以前はよく風呂に本を持って入った。
浴槽のフタを半分だけ残しておいてその上にタオルを引いて机代わりにして読むのだ。ついつい熱中して1時間ほど風呂に入っていることもあった。カラスの行水にとっては記録的な数字である。
ところが、うっかりして本をお湯の中に落っことしてしまった。慌てて拾い上げるもののすでにお湯を吸ってしまい、乾かしたとしてもビロビロで読めたもんじゃない。もう本屋ではあまり見かけない本だったりするとショーック!なのである。
そこで、風呂で読むのは落としてもかまわないどうでもいい本にすることにした。しかし、何で風呂でこんなつまらない本を読まねばならないのだと妙な怒りがわいてきて、いつの間にやら風呂場に本は持ち込まないようになってしまった。
話はちょっと変わるが、高河ゆんが自分たちをモデルにして描いた短編集を読んだことがある。自分たちがモデルの割には主人公がちと美男美女すぎないかって思うが、高河ゆん婦夫の実物を見たことはなくひょっとしたら美男美女である可能性も年末ジャンボ宝くじの一等・前後賞が10回連続で当たるぐらいにはあるかもしれないのでコメントは差し控えよう。差し控えてないって気もするが。
その中で、妻が風呂でジェフリー・アーチャーを読んでいるシーンがある。上で書いたようにわたしも風呂で本を読んでいたことはある。ところがこの主人公はシャワーを浴びながら片手に本を持っているのだ。濡れるだろっ、おいっ!
しかも、その後のシーンで夫と「ジェフリーアーチャーの新刊つまらなかった」「えっ、面白いだろ」って話になってちょっとしたケンカになり、あげくに妻が読んでいた作品の後にさらに新刊が出ていて夫はそっちのことを言っていたというオチがつく。
あのねジェフリー・アーチャーはそんなにポンポン新刊出さへんっつーの。赤川次郎じゃないんだから。
ジェフリー・アーチャーに限らず、アメリカなんかの作家は成功後はそうやたらに本を出していない場合が多い(ジェフリー・アーチャーはイギリス人だが)。『羊たちの沈黙』のトマス・ハリスなんて『ブラック・サンデー』と『ハンニバル三部作』しか書いていない。「おっさん、もうちょっと働けよ」って感じだが、案外そんなもんらしい。
中にはあんまり次から次と新作を書くので、編集者だか代理人だかから「そんなに出すと作家の値打ちが下がるから」言われてしまい、それならばと“リチャード・バックマン”なる偽名を使ってまで新刊を出していたスティーヴン・キングなんてのもいるが、それはかなり例外的だろう。もっとも、「なぜバックマンは生まれたのか?」については諸説あるが。
ひょっとして、高河ゆんは海外の作家にすることで「ちょっとイケてる」っぽくしのたかも知れんが、素直に赤川次郎にしとけばこんな恥をかかなくてすんだのに。って赤川次郎に決めつけかよ。
それにジェフリー・アーチャーって『100万ドルを取り返せ』と『ロシア皇帝の密約』しか読んでいないが、個人的にはあんまり面白くないと思う。特に後者は冒険小説スタイルなのだが向いていないとしか言いようがない。