『真夜中のサバナ』 GOOD AND EVIL

B00CPC0I6W.jpg

『真夜中のサバナ』(1997) MIDNIGHT IN THE GARDEN OF GOOD AND EVIL 155分 アメリカ WARNER BROS. PICTURES、MALPASO PRODUCTION

監督:クリント・イーストウッド 製作:クリント・イーストウッド、アーノルド・スティーフェル 共同プロデューサー:トム・ルーカー 原作:ジョン・ベレント 脚本:ジョン・リー・ハンコック 撮影:ジャック・N・グリーン 美術:ヘンリー・バムステッド 音楽:レニー・ニーハウス
出演:ジョン・キューザック、ケヴィン・スペイシー、ジャック・トンプソン、イルマ・P・ホール、ジュード・ロウ、アリソン・イーストウッド、ザ・レディ・シャブリ、アン・キューザック、ボブ・ガントン、ジェームズ・ガンドルフィーニ

 ジョン・ケルソー(ジョン・キューザック)はアメリカでも有数の美しい町と言われるサバナで、町の名士ジム・ウィリアムズ(ケヴィン・スペイシー)が開催するクリスマスパーティーを取材するためにやって来た。500ワードの短い記事だが、ジョンが指名されたのはかつて彼が出した本をジムが読んでおり、その文章を気に入っていたからだ。
 首輪だけで姿の見えない犬を散歩させる男。シャブリと言う名のドラッグ・クィーン(オカマ)。ブードゥー教とのお婆さん。蝿を飼っていて街中の人間を殺せるという噂の謎の毒が入った瓶を持った男(ジェフリー・ルイス)など不可思議な人達が過ごす町、サバナ。平和な町で殺人事件が発生した。ジムが下働きの男ビリー・ハンソン(ジュード・ロウ)を射殺したのだ。
 ビリーは問題児で、酔って暴れたり麻薬をやったりしていた。当日も寄ってジムの元へ現れ、口論の挙げ句拳銃でジムのことを撃ち、ジムに反撃されてしまったのだ。
 この事件はビリーに対するジムの正当防衛で簡単に解決するかと思われた。クリスマスパーティーの記事ではなく、サバナのことを本にしようと思っていたジョンはこの事件を調べ始める。その内に意外な事実が明らかになってくる。
 クリント・イーストウッドとジョン・キューザックという好みの人間が手を組んだ作品なのだが、今回のイーストウッドの演出手腕は今一つ冴えず、彼にしては凡作に仕上がっている。この作品はドキュメンタリー旅行記の映画化で、サバナという町やそこに登場する人物の多くも実在するのだが、そのサバナの奇妙振りの方が勝っている。シャブリも実在の人物で演じているのもシャブリ本人。どんな俳優を持ってきてもこの本物の持つ異常さにはなかなか勝てない。
 サスペンスとしては基本牧歌的なノリなのでハラハラドキドキするところは少ない。ミステリーとしてはトリックが単純で、というかジムが意識してやったことではないのでトリックですらないのだが、その内容をジムの口頭でジョンに否定されてしまう。
 原題に『GOOD AND EVIL』とあるように、この物語は何が真実で誰が犯人かと言うことよりも、何が善で何が悪かという原罪に関する作品だろう。エンドロールで両手に二枚の皿を水平に持った少女の石像が、審判の女神を思わせる。
 ドキュメンタリーの映画化だから仕方ないのだろうが、所々無駄なシーンがあるのも気になる。黒人社交界にジョンとシャブリが行くシーンなど丸々カットしても問題ない。脚本が原作のどこを取ってどこを捨てるのかが出来ていない。
 イーストウッド作品としては長目で、延々引っ張ってこられて結局ホモの痴話喧嘩というオチ。

『目撃』 権力に逆らえ

B003KK0MDW.jpg

『目撃』(1997) ABSOLUTE POWER 121分 アメリカ CASTLEROCK ENTERTAINMENT、MALPASO PRODUCTION

監督:クリント・イーストウッド 製作:クリント・イーストウッド、カレン・スピーゲル 製作総指揮:トム・ルーカー 原作:デヴィッド・バルダッシ 脚本:ウィリアム・ゴールドマン 撮影:ジャック・N・グリーン プロダクションデザイン:ヘンリー・バムステッド 美術:ジャック・G・テイラー・Jr 編集:ジョエル・コックス 音楽:レニー・ニーハウス 舞台装置:リチャード・C・ゴダード、アン・D・マッカレー
出演:クリント・イーストウッド、ジーン・ハックマン、エド・ハリス、ローラ・リニー、スコット・グレン、デニス・ヘイスバート、ジュディ・デイヴィス、E・G・マーシャル、メロラ・ハーディン、リチャード・ジェンキンス、ケネス・ウェルシュ、ペニー・ジョンソン、マーク・マーゴリス、エレイン・ケイガン、アリソン・イーストウッド

 ルーサー(クリント・イーストウッド)はベテランの大怪盗。3度逮捕されたことがあるが、ここ30年は捕まることもなく泥棒稼業にいそしんでいる。そんなルーサーの次のターゲットは政治界にも大きな発言権を持つ大物事業家(E・G・マーシャル)のお屋敷に隠された500万ドル相当のお宝。一家はカリブにバケーションに行っていて留守なので、警報装置を解除し難なく忍び込む。お宝を探す内に、主人の寝室で大きな姿見の後ろに隠し部屋を発見。そこが金庫になっていてダイヤなどの宝石や現金がザクザク。ところが、誰もいないはずのお屋敷なのに人の声が近づいてくる。入ってきたのは旅行に行っているはずの妻と、なんと大統領(ジーン・ハックマン)だった。
 ひどく酔っている二人はいちゃつき始めるのだが、サド心が目覚めた大統領が実業家の妻を殴り始める。驚いた妻はナイフで大統領に反撃する。その悲鳴を聞きつけて大統領警護官が入ってきて妻を射殺してしまう。
 マジックミラーになっている姿見越しにすべてを"目撃"したルーサーは逃亡。大統領警護官たちは証拠を片付け痕跡を消して立ち去ってしまう。ただし、ルーサーに奪われたナイフ以外は。警察はルーサーが犯人だと目星を付け、セス(エド・ハリス)を指揮官にして彼を追い始める。大統領警護官や実業家が差し向けた殺し屋に命を狙われる中、ルーサーは真実を暴くことが出来るのか。
 大統領という絶対権力(ABSOLUTE POWER)を相手に老怪盗が牙を剥く。最初はほとんど連絡を取っていなかった娘のケイト検事(ローラ・リニー)にだけ別れを告げると外国に逃亡するつもりだったルーサーだが、空港のテレビで大統領が実業家に語りかける白々しい演説を耳にして立ち向かうことに決めたのだ。正直、動機としては少し弱い気もする。だがそれを補うのがジーン・ハックマンの憎々しげな演技。こいつには一泡吹かせてやらねばならぬ。
 セスはかなり早い段階で、現場にルーサーがいたが犯人でないことを見破る。名刑事である。だが、大統領と実業家はルーサーは目撃者ないし犯人であることを疑わない。しかも大統領はケイトにまで魔の手を伸ばしてくる。ルーサーは娘を守り抜くことが出来るのか。
 またもや過去に離婚歴のある設定のイーストウッド。彼が幸せな結婚生活を送るのは無理なのだろうか。
 ストーリー的には多少無理があるが、それを感じさせないイーストウッドの演出手腕。サスペンスもこなせるというところを見せてくれる。権力が引き起こした事件に一個人が巻き込まれるというパターンはヒッチコック的でもあるな。さすがに細かいサスペンス演出はヒッチコックの方が上だが。
 ラストでルーサーからすべてを説明してもらった実業家が、妻が使ったナイフで大統領を刺し殺し、自殺扱いにしてしまうというのは怖ろしい。ルーサーが娘を手にかけようとした大統領警護官を殺してしまうのはちょっとキャラクターに合わなかったか。盗みはすれども非道はせずじゃないのか。もう1人の大統領警護官スコット・グレンは自殺してしまうが、あれも自殺なのか。ルーサーに殺されたんじゃないのか。実は一番の悪党である大統領直属の女性部下だけ死ななかったりするからやっぱり自殺かな。
 キャストがかなり豪華。イーストウッドとエド・ハリスが並ぶとエドの毛髪が寂しくて寂しくて。オープニングの美術館でルーサーに話しかけてくる美大生は実娘のアリソン・イーストウッドだな。

『マディソン郡の橋』 アイオワ不倫

B003EVW5NW.jpg

『マディソン郡の橋』(1995) THE BRIDGES OF MADISON COUNTY 135分 アメリカ WARNER BROS. PICTURES、AMBLIN ENTERTAINMENT、MALPASO PRODUCTION

監督:クリント・イーストウッド 製作:クリント・イーストウッド、キャスリーン・ケネディ 原作:ロバート・ジェームズ・ウォーラー 脚本:リチャード・ラグラヴェネーズ 撮影:ジャック・N・グリーン 音楽:レニー・ニーハウス
出演:クリント・イーストウッド、メリル・ストリープ、アニー・コーレイ、ヴィクター・スレザック、ジム・ヘイニー、サラ・キャスリン・シュミット、クリストファー・クルーン、ミシェル・ベネス、カイル・イーストウッド、フィリス・リオンズ

 製作にはアンブリン(スティーヴン・スピルバーグ)が絡んでいるのか。珍しいなと思ったら、そもそもはスピルバーグ監督作で行く予定だったそうだ。しかし、スピルバーグは『シンドラーのリスト』(1993)の撮影で忙しく、ほったらかしになってしまい、監督や主演が転々とした後、最終的に監督・主演クリント・イーストウッドになったそうである。
 個人的にはメロドラマは苦手。原作はあまりにも話題になっているんで本屋でチラ読みしてみたがどうにも三流不倫小説にしか思えなかった。それがイーストウッドの手を経るとこんな文芸作品になってしまうのである。それでも苦手だけどね。
 アイオワの片田舎でフランチェスカ(メリル・ストリープ)がなくなった。フランチェスカは遺言で遺体は火葬にして近所の橋から撒いてくれと書かれていた。貸金庫の中から一つの鍵が出てきてそれで家にあったチェストが開いた。中には何台かのカメラと橋の写真集が一冊、そして手記が入っていた。
 そこに記されたのは家族の知らないフランチェスカのたった四日間の恋の物語だった。
 夫と息子、娘が子牛を品評会に出すため四日間留守にすることとなった。留守を守るフランチェスカの家に1人の男が訪れた。彼の名はキンケイド(イーストウッド)。ナショナルジオグラフィックのカメラマンで、屋根のある橋の写真を取りに来たのだが、橋の場所を教えて欲しいという。口では道が上手く説明出来なかったため、フランチェスカは車に同乗して道案内する。もう自分は農家のオバさんでロマンスなんかに縁がないと考えているので無頓着なのだ。だが、そのオバさんに魅力を感じたオジさんキンケイドは次第に彼女との距離を詰めてくる。
 あれだな、女の人はこう言うのに憧れるのかね。夫との会話も少なくなり子供たちは反抗期。家事に追われるだけの自分。もう自分に価値はないと思っていたのに、その価値を見出してくれる人が出てきたわけだ。でも自分の価値なんて自分で決めれば良いと思うんだけど。家の中に籠もっちゃうとその自分の価値観があてにならなくなってくるのか?
 そういう時にはパートに出たり、ボランティア活動をしたりして世間と接すれば良いのだが、この物語の時代、ましてや片田舎ではそんな機会もないか。
 疑問なのは、キンケイドが最初からフランチェスカを落とそうと狙っていたかどうかだ。個人的には結構怪しいと思うよ。ラストは"純愛!"って形で終わってるけど、やるこたぁやっちゃってるわけだし、キンケイドはフランチェスカの家族が四日間留守にしていると聞いた時にチャーンスと思ったかも知れない。それか、彼女と親しくなっていく内に次第に愛情を抱くようになったのか。でも、最初から馴れ馴れしい。うーむ、やっぱり狙ってる、狙ってる。
 フランチェスカはイタリア出身の元教師で、学があり自制心もあるから最後の最後で踏みとどまることが出来たので、普通のオバさんだったらあのままキンケイドについて行ってしまったかも知れない。でもついてこない人間であるフランチェスカだからキンケイドは惚れたのか。
 不倫がバレて町の人からつまはじきになっている女性が登場するが、フランチェスカと彼女の違いはなんだろう。バレたかバレてないか? そこまで単純じゃないだろう。
 しかし、四日間の間フランチェスカとキンケイドは行動を共にしていて、一緒に町に出て買い物をしてたりするんだが噂にはならなかったんだろうか。
 メリル・ストリープは1949年生まれで、小学生ぐらいの子供がいるにはちょっと老けすぎだが、あの外見は実年齢と言うよりも彼女の精神年齢を示している。だからキンケイドとつき合っている内にどんどん若返ってくる。でも、最後になってキンケイドと分かれ家族と再会した時にはまた元に戻っている。
 手記を読んだ子供たちは納得して、遺灰を二人で写真を撮りに行った橋から撒かれているキンケイドと同じく風に撒かれた。二人の遺灰の原子が一つぐらい結びついたかも知れない。
 演出は申し分ないが、テーマに興味がない。それとキンケイド格好つけすぎ。フランチェスカの旦那は真実を知らないまま死んでいて、この人が一番可哀想。
 1993年の前半に山田康夫氏が亡くなっているので、この作品では夏八木勲が吹替を担当している。ボソボソッとした感じでイマイチ。その後、他の人になるんで、やっぱり評判はよくなかったんだろう。

『パーフェクト ワールド』 疑似父息子

B00846NKVS.jpg

『パーフェクト ワールド』(1993) A PERFECT WORLD 138分 アメリカ WARNER BROS. PICTURES、MALPASO PRODUCTION

監督:クリント・イーストウッド 製作:マーク・ジョンソン、デヴィッド・ヴァルデス 製作総指揮:バリー・レヴィンソン 脚本:ジョン・リー・ハンコック 撮影:ジャック・N・グリーン 美術:ヘンリー・バムステッド 音楽:レニー・ニーハウス
出演:ケヴィン・コスナー、クリント・イーストウッド、T・J・ローサー、ローラ・ダーン、キース・ザラバッカ、レオ・バーメスター、ブラッドリー・ウィットフォード、ジェニファー・グリフィン

 クリント・イーストウッドがトップクレジットをケヴィン・コスナーに譲り俳優としては2番目のクレジットで出演した作品。実際、主役はコスナーでイーストウッドの出演時間は意外に短くて演技よりも演出に力を入れている様子。
 ケネディのダラス演説が近いというセリフがあるので、時代設定としては1963年だろうか。『アルカトラズからの脱出』と同じく収容房の通気口に穴を掘り2人の囚人が脱獄した。その1人がブッチ(コスナー)である。もう1人の囚人はかなりヤバイ奴で、同房だったため仕方なく一緒に脱獄したが、ブッチとしては早々に分かれるつもりである。刑務所で盗んだ車では目立ってしまうため、乗り換える車を探すのだが、ブッチは何故かフォードにこだわっている。実はそれは幼い頃に自分と母を捨てて消息を絶ってしまった父親への思いからだった。
 民家に押し入った2人は8歳の少年フィリップを人質に逃走することになる。フィリップの自宅はエホバの証人で、前日のハロウィンにもクリスマスにも参加出来ず、カーニバルにも行けないのでローラーコースターに乗ったり綿アメを食べたこともなかった。
 極悪人のはずだが、急速に距離を縮めていくブッチとフィリップ。何故ならばブッチも幼い頃に父親に捨てられ、その後娼婦だった母親は末期の梅毒で首を吊って自殺したという過去があったからだった。昔の自分にフィリップの姿を重ねたのだ。
 もう1人の囚人がフィリップに小児愛を示したため、ブッチはそいつを射殺。フィリップは下半身パンツ一丁で連れ去られてしまったため、雑貨屋で服などを揃える。しかし店主が手配犯だと気付き警察に連絡したため慌てて逃走する。そのドサクサでフィリップは『おばけのキャスパー』のハロウィン衣装を万引きしてしまう。
 もちろん警察も呑気に構えているわけではない。現場責任者のレッド(イーストウッド)は知事が使う予定のハイテクトレーラーを勝手に使い、ブッチの後を追い始める。レッドとブッチには深い因縁があり、少年時代に車を盗んで乗り回したブッチを4年の少年院実刑にするよう司法に進言したのがレッドだったのだ。ブッチを取り巻く環境は悪く、それよりは少年院に入って悪事から隔離された方がいいだろうという考えだったのだが、逆に中で悪事を覚えてしまったブッチは悪人街道を突っ走ってきたのだ。ブッチとフィリップほどではないが、レッドとブッチにも疑似父息子関係が感じられる。
 私の父親は高度成長期を支えたサラリーマンの世代である。毎日帰りも10時11時だったり、休みの日も結局出勤していたりで、あまり父親と接した記憶がない。父親は大学で山岳部だったので、何度か立山などに連れて行ってもらったことや、火をおこす特技から狭い庭で(田舎だからそれなりに広さがあって近所迷惑にはなっていないと思うが)何度かバーベキューをやったこと。すき焼きの味付けは父がやっていたこと。何度かキャッチボールをやったこと。そんなことしか記憶にない。進路や就職は自分で考えてどんどん決めていってしまって相談したことはほとんどないし、お互いに飲べなのに一緒に2人で酒を飲んだ記憶もない。大学で実家を出てしまったので、その後深く話し合う機会はなかった。母が亡くなり、ようやくそういった関係になってきた時には父親は認知症を患っていて、簡単な日常会話しか出来なくなっていて数年後に肺炎で死亡した。私と父親はそんな関係なので、父息子というものには興味があった。これは私だけではなく、姉も『ジャイアント・ロボ』や『新世紀GPXサイバーフォーミュラ』といった亡くなった父が残した遺産で戦う息子というテーマの作品が好きだったので、姉弟ともに父親には屈折した想いがあるのだろう。この作品でも一番気になるのが父息子関係、正確に言うならば疑似父息子関係についてである。
 イーストウッドはコミュニティを重要視する監督である。友人同士、恋人同士、そして家族である。『アウトロー』のテーマも生まれも育ちも違う面子が集まって作り上げた疑似家族である。この作品では3世代に及ぶ疑似父息子関係が描かれている。ブッチとフィリップが中心で、レッドとブッチに関しては考えすぎかも知れないがさてどうだろう。終盤でブッチはレッドに対して「どこかであったかな?」と問い、それに対する答えは「かも知れないな」だった。
 ブッチとフィリップが黒人小作農の家に厄介になるシーンがあるが、善人である小作農は息子には厳しくちょとしたことで容赦なく張り倒す。ブッチが小作農の息子に宙返りをさせて遊ばせるのだが、ついに逃走犯であることがバレてしまう。父親にしがみつく息子に、「ほら、宙返りをさせてやるよ。おいでよ」というブッチの言葉が虚しく響く。
 ところでブッチはどれぐらいの悪党だったのだろうか。刑務所に入れられるまで殺人は犯していないようだし、窃盗などが中心のようだ。普通にしていると実に普通の人物で悪人には見えない。逃走劇の置いてはちょっと調子のよすぎる人物設定の気もするが、怒るとやっぱ怖い。
 そしてオープニングショットの原っぱに寝転んでいるブッチと飛び交うお札、そしてヘリのローターの音がラストに円環する。イーストウッドは円環が好きだな。ラストではアホたれなFBIによって射殺されてしまったブッチの姿だったことが分かる。でも、ラストのブッチは目を閉じているけど、オープニングは目を開けていたよな。死と再生が関わっているのだろうか。
 パーフェクトワールドとはブッチが昔に父親から送られてきた絵はがきのアラスカのこと。今でも父親がハガキの住所にいるか、そもそも生きているかも怪しいがブッチは父親を求めてアラスカを目指す。そこはブッチにとっていわゆる精神的理想郷である。

『ザ・シークレット・サービス』 守る男、狩る男。

B003CNVPCY.jpg

『ザ・シークレット・サービス』(1993) IN THE LINE OF FIRE 128分 アメリカ COLUMBIA PICTURES、CASTLEROCK ENTERTAINMENT

監督:ウォルフガング・ペーターゼン 製作:ジェフ・アップル 製作総指揮:ウォルフガング・ペーターゼン、ゲイル・カッツ、デヴィッド・ヴァルデス 脚本:ジェフ・マグワイア 撮影:ジョン・ベイリー 音楽:エンニオ・モリコーネ
出演:クリント・イーストウッド、ジョン・マルコヴィッチ、レネ・ルッソ、ディラン・マクダーモット、ゲイリー・コール、フレッド・ダルトン・トンプソン、ジョン・マホーニー、クライド草津、ジョン・ハード、トビン・ベル

 出演者のクライド草津は『ホット・ショット2』で日本の総理大臣を演じていた人だな。アメリカ人が抱く日本人のイメージ通りにチビ・デブ・ハゲの三拍子揃った人でコンピュータが専門。調べてみると『GODZILLA』(1998)を始めかなりの作品に出ている。『GODZILLA』はオープニングの漁船のシーンかな。今度、ゴジラ60周年記念でBlu-rayが出るから確認してみよう。60周年記念では『ゴジラ』シリーズが一気にBlu-rayで出るが定価で5000円超えという相変わらずふざけた東宝価格である。2500円ぐらいで出せよ。もう減価償却は済んでるだろ。他はともかく『キングコング対ゴジラ』は迷ってるんだよな。
 クリント・イーストウッドがコロンビア映画に出たのはこれが初めてかな。なんでまた突然。監督は大味な映画しか撮れないウォルフガング・ペーターゼン。もちろんこの作品も大味だ。
 まず主人公のホリガン(イーストウッド)のキャラクター設定がきちんと定まっておらずイライラする。シークレット・サービスのエージェントなのだが、ジョン・F・ケネディ暗殺事件を防げなかったことを未だに悔やんでいて、アルコールに溺れて妻と娘には逃げられているダメ人間。なのに仕事は出来るというどっちだよお前はという感じ。『ガントレット』の主人公はアルコール依存症気味のダメ刑事だったが、ソンドラ・ロック護送任務の最中に刑事としても人間としても再生していくという話だった。これは良いと思うんだが、ホリガンもエージェントとして失格気味にすべきではなかったか。ケネディ暗殺事件からずっとダメエージェントではとっくに首になりそうだが、これはインパクトを狙ってケネディを出してきた脚本が悪い。いくら何でも昔の出来事過ぎるよ。過去を引きずるにしてもほどがある。この映画が1992年だから1990年辺りに大統領暗殺事件があって、それを二年経った今でも引きずっているぐらいなら良いだろう。だが残念ながら大統領暗殺事件は起きなかった。だったら映画はフィクションなんで架空の暗殺事件を起こしてしまえば良かったではないか。
 これならば大統領暗殺事件を防げなかったトラウマでアルコール依存症気味になってしまったシークレット・サービスのエージェントが、CIAの元暗殺者でこちらも過去のトラウマから大統領暗殺を企むミッチ(ジョン・マルコビッチ)という図式が生きてくる。アメリカ人にとってはケネディ暗殺事件は未だに引きずっている過去なのかも知れないけどね。
 ホリガンは自分のことを50代の男といっているが、いやあんたもう60代だから。その証拠にアクションがメチャメチャキツそうじゃん。過去のトラウマに悩んでいて妻に逃げられてしまったこともあるのに同僚の女性エージェント・リリー(レネ・ルッソ)に惚れていて、しかもモテてしまう。自分の相棒がミッチに殺されたというのにリリーにピアノを弾いたりしてモーションをかけてそれに成功してしまう。相棒を殺されたショックでリリーを求めたのかも知れないが、どちらにしろ都合の良い設定だ。親子ぐらい年の差があるだろうに。しかもレネ・ルッソが相手で。好きなんだよ、レネ・ルッソ。『マイティ・ソー』(2011)ではもうオバさんだったなぁ。でも「レネ・ルッソがオバさんになってもディスコに連れて行くよ。ミニスカートがとても似合うね」。それにしてもイーストウッドの相棒はやるもんじゃないね。ほとんどの確率で殺される。
『ルーキー』はなんだかんだいって若手の相棒チャーリー・シーンを活かしてオヤジと若者の両車輪で物語を動かしていたが、そういった工夫がこの脚本には見られない。
 暗殺者として教育を受け、人を殺しまくっていった結果壊れてしまったミッチという気違いをジョン・マルコビッチは彼らしく上手く演じている。まぁ、気違いの役は役者にとってやりやすいそうだが。合成プラスチックの塊を削って作り出したお手製の二連式拳銃は憧れる。今だったら3Dプリンタが登場するシーンだろうな。その試射を偶然目撃してしまったばかりに射殺されてしまう2人のハンターは哀れ。自分たちも無意味に鳥を撃っている存在で、ミッチが大統領を暗殺しようという理由が無意味なのを説明するのに一役買っている。ここら辺は上手いんだよなこの脚本。下手なのか上手いのかはっきりしてくれ。
 ミッチにとっては大統領暗殺はホリガンを相手にしたゲームで、相棒は殺され大統領の演説会でミッチが飾ってある風船を割った音を銃声と勘違いしてホリガンは味方からも実力を疑問視されてしまう。追いつめられたホリガンの怒りがラストで爆発する! ・・・かというとどうにも不完全燃焼。ホリガンの手でとどめを刺すべきだったと思うよ、私は。
 ケネディ暗殺事件で壊れてしまったホリガンとお国の任務で壊れてしまったミッチ。2人の壊れた男は戦いの中でしか自らを見出すことが出来なかった。ミッチは死でそれから逃れ、ホリガンはリリーによって癒やされる。
 オープニングでホリガンと相棒が偽札偽造犯の取り締まりをしている。シークレット・サービスの任務は要人警護以外にも、偽造通貨の取り締まりなどがあるのだな。ほかのシークレット・サービス映画でも偽札が登場していた。あの映画はなんだったかなぁ。思い出せん。
 ミッチが実業家に変装したシーンで「われわれは四半期のことしか考えていないが、日本人は四半世紀先のことを考えてビジネスをやっている」とかいっていたが、だったらこんな国になってないよな。コロンビア映画=ソニーだからリップサービスかね。
 しかし、『IN THE LINE OF FIRE』という原題をなんとか邦題に活かせなかったものかね。LINE OF FIREといったらあれだろ、銃口から弾丸が飛び出していく直線(地味に下降気味)だろ。その線に標的が入っていると言うことで『照準完了』とかかな。あっ、こりゃダメだ。いいよ『ザ・シークレット・サービス』で。

B003GQSXKE.jpg

『許されざる者』(1992) UNFORGIVEN 131分 アメリカ WARNER BROS. PICTURES、MALPASO PRODUCTION

監督:クリント・イーストウッド 製作:クリント・イーストウッド 製作総指揮:デヴィッド・ヴァルデス 脚本:デヴィッド・ウェッブ・ピープルズ 撮影:ジャック・N・グリーン プロダクションデザイン:ヘンリー・バムステッド 美術監督:エイドリアン・ゴートン、リック・ロバーツ 編集:ジョエル・コックス キャスティング:フィリス・ハフマン 音楽:レニー・ニーハウス 舞台装置:ジャニス・ブラッキー=グッダイン
出演:クリント・イーストウッド、ジーン・ハックマン、モーガン・フリーマン、リチャード・ハリス、ジェームズ・ウールヴェット、ソウル・ルビネック、フランシス・フィッシャー、アンナ・トムソン、デヴィッド・マッチ、ロブ・キャンベル、アンソニー・ジェームズ、タラ・ドーン・フレデリック、ビヴァリー・エリオット、リーサ・レポ=マーテル、ジョジー・スミス、シェーン・メイア、アリン・レヴァシュー、シェリリーン・カーディナル、ロバート・クーンズ、ロン・ホワイト、ミナ・E・ミナ、ジェレミー・ラッチフォード、ジョン・パイパー=ファーガソン、ジェファーソン・マッピン、フィリップ・ヘイズ、ラリー・ジョシュア

 ようやくアメリカ映画界も映画作家クリント・イーストウッドを認めざるを得なかった。アカデミー賞で監督賞、作品賞、助演男優賞(ジーン・ハックマン)、編集賞(イーストウッド組のジョエル・コックス)と堂々四部門での受賞である。
 公開当時の映画館で、スクリーンに影絵のような極端なコントラストで真横から捉えられた樹と主人公ウィリアム・マニー(イーストウッド)の今は亡き妻の墓標が夕焼けの光景で映し出された時、「あ、これはきたな」と感じた。アカデミー賞を取ったからそう言ってるんだろうと反論されるかも知れないが、きたんだからしょうがない。傑作の予感である。
 当時は情報量が少なかったので、新作が『許されざる者』と聞いた時にはジョン・ヒューストンの西部劇『許されざる者』(1959)のリメイクかと思ってしまった。ジョン・ヒューストンをモデルにした『ホワイトハンター ブラックハート』(1990)を撮っているしそれほど不自然には感じられなかった。
 実際には今でこそ貧乏農夫だがかつては女子供でも殺した無法者のマニーが、無法者気取りの若者キッドに誘われ娼館の娼婦たちが出した賞金目当てで青白い馬に跨がって賞金首を殺しに行くがあれやこれやという話であった。

 で、誰が"許されざる者"なんだ?

 終盤になっての感想がそんな頓馬なことだった。町の治安と正義を名目に権力を笠に着て暴力を振るう保安官(ジーン・ハックマン)なのか。娼婦の顔をナイフで切り刻んで傷物にしたカウボーイなのか。娼婦の命は助かったのにカウボーイを殺して欲しいと賞金をかけた娼婦たちなのか。その賞金目当てでやって来たマニーたち賞金稼ぎなのか。
 一番それっぽいのは保安官だが、彼は町の治安を守っただけ。マニーの相棒のネッド(モーガン・フリーマン)から情報を聞き出すために鞭打ちの拷問をして殺してしまっているが、許されざる者かというとちょっと違う気がする。ここで理屈ではなく直感がささやく。「マニーだよ・・・ マニーだよ・・・」そうか、マニーが許されざる者なのか。今では無法者から身を退いて貧乏農夫として泥の中で豚を追いかけ亡き妻を思いながら残された2人の子供を愛していても、かつて悪党だった男は最後まで悪党。人殺しは人殺しなのだ。カウボーイを狙撃しておきながら、とどめの引き金を引けなかったネッド。カウボーイを見事仕留めたが、実はこれが最初の殺人でもう人殺しは出来なくなる根性しかないキッド。そんな2人とは違いマニーは根っからの悪党なのだ。それは決して許されることはない。
 のかなぁと思ったら、ラストショットはファーストショットに円環し、ナレーションが「その後、マニーと子供たちは行方不明である」となったので、やっぱりそうかと思ったら「港町で商売に成功したとの噂もある」ときた。えー、愛する子供と金を得て人生成功しちゃったの。じゃあ許されちゃってるじゃん。この一文削ってよーとまた思考の波にのまれていくのであった。
 極端なことを言えば、この作品に登場するほとんどすべての人が(通行人とか列車に同席していた人とかはもちろん除く)許されざる者なのかも知れない。怒り、復讐、欲といった人間の罪。それらを持った人が許されざる者ということでどうだろうか。
 終盤の戦いで5人を撃ち殺したマニーが、現場である酒場から雨の降る夜の町に出て行く時に、「俺を撃った奴は殺す。そいつの女房も友達も殺す」と脅した上で「ネッドの死体を埋葬しろ。娼婦を人間扱いしろ。さもないと皆殺しだ」と言うのだがこの時にマニーのバックには暗いのでちょっと見にくいが星条旗がかかっている。この星条旗の意味もどう捉えたらいいか分からない。マニーの発言に権威を与える象徴としての星条旗なのか、無法者が強引な要求を星条旗を傘に述べているという風刺としての星条旗なのか。愛国者のイーストウッドが星条旗を風刺には使わないだろう。とすると権威としての星条旗なのか。でもそうすると許されざる者のバックにはアメリカがいることになり、やはり風刺に。堂々巡り。『ブロンコ・ビリー』(1980)で精神病院の患者たちに星条旗を縫い合わさせてウエスタンショーのテントを作るといったとんでもない星条旗の使い方をやったイーストウッドだからもちろんこれにも意味があるだろう。なんのために星条旗を出したのかな。分からん。
 湾岸戦争(1991年)の翌年に製作されたという微妙な時期。この作品のシナリオは10年以上前に書かれたのを、イーストウッドがマニーを演ずるのに相応しい年齢になるまでしまっておいたそうだが、シナリオ段階で星条旗はあるのか。湾岸戦争を受けて星条旗を入れてきたというのは穿った見方なのか。イーストウッドは愛国者だが侵略戦争には反対の姿勢を表明しているという。『ハートブレイク・リッジ』(1986)でも朝鮮戦争については語られてもベトナム戦争に対する意見はするっとスルーされちゃってる。同じ愛国者でもジョン・ウェインみたいに「アメリカバンザイ。ベトナム戦争は正義の戦争で唯一の間違いは負けたこと」と考えてくれているとこの星条旗もそのまんまの意味で捉えれば良いから楽だな。
 イーストウッド組の撮影監督ジャック・N・グリーンによる映像は、当時の乏しい光量のランプや野宿のシーンでのたき火の明かりなど夜のシーンで特に活きてくる。分量で言えば昼間のシーンが多いが、終盤が夜だったせいもあり夜のシーンの印象が強い。
 同じくイーストウッド組の編集マン・ジョエル・コックスはなんとアカデミー賞受賞。個人的には編集は撮影段階と同じぐらい重要だと思っているからこの受賞は嬉しい。
 早撮りのイーストウッドだけあって39日間で撮り上げたそうだ。『地獄の黙示録』の主役オファーが来た時に、「どんなに素晴らしい作品のためでも、何年もジャングルに籠もるなんて信じられんよ」と言ったのがよく分かる。その早撮りのおかげで専業監督並みの作品数があり、そのせいでこうやってイーストウッド特集など始めるときりがなくなってしまうわけだ。
 エンドロールの最後に「セルジオとドンに捧げる」とセルジオ・レオーネとドン・シーゲルの師匠2人に捧げる献辞が出てくる。こう言うことはあまりやらない人だからこの言葉の重みとこの作品に対する自身が伝わってくる。
 ともあれ賞金首のカウボーイは2人いるのだが、1人はナイフで切り刻んだ男だから構わないとして、もう1人は隣の部屋に女といて騒ぎを聞きつけて制止に入ったんだから何も悪いことはしてないと思うんだがな。連帯責任ってことなのか。しかも死に方は即死ではなくて腹を撃たれて苦しんで死んだ。気の毒に。

B003L94EX6.jpg

『ルーキー』(1990) THE ROOKIE 120分 アメリカ WARNER BROS. PICTURES、MALPASO PRODUCTION

監督:クリント・イーストウッド 製作:ハワード・カザンジャン、スティーヴン・シーバート、デヴィッド・ヴァルデス 脚本:ボアズ・イェーキン、スコット・スピーゲル 撮影:ジャック・N・グリーン プロダクションデザイン:ジュディ・カマー 美術:エド・ヴァリュー 編集:ジョエル・コックス 音楽:レニー・ニーハウス
出演:クリント・イーストウッド、チャーリー・シーン、ラウル・ジュリア、ソニア・ブラガ、ララ・フリン・ボイル、トム・スケリット、ペペ・セルナ、マルコ・ロドリゲス、ピート・ランドール、ドナ・ミッチェル、ザンダー・バークレイ、トニー・プラナ、デヴィッド・シェリル、ハル・ウィリアムズ、ロイド・ネルソン、ジョエル・ポリス、ポール・ベン=ヴィクター、ロバータ・ヴァスケス

 ルーキー新一。いや言ってみただけ。
 クリント・イーストウッド監督作としては一番凡庸である。オープニングで刑事への昇格面接を受ける警官歴二年のデヴィッド(チャーリー・シーン)が最初は何故殺人課ではなくて自動車盗難課を希望するのかなどを問われているのだが、いつの間にか少年時代に亡くなった弟のことについて厳しく問い詰められ「お前が殺したんだろう」などと言われる。はっ、バブル世代なので縁がなかったが、これが噂の圧迫面接と言うヤツかっ!
 ベットの上で汗まみれになって飛び起きるデヴィッド。隣には恋人のサラ(ララ・フリン・ボイル)がいて心配そうに彼のことを見守っている。うむ、定番通り悪夢だったのか。定番。定番なんだよなー。イーストウッドにしてはあまりにもありきたりの演出じゃないか。こんなの1000回は観たぞ。でも実際に悪夢を見て飛び起きるヤツっているのかね。自分の場合はハッと目が覚めて夢だと気付いてホッとするぐらいで上半身が起きたりはしない。悪夢だと観客に分からせるために大袈裟にしているわけだが、イーストウッドらしくない。
 ニック(クリント・イーストウッド)は自動車盗難課の巡査部長。当時のイーストウッドはちょうど60歳だから出世が遅いね。ここから腕は立つが問題刑事で上とトラブルを起こしがちとか、現場主義であえて昇格試験を受けてこなかったとかが想像出来る。聞き込みと張り込みで高級車の大量盗難事件の現場を押さえるのだが、盗難グループのボス・ストロム(ラウル・ジュリア)に相棒を殺され、自らも負傷した挙げ句盗難グループに逃げられてしまう。
 怪我が治ったニックはさっそく盗難グループの逮捕の計画を持って上司のガルシア警部補(ペペ・セルナ)のところにやってくる。ところが警部補の部屋にはデヴィッドがいたので、「内輪の話だから」と追い出そうとするが、「そいつがお前の新しい相棒だよ」といわれ「このお坊ちゃんが?」と目をシロクロ。デヴィッドのことは端から馬鹿にしているリックに、年寄りが何を言ってやがるとデヴィッドはムッとするが「なんでバッジが逆さまなんでしょうね」などとからかわれてしまう。この辺りのやり取りはラストに繰り返しのギャグとして使われるので注意。
 最初はついにハリー・キャラハンも後進の指導に当たることになったのかと思ったが、ニックのキャラクターは『ガントレット』(1977)のベン寄りである。あそこまでのダメ人間ではないが、頭頂のために張り込んでいる最中にスキットルに入れたウィスキーをチビチビあおっている。結婚歴はあるが奥さんには逃げられたようだ。デヴィッドの父親は大金持ちで、パーティーで出会ったニックに「息子を守ってくれ」と金をポケットに入れてくるのだが、その金をデヴィッドに返したところ色々あって最後には地面に捨てられてしまう。と、そこへ伸びてくる1本の腕。金を拾って改めてポケットにねじ込んだのはニックであった。子守の金をもらうつもりはないが、捨ててくんならもったいないから俺がもらうよといったところである。ハリーならば絶対に拾わない。
 デヴィッドは少年時代の弟の事故死を自分のせいだと思っていたが、父親はそんなデヴィッドを叱らずに、逆に甘やかして欲しがるものは何でも与えてきた。ただしデヴィッドは「愛情だけは与えてくれなかった」と思っているようでファザーコンプレックスを抱えているようである。一流大学の経済学部に通っていながら、卒業直前に中退して警官になったのは父親への反抗心から出た行動だろう。
 ルーキーとして経験豊富な掲示の元にやって来たデヴィッドが、現場での捜査を教わる内に師弟関係となり、ひいては欠けていた父親に対する愛情をニックを通して取りもどしていくのかなと思ったら、ニックの家を訪れたデヴィッドが、ニックのバイクコレクションを褒め、どうしてもエンジンがかからないというビンテージバイクを調整して1発でエンジンをかけてしまったところ、デヴィッドがニックを見直して一気に友情めいた感覚が生まれるのはどんなもんだろうか。アメリカ人は年上の上司とも職場を離れたら友人関係を平気で持つからな。
 それでも現場ではひよっこ扱い。相棒どころかお荷物と思われているが、デヴィッドはニックの捜査方法を見て少しずつ学んでいく。情報屋を脅迫して得た情報でストロムの盗難自動車改造工場を摘発し、ストロムを破産寸前に追い込む。困ったストロムはカジノの大金庫を襲撃する計画を立てるが、その情報も手に入れていたニックとデヴィッドは大金庫の中に隠れていて、200万ドルを狙ったストロム一味を取り押さえる。しかし、自分に向かってくるストロムの情婦に拳銃を向けながらも戸惑って撃てなかったデヴィッドは拳銃を奪われ、「ど素人が」と情婦から背中を三発撃たれてしまう。
 防弾チョッキを着用していたため、デヴィッドは軽い怪我ですんだが、ニックが誘拐され200万ドルの身代金を要求される。観客がどのように防弾チョッキの存在を知るかというと、カジノの中からヨロヨロと現れたデヴィッドは何故かシャツを脱いでおりその下の防弾チョッキが露わになっているからだ。この演出も凡庸である。よく、防弾着を着ていた登場人物が撃たれた後に上着をめくって防弾着を確認するという動作を入れて観客に防弾着のことを伝える描写があるが、あれは個人的にどうにも恥ずかしい。そんな奴おらへんやろ。甚だしきに至っては「防弾チョッキのおかげで助かったぜ」とセリフまで付け加えて説明する奴がいるが、こんな奴は頭を撃たれてしまえと思う。じゃあお前はさぞ良いアイディアを持っているのだろうなと言われると、これが困ってしまう。分からない人はしょうがないわと割り切れば楽なんだけど、撃たれたのになんで無事なのかは全員が分かってくれないと話が進まない。基本的に防弾着は御法度にするかなぁ。
「身代金目当ての誘拐が多発するといけないから、身代金は出せない」と市長と警察長官が決定し、ニックが殺されるのを覚悟で偽のカバンでストロムたちを騙すことになる。デヴィッドは父親の元に押しかけて「200万ドル出してくれ」と頼み込む。いや、あの態度は頼んでないな。半ば命令である。そして父親は現金を用意してくれるのだが、このことでデヴィッドが感謝の念を持ち、ひいては親子の和解に繋がっていくのならば父親も金を出した甲斐があろうというものだが、そういうデヴィッドの人間的成長には全く繋がらない。お父さんは返済無用の"むじんくん"状態。ラストショットが虚しい。
 前半はストーリーの主導権をニックが握っていたが、後半はニックが監禁されて身動きがとれないのでデヴィッド主導になっている。往年のスターから若手スターへのバトンタッチは上手くいっている。でも、素直に監禁されている"イーストウッド"ではない。椅子に座らされ後ろ手で手錠を繋がれているのだが、その状態で見張りをしていたストロムの情婦が欲情し、跨がってきた情婦に無理矢理させられてしまうのだ。逆レイプである。後ろには監視カメラのモニターが幾つもあるのだが、カメラを切り替えてそのすべてに映し出される逆レイプシーン。「美味しいところは俺が持っていく」なのである。まったく60にもなっていやらしんだから。この人は何回も結婚したりソンドラ・ロックを愛人にしていたりするし、最後の子供は70代になってから生まれているけっこうな女好きである。しかし、この逆レイプや『恐怖のメロディ』(1971)などを観ると単なる女好きではなく、一種の恐れというか屈折を感じる。それにしても1930年生まれの自分と二枚看板となる若手スターにチャーリー・シーン(1965年生まれ)を選んでしまったことを今では悔いているであろう。この作品でのチャーリー・シーンは悪くないが、その後がなぁ。あの年代はブラッド・パックとかいってわっと出てきてわっと消えた。年は3つ上になるけどトム・クルーズという選択はなかったのだろうか。うーむ、でもトム君に似合う役でもないな。同じ1963年生まれのブラッド・ピットはと思ったが、この頃は端役時代なんだよな。
 ストロムと情婦はお互いに銀の弾丸をネックレスにしていて、片方が死んだ場合はもう片方はその弾丸で自殺するという約束を結んでいる。で、刑事物というとやはり拳銃は欠かせないのだが、ニックが携帯しているのが普通にオートマチックなのに時代の変化を感じた。警官たちが一斉に銃を構えるシーンでもオートの方が多かった。イーストウッドに似合うのはやはり大口径リボルバーだとは思うので一抹の寂しさは感じる。
 ラストはストロムたちが国外逃亡のために空港に逃げ込み、そこで銃撃戦となる。まずはミニウージーを乱射しまくる情婦を追ったデヴィッドがその後ろに回り込み、「ど素人が」と銃弾を撃ち込む。ニックはストロムを追いつめ、警備員から借りた(奪ったともいう)リボルバーの引き金を引くが「カチン」と乾いた音がするだけだった。警備員は暴発を怖れて5発しか装填していなかったのだ。このちゃんと撃った弾の数を把握しているところで『ダーティーハリー』(1971)を思い出さない人がいるだろうか。ストロムの逆襲を受けたニックは銃弾を食らいとどめを刺されそうになるが、すんでの所で駆けつけたデヴィッドがストロムを撃つ。急所を外したためストロムは生きていたが、その胸元から銀の銃弾をもぎ取ったニックが、「約束を果たしな」とリボルバーに銀の銃弾を装填し脳天をぶち抜く。弾丸の口径にも色々あるしオートかリボルバーかでも違うだろと理不尽さは感じるが、その設定の面白さの前ではどうでもいい。理不尽でも観客をねじ伏せてしまえば良いのだ。
 後半はムッとした顔のデヴィッドが(まぁチャーリー・シーンは素でムッとした顔だが)酒場で大暴れして片っ端からぶん殴った挙げ句火を点けて燃やしてしまう。それどころか襲いかかってきた闘犬を撃ち殺してしまう。撃たれた犬は画面外に押し出されてはいるが、ハリウッド娯楽作で主人公が狂犬でもない犬を撃ち殺すなんてかなり珍しい。
 前半の見せ場は盗難車を乗せたキャリアーを追う覆面パトカーのカーチェイスで、後半の見せ場は爆弾で大爆発する工場からのベンツでの大ジャンプによる脱出。ニック曰く「ドイツ車はさすが丈夫だな」だそうである。しかしあの大爆発は「あれ? 製作はジェリー・ブラッカイマーだったっけ?」と思ってしまった。
 ラストは序盤のやり取りで繰り返しのギャグをやって、これが綺麗に決まっている。事件解決からの時間経過がちょっと謎だが。
 ストロムの手下にサラが襲われるシーンで、デビュー当時のイーストウッド出演作『世紀の怪物/タランチュラの襲撃』(1955)がチラッと映る。
 この作品でかなりストレスが発散出来たのか、イーストウッドアホ期間は終わる。そしてほとんど毎年のペースで出演作・監督作があったイーストウッドが珍しく2年間もの沈黙に入ることになる。当時60、普通の勤め人ならば定年だがイーストウッドのは準備期間であった。

B00CPC0JOI.jpg

『ホワイトハンター ブラックハート』(1990) WHITE HUNTER, BLACK HEART 112分 アメリカ WARNER BROS. PICTURES、MALPASO PRODUCTION

監督:クリント・イーストウッド 製作:クリント・イーストウッド 原作:ピーター・ヴィアテル 脚本:ジェームズ・ブリッジス、バート・ケネディ、ピーター・ヴィアテル 撮影:ジャック・N・グリーン 音楽:レニー・ニーハウス
出演:クリント・イーストウッド、ジェフ・フェイヒー、ジョージ・ズンザ、アルン・アームストロング、マリサ・ベレンソン、シャーロット・コーンウェル、エドワード・チューダー・ポール

 さてと、この作品がクリント・イーストウッド作品の中で自分にとって一番位置づけが難しく、どうしたらいいのかよく分からない作品である。
 撮影をコンパクトにまとめたい性分のイーストウッドには珍しく一大アフリカロケを敢行している。題材は『アフリカの女王』(1951)をモデルにした小説の映画化で、同作の監督ジョン・ヒューストンを置き換えたジョン・ウィルソン(イーストウッド)が主人公である。
 大ヒット小説の映画化なのだが、ジョンは脚本のラストを主人公達がみんな死んでしまうと言った内容に変更してしまっている。このことからも分かるが、ジョンは破滅型の人間である。そのリライトに呼ばれた小説家ピート・ヴェリル(ジェフ・フェイヒー)は原作・脚本のピーター・ヴィアテルがモデルで、おそらく小説では語り手で合ったと思われる。映画は三人称視点だが、あえて言うならばピート視点だからだ。ヴィアテルは今作の脚本にも参加している。共同執筆はジェームズ・ブリッジス(『チャイナ・シンドローム』(1979)の監督・脚本)とバート・ケネディ(ハルク・ホーガン主演の『マイホーム・コマンドー』(1991)の監督)というよく分からない顔合わせだ。
 プロデューサーは予算節減のために主要部分はイギリスの川で撮って、どうしても必要な部分だけアフリカロケをしたらどうかと提案するが、ジョンは1カットたりともアフリカ以外で撮る気はないと主張する。
 そしてジョンとピートは撮影隊に先立ちエンテベ空港に降りたってアフリカ入りし、現在のタンザニアやコンゴに拠点を構える。ピートはラストをアフリカの川を下り、急流やドイツ軍と戦った主人公男女を死なせるのではなくハッピーエンドにするよう主張するが、ジョンは映画のことなど考えずに象狩りのことで頭がいっぱいである。
 ジョンはロケハンも放り出して、白人の狩猟ガイドと現地黒人イヴをガイドに象狩りに出かける。そこで大きな牙を持った牙象を見つける。イヴはいけると判断するが、白人ガイドは周りに子象を連れた雌象が多くいるため危険だと判断し一行は引き返すことになる。白人ガイドの判断を不満に感じたジョンは彼を首にし、代わりに500頭もの象を仕留めた新しい白人ガイドとイヴと共に狩猟に出かけ、再び同じ牙象と巡り会う。周りに子象を連れた雌象もいたが、今度はイヴの判断に従ってジョンは象撃ち用ライフルを手に牙象に立ち向かう。
 しかし牙象の至近距離に寄ったジョンは、何を考えたのかライフルに安全装置をかけ牙象を撃つのを止める。と、ジョンに子象が近寄ってきて牙象が警戒して暴れ始めた。イヴはジョンと牙象の間に入って、牙象の注意を引きつけその巨大な牙の餌食になってしまう。
 イヴの村に帰ってその死を報告すると、ドラムが通信音を奏ではじめる。
「ホワイトハンター ブラックハート。白人のハンター 悪魔の心」と。
 これまでのハイテンションが嘘のように落ち込んだジョンはピートに「君の言ったラストにするよ」と告げ、ディレクターズチェアに座り、スタッフに向かってかすれた声で「アクション」と命ずる。そしてカメラは回り始めた。

 ジョンはユダヤ人を揶揄した女性を言葉でもってやり込めたり、黒人ウェイターのミスを怒鳴りつけているアフリカのホテルの支配人に決闘を申し込んだりと非人種差別論者である。イヴのことも心から信頼し、お互いに言葉が通じないのにピートが不思議がるほど意志が通じ合っている。
 この作品の大きな謎はどうしてジョンは牙象を撃たないことに決めたのかである。映像的にはビビってしまったのではなく、何かに感銘を受けて安全装置をかけたように見える。象を見かけたピートが、象と自然に対して畏怖の念を口にするが、個人的には同じような理由に見えた。牙象の巨大さとその姿が自然にとけ込んでいる美しさに殺すのを止めたのではないだろうか。しかし、自然は安易に踏み込んできた人間に牙を剥き、その結果イヴは死んでしまう。その亡骸を車まで持っていって村まで運ばないのも謎だ。
 そして「ホワイトハンター ブラックハート」である。映画の途中までは黒人の味方をしてイヴとも親しくなったジョンのことを白人のハンターだが黒人の心を持っているという意味だと考えていたのだが、いきなり"悪魔の心"である。黒人が白人のハンターの悪魔の心の犠牲になったという意味なのだろうが、これがどうにも唐突だし収まりが悪い。イヴがジョンを守るために命を落としたことに敬意を払い「白人のハンター 黒人の心」なら素直に納得出来るのだが。この点については誤訳の可能性も考えたが翻訳は分からないことは調べないの戸田奈津子ではなくて細川直子だった。でも2人とも清水俊二の弟子なんでなっちゃんとは無関係ではなくどこかで不安も感じてしまう。いくらでも訳しようがあるストレートな単語だけに解釈も幅広いと思うのだ。
 "悪魔の心"だとアフリカを前にして不遜だったジョンがその自然に叩きのめされて、ハッピーエンドを受け入れ職人映画監督に徹したようにとれてしまう。だが『アフリカの女王』は職人映画の作品ではないし、ジョンの妥協の産物にも思えない。
 そもそもなぜイーストウッドがジョン・ヒューストンを題材にするのか。原作の小説が気に入ったといわれればそれまでだが、映画監督の資質としては2人はかなり異なった存在である。そもそもこの作品のジョン・ヒューストン像は正確なのかに関しては、『アフリカの女王』の撮影に同行した原作者がかなりのメモ魔で詳細な点まで書いていたことや、ジョン・ヒューストンはすでに死去していたので会えなかったが、代わりに娘のアンジェリカ・ヒューストンとイーストウッドが面談して父親の話を色々聞き出したそうなので信頼は置けそうだ。ロケをほったらかして象狩りに興じていたのも事実である。寸前で撃つのを止めたのはフィクションだと思うが。
 大自然に打ちのめされてかすれた声で「アクション」と言ったというとらえ方だと、ヒアリングしたジョン・ヒューストン像とは食い違っているように思う。あれは何かを悟った「アクション」ではないだろうか。では何を悟ったのかというと、今回観てもまだ掴めなかった。他のイーストウッド作品でここまで読み解けないことはなかったつもりなのだが、やはりこの映画は独特である。
『バード』(1988)と同じくこの作品も日本ではアートフィルム扱いとなり、公開はミニシアターだった。ちょっと前だったら考えられないイーストウッドとミニシアターという組み合わせ。カンヌ映画祭ではパルム・ドールの候補作品となり相変わらずヨーロッパ受けは良いのであった。アメリカが"映画作家"としてのイーストウッドを発見するのはもう少しだけ先である。

B00CPC0IZS.jpg

『ピンク・キャデラック』(1989) PINK CADILLAC 122分 アメリカ WARNER BROS. PICTURES、MALPASO PRODUCTION

監督:バディ・ヴァン・ホーン 製作:デヴィッド・ヴァルデス 製作総指揮:マイケル・グラスコフ 脚本:ジョン・エスコウ 撮影:ジャック・N・グリーン 音楽:スティーヴ・ドーフ
出演:クリント・イーストウッド、バーナデット・ピータース、マイケル・デ・バレス、ジェフリー・ルイス、ティモシー・カーハート、ジョン・デニス・ジョンストン、ジミー・F・スキャッグス、ビル・モーズリイ、マイケル・チャンピオン、ジェームズ・クロムウェル、フランシス・フィッシャー、ジム・キャリー

 ピンクのキャデラックというとアメリカ人にとっては特別な車だそうで。エルヴィス・プレスリーが「男の夢だぜーピンクのキャデラック♪」とか歌ったようで、アメリカンドリームの象徴の一つだったようですな。マザコンのプレスリーが母親に贈った車がピンクのキャデラックでもあったそうだ。去年のトヨタのCMでビートたけしとジャン・レノがピンクのクラウンに乗っていたが、あれはピンクのキャデラックのオマージュだったのか? ピンクのクラウンは発売したはずだが街で見かけたことがない。トヨタのお膝元の名古屋市中心部に住んでいるというのに。まぁクラウンじゃなぁと言う気もする。団塊の世代辺りの人だったらクラウンは成功の象徴だったのかも知れないが、若い世代にとって車は成功の象徴に入ってこないんじゃないの。
 この作品は一言で言ってアホである。クリント・イーストウッド関連作一番のアホ映画である。バカ映画はこれまでにもあったし、イーストウッド本人が役者バカで映画バカだ。だがそれとアホは違うんである。『ハートブレイク・リッジ 勝利の戦場』(1986)から『ルーキー』(1990)までのイーストウッド作品はどこかアホの香りのする物が多い。『ダーティーハリー5』(1988)もアホだ。『バード』(1988)と『ホワイトハンター ブラックハート』(1990)はどうだと言われると困るが、自分の趣味でジャズを題材に大好きなチャーリー・パーカーで1本撮ってしまったり、普段は小規模なロケと撮影が好みなくせしてはるばるアフリカロケを敢行してしまう辺りどこかアホな気がしないでもない。
 この"クリント・イーストウッドアホ期間"は何故生じたか? その理由はおそらく1986-1988に務めたカーメル市長という役割ではないだろうか。イーストウッドは映画製作においてイーストウッド組とでもいうべき同じメンツを使う好みがある。この作品監督バディ・ヴァン・ホーンはスタント上がりで、イーストウッド映画のスタントから助監督を経てイーストウッド映画の監督になった。そしてイーストウッド主演作を3本撮った後、またスタントの世界に戻りいまだにイーストウッド作品でスタントコーディネーターをやっている。音楽のレニー・ニーハウスはイーストウッドが俳優になる前の陸軍兵士時代からの友人だそうだし、撮影ではジャック・N・グリーンがよく顔を出す。編集も同じ人がやっていることが多いな。そんなイーストウッド組ではイーストウッドがあれこれ細かいことを指揮しなくてもツーカーの仲で理解してくれる。
 それに対してカーメル市長である。カーメル市は人口5000人ほどの小さな町で、芸術家が多く住んでいたり、観光客もそれなりにいるらしい。主産業は分からなかったが、農業か観光であろう。映画製作において監督や主演俳優は王様である。「あの雲をどけろ」と美術に命じた黒澤天皇はさすがに例外だろうが、ある程度の独裁者としての気質がないと映画監督なんてやってられない。民主主義では映画は作れない。監督を頂点としたピラミッド構造な製作現場で映画は作られる。それに対して市長という仕事は民主主義によって運営されている。市長が「こうしよう」と思ってもすぐにそれが実現出来るわけではない。会議に議題として出され、討論され、採決をとって賛成多数だったらようやく実現する。下から上がってくる議題には気に入らない物も多いだろうが、それを握りつぶすわけにもいかない。映画界では味あわなかった苦労もあったことだろう。ストレスも溜まったことだろう。
 そのストレス解消法として"クリント・イーストウッドアホ期間"の作品群は作られたのではないだろうか。「気の合う奴集めて、ワーッと騒ぎながら映画撮って楽しもうぜ」てなもんだ。
 そうでもしないとこの『ピンク・キャデラック』は説明がつかない。『ダーティーファイター』シリーズはハル・ニーダム&バート・レイノルズコンビの方が似合うと言ったが、この作品もハル&バートの方が似合う。主人公のトム(イーストウッド)は西部劇ならぬ現代を生きる賞金稼ぎである。『WANTED ウォンテッド』(1986)のルトガー・ハウアーは警察が逃亡中の犯罪者にかけた賞金目当てで捕まえてくる賞金稼ぎだったが、そのタイプではなくて被告人が保釈金ローン会社から借りた保釈金&利子を踏み倒して逃げた場合、ローン会社が被告人に対してかけた賞金目当てで捕まえてくる賞金稼ぎだ。『ミッドナイト・ラン』(1988)のロバート・デ・ニーロと同じタイプである。どうでもいいけど『ミッドナイト・ラン』のBlu-ray早く出ないかな。
 トムの特長はあまり意味のあるとは思えない変装をすること。オープニングでは逃亡者にラジオのDJの振りをして電話をし「あなたにドリー・パートンと過ごす一夜が当たりました」と嘘をつくと、迎えに来たリムジンの黒ずくめの運転手に変装していてリムジンに乗り込もうとした逃亡者を捕まえる。精一杯好意的に解釈して、迎えに行くと居場所を聞き出したのかもしれないが、わざわざ本当にリムジンで行く必要はないし、そもそも保安官事務所の協力を得てそこからDJの電話をしているので、この時点で居場所は分かっているはずである。暴れ牛乗りの会場では、競技に参加していて牛から落ちた逃亡者を助けるピエロに変装して捕まえる。だからその変装の意味なんだよ。本人が楽しいからやっているとしか思えない。でもどっか痛々しいんだよな。これがバート・レイノルズだったら持ち前の陽性キャラで笑わせてくれるんだろうが。
 今回の仕事は偽札大量所持で捕まり保釈金を借りて姿をくらましたルー・アン(バーナデット・ピータース)を捕まえてくることである。ルー・アンは産まれて間もない赤ん坊を連れている。トムはルー・アンを捕まえるものの、彼女を人種差別武装集団"純血団"が狙っており珍道中を繰り広げることになるのだが、赤ん坊という小道具も上手く活かせておらず、全体的に「えっここ笑うところですか」という仕上がりになっている。
 ルー・アンはトレーラーハウスに純血団の下っ端の夫と赤ん坊と一緒に暮らしている。純血団が偽札を手に入れてきて、それをトレーラーハウスに隠していたのがバレて彼女が逮捕されてしまったのだ。夫に腹を立てているルー・アンは彼が大事にしているピンクのキャデラックに乗ってあてのない旅に出る。しかし、車に大量の偽札が隠してあったのを見つけリノのカジノに乗り込む。
 あまりオツムが冴えたタイプではないルー・アンはあっと言う間にトムに捕まってしまう。そして偽札が見つかり「良く出来てるでしょ、それ」「そりゃそうだ。合衆国が発行した本物だ」となる。純血団は偽札を仕入れてきては地道にそれを本物に交換してきたのだ。純血団も頭の悪そうな奴ばっかりだったんで、高額紙幣で小額な商品を買ってその釣り銭を貯めたとかではないだろうか。当然、純血団が追いかけてきて、彼らが山にこさえたアジトに赤ん坊が誘拐されてしまう。相手は自動小銃などで武装している。トムとルー・アンは無事に赤ん坊を取り返すことが出来るのか。
 ジェフリー・ルイスが久々のイーストウッド作品出演で、ヒッピー崩れの偽ID作りをやっていてここはさすがの名コンビで笑えるが往年の漫才師を観るような一抹の寂しさもあった。
 リノのカジノホテルはラスヴェガスに負けず劣らず豪華でピカピカ電飾ギラギラ。日本でもカジノ法案とかやってるけどこのレベルのが可能なのかね。無理だったら外国から客は呼べないので、日本人が損して損して損して損してたまに得するだけの場所になってしまう。
 ラストの純血団アジトでの銃撃戦は、バリバリと撃ちまくっているだけで個性のないもの。分類上はコメディなんで、トムがハリー・キャラハン張りに敵を撃ち殺しまくっても困っちゃうけどさ。
 そして赤ん坊を取り返してピンクのキャデラックで逃げ出す。追っ手の車は山道で滑って水たまりに突っ込む。
 アスファルト舗装された長い道を走っていくピンクのキャデラック。あれ、純血団の追っ手あれだけ? このままハッピーエンド? 車内ではルー・アンが「お金はこの車に積んだままだし、それを元手に探偵社を開きましょうか。ルー&トム探偵社」「おい、こら」「やだー、トム&ルーでも良いのよ」とか話している。うーむ、なんだかこのまま『こちらトム&ルー探偵社』というあまり出来のよくないテレビシリーズでも始まりそうなエンディングだ。正確に言うならば『こちらトム&ルー探偵社』のパイロット版としてに時間の作品を作ってはみたものの、出来が悪いんでそのままお蔵入りになったって感じ。
 純血団はアジトで射撃訓練を行っており、気の間に這わせたロープにヘリコプターの形に切り抜いた板をぶら下げて『けいさつのヘリ』とか書いたのを撃って喜んでいるおバカな面も持っている。コメディ的にはこのおバカさをもっと活用して、『ダーティーファイター』シリーズの"毒グモ団"ぐらいのバカにすればもうちょっと観られるものになったかも知れない。
 カジノのショーでTシャツの袖口まで手首をしまい込んだ男がエルヴィス・プレスリーの物真似をしているがこれがジム・キャリー。『ダーティーハリー5』より出番が大幅に少なくなっているな。手が極端に短く見えるのだが、役名だと核でどうかなっちゃったエルヴィスとかっぽいらしい。放射能で奇形人間になったエルヴィスって事?
 徹底した成り行き任せっぷりで、イーストウッドには良いストレス解消になったのかも知れない。イーストウッド作品前Blu-ray化運動を個人的に繰り広げているが、この作品はしなくていいかも。DVDでも日本語吹替入ってるしね。

B003EVW5LY.jpg

『バード』(1988) BIRD 161分 アメリカ WARNER BROS. PICTURES、MALPASO PRODUCTION

監督:クリント・イーストウッド 製作:クリント・イーストウッド 製作総指揮:デヴィッド・ヴァルデス 脚本:ジョエル・オリアンスキー 撮影:ジャック・N・グリーン 音楽:レニー・ニーハウス
出演:フォレスト・ウィテカー、ダイアン・ヴェノーラ、マイケル・ゼルニカー、サミュエル・E・ライト、キース・デヴィッド、マイケル・マクガイア、ジェームズ・ハンディ、デイモン・ウィッテカー、サム・ロバーズ、ビル・コッブス、ジョン・ウィザースプーン、トニー・トッド、アンナ・トムソン、トニー・コックス

 熱烈なジャズマニアとして知られるクリント・イーストウッドが、自らのアイドルであるチャーリー・パーカーを題材にして作った伝記映画。いや、ファン映画だな。
 私は音楽はなくても生きていけるタイプの人間なので、もとよりジャズに興味はないし、この作品を観るまでチャーリー・パーカーという人物の存在も知らなかった。「なんだそれ、常識だろ」と言う人もいるかも知れないが、そこはそれ人それぞれと言うことで。
 イーストウッド曰く「アメリカ特有の文化は西部劇、ブルース、そしてジャズである」なんだそうな。西部劇は多少観ているが、ブルースとジャズに関して無知な私はアメリカ文化を理解してないって事だ。イーストウッドの言葉を日本に置き換えると「日本特有の文化は時代劇と、歌舞伎、そして大相撲だ」にでもなるんだろうか。
 イーストウッド監督作としては、これまでの流れに沿ったストーリー展開や直接的な描写ではなく、フラッシュバックやフラッシュフォワードの多用による時間軸の操作、少年時代にコンサートで失敗した時にドラマーが投げたシンバルが挫折や困難の象徴として時折登場するなど、より冒険的な手法を取り入れ、作家性を高めている。その甲斐あってかゴールデン・グローブ賞の監督賞を受賞しており、アメリカがようやく映画作家としてのイーストウッドを認めた記念的作品となっている。国際的にも評価は高く、カンヌ映画祭ではチャーリー・パーカー役のフォレスト・ウィティカーが主演男優賞を取っている。アメリカの鶴瓶ことフォレスト・ウィティカーはそれまで『ハスラー2』(1986)でポール・ニューマンをカモっていたハスラー役が印象に残っているぐらいで、後は『プラトーン』(1986)での端役や『グッドモーニング、ベトナム』(1987)でロビン・ウィリアムズの相手役をしていたぐらいか。それが一躍大出世である。
 チャーリー・パーカーはビ・バップの創始者とからしいのだが「ビーバップ・ハイスクールがどうしたの?」といった的はずれの感想しか思い浮かばない。才能のある人だが、薬物とアルコールの過剰摂取による破滅型人生を突き進んでいたようだ。才能と不幸は紙一重なのか。チャーリー・パーカーが朝晩のジョギングと週二回のジム通いを欠かさず、健康に気をつけて天寿を全うするような人だったら音楽の才能は発露されないのだろうか。
 ニューヨークのジャズバーを中心に活動しながらも、全米各地に仲間と共に演奏旅行に出かけた。南部に行った時には、仲間の白人トランペッターを"アルビノ・レッド"という芸名にしてしまい、「神様が色素を入れ忘れたけど黒人です」と言い張っていた。会場は2階席が白人専用で1階フロアが黒人専用となっていた。もしもアジア人が聴きに行ったらどちらに入れられたのだろうか。
 映画の序盤で洗面所の薬品を飲んで自殺未遂をしてチャーリー・パーカーは精神病院に入院させられるのだが、ショック療法を試してもいいか? ただし音楽のことを忘れてしまうかもという医師に対し、「夫と音楽家は切り離せない存在」と言い切る奥さんはチャーリー・パーカーが黒人なのに対し白人である。チャーリー・パーカーに対する所見として「人種、ニグロ」と医者が述べるような時代である。黒人に対する人種差別はまだ強くて困難を抱えた結婚であったことだろう。
 自殺未遂の理由はフラッシュバックによって後になってからようやく観客に提示される。あー、これは辛いだろうなと思わせる。だがその事件は奥さんにとっても非常に辛い事件であるのだが、彼女に対するイーストウッドの視点は比較的冷酷な気がする。
 結局、チャーリー・パーカーは肝硬変、潰瘍による心臓への圧迫、内出血などによって知人宅で亡くなるのだが、医師が推定年齢60代としたところを知人が「34歳です」と訂正する。そこまで彼の身体はボロボロだったのか。人の2倍の早さで人生を駆け抜けていったのだ。
 ちなみに知人が水を汲みに行っている間にチャーリー・パーカーは心臓発作で死んでしまうのだが、彼が観ていたテレビは実際に本人が観ていた物だそうである。よく映像残ってたな。
 イーストウッド監督作で本人が出演していないのは『愛のそよ風』(1973)に続いて2作目。『バード』の脚本はそもそもコロンビア映画が所有していたのだが、イーストウッドが交渉して買い取ったらしい。コロンビア側は「イーストウッドがチャーリー・パーカーを演ずるなんて失敗するに決まっている」と安く売ったらしい。まぁさすがにこれは冗談のようで『パープル・レイン』(1984)などのプリンス主役で考えていると思ってたようだ。コロンビア側としてはチャーリー・パーカーをリチャード・プライヤー(『スーパーマン3 電子の要塞』の天才プログラマ)主演で企画していたらしい。プライヤーはコメディアンだぞ。破滅型人格者にはとても見えんがどういうつもりだったのだろうか。そっちも観てみたかった。"バード"とはチャーリー・パーカーのあだ名だそうだ。厳密には"ヤードバード"。著名なジャズプレイヤーが出演しているそうだが、私に分かるはずがない。
 ちなみにDVDの副音声にはサウンドトラックが収録されているといった凝った趣向になっている。