2004年6月アーカイブ

『真夜中の虹』(1988) ARIEL 1990/12/10鑑賞

監督・脚本・製作:アキ・カウリスマキ 撮影:ティモ・サルミネン 音楽:ヨウコ・ルッメ 出演:トゥロ・パヤラ/スサンナ・ハーヴィスト/マッティ・ペロンパー/エートゥ・ヒルカモ

フィンランドの鉱山が閉鎖され職を失った男が、コンパーチブルのキャデラックで南へとあてのない旅に出る。その道中で出会った人々や事件が淡々と描かれる。登場人物は感情を露わにせず、静かに日々を暮らし時に死んでいく。
男は強盗に有り金を奪われ、また自らも銀行強盗となる。犯罪の被害者・加害者両方の立場が出てくるが、そこに善悪の区別はなくただ行動のみが描かれる。
閉め方が分からずに雪の降る中でもずっと開けっ放しだったキャデラックの幌は、ナイフで刺され死ぬ間際の相棒が押したスイッチでようやくと閉まっていく。まるで棺桶の蓋が閉まるように。
アキ・カウリスマキは普通ならばことさらにドラマチックに盛り上げようとするシーンを実にあっさりと描く。だが、いやだからこそわたしの様なひねくれ者の心を動かすこともある。アキ・カウリスマキ作品は"味の薄い料理"ではあるが、"味のない料理"では決してない。日頃、塩コショウの効いた"味の濃い料理"に慣れすぎているてすぐには舌がついて行かないが、じっくりと噛みしめればその味わい深さが伝わってくる。
刑務所の旋盤でプロポーズのために指輪を作るシーンなど、アキ・カウリスマキは斜に構えたニヒリストでいながら、どこかロマンチシストでもある。

『ノース・ショア』(1987) NORTH SHORE 1988/9/14鑑賞

監督・脚本:ウィリアム・フェルプス 製作:ウィリアム・フィネガン 製作総指揮:ランダル・クレイザー 脚本:トム・マッキャンリース 出演:マット・アドラー/ニア・ピープルズ/グレゴリー・ハリソン/ジョン・フィルビン/クリスティナ・レインズ

アリゾナ州のサーフィン大会で優勝した青年が、憧れのハワイはノース・ショアにやって来る。地図を見れば分かるようにアリゾナは海のない中西部の州だ。では青年がこれまでどこでサーフィンをしていたかというと、人工波のあるプールでだけだった。日本で例えるなら"群馬のサーファー"だろうか。実際に群馬在住でサーフィンが趣味の人がいたら申し訳ないが。そして初めて出会った本物の波は彼を寄せ付けず、青年は自分が井の中の蛙だったことを知る。
青年は伝説的サーファーと知り合い指導を受けることになる。昔ながらの長いサーフボードを操る師匠は「本当に大切なのは技術じゃない、海と一体になることだ。ソウルサーファーさ」と告げる。
ハワイでのサーフィン大会に出場した青年は勝ち進んでいくが、根性悪なライバルとの決勝戦を辞退し、アリゾナに帰ることにする。「逃げるのか、卑怯者」と罵るライバルに、青年はただ「ソウルサーファーさ」と答える。

サーフィンのことはまるで知らないが、この映画ではスポーツと言うよりむしろサーフィン道といった感じだ。
ラストでライバルと戦っていたら、勝ったにしろ負けたにしろ"サーフィン=勝負"になってしまうが、それを回避して"海と一体になるための手段"としてのサーフィンが描かれ、精神的な部分がより強調されている。
対決は好きだが、たまにはこうしてあっさりとかわされてしまうのも良い。

『アロハ・サマー』(1988) ALOHA SUMMER 1988/6/23鑑賞

製作・脚本・監督:トミー・リー・ウォーレス 脚本:ボブ・ベネデッティ 出演:クリス・メイクピース/ユージ・オクモト/ドン・マイケル・ポール/ティア・カレル/ショー・コスギ

壁に掛けられた一本の日本刀。今は中年となった主人公のモノローグから、1959年のハワイでの夏へと物語は回想していく。
バカンスで島を訪れ、出会った白人少年たちと日本人少年。白人少年が恋した現地人の少女。白人に反発する少女の兄。
そして日本人少年の父親で、未だ太平洋戦争を引きずっている男がショー・コスギ。出演シーンこそ少なくものの、アクション無しで純粋に役者として出演しており、感情を表さず寡黙で武士道を貫く男を見事に演じている。この作品でのショー・コスギがベストだと思う。二番目が『ブラインド・フューリー』か。
嵐の中、少年たちはサーフボードに乗って海に出て行き、大波に挑む。この挑戦の最中に日本人少年が波にのまれ溺れ死にそうになる。危機一髪のところでそれを助ける主人公。ショー・コスギは主人公の少年に頭を下げ、お礼として一振りの日本刀を贈る。
そしてその日本刀は主人公の家の壁に掛けられ、1959年の夏"アロハ・サマー"のことは彼らにとって決して忘れられない思い出となった。

人種間での偏見や対立が描かれながらも、あくまでも青春物としてのスタンスは崩していないのが、個人的にプラスポイントだ。
ただ、映画のクライマックスである嵐の中でのサーフィンは、絶対にやらないで欲しい。台風などの度に、サーファーが波にのまれたというニュースを目にしているような気がする。
日本未公開でビデオ化のみとしていたサイトもあったが、とりあえず名古屋では1988年に『天使とデート』と同時上映で公開された。昔は二本立ての併映用として公開されたため、地方でのみ上映された作品もあったので、そういったうちの一本だったのかも知れない。

『シャドーチェイサー 地獄の殺戮アンドロイド』(1992) PROJECT SHADOWCHASER 1992/6/20鑑賞

製作・監督:ジョン・エアーズ 脚本:スティーヴン・リスター 出演:マーティン・コーヴ/フランク・ザカリーノ/メグ・フォスター

舞台は近未来。アンドロイドに指揮されたテロリストが高層ビルをハイジャックする。警察は冷凍刑務所に収容されているビルの設計技師に協力を求めるが、手違いで元フットボール選手を解凍してしまう。彼は隙を見て脱獄しようと警察について行くが、そのまま占拠された高層ビルに送り込まれてしまう。果たして彼の、そして人質の運命は?

とまぁ見るからにアホな設定だ。『ダイ・ハード』に『ブレード・ランナー』を足して、0で割ってしまった作品。つまり内容は0のD級アクション映画。まるで劇場未公開でレンタルビデオだけ出た作品のようなタイトルだが、れっきとした劇場公開時のタイトル。
いくら慌ててるからって囚人を間違えるな。体つきを見れば設計技師かフットボール選手かぐらいわかりそうなものだろうに。
悪役アンドロイドはドルフ・ラングレンをより色白にしたような筋肉男で、壁(床だったかも)を突き破って頭を出すシーンは、もちろん『ブレード・ランナー』(1982)のパクリ。
冷凍刑務所はシルベスタ・スタローンの『デモリションマン』(1993)にも出てきたが、あれは本当に刑罰として役に立つのだろうか?囚人にとっては冷凍されている期間というのは意識もなく、おそらく一瞬にしか感じてないだろう。『デモリションマン』ではその間に睡眠教育で人格矯正・技能習得をしているようだが。『マイノリティ・リポート』(2002)の場合は意識があるようで、こちらはかなりイヤな刑罰だ。
当時、映画料金を安くあげるために前売り券を利用することが多く、『シャドウチェイサー』もあらかじめ前売り券を買っておいたのだが、公開が始まると金券屋に500円程度で前売りが並び始めくやしい思いをしたのを憶えている。

『パニッシャー』(1989) THE PUNISHER 1990/2/4鑑賞
監督:マーク・ゴールドブラット 脚本:ボアズ・イェーキン 出演:ドルフ・ラングレン/ルイス・ゴセット・Jr/ジェローン・クラッベ/ドナル・ギブソン/キム・ミヨリ

原作はマーベル・コミックで、そちらではアメコミヒーローの例に漏れず青地に大きな髑髏のマークがついたタイツ姿なのですが、ドルフ・ラングレンが「その格好だけは勘弁してくれ」と拒否したとかで、わりと普通の格好になっています。パニッシャーというキャラクターに馴染みのないわたしは気になりませんでしたが、アメリカでの反応はどうだったのでしょうか。仮にスーパーマンがいつものユニフォーム姿でなかったら、それはスーパーマンではなく単に力が強くて空を飛ぶ人になってしまうのではないでしょうか?下手をすると不審人物として警官から撃たれかねません。スーパーマンの場合は銃弾ぐらい平気でしょうが、派手派手な格好はヒーローのアイデンティティーとして必要なものなのでしょう。
なんでもまた映画化されたそうですが、そちらではドクロマークのTシャツになっているもののオリジナルに近い服装のようです。

犯罪組織に妻と子供を惨殺された刑事ドルフ・ラングレンが、"パニッシャー(罰を与える者)"となって悪党狩りを始めます。
彼のアジトは下水道の奥深くにある小部屋。そこで座禅を組んで精神統一などしているのですが、臭くないんでしょうか?
パニッシャーはもはや感情を亡くした鉄のごとき男なので、演技面に若干の不安があるドルフ・ラングレン向きでしょう。
犯罪組織のボスは、これがなかなか魅力的な人物に描かれています。その理由は、更なる悪党が途中から登場してくるからです。そいつらこそジャパニーズ・ヤクザ。アメリカに侵出してきた日本の暴力団なのです。同じく日本の暴力団が悪役として登場する『ブラック・レイン』も同じ1989年作品。当時、日本企業がアメリカの企業や土地を次々に買収していた頃です。日本人悪役が出てくるのにはそれらに対する反感もあったのでしょう。もちろん日本人の暴力団ですから、手先にはニンジャがいます。当然ですね。
ヤクザのボスは若き女性で、その堂々とした姿は『キル・ビルVolume.1』のオーレン・イシイ(ルーシー・リュー)以上です。演じている女優はキム・ミヨリで、名前から察するに韓国系のようです。ハリウッド映画で日本人役を日系人が演じるのは観ていてかなり少ないですね。そもそも日系人俳優が少ないのでしょう。わたしがぱっと思いつくのは、マコ・イワマツとかジョージ・タケイぐらいです。日本から俳優を連れてくるにしても、スクリーンに耐えるだけの英語をこなせるかという問題が出て来ます。日本人俳優が世界で活躍するには英語教育の見直しが必要なのかも知れません。
何気にヤクザの一味に極真空手の八巻健志がいたりします。そういえばドルフ・ラングレンとは同門の仲。友情出演ですかね。

『ハドソン・ホーク』(1990) HUDSON HAWK  1991/11/9鑑賞

監督:マイケル・レーマン 製作:ジョエル・シルヴァー 原案:ブルース・ウィリス/ロバート・クラフト 脚本:スティーヴン・E・デ・スーザ/ダニエル・ウォーターズ 出演:ブルース・ウィリス/アンディ・マクダウェル/ダニー・アイエロ/ジェームズ・コバーン/リチャード・E・グラント/サンドラ・バーンハード

ディーン・R・クーンツの小説『ドラゴン・ティアーズ』(新潮文庫刊)で主人公たちが地獄に落ちて受ける罰について語っている。

「そんな極悪人だったら、そうね、ざっと一千年ばかり蛆虫を食って、悪魔の胆汁でも飲んでもらうべきかも---」
「悪魔の胆汁は、どうも苦手でね---」
コニーも声をあげて笑っていた。「-そうそう、悪魔に高圧結腸洗浄でもやってもらうべきだと思うし---」
「-ついでに≪ハドソン・ホーク≫を一万回見るという罰もいいかも」
「よして。いくら地獄だって、ものには限度があるわ」

どうやら、もっとも残酷な地獄の刑罰よりも『ハドソン・ホーク』一万回の方がつらいようだ。
たしかに『ハドソン・ホーク』についてはあまり良い評価は聞かないし、興行的にも大コケしている。だが、個人的には結構愉快な泥棒コメディとして好きな作品だ。ナンセンスなギャグが多いので、『ダイ・ハード』のブルース・ウィリスを期待していた人には受けが悪かったのだろう。

レオナルド・ダ・ビンチが発明した黄金生成機のメインパーツであるクリスタルを巡って、世界征服を企む悪党夫婦一味と腕利きの怪盗、そしてCIAなどが右へ左への大騒動を繰り広げる。
主人公の怪盗"ハドソン・ホーク"は刑務所から出所したばかり。とりあえず大好きなカプチーノを飲もうとするが、その度に何らかの邪魔が入って飲むことが出来ない。ウェルメイドなギャグながら笑える。もちろん、やっと飲むことが出来るのは映画の終わりになってから。
相棒(ダニー・アイエロが好演)と一緒に盗みに入るときは、「警備員が巡回してくるまで3分28秒(数字は適当です)」「よし、分かった」、でどうするのかと思いきや3分28秒の曲を二人口ずさんでカウントダウンの代わりにする。それでは抜き足差し足している意味があまりないと思うのだが。
悪党夫婦は完全なイカレポンチ野郎。夫は超天才なのだが、エキセントリックぶりがなかなか良い。脇に控えている執事は、事あらば両袖からジャキッと刃物を飛び出させて襲ってくる。ただし、彼は悲惨な最後を遂げることになるが。あぁ、ゴロゴロゴロ・・・
ラストの「やぁ、俺死んだと思ってたけど生きてた」といういけしゃあしゃあっぷりが実に良い。
というわけで皆で観よう、一万回!

『カウチポテト・アドベンチャー』(1992) STAY TUNED 1993/7/4鑑賞

監督:ピーター・ハイアムズ 脚本:トム・S・パーカー/ジム・ジェンヌウィン 撮影:ピーター・ハイアムズ 出演:ジョン・リッター/パム・ドーバー/ジェフリー・ジョーンズ/デヴィッド・トム/ヘザー・マコーム/ユージン・レヴィ

あまり有能とは言えないセールスマンは仕事と生活にすっかり疲れていた。妻と二人の子供にも無関心で、テレビを見ることだけが彼の楽しみだった。ところが、人間に化けた悪魔が今に大型テレビを備え付けてしまい、スイッチを入れたとたん夫婦はテレビの中に吸い込まれてしまう。『ウェインズ・ワールド』のウェインとガースがミイラになってホストを務める音楽番組など、すっかりイカれた番組が次々と代わり、二人はその中を漂流する。
家に帰ってきてことの次第を知った兄妹は、両親を助けようとテレビや庭に設置された巨大パラボラアンテナを操作する。
フランス革命の番組で貴族役になった両親は、民衆に追いつめられギロチンにかけられることになる。このままでは命が危ないと勇気を振り絞った父親は、剣を取ると学生時代に選手だったフェンシングの腕をいかして危機から脱出。そしてようやくテレビの中から抜け出すが、妻だけ取り残されてしまう。彼は再びテレビの中に戻り妻を取り返すため悪魔と対決し、ついには悪魔を倒す。
その後、彼は自分に合わなかったセールスマンの仕事を辞め、フェンシング教室の教師になった。そしてもうテレビにのめり込むことはなかった。

アメリカはケーブルテレビが普及しており、100チャンネル以上もの多チャンネルが一般化しているそうだ。視聴者の嗜好に合わせて、ドラマ専門・ニュース専門・映画専門・テレビショッピング専門チャンネルなど様々あり、伝道師の説教ばかりを流している宗教専門チャンネルまであるそうだ。日本ではケーブルテレビよりも通信衛星放送のスカイパーフェクTV!によって多チャンネル化が行われたが、まださほど普及率は高くないだろう。「テレビはタダ」という意識が強く視聴料に対して抵抗があるのだろう。もっとも、"タダ"に思える民放も普段の買い物で支払っている代金の一部が、企業からテレビ局へ広告料として流れて成り立っており決してタダはない。テレビを見ない人からも無断かつ強引に徴収しているわけで、NHKの受信料を不払いしているぐらいだったら、こちらを問題にした方がいいのでないだろうか。
家に帰ってきたらすぐテレビのスイッチを入れ、テレビを見ながら晩飯を食い、その後はビール片手にカウチに座ってテレビを見て、後は寝るだけといったような人物は時折映画や小説に登場する。魅力的な人物として描かれていることはまずない。そもそも映画や小説はテレビに対して皮肉めいた視線を取ることが多い。

悪魔がスーツの袖もとからジャキッとテレビのリモコンを飛び出させるのが妙にイカしている。
両親が飛び回っている色々な番組はテレビや映画のパロディになっているのだが、これはそれほど笑えるというものではなかった。映画はまだしもテレビ番組だと元ネタが分からないというのもある。

『双旗鎮刀客』(1990) 1992/5/30に鑑賞
監督・脚本:ハー・ピン 脚本:ヤン・チョンクワン
出演:カオ・ウェイ/チャオ・マーナ/チャン・チアン/ソン・ハイイン

たしか中野武蔵野ホールで観たはずだ。
「七人の侍を超えた大作」とかいうふれ込みで、眉につばを付けつつ中央線に揺られて向かった。

砂漠を抜けたところに村があり、その入り口に二つの旗が立っている。"鎮"とは村のことだ。
その双旗鎮をまだ少年の面影を残す一人の若者が訪れる。村には今は亡き父親の友人がおり、その一人娘と彼は親同士の間で許嫁の約束が取り交わされていたのだ。
しかし、飯屋を営む友人は、許嫁の約束はおろか彼の父親のことさえ知らぬ、人違いだと青年に告げる。納得のいかぬ青年は店主と娘に頼んで店に住み込みで働くこととし、しばらく村にとどまることとなった。
牛の解体を命ぜられた彼は、左右のブーツそれぞれに差した二本の剣を抜き、50センチほどの長さのその剣でほぼ一瞬にして牛をバラバラにしてしまう。彼は剣豪であった父親の教えを受け、その腕を継いでいたのだ。その様を見ていた娘は次第に彼に心を許すようになるが、父親は剣の腕など騒動の元だと考える。
ある日、男が娘に乱暴をはたらこうとし、怒りのあまり青年はその者を斬り捨ててしまう。ところが双旗鎮一体は荒くれ者に支配されており、その男は頭領の弟だったのだ。やがて復讐に来る連中と戦う覚悟と決める青年だったが・・・

・・・だったが、馬に乗って現れた敵の一群を前に、青年は恐怖のあまりがたがたと震え始める。彼は剣の修行は積んでいたが、人を斬ったのは頭領の弟が初めてだったのだ。
しかも助太刀にと呼び寄せた大口をたたく坊主はさっさと逃げ出し、いちかばちかで向かっていった村人も斬り殺されてしまい、めそめそと泣き始める青年。

泣くか、そこで。そのかっこ悪さがなかなか良い。
剣による戦いのシーンはほどんどなく、さらにあっという間に終わる。しかも最後の対決は砂風で隠され音しか聞こえない。スカッとしたチャンバラや豪快な対決シーンを期待しているとひっくり返ってしまうだろう。
どうでもいいことだが首領役の俳優が長渕剛そっくりだ。そんなだからもちろんへなちょこで、馬から下りようとして落ちそうになり子分たちに慌てて支えられたりしている。ロングショットなのであまり目立たなくはあるのだが、撮り直せよ。

『ストーカー』(2002) one hour photo
監督:マーク・ロマネク 脚本:マーク・ロマネク 出演:ロビン・ウィリアムズ/コニー・ニールセン/ミシェル・ヴァルタン/ディラン・スミス/エリック・ラ・サール

スーパーのスピード現像写真店で働いている中年男性サイ。
彼の勤めているスーパーは壁も床も白を基調にしている。そして彼の住んでいる家も白い色ばかりで、それは清潔感よりむしろ空虚さを連想させる。色を持っているのはただテレビに映し出される映像と、壁一面に貼られた何百枚もの家族写真だけだ。そこでは現実の部屋の中よりもむしろ写真の中こそがリアリティを持っている。
しかし、その写真の中に彼は写っていない。その家族は彼の家族ではなく、長年彼の勤める店に現像を頼んできたヨーキン家、夫婦と9歳になる少年のもので、彼はいつも自分のために1枚余分に現像しそれを持ち帰っては自室の壁に貼っていったのだ。
彼は写真の中に自分を少年の叔父として登場させる。なぜならば、サイには家族も友人もなく、都会にいながらもまるで無人島に住んでいるかのような絶対的な孤独を味わっているからだ。彼は自分を定義づけるために他人の写真を集め、それを繋ぎ合わせることでかりそめの人生を作り上げた。フリーマーケットで買ってきた古びた白黒写真に写った女性を自分の母親だと彼は紹介する。
彼は空想だけで満足していた。そしてこれからもヨーキン家の親戚として写真と共に生きていくはずだった。だが、現像枚数をごまかしていたのが店長にばれて彼は解雇されてしまう。もはやサイはこれから先のヨーキン家の写真を手に入れることができない。それは彼から未来を奪うことに等しい。もはや彼には心の家族もなく、テレビは色を失い、心の中は商品のないスーパーのように空っぽで、彼は血の涙を流す。
そして彼は"エヴァンゲリオンの量産機"となることを決意する。写真の中に存在する"完璧な家族"を壊そうとする敵を、妻と息子を裏切って浮気をしている夫を銀色の剣で倒すのだ。

オーバーアクト気味なことが多いロビン・ウィリアムスだが、今作では心のバランスを欠いているが決して狂人ではなく耐えきれないような孤独を抱えているサイをかなり抑えて演じている。
後半はサスペンス色が強くなるが、単なるサイコ・スリラーで終わっておらずなかなかに良作。

『復讐の夜想曲』(1987) 1988/12/24 香港映画祭in名古屋にて鑑賞
監督:ラン・ナイチョイ 脚本:マンフレッド・ウォン 出演:チン・シュウホウ/アレックス・マン/パット・ハー

細かいいきさつは忘れたが賭博ボクシングのボクサーに身を落としてしまった主人公。
だが持ち前の根性と粘り強さで勝ち残っていく。
そんな彼がついにボスキャラ的存在のチャンピオンと対戦する。
ファンファーレの中スポットライトを浴びて登場してきたのは、ピョンピョン跳ねるカンガルーだ。

???カンガルー???

そう、無敵のチャンピオンとはグローブをはめたカンガルーだったのだ。もちろん人名ではない、オーストラリア原産の有袋類であるカンガルーだ。
もう場内は大爆笑の嵐。
普通の映画館だったら失笑も混ざるところだが、さすがクリスマスイブに"未公開香港映画"オールナイト4本立て興行を観に来ているコアな客だ。
「シリアスな話だというのにしょうもないギャグを入れるなぁ。やっぱ香港映画はあなどれない」と思っていた。
だがこのカンガルー、ひとたび戦い始めると無茶苦茶強い。
素早いフットワークで主人公を惑わせ、パンチだけではなくボクシングだというのに後ろ足でキックも入れる。ルールおかまいなしの様子はまるで野獣だ。いや、もともと獣だが。
わたしはオーストラリアに行っても、カンガルーだけには喧嘩を売るまいと強く思いましたよ。いちゃもんをつけるならコアラぐらいにしておきます。ちなみにカモノハシは間抜けな顔をしていながら雄の場合後ろ足の爪に毒があるそうなんで気をつけましょう。まぁ、あまり日常生活でカモノハシと対決する機会もないでしょうが、念のため。

『復讐のハイウェイ』(1988) 1989年前半に鑑賞

監督:フランシス・デリア 脚本:ダレル・フェッティ/フランシス・デリア 出演:ダーラン・フリューゲル/ジェームズ・ルッソ/リチャード・ベルザー/ビリー・ドラゴ

モーテルかどこかの窓から高架になっているハイウェイのジャンクションが見えるシーンが印象に残っている。
ハイウェイを車で走っているところを何者かに狙撃され夫を失ってしまった女性主人公。
悲しみに暮れる彼女の前に一人の神父が現れる。その神父役がビリー・ドラゴ。おい、お前の正体は狙撃犯だろ。神父の服に十字架を下げていても、舌を出すと先が二つに割れていそうな顔をしている。うん、絶対こいつが犯人だ。
と、登場するなり思いこんでしまったが、実際の犯人は誰だったかはともかくとして、やはりビリー・ドラゴは悪人面だ。チャック・ノリスの『ザ・ファントム/地獄のヒーロー4』(1988)では連続殺人鬼であるファントムが収監されていた精神病院の担当医として登場し、「あっ!きっとこいつが裏からファントムを操っているに違いない」と思いこんだのだが、結局その正体はただの精神科医のままだった。

『ペイルライダー』(1985)の悪徳保安官の部下などで脇役としてキャリアを積み、大作『アンタッチャブル』(1987)では白いスーツを着た殺し屋役に抜擢。裁判所の屋上でケヴィン・コスナーと対決して地面へと真っ逆さまに落下したその瞬間がこの人にとって最大の華だったのかもしれない。
『ザ・ファントム/地獄のヒーロー4』での精神科医役は、悪役だけではなく普通の役へも幅を広げようとしたのだろう。だが、多くの人がわたしと同じように「いや、実は悪人だろう」と感じたのか、その後は再び悪役路線まっしぐら。しかも悪役のくせにどこか親しみが持てるといったタイプではないのでB級映画中心。
『川島なお美 in ドール』(1997)という日米合作の(実際にはアメリカで撮影したVシネマだろう)サスペンス映画にも出演しているそうだが・・・わたしはなんか悲しくなってきたよ。
『トレマーズ4』(2004)でとりあえず元気そうなのは確認できたし、息子のダーレン・E・バロウズというのも役者になったようなので、親子悪役でもやってくれないだろうか。

『男は死んで血を流せ』(1989) TRUE BLOOD 1990/10/27に鑑賞
監督・脚本:フランク・カー
出演:ジェフ・フェイヒー/チャド・ロウ/シェリリン・フェン/ビリー・ドラゴ

スラム街にあるアパートの屋上で殴り合いをしていたシーンがあったような気がしますが、それ以外は正直ほとんど覚えていません。どうやら仲違いをしてしまった兄と弟の物語だった様子。
ビリー・ドラゴがイカれた目つきで悪役を演じています。わたしはこの人が好きでして、チャック・ノリスの『地獄のコマンド』では登場してすぐ殺されてしまう麻薬ディーラーだったのが、同じくチャック・ノリスの『デルタフォース2』では南米の麻薬王に出世していたのには人ごとながら喜んでしまいました。
ちなみに弟役のチャド・ロウってのはロブ・ロウの弟。いたなあ、そういえば。

『トロイ』(2004) TROY
監督:ウォルフガング・ペーターゼン 脚本:デヴィッド・ベニオフ
出演:ブラッド・ピット/エリック・バナ/オーランド・ブルーム/ダイアン・クルーガー/ショーン・ビーン/ブライアン・コックス/ピーター・オトゥール

歴史大作といえばたいていが大味。
でもって監督のウォルフガング・ペーターゼンがおおざっぱな演出の人。
よって映画もおおざっぱ。
『トロイ』ですけどね。

でも、大作を監督するにはある程度おおざっぱな人がいいでしょう。
1000人ほどエキストラを集めた合戦のシーンで、「雲の形が気に入らないから今日は撮らない」と来た日にはプロデューサーやスタッフはてんやわんやです。
そして、美術・衣装そして役者を完全に自分の管理下とするには、規模が大きすぎてストレスがたまり監督の胃に穴が開くこと間違いなし。

トロイの王子がスパルタ王族の奥さんと不倫した上にトロイへ連れ帰ったことが全ての発端。
それで国を滅ぼされたんじゃ、トロイの民は大迷惑。上がアホだと下は苦労しますね。
アキレス(ブラッド・ピット)と一騎打ちをするヘクトル役はエリック・バナ。この人が実質的主人公です。ハルクの変身前をやってた人なので、ヒゲなど生やしても首の細さがきゃしゃを感じさせて却って良かったですね。
ブラッド・ピットのアキレスは準主役というかゲスト出演に近いですね。大男をすれ違いざまの一太刀で倒してしまう豪傑ぶりです。でも、たった一つだけ弱点があるんですよ。それは足の下の方、そう"弁慶の泣き所(向こうずね)"です。・・・・・・・・・あれ?ちょっと違うか?
他の合戦シーンは大軍と大軍がどっかんどっかんぶつかり合うだけ。芸もなくやはりおおざっぱ。

そもそもトロイア戦争ってのはトロイが城壁の中に引きこもって、もとい立てこもって籠城してしまう。スパルタは何年かかっても攻め落とすことが出来ず、そこで兵士を忍ばせた木馬を策略を持って城内に送り込み内から攻めてようやく陥落したという話。
なんでそれが実質3日間になるのやら。
『ぼくらの七日間戦争』(1988)のガキどもだって7日間も立てこもって戦ったのに、その半分程で敗れてどうしますかトロイ。そんなんだから「あの国はトロいなぁ」と言われるんですよ。
ま、トロイア戦争史は史実というより伝説・神話ですから、問題ないといえば問題ないのかもしれません。関係者もとっくにお亡くなりになられていることですし。

和平に持ち込もうとする者の意見を退け、トロイの城壁の堅固さを信じて開戦へと決断を下す、頑迷なトロイの老いたる王プリアモスを演じたピーター・オトゥールはさすがに上手い。

しかし、大騒ぎで奪い合うほども美女かね、あれが。

『ネメシス』(1992) NEMESIS 1992/12/27に鑑賞
監督:アルバート・ピュン 脚本:レベッカ・チャールズ 出演:オリヴィエ・グラナー/ティム・トマーソン/マージョリー・モナハン/マーレ・ケネディ

『アンダーワールド』(2003)で追いつめられた人物が自分の周りの床をフルオートにした銃で丸く撃ち抜き、床ごと階下に落ちて逃げのびるというシーンがあった。
おや、これはどこかで観たな。そうだ『ネメシス』だ。こちらの場合はより派手に3、4階ばかりぶち抜いていたような記憶がある。他にもやたら派手な銃撃戦が繰り広げられていた。
主人公は黒のロングコートにサングラスと二丁拳銃の『男たちの挽歌』のチョウ・ユンファスタイル。敵の男が実はサイボーグで、顔の片側上半分がパカッとずれると仕込み銃になっていたりと、なかなか「おっ!」と言わせてくれるシーンもあった。だが、問題は映画全体を通して観るとこれっぱかしも面白くないということだろう。
何故だ?わたしの好きな銃撃戦がいっぱいじゃないか。スタッフ名を確認して納得。監督がアルバート・ピュンじゃないか。
アルバート・ピュンと言えば当時ジャン=クロード=ヴァンダムのファンだったわたしに悪夢を見させてくれた『サイボーグ』(1989)の監督だ。こちらも「これでもか?」とばかりのつまらなさだったがまたまたやってくれたものだ。
黒澤明の『デルス・ウザーラ』でスタッフをしていたともいうアルバート・ピュンだが、黒沢の元で何を学んだのやら、いや黒沢の元で学んだからなのか撮る映画撮る映画どれもつまらないという一種見事な監督だ。
スティーヴン・セガールの『ティッカー(劇場公開名・沈黙のテロリスト』(2001)を借りてきたらオープニングのスタッフクレジットで監督がアルバート・ピュンになっていた時点で「こりゃやばいか?」と思っていたら、やばいどころかセガール脇役じゃん。代わりに悪役がデニス・ホッパーだがまったくもって精彩を欠いていて、危なさやヤバさを感じさせてくれない。デニス・ホッパーなんて普段着の顔を撮ってもヤバそうな男なのに。
しかし作品数は妙に多いんだ。低予算が得意とか早撮りだとかの取り柄でもあるのだろうか。
ともあれ、アルバート・ピュンには気をつけろということで。

B00005J4ST.jpg『魔女の宅急便』(1989) 監督・脚本:宮崎駿 原作:角野栄子 音楽:久石譲 声の出演:高山みなみ/佐久間レイ/信沢三恵子/戸田恵子/山口勝平/加藤治子

*1989年公開時に執筆したもの

宮崎駿の作品において、重要なのは空を飛ぶことであった。
「風の谷のナウシカ」においてナウシカは風に乗り、「天空の城ラピュタ」においては飛行石で宙に浮かび、「となりのトトロ」においてのネコバスは風そのものであった。 どの作品も、ここぞという時に空を飛ぶことによって困難を乗り切るのである。
ところが「魔女の宅急便」においては、空を飛ぶことは必ずしも重要ではない。それどころか、主人公の新米魔女キキは空を飛ぶことしかできない(!)半人前なのである。
これまでは、空を飛ぶと言うことが「水戸黄門」の印篭的な力を持っていたのに対して、「魔女の宅急便」ではごく身近な才能の一つに過ぎないのだ。

この作品は魔女の物語と言うより、自分の才能一つを頼りに大都会にでてきて一人暮しをする女の子のお話なのである。キキはきれいな服を着た女の子を思わず振り返ってしまい、フライパンを買っては「物入りねぇ」と呟いてしまう普通の女の子なのだ。
その女の子がスランプにおちいる。
それは絵が描けなくなるなどの事とそれほどかけ離れたことではない。だから彼女の前に若い女性の画家が現れる。彼女はキキの何歩か先の未来の姿であり(絵描きとキキが実は同じ声であることからもそれはわかる)、絵が描けないときには、描いて描いて、それでも駄目なら絵を描くのをやめて散歩でもするとキキに伝えるのだ。 彼女の小さな後輩にたいして。
ここのところがこの映画のクライマックスなのであって、そのあとの飛行船のシーンはキキがスランプを抜けだした事を伝える付け足しである。
だが、この場面になってやっと空を飛ぶことに意味がでてくるのである。
ただなんとなく飛ぶのではなく、力いっぱい、誰かのために飛ぼうとするのである。
空を飛ぶのはホウキの力ではなくて、モップでもよかったのである。
そして彼女は空を飛ぶ。
その時彼女はその町に本当の意味で受け入れられたのである。

キキのそばにはジジという名の黒猫がいつも一緒にいる。
小さな頃に頭の中で架空の友達を空想で作り上げその子と遊んだり困ったことを相談したりの会話をしたことはないだろうか。ジジの正体はそれに似たような物で、幼いキキをサポートする彼女自身の自我の一部を投影させるスクリーンなのである。
だからキキとジジが話しているシーンは、本当に両者の間で言葉が交わされているのではなく、キキが頭の中に作り上げたジジという使い魔の人格に話しかけている、一種の独り言なのだ。キキ以外の人間がジジと話すことはないのは当たり前である。自分一人では不安だから、客観的な意見としてジジの意見を求めるがそれは彼女の心の中で起きている自問自答なのである。
ラスト、空を飛べなくなったスランプを抜け出したとき都会にやってきた幼い魔女は自立した魔女に成長を遂げた。そして、そんな彼女にはもはやもう一つの人格ジジは必要なくなっていた。
だから、ジジは人格サポートの役割を終えた。おそらくは他人から見ればジジの姿はちょっと変わった妙な黒猫のままなのだろう。

それにしても、この作品に出てくる人は皆いい人ばかりだ。
絵描き、オソノさん、老婦人は言うに及ばず、「おい」を三度それぞれ口調を変えて言うだけのパン屋の親父。
無愛想ながら、雨の日にキキの帰りが遅いとあらば、心配して店先をうろうろしている心の優しさ。
しかもキキが帰ってくるのが見えた途端奥に引っ込んでしまうあたり実にいい人である。
いつの間にか宅急便の看板をパンで作っていたりと、パン職人としての腕前もなかなかのものだ。
(しかし、グーチョキ・パン店てのは何なんだ。)
空で出会った占いの魔女も、イヤミな奴であるが、最後に「あなたも頑張ってね。」と言ってくれるいい人なのである。
現実の世の中、本当はこんないい人ばかりではない。
しかしこれはお話なのだ。
一人の女の子のお話なのだ。

(2005/9/18追記:ジジはキキの一人格で、彼女が言えないような皮肉や斜に構えた意見を述べてくれる。少女至上主義の宮崎がキキの純真さを損なわせないために、ひねた部分をジジに持たせたんでしょう。
よその街で1年間を魔法を使って生計を立てるというのは、足に縄をくくりつけて高所から飛び降りるどこかの成人式や、ネイティブアメリカンがナイフだけを持って一人っきりで荒野で数日間を生き延びることで大人として認められるといったような、一種の通過儀礼であることは間違いない。
物語の終盤でキキが空を飛ぶ能力を失ったのは思春期の心の揺れ、そしてジジと会話が出来なくなったのはサポート人格なしの真にキキ自身の力でその通過儀礼を乗り切ることが重要だからです。
それとキキが能力を失うのは初潮を迎えたことに関するメタファーではないかと考えています。)

(2005/9/24追記:ジジとの会話はキキの脳内妄想だと言いたかったわけではなく、キキの心理描写として使われているという意味も含めたかったのですが言葉足らずで申し訳ありません。
 登場人物が一人でいるシーンでその人物が何を考えているのか、どう感じているのかという心理を描くという面において映画は不自由さを持っています。小説ならば「○○は××だと思った」と地の文で心理描写ができますが、映画の場合は細かな描写の積み重ねで表現するか、不自然な独り言を言わせるぐらいしか方法がありません。
 映像で描写するのが映画本来の姿だとは思いますが、『魔女の宅急便』の場合メインの観客層は子供たちです。そこで宮崎駿は映画を観る力がまだついていない小さな観客たちにも分かりやすい"独り言"をジジとの会話とすることでより洗練された形として表現したのでしょう。)

『リターナー』(2002) 監督・脚本:山崎貴 VFX:山崎貴 出演:金城武/鈴木杏/樹木希林/岸谷五朗

 『ジュブナイル』と同じくクソ。クソったらクソ。VFXの出来は結構いいが、それと映画の出来はさして関係がない。山崎とやらはVFXマンとしてはともかく、脚本家および演出家としての才能はカケラもないようだ。ならばVFXマンに徹するべきだろう。
 脚本も演出も役者の演技も編集も音楽もクソ。樹木希林の存在がかろうじての良心だ。とにかく、文句をつけはじめたら「一晩をつぶせる」。いや、「千と一晩をつぶせる」、ってわたしはシャハラザードか。
 大体が、『マトリックス』やら『ターミネーター』、『E.T.』、『ミッション・インポシブル2』、『インデペンスデイ』、『ドラえもん』、『サイボーグ009』などなどからのパクリの連続である。恥ずかしくはないのだろうか?恥を知れ恥を。言っておくが、パクリとオマージュは違うぞ。お前にはオリジナルがないのか、こら山崎。結構いいと評価したVFXも、実のところはどこかで見たような画面ばかりだ。VFXに一番必要なのは技術ではなくてイマジネーションじゃないのか、おい。知恵も足らなきゃ工夫も足らぬ、わたしゃもすこし背が欲しい、ってか。
 オートバイのシーンでこのままラストに突入かなと思って時計を見たら(観客が時計を気にするって時点でクソ映画なのだが)、まだ半分の1時間だった。そもそも2時間というのが長すぎ。90?100分ほどにまとめるべきだろう。そのためには、編集で切ることが必要だ。苦労して取ったシーンだろうと、お金のかかったシーンだろうと、編集して無駄だと思ったら冷徹に切る。編集には作品を客観視できる能力が必要とされるのだ。途中で延々と未来のシーンがあるがあれはいらない。オープニングのヒロインがタイムマシーンに飛び込むところだけで十分だ。それから、服を買いに行ったり美容院に行くシーンはもちろん切る。切って切って切りまくる。荒木又右衛門か堀部安兵衛にでも編集をやってもらえ。実際の話、映画というのは切れば切るほど良くなるものだ。
 最後に、 どうでもいいことだが、20倍の速度で動けるという装置が出てくる。それを使って金城武が至近距離で発射されたMP5やM16A2の弾丸を避ける。しかし、MP5の弾丸9mmX19は初速で秒速350m(時速1,260km)、M16A2の弾丸5.56mmX45にいたっては秒速950m(時速3,420km/h)。20倍速で動けたとしてもそれぞれ63km/h、171km/sとなる。1発ならまだしも何人もからフルオートで撃たれるのだ。避けれんだろ?、どう考えてもそれは。ドッチボールでボールを避けるんだってそれなりに難しいというのに。あれだな、変に"20倍"なんて具体的な数値を出さずに、単に速く動くことの出来る装置としておけばこんな頭の悪いことにはならんのに。

 あー、もう本当にクソ。 クソったらクソだってば。

『ホワイトアウト』(2000) 監督:若松節朗 原作・脚本:真保裕一 脚本:長谷川康夫/飯田健三郎 出演:織田裕二/松嶋菜々子/佐藤浩市/石黒賢/吹越満/中村嘉葎雄/平田満 古尾谷雅人

よーするに『ダイ・ハード』のパクリ+『クリフハンガー』のパクリ。
以上、終わり。
で終わってもいいんですが、それにはちょっと惜しいところも。

1.アップが異様に多く、バストサイズのカットが中心。しかし、それはテレビのカットサイズであって、映画のそれではないんですね。映画ではもっと引く。アップなんてめったに使わないんだってば。テレビで撮ってきた監督なんですが、テレビの感覚で撮ったんならば勉強不足。ビデオ化やテレビ放映のことを考えてならば本末転倒。

2.人質を捕られているのに緊張感がない。ダムの職員が数人、および下流の25万世帯がダムの放水によって人質になっているのに、それがドラマ作りにおいてあまり緊張感を持っていない。テロリストが結構気楽に人質を殺していくんですが、主人公の富樫(織田裕二)がそれに対して怒りを感じているように感じられない。自分の仕事仲間だろうに。
『ダイ・ハード』でマクレーンが今日会ったばかりの人が殺されたこと対して怒りと救うことの出来なかった無念さを感じているのとは対照的だ。

3.一度ダムから逃げ出した富樫が、再びダムに戻っていく理由がわからない。小説では富樫が戻って行く理由がわかるんですが、映画ではさっぱり。富樫のセリフで無理やり説明してるけど、納得できないっすね。突き詰めれば、作中を通しての富樫の行動原理が分からない。
何故、一介のダム職員がテロリストを相手に戦わなければならないか?
その理由を描ききれていません。これって最大の欠点では?

4.ダム内部と、警察などの外部の動きがつながっておらず、まったく別の話のようである。
全体をとらえてみれば、スケールの大きいところもあり、銃なんかも上手く使っていて(でもテロリスト=AK47ってのは10年前の感覚ですし、ダムの内部というコンクリートで閉ざされた空間で高速小口径のアサルトライフルを使うと、おまけにおそらくFMJ弾でしょうから跳弾しまくるんじゃないでしょうか)、決してけなすだけの作品ではなく、観るべきところもあります。
しかし、テレビの臭いが プンプンしてくるように感じるのは偏見でしょうか?
わたしは映画が観たいんですが。

役者の演技もテレビレベル。納得できるのは佐藤浩一ぐらいですかね。
ドラマを描くならきっちり力を入れて描く。アクション映画にするならきっちりアクションにする。どっちつかずに終わっています。
でも、がんばってるところはがんばっている。ここらへんが評価の難しいところ。
監督は大したことないけど、いいスタッフがいたってことかもしれません。ほんとは単に 『ダイ・ハード』のパクリではなくて、ちゃんとそこから捻っています。
でも、つまりませんでした。

ラスト、ダムにセットされた爆弾のリモコンスイッチ。コンクリートの中に仕掛けられた爆弾なのに、数キロ先から動作するか、普通。そんなに電波が届かないだろうし、届いてもコンクリートで遮られるだろう。
携帯電話だって圏外なくせに。

何しに出て来たんや、平田満。

『ピンポン』

user-pic
0

『ピンポン』(2002) 監督:曽利文彦 原作:松本大洋 脚本:宮藤官九郎 VFX:曽利文彦 出演:窪塚洋介/ARATA/サム・リー/中村獅童/大倉孝二/夏木マリ/竹中直人

 オープニングの窪塚が橋の欄干に突っ立っているシーンからしてなかなかよくて、しかもそれは映画の中盤で再び登場する重要なシーンだったりする。そこら辺からして、それなりに脚本がよく出来ているのではないだろうか。
演出については同じVFX出身の監督でも『リターナー』の山崎と比べると曽利はかなりマシである。派手なところは派手に、抑えるところは抑える。メリハリの効いた演出である。
 役者陣もなかなか良くて、わたしとしてはドラゴンを演じた中村獅童の力の入りまくりつつ抑えた演技(矛盾してるか?)が好み。ペコの窪塚もスマイルのARATAもそれぞれ自分の役割をきちんと把握しているようで、窪塚のバカ、ARATAのシラケとなかなか良い。ただし、竹中直人は相変わらずの演技だが、これは竹中直人が悪いのではなくて、監督の責任だろう。この竹中直人の演技は彼の本来の芸風を元に周防正行が確立させた物で、著作権は周防正行にあると思うのだが。その点、きうちかずひろは『カルロス』シリーズで竹中直人の悪人顔を活かした極悪非道の日系ブラジル人を演じさせていた。
 ただ、誉める部分だけではなくて、まず卓球シーンなのだが、CGを利用して息詰まる試合を描いているのはいいのだが、ラケットに球がぶつかるのを超アップで撮ったり、海王学園のみんな頭を剃った卓球部員たちが一糸乱れぬ動きで練習していたりとやりすぎなシーンも多々見受けられて、いったいシリアスなのかギャグなのかどちらがやりたいのか首をひねる部分もあった。その点、ひたすらバカのためにCGを利用していた『少林サッカー』はやはりスゴイのだろう。
 それと、ストーリーがペコが主役の部分とスマイルが主役の部分にくっきりと分かれていて、ちょっと見づらい。マンガならば分量もあるのでちゃんと処理できるのだろうが、2時間ほどの映画ではちょっと欲張りすぎではないだろうか?もうちょっとどちらかの主役としてのスタンスを強くして役割をはっきりしてほしかった。
 カットといえば、子供時代のシーンのいくつか(特にペコが鉄人28号の格好をしているシーン)、ピンポン球に人が埋もれている幻想的シーン、そしてペコとドラゴンによる天国での卓球などの"いかにもなシーン"はいらない。どうも「ほらほら、オレらってイケてるし?」といった勘違いの匂いが漂ってくる。

 その後を描いたラストはなかなか良し。しかし、ドイツには卓球のプロというのがあるのか。いろんなプロがあるもんである。

『VERSUS』

user-pic
0

『VERSUS』(2000) 監督:北村龍平 脚本:北村龍平 出演:坂口拓/榊英雄/松田賢二/新井雄一郎/松本実

  なんでも小山ゆうの『あずみ』が映画化されるとのニュースを耳にした時のこと。
 『あずみ』は読んだことはないのだが、本屋で表紙を見たり『くのいち』好きなセンパイが「あずみが?」とか言ってたことから察するにどうやら忍者物・時代劇だろう。製作費6億で興収30億円を目指すのはちょっと欲張りすぎじゃないかなとか、主演の上戸彩って誰だ?金八先生に出演してたっていっても金八なんぞ見てないから知らんわ。えーと、肝心の監督はと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『VERSUS』の北村龍平だぁぁぁ?
 ちょっと待て、いっぱい待て、激しく待て。わたしの読み間違いじゃないよな・・・うむ、上から読んでも北村龍平下から読んだら平龍村北。確かに北村だ。何故?何故故に北村?製作の東宝と日本ヘラルドの偉いさんをとっ捕まえて尋ねたい。何で北村?狭い日本にだってそれなりの人数の映画監督がいるというのに、何でよりによって北村を選ぶんだ?あんたたち『VERSUS』見たのか?見てないだろ。見ていたらあいつに映画を撮らせようなんて考えるはずがないからなっ!

 いや『VERSUS』はホントにマジにすさまじく超ウルトラスーパーデラックスな『クソ』映画だ。刑務所を脱獄した男が犯罪組織の人間とある森で落ち合う。その森は全然意味不明なのだがどういう訳か死者がゾンビとなって襲ってくる森だった。そしてこれまたまるで意味なく登場した女を、何でかさっぱりわからないのだが庇った男は、組織とゾンビを敵に回して戦うことになる。いやもう、脚本がクソなら役者もクソ。もちろんのことながら演出はもっとクソ。映画のどこを取ってもクソ。1カットも容赦なく残さずにクソ。クソの中のクソ。英語で言うとKuso no nakano Kuso!ってそれ英語じゃねーよ。
 久しくこんなにひどい映画は見たことがなかった。どれぐらい久しいかというと・・・300年ぐらい?って生まれてないだろ、っつーかその頃に映画はねーよ。学生の自主映画だってこれではボロカスに言われるぞ。そんなんをよくもまぁ劇場公開したもんだ。わたしは旧作のレンタルで借りたが、それでもレンタル屋に「こんなモンを金取って貸すんじゃねぇ。むしろ借りてくれた人に金払え。無駄にした時間と迷惑料合わせて1万だ。嫌なら2万だ」と詰め寄りたいぐらいだった。劇場では上映終了後に観客が暴動を起こさなかったのだろうか?いや、上映中に暴動が起きなかったのが不思議だ。
 もしも劇場で見ていてしかも監督の舞台挨拶なんぞあった日には、わたしは舞台へと駆け上り監督をぶん殴っていたことだろう。しかし、暴力はいけないよ暴力はと思い直して、監督に「すまん」と謝って助け起こすと、やはり許せずに今度は蹴り飛ばしておまけにエルボー。あーもう、見ていない人にこの腹立ちをどう伝えればいいのか?とにかく日本にゴールデン・ラズベリー賞(最低映画に与えられる賞)があったら、最低映画賞、最低主演男優賞、最低主演女優賞、最低スクリーン・カップル賞、最低助演男優賞、最低脚本賞、最低監督賞と各賞をダントツで総なめにしていたはずだ。
 だいたいこいつらプロの悪党のはずなんだが、どうみても全員頭悪そうで、そこらのヤンキーのアンちゃん。下っ端のチンピラはまだしも、組織のボスぐらいは多少まともな役者を使えなかったのだろうか?やたら銃を向けて脅すシーンがあるが、プロなら必要なときだけしか銃を抜かないし、そして抜いたら躊躇なく撃ち殺すもんだ。毎回毎回お互いに銃を向けあったまま睨み合っててどうするんだよ。『レザボア・ドッグス』のラストの銃による三角形を見習えっつーの。少しはまともに男を描いてみろよ。

 そもそも、犯罪映画なんだかホラー映画だかわからない。娯楽要素てんこ盛りにしたつもりなのかもしれないが、単に中途半端なだけだ。ゾンビ物をやるんならサム・ライミの『死霊のはらわた』やピーター・ジャクソンの『バッド・テイスト』が無理なのは百も承知だが、せめてエド・ウッドの『死霊の盆踊り』の足元レベルの作品は作ってもらいたいものだ。って、『死霊の盆踊り』より遥かに下なのかよ!もっとも『死霊の盆踊り』は観たことをネタにできるし、ティム・バートンが『エド・ウッド』なんて映画を作っていたりするんだが。

 わたしはいろんなモノを叱ってきた。しかし、今になって考えるとそれらは叱るほどのことはなかったんではないか。『叱る』という単語はこの『VERSUS』のために取っておくべきではなかったのか。こいつを映画と呼ぶことすらイヤだ。映画は『観る』で統一してきたわたしが、『見る』をつかうぐらいイヤだ。北村を監督と呼ぶのはイヤだ。ほんとーーーーーーーーーーにイヤだ。
 他に誰かいなかったのか?誰でもいい。なんなら人間じゃなくて犬や猫でもいい。1カットを撮影する前からダメでクソなクズ映画とわかっているものを何故作る?何とかしてくれ、頼むから。心の底から頼むから。あーもう、生きてるのがイヤだ。死んだらどんなことがあっても『あずみ』を見ずにすむな・・・

『漂流街』

user-pic
0

『漂流街』(2000) 監督:三池崇史 原作:馳星周 脚本:龍一郎 出演:TEAH/ミッシェル・リー/及川光博/吉川晃司/パトリシア・マンテーロ/柄本明

すまなかった三池崇史。あんたのことはすっかりダメダメ監督だと思ってました。
それが、『漂流街』で認識を改めました。
面白い。理屈抜きにハイテンションでいけてます。

一郎「なんでこれまではダメ監督だと思っていたんですか?」

う?ん、まず三池崇史はVシネマ中心で、劇場公開されるのが少なくてあまり観ていなかったってこと。
そして、その数少ない劇場公開作品でわたしが観たのが、まず『アンドロメディア』で、これはもう「ダメダメじゃんじゃん、ダメじゃんじゃん?」と踊りだしてしまうような究極のつまらなさだったし、もう1本の『サラリーマン金太郎』で、これは「さっぱり、さっぱり?」な出来だった。
他にはWOWOWオリジナルドラマ『天然少女萬』と『多重人格探偵サイコ』を撮ってるけど、この2作品はすでに記憶から抹消されているぐらいヘナチョコだった。
そんなだから、ダメ監督だと思っていたんだけど・・・

今回は、のっけからどう見たって海外なのに「埼玉県」と字幕が出てのヘリによる不法入国者強制送還バスの追跡劇。
ここで、ヒロインに話し掛ける中国人のおばさんがいい味を出してるんだ。
そっから先は舞台を新宿に移して、海外逃亡のために闘鶏場を襲ったところ、現金ではなくてヤクザのヘロインを奪ってしまったことから、様々なドラマやアクションが始まる。
これがまた、唐突でテンション高くて、新宿の裏社会の描写が面白くっていい。
ヤクザ役の吉川晃司がいい味を出してるね。
中国人マフィアのボスとの卓球対決はじっくり描いて欲しかった。

原作者の馳星周が闘鶏場で鶏を運ぶ男で出演していたり、闘鶏のシーンでマトリックスのパロディなんかもあるぞ。
卓球のシーンで吉川晃司は飛んでくる刃物をえびぞりになってよけてるし。

とにかく、三池崇史はやっぱり面白い監督だったんだ。収穫収穫。
ビデオでこれまでの作品を見直そう。
一部の作品だけで評価しちゃ、やっぱりダメだね。観続けることが大切か。まぁ、そうは言っても、なんでもかんでも観ているだけ時間も金もないけどさ。

*公開時に執筆したもの。結局三池作品はあまり好みでないことがわかった。

『バトル・ロワイアル』(2000) 監督: 深作欣二 製作:片岡公生/小林千惠/深作健太/鍋島壽夫 脚本:深作健太 撮影:柳島克己 出演:藤原竜也/前田亜季/山本太郎/栗山千明/柴咲コウ/安藤政信/ビートたけし

*公開時に執筆したもの。いまでもさほど感想は変わっていない。

公開初日に、早速観てきましたぞ。

一郎「あれ?今日は仕事じゃなかったんですか?」

仕事が終わってから行った。だから映画が終わったらもう午後11時近く。でも、そんな疲れなぞ忘れさせてくれるようなスゴイ映画だった。
もう70歳の深作欣二がどうしてこんなエネルギッシュな映画が創れるんだろう?
しかも、すごく繊細で緻密なんだ。
役者がいいぞ。主役の二人藤原竜也と前田亜季もいい。それから山本太郎はおいしい役だったね。かっこよかった。
そしてなによりも教師キタノことビートたけし。この映画、ビートたけしが出ていなかったら、もっと違っていた作品になっていたと思う。
その他のちょっと驚いた出演者では、タケシと電話で話している声が前田愛だったり、バトル・ロワイアルについて説明するビデオのお姉さんが宮村優子だったりする。

国会で問題になるなど、色々な意味で話題になっている映画だけど、生きること、そして死ぬこと。人を殺すこととはどういうことかについて語っている。
娯楽映画でもあり、考えさせられる映画でもある。
中学生同士が殺し合うという話題先行でもいい。前田亜季目当てでもいい。
どんな理由でもいいから、一人でも多くの人に『バトル・ロワイアル』を観て欲しいな。
ってゆーか観ろ。観るんだ?。

一郎「セコいあんたが700円もするパンフレットを躊躇もなく買ってきましたもんね。よっぽど気に入ったんですね」

うん。そろそろ今年も終わりだが、今年のナンバー1は『バトル・ロワアヤル』で決まりだな。
久々に『いつかギラギラする日』(深作監督作品)を観たくなってレンタルビデオで借りてきてしまった。
これから観るんだ?。明日は休みだから夜更かしだい。


『バトル・ロワイアル』その2

一郎「あれ、また『バトル・ロワイアル』ですか。

うん、あの映画についてはかなり語りたいことがある。
今日は原作と映画の関係についてだ。

最初にはっきり言ってしまえば高見広春氏の『バトル・ロワイアル』は映画『バトル・ロワイアル』にとって、原作というより限りなく原案に近い。原作を徹底的に解体して無駄な部分を削り取り、一から再構築したのが映画の脚本なんだ。 あらすじは同じだけど、個々の部分を見ていけばまるで違うものなんだよね。ちなみに脚本を書いているのは、深作欣二の息子深作健太だ。

まず、原作では何人かの生徒について、彼らが背負っているものや過去について触れられているけど、映画において詳しく描かれるのは主人公の七原一人だけ。
その理由としては、おそらく焦点を絞りたかったというのと、上映時間の長さ、そして色々な生徒について過去の回想シーンを入れていたら、時間軸がメチャクチャになってしまって実験映画もどきになってしまうからだろうな。

そして、もっとも大きな変更点は担任教師の描かれ方だ。原作においては悪役であった担任教師が、映画の担任教師キタノは裏の主役になっている。もしかしたら、心理描写という点では、主人公の七原と中川よりも深いかもしれない。
多くの人が死ぬこの映画だけど、キタノの死に方が一番いいぞ。
「クッキー、最後の1枚になっちゃたなぁ」

実を言うと、わたしにとって原作は「まぁ、こんなもんか。つまらん」なんだよね。
中学3年生が同級生同士殺し合うというストーリーを聞いたときはどんなにトチ狂った小説かと思ったが、その実まるで『中学生日記』を思わせるような気恥ずかしく底の浅い青春小説。ティーン・エイジャーならまだしも、わたしにはうっとおしくてしょうがない。いや、ガキの頃に読んでもやはり性に合わなかったろう。健全な不マジメ少年だったからな。
その点、映画は明らかにトチ狂っている。マトモじゃない。
そのテンションの高さは、たけしがギャグで言っていた「深作監督は昔やっていたヒロポンが今になって効いてきました」を思わずうなずかせてしまうほど。
原作が竹刀だとしたら、映画は抜き身の真剣。触れれば斬られる。すべてにおいてギリギリ感が充実している。 だから見る側にもエネルギーを必要とさせる。

『R?15』指定については色々言いたいこともあるけど、こんな面白い映画子供に観せるにゃもったいない。我々大人たちだけで楽しもうって意味ではいいのかも。
もしも、15歳の時の自分がこの映画を観てどう感じるか?興味深いな。


『バトル・ロワイアル』その3

一郎「まだ続くんですか『バトル・ロワイアル』?いい加減飽きましたが」

いいから、黙って話を聞きなさい。
銀座の映画館では「高校生がスピーカーを手に抗議のスピーチを展開するひと幕もあったが」というので、R?15指定反対の抗議かと思いきや、上映反対の抗議だったそうだ。
おそらく、その彼らのコメントだと思うのだが、
「都内在住高校3年男子生徒(18)ニュースで映像が流れているのを見て、身の毛のよだつ思いをした。メンバー6人と抗議に来た。映画はまだ見ていないが、保護者に見ないように働きかけていただきたい。」
・・・・・・アホか。
わたしが映画版『バトル・ロワイアル』にイカレちまってることを抜きにして、客観的に言わせてももらう。
こいつら徹底的なアホだぞ。
何がアホって、自分の眼で観ていない映画の批判をするんじゃない。
観て、自分の頭で考えて、そして批判するなら批判する。抗議するなら抗議すべきじゃないか。
観てもいないのに抗議をするなんて、自分の頭で何も考えておらず、他人の意見に振り回され踊らされているだけだ。性根がなっちゃいない。はっきりいって卑怯だ。
おそらく、彼らは学校ではイイ子ちゃんなのだろう。大人の言うことを素直に受け入れるのだろう。
わたしは高校生の頃ワルイ子ちゃんだったので(不良だったとかってわけじゃないよ)、大人や他人の意見を参考にすることはあっても、それをそのまま受け入れることはなかったんだがな。
自分で実際に見たり聞いたり体験したりして、自分で考え自分の感じたことで動いてきたつもりだ。
同じ作品を観ても感じることは人それぞれだから、『バトル・ロワイアル』に抗議をするのはかまわない。
しかし、最低限のモラルとして映画をちゃんと観てから抗議しなさい。
でなければ、その抗議の声は何の力も持ちはしないよ。

一郎「Zzzz・・・」

一郎君、寝てるし・・・

一郎「Zzzz・・・まったく年をとると説教臭くて・・・むにゃむにゃ」

『突入せよ!「あさま山荘」事件』(2002) 監督:原田眞人 原作:佐々淳行 脚本:原田眞人 
出演:役所広司/宇崎竜童/伊武雅刀/天海祐希/串田和美/山路和弘/矢島健一/もたいまさこ/螢雪次朗

  1980年代も終わろうとしている頃、わたしは名古屋のとある私立大学の学生だった。世間では学生運動などはとっくに過去の物となっていた。しかし、彼らはかろうじて生き延びていて、大学のクラブハウスの壁には『民青粉砕』とか『天皇制反対』などの落書きがされ、新入生入学のシーズンになるとヘルメットにタオルで覆面をした怪しげな人々が白昼堂々とビラを配って歩いていた。中核派や革マル派などの流れでサークルがいくつかの連合に分かれ、すでになぜ闘っているのか理由も分からなくなっているような争いを時代とは関係なく繰り広げていた。
わたしが1年生の時の1987年の大学祭はその中核派か革マル派だかから脅迫状がきて中止になってしまった。まったく、時代錯誤にもほどがあるというものだ。
 ひょっとしてこの『突入せよ!「あさま山荘」事件』の公開に際して『ブラック・サンデー』(1977)のように過激派からのテロなどないだろうかとニュースを眺めていた。しかし、過激は本当に過去になったらしい。テロはおろか脅迫状の話すら聞かなかった。

 この作品は娯楽作としてのスタンスで作られたのだろう。浅間山荘事件を歴史的に浮き彫りにしようと作られたとは思えない。連合赤軍がいかなる思想に基づくどういった集団でどういったテロを行ったかは語られず、唐突にあさま山荘に立て籠もる。そして役所広司演ずる警視庁の男の視点で物語が進む。敵(連合赤軍)の姿はほとんどスクリーンに登場しない。主人公の視点からは籠城している敵の姿は見えないのだから、これでいいといえばいいのだが、いくらなんでも一方的だ。ホラー映画じゃあるまいし、もう少し連合赤軍という敵の存在が見えていた方が活劇としては盛り上がるだろう。
例えばTWA機ハイジャック事件を題材にした『エンテベの勝利』や『特攻サンダーボルト作戦』(おまけで『デルタ・フォース』も入れとこか)ではアラブゲリラ側の行動も描かれ、それによってサスペンスを盛り上げている。『あさま山荘事件』にはそれがない。ひたすら警察官たちがうろうろしているだけで、時に間抜けですらある。
「犯人を殉教者にしてはいけない。だから殺さずに捕まえるのだ」という方針で警察は動いていくのだが、個人的意見としてはこれがまず間抜けだ。犯人は容赦なく殺すべし。いいテロリストは一種類しかない、それは死んだテロリストだ。
 1973年当時、日本にはカウンターテロリズムのスペシャリストはいなかった。もしも当時の日本にSASやGSG9、デルタ・フォースのような特殊部隊が存在していたら10日近くもの長丁場にはならなかったろうし、ひょっとすると殉職者も出なかったかもしれない。
 望遠カメラ、ファイバースコープカメラ、集音マイクなどで可能な限り犯人の人数、所在箇所を調べ、少数精鋭の特殊部隊が窓などを突き破って突入。まずはスタン・グレネードの閃光と轟音で敵を無力化し、MP5あたりのサブマシンガンで射殺。所要時間は1?2分といったところだろうか。
 ここでこんなことを言っても机上の空論に過ぎない。現場のつらさを知らない人間が勝手なことを言っているだけだろう。しかし、プロのカウンターテロリストとはテロリストを迅速かつ的確、そして徹底的に倒すのだ。ところが、この映画の中にプロの男たちの生きざまを観い出すことは出来なかった。素人に毛の生えたような連中がただドタバタしているだけだ。この映画の登場人物たちにわたしは自分の命を預ける気にはなれない。よって、この作品はわたしにとって駄作だ。
 ところで、現在の日本にカウンターテロのスペシャリストはいるのだろうか?警察、自衛隊を問わずだ。ないのならば設立すべきだろう。昨年のアメリカ同時多発テロは沿岸の火事ではない。

 それなりにいい役者が集まっている中で遊人は思いっきり邪魔だ。この男、監督の息子である。『おニャン子・ザ・ムービー 危機イッパツ!』の時から「息子使うのやめっつーの」だったが、あの頃は子役だったのでまだ大目にみることもできた。しかし、すでに青年。親離れ子離れして欲しいものだ。出すな、出るな。

 まとめると「警察万歳!」の一言だ。
 だったら、指揮をする立場の佐々木氏に視点を置くのではなく、前線にいて最後には突入する一警官を主人公にした方がよかったと思うのだが。
 中間管理職は大変だと思うだけで、「ヘラクレスの選択」と言われてもピンとこないぜ、まったく。

『Dolls』

user-pic
0

『Dolls』(2002) 監督:北野武 製作:森昌行/吉田多喜男 脚本:北野武 撮影:柳島克己 美術:磯田典宏 衣裳:山本耀司 編集:北野武/太田義則 音楽:久石譲 出演:菅野美穂/西島秀俊/三橋達也/松原智恵子/深田恭子/武重勉/ホーキング青山

 とにかくつらい。でも圧倒的に美しい。そんな映画です。
 赤い紐で繋がれた男女が満開の桜の下を彷徨っている。二人は寓話的な存在かと思いきや、他の花見客の反応から実在する人間だとわかる。小学生が紐を引っ張り「つながり乞食?」とはやし立てる。そんなところから物語は始まっていく。
 逆玉に乗るために結婚を約束した女性を捨てた男。女性は睡眠薬で自殺を図り一命をとりとめるものの現実から乖離した存在になってしまう。勝手にどこかへ行ってしまおうとする女を男は赤い紐で自らの腰と繋ぐ。そして二人はつながり乞食となり海岸、祭り、楓、そして雪原をさまよい歩く。そして、いろいろな人々とすれ違う。

 アイドルが交通事故で顔面に傷を負って引退する。熱狂的な追っかけだった男は彼女の写真集やポスターを見るのに耐えきれずにカッターで自らの目をくり抜く。盲目になった彼は、白い杖をついて彼女に会いに行く。彼は彼女に受け入れられる。
  ヤクザの親分がふと昔のことを思い出す。若くまだ堅気だったころ毎週土曜日に恋人と公園で待ち合わせて一緒にお弁当を食べていたことを。数十年ぶりにその公園に行ってみる。ベンチにはお弁当を持ったおばさんが座っている。ただ、おばさんは親分のことを昔の恋人とはわからない。わからないままに二人の間に心の触れあいが生まれる。

 しかし、追っかけの男は道ばたで血を流して死ぬ。親分は殺し屋に殺される。
 駄目な男達が女性の母性に暖かく抱えてもらい、しかも幸せなまま死んでいくという、男のガキっぷりと女の奥深さ。

 つながり乞食の男は自らの人生をかけておかしくなってしまった元恋人の面倒を見たように見えて、最後は女から抱擁され受け入れてもらうのだ。

 こうして、人々は歩いていく。その先には死が待ちかまえていた。だが、この死は幸せな甘美なる死かもしれない。

 今回の作品はこれまでとは画面の質が違っていて、幻想的な雰囲気が漂っていた。"赤"の色が際だっていたのも北野作品としては珍しい。しかし、たけしは映像の力というのを根本的なところで信じてはいないのではないだろうか。セリフの力に疑問を持ち『あの夏、いちばん静かな海』では主人公二人からセリフを奪い、音楽の力に疑問を持ち『3-4X10月』からは音楽を奪った。それと同じようなものだ。おそらく、たけしは映画の力を信じてはいないのだろう。自分の作品でありながらそれと距離を持ち続けている。

 ところでホーキング青山には日本アカデミー賞を取ってもらいたかった。

『大冒険』

user-pic
0

クレイジーキャッツの『大冒険』(1965) 監督:古澤憲吾 脚本:笠原良三/田波靖男 特技監督:円谷英二 出演:植木等/谷啓/ハナ肇/犬塚弘/石橋エータロー/桜井センリ/安田伸/団令子/越路吹雪/ザ・ピーナッツ/森繁久彌/由利徹

クレイジーキャッツの結成10周年記念として創られた娯楽大作。
週刊誌の記者である植木等が国際的偽札事件に巻き込まれてしまい、車の屋根に飛び乗るわ、ビルの屋上から落っこちるわ、鉄橋にぶら下がるわ、線路に仰向けになって上を通り過ぎる汽車をやりすごすわ、馬から列車に飛び乗るわと大活躍。
そのほとんどが植木等の顔がちゃんと映っていて、代役を使わずにスタントをこなした事がわかります。
『Mi:2』のトム・クルーズなんて目じゃないですね。
ワイヤーアクションで宙を舞う植木等なんてなかなか見られませんよ。
なんで週刊誌の記者がそんなことができるのかという疑問には、オープニングで古アパートで歌う歌『遺憾に存じます』の中で「学生時代は特待生?♪」の歌詞のところで、壁に貼られた男子体操の写真から、体操特待生で運動神経はいいんだなとちゃんと観てれば1カットで分かる仕組み。
最後は神戸に潜水艦まで出てくるは、黒幕はなんと驚くアドルフ・ヒットラーだったりと大満足。
喜劇と活劇。やっぱ映画の原点ではと。

『その男、凶暴につき』(1989) 監督:北野武 製作:奥山和由 製作協力:森昌行 脚本:野沢尚 出演:ビートたけし/白竜/川上麻衣子/佐野史郎/芦川誠/吉澤健/寺島進/石田太郎/岸部一徳

(公開時執筆)
「あっ、ひいちゃう、ひいちゃう!」 そして本当にひいてしまう。
しかも二度もひいてしまう。
部屋に入ってくるなり、岸部一徳を撃ち殺す。突然だ。
何もかもが突発的だ。計算とか思惑とか言った物で構成された映画ではないのだ。
そもそも暴力とか凶暴とか言った物は、血がドバドバ出るとか頭が吹き飛ぶといった即物的なものではなくて、人間の内側にある闇の部分から生み出される物だ。
北野武はそういった人間のダークサイドを淡々とした描写の積み重ねて描き出した。
カメラは事実のみを追いかける。我妻を追いかける。追い続けた先には、結局死しかなかった。

『その男、凶暴につき』だ。
単純なようで、いや単純だからこそ言葉にするのが難しい映画だ。
さきに述べた車のシーンも、トイレでビンタするシーンも映画の中の一つの出来事であって、それが起きたことよりも、それがなぜ起きたのかの方が重要なのだ。
では、なぜ起きたのか、何が根底に流れているのか。
それは「狂気」ではないだろうか。
そう、この映画は「狂気」の映画なのだ。
我妻が麻薬組織を追い続けるのは、刑事としての正義感からでも義務感からでもない。彼の中の狂気がそうさせたのである。
相手はなんであっても構わなかった。たまたま目の前に清弘達がいただけのことだ。

だいたいこの映画の主要登場人物は皆気違いだ。
清弘は当然気違いであるし、灯にいたっては精神病院出の医者の保証付きの気違いだ。
ラスト近くのおっさんのセリフ「こいつらみんな気違いだ」は、そのまま事実なのだ。
まあ、この映画の場合いろいろとブラックユーモアと言われそうなものが出てきたが、どれが一番ブラックかというと、やっぱりこの「こいつらみんな気違いだ」だろう。
TVで放送するときには、「こいつらみんなピーだ」になるんだろうか、やっぱり。

カメラはひたすら我妻の歩く姿を撮り続ける。
我妻は歩いていく。どこに向かって?
破滅に向かってだ。

ラスト、菊池も歩いていく。どこに向かって?
我妻とは違う形だが、彼も破滅に向かって歩き出したのだ。

しかし、たけしもいきなりスゴい映画を撮ったものだ。観る前からある程度スゴいだろうとは思っていたが予想をはるかに上回っていた。
2作目を撮らせてもらえるかは少々疑問だが、ぜひとも撮ってもらいたいものだ。個人的に期待している。

『新宿鮫』(眠らない街 新宿鮫) 監督:滝田洋二郎 原作:大沢在昌 脚本:荒井晴彦 出演:真田広之/ 田中美奈子/室田日出男 /奥田瑛二 /松尾貴史

  最近の携帯電話は小さくなりましたね。
 思い起こせば小説『新宿鮫』の一作目は改造拳銃による連続殺人というストーリーでした。
 一見拳銃には見えないものに偽装してあるのですが、これが携帯電話なのです。
 小説が発表された1990年当時は携帯電話といってもショルダーバックのような形状・大きさで電話というよりお前は戦争映画の通信兵かっ!みたいな感じでしたので小説を読んで「うむ、なるほどっ」とうなったものです。
 しかし、1993年に映画化された頃にはすでに携帯電話はムーバが発売されており(92年にはブルース・ウィリスによる『ダイ・ハード』そのままなムーバのCMがありました)大きさも小さめのトランシーバーぐらい。そのため、ショルダーバック型携帯電話を持った男が登場した瞬間に 「今時そんな携帯電話使ってるやついねーよ。っつーかお前が犯人だろ」ってんでダメダメでした。
 ロックミュージシャンの晶がクスリをやっていて鮫島に叱られるシーンは原作ファンにとって噴飯物の出来。晶は時に危ないぐらい真っ直ぐな娘で、クスリをやったりしないっつーのに。ロックをやってるやつはクスリもやってるだろという安易な造りだから、原作のトリックがすでに通用しなくなっているのにそのまま使ってしまうという愚行を許したんでしょうな。でも脚本は荒井晴彦なんだよなぁ。
 真田広之は嫌いじゃないけど絶対に鮫島警部のイメージではないし、晶役の田中美奈子にいたっては論外。監督は滝田洋二郎なんでこれもイマイチ。
 原作は人気シリーズとなってその後も続きましたが、映画は一作目で終わってしまいました。まぁ、それも無理ないことでしょう。

『ジュブナイル』 (2000) 監督・脚本:山崎貴 出演:香取慎吾/ 酒井美紀/鈴木杏/遠藤雄弥/清水京太郎/YUKI

 SFX出身だけあって、SFXの使いどころは上手いといっていいでしょう。他のシーンとSFXの出るシーンの落差が無く、自然でしたねぇ。
 ただし、誉めれるのはそこまで。
 ストーリーはありきたり、子役が下手というか演出が不自然、オチ読める。はっきりいって、どーちゅーことのない作品です。凡庸です。
 子供がこれを観て面白いかというんでしょうか?自分が子供になったつもりで観てみましたが、つまりませんでした。
 あんまりつまらないんで頭に来たぐらいつまらない。

「ある一夏の冒険。
大人には秘密の僕たちだけの冒険。
そこには未来から来た友達がいて、地球を狙う宇宙人との戦いが待っていた。」

 これだけだと、心を惹かれるかも。
 でも、映画を観ていても胸がすこしもワクワクしません。
 なぜでしょう?

 子供部屋の押入れにこっそりテトラ(謎の小型ロボット)をかくまうことになりますが、その子供たちの日常が見えてこない。 画面に描かれているのは表層的部分だけで、作り物のセットの中で子供たちが作り物の演技をしているようにしか感じられないんですわ。子供の息吹が全然感じられない。
 かえって、香取慎吾演ずる変人にして天才の神埼やヒロイン岬の従姉の大学生の出てくるパートのほうが、まだ多少は人物を描けています。 香取慎吾に関しては監督の演出というより、 香取慎吾自身の力の方が多分大きいでしょうね。
 結局、子供のための子供が主役の映画といいながら、 致命的なことにその子供を描くことができていない。SFXがいかに上手でも、映画というものは突き詰めれば人間を描くものです。そういった点で考えれば明らかにダメダメな駄作でしょう。
 観客の子供たちは、自分たちが主役になったように感じられる作品を待っていたはず。 残念ながら、悪い意味で『子供だまし』の作品で終わってしまっています。
 せめて脚本は他の人の手を通すべきでした。これでは監督による監督のための映画、つまり自主映画です。 自分だけ満足してどうするんですか。 観客を満足させましょう。

 あと、ラストシーンですが、映画冒頭のセリフである意味ネタわれしているシーンなのに無駄に長い。
 監督兼脚本家としてはあっと言わせるつもりなんでしょうが、 そもそもバレバレなんだから、ダラダラいかずにサラッと粋に終わらせましょうよ。
 あんなラスト、これまでのSF小説やSF映画でさんざん使われたオチじゃないですか。それを、あんな自信満々にやらなくても。恥ずかしくないのかな。

 ガンゲリオン(テトラの作った人が搭乗するロボット。サイズ的には高さが家の2階の窓ぐらい。ボトムズぐらいの大きさかな、例えれば)と宇宙人の侵略艇が戦いになるような展開になってきたので、期待していたのですが、単にガッコンガッコンぶつかるだけ。カタルシスがなかったですね。

結論
 お金と暇があって、現在の日本のSFX技術に興味のある人ならば観に行ってもいいかも。
 『漂流教室』ぐらいには楽しめるかもしれません。『漂流教室』?っつーことはつまらんってこと?そのとーり!

『さくや 妖怪伝』 (2000) 監督:原口智生 脚本:光益公映  特技監督:樋口真嗣  出演: 安藤希 榊/嶋田久作/逆木圭一郎/黒田勇樹/塚本晋也/山内秀一/丹波哲郎/藤岡弘/松坂慶子

 予告を観た限りでは割と期待していたのですが・・・
 霊山富士が噴火、地の底から妖怪たちが湧き出てくる。その妖怪たちと妖怪討伐士さくやとの戦いが繰り広げられると思っていたのですが、戦い以外のドラマの部分の比重が大きく、それがまたチープ。
 さくやと、その義理の弟である河童の太郎との種族の違う姉弟の絆がテーマなのかも知れませんが、それには 脚本の練りが足りないんじゃないの?と思わせる出来でした。
 あと、妖怪がいつ襲ってくるのか分からないのに旅の道中がまるで水戸黄門の一行のようなのん気さです。
 「腕の立つ連中だ」とお供になった忍者はほとんど役に立たないし、せっかく出演した塚本晋也も上手く使われていない。
 『妖怪ハンターヒルコ』を撮った実績があるんだから(好きな映画です)、いっそのこと塚本晋也が監督すればよかったのに。
 巨大松坂慶子には思わずスクリーンに物を投げそうになってしまった。

 あと、主人公さくやを演じる安藤希の刀の構えが決まっておらず、殺陣がかっこよくない。
 冒頭にさくやの父親として藤岡弘氏が特別出演しており、藤岡氏の殺陣を観てしまった分、余計と差を感じてしまいます。
 藤岡氏は刀道、柔道、空手など各種武芸の有段者ですから格は違うのは分かっています。
 しかし、ねぇ。
 『マトリックス』でキアヌ・リーブスたちがクンフーを披露していますが、あれはVFXだけによる物ではなく、2?3ヶ月の集中トレーニングがあってこそのものです。
 安藤希も数ヶ月ぐらいは刀の特訓し、殺陣の出来る女優になってからにして欲しかったですね。

 ワーナーと組んで、この映画は世界進出を狙ってるらしいですが、海外版はかなり編集で切らないと通用しないのではないでしょうか?ってゆーか、通用しないよぉ。
 特技監督を樋口真嗣がやっているので、ミニュチュアの破壊シーンはいいですけどね。
 でも、途中でおまけ的に出てくる『三つ目入道』や『から傘』は30年前の特撮並み。大映の『妖怪大戦争』かと思ってしまった。おいおい・・・

 『ジュブナイル』、『さくや妖怪伝』と、この夏の日本の特撮映画は特撮技術の向上は見られるものの、それだけに終わっています。
  まず、映画としての技術を持ちましょう。
 ってゆーか、つまんないっす。

『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』
 監督:金子修介  脚本:長谷川圭一/横谷昌宏/金子修介 出演:新山千春/宇崎竜童/小林正寛/佐野史郎/仁科貴/南果歩/大和田伸也/村井国夫/渡辺裕之

かなり長いタイトルだが、正確にはバラゴンも加えた『ゴジラ モスラ キングギドラ バラゴン 大怪獣総攻撃』になるのだろう。本当は監督の金子はバラゴンも加えたかったそうなのだが、プロデューサーか誰かの反対にあったそうだ。
今回のゴジラはまた悪役に戻るとのことである。
監督は平成ガメラシリーズを手がけた金子修二。ガメラも面白かったし、そもそもちゃんと映画を撮れる人だから期待していた。
しかし、スタッフのガメラと比べて予算は倍だが期間は半分という言葉を聞いて不安も感じていた。
映画ってのはとかく時間がかかるもの。特に特撮を多用した作品となるとなおのことだ。
で、実際に映画を観てどう感じたかというと、「う?ん、本がつまらないからなぁ」である。
まず、ゴジラには太平洋戦争で亡くなった多くの人の残留思念がとりついているそうだ。
だからゴジラにはミサイルも爆弾も効かないとのこと。
なんじゃ、そりゃ?。
で、日本を襲うゴジラを、ヤマトの守護神である三大聖獣が蘇る。それがバラゴン・モスラ・キングギドラである。
ところがこの聖獣たち、けっこう危ないやつらで、バラゴンは暴走族をトンネルごと潰して生き埋めにしてしまうし、モスラは湖の湖畔で悪さをしている若者達を繭にして殺してしまう。一緒にいた犬は無事というのが映画的良心。
悪い若者達を殺していくというのはなんというか、13日の金曜日のジェイソンのようですな。
で、バラゴン、モスラ、キングギドラそして防衛軍によるゴジラ討伐がはじまる。
しかし、今度のゴジラは強い。はっきりいって強すぎる。一方的な戦いで盛り上がらない。
ガメラとレギオンみたいにある程度両方の力が拮抗していないと面白くないですな。
ま、ゴジラの圧倒的な強さというのは今回金子が描きたかったことなんでしょうけどね。
その割りに、ゴジラの死に方は間抜けなんだよなぁ。
今回のヒロインはBSの中小番組プロダクションなのだが、このお姉ちゃん箱根から横浜まで自転車でゴジラを追う。
追いつけんつーの。
しかも、その間、デジタルビデオをパソコン経由で携帯電話につなぎ生中継を配信するのだ。
どんな高速回線の携帯電話やねん。
あと、意味のない特別出演。蛍雪次郎や渡辺裕之、松尾貴志はガメラシリーズからの続きとして、
ゴジラの尻尾で叩き潰される篠原ともえやチューヤン。軍人役の角田信朗。
誰がどこに出てくるか、こりゃウォーリーを探せですな。
最高に意味がなかったのは前田愛と前田亜季姉妹。
二人並んで空を飛んでいくモスラを神秘的な雰囲気で見ているものだから、これは小美人の役なのかと思いましたが、そのまま出てきませんでした。
宇崎竜童は陸軍だと思っていたら戦艦に乗って指示を始め、最後には潜水艦に乗ってゴジラに向かっていくし、いったい陸軍なのか海軍なのか。そもそも防衛軍の組織構成はどうなっているのか?
やはり、ガメラと比べて圧倒的に脚本が弱い。伊藤和典が抜けたのは痛かったな。

『五条霊戦記』 監督:石井聰亙  脚本:石井聰亙/中島吾郎  出演:隆大介/浅野忠信/
永瀬正敏/岸部一徳/國村隼/勅使河原三郎/船木誠勝

平安末期の義経と弁慶の闘いを描いているんだけど、基本設定を持ってきているだけで、話的にはまるで別物。オリジナルストーリーだな。
本来の話ならば、五条橋で武士を襲っては刀を奪っていた弁慶を遮那王(源義経の幼名)が退治するってことになっていたけど、映画ではその逆で、平家武士を夜毎斬る"鬼"遮那王を、不動明王の啓示を受けたもう一人の"鬼"弁慶が斬りにくるといった話になっている。

殺陣は全体的に暗い画面で、アップの上にカメラが動き回る。しかも、カット数がやたらと細かくて多いものだから、迫力はあるものの、はっきりいって何をやってるんだか分からん。
ラストの遮那王と弁慶の殺陣でようやく面白い殺陣になった。
刀がぶつかる度にガッチンガッチンと火花が飛び散る。
かっこいいぞ。

パンクラス代表の格闘家船木誠勝がなかなか良かった。
台詞回しもわりと上手かったし、迫力もあった。ただ、格闘シーンはほとんどない。

山の民や森の妖気のあたりには『もののけ姫』の雰囲気があった。というか、絶対参考にしてると思う。
美術や衣装などもかなり力が入ってる。

とまぁ面白いことは面白いんだけど・・・
浅野忠信や永瀬正敏の起用を見ても分かると思うけど、かなり女性層を意識している。
役者陣が無精ひげを生やしていたり薄汚れていたりとかなり男臭いけど、結局は女性でも受け入れられる男臭さだ。というよりも、女性をターゲットにした男臭さだと思う。
男の色気っていうのかな。
極論を言えば遮那王と弁慶の精神的ホモ映画なんだよね。 そのうちコミケで『五条霊戦記』ヤオイ本が出てても不思議じゃない。メインに考えてる客層は女性と海外なんじゃないかな。
海外では結構受けると思うよ。
まぁ、それはそれでいいと思うんだが・・・
そこら辺が受け入れられるかどうかだね。わたしはダメだったが。
さらにラストのオチにはズルッと引っくり返ってしまった。
石井聰亙監督の新作ということと、予告で期待していた分、ちょっとがっかり。

『クロスファイア』 監督:金子修介 原作:宮部みゆき 脚本:山田耕大/横谷昌宏/金子修介 出演:矢田亜希子/伊藤英明/原田龍二/長澤まさみ/吉沢悠/徳山秀典/永島敏行/桃井かおり

 原作は出版時に読んでいたのでストーリーについて行けたが、映画で初めてという人には、ちょいとつらかっただろう。 淳子が少年グループを"パイロキネシス"(発火能力)で焼き殺そうと決意するまでが唐突過ぎて、「何で?」と思うのではなかろうか。 逆に、後半で出てくるガーディアンズといった連中がよく分からないまま、結末を迎えてしまっう。
 原作が上下巻とかなりのボリュームであるのに、それを大きく変えないまま2時間に収めたのだから、無理もあろうというものだ。
 結局はかなり原作とは違う部分もあるのだから、いっそのことガーディアンのパートは削ってしまって、淳子が少年グループと戦うに絞った話に変えてしまったほうがすっきりしたのではないか。
 淳子の正体を感づいている若い刑事も不必要に思えるが、彼がいないと、観客に対して"パイロキネシス"を説明してくれる人がいなくなってしまうか。
 桃井かおりのオバさん刑事はよかった。

 いつのまにか定着してしまったVFXという言葉。
 技術そのものが見せ場なSFXに対し、技術を使っていると観客に悟らせるべきではないのがVFXと考えています。 『平成ガメラ』シリーズを撮っただけあって、金子修介のVFXの使い方はかなり手馴れている。
 淳子と多田がキスをした瞬間、熱気がドーム上に二人を包み込み振りゆく雪が蒸発するシーンなど、背筋がゾッとする美しいシーンであった。
 この映画、さかのぼれば、東宝の『ガス人間第一号』や『透明人間』あたりになるのであろう。
 小説自体は、スティーヴン・キングの『ファイヤー・スターター』へのオマージュであったが。

『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ栄光のヤキニクロード』(2003)  監督:水島努 脚本:水島努/原恵一 出演:矢島晶子/ならはしみき/ 藤原啓治/こおろぎさとみ/林玉緒/真柴摩利/一龍斎貞友/佐藤智恵/石丸博也/華原朋美

 たしかに良い作品だし滅多に泣かないこのわたしが思わず泣いたのだが、しかし同時に「これはすでにクレヨンしんちゃんじゃないっ!」と叫んだ『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦』(2002)。
 だって本気でマジなんだもん。おふざけの主人公が真剣の悪役(の割にバカなのだが)に勝つというクレヨンしんちゃんの図式から思いっきり逸脱して、これじゃ普通の映画だ。いや、良い映画なんだけどね。
 で、次作の『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ栄光のヤキニクロード』(2003)はその反動もあってか、どちらかというと原点回帰した作品になっている。
 バラバラになりそれぞれひたすら走り続ける野原一家の姿は感動的である。思えば、正月の駅伝、オリンピックのマラソンなどでわたしたちは走り続ける人の姿を目にするが、彼らはつまるところ学校の名誉であったり国のためという看板を背負って走っている。マラソンの起源であるマラトンからアテネまで走り通した名も無きギリシャの兵士は戦いの勝利を伝えるためだった。太宰治の『走れメロス』のメロスは友人の命をかけて走っている。それに対して野原一家の走る理由が「晩ご飯の美味いヤキニクを食べるため」という実にバカなものであることの美しさ純粋さ。
 そもそも走るという行為は実に映画に合う。机の前に座って悩んでいる人を撮っても絵にはならないが走っている人はそれだけで絵になる。その走るという行為をメインに持ってきただけでこの作品はすでにある程度成功している。

 細かい点を言うと不満がないわけではない。
 マスコミなどを通じて無実の野原一家が天下の極悪人として報じられ、世間の人々から憎まれ追われ密告されるようになっていく様は、なかなかに恐ろしいシーンである。しかし、アクション仮面がテレビで「野原一家を捕まえよう」と呼びかけるのはどうだろうか?アクション仮面としんのすけといえば『嵐を呼ぶジャングル』(2000)などでともに戦った仲間ではないか。せめて、カメラに写らない部分で回りを銃を持った悪人たちに囲まれているアクションの絵が欲しかったところだ。
 デパートの屋上でカメラ小僧相手に媚びを売るゲスト出演の華原朋美は、そもそも彼女にこれっぱかしの興味も持っていなかったわたしにすら哀れである。華原朋美が自虐的なギャグとして理解していればまだ救われるが、わかってるんだろうか?ま、どうでもいいか。
 悪人が何人か出てくるが、あまりぱっとしないのもつらい。やはり悪役が魅力的でないと。

 ともあれ、走れ。そしてヤキニクを食え、腹一杯。

『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』(2001) 監督:原恵一 演出:水島努 脚本:原恵一 声の出演:矢島晶子/ならはしみき/藤原啓治/こおろぎさとみ/真柴摩利/林玉緒/一龍斎貞友/佐藤智恵/納谷六朗/高田由美/富沢美智恵/三石琴乃/小林愛/津嘉山正種/関根勤/小堺一機

これまでの作品があくまでも客層の中心が子供でしたが、今回のはかなり大人向けになっている。

春日部市で大阪万博などを集めた20世紀博というのが開催され、しんのすけの両親や他の大人たちは自分の子供時代に夢中になってしまう。そして懐かしさの匂いに誘われて子供にかえってしまい、自分たちの子供であるしんのすけやひまわりのことを忘れていく。正直言って、ここのシーンは怖かった。乱作されている和製ホラーより怖かったくらい。
敵の親玉は『ケンちゃん・チャコちゃん』(子供のは分からんわな?)
ヴァーチャルな過去の空間を作っていて(昭和40年代?)そこには人々が暮らしている。
懐かしさの匂いをタワーからばら撒き世の中を20世紀に戻そうとたくらんでいる。そして大騒動が始まるのだが・・・

結局、しんのすけの妨害で計画に失敗したケン・チャッコは匂いのしない未来を生きるよりかはいっそのこと死を選ぼうとタワーから飛び降りようとする。そこでしんのすけの「ずるいよ」の一言。そして飛ぶ鳩。
くわっ、いいシーンだ。
さらにその「ずるいよ」はちゃんとギャグとして処理されてしまっていいぞ。
鳩が飛び立ったのはその下にあった巣を守るため。巣には母鳩と子鳩という家族がいる。ひょっとしたらチャコのお腹には二人の子供がいるのではと感じたのだがさてどうだろう。チャコが内心でケンと家庭を持ちたいと思っていたのは間違いないのだが。

匂いが重要な過去につながるキーワードになっている。
確かに、匂い=嗅覚は記憶とダイレクトに結びついていて、それを思い出させる。
マルセル・プルーストの大作「うしなわれた時を求めて」は主人公がマドレーヌの香りによって過去を思い出すところから始まり、そして延々全13巻続く。

しんのすけたちが幼稚園の送迎バスをケンの愛車2000GTにぶつけフロントバンパーを壊してしまう。
それに対するケンの台詞が「あいつらは俺の魂を踏みにじりやがった」良いセリフだ。
車はその他にもスバル360の団体やオート三輪などなど。

不況・不景気は続き、倒産する企業やリストラされるサラリーマンは数多い。オウム真理教などのカルト集団が事件を起こしたり、キレた中高生がナイフで人を刺したりする。
そんな時代から目を背け、かといって未来にも希望を持てない。そんな大人たちが、自分たちにとって一番素晴らしかった時代を再び再現してそこに逃げ込む。
その時代は崩壊することがわかっているバブル経済の時代ではなく、町にはまだ人情があり、そして冒頭の大阪万博に象徴されるように未来への夢と希望があふれていた、そんな昭和40年代だった。
過去の思い出に閉じこもって逃避する。それはそれで一つの生き方だろう。
しかし、子供たちはそうはいかない。その時代は、子供たちにとって生まれる以前の単なる過去にしかすぎない。
子供たちは、まだ未来に失望してなどいない。自分たちの今、そして大人になっていく未来を否定されることを拒否する。そしてその未来を奪われることに抵抗(レジスタンス)するのだ。
そして子供たちの戦いが始まる。
戦いの中、過去に逃げていた大人は現在の自分と直面し、青春時代・青年時代・大人時代を思い出し、自分の過ごしてきた時間は無駄ではなかったとそれを受け入れ、そして再び大人に戻る。そのための現在を象徴する匂いが臭い靴という素晴らしさ。
もう逃げ込む過去はない。子供も大人も一緒になって、今をそしてこれからを生きていくのだ。

『おもひでぽろぽろ』
(1991)  監督:高畑勲 脚本:高畑勲 声の出演:今井美樹/柳葉敏郎/本名陽子/寺田路恵/伊藤正博/北川智絵/山下容里枝/三野輪有紀/飯塚雅弓/増田裕生

(*以下は公開当時に書いた文章である)
思い出として語られる昭和41年のパートは話としては特に意味はない。ヘタをすれば、ただ懐かしいとしか観客は思わない。 懐かしいは懐かしいと言うだけの事なので、それだけは面白くも何ともない。
だが、昭和57年のタエ子が現在の自分について語り始めるとき、昭和41年は彼女の持つ背景であり、血であり肉であることが分かる。
昭和41年、彼女は肉体的な転換を目前に控えていた少女だった。
そして昭和57年、一人の女性の精神的な転換のお話が始まる。
割と裕福であろう家庭に生まれ育ち、ごく普通のOLになったタエ子という女性がいる。自分という人間はいったいどういう人間なのか、自分は何のために生きているのか?彼女は自分の仕事や自分の将来に、漠然とした疑問を抱えたまま都会で生きている。
その疑問が彼女を農村へと導く。
彼女は紅花を摘む。
そして、農業賛歌、田舎賛歌が始まる。
うーん、田舎はいい。

農業はいい、田舎はいいといっても、それは都会の人間だから言えるのである。実際にそこに暮らしている人間には、苦しいことも悲しいこともあるというのが現実である。
田舎の暮しを楽しんでいた彼女に、突然その現実が突きつけられる。お客として田舎にいるのではなく、そこで暮らす者として田舎にいることもできるという現実だ。
彼女だって農業の苦しさとかつらさは、理屈では分かっている。ただそれは、彼女にとってリアルではなかった。それは、彼女の問題ではなかった。

夢が現実たりうることに直面時に、彼女は今までの自分を責め、恥じるのである。自分の甘さや弱さを、正面から突きつけられたからだ。
これは、彼女だけの物語ではない。
これは昭和が終わり平成になった、という物語でもあるのだ。
そのためにも昭和41年は語られる。
その年に代表される昭和というものが彼女の世界である。
そして彼女は、その世界に疑問を持ち始めた。 昭和というものが積み上げてきた物に、彼女は疑問を持った。
そして昭和は終わった。
平成という時代が始まり、今までの自分ではない自分、別の生き方をしている自分という存在に、彼女は気付いた。
だから彼女は農村へ行く。
戦後の日本が作り出してきた物に対して、「それって、なんかヤダ。」と言うために。
そして平成が始まる。
この映画は、昭和という戦後日本が過ごしてきた時間が終わり、平成という新しい時代になったということを、初めて明確に打ち出した映画である。
とにかく、私はそう思うのである。

この映画では、恋愛も描かれる。
話としては、手を握ることも、「好きだ。」と口に出して言うこともない。
だが、立派に恋や愛を描いている。純愛と言うものを連想する人もあるかもしれない。しかし似て異なるものである。
ここでは、ゲームとしての恋愛や、幻想としての恋愛は描かれない。
一言「好きだ。」と言ってしまえば、そこからの人生が変わってしまうのだ。
それがいいと言っているのではない。
この映画の中で描かれているのは、そういう事だと言っているのだ。
彼は車の中で、彼女の手を握ろうとする。だが握らないのだ。決して"握れない"のではない。"握れない"では、一人よがりの恋愛映画にしかならない。
この映画は、日本について語っている映画でもある。それは何よりも、人々の顔の描き方に現れている。日本人の顔と言うものが描かれているのだ。
「おもひでぽろぽろ」では日本人の顔の優しさに重点を置いている。頬の下の線が印象的だが、これは人々が笑っている時に特に強調される。つまり、微笑みと言うものが描かれているということだ。
実際、登場人物はみんなよく笑う。 笑顔が、一番素敵な表情だ。たぶんそう言っているのだろう。
新しい現実を受け止めたタエ子は、今までの自分に別れを告げ、再び転換の時を迎える。
「さなぎ」は孵り、列車の中に小学5年生のタエ子達が現れる。
こうして、タエ子は農村で暮らすことになった。百姓として大地と共に生きることを選んだのだ。
これからの彼女達の人生には、いろいろと苦しいこともあるだろう、悲しいこともあるだろう。
だけど僕らはくじけない、なんである。
泣くのはいやだ笑っちゃおう、なんである。

『あずみ』

user-pic
0

『あずみ』(2003) 監督:北村龍平 出演:上戸彩/原田芳雄/北村一輝/松本実/オダギリジョー/岡本綾/榊英雄/伊武雅刀/佐藤慶/竹中直人

あの超ウルトラスーパーデラックス駄作な『VERSUS』から考えると、それなにましになっていた『あずみ』
『RED SHADOW』や『梟の城』よりはとりあえず面白かった。比較する相手がアレだって気もするが。

ただ、全体的にダラダラ長い。
衝撃のラスト50分って、おいおい普通10分とか15分だろ。そもそも142分ってのが長い。もっと切って2時間以内に収めるべき。
話題(問題)の200人斬りもどうにか形にはなっていたが間延びした印象ではっきりいってだれる。それに敵の数は200人ぐらいだが、実際に斬っているのはその半分もいない。映画『ジパング』の50人斬りよりはましだが、松竹版『座頭市』のラストの殺陣のアイディアの豊富さには足元にも及ばない。あれは数十人相手だったが、一人で戦うにはそれぐらいまでじゃないと劇画的とはいえリアリティがないだろう。
でも、まぁアクションはそれなりに楽しめるかなぁ・・・

もっと宿場の造りなどを活かして人を動かし、工夫したアクションシーンを見せて欲しかったものだ。
カットを細かくしたり、移動撮影でカメラを動かしたり、役者が素早く動くことが、速いアクションであると勘違いしているのでは?
全体的に工夫が足りない感じだ。

爺役の原田芳雄がかなり映画を引き締めてくれる。さすがは名古屋を舞台にしたハリウッド映画『ハンテッド』で主演のクリストファー・ランバートに剣の道を教え、襲い来る悪人どもをぶった斬ってただけある。
若手もがんばってはいるが、どうもフラフラした感じでち様になっていない。
あずみの心理面の演出はかなりいい加減ですが、原作のあずみ自体がつかみどころのないキャラクターですのでまぁいいのだろう。 北村に人物描写の演出が出来る出来ないはまた別問題だが。

ともあれ、この作品でハリウッド進出は無理だろ。

『わんわん物語』(1955) 監督:ハミルトン・ラスケ/クライド・ジェロニミ/ウィル・ジャクソン 製作:ウォルト・ディズニー/アードマン・ペナー

ディズニーか。ディズニーと言うのは、それだけですでに一つのジャンルなのかも知れない。
「わんわん物語」はディズニーがまだディズニーであった頃の作品であって、独特の暖かさを持っている。同じディズニープロの作品でも、ウォルト・ディズニー死後の作品は明かにそれ以前の作品とは色を異にしている。
時代の流れといったものもあるだろうが、そこにはやはりウォルト・ディズニーの思想のようなものが感じられる。思想と言っても、小難しい理屈じゃなくて、一言で言えば優しさだが、ただの優しさとは違うのである。軟弱や逃げの裏返しの優しさではなくて、どっしりと腰を据えて全てを受け止める、受け止めようとする優しさなのである。それは同時に強さでもあるのだ。
やはりディズニーは避けては通れない。ルーカスだって、スピルバーグだって、ハワードだって(いや、ホークスじゃなくてロン・ハワードだけどね)、アメリカの中堅の映画人は、なんらかの形でみんなディズニーの影響を受けているのである。
特にスピルバーグの傾倒ぶりは有名である。「未知との遭遇」のラストで流れる曲は、やはり「星に願いを」でなければならなかったのだ。スピルバーグだけではない。ディズニーを観ているとき、全ての人は幸せである。暖かい気持ちになれるのである。
閑話休題。さて「わんわん物語」であるがこれは要するに、ブラブラと気ままに生きているチンピラが、家出してきた上流階級のお嬢様と出会って、すったもんだの挙げ句そのお嬢さんと結婚して家庭を持ち落ち着くことになると言った内容である。男はちゃんと家庭を持たなければならない、とまあアメリカがまだ家庭に夢を持てた頃の話だ。3組のうちの1組は離婚するといった現代のアメリカではとてもそんなことは言ってられないだろう。
もっとも日本でも家庭の虚構化や崩壊は進んでいるというが。
まったく、家庭ってなんだっけ。そういった物を否定して喜んでる奴も多いしなあ。でも、ディズニー遠くなりにけりでは、あまりに悲しすぎる。

この作品では動物が主人公であるが、その擬人化が、例えば「トムとジェリー」などとは多少違っていて、人間がでているシーンと犬だけのシーンでは犬の描写に工夫があるのである。
人間が出ている時は、その世界の人間としての存在はあくまでも人間であり(ややこしい文だ)、犬だけになったときには、その世界の中心が犬になるのである。つまり描き方としては人間になるわけだ。つまり、視点の移動があるわけで、そこが「トムとジェリー」と違うわけだ。その移動が非常にうまくて違和感を感じさせない。スムーズに流れるように移るのだ。
後、当然カメラ位置も変わるわけであって、これらによって犬と人間の両方がうまく描かれている。登場する人間がただのオマケで終わっていないのだ。
2つの世界をうまくまとめあげている所はなかなかうまい。さすがだ。
落ち着いた色調の絵も心を落ち着けてくれる。かなりの部分が計算され尽くして創られているのである。

『鷲は舞いおりた』(1977) THE EAGLE HAS LANDED
監督:ジョン・スタージェス 出演:マイケル・ケイン/ドナルド・サザーランド/ロバート・デュヴァル

原作はジャック・ヒギンズによる冒険小説の大傑作。監督は『大脱走』のジョン・スタージェス。主演はマイケル・ケイン。他にはドナルド・サザーランド、ロバート・デュバルなど。そして音楽はラロ・シフリン。
錚々たる面々である。
これまでに観ておいて当然な感じの作品なのだが、どういうわけか観ていなかった。
観て納得。凡庸な作品だった。
かなり分厚い原作を2時間ちょっとにまとめたのだから無理もなかろうというところだが、ストーリーの粗筋を追っているだけで、一番肝心なキャラクター達の良さ、特に主人公シュタイナーのかっこよさが出ていないのだ。ストーリーも大切だけど、やはりキャラクターの良さが一番大事なのかなと思った次第。
ちなみに、現在出版されている『鷲は舞い降りた(完全版)』と映画とでは、オチがまったく正反対である。
話としては原作の方が絶対いいのである。小説初回版('75)→映画('76)→小説完全版('82)の順なので、最初は原作も映画と同じ終わり方だったのだろうか?
そのうち、古本屋で初回版を見つけたら確かめてみたいものである。

ちなみに粗筋はドイツ軍人として、そして男としての誇りを持ったシュタイナー中佐とその部下が、休暇中でイギリス東海岸にいるチャーチル首相を誘拐するべく送り込まれるといったもので、冒険小説を語る上で避けては通れぬ作品です。

『ル・ブレ』

user-pic
0

『ル・ブレ』(2002)  LE BOULET  監督:アラン・ベルベリアン/フレデリック・フォレスティア 脚本:トマ・ラングマン/マット・アレクサンダー 出演:ジェラール・ランヴァン/ブノワ・ポールヴールド/ジョセ・ガルシア/ロッシ・デ・パルマ/ジャイモン・フンスー/ゲイリー・ティップレディ/ジェラール・ダルモン/ジャン・ベンギーギ

 あまり期待していなかったのだが、これがなかなか面白い。

 刑務所を脱獄した悪党と看守が、1,500万ユーロのToto当たりくじを持った看守の奥さんを追いかけて一路アフリカに向かう。そして悪党を弟の敵として狙っている奴も後を追う。強面の悪党とどこかピントの外れたおしゃべりな看守によるオーソドックスな珍道中っぷりがうれしい。
 しかし、奥さんの鼻でかいな。鼻が高いと鼻がでかいは別なんだ、納得。
 ところどころには無意味に派手なアクションが繰り広げられる。
 映画前半の、『1941』ばりに支柱から外れて転がっていく巨大な観覧車と、それを挟んでの車とバイクでのチェイスシーンはかなりの迫力。CGとミニチュアと部分的な実物大セットを駆使してかなり強引に映像化しているのだが、映画の勢いで見せてくれる。『少林サッカー』(2001)に近い感じか?
 そして、その派手なシーンがストーリー上ほとんど意味がない点も、個人的には好きだ。これからどんなアクションを展開してくれるのかと思ったら、ひたすら悪党と看守の掛け合い。さっきのは何だったんだっつーの、まったくぅ。
 リチャード・キール(007のジョーズ役)のそっくりさんが、本家にも負けず劣らずの味を出している。ラストのオチにもなっているし。

『リトルショップ・オブ・ホラーズ』(1986) LITTLE SHOP OF HORRORS
監督:フランク・オズ 出演:リック・モラニス/エレン・グリーン/スティーヴ・マーティン/ヴィンセント・ガーディニア/ビル・マーレー/ジョン・キャンディ/ジム・ベルーシ

観に行ったときは、大して期待していなかったんですよ。
監督はフランク・オズ。彼はマペットマスター(人形使い)で、スター・ウォーズのヨーダの操作を担当していた人です。
ちなみに、『ブルースブラザーズ』で刑務所でジョン・ベルーシに所持品を返す担当官、そして、『ブルースブラザーズ2000』では刑務所所長で出演もしています。ちゃんと出世してるんですね。
その人の初監督作品。まぁ、そんなに期待はしませんわな。

オープニングで宇宙と思っていたのが汚れた水溜り。そこに酔っ払いが投げた酒瓶が飛び込み、主題歌が始まる。このオープニングだけで、グッときましたね。
後は映画の流れに乗って、楽しんでいるうちに終わっていました。
実に楽しいコメディミュージカルです。
謎の植物が寂れた花屋を盛り立ててくれるが、実は極悪吸血植物だったという話しなんですが、この植物オードリー2が愛嬌があるのに憎たらしい。ここらへんの特撮は、さすがマペットのプロによる仕事です。

主役のシーモアを演ずるニック・モラリスの情けなさもいいですが、なんといっても最高なのがサドの歯医者役のスティーブ・マーティン。
彼が、患者に苦痛を与える治療をしながら「俺は歯医者だ?これこそ天職?」と歌いまくるシーンは大のお気に入り。レビュー的なミュージカルではなく、お芝居としてのミュージカルです。

フランク・オズはその後も監督を続けており、『ペテン師とサギ師 だまされてリビエラ』は必見の傑作コメディ。

『ミッション・トゥ・マーズ』(2000) MISSION TO MARS
監督:ブライアン・デ・パルマ 出演:ゲイリー・シニーズ/ティム・ロビンス/ドン・チードル

うーん、どこをどう書いてもネタバレになってしまう。
個人的にはネタバレは気にしないし、もう公開も終わっているからいいと思うけど、、まあここはひとつよろしく、と日本人的にすませよ?かな。
とりあえず、開始後30分ぐらいでアレが出てきた時に、おおよそのラストの見当が付き、実際その通りでした。でも、ラストが読めたからつまらなくなるというのは違うと思う。もしそうならば、一度読んだ本や映画は二度と楽しめなくなってしまう。特に推理小説なんか一度しか読めないことになる。
しかし実際にわたしは、アガサ・クリスティーあたり何度も読み返しています。これこそ一発ネタの『アクロイド殺し』ですら。
良いものは何度観ても良いのである。
あっ、別に『ミッショントゥマーズ』が良かったというわけではないです。

なんつーかねー
ブライアン・デ・パルマらしくないところが、デ・パルマらしいという変わった映画ですね。
オープニングの長回し(お前は相米かっ)がスネーク・アイズを思わせますが、スネークアイズの長間わしのねちっこさはなく あっさりと終わって肩透かしをくらいます。その後、ずっと肩透かしをくらい続けた感じです。
あえて表現するならば、デ・パルマ版『2001年宇宙の旅』。
これで、どんなオチか想像つく人も多いかも。
とりあえず、何しに出てきたんだティム・ロビンス。

デ・パルマよ、また『レイジング・ケイン』みたいな作品を作ってくれい。
興行的に成功するかはしらないけど、わたしは観に行くから。

(『レイジング・ケイン』:ジョン・リスゴーの女装が楽しい映画)
(ジョン・リスゴー:馬面の役者。『クリフハンガー』の悪役が一番メジャーか? とりあえず『ハリーとヘンダスン一家』ではないと思う)
(『ハリーとヘンダスン一家』:知らなくても、人生で困ることは一度くらいしかないと思う)
(しかし:『ハリーとヘンダスン一家』を知らなくて困る状況ってどんなだ?)

『ミスター・ベースボール』(1992) 監督:フレッド・スケピシ 出演:トム・セレック/高倉健/高梨亜矢/デニス・ヘイスバート

 わたし、この映画に出演しています。
 そうです、クールな口ひげ野郎私立探偵マグナムことトム・セレック主演のハリウッド映画に出演しているのです。どーだ、まいったか!
 とは言っても、映画を観てもどこに映っているのか自分でもまるで分かりません。出演しているのはナゴヤ球場の観客エキストラとしてですから。でも、あの彼女のアリバイのトム・セレックの映画に出たというのは一生のメモリアルです。

 落ち目のメジャーリーガーが不本意ながら中日ドラゴンズに助っ人"ガイジン"としてやって来る。頭にくるとベンチを蹴ったりする頑固者の監督(星野仙一がモデルでしょうね)と衝突したり日本文化にとまどったりと四苦八苦。しかし監督の娘と恋に落ちたりして・・・
 製作には名古屋のテレビ局などが協力しているのですが、製作発表で「『ローマの休日』のような映画にしてほしい。名古屋の魅力を世界にアピールしたい」などと訳の分からぬことを言っており、実際製作に入ってからもアメリカ側と日本側とでもめたりもしたそうです。
 名古屋の魅力ったってローマと違ってこれという名所があるわけじゃなし、変に欲張らないで素直に単に映画の舞台として扱ってもらえば良いと思うんですけどね。
 当時完成したばかりの金山総合駅が、無理矢理登場したりしますが、地元民としては噴飯モノの恥ずかしい限り。こういう点が「名古屋は田舎だ」といわれる理由なんですが、分かってないんでしょうね。

 日本の野球に馴染めなかった主人公ですが、最後の試合ではここ一番の勝負時にバンドという日本野球的なプレーをやることによって勝ちます。アメリカ映画的にはホームランを打って勝つとこですよね。こういった、衝突するだけではなくお互いを認め理解し合うことが大切という点は良いんですが、ヒロイン(監督の娘)が「わたしにはわたしのやりたい仕事がある。野球場で夫の試合を観ているだけの女には成りたくない」と言っていたのに、最後にはメジャーリーグに戻った主人公についてアメリカに行って野球場で試合を観ているだけの女になってしまうのです。
 彼女は確かデザイナーかなにかをやっていたので、なんでアメリカに行ってもその仕事を続けているという風にしなかったんでしょうか?男に黙ってついて行く大和撫子にしたかったんでしょうかね?大和撫子なんてものは数十年は前にすでに絶滅してるんですが。
 ともあれ、トム・セレックだけでわたしは満足。
 「ミスター・ベースボール」とは日本の新聞に付けられた主人公のあだ名。黒人選手は「俺のあだ名はハマーだよ。理由は聞くなよ」とか言ってました。いたなーMCハマー。
 監督はぬるま湯のような腑抜けた作品ばかり撮っているフレッド・スケピシ。主役はトム・セレック。ドラゴンズの監督は高倉健さん。おおっ、わたしは健さんとも共演してるのか。

『マルコヴィッチの穴』(1999) 監督:スパイク・ジョーンズ 出演:ジョン・キューザック/キャメロン・ディアス/キャサリン・キーナー/ジョン・マルコビッチ/チャーリー・シーン

興味深いというか、いろんな観方ができる作品だね。哲学的に難解な映画ととらえることもできるし、ラブストーリーでもある。
わたしにとっては爆笑ギャグ映画だったけどさ。

ジョン・キューザック演じる主人公は、世間はおろか奥さんにも才能を認めてもらえない人形使い。本当は才能があるんだが、やるネタが一般的ではない。道端で性的な人形劇を演じていて、小さな女の子のいる父親からぶん殴られたりしてる。
奥さんの薦めで気が進まないながらもファイル管理会社に就職するが、そのオフィスが7と1/2階という7階と8階の間にある天井のやたら低いフロアにある。
そこで働く彼は、ある日壁に奇妙な扉を見つける。その扉を入っていくと、なんと実在の俳優ジョン・マルコビッチの頭の中に入ってしまう。
彼は同じフロアで働く女性とその穴をつかって変身願望を叶える商売を始めるが・・・

設定からして珍妙だ。
7と1/2階というセットがまずいい。遠近感がおかしくなって、なんかテリー・ギリアムの美術を思い起こさせた。みんなが中腰になって歩き回っているのは笑える。

主人公の奥さん役がキャメロン・ディアスだ。
夫よりもペットのチンパンジーを心配する妻で、あげくにはマルコビッチに入っている時にある女性に惚れてしまう。
本編の前に『チャーリーズエンジェルズ』の予告をやっていたが、ずいぶんと印象が違うね。

好きなのはマルコビッチ自身が自分の頭の中に入ってしまったシーン。
レストランにいる全員がマルコビッチその人。ピアノの上に寝そべっている女性シンガーも子供もウェイターも全部マルコビッチ。
気持ち悪いながらも笑えた。
あと、二人の女性がマルコビッチの深層心理の中をおっかけっこするシーン。
少年時代に「おしっこタレビッチ」といじめられてたり、パンティの匂いをかいでいたりと笑えたな。
マルコビッチの頭の中から出てくる時は、ハイウェイの横に落っこちてくるってのもいい。
ラストのオチも、設定はちょっと強引だが皮肉が効いていていいね。
女性は強し。ジョン・キューザックは永遠の片思いで終わる。
男は悲しいわな。

チャーリー・シーンはマルコビッチの友人役として出てくる。
7年後ということで再登場するときはカトちゃんズラをつけてハゲオヤジになって出てきてるので必見だ。
他にもテレビの中でショーン・ペンがインタビューに答えていたり、テレビの画面が切り替わるときにちらっとブラッド・ピッドが映ったりもするな。
パンフレットによると、『セブン』などの監督のデビット・フィンチャーも出演しているらしいが、さすがに顔までは知らないので見つけられなかった。そう言えば、パンフレットを買うなんて久しぶりだ。

監督のスパイク・ジョーンズはまだ30歳ぐらい。
これまではミュージックビデオやCMを撮ってきた人らしい。『スリーキングス』では準主役を演じていたりと才人だね。今回が初監督作品でこの出来だから、今後がさらに期待できる人だ。
スパイク・ジョーンズは芸名だそうで、冗談音楽の元祖スパイク・ジョーンズと関連があるんじゃないかと
にらんでいるんだが、つづりが違うかもしれないので関係ないかもしれない。

『マトリックス』(1999) 監督・脚本:アンディ・ウォシャウスキー/ラリー・ウォシャウスキー 出演:キアヌ・リーヴス/ローレンス・フィッシュバーン/キャリー・アン・モス

はっきり言って、オリジナルな部分はないです。
ジョン・ウー作品、ブルース・リーなどのクンフー映画、サイバーパンク、アメコミ、日本のアニメーション。それら監督のウォシャウスキー兄弟が好きなものを集めに集めまくって、まとめあげた作品です。つまり、全てはすでに存在していた物の集まりです。
ただ、本来ならまとめるのに難しい作品類を1本の作品にまとめたこと、そして、アニメーションやアメコミ的映像表現で実写では実現が難しいものを新規技術を開発してまで作り出したその根性。それにつきるんじゃないでしょうか。ほんと、細かいところまでこだわっています。ちょっとやそっと時間をかけたぐらいじゃこれは作れないでしょう。
根性、根性、ド根性。

話しとしては大した事はありません。
現実と思っていたものが仮想現実だったなんていうのは、サイバーパンク小説としてはありふれたネタだし。サイバーパンクに触れていない人には新鮮だったかもしれないけど。
重要なのは、画面。力技で見事に描ききっています。テレビ画面サイズの作品じゃないですね。大スクリーンで観てこそ華。

どーでもいいですが、警官とか警備員は本人たちが仮想現実の世界と知らないだけで普通の人間なんでしょ。あんなに殺しまくっていいのかな?

『マジェスティック』(2001)  THE MAJESTIC  監督:フランク・ダラボン 製作:フランク・ダラボン 脚本:マイケル・スローン 出演:ジム・キャリー/マーティン・ランドー/ローリー・ホールデン/アレン・ガーフィールド/アマンダ・デトマー/ボブ・バラバン/ブレント・ブリスコー/ジェフリー・デマン/ハル・ホルブルック/ロン・リフキン/デヴィッド・オグデン・スタイアーズ/ジェームズ・ホイットモア/ジェリー・ブラック/キャサリン・デント

 わたしぁねぇ、絶対に許しませんよ。ええ、誰がなんと言おうと許すもんですか。
 世の中、やっていいことと悪いことがあります。この作品では一つ、とても大きなやってはいけないことをこれ見よがしにやっています。
 わたしぁねぇ、それがどうしても許せんのですよ。

 ハリウッド最大の汚点であるレッド・パージいわゆる"赤狩り"を扱っておきながら、なんのことはない甘ったるいファンファジーにすぎない。なら、赤狩り持ち出す必要ねーじゃん。映画の中に題材として赤狩りを持ち出したんなら、もっと腹くくって正味を描けよ、正味を。描けないってんなら、はなから持ち出すなっつーの。別に主人公は若手の脚本家じゃなくて普通の犯罪者でもいいじゃん。

 先日亡くなったエリア・カザンだが、赤狩りの最中に自分及び数名の映画人が共産党員であることを告白することでハリウッドに生き残った。エリア・カザンは紛れもなくゲス野郎だが、誰も好きこのんでゲス野郎になったわけでもなかろう。ヤツなりに映画を取るか捨てるかにおいて苦渋の選択による告白ではあったのだ。もちろん、そのとばっちりで映画界から追放された相手はたまったもんじゃないが。
 主人公はエリア・カザンと同じ選択を迫られる。
 で、悩むか?苦しむか?
 んにゃ。独りよがりな演説で万事解決。
 と思わせておいて一ひねりしたが、結局『幸せの黄色いハンカチ』で終わる。映画を捨てて女の待つ田舎に逃げましたか。なんじゃそりゃ。ラストで薄っぺらな感動に逃げても、誰の痛みも消えないっつーの。
 あー、もう『ニューシネマ・パラダイス』と(1989)並ぶ"嫌悪すべき作品"だな、こりゃ。

 いっそのこと、こういうストーリーにしちゃえ。
「ある日、海辺に一人の男が倒れていた。男は以前の記憶をすっかり失っていた。一人の老人が男を指さして叫ぶ。「彼は"若人あきら"だ!」・・・しかし、彼は次第に記憶を取り戻す。そう、彼の本当の名は"我修院達也"・・・」

 同じような傾向の作品として、アメリカ球史最大の汚点『ブラックソックス事件』を扱いながら、「それを作れば彼がやってくる」てな具合にファンタジーにしてしまった『フィールド・オブ・ドリームス』(1989)があるけど、こっちはありだと思う。作品としての出来がってことじゃなく、題材はあくまで"野球"だから観るにたえるってことで。
 "映画"を題材にした"映画"をちゃんと撮るにはキレ者でかつヒネクレ者にやらせないと。
 ダラボンじゃとてもじゃないがその器じゃない。

 やっぱ、わたしはフランク・ダラボンって駄目だわ。
 「ふーん」の『ショーシャンクの空に』(1994)、「あーな」の『グリーンマイル』(1999)だもんなぁ。
 この人ってひたすら二流の監督なんだと思う。でもって、この二流の監督ってのが一番始末に負えないんだわ。面白い映画撮るのは一流か三流の監督。二流は生真面目なのが取り柄の凡庸な監督。
 まぁ、WOWOWにて初見なのでせめて被害が少なかったか。劇場で観てたら憤死だぞ。

『ペイ・フォワード』(2000) 監督:ミミ・レダー 出演:ケヴィン・スペイシー/ヘレン・ハント/ハーレイ・ジョエル・オスメント/ジョン・ボン・ジョヴィ/アンジー・ディキンソン

わたしの好きな役者ケヴィン・スペイシーが出ているから観に行ったんで、監督のミミ・レイダーや『シックスセンス』のガキハーレイ・ジョエル・オスメントなんぞには興味はない。
これは以前にも書いたし、わたしが昔から言っていることではあるが、原題をカタカナにしただけの邦題はやめてほしい。配給会社の社員の頭は何のために付いているんだろうか?気の利いた邦題を考えてもらいたいものだ。
しかもこの作品、原題は『PAY IT FORWARD』であるから『ペイ・イット・フォワード』になるはず。この『イット』を取る意味が分からない。キチンと説明して欲しいもんである。

人に助けられたらその見返りとして他の3人の人を助ける。それが『PAY IT FORWARD』(先に贈る)だ。
それをどんどん進めていけば皆が助け合って世の中が変わると考えた少年が、「幸福のネズミ講」容疑で逮捕されるといった内容である。
嘘である。
でもまあ、「幸福のネズミ講」の話だと思ってもらえば、そんなに間違いはないだろう。

ケヴィン・スペイシーは火傷で顔が引きつった教師役で、登場シーンとかはなかなかいい。謎を秘めた人物って感じで圧倒感がある。しかしそれは最後まで持続せず、途中には火傷を負うことになった自分の過去を全て話してしまい、普通のオジサンになってしまう。残念。
少年を中心としたメインのストーリーと、「先に贈る」をの始まりを捜し求める記者との時間軸の異なるストーリーが上手く絡み合っていて、構成自体は悪くない。だが、ラストには話を盛り上げるためだけに人を殺してしまう安直さなど、一練りも二練りも足りない。
それなりのアイディアがあったのだから、もっと練りこんで欲しかった。

『ブロブ/宇宙からの不明物体』(1988) 監督・脚本:チャック・ラッセル 脚本:フランク・ダラボン 出演:ケヴィン・ディロン/ショウニー・スミス

(公開時に執筆。加筆訂正無し)
うーん、すごい!こいつはただ者じゃない。ど迫力の映画だ。
ブロブ、こいつは侮れない。

大昔、「絶対の危機」という映画があった。主演はデビュー当時のスティーブ・マックイーン。
そいつをリメイクしたのが、エルム街の悪夢3のチャック=ラッセル。原典である「絶対の危機」をうまくアレンジして、一大アクションムービーにしてしまった。

まず、オープニング、まじめなスポーツマンと、チアリーダーと、バイクに乗った不良がでてくる。
このスポーツマンは、ヒロインのチアリーダーとデートするものだから、「ああ、こいつが主役で、不良はライバルかなんかだな。」と普通思うであろう。
ところがどっこい、このスポーツマンは序盤でブロブに襲われ、あわれ溶けて死んでしまうのだ。
こいつは見事にだまされた。ここでこの映画はすごいかもしれんと思った。
そしてそれはドンピシャリ、いやそれ以上であったのを約一時間数十分後に思い知らされるわたくしであった。
脚本も練れている。橋とか、スノーメーカーとかの使い方も、伏線をちゃんと張っていて見事である。
不良のフラッグを演じるケビン=ディロンはなんとマット=ディロンの弟。実にそっくりである。
下水の中をバイクで走り回って、行く手をブロブに塞がれると、下水管の傾斜を利用して斜め走りでブロブの上を走り抜ける。壊れた橋をバイクで飛び越える。マンホールを塞いだトラックをバズーカで吹き飛ばす、並じゃあない。上だ、特上だ!
ラストはチアリーダーのネエちゃんがライフル抱えて、ほとんどエイリアン2のようなド迫力である。
この娘はスゴイぞー、もう張りきってる、下水を逃げ回って、挙げ句に汚水に潜ったりするのだ。
ちゃんとオチもついているし、とにかくこの映画を観ている時の興奮感覚は言葉では言い表せない物がある。
10mぐらいに成長したブロブがちゃんとスケール感を持っていてリアルに見える特撮もすごい。

舞台であるさびれたスキー町の設定もいい。
町の映画館で「恐怖の電ノコ男」とかいう映画がやっているのはお遊びだろう。ホッケーの面かぶってるもんなあ。でもどうせなら「恐怖の手にナイフ男」にでてほしかった。

『ブローン・アウェイ/復讐の序曲』(1994)  BLOWN AWAY  監督:スティーヴン・ホプキンス 脚本:ジョー・バッティア/ジョン・ライス 出演:ジェフ・ブリッジス/トミー・リー・ジョーンズ/スージー・エイミス/ロイド・ブリッジス/フォレスト・ウィッテカー/ステフィ・ラインバーグ/ジョン・フィン/ケイトリン・クラーク

 久しぶりに『ブローン・アウェイ/復讐の序曲』(1994)を観ていた。久しぶりというより劇場公開以来。
 監督のスティーヴン・ホプキンスは『プレデター2』(1990)の冒頭のストーリーにはほとんど関係ない銃撃戦以来のファンだし(『ロスト・イン・スペース』(1998)はさすがに弁護するにあれな出来だったが)、主演のジェフ・ブリッジスとなによりロイド・ブリッジスの不敵なジジイっぷりがいい。悪役の爆弾魔がトミー・リー・ジョーンズだったりするのはちょっと時代を感じさせる。もうトミー・リー・ジョーンズは悪役をやる人じゃなくなったからね。でも悪役似合うんだよなぁ、顔とか。
 主人公は元IRAの闘士として爆弾作りをしていたのだが、ある事件をきっかけにアメリカに逃亡、身分を変え今では警察の爆弾処理班で働いているという適材適所なリクルート。とりあえず爆弾処理班員が爆弾魔に転職するよりかは世間のためになっていると思う。しかし、アメリカの警察官採用ってそんなに簡単かね。日本だと身内に前科者がいないかとか共産党員がいないかとかあれこれ内偵が入るなんて噂を聞くが。
 時折入る、爆発する瞬間の起爆装置のスイッチとかのクローズアップが意味無くて好き。やはり、基本的に緻密に脚本を追っていくというよりその場をどう盛り上げるかを重視した演出だと思う。
 教官として地雷処理の抗議を行うシーンがあるのだが、受講生の中にキューバ・グッディング・Jrを発見。まともにセリフもないような本当に脇役。
 メジャー系作品では『アウトブレイク』(1995)のヘリパイロットや『ザ・エージェント』(1996)のアメフト選手で世間にも知られアカデミー助演男優賞を取ったキューバ・グッディング・Jrの下積み時代ってとこだろうか。そういえば、ホプキンスの『ジャッジメント・ナイト』にも出てたな。
 主人公は爆弾処理係だが一応刑事映画に分類。ちょっと違うかも。

 それにしてもロイド・ブリッジスがいい。
 役者としてあまりこれという作品には出ておらず、ジェフ、ボー・ブリッジスの父親といった程度の認識しかもたれておらず。なんとかコメディファンが晩年の『ホットショット』などを評価しているぐらいが現状かと思うのだが、『ブローン・アウェイ』はそんなロイド・ブリッジスのタフさふてぶてしさ、そして優しさが感じられる役柄だった。ロイド・ブリッジス、1998年逝去。

『ブラインド・フューリー』(1989) 監督:フィリップ・ノイス 原作:笠原良三 脚本:チャールズ・ロバート・カーナー 出演:ルトガー・ハウアー/ブランドン・コール/ランドール・"テックス"・コッブ/テリー・オクィン/リサ・ブロント/ニック・カサヴェテス/メグ・フォスター/ショー・コスギ

アメリカン座頭市-子連れ血煙街道-
と、まあ題の通りの映画である。以上、終わりっっ!
いかん終わってしまった。映画も二週間ぐらいで終わってしまったが。

ベトナム戦争で目をやられ視力を失ったアメリカ兵士が、ベトナムの村人に助けられ、そして彼らから居合切りの極意を教わる。そして、アメリカに戻った男が悪人を倒すと言う話。
まず、ベトナムの村人の描き方がすごい。あれではどう見てもアフリカやパプアニューギアの原住民の方々だ。ルトガー・ハウアーだってひげを伸ばしボロを来て、まるで乞食・・・いやもといルンペン・・・いやもとい自由労働者のようである。
ナイフのクローズアップがフレームインして始まるランボーのオープニングに対し、日本刀のクローズアップで始まるなどパロディー精神も旺盛である。
この作品はある意味、ランボーなどの肉体派ヒーローのパロディーであるわけだ。
ランボーが殺気を露骨にばらまいているのに対し、この作品のルトガー・ハウアーは極力暴力に訴えることを避けようとしている。彼は自衛のための戦いはしても自分から喧嘩を売ることはない。なぜか?それは彼が盲・・・もとい目が不自由であるからだ。
彼はその肉体的欠陥によって一見弱者であるように見えるが、あるいは世間はそう思うが、しかし彼は最強の人間であり、自らそのことを自覚していること故にゆとりがある。言い換えれば彼には盲・・・もとい目が不自由な故の優越感があると言うことである。矛盾して聞こえるかも知れないが、映画を見た人には分かってもらえるだろう。
この文章の題から分かる通り、ルトガー君はガキ・・・もといお子様を一人連れて逃げ回ることになる。
ちなみにその母親がメグ・フォスターだったりするのは友情出演なのでありましょうか?
彼らにとって頼れるのはルトガー君の刀一本と彼の居合の腕だけ、果てさて2人の運命やいかに?

とまあ、『座頭市血煙り街道』という作品をベースにしており、クレジットにモトネタである座頭市血煙街道の脚本家"笠原良三"がちゃんと記載されているのは良心的である。
何よりルトガー君がちゃんとしたサムライスピリットを持っているのがうれしい。悪人に奪われた刀が車の窓から捨てられたとき、バンの荷台で縛られていたルトガー君は見えるはずも聞こえるはずもないのに(見えないのは当り前だが、だって盲だもん)刀と自分が引き離された事に本能的に気付く。ああ、なんと感動的。刀と持ち主との心のつながりは、物を物としか思わないアメリカ映画らしくなくてここら辺にもセンスが伺える。
この後ルトガー君は抱腹絶倒の方法で刀を見つけ取り戻すのだが・・・それは観てのお楽しみ。

ちゃんと賭場に行ってさんざ勝ったあげく相手のイカサマを暴くと言う、本家を見てる人にはこたえられないクスグリもあるし、悪人に囲まれながらも明りが消えて部屋の中が真っ暗になり、「ここは俺の世界だ。」とボソッという格好良さ!!
しびれるねえ?!
最後の最後に殺し屋としてショー・コスギがメバリ入れて出てくるし最高だ。

『ハルク』

user-pic
0

『ハルク』(2003)  THE HULK  監督:アン・リー 脚本:ジェームズ・シェイマス/マイケル・フランス/ジョン・ターマン 出演:エリック・バナ/ジェニファー・コネリー/ニック・ノルティ/サム・エリオット/ジョシュ・ルーカス/ブルック・ラングトン/カーラ・ブオノ/マイク・アーウィン/ルー・フェリグノ

 ストーリーとか役者の演技とかは取りあえずおいておくとして、"ハルク"にはどうコメントしたらいいものやら。
 昔やってたテレビのハルクの方がリアリティあるんじゃない?あっちはたんにムキムキのおっちゃんが身体を緑に塗りたくってるだけだが、今回のCGハルクよりは・・・
 現時点ではまだCGで全てを表現をするのは難しいと言うことなんだろう。もちろん、CGIスタッフの能力や予算・期間などにもよるだろうが、怪力を持った巨大な男を感じさせてくれないのは致命的だろう。大暴れしてもまるで紙細工の中で暴れているようで、画面に重量感がない。力強さが伝わってこないのだ。 いっそのこと背景から登場人物から全てCGのCGアニメにしてしまった方が良かったのではないだろうか。

 ジェニファー・コネリーもニック・ノルティも無駄に使われていて残念。
 アン・リーの演出はドラマ部分とアクション部分がかみ合っていなくて、まるで二本の映画を無理矢理繋げてしまったかのよう。
 ハルクをいう怪物を自らの中に抱え込んでしまった主人公ブルースの苦しみや悲しみはそれなりに表現出来ているし、アクションの見せ方自体は上手いと思うのだが、それらがストーリーの中で生きてこない。つまり中途半端。
 何かちょっとした差で面白い作品になっていたのかも知れないので残念。

 ハルクは坊ちゃん刈り。やんちゃに見えて育ちは良いのかも知れない。

『HERO/英雄』(2002)  HERO 監督:チャン・イーモウ 脚本:リー・フェン/チャン・イーモウ アクション監督:チン・シウトン 出演:ジェット・リー/トニー・レオン/マギー・チャン/チャン・ツィイー/ドニー・イェン/チェン・ダオミン

 ジェット・リー主演なので、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』シリーズみたいなのかな?と観に行き、劇場入り口のポスターで監督がチャン・イーモウだと知ったわたし。少しは下調べをしてから行けっつーの。
 チャン・イーモウとジェット・リー?妙な組み合わせだな。チャン・イーモウにアクション撮れるのか?まぁ、『テラコッタ・ウォリア/秦俑』では主役として剣を振るってたりするしな。
 でもなぁ、そもそもは『紅いコーリャン』だしなぁ。
 で映画が始まってみると・・・おおっ、確かに剣劇のアクションはあるけど、あくまでも主体はストーリー。芥川龍之介の『藪の中』を思わせる二転三転していく展開で、秦の始皇帝を暗殺しようとする剣豪たちと名無しの男(ジェット・リー)の物語が進んでいく。どれが嘘でどれが真実なのか。
 画面も赤、青、白、緑、黒と変化していき、中国の風景と合わせて非常に美しいものになっている。
 何だかんだいってやっぱりチャン・イーモウ。
 テーマはつまるところ大国の正当性とテロリズムの否定である。
 中国映画なのだが、世界的公開特にアメリカを意識しているからではないだろうか?深読みだけどね。
 "剣"の文字には20種類あることについて秦王は「わしが天下を取ったら文字も一つに統一してやる」と言う。
 英雄とは名無(ジェット・リー)のことなのか、残剣(トニー・レオン)のことなのか。それとも秦王なのか。
 そして秦王は後に始皇帝になるのであった・・・

『裸のキッス』(1964) 監督・脚本:サミュエル・フラー 出演:コンスタンス・タワーズ/アンソニー・アイスリー/マイケル・ダンテ/ヴァージニア・グレイ

 その唐突な始まり方が素晴らしい。
 女が男を殴り、逆に男が女の髪を掴むとそれはカツラで、下からツルツルに剃り上げられた頭が現れる。思わず息をのむ瞬間。
 脚本には展開が掴みにくい部分があるが、全編を通してアイディアの豊富さが素晴らしい。
 何度か唐突に人に殴りかかるという行為が出てくる、その唐突さが面白く、またシーンの省略がうまい。なんとも充実した作品。

『パーフェクト・ストーム』(2000) 監督:ウォルフガング・ペーターゼン 出演:ジョージ・クルーニー/マーク・ウォールバーグ/ダイアン・レイン

ジョージ・クルーニーのヒゲはちょっと無精ヒゲぐらいの方がカッコいいのに。
監督のウォルフガング・ペーターゼンは『Uボート』や『エアフォース・ワン』など実直ではあるが愚鈍な作品ばかり撮る監督。
今回もそう。
真面目なんだろうけどな?、この人。それだけなんだよな?。
カジキマグロの漁に出た漁船が、港への帰港中に3つの嵐が重なった"完全なる嵐"に遭遇するといった話だ。
まず、嵐になるまでの間が長い。でもって、嵐になったらなったで、これが延々続く。
CGでの嵐や波の表現は見事でしたが、正直いって長すぎて飽きた。
実話を元にしておりラストはその事実どおりで、ハリウッド作品としては異色な結末。
だからといって、ダラダラとした印象のぬぐえない作品である。

なにげに、船員たちが船室で観ているビデオがイーストウッドの『ペイルライダー』
ペーターゼンは『ザ・シークレットサービス』でイーストウッドと組んでたんだよな。

『バーティカル・リミット』(2000) 監督:マーティン・キャンベル 出演:クリス・オドネル/ビル・パクストン/ロビン・タニー/スコット・グレン

原題は『VERTICAL LIMIT』っていうか、カタカナにしただけだよな。
映画の中で単語として出てきたときには『高度限界』となっていた。家に帰って辞書で引いてみたら、VERTICALは垂直や縦のこと。"垂直の限界"="高度限界"ってことか。
しかし、この邦題はなんとかならんのかね、字を見ても意味分からないや。

「そりゃ、あんたが英語が苦手なだけでしょう」

普通、バーティカルなんて単語は使わないだろうに。
K2への無理な登山中に遭難してクレバスに落ちてしまった3人。その中に、自分の妹がいたために救助に向かう主人公。
しかし、主人公には妹と自分を助けるために、父親のザイルを切ってしまったという過去がある。
主人公を演ずるのはクリス・オドネル。けっこう渋くなったなと思ったら、『バットマン フォーエヴァー』ってもう5年も前の作品なんだよなぁ。
クレバスの上部を埋め尽くした雪崩を吹き飛ばすために、ニトログリセリンを持って行く。このニトログリセリンはパキスタン軍からもらったものなんだが、何故パキスタン軍はニトロなんか持っていたのだろう?砲座を作るためとか言っていたが、必要なのかなぁ。ダイナマイトの方が便利だろうに。
もちろん、ニトログリセリンにしたのはショックで爆発するかもしれないというサスペンスを構築するためなのだが、あまり上手く使っていないんだよね。せいぜい高いところから落として爆発するのと、日光に当て続けると爆発するということぐらい。
ニトログリセリンを運ぶとなると、往年の名作アンリ・ジョルジュ・クルーゾーの『恐怖の報酬』が思い出されるが、あの緊迫感はない。

素直な山岳救助物でも良かったと思うんだが、わざわざ悪役を作っている。
果たして、それが映画にとって必要だったかに関しては疑問だな。話の流れがバラバラになるだけで、もっと素直な作品でも良かったのに。

CGなどの合成技術の発達によって、以前なら考えられないようなシーンも撮れるようになってきた。山の中のシーンなど、いくつか「これってどうやって撮ったの?」とあっと驚くようなのもある。
だけれども、明らかにセットじみていたシーンも多かった。オープニングのロッククライミングからして、アップはどう見てもセット撮影だからね。

結論:「そこに山があるから登る」といった人がいたが、山なんか登るから登山事故が起こる。
    平地で過ごそう、平地で。

    ストット・グレンは鬼気迫るものがあって良かったな。

『ナッティ・プロフェッサー2 クランプ家の面々』(2000) 監督:ピーター・シーガル 出演:エディ・マーフィ/ジャネット・ジャクソン/ラリー・ミラー/ジェイマル・ミクソン

数年前に公開された『ナッティ・プロフェッサー クランプ教授の場合』の続編。
登場人物もストーリーも前作からつながっているので、もしも観ていない場合には前作を観ておいた方がいいかと。

「前作はメチャクチャ太った大学教授がヤセ薬を開発して自分に使うんだけど、薬の副作用で別の人格が生まれてしまうという、『ジキルとハイド』的な話でしたよね」

その通り。ちなみに、前作はジェリー・ルイス主演の『底抜け大学教授』のリメイクだ。オリジナルはブ男な大学教授が薬で二枚目でかっこいい男になるって話なんだけどね。

今回クランプ教授が作ったのは若返り薬。その薬をめぐって大騒動が繰り広げられる。
見所はエディ・マーフィーを180kgに変えて見せた特殊メイク。あと、エディ・マーフィーが家族の全員を特殊メイクを使って一人で演じているとこ。クランプ教授本人と父親、母親、兄、祖母、そして別人格のバディ・ラブの一人六役か。

「バディ・ラブってのは単にメイクをしていないエディ・マーフィーですね」

母親や祖母はさすがに女装だってわかるけど、父親や兄についてはメイクの出来がいいのでエンディングのクレジットが出るまで気が付かない人もいるかも。
エディ・マーフィーが一人何役もやるのは、『星の王子ニューヨークへ行く』でもやってたな。
観終わった後では、エンディングの曲「マッチョ、マッチョメーン」が耳に残る。

『ドグマ』

user-pic
0

『ドグマ』(1999) 監督・脚本:ケヴィン・スミス 出演:ベン・アフレック/マット・デイモン

[ドグマ]
1・教義、教理
2・独断
3.定理

映画版『ドグマ』は1.の教義になるわけだが、キリスト教文明ではないわたしにはピンとこない。
堕天使二人組が、あるカトリック教会の門をくぐると罪が許されて天国に戻れるが、それにより神の教えの破綻部分があらわにあり、この世が否定されて滅びることになる。
なんで?理屈がよーわからん。

キリスト教徒かつひねくれたユーモアセンスがある人には面白かったろうが、知識のないわたしには今ひとつチンプンカンプンでした。
「幼子を殺せと命じた」
「あっ十戒ね」
「何でみんなチャールトン・ヘストンの映画は知ってるのだ」
という天使との掛け合いもあって、死の天使ロキのことなど、それなりにキリスト教への造詣が深くないと面白くない作品なんでしょう。
最初に言った通りに、わたしはそんなの知りませんが。

最後、二人の堕天使は鎧をまといます。
ベンダースの『ベルリン・天使の詩」でも、人間に戻ったブルーノ・ガンツが鎧を持ってうろついてました。
天使と鎧って関係あるのか?

アメリカで上映禁止運動が起こったのもうなずける内容。神はいるが、けっこうバカ、って描き方でした。
マット・デイモンファンなど以外は、聖書を読んでから観ることをお勧めします。
まぁ、そこまでして観る必要のある映画ではないですが。

『東京暗黒街・竹の家』(1955) 監督・脚本:サミュエル・フラー 出演:ロバート・スタック/ロバート・ライアン/山口淑子/キャメロン・ミッチェル/ブラッド・デクスター/早川雪洲

 この作品を国辱映画という神経が分からないし、それだけの理由で否定してしまうのも分からない。
 作品中で日本がちゃんと描かれているかなんて事はどうでもいい。日本を正確に描くのが目的ではなく、日本的なものを使いたかっただけだし、そういった意味では十分に成功している。
 犯罪組織に潜り込んだ男の活躍といった形だが、そんなことよりも白人男性と日本人女性の関係に全てが集束する。
 風呂桶の中での殺しや、デパートの屋上での銃撃戦などのシーンがいい。緊張した画面の連続が心地いい。傑作である。

 『マイノリティ・リポート』(2002)の眼球移植屋の部家で、壁に映し出されていたのが上記の『東京暗黒街 竹の家』の風呂桶での殺害シーンだ。
 普通の和室の中に檜風呂があるというセットは確かに奇妙ではある。しかし、部屋に入って来るなり入浴中の男をいきなり射殺するという突発的な暴力描写の前にはどうでもいいことだ。わたしが観た1990年においてすら充分衝撃的であったのだから、初公開時の1955年の観客が受けた衝撃はいかほどのものだったのだろう。
 ぜひもう一度観てみたい作品である。

『天国に行けないパパ』(1990) 監督:グレッグ・チャンピオン 出演:ダブニー・コールマン/マット・フリューワー/テリー・ガー/バリー・コーヴィン/ジョー・パントリアーノ

 主人公はオッさん刑事。結構年なくせにまだ小学生ぐらいの男の子がいます。その子に「将来はハーバード大(だったかな?)に行くんだぞ」と過剰な期待をしていて、ちょっと嫌がられたりもしています。そんな彼が健康診断で血液を採られるのですが、同じく健康診断にきていたバスの運転手が麻薬の使用がバレるのを恐れて自分の血の入れ物を彼のとを入れ替えてしまいます。そして、健康診断の結果はなんと彼の命はあと2週間。
 子供に保険金を残すためには殉職するしかないと思った彼は、危険な任務に無防備なまま飛び込んでいくのですが、死ぬどころか彼の命知らずの行動で事件は見事解決するばかり。これは困った。しかし念願かなって高層ビルからつり下げられこれなら無事殉職出来そう。やったね。ところが、相棒から健康診断の結果が間違っていたことを知らされる。ひぇ?死にたくない。さてどうなるっ?

 なかなか面白いコメディ刑事映画。死にたいのに死ねない。それどころかヒーローになってしまう。ジタバタぶりが結構笑えました。
 主人公の相棒役をやっているのがマット・フリューワー。『マックス・ヘッドルーム』の主役や『ミクロキッズ』の隣人役なんかをやっていて、割と好きなんですがあんまり見ませんね。

『デッドコースター』(2003)  FINAL DESTINATION 2  監督:デヴィッド・リチャード・エリス 脚本:J・マッキー・グルーバー/エリック・ブレス 出演:アリ・ラーター/A・J・クック/マイケル・ランデス/トニー・トッド/テレンス・"T・C"・カーソン/ジョナサン・チェリー/キーガン・コナー・トレイシー/リンダ・ボイド/ジェームズ・カークデヴィッド・パートコー/サラ・カーター

 オープニングで『FINAL DESTINATION 2』とタイトルが出た。おお、何年か前にあった『ファイナル・デスティネーション』の続編だったのか。
 それぐらい調べてから観に行けよって感じですが、邦題にも問題ありでしょう。ストーリー的にも一応つながっていますので、一作目を先に観ておくのが吉かと思われます。

 一作目での冒頭の大事故は飛行機事故でしたが、今回は交通事故になってました。911同時多発テロの影響もあるんですかね。材木を積んだ大型トラックが車10台ぐらいを巻き込んでの大惨事になるんですが、これが衝突爆発とかなりの迫力です。
 そして、今回も予知によって大事故での死を一時はまぬがれた人たちが、死の運命によって一人また一人と死んでいきます。見せ場はその死のシーンで、一つ一つ偶然が重なっていくサスペンスと、首がちぎれたり尖った物が頭を貫いたりの惨死ぶりです。
 お勧めは、爆発で吹き飛んだ鉄条網で身体を三つにブチ斬られてしまう男。ポタポタと上半身、腹部と転がり落ちていくのがなんとも嫌です。こんな死に方はしたくないですな。『CUBE』や『バイオハザード』にも同じようなシーンはありましたけどね。
 落下してきた巨大なガラス板に押しつぶされる人もいます。ただ、せっかく透明なガラスが平らに落ちてくるのだから、個人的には横からだけでなく上からのカットも欲しかったですね。ゴキブリを叩きつぶしたようにペチョっとなるんでしょうか?うわっ、グロっ!
 登場人物達が偶然に見える事故で死んでいくという点では『オーメン』の流れなんでしょう。ただ、ダミアンみたいな明確な"悪"は存在しませんが。悪と言うより命あるものはいつかは必ず死ぬという運命が相手です。

 さらに、実はMacムービーだったりもします。
 宝くじに当たった男は液晶スタンド型iMacのダンボールを抱えて家に帰ってきますし(その直後無惨にも死にますが)、少年の机の上には一世を風靡したディスプレイ一体型のスケルトンiMacが置いてありますし(しばらくしてから悲惨な死に方をしますが)、主人公の女性はPowerBookを使っていてスクリーンにリンゴマークが大写しです(そして最後には・・・)。
 この映画にAppleが協力してたりするんですかね。なんかMacを使ってるとろくな死に方をしないって感じにも取れるんですけど。
 まぁ、シャレの分かる会社だしなぁ。

 ホラー映画では、ラストに「さぁこれで一安心」と思わせた後でまだもう一ひねりと、いうのがよくあります。
 もっとも、もはやあまりに当たり前の手法過ぎて観客にも予測がつき、"一ひねり"でもなんでもない場合がほとんどですけどね。
 この作品の場合は・・・作り手の思惑にはまってしまった。くわっ。わはは。

『男性の好きなスポーツ』(1964) 監督:ハワード・ホークス 出演:ロック・ハドソン/ポーラ・プレンティス

 まず最初に断っておきますが、この作品はテレビで観ました。しかもテレビ愛知(テレビ東京系列)の昼の映画劇場です。オリジナルは120分あるのに番組枠は90分。しかもCMがあるから実質70分ぐらいしかない。つまり、メチャクチャカットされまくっています。
 おかげでストーリーこそ分かるといった程度です。ラスト近くにネイティブアメリカンの男性が出てくるけど、「こいつ誰?」とか、疑問点もいっぱい。果たして「観た」と言ってしまって良いのかどうか?いかんだろーなー。
 しかし、こんな条件でも面白かったんですよこの映画。さすがハワード・ホークス。

 『男性の好きなスポーツ』と聞いて変なこと考えないでくださいよ。釣りのことですからね、釣り。ま、もちろんそういった(どういったかはご想像におまかせしますが)含みをもってつけてるんですけどね。
 主人公はデパートの釣り具売り場を担当している男。この男、接客が上手い。お客さんからの質問にもしっかり答え、「12時、3時、9時」(だったかな?)と時計の針の動きで釣り竿を振って遠くの目標に正確に針も投げ込むことも出来る。そして、釣りのマニュアル本を出してこれが売れちゃったりしてる。ところが、本当は釣りをやったことがないのです。
 そんな彼が釣り大会に出場するはめになってしまったのだが、さてどうする、どーなる?
 そして、デパートの自分専用駐車スペースに車を停めた一人の女性。彼は「ここは僕の場所だからどけてください」と言うのですが、彼女は「それは残念ね。私が先に停めたのよ」とまるで取り合いません。気の強い女性と、紳士的で少し気の弱い男性。この二人はこの調子で衝突を続けていくのですが、だんだんととお互いのことが気になっていって・・・
 う?む、最初はケンカしていた二人がいつの間にか恋に落ちている。わたしの好きなパターンですな。
 主人公を演ずるはロック・ハドソン。ロック・ハドソンというとエイズで死んだというぐらいの印象しかありませんでしたが、ジェームズ・スチュアートかケーリー・グラントあたりがやりそうな役柄を上手く演じています。
 ヒロインはポーラ・プランティス。わたしはこの映画でしか知らないのですが、いかにも気が強くわがままな女性といった感じでナイス。加藤みどり(サザエさんの声優)が吹き替えていたのですが、これまたナイスでした。ロック・ハドソンは広川太一郎だったような記憶があるのですが、こっちはちょっと曖昧。
 ちゃんとフルバージョンで観てみたいんですが、DVDで出ないかな?

『TAXi2』

user-pic
0

『TAXi2』(2000) 製作・脚本:リュック・ベッソン 監督:ジェラール・クラヴジック 出演:サミー・ナセリ/フレデリック・ディーファンタル/マリオン・コティヤール/エマ・シェーベルイ/ベルナール・ファルシー

続編が前作を超えるということはあまりないと言われていますが、この作品は例外。 1よりも面白かった?
まぁ、1作目が個人的に期待しすぎて外したというのがありますが。
前作は元レーサーが監督であったせいか全体的に中途半端でありましたが、今回は監督が変わったせいもあってか、カーチェイス、ギャグともに決まっています。
合言葉は『コンニシュワ』だっっ!

あらすじは、ヤクザに誘拐された日本防衛庁長官を前作からのコンビのスピードマニアのタクシードライバーダニエルと、刑事エミリアンが助けるといったもの。
外国映画に日本人が出てくると、日系人やアジア人だったりして、実に怪しい日本語が飛び交うものですが、今作ではヤクザ、長官ともちゃんとした日本語です。日本から俳優を呼んだのだろうか。
その代わり、マルセイユ警察の署長が『コンニシュワ』とか『ニンジャ』など、怪しい日本語を披露してくれます。
最後には全身ギプスになってしまうあたり、『ピンクパンサー』シリーズのドレフュス署長を思い出します。
古いね?

見所は、ラストのプジョー406と三菱ランサーとのカーチェイス。
パリの街をプジョー+黒のランサー3台の計4台が走り回り、街は混乱、銃は乱射されるし、屋台は吹っ飛ぶし、プジョーも飛ぶ。
パリ警察のパトカーが意味なく山のようにクラッシュするシーンは『ブルースブラザーズ』を思い起こしました。というより、リック・ベッソンなりのオマージュだと思いますが。
車のことは詳しくないのですが、プジョー406って速いんですか?まぁ、なんかいろいろ装置が付いていて、ハイスピードタイプに変形したりしますが。スイッチでタイヤのサイズが変わったり、リア・フロントウイングが出てきたりする。
ランサーはランサーエボリューションですかね。

『TATARI(タタリ)』(1999) 監督:ウィリアム・マローン 出演:ジェフリー・ラッシュ/ファムケ・ヤンセン/テイ・ディグス

昔に大量殺人が行われた精神病院に男女8名が閉じ込められ、一人一人、悪霊に殺されていくというホラー映画。
手術台をビデオカメラの液晶モニター越しに見ると、過去に死んだはずの殺人鬼医師と看護婦が見えるシーンなんかは面白かったですが、全体的にありがちな内容。 まっ、題材自体が古典ですからね。
有名じゃない俳優ばかり出ているので、誰が生き残るのかは最後まで観てのお楽しみ。
題名の『TATARI』は邦題で、原題は『The House of Haunting Hill』。いい加減な訳ですが『たたられた丘の家』ってとこですか?
なぜに邦題が『TATARI』になったのかは謎。
ロバート・ワイズの『たたり』('63)へのオマージュ?でも、古すぎるしなぁ。

彼らが殺される理由はその精神病院の職員たちの子孫だったせいなのですが、最後の最後で追いつめられた男が
「俺は養子なんだぁ?」
と叫ぶと、悪霊は「それじゃ仕方ないか」とばかりに納得して引き下がっていきます。妙に物わかりの良い悪霊です。

外国映画は『スクリーム』や『ラストサマー』のようなヤングアダルトホラー(勝手に命名)が中心、日本映画は『リング』のような作品が中心のなか、懐かしい感じはありましたがそれぐらいでしょうか。彼女を連れてのデートにはお勧めしません。特に怖くないから。

『戦場にかける橋2 クワイ河からの帰還』(1989) 監督:アンドリュー・V・マクラグレン 出演:エドワード・フォックス/デンホルム・エリオット/仲代達矢/クリス・ペン/ジョージ・タケイ

戦場にかける橋"2"である。
前作「戦場にかける橋」のリメイクではなくてその後のお話と言う設定だ。なるほどクワイ河からの帰還というわけだ。
戦争アクションを期待して見に行かれた方にはちょっと物足りないかもしれないが、これがなかなか面白い。
まず監督がアンドリュー・V・マクラグレン。ベテランである。B級アクションなら任せておけの男だ。
主演がエドワード・フォックス。そういえばマクラグレン作品「ワイルドギース」の続編にでていたが、いや関係無いだろう。他に、クリストファー・ペン、ティモシー・ボトムズ、そしてデンホルム・エリオットである。
中でもデンホルム・エリオットは、ゲリラ活動を指揮しているイギリス軍人を演じているが、これがいいのだ。元獣医のくせして平気で人を手術しておいて「人間も人もかわらん。」と言ってのけたり、マシンガンを乱射したりと大活躍である。その挙げ句あっさり死んでしまったりして最後まで私たちを楽しませてくれる。

仲代達也は捕虜を気遣う日本将校で、いい役だが面白味にかけている。
それに対しジョージ・タケイの演ずる田中は実ににくたらしく、なかなかの悪役ぶりだ。ラストのエドワード・フォックスとの燃えさかる船の上での対決など実にうれしい。全然関係無いが「ジェシカおばさんの事件簿」にも田中という役で出演していた。
往年の戦争映画の片鱗をうかがわせ、また収容所もの、脱走ものとしてもなかなかに面白いこのB級映画が私は大好きである。
重苦しくない戦争映画と言うのも久しぶりだ。
昔のような戦争超大作はもう望むべくもないが、しかし記憶の片隅に押しやるのはまだ早いと、この作品は教えてくれる。
マクラグレン万歳だ。

『ゼイリブ』

user-pic
0

『ゼイリブ』(1988) 監督・音楽:ジョン・カーペンター 出演:ロディ・パイパー/キース・デヴィッド/メグ・フォスター

*公開時執筆

カーペンターといえばホラー、なーんていつまでも思っていてもらっちゃ困る。
「スターマン」「ビッグトラブル・イン・リトルチャイナ」とSFロマンス、コメディアクションなどその才能を花開かせていたカーペンターであるが、今度はSFアクションだ。
今回公開の「ゼイリブ」は(しかし、よーわからん邦題だ。いやそのまんまか)彼の作品のなかでは秀作「ニューヨーク1997」に一番近いかもしれない。ただ1997よりかは、だいぶ明るい。別の言い方をすればバカである。リトルチャイナで分かっていた事であるが、実はカーペンターもおバカさんであったのである。彼は基本的に脚本も自分で書く人なので、作品の世界がしっかり完成しているのだが、多少癖がありすぎるので万人から好かれるってわけにはいかないんだろう。その代わり熱狂的ファンは多いのだが。

で、「ゼイリブ」はって言うと、うーん90分というのは少し短かったかもしれない。
地球がいつの間にか他の知的生命体に支配されていたということに気付いてから、なんかゴタゴタしているうちに突然終わっちまうんだもん。
あの腕時計で作った妙なトンネルに入ってからが少し短すぎる。アンテナを破壊するだけじゃなくって、ロディー・パイパーを化物の世界に乗り込ませて大反撃をするぐらいして欲しかった。でもそうするとSFXやセットに金がかかるか。低予算ムービーだもんなあ。少しあっさりしすぎてる様に思うけどな。皆さんどう思います。
さーて、ロディー・パイパー君、結構いいぞ。最後のFUCKポーズ、あれだけ根性のはいったFUCKポーズは近年見た事がない。
話自体はとりたてて目新しいものはない。しかし一つ光っているところをあげるとすれば、化物を見破る道具が、一見普通のサングラスといった事である。しかもそのサングラスは、ガーゴイルやレイバンではなくキクチメガネの店先で1000円ぐらいで売っているようなプラスチックのサングラスである。なんて安っぽいのだ。自主映画のSFじゃないんだぞ。しかし、逆にそれがリアルさというか、現実との接点となっているというか、とにかく効果的であったのである。・・・ような気がする。
あそこで大仕掛のよーわからん装置や、御都合主義の超能力などが出てきたら理屈は同じとしてもずっと印象は違っていたと思うのだ。あのサングラスだってよーわからんし、御都合主義である。しかし逆に私たちが普段よく見かけるものであるが故に、ストーリーにのめり込むことの手助けとなっているのである。
サングラスはカーペンターのアイディアらしいのである。やっぱりただ者ではないのだ。

最大の見せ場は知人の黒人との、サングラスをかけるいやかけないをめぐっての延々と続く路地裏でのどつきあいだ。終わるかなと思うとまだまだ続く。
とにかく一発一発のパンチやキックが重そうで骨まで響く痛みを感じさせる。
とどめはアスファルトに叩きつけるブレーンバスターもどき。そういえばロディー・パイパーの本業はプロレスラーなのであった。

『スペース・カウボーイ』(あえて言うなら『スペースカウボーイズ』)(2000) 監督:クリント・イーストウッド
 出演:クリント・イーストウッド/トミー・リー・ジョーンズ/ドナルド・サザーランド/ジェームズ・ガーナー/マーシャ・ゲイ・ハーデン

「僕が69歳になっても愛してくれるかい?」って歌っていたのはビートルズだったような気がするが、(違ったらすみません)もしも、わたしが69歳になったらいったい何をしているのだろう。
結婚して、子供と孫ぐらいいて、定年退職して隠居でもしているのだろうか。
とりあえず、宇宙飛行士になっていることはないだろう。
しかし、イーストウッドはのん気に隠居なんかしていない。宇宙飛行士になって空に飛んでいくのだ。

40年前、チンパンジーにアメリカ初の宇宙飛行士の座を奪われた4人の男たちが、2000年の今年、ロシアの衛星修理のために再びチームを組む。
その名もチーム・ダイダロス。
主演の4人、クリント・イーストウッド(フランク)は1930年生まれ。ドナルド・サザーランド(ジェリー)は1934年生まれ。ジェームズ・ガーナー(タンク)は1928年生まれ。トミー・リー・ジョーンズ(ホーク)はかなり若くて(このメンバーの中ではだけど)1946年生まれ。
このジジイたち4人組が主役のジジイムービー!!
うー、燃えるぜ!!

「あいかわらず、ジジイ役者が好きですね」

何を言うんだ。20代、30代なんてガキガキ。男優はやっぱ40過ぎてからだよね。
このジジイたちは歳はとっても心は悪ガキ。
若手宇宙飛行士からの健康ドリンクの差し入れにはベビーフードでお返しし、TVのインタビューショーにはサングラスをかけて出てくる始末。酒場の前では殴り合いのケンカ。健康診断でみんな全裸のシーンでは、女医さんが入って来た時にみんな慌てて前を隠しているのに、女好きの(とはいえみんな女好きなのだが)ジェリーは前を隠そうともしない。
まったく困った不良ジジイ達だ。
さすが、宇宙を目指すカウボーイ達だぜ。
だから邦題も本当は『スペースカウボーイズ』であるべきなんだよな。

この映画の中、冒頭とラストの2回『Fly Me to the Moon』が出てきますが、これはすごく重要です。
冒頭で誰が歌っていたかは覚えて置いてください。2回目(ラストシーン)のは感動で涙が出ました。男泣きです。
これは命がけで月に行った男の話でもあるんですよ。なぜ最後のシーンでトミー・リー・ジョーンズはヘルメットのサンバイザーを下ろしているのか。まず間違いなく死んでいるのでしょうが、では最後に顔に浮かべたのはどんな表情だったのか。わたしは満足げな笑みだったと思いますが、その死に顔を見せずに、観客の想像力に任せる。すべてを説明はしようとしないイーストウッド。ここに関するとらえ方の違いでこの作品に対する解釈は大きく変わってくるでしょう。
すべての宇宙飛行士にとって月に行くというのは夢。他の三人の仲間が果たせないその夢をただ1人実現したトミー・リー・ジョーンズ。
『アルマゲドン』などと同じように見てる人もいるかもしれませんが、あんな安易な自己犠牲ではありません。
そこんとこ重要。

演出的には、最近のコテコテの感動路線をあえて避けるかのように、ここはじっくり描くだろうと思うところをあっけなく終わらせてしまっていたりして、イーストウッドが観客と一緒に楽しんでいるのが伝わってきます。イーストウッドの演出にはますます円熟味が増してきてますね。
カメラもアップはほとんど使わず、引き気味の画が多くて気持ちいい感じです。
不良ジジイバンザイ!!男は60代からだぜ!!
あー、わたしもイーストウッドのようなジジイになりたい。

あと、パンフレットの700円はちょっと高いですが、ファン必見です。

「クリント・イーストウッド小辞典がいいですね」

男の声、それも渋めのオヤジ声で歌ってこその『Fly Me to the Moon』。
この曲を女性に歌わせたカルト的人気があった某アニメとその監督は、やはりそこを分かってませんな。

『スチュアート・リトル』(1999) 監督:ロブ・ミンコフ 出演:ジーナ・デイヴィス/ヒュー・ローリー/ジョナサン・リップニッキー/マイケル・J・フォックス(声のみ)

養子をもらいに孤児院に行ったら、子供に混ざって何の脈略もなくネズミがいる。
説明もなーんにもなし。
でもって、そのネズミ(スチュアート)はリトル家に引き取られることになる。
だからといって全ての動物が人間としゃべれるわけではない。猫とスチュワートは会話できるが、猫と人間は会話できない。
ごーいんな脚本だねぇ。 ここまでくるといっそすがすがしい。
普通は、何故ネズミが人間がしゃべれるのかだとか、何故孤児院にいるのだとか、いろいろ考えてしまうものだが、そこら辺がさっぱりと切り落とされている。
冒頭の部分で「あー、ファンタジーなんだなぁ」と気づかないと作品に溶け込めないまま終わってしまうかも。
子供だと、そんな細かい話の辻褄なぞ気にせずに、話に入っていけるのかな?
不明。

スチュワートのSFXに力を注ぎ込みすぎた感があって、当初、スチュアートを気に入らなかったリトル家の実子の男の子(名前忘れた)との確執や、だんだんと仲良くなっていく描写がほとんどなかったのが不満。そこがこの作品の見せ場だったと思うんですが。

パーキンソン氏病のマイケル・J・フォックスがスチュワートの声を演じています。
エンディングで『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のオマージュシーンもあるなど、マイケル・J・フォックスのファンは観ておいて損は無いかも。
マイケルのスクリーン復帰はあるのかな。クリストファー・リーブは車椅子の役で復帰しましたが。(そのままですけどね)

『スターリングラード』(2001) 監督・脚本:ジャン・ジャック・アノー 出演:ジュード・ロウ/ジョゼフ・ファインズ/レイチェル・ワイズ/ボブ・ホスキンス/エド・ハリス

ああっ、ドイツ軍の制服を着たエド・ハリスのなんと凛々しいことっ!
あの深い青色の瞳に、わたし吸い込まれそうですわっ。
とか、おもわずエド・ハリス萌えしてしまうぐらいエド・ハリスがカッコいいんである。
もっとも敵役の狙撃兵なのだが。

一人のロシア狙撃兵が、政策によって新聞にて英雄に祭り上げられていくのだが、そのあたりがもう一つだったかな?。
監督はジャン・ジャック・アノーなんであまり期待していなかったが、その程度の出来。
主人公が狙撃兵だけあって狙撃シーンはなかなかいい。
気に入っているのは主人公のスコープの反射した光で主人公が隠れているのにエド・ハリスが気づくところっすね。
ラストは狙撃のためにお互いに潜んだままのシーン。
先に動いて居所を知られた方が負けの持久戦なのだが、どういうわけか、面と向かっての西部劇風の決闘になってしまった。

ちょこっと戦争映画の範疇とは違うかもしれないが、やっぱり戦争映画はいいなぁ。
エド・ハリスもいいんである。

『ショック集団』(1963) 監督・原作・脚本:サミュエル・フラー 出演:ピーター・ブレック/コンスタンス・タワーズ/ジーン・エヴァンス/ジェームズ・ベスト

 精神病院に潜入した記者が出会う狂った世界。
 正気が失われていく。逃げ道なしのいく先にあったのは...
 精神病をかわいそうだとかの同情など下らないことはいっさい排除して、病院内の狂気を描ききっている。
 これじゃ実は精神病棟ではなく日常の世界かも知れない。あなたの隣人やあなた自身が狂っていないと誰が断言できよう。
 なんといっても黒人のKKK団員が面白かった。

『タイタンA.E』(2000) 監督:ドン・ブルース/ゲイリー・ゴールドマン 声の出演:マット・デイモン/ビル・プルマン/ジョン・レグイザモ/ドリュー・バリモア

人物は昔ながらの手書きアニメ、背景は3DCG。特色によるスタイルですが、最後まで違和感が拭えませんでした。全く違うものの組み合わせって、やはり難しい。
マット・デイモンらが声優をやっていますが、とりわけて特徴がある声というわけでもないので、ピンとこない。
破壊された地球を再生するために箱舟的宇宙船タイタンを探す旅が始まり、スター・ウォーズばりのアクションが繰り広げられますが、もう一歩燃えてこなかった。
ふと思い出したのが日本のアニメ『レンズマン』
たぶん15年ぐらい前の作品だと思うんですが、あれもCGの導入が話題の一つだった。
『タイタンA.E』はその『レンズマン』ぐらいのレベルかな。(もちろん、CGは飛躍的に進化していますが、映画としての演出レベルのこと)
日本のアニメは1?2世代ぐらい先を行っているように思います。
しかし、何で映画館で観てるんだろう『レンズマン』

『スパイキッズ2 失われた夢の島』(2002) 監督:ロバート・ロドリゲス 出演:アントニオ・バンデラス/カーラ・グギーノ/アレクサ・ヴェガ/ダリル・サバラ/スティーブ・ブシェミ

 うちの近くのシネマコンプレックスでは日本語吹き替え版しか上映していなかったところからも、メインの観客層が子供であることがわかる。
 とにかくひたすら悪ノリの映画で、無駄にスゴイVFX、無駄にスゴイアクション、無駄に力の入った演技の役者。この無駄っぷりを楽しめるかどうかで評価がまるで変わってしまうだろう。一言で現すならば「カートゥーン(トムとジェリーなんかのアニメ)を実写でやった」といったところだろうか。
 前作では様々なスパイ小道具が楽しませてくれたが、今回は電子機器などを全て向こうにしてしまう"トランスムッカー"という装置がストーリーの焦点になっており、せっかく重いのを我慢して持ってきた小道具は全て役に立たない。そんな中で、いざというときに役に立ってくれたのが一本の輪ゴムというのがなかなかよろしい。ただ、全体的に"お子様"スパイである意味があまりなくなっているのが残念なところか。
 主人公であるお子様のおじいちゃん・おばあちゃんが登場するのだが、この二人はアントニオ・バンデラスの奥さんの両親である。日本では旦那のお母さん、つまり姑さんがうっとおしいものとして出てくることが多いが、アメリカ映画では奥さんの親、特にお母さんの場合が多い。文化の差であろう。でもって、このおじいちゃん・おばあちゃんも元スパイなのだが、おじいちゃん役は『スタートレック2カーンの逆襲』のカーンを演じたリカルド・モンタルバンである。ラテン系ということもあってそうなったのだろうが、元スパイなのだから個人的にはロバート・ボーンかピーター・グレイブスあたりにやってほしかった。でも、生きてるのかな?二人とも。
 遺跡の中で見つける黄金の像が『レイダース失われたアーク』のオープニングに出てくるやつそっくりだったり、剣を持って襲ってくるガイコツ兵士やクモの怪物なんかがレイ・ハリーハウゼンの『シンドバッド』シリーズあたりのオマージュだったりと、細かいギャグもあり笑える
 父親役のアントニオ・バンデラス、トランスムッカーが隠された島に一人で暮らしているマッドサイエンティスト役のスティーブ・ブシェミ、スパイ小道具開発者(007のQのような役割ですな)はダニー・トレホとロバート・ロドリゲス組がバックを支える中、見るからに楽しんで演じている子供たちのハチャハチャぶりが楽しい。

『少林サッカー』(2001) 少林足球 監督:チャウ・シンチー/リー・リクチー 出演:チャウ・シンチー/ン・マンタ/ヴィッキー・チャオ/カレン・モク/セシリア・チャン/ヴィンセント・コック/ウォン・ヤッフェイ/チン・グォクン

 いーぞー、『少林サッカー』は。
 笑い、燃え、そして泣ける。
 チャウ・シンチーが蹴ったボールは衝撃波を撒き散らし、ボールにぶつかった人は木の葉のように吹っ飛ぶ。器械体操の鞍馬の要領でボールを操る男が出てくる。デブが華麗に宙を舞う。ブルース・リー似のキーパーが「さぁシュートしてみろ」と手で招く。鉄の頭をしたオヤジのヘディングがきまる。そしておねぇちゃんがバナナの皮で滑って転ぶ。今時、バナナの皮で滑って転ぶなんてシーンが観られるとは思わなかったぞ。

徹底してバカ。もうどーしよーってぐらいにバカ。
 次から次と繰り出されるギャグの嵐にひたすら翻弄される。イケてるギャグからしょーもないギャグまであれこれと詰め込んであって、さすが中華料理の国だ。ギャグの満願全席。
 そして『ドラゴン・ボール』のようなアクションが実写で表現されている。そのためにCGIが使われているのだが、それは『マトリックス』をはるかに超えている。これこそ正しいCGIの使い方だ。もちろん、役者がちゃんと肉体訓練を行っているからこそ、VFXも活きてくるのだ。

 さらに、この映画のテーマは優れた技術を習得していながら、社会が変わってしまったためそれを活かすことが出来ず、誇りを失い進むべき道を失っていた男たち+女性1名が、自らを再生しそして復活していく物語なのだ。
 最初の練習試合で、反則暴力行為おかまいなしのチームと対戦し、殴る蹴るでボコスコにされ、ついにはパンツまで頭にかぶせられてしまう。
 それまでだったら、そのまま負け犬の道を選んでいただろう。しかし、彼らは悔しがり惨めがる中で、逃げ出さずに戦いの道を選ぶ。
 そして彼らのクンフーはよみがえる。
 映画中盤のこのシーンが個人的には一番肝だと思う。泣けるって、いやほんとに。

 トーナメントの最初の対戦チームに『食神』で悪いコックを演じていた人がいるが、少林隊に得点を取られまくる中、彼は叫ぶ。
「こんなのはサッカーじゃない。俺はサッカーがやりたいんだ!」
 それはある意味正しい。
 ただ、少林隊のはサッカーじゃなくて少林サッカーなのだ。

『シャンハイ・ヌーン』(2000) 監督:トム・ダイ 出演:ジャッキー・チェン/オーウェン・ウィルソン/ルーシー・リュー

『シャンハイ・ヌーン』、『シャンハイ・ヌーン』って字ばかり見ていたので気づきませんでしたが、『SHANGHAI NOON』ってタイトルは『HIGH NOON(邦題:真昼の決闘』のオマージュだったんですね。劇場にてスクリーンでタイトルを見てようやく気づきました。
いかに、普段から物を考えていないかが分かるエピソードです。
あと、ジャッキーの役名のチョン・ウェンがジョン・ウェインと聞き間違えられて、「そんなのは西部の男の名前じゃないぞ」と言われるなどのくすぐりもあります。
あと、ワイアット・アープとか。

『ラッシュアワー』はジャッキーのアクション面に関して言えば不満の残るものでしたが、今回の『シャンハイ・ヌーン』はジャッキー自ら立案の企画だけあって、ロープや酒場の置物などを上手く利用して、細かいアクションやってました。 最近のジャッキーとしては珍しいクンフーっぽい武器を使っていたのも、アメリカ市場での観客へのわかりやすさのためでしょう。かなり練りこんだ企画だと思われます。
ジャッキーは早くから監督や製作をやっていましたからね、企画力や演出力もある人です。
難点を言えば、人物の整理がうまく出来ておらず、ジャッキーと結婚するネイティブアメリカンの娘は
危機一髪のときに助けに来るだけの、単なる便利キャラとなっていた点ですかね。
それでも、主役級の人物にはみんなそれぞれ見せ場があります。
ジャッキーの相棒ロイの弾丸1発しかない銃撃戦はいいですよ?。
あと、ラストの決闘シーンだけ観ると、ジャッキーより悪人にさらわれたペペ姫の方が強そう・・・

『ラッシュアワー』に次ぐ今作もバディ・ムービー(相棒映画)となっています。
今回の相棒ロイは口は立つが腕は立たないガンマン。
ジャッキーの英語がイマイチな点を考えると、今後もこのパターンが続きそうです。

ジャッキーのアクションの基本形は、攻めることではなく逃げることだと改めて思った次第。
あと、投げたオノを軽く相手にキャッチされるギャグは『プロジェクトA2』でもやってたよな。

『シックス・デイ』(2000) 監督:ロジャー・スポティスウッド 出演:アーノルド・シュワルツェネッガー/トニー・ゴールドウィン/ロバート・デュヴァル/マイケル・ルーカー

『ターミネーター』をリアルタイムで観たものの宿命として、アーノルド・シュワルツェネッガーの出演作は観てしまうのだ。
『キンダガーデン・コップ』や『ジュニア』のような観る前からつまらなそうな作品だって観るし、それどころかシュワルツェネッガー監督作品の『キッチン・ウォーズ 彼女の恋は五つ星』だって映画館で観た。
もちろん、『シックス・デイ』も観てしまうわけである。

「いきなりの日テレジブリ豚の遠吠えには驚きましたね」

提供のパイオニアや日テレのクレジットから始まったからな。その後には東宝東和配給ならではの邦題のクレジット。変わる物があれば変わらぬ物もありだ。

舞台は近未来。ごくごく近い近未来だとオープニングで語られる。
クローン技術の発展に伴い、人道的立場から人間のクローンを禁止する法律"6d法"が制定された時代。
シュワルツェネッガー演ずるアダムは悪人の手によってクローンされてしまう。家に帰ったら自分がもう一人いるではないか。あいつは誰?俺は誰?とか言っている間に事件に巻き込まれていくのだが・・・

まず、悪人たちがアダムをクローンする理由がバカ。
単なる人違いってどういうことだよ。

「一人をクローンするのに120万ドルかかるって言ってましたが、そんなにお金がかかるなら、クローンする前にちょとした事前調査ぐらいすればいいと思うんですけどね」

悪人たちの人数は少ないんだけど、殺しても殺してもまたクローンで生き返ってくる。
生命の倫理もへったくれもあったもんじゃないな。
アダムの職業は観光ヘリのパイロットなのだが、そのくせして敵の本拠地に乗り込んだときに、監視カメラをレーザーガンで正確に射撃するなど戦闘慣れしているんだ。軍隊に所属していたことがあって、戦争経験もあるらしい。
ベトナム戦争ってことはないだろうから、するってーと、近未来までにアメリカはまた戦争をするんだな。
どこの国が相手なんだろうねぇ。世界情勢から考えるに北○○かな?
(その後、アフガニスタンでドンパチがありました)*追記
(と思ったらイラク戦争でした)*追記

「すると、日本も巻き込まれるんですかね」

う?ん、どうかねぇ。でも、ショッピングモールにPioneerの広告が出ていたから日本は無事なんじゃないか?
そして、最後は二人のアダムが一緒になって敵の本拠地で大暴れだ。
ジャン・クロード・ヴァン・ダムの『ダブルインパクト』やジャッキー・チェンの『ツインドラゴン』みたいなもんだ。
ちょっとしたどんでん返しや主人公の名前がアダム(当然、最初の男性だわな)といったところはあるが、特にここがスゴいってのはなかった。
ロバート・デュバルやマイケル・ルーカーが出ていたのが収穫かな。

『地獄への挑戦』(1949) 監督:サミュエル・フラー 出演: ジョン・アイアランド、プレストン・フォスター

たった10日で撮影された、サミュエル・フラーの監督デビュー作。
親友ジェシー・ジェイムズを射殺した男が破滅していく様を描いているが、ジェシーを撃つまでになかなか思い切れなくて迷っているところなどが面白い。
この頃からフラーの徹底したシビアさが画面から伝わってくる。

『殺人地帯USA』(1961) 監督・脚本:サミュエル・フラー 出演:クリフ・ロバートソン/ドロレス・ドーン/ベアトリス・ケイ

 少年は父が殺されるのを目撃する。
 大人になった少年は、偶然出会った殺人者の一人から残りの3人の素性を聞き出す。
 犯罪組織のボスとなった殺人者に復讐するために男は組織に潜り込む。
 殺しの前に必ずサングラスをかける組織の殺し屋。
 繰り返される殺人。

 なんせ特別公開ということで字幕がないままだったから往生した。英語はなぁ・・・。もちろんフランス語とかドイツ語とかもダメだけどさ。
 代わりに画面だけに熱中することが出来たのでたまにはそういうのもいいだろう。

『サイン』

user-pic
0

『サイン』(2002) 監督・脚本:M・ナイト・シャマラン 出演:メル・ギブソン/ホアキン・フェニック/ロリー・カルキン/アビゲイル・ブレスリン

 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で"The"を省略せずにちゃんと邦題(といってもカタカナ化しただけですが)に含めておいたというのは、結構画期的だったわけです。なかには『ザ・インターネット』などという、そりゃ母音に付いてるんだから『ジ・インターネット』なるんでないかい?なんてのもありましたが。
 しかし、複数形の"s"に関しては相変わらず省略されているのがほとんどで、『サイン』もこれ原題は『SIGNS』ですから正確には『サインズ』ですよね。"サイン"とはミステリーサークルが世界中の畑などに出現し、それが実は宇宙人が道案内に付けた"サイン"のことなのですが、おそらくは"神が示した奇跡"という意味もあるのではないのかと。ただ、わたしの英語はてんでダメですので、詳しくは菊池浩二にでも聞いてください。

 でもって、『サイン』ですが、これはある日メル・ギブソンのトウモロコシ畑にミステリーサークルが出来る。最初は悪ガキのいたずらだと思っているのだが、世界中の畑に出現する。そして、UFOが空を飛び始め人が襲われたとテレビなどが報道する。果たして人類の命運やいかに・・・。しかし、この作品はSF映画でもサスペンス映画でもありません。
実は宗教映画だったのです。

 主人公のメル・ギブソンは元は牧師だったのですが、妻の交通事故死により神を信じることが出来なくなり信仰を失ってしまいます。それが、宇宙人の襲来で弟と自分の二人の子供と共に家に立て籠もり、戦いの中で(といっても大した戦いではありません。そもそも宇宙人の弱点というのが・・・秘密にしときますが、「そりゃないだろ」っていう弱点です)神の奇跡に出会い信仰を再び取り戻す、とまぁ言ってしまえばそれだけの映画です。『シックス・センス』や『アンブレイカブル』と同じくストーリーには相変わらず何のヒネリもありません。シャマランの脚本は毎回「衝撃の」とか「意外な結末」とか言われてますが、ほんとーにそーなんでしょうか?わたしには「また、そのまんまかよ」としか思えないんですが。

 UFOや宇宙人にしろほとんどがテレビのニュースでの粗い映像ばかりで、実際の宇宙人がスクリーンに姿を現すのはラストのほんの短い時間。それも暗い室内においてなのではっきりとは分からないというのは上手い表現だと思います。『リターナー』のこれみよがしのVFXとは大違いです。
 しかし、脚本・監督のM.ナイト・シャマランが妻を車で轢き殺してしまった男の役でまたもや出演までしているのはちょいと調子に乗りすぎ。
 メル・ギブソンが家に帰ると子供達と弟が宇宙人に思考を読みとられないためにアルミホイルで作ったヘルメットを頭にかぶっているなど、笑えるシーンもいくつかあったのですが、劇場内はシーンとしていて笑っているのはわたしだけでした。なんでやねん。

 ところで、宇宙人を退治してメル・ギブソンは神の奇跡を認めるんですが、宇宙を神様が作ったんならば宇宙人も神様の手によるはず。神様は宇宙人は助けてあげないんでしょうか?結局キリスト教徒しか救ってくれないの?えこひいきなんだね神様って。

 評価:100円 キリスト教徒の人ならば評価は違うのかもしれませんが、わたしは宗教には興味がないのでこの金額になりました。宗教映画というのはまぁほとんどが退屈な物と相場が決まってます。

『サイダーハウス・ルール』(1999) 監督:ラッセ・ハルストレム 脚本・原作:ジョン・アーヴィング 出演:トビー・マグワイア/シャーリズ・セロン/デルロイ・リンドー/ポール・ラッド/マイケル・ケイン

孤児院で望まれぬ子として生まれ、2度引き取られるも2度とも孤児院に返されてしまい、そろそろ少年から青年になりかかった一人の男。
そんな主人公の"自分探し"のお話です。

自分は何のために生まれたのか、自分は何をすべきなのか、自分を必要としてくれる人はいるのか。
孤児院を出た主人公は果樹園(Cider house 果実もぎ労働者の宿舎)で働き始めます。
人は出会い、愛し合ったり、時には死んだりもします。
そして主人公は自分のなすべき仕事を見つけます。
それは、彼の中にもともとあったものなのか、出来事の中で生じたものなのか。
なにはともあれ、彼は自分を見つけます。
自分探しか?、若いときに一度はかかるハシカみたいなもんだよなぁ。かからない人はかからないけどね?。

てなことよりも、マイケル・ケインがやはりいい。
シリアスからコメディまでこなすイギリス俳優の鑑。
時々、『ジョーズ87復讐編』などわけの分からん作品に出る仕事を選ばないあの姿勢。
カッコいいですな。
今回はシリアスなマイケル・ケインでしたが、動きひとつひとつがとても洒落てます。
マイケル・ケインファンなら観るべし。
おやすみ、メイン州の王子。ニュー・イングランドの王

『最終絶叫計画』(2000) 監督:キーナン・アイヴォリー・ウェイアンズ 出演:アンナ・ファリス/ジョン・エイブラハムズ/ショーン・ウェイアンズ

ホラー映画をパロったバカ映画。
ベースとなっているのは『スクリーム』シリーズと『ラストサマーシリーズ』ですが、他にも『マトリックス』、『ブレアウィッチプッロジェクト』などてんこ盛り。
逆に言えば、そこら辺の作品を観ていないと、取り残されてしまうかもしれない。
わたしはパロディのもとになる作品はかなり観ていたが、この映画はほとんど笑えなかった。
ガスレンジにかけていたポップコーンが、電話中に超巨大に膨らんでいるとか、殺人鬼に追いかけられて、階段からおばあちゃんやピアノなどを落とすというギャグのためのギャグでは少し笑ったが、全体的に悪い意味での下品であふれかえっていて、「下ネタやりゃあ客は笑うだろう」という安易さが見て取れる。
バカと頭が悪いは違うわけで、個人的分類としてはこの作品は頭が悪い映画になる。

映画館で話しまくり携帯電話かけまくりの女の子が、殺人鬼が殺そうと思っている間に怒った周りの観客によってたかって殺されてしまう場面はよし。

『60セカンズ』(2000) 監督:ドミニク・セナ 出演:ニコラス・ケイジ/アンジェリーナ・ジョリー/ロバート・デュバル

主演のニコラス・ケイジなんだが、『コンエアー』とか『ザ・ロック』とか最近はマッチョ的な役柄が多いな。
昔は貧弱な坊やの見本のような男だったのに。
ブルワーカーを使ったかな?

「そんなわけないでしょ」

んじゃ、トータル・ジム。

「それはチャック・ノリスですってば」

顔的にはロバ似で間延びしてるから2枚目俳優じゃないと思うんだが、アメリカでは感覚が違うのかな?いや、嫌いな役者じゃないんだが。神経質っぽい切れた演技とか好きだな。
『ワイルド・アット・ハート』なんかは好きなんだが。

全体的にダラダラした印象は拭えなかったね。
ラストのカーチェイスになってからようやく少し盛り上がるが、それもたいしたことない。
だいたい、ようやく盗んだ高級車なんだから、壊しちゃダメだろニコラス・ケイジ。
仲間の裏切りとか、ヘロイン入りの車を盗んだんだからそれで一騒動あるとか、もっとアイディアはいろいろあると思うんだが。
ロバート・デュバルを久々に観れたのが数少ない収穫かな。
まぁ、無理して観る作品ではなかった。
そもそも、なんでいまさら『バニシングin60』のリメイクをするのかが分からない。
車泥棒の話しを撮ろうと思ったら、たまたま思いついたのかな。

『クリムゾン・リバー』(2000) 監督:マチュー・カソヴィッツ 出演:ジャン・レノ/ヴァンサン・カッセル/ナディア・ファレス

思いっきりネタバレしますので、未見の方は気をつけて。

地上50mの断崖絶壁に吊るされていた胎児の形に縛られていた猟奇的な死体。
それを捜査するジャン・レノ。
かたや、墓荒らしと小学校の資料室荒らしを捜査するヴァンサン・カッセル。
このまったく別々に思えた事件が、いつの間にか結びついていく。
ちょいと唐突な感がしないでもないが、演出は割に丁寧なので気にならない。
ただ、二人が別々に捜査しているときの方が魅力的で、二人が一緒になってから少しトーンダウンしてしまう。
1+1=2になっていないのが残念なところ。
結論から言ってしまえば、この映画の悪役はナチスドイツとかファシズムです。
頭の優れた人と身体の優れた人の子供は頭も身体も優れているという『優生学』。その考えに基づいて運営されている大学が悪役なのである。
フランスにとってはドイツという国は許せても、いまだナチスドイツは悪なのだ。

その大学に復讐するために殺人犯は殺人行為を繰り返し、最後には雪崩で大学を埋めてしまおうとする。その犯人はジャン・レノが惚れたヒロイン、とラストまで思わせながら、唐突にそのヒロインの双子の姉妹が登場。
その姉妹が真犯人だったのだ?!!なんという衝撃的なラスト!!
って、分かるかい、そんなの。
大体、その姉妹は20年も前に死んだはずになっていたのが実は生きていたってことなのだが、その20年間、どこでどうやって暮らしてたんだ?
原作小説があるらしいので、そっちではもう少し詳しく書かれてるんでしょうが。

『セブン』あたりを思わせるサイコ・サスペンス的な部分。
『バーティカル・リミッツ』あたりを思わせる山岳でのアクションシーン。
わりにハリウッド的な印象のフランス刑事映画でした。

フランスでヒットしたのは分かるのだが、日本でヒットした要因は何なんだろう?女性の観客が多かったしジャン・レノ人気なのかな。

「ジャン・レノってそんなに人気あるんですか」

『レオン』とかあるし、CMにも出てる。わたしは大好きなんだがな。

『クリムゾン・キモノ』(1959) 監督・脚本:サミュエル・フラー 出演:ジェームズ繁田/グレン・コーベット/ヴィクトリア・ショウ/アンナ・リー

 突然殺人が起こるオープニング。
 この事件を追う白人と日系人の二人の刑事を描いているが、刑事映画よりも白人の絵描きの女性を巡る三角関係が中心になる。
 白人刑事は絵描きに惚れているが、絵描きは日系刑事と恋に落ちてしまう。
 犯人も含めてごく普通の人ばかりなのに突然起こる暴力。感情の爆発。
 ストーリーに意味はない。その素晴らしさ。

『グリーンマイル』(1999) 監督・脚本:フランク・ダラボン 原作:スティーヴン・キング 出演:トム・ハンクス/デヴィッド・モース/ボニー・ハント/マイケル・クラーク・ダンカン/ジェームズ・クロムウェル/マイケル・ジェター/グラハム・グリーン/ダグ・ハッチソン/サム・ロックウェル/バリー・ペッパー/ゲイリー・シニーズ/ハリー・ディーン・スタントン

監督は『ショーシャンクの空に』のフランク・ダラボン。
結論から言ってしまえば、原作に忠実にまじめに撮っている。
しかし、それだけ。
『ショーシャンクの空に』もそうであったが、この監督は自ら描きたいシーンというのはないのであろうか?
原作の通り、まじめに。そのまじめがいけないのか?
『ショーシャンクの空に』の原作が『刑務所のリタ・ヘイワース』という題であったり、『グリーンマイル』が全6巻を1ヶ月ごとに分けて出版するといった、キングが持っている茶目っ気が抜けているのである。
全編を通して、これといった突出したシーンもなく、観ていて退屈とまではいかないが、原作を読んでいれば観る必要はない。
とにかく、3時間は長すぎるんじゃないだろうか。

ハリー・ディーン・スタントンが死ぬほどもったいない使い方されてます。
あの名優(奇優?)を・・・もったいない。

『グリーン・デスティニー』(2000) 監督:アン・リー 出演:チョウ・ユンファ/ミシェル・ヨー/チャン・ツィイー/チャン・チェン

コロンビアピクチャー作品だからハリウッド資本のアジア映画といったことになるのかな。
まてよ、コロンビアピクチャーはSONY資本か。
昔の中国を舞台に、二組の男女の愛が剣劇と共に繰り広げられる。

「なんていうか、チグハグな感じのする映画でしたね」

そうだね。ロマンス部分とアクション部分が完全に乖離してしまっているよね。まるで2本の映画を無理やり編集で1本につなげてしまったかのようだ。
シーンとシーンを黒身カットでつなげるなどの手法を取っていたり、全体の演出から考えるに監督は文芸肌の人なんじゃないかな。ロマンス映画に無理やりアクションシーンを押し込んだってのが本当のところかな。

「でもアクションの出来は良かったですね。アクション監督は『マトリックス』でクンフーの振り付けをやったユエン・ウーピンですし。茶店での闘いのシーンなんかカッコよかったですよ」

うん。とにかく人が飛ぶ、跳ねる。
屋根の上から上へと飛ぶ、竹林の枝の上を飛びながら戦う、水面すら跳ねて飛ぶ。
『チャイニーズゴーストストーリー』とかの頃は吊っているワイヤーが丸見えだったけど、CGや合成を使ってワイヤーを消しているんだろうね、全然見えなかった。

チョウ・ユンファとミッシェル・ヨーが出演していて、二人は心の奥で愛し合っている。
役者としての格から考えれば二人が主役なんだろうけど、本当の主役はもう一組の若い男女の方かな。あえて言うならチョウ・ユンファとミッシェル・ヨーは特別出演っぽいね。
個人的にはチョウ・ユンファの剣劇シーンが観れたから満足かな。かなり練習したんだろうね。

「チョウ・ユンファってアクションはどうなんですか」

喫茶店でウエイターをやりながら俳優を目指していた人だから、例えばジェット・リーみたいな武術を鍛錬してきた人とは違うね。銃を使ったアクションは多いけど、クンフー的なアクションは『狼たちの絆』で観たぐらいかな。
今回も激しいアクションはミッシェル・ヨーに任せてるしね。

『キング・ソロモンの秘宝』(1985) 原作:H・R・ハガード 監督:J・リー・トンプソン 出演:リチャード・チェンバレン/シャロン・ストーン/ハーバート・ロム

 『レイダース失われたアーク』が1981年だから、時期的には二番煎じな作品なのですが、H・R・ギーガーじゃなかったH・R・ハガード原作でして、1937年など過去にも映画化されているので、そもそもはこちらが本家と言えなくもないかと。『レイダース』はスピルバーグとルーカスが昔の冒険活劇みたいやりたいってんで作ったんですからね。
 アフリカを舞台に冒険野郎クォーターメインと行方不明になった考古学者である父を捜す女性が、キング・ソロモンの秘宝をめぐってドイツ軍とやりあう。と、典型的な冒険物語です。人食い人種に巨大な鍋で煮られて食われそうになるなんて、今時なかなかありませんよ。
 ドイツ軍の乗った列車に銃を持って突っ込んだクォーターメインが、あまりの敵の多さにラッパを吹いてごまかすなど笑えるシーンも多く、分類上はアクション・コメディですかね。
 ドイツ軍側の悪人として『レイダース失われたアーク』でインディに協力するエジプト人をやっていた人が出ています。このキャスティングはわざとなんでしょうねぇ。こいつは底なし沼に兵隊を進ませておいてそこを機関銃でバリバリ撃ち、その死体の上を歩いて渡るなど、根っからの悪党です。
 監督はJ・リー・トンプソン。ベテランらしくきっちり楽しませてくれます。主役はリチャード・チェンバレンとシャロン・ストーン。この頃のシャロン・ストーンは割と良かったですね。その後はどーにかしてくれって女優になってしまいましたが。
 続編も作られましたが、そっちはクソです。

2003.09.26追記
 『キングソロモンの秘宝』のDVDが出る?。
 同じアラン・クォーターメインが主人公の『リーグ・オブ・レジェンド』の公開が近いからだろうか?
 『リーグ・オブ・レジェンド』のクォーターメインはショーン・コネリーだが、こちらはリチャード・チェンバレン。わりと好きな役者なんだが、あまり賛同を得たことがない。やはり『タワーリング・インフェルノ』がいかんかったのかなー。そういえば、『ボーン・アイデンティティー』が昔テレヒューチャーになったときボーンを演じたのもチェンバレンだった。記憶がない状態で、渡された拳銃を本人が意識することなく勝手に手が動いて分解するシーンがカッコよかった。
 てなわけで、12月5日に発売である。
 それにしてもDVDの通販サイトディスクステーションでの商品紹介がなんとも悲しくて・・・ストーリー紹介の最後に
 「冒険映画の要素は充分備えているのに、安っぽい効果と要領を得ない演出が退屈な作品にしてしまっている。」
 だって・・・きっちり冒険コメディ映画に仕上がってるわい。安っぽい効果ったって『レイダース』とは予算が1桁か2桁は違うんだぞ。要領を得ない演出だと、監督は御大J・リー・トンプソンだぞっ!っていうか、ほぼ基本通りに冒険ものの演出やってるぞ。どこが"要領を得ない"んだ?ひょっとして、時々入る不条理系のギャグをあんたが理解できてないだけじゃないのか。
 どうにも売る気がないんじゃないかと思わせる商品紹介だ。いらない物まで思わず買わせてしまうテレビショッピング(特に海外系)の話術を見習えっ! じゃぱねっとたかたの社長に弟子入りしてこいっ!

『キラー・バグズ』(2002) 監督:ジョシュ・オルソン 出演:ザック・ギャリガン/リサ・アン・ハドリー/ダニエル・ジェンキンス/エイミー・ジョー・ジョンソン

 レンタルビデオ屋の新作棚に『キラー・バグズ』(2002)というのがあったので借りる。
 観終わった感想としては「うわー頭悪い映画?」の一言。
 借りようかな?と手を伸ばしているB級映画好きのあなた。考え直す余地はあります、B級というよりD級。

 昆虫パニック映画+ゾンビ映画+復讐映画という構成からしてすでにわけ分かりません。あと侵略者映画も入ってますね。ラストは『SF/ボディ・スナッチャー』(1978)まんまのカットだし。
 なんの複線もなく唐突に登場する犯人には驚くというより「何故?何で?っつーか誰?」で、少しは考えて脚本書けって感じです。
 ハエぐらいの虫の襲来や虫に襲われてゾンビ化した首無し人間などはCGで作られています。CG技術の向上によってこれまで描写できなかった映像を作り出すことが可能になったのはいいのですが、考えなしに使うとこうなるよという見本のような映画です。
 唯一収穫だと思ったのが、虫を一カ所に集めて燃やして退治しようという時の、その火種がチャッカマンなのです。
 なるほど、アメリカにもチャッカマンはあるんですね。なるほど、バーベキューとかで重宝しそうです。向こうではなんという名前なんでしょうか?Chyaka-MAN

『キャプテン・ザ・ヒーロー 悪人は許さない』(1983) 監督:フィリップ・モーラ 出演:アラン・アーキン/クリストファー・リー

 監督のフィリップ・モーラは『ハウリング2、3』などのどーでもいいような駄作ばかり撮っている人なんですが、そんな人でも何作も創っていれば時として傑作を生み出すこともあるのです。この映画、傑作です。笑えます。カッコいいです。イカしてます。
 主人公はキャプテン・インビンシブルとしてアメリカを守っていたスーパーヒーローです。しかし着ているマントが共産主義の象徴赤色だから共産主義者だとなどと言いがかりをつけられ、赤狩りにあってアメリカを追われてしまい、今ではオーストラリアでホームレスになりアルコールにおぼれた生活をおくっています。
 そんな彼にアメリカ大統領直々の依頼が来ます。悪の帝王ミスター・ミッドナイトが催眠術でマンハッタンに黒人やユダヤ人を集め、地震発生装置で地震を起こして(だったかな?)彼らを根絶やしにしようとしているのです。彼は悪に挑むべく再び立ち上がりますが、空を飛ぶ能力すら失ってしまっているのです。そこで、リハビリ訓練を始めるのですが、果たして彼はスーパー能力とプライドを取り戻してミスター・ミッドナイトに勝つことが出来るのか否か?!

 作品としてはコメディなんですが、失意のヒーローが力と誇りを取り戻していく様は感動的です。空を飛ぶ時の「In to the Blue!」、磁力を発生させ金属を操る時の「Magnet On!」、これらのかけ声も最初は情けないのですが段々カッコよくなっていきます。
 それと、所々ミュージカルタッチになります。なにぶん観てから10年は経っていますので歌詞は曖昧ですが、悪と善との区別が付かなくなってしまった現代をキャプテンが嘆いて歌う「良い奴と悪い奴?、昔は区別が付いていた。良い奴は白い帽子、悪い奴は黒い帽子、一目で分かった。それが今ではどっちが白い帽子でどっちが黒い帽子か、ヒーローでも区別が付かない?」とか、酒から立ち直ったキャプテンをまた酒に溺れさせようとお酒の山を前にしてミスター・ミッドナイトが歌う「ジン、ラム、モスコミュール、テキーラサ?ンライ?ズ?」。そしてエンディングの「彼はアメリカンドリーム、ア?メリカ?、なんたらかんたらキャ?プテン、インビンシブ?ル?」。どれもこれもイカしてます。サウンドトラックが是非とも欲しい!んですが、出てないでしょうなぁ。
 主役のキャプテン・インビンシブルはアラン・アーキン。そしてなによりミスター・ミッドナイトを演ずるクリストファー・リーがメチャクチャカッコいい。黒ずくめの格好が似合っています。やはり悪役がいいと物語は盛り上がりますね。クリストファー・リーは近作『ロード・オブ・ザ・リング?旅の仲間?』でも悪の魔法使いを堂々と演じていましたね。
 ビデオはとっくに廃盤のようですが、なんとかDVDで出してもらいたい一作です。

『鬼軍曹ザック』(1950)
監督・原作・脚本:サミュエル・フラー
出演:ジーン・エヴァンス/ロバート・ハットン/スティーヴ・ブロディ/ジェームズ・エドワーズ/リチャード・ルー/ウィリアム・チャン


 最前線物語を思い出させる「戦場では生き残ることが全て」という作品。
 第二次大戦の生き残りザックは朝鮮人の少年にも同じだけ荷物をもたせ、対等に扱う。
 アメリカ兵の死体については「死人の事は放っておけ」と関心を払わない。
 はみ出し者の部隊の中で最後まで生き残るのは、黒人の衛生兵とハゲ頭と日系人とそしてザックの4人だけである。
 少年の書くお守り。
 ザックは自分で捕虜を撃っておいて、衛生兵に必ず助けろと怒鳴る。
 生き残った者は、また部隊に加わり戦場を歩き始める。
 最後の言葉「彼らの戦いに終わりはない」

 この映画を観て「戦争は良くない」などとだけ言うことの貧しさとつまらなさ。

『オーロラの彼方へ』(2000) 製作・監督:グレゴリー・ホブリット 出演:デニス・クエイド/ジム・カヴィーゼル/エリザベス・ミッチェル/アンドレ・ブラウワー/ノア・エメリッヒ

最大のメッセージは『煙草を吸うと肺ガンになるから止めましょう』ってことだな。

「オチからいうとそうかも知れませんが、オーロラによる超自然現象によって、
    無線機で30年の時を超えた父と息子の親子愛の物語でしょ」

予告編を観たときはそうおもったんだけどね?。
実際に観に行ったら、もっと意外な作品だった。良い意味で期待を裏切られたって感じかな。
まずは30年前に死んだ父と無線機で話しが出来るというファンタジーとして始まり、息子のアドバイスによって父親が助かる。しかし、そのことによって未来が変わりタイムパラドックスが起きる。ここら辺はSFだね。
そして看護婦ばかり狙う連続殺人鬼に看護婦である母親が殺されてしまい、そこから1969年の父親と1999年の息子とが力を合わせての犯人追跡が始まる。サスペンススリラーだよね。

「なんか、ジャンルがてんでバラバラですね」

うん。 これだけの違った要素を1つにまとめあげた脚本が良く出来ている。
例えば、ラストで使われる散弾銃にしても、映画の冒頭でチラッと出てくるし、「息子は医療ミスで死にました」といったセリフなども後々への伏線なんだ。
最後はこれで終わりか、とホッとさせつつも、そこからもう一波乱ある。
細かいところまできっちりと練り上げられているね。
演出もその脚本を受けて、きっちりと撮っている。

主演は父親がデニス・クエイド、息子がジム・カヴィーゼル。二人ともハマリ役だね。
デニス・クエイドは笑ったときの頬の持ち上がり方が宍戸錠を思わせる。好きな役者だな。
それと、息子の子供の頃からの友人として『トゥルーマンショー』でトゥルーマンの友人を演じていた俳優が演じている。この俳優の名前までは知らないが、悪役専門の役者がいるように、主人公の友人を演じさせたら一番なのかな?

過去で銃によって手を吹き飛ばされたら、未来で手が消えていく。
この時のCGの使い方が上手いね。大げさにCGを使う作品は多いが、ちょっとしたシーンで使う方が難しいはずだ。

この映画最大のギャグは『ヤフー』だな。
ボロ車に乗っていた友人がラストにはベンツに乗っているシーンは笑わせてもらった。

結論
「千年たっても、アメリカの学生が学校で教わることが3つある。それは憲法、ロックンロール、そして野球だ」

「煙草は止めよう」だな

『オースティン・パワーズ ゴールドメンバー』(2002) 監督:ジェイ・ローチ 脚本:マイク・マイヤーズ/マイケル・マッカラーズ 出演:マイク・マイヤーズ/マイケル・ケイン/ビヨンセ・ノウルズ/マイケル・ヨーク/セス・グリーン/ロバート・ワグナー/フレッド・サヴェージ/ミンディ・スターリング/ヴァーン・J・トロイヤー

 どうにかこうにかギリギリなんとかかろうじて最低限の出来にはなっていた『オースティン・パワーズ ゴールドメンバー』である。その理由は、マイク・マイヤーズが今回はそれなりに真面目に作品に取り組んでいたからであろう。前二作はふざけていたためにまるで面白くなかった。
 コメディでふざけていてなんでいけないの?と思われる方もいるかもしれないが、出演者がニヤニヤとにやけているようでは観ている側は白けてしまい笑えない。例えば『ホットショット1、2』はわたしの好きな映画であるが、この作品の中で主演のチャーリー・シーンはひたすら真剣に真面目な表情でバカなことをする。これがもしチャーリー・シーンがニヘラニヘラしていたらどうだろう?まるで面白くないはずだ。もともとはシリアスな役者であるチャーリー・シーンのシリアスな表情とバカな行動とのギャップが笑いを生み出しているのである。
 『裸の銃を持つ男』などのレスリー・ニールセンも『禁断の惑星』を観ればわかるように本来は知的な二枚目系の役者である。その彼が真面目な顔でギャグをやるのが面白かったのだ。しかし、どうも最近は「わたしは優秀なコメディアンである」と勘違いしているようで、妙な小細工のある演技をしているのが残念だ。レスリー・ニールセン自身が笑わせようという計算はしない方がいいと思うのだが。
 そういった訳で、『オースティン・パワーズ ゴールドメンバー』を一番理解していたのはマイケル・ケインかもしれない。イギリス俳優の奥深さを感じさせる。なにしろ『ハンナとその姉妹』から『ジョーズ'87復讐篇』までこなしてしまう男なのだ。
 単に愚鈍な下ネタを連発していた前二作に比べると、それなりに頭を使ったギャグもあった。日本企業の社長との会話のシーンで使われた、字幕ギャグは、わたしの知っている限りではこれまでになかった種類のギャグだ。
 しかし、結局最初にいったように"最低限"の作品でしかない。以前にも言ったことがあるが、バカと頭が悪いは違うのだ。『オースチン・パワース』シリーズはひたすら頭の悪い作品である。Dr.イーブルと和解してしまったりと、どうやらこれで打ち止めといったラストであるが正解だろう。マイク・マイヤーズの次回作に期待する、と言いたいところだが期待しない。マイク・マイヤーズはダメだと思う。思い出してみれば、『ウェインズ・ワールド1、2』もまるでダメな作品だった。ロックバカ二人組を主人公にした映画ならば『ビルとテッド』シリーズを観た方がいい。こちらは傑作である。売れる前のキアヌ・リーブスがバカを演じきっている。いや、演じているというよりキアヌ・リーブスはバカなんだと思う。

『狼-男たちの挽歌最終章』(1989)  喋血雙雄/THE KILLER
製作:ツイ・ハーク 監督・脚本:ジョン・ウー 出演:チョウ・ユンファ、ダニー・リー、サリー・イップ、チュウ・コン

脚本、役者の演技、アクション、その他もろもろを合わせると、ジョン・ウー作品の中で1番完成度が高い作品ではないかと。
ちなみに日本の配給会社が勝手に挽歌シリーズにしてしまっただけで、ストーリーは『男たちの挽歌』と関係ありません。

殺し屋チョウ・ユンファは殺し中の事故でヒロインサリー・イップを失明させてしまう。
罪の意識を抱いたチョウ・ユンファは正体を隠してサリー・イップに近づき、彼女の面倒を見始める。
彼を追う刑事と拳銃を突き突きつけ合ったまま、サリー・イップに「友達だ」と紹介するなど、名シーンも多い。
ラストの教会での銃撃戦は見もの。
後のジョン・ウーのトレードマークとも言える鳩が飛び、ショットガンでマリア像が吹っ飛ぶなどが印象に残っている。

『ミッション:インポッシブル2』ではジョン・ウー的記号でしかなかった鳩が、この作品では演出的技法として使われており、素晴らしい。
マリア像や十字架のカットインも素晴らしい。
男の中の男の映画。
今回の敵側ボスは『男たちの挽歌1,2』で手下をやっていた人。
う?ん、出世したもんだ。

B000JUBEUG.jpg『アタック・オブ・ザ・キラー・トマト』(1978) 監督:ジョン・デ・ベロ 出演:デヴィッド・ミラー/シャロン・テイラー

 ある日、突然トマトが人類を襲い始めた。果たして殺人トマトを倒すことが出来るのか?という、大バカパニック映画。
 『エルヴァイラ』という映画の中で『史上最低の映画』として紹介されておりました。でも、その『エルヴァイラ』自体もかなりのバカ映画でしたが。
 何が良いっていったってテーマソングが良い。「♪アタ?ック・オブ・ザ・キラートマ?トズ♪アタ?ック・オブ・ザ・キラートマ?トズ♪なんとやらかんとやら?♪」一度聞いたら2?3日は耳に残ること間違いなし。
 トマトが襲ってくるといってもSFXでトマトをモンスターとして操っているのではなく、どうみても単にスタッフがフレームの外から登場人物に向けてトマトを投げてぶつけてるだけ。なめとんのか、コラ。
 トマトに立ち向かうべく特殊部隊が結成されますが、ほんとーに特殊な奴らなのでてんで役に立ちません。サイボーグは予算の関係で身体の左半分だけ改造されたので、ジャンプすると右にすっ飛んでいってそのまま。変装の名人は単にトマトのかぶり物を着ただけ。それでもこの男はトマトの群れに潜り込むことに成功しますが、食事の時うっかり「トマトケチャップない?」と言ってしまい、そのまま行方不明に。
 そんなこんながありながらも、ついにトマトの弱点が発見されます。それはある曲。その音楽を流すと、トマト達はバタバタとやられていきます。『マーズ・アタック』の火星人の弱点も懐メロでしたよね。ティム・バートンがオマージュったんでしょうか?
 そしてトマトも根絶か、と思いきや全長4?5メートルはある親玉トマトが耳当てをして現れます。なるほど、それなら音楽は聞こえない・・・ってトマトの耳ってどこ?おまけにこの親玉トマト、下にある車輪が丸見えなんですが、監督はそのあたり全然気にしてないようです。主人公とヒロイン絶体絶命!この危機を乗り切るには、そう楽譜!楽譜をトマトに見せるしかない。つーわけで、人類は辛くもトマトに打ち勝ったのでありましたとさ。めでたしめでたし。
 しかしその頃、畑ではニンジンが動きつつあった・・・なんじゃそりゃぁぁぁ

 ちなみにこの映画の撮影中に撮影ヘリが墜落して死人が出ているのですが、その墜落シーンはしっかりと劇中で使われています。やだなー、この映画で死ぬの。
 とか文句を付けつつ実はかなり好きな作品。いや、メッチャ好きな作品。バカ、ほんっとバカ。唐突にスーパーマンかもしれない新聞記者が出てきて、しかも意味なし。なんだそりゃ。
 表面的なトンデモばかり話題になりますが、根本は結構きっちりとコメディしてます。続編も何作か作られましたが(作るなよ)、どれもバカです。でも最低映画じゃありません。そこんとこ重要。

 嬉しいことに第一作のDVD化が決まりました。オレ?もちろん予約済みさ。

『悪魔の受胎』(1980) INSEMINOID 監督:ノーマン・J・ウォーレン 出演:ロビン・クラーク、ジェニファー・アシュレイ、ステファニー・ビーチャム

 劇場で観ています。さすがにこの作品を目当てで観に行ったとは思えないので、二本立ての併映だったのでしょう。
 いわゆるB級なSFホラーです。いや、D級かなぁ。

 地球を遠く離れたどこぞの惑星に小さな基地があり、隊員達が調査を行っています。
 生物は存在しないと思われていた惑星ですが、実は異星人が潜んでいたのです。
 異星人は女性隊員をさらってきて、服をひっぺがすと股間に透明なビニールパイプをつなぎ、そこにピンポン球のような物を送り込みます。
 するとあら不思議、女性隊員は妊娠してしまったではないですか。
 これには矢追さんもびっくりでしょう。
 一応エロチックなシーンとして撮っているのでしょうが、笑えないギャグにしか見えず「なんだかなぁ」だった記憶があります。
 妊娠した女性隊員達はなぜか凶暴になって、他の隊員を殺したり基地内で暴れたりします。
 司令室で大暴れするシーンでは、バックにある装置がいともたやすくひっくり返り、中身が空っぽのベニヤ作りなのが丸見えですが、そこは脳にフィルターをかけて観なかったことにするのが大人ってもんでしょう。

『アクション・ジャクソン』(1988) 監督:クレイグ・R・バクスレー 出演:カール・ウェザース、シャロン・ストーン、クレイグ・T・ネルソン

『ロッキー』のアポロ役のカール・ウェザースが主演のアクション刑事映画。
 カッパライをしたチンピラが逮捕され警察署に連れてこられる。その間に、警官から「アクション・ジャクソンはゴリラとの合いの子で、お前はミンチにされちまうぞ」などとさんざん脅される。怯えきったチンピラは隙を見て取調室から逃げ出し、追い回されたあげくにある机につまずく。机の上のコーヒーが書類にこぼれる。机の上の名札には『ジャクソン』の名前が。おそるおそる顔を上げるチンピラ。そこには恐ろしい形相でにらみつけるジャクソンがいた。恐怖のあまり気絶してしまうチンピラ。
と、主役がかなりとんでもない登場の仕方をします。ちなみにこのチンピラはその後何度か登場して、当然のごとく毎回ジャクソンの顔を見て気絶します。
 元ボクサーで今は安ホテルを経営しているジジイもいい味です。ついでに、まだ売れてなかった頃のシャロン・ストーンが悪役の奥さん役で出ています。途中で殺されてしまいますが。
それと『ダイ・ハード』にも出ていたヒューイ・ルイスそっくりの悪役も出ています。
 ラストは、豪邸の階段をスポーツカーで「ホット・ホッター・ホッテスト!(Hot Hotter Hottest!)」と駆け上がり、悪の親玉と素手でのバトル。燃えます。
 派手なアクションの中に、ギャグも入っていて好きな作品です。

『アクシデンタル・スパイ』(2001) 監督:テディ・チャン 出演:ジャッキー・チェン、ビビアン・スー

新作ラッシュの中でひっそりと公開されたジャッキー・チェン香港最新作。
どれだけひっそりかというと、山ほど映画館のある東京でもわずか3館でしか上映されていないほどだ。
わたしの近くのシネコンでは上映しなかったので片道1時間ほどかけて観に行った。
往復の交通費で1,400円。映画代とあんまり変わらない。乗車料金高いぞ名鉄。
でもジャッキーのためだと観に行きましたよ。
『ラッシュアワー2』も(アメリカでは)大ヒットしハリウッドでもやっていける存在になったジャッキーだが、香港での製作も続けている。
一つにはファン思いのジャッキーとしては地元香港のファンのことを忘れられないというのもあるだろうが、最大の理由はハリウッド映画に満足してはいないからではないだろうか。
『ラッシュアワー』シリーズや『シャンハイヌーン』のジャッキーを観ていると、「もっと暴れたい」「もっと動きたい」というのが伝わってくる。
ハリウッドでは危険なスタントはスタントマンまかせになってしまう。これは俳優に危険なことはさせられないというのもあるが、スタントマンの仕事を俳優が奪うことになってしまうのでいかんということでもあるらしい。
あちらはユニオンの力が強く、また分業化がはっきりしているのだ。
ジャッキーは「お客さんは自分を見に来ているのだから自分でやる」という方針だから、ハリウッドのアクションでは思うように出来ないところもあるのだろう。
『アクシデンタル・スパイ』ではジャッキーは走る、飛ぶ。
もう47歳だというのに全裸でイスタンブールの街中を走り回る。
映画のため観客のために全力を出すジャッキーを観ていると、それだけで満足である。
SFXやCGは確かに進化してきたが、まだまだジャッキーの生身のほうが魅力的だ。
しかし、映画は2週間で打ち切りになってしまった。
『ハリー・ポッターと賢者の石』を観に行くうちの10人に1人でも『アクシデンタル・スパイ』を観に行ってくれてればなぁ。

『愛は霧のかなたに』(1988) 監督:マイケル・アプテッド 出演:シガニー・ウィーヴァー/ブライアン・ブラウン ゴリラスーツ製作:リック・ベイカー

 原題は『Gorillas in the Mist』。つまり『霧の中のゴリラ』である。
 一般客へのアピールを考えて愛がどーのこーのというタイトルになったんだろうが、そんなどーでもいいようなものより『霧の中のゴリラ』のほうがいいタイトルだと思うんだがなぁ。配給会社の人間というのは頭使って邦題を考えているんだろうか?思わず首をひねりたくなるようなのが多々あるんだけどねぇ。だいたい、『愛の?』とか『愛と?』などは多すぎてどれがどれやら区別が付かない。
 この作品はアフリカでマウンテンゴリラを研究する女性学者を描いた作品であり、主演はシガニー・ウィーバー。登場するゴリラたちは猿オタクの特殊メイクアップアーティスト、リック・ベイカーによるもの。かなり出来がいいんで、本物のゴリラを調教して撮ったと思っている人もいるかもしんない。
 密猟者が仕掛けた罠を壊して回ったため密猟者との衝突が続き、(密猟者がゴリラを狙っていたのか、他の動物を狙って仕掛けた罠にゴリラがかかってしまうのか、どちらだっだか忘れてしまった)ついには主人公は殺されてしまう。悲しい結末だが、これは実話に基づいた話なのだ。
 こういった結末はあまりベタベタに盛り上げようとするより、多少突き放した距離を置く演出のほうがいいと思うのだが、ま、これは好みの問題だろう。

『アイスマン』(1984) 監督:フレッド・スケピシ 出演:ティモシー・ハットン、リンゼイ・クローズ、ジョン・ローン

 「相済まん」と謝っているのではない。氷の中から発見された原始人『Iceman』のことである。
 氷を電子レンジに入れチンしたところ、なんとアイスマンは生き返ってしまった!つーのはちょっと嘘で、電子レンジよりもうちょっと科学的な機器などを使ってはいる。でもま、同じようなもんだろ。(違うっつーの)
 こりゃいい研究材料だ、ぜひ解剖しようという科学者もいれば、いやそれよりも育てて観察しましょうよという科学者もいる。そして、"原始"的と思われていたアイスマンと育てる派の科学者との間に徐々に友情ともいえる絆が生じてくるのだ。
 アイスマンを演じているのはジョン・ローン。こんな格好いい原始人いねーよと思うのだが。今ではそこらにいそうなオッさんになってしまったが。(『ラッシュアワー2』『ハンテッド』参照)
しょせんフレッド・スケピシなんで善良ではあるがぬるま湯のような煮え切らない作品。

『アイガー・サンクション』(1975) 監督:クリント・イーストウッド 出演:クリント・イーストウッド/ジョージ・ケネディ/ボネッタ・マッギー

 クリント・イーストウッド演ずる主人公は美術の教授、でもって登山家。ここまではいい。登山が趣味の美術教師はいくらでもいるだろう。しかしこの男はその上に国家的組織の殺し屋なのである。強引な設定だなーと思うが、アメリカだとそういう人もいるのかもしれん。
 イーストウッドに依頼が来る。ある人物を殺してほしいのだが、問題はその人物が誰だか分からないということだ。ただ一つ分かっているのは、アイガー北壁登山隊の一員というだけ。そこでイーストウッドは登山隊に加わることになる。果たしてターゲットを見つけ出し殺すことが出来るのか?
 アイガー北壁を登山している様子はふもとから双眼鏡などで丸見えであり、いわば公開殺人になるため事故に見せかけねばならない。ターゲット探しというサスペンス部分もさることながら、登山訓練からアイガー北壁攻略までと登山アクション映画としても楽しめる。
 イーストウッドは実際に岩の柱やアイガーなどに登っている。この時点でイーストウッドは45歳。スゲーなと感心してしまう。しかももちろんこれらの登山シーンは映画の展開上必要なものであって、『ミッション:インポッシブル2』のオープニングのように「ほらほら、僕こんなスゴイこと出来るんだよ」ということをアピールするだけのような意味のないシーンではないのだ。
 イーストウッドが殺しを引き受ける理由が愛国心とかではなく名画を買う金のためというのがいい。イーストウッドの古くからの仲間役ジョージ・ケネディもいい味を出している。あとは組織の大物ドラゴン。色素が少なく目が光りに弱いという設定で、ドラゴンの部屋は赤い照明になっていてB級映画っぽいうさんくささがあり笑える。ただ、組織のエージェントとして黒人女性が一人と登山トレーニングのサポーターとして一人女性が登場するが、人物描写がありきたりで魅力的でないのが弱点か。
 イーストウッドは監督も兼任。観とくべきでしょ、の1本。

『IP5』

user-pic
0

『IP5 愛を探す旅人たち』(1992) 監督・脚本:ジャン・ジャック・ベネックス 出演:イヴ・モンタン、オリヴィエ・マルティネス、セクー・サル

 スプレーでの落書きってあるでしょ。暴走族が書く「夜露死苦!」なんてのではなくて、澁谷の公園のコンクリート塀などにある何色も使ったカラフルなやつ。ニューヨークの地下鉄なんかにもあるやつですな。主人公はそういった落書きをする人です。初っぱなからスプレー缶をいくつも使って『IP5』って壁に書いています。『IP5』ってどんな意味なんでしょ?私は知りません。
 女性を追っかけて旅に出ます。黒人の少年がついてきます。おまけになにやら怪しげな老人も加わります。
 老人を演ずるのはイブ・モンタン。パンツ一丁になって冷たい泉で沐浴シーンが出てくるのですが、この作品の完成間近にイブ・モンタンは心臓発作で亡くなってしまいました。
 ぜってーあの沐浴で心臓にとどめを刺したと思うんですが・・・合掌。

『アポロ13』

user-pic
0

『アポロ13』(1995) 監督:ロン・ハワード 出演:トム・ハンクス、ケヴィン・ベーコン、ビル・パクストン、ゲイリー・シニーズ、エド・ハリス

 ネット上のある映画関係の掲示板で「あんなに次から次へとトラブルが起きてしかもその度に上手く解決できるなんて、脚本がご都合主義すぎる」と怒っている人がいたが、そんなこと言っても基本的に実話なんだからしょうがないだろうに。ひょっとして実話ベースだと知らなかったんだろうか?アポロ13号の事件は有名だと思うんだが。

 宇宙飛行中のアポロ13号に爆発事故から始まって電力不足や二酸化炭素の増加と次から次へと問題が生じる。それに対して三人の宇宙飛行士とヒューストンのNASAスタッフが知恵を絞って切り抜けていく。どんなに絶望的な状況でも決して諦めず、困難に立ち向かっていく様はカッコいい。宇宙飛行士も地上スタッフも『プロフェッショナル』なのだ。技術と知識とそして強い精神力を持っているのである。プロの物語はやはり面白い。
 着陸船の二酸化炭素吸収フィルターの形が司令船の物と違うため、そのままでは司令船で使えない。そこで地上スタッフが宇宙船の中にある道具を揃えて「○分以内にここにある道具でなんとかするんだ」と必死に考えて、どうにかコンバーターを作り出すシーンとか好きである。
 下手な監督だとやたら盛り上げようとするだろうが、ロン・ハワードの演出はそこらへんきっちり抑えている。
 主演のム・ハンクスも良いが、それよりも地上側責任者のエド・ハリスがメッチャCool!やっぱエド・ハリスはイイ!
 どうでも良いことだが『アポロ13』と『ゴルゴ13』は似ている。ほんとどーでもいいな。

『アーメン・オーメン・カンフーメン』(1981) 監督:ジョン・ウー 出演:リッキー・ホイ

 10年ほど前、香港映画ブームの頃にポニーキャニオンがビデオで香港映画シリーズを出していた。劇場未公開作品などもラインナップされていて、その中にあったのがこの『アーメン・オーメン・カンフーメン』である。
 ビデオに収録されていた予告では「あの『男たちの挽歌のジョン・ウーが笑ってもらおうと作りました」とか言っていたので、どれどれと観てみたのだが、これがハチャハチャコメディ映画だったのだ。
 もうほとんど覚えていないのだが、トランペット吹きのリッキー・ホイがお葬式の伴奏をバイトでやっていて寝ぼけて「パララパララパララララ?」とジャズをやってしまったり、悪魔がキャハハハキャハハハと笑い回ったあげくに壁に激突してこけてしまったり、眼からビームを出して敵を攻撃すると画面の下に点数が出たりと、はっきりいってバカ映画である。それもかなりのバカだ。ただ、あまり笑えなかった記憶がある。
 なんでも、ジョン・ウーは元々コメディ監督として知られていたそうだ。意外な過去である。もうちょっと詳しく知りたいのだが、結局ジョン・ウーのコメディで日本に来たのは『アーメン・オーメン・カンフーメン』だけであった。
 いまや、男を描かせたらハリウッドでものジョン・ウーだが、また1本ぐらいコメディを撮ってくれないだろうか?ま、『ミッション:インポッシブル2』はある意味、出来の悪いコメディだったけどね。

『スナイパー』(2002) 監督:カリ・スコグランド 出演:ウェズリー・スナイプス

『ボーリング・フォー・コロンバイン』(2002)+『フォーン・ブース』(2002)といった趣である。
つまらないものにつまらない映画を足したのだからこれまたもちろんつまらない。

某高校での生徒による銃乱射事件で娘を失った男ジョー(ウェズリー・スナイプス)が怒りに燃え復讐に立ち上がる。標的になるのは「おのれらが銃を作るからいかんのやんけぇ」という理由で銃器製造メーカー。そこで、南北戦争当時から銃製造会社を営んできた一族の女性に目を付ける。彼女を街頭のホットドックスタンドに足を手錠でつなぎ、自分は少し離れたビルから携帯電話を使って彼女に連絡し、また彼女経由で警察やマスコミと接触する。
「オレの言うことを聞かないと撃ち殺すぞ」
狙撃用ライフルの照準をあわせながら男は脅す。
って、お前は銃に怒りを覚えてこの事件を引き起こしたんじゃないのか。自分も銃を使ってどうするよ。しかもかなり大型で殺傷力強そう。それで警官やテレビのレポーターを実際に射殺してしまいその上で銃規制を訴えるのだから、なにが言いたいのかもやりたいのかもさっぱりだ。
どうもジョーは元CIA特殊工作員で、過去には世界中で活動していたなどということが語られる。その頃の心の傷が犯行理由の一つとなってきて、さすがにもう何を況やである。あちこちでさんざん暴れてきて、いざ自国で娘が乱射事件に巻き込まれるとブチ切れて人殺しとはたちが悪い。政治家と癒着して汚く稼いできた銃器メーカーの会長が悪者ということで話は終わるが、ジョーの方がよっぽど悪人なんじゃないと思えてしょうがない。
下手に社会問題を持ち込んだのでサスペンスとしてはグダグダ。銃問題を世間に訴える手段として狙撃事件を起こし、更には眉も動かさず冷静に警官を射殺するあたり、ジョーが静かに狂っていることの証である。そこら辺をもうちょっと踏み込んでくれれば面白くなったのかもしれない。
いっそのことジョーが「銃反対!規制しろぉ!撲滅だぁ!」と叫びながら銃を持っている連中を次々撃ち殺していくブラック・コメディってのはどうだろうか。

ところで、銃器メーカーの会長が電話先のジョーに向かってこんなセリフを言う。
「お前は会社人間(company Man)か?いや、会社人間(company Man)ならこんなことはしないな」
・・・会社人間ってなぁ・・・ジョーは残業や休日出勤ばかりで家族との交流がなかったのが原因なのか。
いや、ジョーが特殊訓練を受けてたことのある人物だと分かった後のシーンなのだから、このcompany manはCIA関係者の意味の隠語だろ、普通。
CIAのことをCompany、CIAの仕事をCompany businessと呼んだりするのはハリウッド映画では常識だと思うのが、単に知識として知っていなくても、なんで会長が"会社人間"であるかどうかを気にしているのか字幕翻訳者は疑問に思わなかったのだろうか。もちろん、話の流れから言っても"会社人間"は関係なく、そこでちょっと調べればCIA関係者のことだと分かるものだろうに。
外国語がろくに分からない私の場合、どうしたって字幕や吹き替えが頼り。鑑賞料などの一部は翻訳料として払っているのだから、ぜひともプロとしての仕事をお願いしたいものだ。

『ヴェラクルス』(1954) 監督:ロバート・アルドリッチ 出演:バート・ランカスター、ゲーリー・クーパー

この映画の主役はあくまでもバート・ランカスターだ。
それは浅黒く日に焼けた顔でニヤリと笑うと真っ白な歯が印象的なその顔立ちからではなく、バート・ランカスターのプロダクションが製作に携わっているからでもない。
彼の実の父親を殺した養父から「人を信じるな」と教わり、そのルールを守れなかった養父を殺し、友達も仲間も持たぬまま根っからの悪党として生きてきた男ジョー(バート・ランカスター)が、南北戦争で敗北し革命の最中のメキシコまで流れてきた元南軍兵士ベン(ゲーリー・クーパー)と出会う。
ベンの腕前は自分とほぼ対等と察するが、礼節を知り人を気遣うベンを内心軽く見ていたジョー。しかし、次第にベンの人間性を認め始め彼を信じ友情めいた感情持つようになる。養父が禁じていた"友情"だ。
メキシコ皇帝の馬車を護送しつつも、それに隠されている300万ドル分の金塊の強奪を企む彼らだっただ、結局最後の最後で悪党になりきれなかったベンに裏切られ、もはや伝説ともなったラストの決闘でジョーは命を落とす。
この悪党の生き様を見れば彼が主役であることは明白だ。

ジョーには仲間はいないが手下が何人がおり、その中には無名時代のチャールズ・ブロンソン(ヒゲなし)、アーネスト・ボーグナイン、ジャック・イーラムなどがいる。ズラッと揃いも揃って悪人面ばかりよくも集めた者だ。ジャック・イーラムに関しては『キャノンボール1、2』の肛門科医役だといえばわかりやすいだろうか。やぶにらみでひん曲がった顔の怪優だ。
『夕陽に立つ保安官』(1968)などバート・ケネディ監督作の常連で同監督のハルク・ホーガン主演SFコメディ『マイホーム・コマンドー』でもクリストファー・ロイドの隣に住む元軍人役で出演していたのはうれしかった。

監督デビューしたばかりで、低予算映画を数作撮っていたぐらいのロバート・アルドリッチだが、すでにベテランの貫禄を身につけているかのようだ。
後にいつくもの傑作を手がけることになるのだが、そこにはほとんどベン的人物は登場せず、悪党やロクデナシのジョー的人物ばかりであることを考えると、この作品でアルドリッチのスタイルがある程度決まったのかも知れない。

『プレデター2』(1990) 監督:スティーヴン・ホプキンス 出演:ダニー・グローヴァー、ビル・パクストン

1997年のロサンゼルスを舞台にした近未来SF刑事映画アクション。えっ、「1997年は未来じゃなくて過去」だって?制作された1990年にとっては近未来なの。それから1997年になってもロスにプレデターが現れなかったからといって嘘つき呼ばわるするのは止めろ。(いたんだよ、こういうケチ付け野郎が実際に)
それにな、実のところは"本当"に現れたんだ。アメリカ政府が特別チームを組んで秘密裏に捕獲し、最高機密になっているのであなたたちが知らないだけだ。ああっ、ここで情報を漏らしてしまったからにはわたしの命も風前の灯火・・・

このところ映画よりもテレビシリーズの『24 TWENTY FOUR』で有名なスティーヴン・ホプキンスだ。
『ジャッジメント・ナイト』(1993)や『ブローン・アウェイ』(1994)などなかなか好みな作品を撮っていたのだが、最近は『ゴースト&ダークネス』(1996)や『ロスト・イン・スペース』(1998)などの駄作続き。それで映画から干されてテレビに行ったのではないかと愚考する。
『プレデター2』はまだあまり名前も知られていない新人の時に撮った続編物。一作目の要素を入れ損なうとファンから怒られ、かといって大事にしすぎるとオリジナリティがないとまた怒られ。とかく続編は難しいと相場が決まっている。
この作品の場合は、"プレデター"の存在はほぼそのままで、南米のジャングルから大都会ロスへと舞台を移し、主人公はダニー・グローヴァー演ずる警官になった。一作目では戦う相手が特殊部隊隊長アーノルド・シュワルツェネッガーだったため、襲い来るプレデターの脅威をSFXを駆使してアピールしても分が悪かった。仲間を失い最後の一人になって命がけで戦っているはずのシュワルツェネッガーなのだが、どうしても彼が余裕綽々であるように感じられてしまうのだ。しかも、プレデターが光学迷彩で姿を隠しているうちはまだしも、装置の故障でその姿を現すと"ブサイク"かつ"カッコ悪い"のは困った物だ。
その点、ダニー・グローヴァーならばヒゲを剃っているおかげで『リーサル・ウェポン』シリーズよりは幾分若く見えるとはいえ普通の人間。身体能力・武装ともに人類を超えた宇宙生命体プレデター相手に必死になっている様が伝わってくる。ついでに彼には高所恐怖症という弱点もあるのだが、それについてはあまり有効に使われていなかったのは残念。

オープニングに警察と麻薬組織のド派手な銃撃戦を持ってきてスクリーンに観客を引きつける。というより、この銃撃戦はおそらく制作陣の趣味だろう。プレデター騒動とはほとんど関係がないシーンなのにやたらと力が入っている。
そういえば、最近の映画では銃問題絡みでかあまり派手な銃撃戦が出てこない。個人的には「映画は映画、現実は現実」だと思っているので、これでもかとばかりに弾丸の飛び交う映画も観たいのだが、色々複雑なのであろう。ただ、銃問題は結局出汁にすぎず、大企業批判と政府批判そして自己顕示欲で出来上がっているようなどこぞの"ドキュメント"作品にでかい面されたくはないが。

ダニー・グローヴァーの愛銃はレーザーポインターを載せたクロームメッキのデザート・イーグル、他トランクにショットガンなど多数。他の登場人物の持つハンドガンの多くにもレーザーポインターが搭載されているが、これがまた今となってはデカい。『ターミネーター』(1984)でハードボーラーに載っていた奴ほどではないが、『リーサル・ウェポン4』(1998)ではメル・ギブソンの持つベレッタM92FSのグリップに内蔵されていたことを考えると設定が1997年なのだからデカすぎる。
レーザーポインターの照準先には赤い光点が灯り、その人物が狙われていることが観客に視覚的にわかりやすいので一時スクリーン上で流行った。だが、間違って目に当たると網膜を焼いて失明の恐れがあり"非人道的"な道具であるからと最近では登場回数も減った。
しかし、レーザーポインターの照準が当たっている=銃で狙われているわけで、その人にとってはレーザーよりも鉛の弾丸の方が大きな、かなり大きな問題だと思うのだがどうだろう。レーザーサイトと銃とどっちがより"非人道的"なのかって気もするが。

タイトルでついつい"殺戮獣"などと言ってしまったが、プレデターは知的宇宙生命体で地球にはハンティングに来ている。獲物が人間というのが困ったところだが、戦場など人が争っている場所しか狩り場としない、基本的に武器を持っている者は襲わない、武装していても妊娠した女性の場合は危害を加えない。正々堂々と戦って人間が勝った場合、プレデターの仲間は復讐せずにその人間の健闘ぶりを讃える。なかなか筋の通った奴らで、人間のハンターもある意味見習って欲しい。
ただ、負けそうになると核で自爆するのはゲームで負けるとキレて暴れる青少年みたいで、食生活にカルシウムが足りないんじゃないかとも思うが。骨は食わないで磨いて飾ってたもんなぁ。肉ばかりで野菜は摂っていなそうだし。
近いうちにエイリアン相手に一騒動やるようだが、果たしてどっちが強いのか?まぁ、最強なのはどのみちシガニー・ウィーバーなわけだが。

実のところ一番お気に入りのシーンは、ビル・パクストンが初登場する警察署での意味のない長回し移動撮影だったりする。

月別 アーカイブ

このアーカイブについて

このページには、2004年6月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2004年5月です。

次のアーカイブは2004年7月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

 

お気に入りリンク

   
 

メールアドレス