建物から人が飛び降りる。
こういったシーンが必要になった場合、
1.飛び降りる人(画面には映っていないが下にはマットなどが敷かれている)。地面に倒れている人。と2つのカットに分けて撮るか、
2.人間の代わりに人形を落として、地面に落ちるまでを1カットで撮る
というのが普通だった。
本物の人間自身が飛び降りそのまま1カットで地面に叩きつけられるというのは、スタントの安全性を考えると非常に難しいショットだからだ。
その点、『プロジェクトA』(1984)における時計台からのジャンピングはすごかったわけだが、あれだって二枚の日よけで落下速度をゆるめているし、よく見ると地面を掘ってマットが(かなり薄いものではあるが)が埋めてあるようだ。
もちろん、あのスタントは映画史上に輝くものであるのは揺るぎない事実である。だが、いくらジャッキー・チェンでも下がアスファルトだったらどうだろう。ただではすまないはずだ。下手をすれば死んでしまう。
と、そこに黒沢清の『回路』(2001)が出てくる。
あの世からあふれでた死によって世界が浸食されていくというホラーだが、中盤に注目すべきジャンピングスタントがある。
10メートルほどの円筒形のタンクに登った女性が飛び降り、落下し、そしてアスファルトの地面にドサッと叩きつけられる。
このシーンが建物全体をカメラ固定でとらえた1カットで撮影されているのだ。劇場で観た時にはかなりドキッとしたシーンである。
興味を持ったので調べてみたところ、このスタントにはCGが深く関わっていた。
まず、女性スタントマンにバンジージャンプのように伸縮性ロープ付きで飛び降りてもらう。
次に、女性と同じ服装の人形を建物から落とす。
このまま二つのカットをつなげただけだと一目でばれてしまうので、コンピューターで処理して1カットに合成し女性のロープを消す。おそらく、モーフィングみたいに女性から人形へとつなげているのだと思う。
つまりは冒頭で説明した1.と2.の手法をCGによって組み合わせて、安全になおかつ観客を驚かせるスタントを実現させたのだ。
スタントシーンは、観客にとっては手に汗握るハラハラドキドキであるが、撮影現場では極力安全な物であるべきだ。
その上で、スタントシーンにおけるCGの導入は、それが効果的に使われる場合において、安全性と画面効果に向上をもたらすものだろう。
たとえば戦争映画の戦闘シーンにおいて、迫撃砲などが炸裂する中、兵士が突撃していく。この時、実際の爆発は小さなものにしておいて爆炎や爆煙をCGで処理すれば、役者・スタントマンへの負担は軽減できる。
「淀川さんが最後まで認めなかった映画表現は、「コンピュータグラフィックス」による映画表現でした。コンピュータグラフィックスを使えば、だれも傷つかず痛みのない殺りくシーンや、はでな爆発シーンが撮れます。僕たちの映画製作は、常に人の死と隣り合わせで行われています。その為に努力して自らの命をかけて、その彼らの人生に向けて「ヨーイ、スタート」と声をかけています。それは俳優の人生に向ってかけているのです。OKとはなにか。スタントマンが無事に着地し、彼の演技、そして人生をたたえてOKを出す。そのOKが喜びにつながっていくのです」
と講演で語って頭の悪さを露呈した某大林監督がいるが、そんな監督の自己満足の“OK”のために、不必要な危険にさらされる役者・スタントマンがいるとしたら、それは犯罪の一言だろう。
「自らの命をかけて」といってもかかってるのは他人の命。某大林自体は安全なところで「ヨーイ、スタート」「はい、OK」といっているだけ。
偉そうなことをいうまえに時計台から飛び降りてみたらどうだろうか。ジャッキーはやった。
重要なのは現場じゃなく、あくまでも画面。自主映画じゃあるまいに、現場の人間が満足するために映画を作ってるんじゃなくて、観客を満足させるために映画を作ってるんだろうに。同じ画面が安全に作れるなら、その方法を模索するのも“監督”の仕事なのだが。