『我輩はカモである』と淀川長治氏
『我輩はカモである』のDVDソフト買ってきました。
60年以上昔の作品ですが、喜劇映画を語る上で、避けては通れぬ1本です。
マルクス兄弟作品の中では一番とされている映画ですね。
で、観ようと思ったら、なんと淀川さんの解説が始まるではないですか。
淀川さん監修の『世界クラシック名画100撰集』となってましたが、解説までついてるんですね。
ラッキー!
その中で、淀川さんが何度も「これは映画のコメディーではなくて舞台のコメディーなんですね」
と繰り返すのですが、それを聞いてある文章が、「ああ」と改めて納得できました。
それは蓮實重彦氏の「シネマの記憶装置」の一文です。
以下、引用
「彼らは映画にとっては凡庸なる役者集団というか、映画に保護されることで
はじめて畸形的怪物性の衣をまといえた悪童にすぎないわけで(中略)
だから問題の『我輩はカモである』 だが、(中略)ここに展開されるただもう呆気に囚われる
しかない途方もない無意味の饗宴にしたところで、あくまで映画に保護されようとする
マルクス兄弟の虫のいい出鱈目ぶりと、彼らをあくまで映画では保護しまいとする
マッケリーの映画作家としては不条理というほかはない 出鱈目さとの戦争で (以下略)」
淀川さんの言う「映画ではなく舞台である」というのは上記の文章と
ほぼ同じことを言っているわけです。
映画での演技というものが結局見出せないまま、舞台の演技を続けたマルクス兄弟と
それを映画にしようとする映画作家のせめぎ合いがこの映画の本当の見所なわけです。
こういったことを、わかりやすく親切に説明してくれた淀川さん。
やはり淀川さんが亡くなってしまった事は、黒澤明が亡くなった事とは
現在の映画界において比べ物にならない損失だったと改めて思った次第。
黒澤はとうに過去の映画作家になっていましたが、淀川さんは最後の瞬間まで
現役の映画解説者でありつづけました。
「ラストマンスタンディング」での生涯最後の解説。あれを観たときは涙がこぼれたものです・・・
*:現在発売されている『我が輩はカモである』は別会社別マスターのため淀川さんの解説は収録されていません。