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黒澤明について考えた

 黒澤明作品と出会ったの中学校で観させられた『影武者』(1980)である。なんてまぁつまらない映画だと思ったものだ。
 その後、高校生の時にテレビで『生きる』(1952)を観て、志村喬が「ハッピパースデー」の歌を背に喫茶店を出て行くシーンで泣いた。
 大学に入って名画座で『用心棒』(1961)を観て「なんて面白いんだっ!」と燃えた。ただ、同時上映の『隠し砦の三悪人』(1958)は、傑作の誉れ高い娯楽時代劇とされているが、わたしには大して面白くなかった。
 東宝が『七人の侍』(1954)を新ポスターを作成するなどして1991年に正式リバイバルしたので、今は無き知多東宝に当然のごとく観に行った。面白かった。面白かったが、この作品を日本映画の最高峰と言ってしまうのはいかがなものか?と、当時シネマ研究会4回生のわたしは思ったものだ。
 志村喬が仲間を集めていくくだり、三船敏郎など仲間の個性あるキャラクター、若い武士と農民の娘のラブロマンス、野伏たちとの戦いと様々な要素がみっちりとは207分途中休憩入りで詰まっている。スケールの大きな作品で「面白くて当たり前」なのだ。そして「面白い」でしかないのだ。
 人間性の奥深さとか情感とかはあまりない。ダイナミックな移動撮影はあるが、一枚の「美しい画」がない。役者の多くは大芝居で、“観客が感情移入”するのではなく、力業で“観客を感情移入”させている。
 日本映画を超えたと言われるが、日本映画として忘れてしまった部分もあるのではないだろうか。
 もし日本映画を代表する一本となると小津安二郎や溝口健二から選ぶと思う。いや意表をついて鈴木清順とか。

 思えば、黒澤明という人はB級映画監督としての素晴らしい才能を持っていながら、本人が望んだのか会社が望んだのかはたまた観客が望んだのかは知らないが、A級映画監督になってしまったあるいはならされてしまった人である。
 もしもB級映画の道をそのまま進んでいてくれたらなと思う。
 デビュー作『姿三四郎』(1943)で、池の中にいる三四郎が蓮の花が開くのを見て一種柔道の悟りを開くシーンの美しさはどうだろうか。その美しさを中盤からの黒澤はなくしてしまったように思えてならない。

 『用心棒』(1961)は作られたのは『七人の侍』(1954)よりも後だが、痛快なB級映画に仕上がっている。
 前者が『荒野の用心棒』(1964)、後者が『荒野の七人』(1960)としてリメイクされたことからもA級・B級としての違いが分かる。
 破格の制作費だった『七人の侍』の2億1千万円と比べるとおそらく安く出来ていると思う。ちょっと調べたがわからなかったのでアレですが。
 桑畑三十郎(仮名)の三船敏郎が宿場の状況を飯屋のオヤジ(東野英治郎)に尋ねると、オヤジは閉めきった鎧戸をあちこち上げては「あっちが清兵衛、こっちが亥之吉だ」と密室の中にいながら宿場を立体的に説明していくシーンのすごさよ。
 おそらくはこちらの方が黒澤本来の演出ではないだろうか。

 晩年に作った作品はアレだと思う。はっきり言えばつまらない。前述の『影武者』は学生時代に観直したがやっぱりつまらなかったし、『夢』(1990)は金取ってボケたジジィの夢観せんじゃねぇよだし、『八月の狂詩曲』(1991)はババァのグチと何しに出てきたんだかわかんないリチャード・ギアだ。リチャード・ギアはちゃんと内容を理解した上で原爆投下を謝罪するセリフをしゃべったんだろうか?ともあれ反核なら『はだしのゲン』を読んだ方がいいぞ。
 そして遺作となる『まあだだよ』(1993)には観終わった後で「もういいよっ!」と返してしまった。ジジィをみんなしてヨイショし持ち上げる映画を、ジジィが撮ってどーすんだよ。

 自らの素質と求められる物との差で黒澤は苦しんだのではないだろうか。完璧主義者として知られ黒澤天皇とも呼ばれたが、それは幸せなことだったのだろうか。1971年の自殺未遂の理由はどこにあるのだろう。・・・わたしは知らないが。

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