキャラクターになり、主人公は稗田から甥っ子の男子高校生になった。こういった諸星大二郎の原作からの思い切ったアレンジによって、青春ファンタジーホラー娯楽映画となったのだ。
塚本晋也に娯楽映画が撮れるのかとかなり不安な面もあったが、観終わってみるとけっこう心地よく感動しているわたしがいた。
主人公たち3悪ガキにはなにやら青春時代を思い出したし、考古学の知識はすごいのだが実際妖怪に遭遇するとアタフタ慌てふためいてる沢田研二は好演である。猟銃片手の故・室田日出男の迫力はさすが。
古墳の場所が判明するシーンでの視点の移動は何度観てもエキサイティングだ。
うむ、ちゃんと観客を楽しませてくれてるではないか。

マイナーな映画が好きな人は、ハリウッドを始めとするメジャー系の映画を「中身がなく薄っぺら」とか「派手なだけ」と批判する。逆にメジャー系の娯楽映画が好きな人は、マイナーな映画を「難解だ」とか「退屈だ」と批判する。
しかし、本来映画は映画。突き詰めれば単なる傾向の違いだ。
『鉄男』シリーズや『BULLET BALLET バレット・バレエ』などの塚本晋也でなければ撮れないような映画がある以上、別に無理してメジャーな映画を撮る必要はないのだが、肝心の娯楽映画畑の人々がつまらない・しょうもない作品を作ってばかりだとしたら、また塚本晋也に出て来てもらうのも手かもしれない。