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2003年03月 アーカイブ

2003年03月14日

「年に一度しか告白できないなんて我慢できないっ!」

「ホワイトデーである」
 バレンタインデーの見事なまでの普及ぶりと比べてホワイトデーが今ひとつ、いや今ふたつなのは贈る物がキャンディーなのかマシュマロなのかはたまたクッキーなのかという不透明ぶりよりも一ヶ月たってようやく返事のお返しをするという間の悪さのせいだろう。「君の恋の告白を受け入れるよ」と3月14日にキャンディーなりを持って行ったら相手はとっくに別の相手とつきあっていたなどありそうなことだ。
 もっとも、バレンタインデーに飛び交っているチョコレートの大半は義理チョコかすでにつきあっている恋人の間で贈られている物で、告白を目的とした物はごく一部だけではないのだろうか。

「年に一度しか告白できないなんて我慢できないっ!」
 日本におけるバレンタインデーの始まりは昭和30年代だったはずだ。デパートと菓子業界によって「2月14日は女性が男性にチョコレートを贈ることで恋の告白をする」と広められた。この日だけは女性からの恋の告白を許そうということで、他の364日は女性は恋の告白をしてはいけなかったのだ。つまり昭和30年代ですら女性からの恋の告白は一般的に認められていなかったのだ。恋の告白は男にだけ許された権利だったわけだ。
  年に一度だけ女性にも許された恋の告白を手がかりに、いつの間にか女性からの恋の告白も一般的になった。それによって意味を失ってきたバレンタインデーは“義理チョコ”という恋の告白を伴わないチョコの導入に活路を見いだす。

 ・・・みたいなもんだったのかなぁとちょっと思ったんでちょこちょこっと調べてみたら(おおっ、チョコ絡みなだけにチョコチョコ)どうやら違った。
 昭和30年代には存在していたバレンタインデーだが広まったのは昭和50年代に入ってからで同じ50年代末にはもう義理チョコがあったそうだ。
 しかし平安時代には歌を詠んで恋を告白するのは男の側だったし、ずずずいっと時代は飛んで目がお星様してた頃の少女マンガのヒロインは、成績優秀でスポーツ万能でおまけに生徒会長なんていう二枚目に憧れ、でもってただ憧れているだけだった。だから女性の“恋を告白する権利”というのは案外ここ数十年で獲得されたものかと思うんだが、どーなんだろ。と相変わらず結論不在のまま終わり。

2003年03月27日

BSデジタルは電話回線に繋げないとダメだってさ

 唐突にWOWOWに加入。以前も加入してたんだけどね、引っ越しで解約してしまったのだ。
 今住んでいるところはケーブルテレビにしてあり衛星放送のアンテナを建てなくてもWOWOWを視聴できるのでずっと迷っていたのだが、『ツインピークス』の再放送が始まるというので思わず申し込み。好きだったのよ、『ツインピークス』。中古のビデオ屋でレンタル落ちのを全巻購入してしまったぐらい。
月額2000円だけどビデオレンタルが1本300円ぐらいだからWOWOWで放映する映画の数を考えると結構お得なんだよね。まー、面白い映画やってくんなきゃ意味ないんだけどさ。

 本当はセットトップボックスというデジタルチューナーをつけてデジタルWOWOWとついでにBSデジタルも見ようかなと思ったんだけど、電話回線に繋げないとダメだっつーのよ。あのね、わたしの部屋には電話回線ないっつーの。以前はあったけど携帯電話で事足りることに気付いて休止にしてしまったのよ。インターネットへの接続はケーブルテレビインターネットだし。若い人の一人暮らしなんかだと固定電話は持っていないってのも最近では多いんじゃないかと思うんだけどね。テレビのためにわざわざ電話を復活させるのも無駄なんでアナログで我慢。どのみち地上波デジタルになったらどうなるか未知数だし。まー、謎が多い世の中だわな。

2003年03月28日

そして馬は横切る

時音「雀百まで、わしゃ九十九まで」
一郎「何だよそれ、意味わかんねーよ」
時音「鳥は案外長生きするらしくて九官鳥なんて何十年も生きたりするそうだ。ドリトル先生(小説)に出てきたオウムのポリネシアは百歳以上だったはず。でも雀はそんなに生きないよね」
一郎「で、お前は九十九まで生きるってか」
時音「いやあれは、わたしは九十九電機まで行ってくるよってこと」
一郎「だから意味わかんねーっつの」
時音「それはさておき、能ある鷹は爪を隠して尻隠さず」
一郎「なんだよ、能あるんだったら隠せよ尻も」
時音「ほんとはキジのことらしいんだけどね。漁師に狙われると頭を草むらにつっこんで隠れたはいいが尻が丸見え。ちょびっとセクシーぃぃ」
一郎「そう言えばちょっと昔、庭先をキジが我が物顔で横切っていったことがあった」
時音「おいおい、どんな田舎に住んでるんだよ」
一郎「お前と一緒だろ」
時音「そうそう、去年の初秋頃に友人と知多半島の先っぽの方に30分ほどドライブした。その会話の中で「やっぱ東京から名古屋に引っ込むといろいろ違うわ。あっちは店は多いし個性的な映画館もある。それに………馬は道を走ってないし」なんと車の横を馬がポコポコと歩いていたのであった。思わず口あんぐり。道はちゃんとした県道。一瞬テキサスにでもワープしたのかと思ってしまった。観光地なので旅館か何かが人寄せ用に飼っているのだろうが、馬を一般道で走らせるのはOKなのかっ?まったくどーゆー町だ」

2003年03月29日

今は無き半田市営プール

「古池や 親子で飛び込む 無理心中」
 というわけで、飛び込むのは古池ではなくプールにしましょう。でも、「そこ!飛び込まないで!」などと監視員に怒られますが。

 わたしが育った街には屋外の市営プールがあった。25mプール、円形でくるぶしぐらいまでの深さの幼児用プール、そして50mプールの3つだった。50mプールは市内の中学による水泳大会で使われるそれなりに本格的な物で深さも結構あった。ちよちゃんの水泳の授業が命がけだったように、このプールも中学生以上でなければ入ってはいけないことになっていた。だが小学5年生ともなるとわたしや友人は「中学生だよ~」と大嘘をついて入り込み、25mプールでは味わえない開放感を満喫した。
 あのころは夏となるとプールだった。市営だけに入場料も格安で、ほとんど毎日通っていた。一度、水不足のためにプールが休みになってしまったことがある。あの時はずいぶん悔しい思いをしたものだ。実はそれに関してちょっとしたエピソードがあるのだが、それについてはまたいずれ。

 その市営プールが廃止になった。今日前を通りかかったら取り壊しの工事が行われておりほとんど更地になっていた。
 わたしが子供の頃ですでに古びていたぐらいだから改修費など維持費も高いだろうし、ゴミ焼却場の隣にその余熱を利用した市営の温水プールができたからだろう。
 しかし、その温水プールはほとんど人が住んでいない工業地帯のはずれにある。ゴミ焼却場はあまり繁華街にはないので当たり前なのだが。おかげで車などを使わないとなかなか行きづらいものがある。以前の市営プールは市一番の駅から歩いても10分ちょっと。住宅街の近くにあった。だから小学生のわたしでも一人でいくことができたのだ。
 そしてなにより、あのカーッと突き刺さるような真夏の太陽の日差し。普段ならうんざりするようなその光が水面にきらきらと反射している中を泳ぐのは最高だった。
 温水プールは季節や天候に利用することができる。これはうれしい。だがあの日差しがないことがどこか寂しい。福岡ドームみたいに天井が開いたりしないものだろうか。