『上海から来た女』 鏡の迷路

716Xc02MNfL.jpg

『上海から来た女』(1947) THE LADY FROM SHANGHAI 87分 アメリカ COLUMBIA PICTURES

監督:オーソン・ウェルズ 製作:オーソン・ウェルズ 原作:シャーウッド・キング 脚本:オーソン・ウェルズ 撮影:チャールズ・ロートン・Jr 音楽:ハインツ・ロームヘルド
出演:リタ・ヘイワース、オーソン・ウェルズ、エヴェレット・スローン、テッド・デ・コルシア、グレン・アンダース

 腕利き弁護士バニスターの妻エルザ(リタ・ヘイワース)が公園で暴漢に襲われていたのを助けた船乗りのマイケル(オーソン・ウェルズ)は、弁護士のヨットの船員になる。そこで知り合った弁護士の共同経営者に偽装殺人の仕事を持ちかけられるのだが、共同経営者は本当に殺されてしまい、マイケルがその犯人として逮捕される。真犯人は誰か、マイケルの無実は証明されるのか?
 といったようなストーリーだが、どうにも不親切で分かりにくい。と思ったら、スクリーン試写の反応が悪くて1時間ほどカットされたのが現行の87分バージョンなんだそうだ。そんなに切られてちゃ説明不足にもなるよな。マイケルのモノローグが状況説明をしてくれるので多少はましだが。
 興行的には大失敗だったそうだ。オーソン・ウェルズとリタ・ヘイワースは当時結婚していたが、この作品の後に離婚している。そもそもすでに別居していて、撮影時の関係はそれほど悪くなかったそうなので、興行の失敗ではなくすでに離婚は秒読み状態だったのだろう。
『偉大なるアンバーソン家の人々』(1942)も大幅にカットされているが、当時のオーソン・ウェルズはそんな目にばかりあっているな。撮った作品が一般層には受けそうではないので製作者が手を入れているのだろうが、それでもちゃんと次の作品が撮れているので評価はされていたのだろう。
 リタ・ヘイワースといえば美人女優として有名なのだが、この作品では長い髪をばっさりショートにしていて個人的にはもう一つ美しさが感じられなかった。か弱い女性かと思っていたら実は悪女という役なのでもう少し魅力的に見せて欲しかった。
 オーソン・ウェルズは愛に目が眩んでいて罠にはめられてしまうが、窮地に陥っても妙に堂々としている。後半はマイケルが殺人罪で裁判にかけられる法廷劇になる。不利な証拠や証言ばかり登場するのだが、あまり焦っている感じがしない。このままではガス室送りになるのだが。
 ラストは有名な遊園地の鏡の間のシーン。マイケルとエリザが合わせ鏡に映って延々とその姿が続いていたり、登場人物が何人にも見えたりと幻想的。『燃えよドラゴン』(1973)のラストの戦いはこの鏡の間のオマージュだろう。『燃えよドラゴン』だけではなくて他作品でもオマージュやパロディとして使われている。カメラやスタッフが映り込まないように撮影するのは大変だったろう。このシーンを観るためだけでも価値がある。
 フィルムをズタズタにカットされても映像の凄さは伝わってくるが、音楽がやかましすぎて浮いている。オーソン・ウェルズってあまり音楽には拘ってないのか?
 この頃のオーソン・ウェルズはまだそれなりに痩せていたんだ。ちょっと二枚目よりだがあまり印象に残る顔つきではない。太ってからの方が役者としては味が出てくる。

B004C3TV7Y.jpg

『オーソン・ウェルズ IN ストレンジャー』(1946) THE STRANGER 95分 アメリカ INTERNATIONAL PICTURES

監督:オーソン・ウェルズ 製作:S・P・イーグル 原作:ヴィクター・トリヴァス、デクラ・ダニング 脚本:オーソン・ウェルズ、アンソニー・ヴェイラー、ジョン・ヒューストン 撮影:ラッセル・メティ 音楽:ブロニスラウ・ケイパー
出演:エドワード・G・ロビンソン、オーソン・ウェルズ、ロレッタ・ヤング、フィリップ・メリヴェイル、リチャード・ロング、バイロン・キース、ビリー・ハウス

 アメリカに逃亡したナチの強制収容所所長キンドラー(オーソン・ウェルズ)を、戦犯捜査員エドワード・G・ロビンソンが追ってくる。キンドラーは人前に姿を現したことがなく、写真も残っていないため顔や姿が分からない。判明しているのは時計の修理が趣味だったということだけ。
 エドワード・G・ロビンソンはキンドラーを捕まえるために、わざとすでに逮捕していた戦犯を逃がし、その後を追う。そして、とある街で男子校の教師に変装しているオーソン・ウェルズに出会う。彼は教会の壊れた時計台を直していた。果たして教師の正体はキンドラーなのだろうか。
 なのだろうかもなにも、戦犯が一直線で教師に会いに行くので観客に教師の正体は明かされてしまう。だが彼は戦犯を殺し、森に埋めてしまい知らん顔を決め込む。戦犯が行方不明になり、次に打つ手がなくなったエドワード・G・ロビンソンは、教師を怪しんで街に残り続ける。教師は判事の娘と結婚し、一見ではまっとうな人間に見える。犯人の正体が観客にて維持されている点では『刑事コロンボ』的な叙述式サスペンス。明らかにヒッチコックの影響を受けているのだが、ヒッチコックとウェルズの演出の違いが感じられて面白い。ヒッチコックの演出は言葉は悪いがもっと観客の心を弄ぶ。それと比べるとウェルズは素直なぐらいだ。
 キンドラーの収容所で撮影されたガス室やユダヤ人が生き埋めにされた穴などのフィルムを、教師の新妻に見せるシーンは「あんたはこんな男と結婚したんだよ」と突き付け残酷である。時代的にも第二次世界大戦終戦直後で、ナチの悪行を観客に知らしめるのが目的の一つでもあるので、必要なシーンではあるのだが。
 だが教師を愛している妻は、「私は強制収容所の所長だったんだ」と夫に告白されてもそれを受け入れる。彼女の存在がエドワード・G・ロビンソンにとっては取っ掛かりであり、教師にとっては弱点であった。それにしても愛は盲目。
 終盤は時計塔の上でのオーソン・ウェルズとエドワード・G・ロビンソンの対決。くどい顔が二つ並ぶぞ。それほど長いシーンではなく、ウェルズの死に方が予想されてしまうものの、天罰といった感じでいい。
 良く出来たサスペンス映画だとは思うが、『市民ケーン』(1941)の天才的な才気は感じられなかった。
 どう見ても悪人面のエドワード・G・ロビンソンが探偵役というのも面白い。

B004C3TV3S.jpg

『偉大なるアンバーソン家の人々』(1942) THE MAGNIFICENT AMBERSONS 88分、失われた完全版:131分 アメリカ RKO RADIO PICTURES、MERCURY PRODUCTION

監督:オーソン・ウェルズ 製作:オーソン・ウェルズ 原作: ブース・ターキントン 脚本:オーソン・ウェルズ 撮影:スタンリー・コルテス 編集:ロバート・ワイズ 音楽:バーナード・ハーマン
出演:ティム・ホルト、ジョセフ・コットン、ドロレス・コステロ、アン・バクスター、アグネス・ムーアヘッド、レイ・コリンズ、リチャード・ベネット、エルスキン・サンフォード
ナレーション:オーソン・ウェルズ

 観たけどね、観たと言ってもいいんだろうか。現在観ることが出来るのはオリジナルの131分から大幅にカットされた88分版。『市民ケーン』(1941)が興行的にはコケたので会社側にカットされてもオーソン・ウェルズは文句を言えなかったようだが、全く残念なことである。オリジナル版のフィルムはどうやら失われているようでもはや観ることは出来ない。
 それでも88分にカットした編集マンは後に映画監督となりヒット作を連発するロバート・ワイズで、40分ほどカットしているのにちゃんとした一本の映画として成立させているのが見事。普通ならばグダグダになりそうだ。
 19世紀末から20世紀初頭のアンバーソン家の凋落を主人公ジョージを通して描いた作品。長回しやパンフォーカスなど相変わらず凝った撮影技術だが、今回はそれを人物描写とストーリーを物語るのに注力していて、『市民ケーン』とはずいぶん趣が違う。
 時代の移り変わりの表現に自動車が使われている。登場人物の一人が自動車開発に熱中しているのだが、最初は玩具のようなとりあえず走るだけだった物が、次第に馬車にエンジンを積んだ形から、空気を入れたタイヤを装備した物に進化していき、最終的には街に自動車が溢れ自動車事故が社会問題になっている。
 田舎町の豪家アンバーソン家には一人息子のジョージがいて、これが悪ガキで街の人は「彼はいずれ報いを受ける」と噂している。そして寄宿制の学校に入学したジョージは成長して街に帰ってきたかと思えば、自由奔放な性格はそのまま。だが、最後には報いを受けることになる。
 なぜかエドガー・アラン・ポー原作だと思い込んでいた。あちらは"アッシャー家"か。裸の大将、それはアッシャー雁之助。
 ストーリーはちゃんと成立しているので、どんなシーンをカットしたのだろうか。40分ともなると、シーンから余分なカットを削っていき時間内に収めるのではなく、丸々カットされたシーンがあるだろう。
『市民ケーン』の音楽はあまり効果的な使い方をされていなかったが、今回は作品にはまっている。
 冒頭から流れるナレーションがいい声で、これはオーソン・ウェルズだなと思ったら、エンドロールによるとやはりオーソン・ウェルズ。さすが英会話オジサン。昔、オーソン・ウェルズやジェリー・ルイスが朗読した英会話学習用のテープ『家出のドリッピー』というのがあったんだよ。調べてみると、まだあるのな。この人はラジオ俳優もやってただけあって声がいい。遺作は『トランスフォーマー・ザ・ムービー』(1985)での声優だし。ちなみに現在のマイケル・ベイ版実写じゃなくて、手書きアニメ版。

『市民ケーン』 時間軸の解体と再構築

B0036IPH2E.jpg

『市民ケーン』(1941) CITIZEN KANE 119分 アメリカ RKO RADIO PICTURES、MERCURY PRODUCTION

監督:オーソン・ウェルズ 製作:オーソン・ウェルズ 脚本:ハーマン・J・マンキウィッツ、オーソン・ウェルズ 撮影:グレッグ・トーランド 編集:ロバート・ワイズ 音楽:バーナード・ハーマン
出演:オーソン・ウェルズ、ジョセフ・コットン、ドロシー・カミンゴア、エヴェレット・スローン、アグネス・ムーアヘッド、ルース・ウォリック、レイ・コリンズ、アースキン・サンフォード、ウィリアム・アランド、ポール・スチュワート、ジョージ・クールリス

 映画史に残る傑作である。逆に言えば映画史をある程度知らないと今となっては傑作ではないかもしれない。
「物理学の世界で時間の概念を変えたのがアルバート・アインシュタインで、映画の世界ではオーソン・ウェルズだ」というような言葉があった気がするが、この作品は新聞王チャールズ・フォスター・ケーンが死の間際に残した謎の言葉「バラのつぼみ」を追ってニュース記者たちがケーンの知人に聞き込みをしてその人物像を描き出そうとする内容だ。
 始まるなり主人公は死に、そして子供時代に逆戻りする。少年は1カットで青年になりそして中年、壮年へと移り変わっていく。それを現代の記者による取材が繋ぐ。それまでの映画では物語の発端があり、それが発展して最終的には決着するという流れに沿った時間の描き方だったのだが、オーソン・ウェルズは時間軸を一旦解体してそれを再構築し直しているのだ。これが当時は画期的な手法だった。観た人々は若きオーソン・ウェルズの才能に驚いた。でも、今では当たり前な手法となり、この作品が登場するまでの映画史を知らないと「なんだよくあるパターンじゃないか」になってしまう。コロンブスの卵のようなもので、最初にやった人はスゴいのである。
 この時間軸の解体と再構成をエンターテインメント作品の範疇で最大限にやったのがクエンティン・タランティーノの『パルプ・フィクション』(1994)である。タランティーノは時間軸をいじるのが好きなようで、デビュー作の『レザボア・ドッグス』(1992)でもすでにやっている。これも根っこを辿ると『CASIO KANE』じゃなかった『CITIZEN KANE』に行き着くことになる。
「バラのつぼみ」の正体は映画のラストになって分かるのだが、個人的にはどうでもいいことだと思っている。映画を展開させるための小道具としての謎の言葉であって、別に「ユリの花」だろうが「ホンダラダホイホイ」だろうがなんでもいいのだ。貧しい家庭の出身のケーンが、新聞王となり絶大な権力と財産を手にするが、友達もろくにいない上に二度の結婚も破局してしまった孤独な男で、最後に残っていたのは子供の頃の思い出ということなのだが、それを描くことが主題だったとは思わない。
 パンフォーカスを効果的に使ったことでも知られている。パンフォーカスとは画面の手前から奥までピントが合っている映像のこと。レンズを絞って被写体深度を深くして撮影するのだが、分かりやすく説明すると使い切りカメラだ。あれにはピントを調節する機能がないが、人物写真から風景写真までちゃんと撮れた写真が出来上がる。あのカメラの小さなレンズが絞りの役割を果たして被写体深度の深い写真が撮れるのだ。アイドルのポートレート写真なんかは逆に被写体深度を浅くすることで背景をぼかし、被写体の人物を強調してるな。パンフォーカスは全体にピントが合っている、様に見えて実は違う。ある距離に正確なピントが合っていて、他の距離には微妙にピントがずれている。しかし人間の目は意外といい加減なものなので、ちょっとずれているだけならばピントが合っていると判断するのだ。序盤の母親との別れのシーンや、2番目の妻が主演したオペラの記事を書く手前のケーンと画面奥にいる友人の劇評家のシーンなどが印象的だ。
 思いっきり俯瞰や仰角の映像や、長回しなど個人的には物語よりも映像に目が行ってしまう。私としては珍しい。長回しは『黒い罠』(1958)のオープニングで更にスゴいものを見せてくれるのだが、それはまだ後の話。
 ケーンにはモデルがいてクレームもあったとか。題材的にも技術的にも冒険している作品を若干25歳のオーソン・ウェルズに初監督・脚本・製作そして主演させたRKO RADIO PICTURESはずいぶん思い切ったことをしたものだ。当時のオーソン・ウェルズはどんな評価だったのだろうか。ラジオドラマ『宇宙戦争』をドキュメンタリータッチで演出して、「まさか事実か!」と視聴者を驚かせたのは有名な話だが、それによる起用だったのだろうか。
 当時の観客はどんな反応だったのだろうか。アカデミー賞の複数部門にノミネートされ脚本賞を受賞しているので批評家受けはしたようだが、一般客の反応を知りたいものだ。

『エージェント:ライアン』 ライアン最初の任務

B00JTREOD4.jpg

『エージェント:ライアン』(2014) JACK RYAN: SHADOW RECRUIT 106分 アメリカ PARAMOUNT PICTURES、SKYDANCE PRODUCTIONS

監督:ケネス・ブラナー 製作:ロレンツォ・ディ・ボナヴェンチュラ、メイス・ニューフェルド、デヴィッド・バロン、マーク・ヴァーラディアン 製作総指揮:デヴィッド・エリソン、デイナ・ゴールドバーグ、ポール・シュウェイク キャラクター創造:トム・クランシー 脚本:アダム・コザッド、デヴィッド・コープ 撮影:ハリス・ザンバーラウコス プロダクションデザイン:アンドリュー・ロウズ 衣装デザイン:ジル・テイラー 編集:マーティン・ウォルシュ 音楽:パトリック・ドイル
出演:クリス・パイン、ケヴィン・コスナー、ケネス・ブラナー、キーラ・ナイトレイ、ノンソー・アノジー、コルム・フィオール、ジェンマ・チャン、デヴィッド・ペイマー、カレン・デヴィッド、ペーター・アンデション

 うーむ、おかしいなぁ。ケネス・ブラナーは監督としても俳優としてもお気に入りで、今回は監督と悪役の二役をこなしているのだが、どうにもつまらない。
 トム・クランシーが生み出したジャック・ライアンもこのクリス・パインで4代目。アレック・ボールドウィン、ハリソン・フォード、ベン・アフレックの順番だ。多分ね、私がトム・クランシー嫌いなのが原因なんだと思う。この人の書く小説は発想や資料の下調べなど感心するところもあるが、基本的に登場人物に魅力がない。ジャック・ライアンにも魅力を感じたことがないんだな。
 大学を優秀な成績で卒業した博士号持ちで、軍隊出身なので戦闘能力もある。そもそもはアナリストとしてCIAに入り、エージェントになって活躍し、最終的にはアメリカ大統領にまで登り詰める。人間的にも優れていて妻や子供を愛する家庭人。なんだよこの「僕が考えた最強の主人公」具合は。いねーつーの、こんな奴。盛り込みすぎて逆に薄っぺらなんだよ。
 今作は舞台は現代。ロシアの悪党実業家のケネス・ブラナーがアメリカでテロを起こし、同時にドル市場を崩壊させることでアメリカを危機に追い込み、ついには第二次世界恐慌を引き起こそうとしている。またロシアが悪役だ。トム・クランシーのロシア嫌いはなんとかならんのか。原作『レッド・オクトーバーを追え!』ではラミレス艦長なんかは実のところアホ扱い。映画ではショーン・コネリーが演じて厚みを出していたが、原作はひどいもんだった。
 ライアンは911テロ時はロンドンの大学に通っていて、ニュースを見て愛国心が燃えたのか大学を中退して海兵隊入りしアフガニスタンに派兵された。だが、そこで敵の攻撃に遭い同僚二人を助けて本人は下半身麻痺すれすれの大怪我をしてしまう。そのリハビリの最中に後の奥さんキャシーに出会う。同時に、CIAのハーパー(ケヴィン・コスナー)に目をつけられ、回復後にCIAに勧誘され入局しアナリストとなる。そして銀行で働きながら怪しい金の動きを追うことになり、ロシアで不可解な動きがあったため現地入りしたところを殺し屋に襲われ、それを撃退して殺したことからエージェントとしての行動を余儀なくされる。
 変にストーリーがリアル指向なのにライアンがスーパーマン過ぎるのがいけない。イアン・フレミングの『ジェームズ・ボンド』シリーズみたいに荒唐無稽な部分があれば女にもモテモテの凄腕エージェントも似合うのだが、ライアンの場合浮いてしまう。ライアンは頭脳明晰のハズなのだが、クリス・パインがどうにもアホっぽいところがあるのも痛い。一番ライアン役が似合っていたのは、なんだかんだでハリソン・フォードか。
 始めて人を殺してショックを受けているのにそれをあっと言う間に乗り越えてしまうし、エージェントとしての初任務も難なくこなしてしまう。これでは盛り上がらない。脚本が悪いというか、そもそものライアンの人物設定が悪い。結局、私がジャック・ライアンという登場人物が嫌いなだけって気もするが、嫌いなんだからしょうがない。
 ケネス・ブラナーの演出も今回は冴えがないね。後半のアクションも盛り上がってくれないしな。最近のエージェント物だとダニエル・クレイグの『007』シリーズや『ボーン』シリーズのアクションが迫力があり、どうしてもそちらと比べてしまう。「いや、リアル指向だから」というのは言い訳じゃねぇの。
 ロシア人が悪役なのに大規模モスクワロケを行っているが、最近は背景をCG合成してロケのハズのシーンをセットで撮っていたりするから油断がならない。特典映像を見ればある程度分かるんだろうが、見る気が起きない。
 まぁあれだ、次回作は『黒豹シリーズ』の黒木豹介とでも共演してくれ。

『オペラ座/血の喝采』 マクベスは死を招く

B00K1T9RO0.jpg

『オペラ座/血の喝采』(1988) OPERA 95分、完全版107分 イタリア

監督:ダリオ・アルジェント 製作:フェルディナンド・カプート、ダリオ・アルジェント 脚本:ダリオ・アルジェント、フランコ・フェリーニ 撮影:ロニー・テイラー 音楽:ブライアン・イーノ、クラウディオ・シモネッティ
出演:クリスティナ・マルシラック、ウルバノ・バルベリーニ、イアン・チャールソン、ダリア・ニコロディ、アントネッラ・ヴィターレ、ウィリアム・マクナマラ、コラリーナ・カタルディ・タッソーニ、バーバラ・クピスティ

 この作品を観るのは日本公開された1989年以来。当時の手帳が出てきたが作品名が書いてあるだけで、観た日付とかはないのが残念。とりあえずジョージ・A・ロメロの『モンキー・シャイン』(1988)と同時上映だったようだ。名古屋の繁華街栄にあった東映洋画系のパレス2で観たんじゃなかったかな。今回ソフト化されたのは当時のものより12分長い完全版だが、ドアの魚眼のぞき窓から外の様子を覗っていたら・・・・・・のシーンしか憶えていない。
 あとは主人公の美少女ベティがひたすらいたぶられていたことか。でも、ダリオ・アルジェント作品ならそれは毎度のことだ。『フェノミナ』(1984)なんか美少女ジェニファー・コネリーをいたぶるシーンが撮りたくて作ったようなものだろう。
 今作の主人公は新人オペラ歌手。ミラノ座で公演されるオペラ『マクベス』のマクベス夫人役だった歌手が交通事故に遭ってしまったため、前日に急遽その役を引き継ぐことになる。初舞台は絶賛の嵐だったのだが、その夜彼女と一緒にいた助監督が覆面の男にナイフで惨殺される。彼女は目を閉じられないようにまぶたの下に何本もの針をテープで貼り付けられているため、その殺害シーンを凝視することになってしまう。そして二度目の殺人ではマクベス夫人の衣装に引っかかっていた金のアクセサリーに気付いた衣装係の女性が惨殺され、主人公はそのシーンも強制的に見させられることとなる。
 犯人の正体や動機は基本的にどうでもいいと思う。犯人が取り返しに来た金のアクセサリー(チェーン式のブレスレット)も特に意味は説明されないし。重要なのは主人公の美少女がどこまで追い込まれるか。ただ、美少女というにはジェニファー・コネリーと比べると微妙な美少女だし、虫だらけのプールに落とされるほど酷い目にはあっていない。ダリオ・アルジェントも少しは自分の性癖を抑えたのか?
 カメラワークが独特で、登場人物の視点でカメラが長回しをする。冒頭では舞台で本物のカラスを使うことに怒ったマクベス夫人役の歌手が舞台から劇場玄関に移動するまでを長回しで捉える。でも、その間に舞台の上での演出家のカットを挿入して1カットによる長回しにそれほどこだわっていないのには個人的に好感が持てる。あまり長回しって評価してないんだよね。ブライアン・デ・パルマだったら意地でも1カットにするだろうけど、それよりも物語としての演出を優先させている。日本にも長回しにこだわる監督がいた。故人なのであまり悪口は言いたくないのだが、「長回しのための長回し」になっていて演出としての効果を上げていないのでまったく評価していない。その監督のことも嫌いだったな。
 一番多いのは犯人視点で舐めるように移動していくカメラ。犯人のストーカー気質と異常性を感じさせていいカメラワークだ。終盤にはミラノ座の中に放たれたカラス視点のカットがある。上空から旋回しつつ客席まで降りていくカメラ。あのカットはどうやって撮ったのだろう。クレーンじゃ無理だろうし、『ハイランダー』(1986)の冒頭のプロレス会場シーンのようにカメラをワイヤーで吊ったのだろうか。
 いたぶられる美人主人公。独特なカメラワーク。意味がありそうでない小道具など、実はアルフレッド・ヒッチコックを感じたりもする。ダリオ・アルジェントは性癖が歪んだ人だが、ヒッチコックもかなり歪んだ人だしな。
『マクベス』の演出家マークはホラー映画の監督が本業という人物。そんな人がなぜミラノ座のオペラを演出しているのかは謎だ。ストーリー的にも対して意味はないが、ダリオ・アルジェント自身の分身かな。オペラの舞台で本物のカラスをなん羽も使うなど異色な演出だろう。日本でいえば三池監督が歌舞伎の演出をやるようなものか?
 終盤は『マクベス』を観に来ているはずの犯人を見つけ出すためマークが思いもがけない作戦に出るが、舞台で上演中の『マクベス』の歌に字幕が付いていないのが残念。マクベスらしい人物とベディが歌っているのだが、そのシーンを選んだ意味があると思うのだ。そういえば、英語も分からないのに洋楽を聴いている若者を揶揄する人がいるが、イタリア語が分からないのにイタリアオペラを鑑賞して悦に入っている人も同じようなものだよな。あんまり追求すると、「外国語も分からないのに洋画を見てるじゃないか」といわれそうなのでここまで。
 ミラノ座ってのはそんなに大きな劇場じゃないんだ。オペラはマイクを使わない肉声なんで大きさには限界があるのか。4-5階席ぐらいまであるが収容人数は数百人だろう。それっぽっちの観客を相手に舞台装置やら衣装を用意して、大勢の楽団を使ったオペラは採算が取れるのだろうか。観覧料が高いのかな。
 犯人はある意味ベティを見守ってきた存在というのは『オペラ座の怪人』が元ネタなんだろうか。犯人が持っている拳銃はイタリア映画なだけあってかベレッタのM92F。当時は流行のピストルだったね。最近の映画ではグロックばかり見ている気がする。好きな銃だけど。
 YMOの『君に胸キュン』に(懐かしいね、しかし)「イタリアの映画でも観てるようだね」という歌詞があるが、作詞の松本隆はどんなイタリア映画のイメージを持っているのだろうか。個人的にはまずマカロニウエスタン。次にダリオ・アルジェントやルチオ・フルチなどのイタリアンホラー。そして『自転車泥棒』(1948)などのイタリア・ネオリアリズム、『青い体験』などのお色気ものなどロマンチックなイメージはなかなか出てこないんだが。フェデリコ・フェリーニもたいがい変態な人だしなぁ。思いつくのは『あんなに愛しあったのに』(1974)などのエットーレ・スコラぐらいか。それにしてもエットーレ・スコラって今調べたらまだ生きてるんだ。生きている間に『あんなに愛しあったのに』のDVDないしブルーレイは出して欲しいぞ。
「フランスの映画でも観てるようだね」だったら特に違和感はないんだが、そこへあえてイタリアにしたのが松本隆のセンスなのかね。確かに印象には残る。

『セイブ・ザ・ワールド』 もっとあきれた大作戦

B00069BL9E.jpg

『セイブ・ザ・ワールド』(2003) THE IN-LAWS 95分 アメリカ FRANCHISE PICTURES

監督:アンドリュー・フレミング 製作:ビル・ガーバー、エリー・サマハ、ジョエル・サイモン、ビル・トッドマン・Jr 製作総指揮:デヴィッド・コートスワース、オリヴァー・ヘングスト、アンドリュー・スティーヴンス 脚本:ナット・モールディン、エド・ソロモン オリジナル脚本:アンドリュー・バーグマン 撮影:アレクサンダー・グラジンスキー 音楽:クラウス・バデルト、ジョン・パウエル、ジェームズ・S・レヴィン 主題歌:ポール・マッカートニー他
出演:マイケル・ダグラス、アルバート・ブルックス、ロビン・タニー、ライアン・レイノルズ、キャンディス・バーゲン、リンゼイ・スローン、マリア・リコッサ、デヴィッド・スーシェ、KC&ザ・サンシャイン・バンド

 ピーター・フォークとアラン・アーキン主演の『あきれたあきれた大作戦』(1979)のリメイク。といっても、原題と週末の日曜日に結婚することになっているカップルの新郎側の父親がCIAのエージェントで、新婦側の父親の医師が騒動に巻き込まれるという粗筋が同じなだけで、ほとんど別物。物語のキーが紙幣の原版から、ロシアの原子力潜水艦"オルガ"に置き換わっているし。
 マイケル・ダグラスは苦手なんで『あきれたあきれた大作戦』のリメイクということでもなければ観なかった作品だが、これが個人的には大当たり。テンポはいいし、脚本はよく練られているし、いい意味でのドタバタになっていて大満足。
 新郎の父親役がマイケル・ダグラス。新婦の父親が足部の専門医アルバート・ブルックス。マイケル・ダグラスがハチャメチャにぶっ飛んだキャラクターで、アルバート・ブルックスはそれに振り回される。
 マイケル・ダグラスの任務は失われたはずのオルガを手に入れ、それをフランスの武器商人デヴィッド・スーシェに売りつけ犯罪の証拠を掴むこと。コピー機のセールスマンと詐っているマイケル・ダグラスに不審を抱いたアルバート・ブルックスは薬で眠らされてしまい、バーバラ・ストライサンドのプライベートジェット機でパリに連れて行かれる。
 武器商人のデヴィッド・スーシェには伝説の殺し屋"ファット・コブラ"と身を偽り、スーシェの隠された性癖の同性愛を引き出して惚れられてしまう。オリジナルでは歯科医だったのを足部医師に変更したのはスーシェの痛む足に「水に漬けたらいい」と診断して、風呂に連れ込まれるギャグのためだけかと思ったら終盤への伏線になっていた。大したネタじゃないが、こういう細かいところが個人的に好きなのだ。それにしてもデヴィッド・スーシェのインチキ臭いフランス人が実に上手い。この人はNHKで放映されていた『名探偵ポワロ』シリーズでポワロを演じていた人だが、今回はヒゲがなく髪がある。元々はイギリスでシェイクスピアの舞台劇出身の人なので演技力がハンパじゃない。ポワロのような役から、『エグゼクティブ・デシジョン』での極悪アラブ人テロリスト、そして今回のようなマヌケな役まで見事にこなしてくれる。
 オリジナルで子供たちの結婚式は導入部とラストに使われるだけで、全く違う世界を生きるピーター・フォークとアラン・アーキンを引き合わせるだけの設定でしかなかったが、今回は極秘任務と平行して結婚式の準備や結婚前のパーティー、そして結婚式が行われ、その中で新郎と新婦の関係が危うくなったりまた絆を取り戻すなどより意味のある物となっている。それだけストーリーの分量は増えているのだが、オリジナルより10分ほど短い時間にまとめている。良く出来た脚本だ。
 マイケル・ダグラスには部下の女性がいて、単なるお色気要員かと思ったら終盤には思わぬ役割を担ってくる。FBI捜査官の連中がマイケル・ダグラスを元CIAエージェントで犯罪を企んでいると勘違いして追ってくる。こいつらの使い方も上手い。特にボスは意外な趣味でマイケル・ダグラスに脅されたり、ラストの結婚式では意外な役目を果たす。
 アルバート・ブルックスはウェスト・ポーチの愛好者で、そのことをみんなから笑われる。ダサいオッサンということを表現するための小道具かと思ったら、これも終盤でちゃんと意味がある。伏線好きにはたまらない。
 予算をふんだんに使った大作ではないし、大傑作コメディだとも思わない。でもこういうギュッと要素が凝縮された上手いコメディというのが私は大好きなのだ。脚本担当の一人、エド・ソロモンは『ビルとテッドの大冒険』シリーズの人か。なるほど、あっちも大好物だ。演出に関してはスゴいとまでは思わないが、脚本がいいんだな。
 バーバラ・ストライサンドに関しては名前が出てくるだけで、本当に彼女のプライベートジェット機なのかマイケル・ダグラスの嘘なのかは分からないが、マイケル・ダグラスが息子たちのために彼らが初デートで歌った曲の歌手"KC&ザ・サンシャイン・バンド"をパーティに出演させるシーンがある。私は洋楽はさっぱりなんで(邦楽もさっぱりだが)この人たちを知らないが、検索すると結構ヒットするから有名なバンドなんだろう。
 DVDには日本語吹替が2種類収録されていて、片方はマイケル・ダグラスが山路和弘(最近ではNHKの大河ドラマ『軍師官兵衛』で顔出し出演してるな)など声優を使ったものだが、もう片方はマイケル・ダグラスが小川直也、アルバート・ブルックスが故・橋本真也と格闘家が吹き替えている。全く意図が分からないし、ネタでちょっと聞いてみたが、ちょっとで止めた。橋本真也の吹替というのは資料的価値はあるかも知れないがな。
 結婚式の着地のさせ方も上手い。エンドロールではミシガン湖の空撮でカメラがズーッと後退していくのだが、ストップしないように。ちょっとしたオチがあるから。

『あきれたあきれた大作戦』 通貨危機を笑って救え

B000FFP258.jpg

『あきれたあきれた大作戦』(1979) THE IN-LAWS 103分 アメリカ WARNER BROS. PICTURES

監督:アーサー・ヒラー 製作:アーサー・ヒラー、ウィリアム・サックハイム 製作総指揮:アラン・アーキン 脚本:アンドリュー・バーグマン 撮影:デヴィッド・M・ウォルシュ 音楽:ジョン・モリス
出演:ピーター・フォーク、アラン・アーキン、リカルド・リベルティーニ、ペニー・ペイサー、ナンシー・デュソールト、アーレン・ゴロンカ、マイケル・レンベック、ロザンナ・デ・ソート、ジェームズ・ホン

 ジョン・カサヴェテス監督作『ビッグ・トラブル』(1986)と同じピーター・フォークとアラン・アーキン主演のコメディ。ハチャメチャなピーター・フォークに生真面目なアラン・アーキンが振り回されるというパターンも同じ。というかこちらの方が先で、『ビッグ・トラブル』はあのノリをもう一度というわけで作られたんじゃないだろうか。
 アラン・アーキンはニューヨークの優秀な歯科医。娘がエール大学法科の青年と週末に結婚するのだが、まだ青年の両親と会ったことがない。青年の父ピーター・フォークが貿易の仕事で世界中を飛び回っていてなかなか機会が作れなかったのだが、ようやく夕食に招待することが出来た。
 しかしピーター・フォークの正体はCIAのエージェントで南米はホンジュラスの独裁者がフランスやドイツから紙幣の原版を盗み、市場に大量に紙幣を流通させることで西側の貨幣制度崩壊を企んでいる事件を防ごうとしていた。ところがCIA当局からは作戦に許可が下りず、アメリカ造幣局からドル紙幣の原版を盗み、それを独裁者に売りつけに行ったところで隙を見て捕まえるため独自に動き出した。
 だが、原版を盗むのに使った犯罪組織に報酬を払えなかったためつけ狙われることとなったピーター・フォークは隠した原版を回収することが出来ず、その役目をアラン・アーキンにやらせる。
 そして犯罪組織に狙われることとなった2人は、その勢いのまま小型ジェット機でホンジュラスに乗り込むこととなる。
 スチャラカな無責任男が起こした騒動にお堅い男が巻き込まれるというパターンは好みなのだが、それほど楽しめなかった。人物設定や演じている俳優などはいいのだが、脚本に書き込みが足りないし、さしてはじけてくれない。アーサー・ヒラーのドタバタ演出は、悪い意味で"ドタバタ"していて洗練さが感じられない。この人の撮ったコメディで好きなのは『大陸横断超特急』(1976)だけなんで多分好みに合わないのだろう。
 ギャグ映画じゃないにしてももうちょっと脚本段階でのギャグは欲しかった。笑ったのは、狙撃されたアラン・アーキンがピーター・フォークから「ジグザグに走れ」と言われ、わざわざ出発点に戻ってジグザグに走り直すところと、カーチェイスの最中にバナナを満載したトラックから路上に大量のバナナを落として追跡車をスリップさせる所ぐらいかな。でもバナナで車が滑るシーンは意外に地味で、もっと派手にやって欲しかった。独裁者が手に人の顔を描いてその顔が喋るという手芸をやっていたのにはちょっとだけ笑った。ちょっとだけな。
 ホンジュラスに飛ぶ小型ジェット機は中華系の航空会社で操縦士と搭乗員は中国人。ジェームズ・ホンが中国語でアラン・アーキンに酸素マスクや救命具の説明をするのだが、アラン・アーキンは複雑な表情のまま。ジェームズ・ホンが「モウマンタイ(問題なし)」と最後に「トーチェイ(感謝)」と言っているとこだけ聞き取れた。ピーター・フォークがジェームズ・ホンと中国語で会話をしているのだが、きっとタモリのハナモゲラ語みたいなことを言っているのだろうな。ジェームズ・ホンが『ゴースト・エージェント RIPD』(2013)に出演していたのはちょっと驚いた。まだ元気にしてるんだ。
 独裁者の本拠地に乗り込んだので、これから面白くなるのかなと思っていたら、いきなりぶった切られたようにそのシーンは終わってしまいがっかり。
 ラストは子供たちの結婚式でハッピーエンドにしてそれなりに着地。ジェームズ・ホンの乗ったプロペラ機が「ハッピー・ウェディング」の幕を引っ張って空を飛んでいたのが印象に残ったぐらいかな。
 題材にしろ俳優にしろ悪くないので、もっと面白いコメディ映画に出来るはずなのだが個人的には不完全燃焼な仕上がり。

B00JYSGROM.jpg

『最強ゾンビ・ハンター』(2013) ZOMBIE HUNTER 93分 アメリカ THE KLIMAX、ARROWSTORM ENTERTAINMENT

監督:ケヴィン・キング 製作:ケヴィン・キング、クリス・リー、ジェニファー・グリフィン 脚本:ケヴィン・キング、カート・ナイト 特殊メイク:クリス・ハンスン 撮影:イフラム・スミス 編集:クリス・リー 音楽:クリスチャン・デイヴィス
出演:マーティン・コッピング、ダニー・トレホ、クレア・ニーダープルーム、ジェイド・レギアー、ジェイソン・ウィクソム

 低予算で監督が製作も脚本も兼ねている。自主映画だな。それが悪いってんじゃないよ。『死霊のはらわた』(1981)だって同じだ。問題は出来上がった作品が面白いかどうか。この作品は駄作だった。駄作もたまにはいい。面白い映画のありがたみが分かるから。
『マッドマックス2』をゾンビ風味にして、思いっきり安っぽく下品にしたらこの作品になる。パッケージの段階で端から期待しておらず、ダニー・トレホが出ているという理由だけで観る。でも、ゾンビを相手に斧で戦う神父(ダニー・トレホ)は序盤の戦いでゾンビを殺しまくる見せ場がちょっとあっただけで、CGのスーパーゾンビに首をもぎ取られて退場。後は顔も知らん俳優の学芸会演技が続く。
 15歳のガキがエロ本を開いたら中から光が溢れ出たり、保冷庫を開けたら何かが入っていたので登場人物4人が延々ゲーゲー吐き続けるアホなシーンはちょっと面白かった。保冷庫の中は映さず、観客の想像に任せている。
 ゾンビが出現した理由が新型麻薬というのは目新しいか。書くことはそれぐらいか。日本で劇場公開したそうだが、1800円払って観たら怒っただろう。レンタルは新作料金だったんでちょっと腹が立っている。旧作料金になるまで待てば良かった。
 仕事選べよ、ダニー・トレホ。

『恋はデジャ・ブ』 聖燭節は終わらない

B004E2YUVA.jpg

『恋はデジャ・ブ』(1993) GROUNDHOG DAY 101分 アメリカ COLUMBIA PICTURES

監督:ハロルド・ライミス 製作:トレヴァー・アルバート、ハロルド・ライミス、C・O・エリクソン 原案:ダニー・ルービン 脚本:ハロルド・ライミス、ダニー・ルービン 撮影:ジョン・ベイリー 音楽:ジョージ・フェントン
出演:ビル・マーレイ、アンディ・マクダウェル、クリス・エリオット、スティーヴン・トボロウスキー、ブライアン・ドイル=マーレイ、マリタ・ゲラーティ、ロビン・デューク、マイケル・シャノン

 監督・製作・脚本を手がけたハロルド・ライミスは今年の2月に亡くなってしまったんだよな。ネットニュースの見出しになっていたのはちょっと驚いたが、『ゴーストバスターズ』シリーズに役者として出演していたから思っていたより知られているのか。コメディ映画監督としては多少優れていた程度だと思うけど、脚本家としては良い仕事をしていた。
 主演は『ゴーストバスターズ』のビル・マーレイ。ハロルド・ライミスとは監督作『ボールズ・ボールズ』(1980)が最初の出会いか? 『パラダイス・アーミー』(1981)でも共演しているな。しかし『ボールズ・ボールズ』のブルーレイが日本でも発売されるとは思ってもいなかった。もっと他にソフト化するべき作品はあると思うけど。
 フィル(ビル・マーレイ)は地方TV局のお天気キャスター。本人はスター気取りで、キー局からも誘いが来ているのが自慢のイヤな奴。この高慢ちきな男がビル・マーレイによく似合っている。普通にしていても変人に見える人だ。
 そのフィルが新しくプロデューサーになったリタ(アンディ・マクダウェル)とカメラマンと共にパンクスタウニーという人口6000人ちょっとの町へ2月2日の聖燭節の取材にやって来る。ウッドチャックのフィルが冬眠から目覚め、巣穴から出てきた時に自分の影を見たらまだ6週間冬が続くというお祭りをやっているのだ。
 朝の6時に目覚ましのラジオ放送で起きたフィルは、てんでやる気のない様子で適当に取材を済ませると、リタたちと共にTV局のバンで帰ろうとするが途中の道路が吹雪のため足止めを食ってしまい、もう一晩パンクスタウニーに泊まることになる。
 そして次の朝、また6時のラジオで目覚めたフィルは、放送内容が昨日と全く同じなので録音だと思う。だが、ペンションの女主人や町で偶然であった高校時代の知り合いは昨日と同じことを言ってくる。そして町の広場では終わったはずの聖燭節が行われていた。
「これはデジャ・ブか?」と昨日と同じ事を繰り返すフィルだったが、もう一泊しても聖燭節のままだった。そう、デジャ・ブではなく同じ日が繰り返されていたのだ。それに気付いているのはフィル1人。そして学園祭前日、じゃなかった聖燭節は延々と繰り返すのだった。
 タイムループ物の傑作。と言ってもハリウッド映画でタイムループ物というのはそう記憶がない。現在公開中のトム・クルーズ主演作『オール・ユー・ニード・イズ・キル』(2014)はトム・クルーズが何度も戦死してはまた過去に時間が戻って次第に戦士として強くなっていくというストーリー。映画の方はまだ観ていないが、原作の方は読んでみた。「原作日本」とCMで主張していたようにオリジナルは集英社が出している桜坂洋という作家のライトノベル。感想としては「なんだ『恋はデジャ・ブ』じゃないか」だったりする。
 日本ではタイムループ物は割とメジャーな印象だ。同じくライトノベルで今関あきよし監督で実写映画化もされた『タイム・リープ』(1997)とか今年のTVアニメ『スペース☆ダンディ』第10話『明日はきっとトゥモローじゃんよ』とか、えーと多分他にもある。個人的に大嫌いな人なんでどうでもいいんだが、今関は映像畑に復帰していたのか。ロリコン作品を撮るのは勝手だが、実際に児童買春して逮捕されてちゃ話にならん。
 日本でタイムリープ物に人気があるのは押井守の『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』(1984)の影響が大きいからだろうか。原作自体が連載が何年も続いても高校二年生のままといういわゆる『サザエさん時空』なのだが、学園祭前日を延々と繰り返していたというストーリーで"夢"について描いた作品だ。星新一辺りもショートショートSFで扱っていそうな題材で、ということは多分手塚治虫も手がけていそうだ。
 話を戻すと、同じ2月2日を繰り返す中で、フィルは苛立ったり、絶望して自殺を繰り返したりするが目覚めるとまた朝の6時。フィルは何百回、もしかすると何千回も繰り返している様子なのだが、そこら辺を上手く省略しながら繰り返しを観客に想像させる脚本が上手い。
 町の人々や2月2日に町で起こることにどんどん詳しくなっていくし、リタに興味を持ったフィルは彼女を口説くためにフランス語を習得してフランスの詩を暗記して口ずさめるようになったり、一からピアノを習い始めてついにはパーティーのステージで演奏出来る腕前になる。
 リタを何度も口説こうとして失敗しているのをビンタのカットを連続することで描写しているのも上手い。同じ日を繰り返しているのをリタに説明するのにもついに成功し、彼女と一夜を共にすることになるのでこれで状況が変わるかと思ったら、また同じ朝の6時を迎える。
 1人経験を積み重ね、町に詳しくなったフィルはいつしか捻くれた性格が直り、その日に起こる人々のトラブルを助けて回るようになる。だが街角で通行人に小銭をねだっている乞食の老人だけはその晩に死んでしまうのを救うことが出来ない。老人は寿命で死んでしまうのだ。一度は「自分は神ではないか」と思ったフィルだが、どうにも出来ないことがある。この老人のエピソードはいいと思ったのだが、どうやってその思いをフィルが乗り越えたのかが描かれていないのはもったいない。もっとも、あくまでもコメディなので逃れようのない死という重い題材を盛り込んだだけで良しとしよう。
 ヤケになって暴走したり、思い悩んだり、いつしか一種の悟りに達するフィルを演じたビル・マーレイがやはりいい。変人を演じたら天下一品で個人的ベストは『知らなすぎた男』(1998)かな。コメディだけじゃなくてサマセット・モーム原作の『剃刀の刃』(1984)みたいな演技も出来たりと懐が深い。この人も『サタデー・ナイト・ライブ』出身なのだが、どれだけの化け物番組だったのだろうか。日本でもジョン・ベルーシがらみだかで1本ぐらいビデオになっていたそうだが、縁がなくて観たことがないんだよな。
 リタを演じたアンディ・マクダウェルは最近観た記憶がないな。角川春樹が製作した主演作『ルビー・カイロ』(1992)は今にして思えばリーアム・ニーソンやヴィゴ・モーテンセンも出ていたんだよな。公開当時は東京にいて、金券屋で数百円で買った前売り券(多分、角川があちこちにばらまいたんだろう)で観たが、その数百円も惜しいと思わせる駄作だった。
 それにしても『恋はデジャ・ブ』というセンスのない安っぽい邦題はなんとかならなかったのだろうか。配給担当者はピントのずれた方向に頭を使いすぎ。