『間諜最後の日』 ボタン一つで決めつけるな

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『間諜最後の日』 (1936) THE SECRET AGENT 87分 イギリス

監督:アルフレッド・ヒッチコック 原作:サマセット・モーム 脚本:チャールズ・ベネット 撮影:バーナード・ノールズ 音楽:ルイス・レヴィ
出演:ジョン・ギールグッド、パーシー・マーモント、ピーター・ローレ、マデリーン・キャロル、ロバート・ヤング、リリー・パルマー

 舞台は1916年、第一次世界大戦の真っ最中。そんな中、ある作家の通夜が行われた。来客が帰った後、取り仕切っていた片腕の男が棺桶をひっくり返すと中は空っぽ。作家のブロディはイギリス情報部によって死んだことにされ間諜(スパイ)に採用されたのだ。
 ドイツがアラブ諸国と手を結ぼうとしている。それを防ぐためにブロディにアシェンデンという偽名が与えられ、指揮官のR(『007』シリーズのMといい、イギリス情報部の上司はアルファベット一文字なのか?))にスイスに行き、ドイツから寝返ったスパイに会うよう命じられる。同行者は将軍を名乗るメキシコ人モンテスマ(ピーター・ローレ))。
 スイスのホテルにチェックインしたアシェンデンは妻を名乗る女性エルサが先に到着していたことを知る。彼女はスリルを求めてスパイになった美女である。アシェンデンたちのサポートをすることになっているのだが、実はそんなに役に立っていない。
 寝返ったスパイは教会のオルガン弾きで、彼に会うために二人は教会に行くが一足遅くスパイは何者かによって殺されていた。残されていたのは服のボタンが一つだけ。そして、ホテルのカジノで同じボタンを付けたイギリス人老紳士に出会う。彼がオルガン弾きを殺したのか? 二人は老紳士の殺害計画を練り、実行に移す。しかし……
 サマセット・モームのいくつもの作品からアイディアを集めて脚本を仕上げたらしい。作家のブロディがスパイに仕立て上げられ事件に巻き込まれる巻き込まれ型のサスペンスと言えるかも知れないが、なぜ情報部が自前の腕利きスパイではなく素人スパイのブロディを使ったのかが謎だ。ブロディの作家としての名前を利用するならともかく、死んだことにされ他人に変装しているしな。
 ボタンだけで老紳士を敵のスパイだと決めつけて殺害してしまうのも乱暴なストーリーだ。しかもそれが人違い。殺害は登山の最中に行われるのだが、ホテルに置いていかれた老紳士の愛犬が異変を感じ取ったのかドアをガリガリひっかいて主人を案じるシーンは愛犬家には涙ものである。
 で、真のスパイの正体だがこれがあらかじめ予想されてしまって意外でも何でも無い。もうちょっとひねって欲しかった。
 ピーター・ローレはチリチリパーマに顔にドーランを塗ってメキシコ人を演じている。基本的にはお笑いキャラなのだが、いつか裏切りそうな不気味さがあるのはピーター・ローレだからか。
 スイスが舞台と言うことで、チョコレート工場が重要な舞台として登場する。それにしても原料のカカオが取れるわけでもないのにどうしてスイスやベルギーはチョコレートの名産地なんだろう。水が良いのかな?
 ブロディは直接手を下さないものの、単純な人間違いで老紳士を殺してしまい後味はあまり良くない。ブロディの行動が一直線ではないことをヒッチコックは反省している。
 ラストはヒッチコックが好きな鉄道が舞台になる。中立国のトルコはコンスタンティノープルに向かう列車に連合国の複葉機が二機襲撃してくる。この辺りはミニチュアを上手く使って空撮を実現している。
 そして列車は転覆。真のスパイは死んでしまうが、この転覆シーンももちろんミニチュア。だが、出来は良く迫力があるシーンとなっている。
 エンディングはアラブ諸国と手を組んだ連合国がドイツを打ち破っているシーンが報道されるが、そのなかには『アラビアのロレンス』ことトーマス・エドワード・ローレンスもいたのだろうか?

『三十九夜』 美女と手錠で繋がれて

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『三十九夜』 (1935) THE 39 STEPS 88分 イギリス

監督:アルフレッド・ヒッチコック 原作:ジョン・バカン 脚本:チャールズ・ベネット、アルマ・レヴィル、イアン・ヘイ 撮影:バーナード・ノールズ 音楽:ルイス・レヴィ
出演:ロバート・ドーナット、マデリーン・キャロル、R・マンハイム、ペギー・アシュクロフト、マイルズ・メイルソン

『暗殺者の家』(1934)の成功で自分の好きな企画が撮れるようになったヒッチコックが選んだのは大ファンの作家であるジョン・バカン原作『三十九階段』だった。なぜか日本では『三十九夜』という邦題になっているが、数日の話でどうしてそうなったんだか。
 主人公のハネイがミュージックホールでミスター・メモリーという記憶力抜群の芸人を見物している。そのとき発砲事件が起き、ハネイはアナベラという女性を下宿に連れて帰ることになる。
 アナベラの正体はフリーの諜報員だった。現在はイギリスのために働いており、イギリスの防空に関わる機密が外国に持ち出されるのを阻止しようとしていた。しかし、その晩アナベルは背中を刺されて殺されてしまい、スネアは彼女が握っていたスコットランドの地図に記されたアル・ナ・シェラを目指すことになる。
 掃除婦がアナベラの死体を発見しスネアは殺人犯として手配されてしまう。警察の捜査網から逃れながらスネアはアル・ナ・シェラの“教授”の家にたどり着く。だが、教授こそが機密を持ち出そうとしている悪党だったのだ。教授に銃で撃たれたスネアだが、胸のポケットに入っていた賛美歌集が弾を受け止めてくれて一命を取り留める。そして警察に駆け込むのだが、警察は彼の話を信じてくれず殺人者として取り扱われる。抵抗したスネアは右手に手錠をはめられたまま窓ガラスを破って通りの騒動に紛れ込みなんとか逃げ切る。
 前半の列車での逃走シーンで出くわした美女がスネアを見つけ刑事を呼んでくる。しかしその刑事は偽物で教授の手下だった。スネアと美女は手錠で繋がれてしまうが、護送中の車から逃げ出すことに成功する。
 そして国防省に訴え出るのだが、機密の書類は1枚もなくなっていないという。教授はどうやって機密を国外に持ち出そうというのか。
『映画術』ではヒッチコックがここぞとばかりに語りまくっている。よっぽどしゃべりたくて仕方なかったんだろう。
 ヒッチコックが得意とする典型的な巻き込まれ型サスペンスである。悪党がアナベラだけ殺してスネアを殺さなかったのは疑問だが、単に無関係な人間と思って警戒していなかったんだろう。そういうことにしておく。
 最後の最後まで明らかにならない機密はヒッチコックが言うところのマクガフィンだろう。物語を進めるのに必要だが、それ自体には意味が無い物のことである。
 スネアが美女と手錠で繋がれて宿屋で一夜を過ごしたり、宿を借りた農家の奥さんとちょっと色っぽい雰囲気になるところなどエロくて良い。
 追われる身となったスネアが新聞記事をやたら気にしたり、他人の視線に敏感になっているところに逃亡中の男の心理がうかがえる。
 とにかく展開がスピーディーでどんどん舞台が変わっていく。スネアを警察に売ろうとする人間や、助けてくれる人間なども薄っぺらではなく存在感がある。
 逃走劇としては時代が時代なので古くさいところはあるが、スコットランドの荒野を頸管に負われながら逃げるスネアの姿は絵になる。
 教授が機密を持ち出そうとしていた方法は、あれだな『JM』(1995)だな。「これですべてを忘れられる」と言って死んでいくミスター・メモリーの死は意外だった。
 ラストで舞台上のミスター・メモリーはスネアから「三十九階段とは何か?」と問われてそれに答えてしまい悪党によって銃撃されてしまう。問いには答えてしまう芸人魂が現れていた。
 サスペンスとユーモアが上手く溶け合っていて主人公たちのロマンスも描かれた贅沢な作品である。

『暗殺者の家』 シンバルが鳴り響く時

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『暗殺者の家』 (1934) THE MAN WHO KNEW TOO MUCH 76分 イギリス

監督:アルフレッド・ヒッチコック 脚本:エドウィン・グリーンウッド、A・R・ローリン、D・B・ウィンダム
出演:レスリー・バンクス、エドナ・ベスト、ピーター・ローレ、ノヴァ・ピルブーム

 イギリス時代のヒッチコック作品の大ヒット作。のちにハリウッドに渡ったヒッチコックが『知りすぎていた男』(1956)としてセルフリメイクしたぐらい気に入っているようだ。
 スイスにバカンスに来ていた娘連れの夫婦が知人のフランス人が射殺された現場に居合わせ、彼からシェービングブラシを英国領事に届けるよう頼まれる。ブラシの中には一枚のメモが入っていた。
 しかし、娘が何者かに誘拐されてしまい、夫婦は犯罪が起きる可能性を隠さなければならなくなる。実はピーター・ローレを首領とする悪党が用心ロパ氏暗殺を企んでいたのだ。
 最初は小さな事件からどんどん拡大していくストーリー展開。シリアスだがその中に夫と義理の弟が教会で賛美歌にあわせて「一番前の女に気をつけろよー♪」「えっ、どの女? 僕には見えないよー♪」などと歌で会話するユーモラスなシーンも入っている。
 ピーター・ローレがロパ氏狙撃を企んでいるのは演奏会が行われているアルバートホール。狙撃手にシンバルの音に合わせて狙撃し銃声を消すよう命令してある。ホールで事件が起こることを知った妻は演奏会に駆けつけ怪しい人物を探す。演奏が進み、演奏家がシンバルを構える。もちろん妻はシンバルが合図なのを知らないのだが、それにあわせて緊張が高まっていく。
 夫婦はあまりキャラが強くないが、その分ピーター・ローレがキャラ立ちまくり。危険な不気味なアナーキストを演じきっている。前髪に一筋垂らしたメッシュがオシャレ。
 狙撃に失敗した狙撃手を追いかけてきた警官たちが悪党たちと銃撃戦を始める。かなり球数を撃つし10分近い長さがあるのだが、『暗黒街の顔役』(1932)の終盤の銃撃戦と比べると迫力に欠ける。イギリスとアメリカという国の差なのか、ヒッチコックとハワード・ホークスという映画作家の差なのか。『映画術』によるとイギリスの警官は武装していないので銃撃戦のシーンにあれこれ注文を付けてきて思うように撮れなかったそうだ。「警官は銃を持っていないから消火ポンプで戦わせろ」とか無茶を言ってきたらしい。
 妻が銃の名手というのは序盤で明らかにされていたが、その伏線はラストに屋根を逃げる娘を助けるシーンで活用される。
 ロパ氏は外国の要人としか明らかにされない。外国の大臣なのかなんなのか。狙われていると言うことが重要でその正体はどうでもいいのだ。
 DVDには始まりに淀川長治氏の解説が入っている。しかし『暗殺者の家』には触れずに『レベッカ』や『海外特派員』のこと、ヒッチコックが子供の頃いたずらをして父親に知り合いの警官が管理する牢獄に入れられ恐怖を味わいそれに深い興味を持ったなどについて話している。

『第十七番』 ダイヤモンドですったもんだ

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『第十七番』 (1932) NUMBER SEVENTEEN 61分 イギリス

監督:アルフレッド・ヒッチコック 脚本:アルフレッド・ヒッチコック、アルマ・レヴィル、ロドニー・アックランド 撮影:ジャック・コックス
出演:レオン・M・ライオン、アン・グレイ、ジョン・スチュアート、ドナルド・カルスロップ、バリー・ジョーンズ

 わはははは。私は好きだけどね、人にお勧めは出来ないね。
 ある男が深夜に17番地の空き家に入っていく。そして階段を見上げるのだが、このカットはヒッチコックらしい構図だね。で、二階に上がったら死体が転がっている。そして寝床を探して潜り込んでいたホームレスのベンと出くわす。
 その空き家に次から次へと謎の人物が入ってきて、どうやらこの屋敷には盗品のダイヤのネックレスが隠されているらしい。
 気がつくと死体は生き返っていて(おいおい)、悪党どもはダイヤを奪って貨物列車に乗り、大陸行きのフェリー目指して突っ走る。主人公の男はバスをハイジャックして運転手に高速で走らせ列車を追跡する。
 もうストーリーは破綻していると言って良いだろう。前半の空き家の中で繰り広げられるサスペンスはさすがヒッチコックだけあって水準はクリアしているのだが、登場人物が次から次と出てきて整理されておらずなにがなにやらさっぱり分からん。
 そして中盤からの貨物列車とバスの高速チェイス。前半とカラーが違いすぎて全然繋がっていない。ちなみにこのチェイスではミニチュアが多用されているのだが、モノクロなのであまり気にならない。このミニチュアの疾走シーンはかなりの迫力。ヒッチコックの初期作品では結構ミニチュアが使われているな。『バルカン超特急』のオープニングなんかもミニチュアだった。ラストは貨物列車が接岸していたフェリーに突っ込んで大騒動。
 そしてある人物が唐突に「私は有名なバートン刑事だ」と言い出したら、他の人物がこれまた唐突に「奇遇だな。私もバートン刑事だ」と言い出してチャンチャン。なんだそりゃ。
 とりあえずダイヤのネックレスを巡ってすったもんだの大騒動だな。面白いけどねー、意味が通じてない部分が多すぎてやはり人には勧められないわ。
 主人公よりもベンの方がキャラが立っている。彼がいなかったらもっと評価は低くなるな。
 原作は舞台劇らしいけど、そちらは前半だけの空き家内だけで話がまとまっているんだろうな。

『スキン・ゲーム』 ペテン合戦?

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『スキン・ゲーム』 (1931) THE SKIN GAME 88分 イギリス

監督:アルフレッド・ヒッチコック 原作:ジョン・ゴールズワージー 脚本:アルフレッド・ヒッチコック、アルマ・レヴィル 撮影:ジャック・コックス
出演:エドマンド・グウェン、ジル・エズモンド

『スキン・ゲーム』とは字幕によると『ペテン』のことらしい。名家が成金に以前土地を売った。そこには小屋があり老夫婦が住んでいて、その夫婦はそのまま住まわせるのが売買時の条件だった。
 しかし、成金は工場を建てることを計画しており、その社員たちの住まいを作るために小屋を取り壊して夫婦を追い出すことにする。そこで夫婦は名家の主に泣きつき、主は成金に勝負を挑むことになった。
 そうか、これから知力の限りを尽くしたスキン・ゲーム合戦が始まるのだなと思ったら、話は工場用地のオークションに突入して、成金は名家との競り合いの上大金をはたいて用地を手にする。
 これで成金の勝ちかと思われたが、ある秘密が発覚したことで逆転する。しかしその結果……
「この作品についてはなにも言うことはないね」とヒッチコックは語っている。
 確かにヒッチコックらしい演出や構図は見られない。ある女性が自分に迫ってくる巨大な顔の幻覚を見るシーンがちょっと面白いぐらいか。
 いかにも原作は舞台劇っぽいなと思ったらやはり舞台劇だった。ヒッチコックとしては無理矢理押しつけられた仕事でやる気は無かったようだ。
 途中で脅迫された成金が契約書にサインするシーンで、「正式にやりたい」と相手に聖書を持ってこさせ聖書に手を置いて宣誓させる。日本人にはピンとこないシーンだが、キリスト教国では裁判の証言でも聖書に手を置いて宣誓させるなど馴染みのある光景なのだろう。「神様に誓って嘘は言いません」ということなんだろうが、それを本当に守るのは真に信心深い人ぐらいだろうな。
 ラストは後味が悪く、名家の主の元に老夫婦が「家を取り戻してくれてありがとうございました」と礼を言いに来るが、主は彼らのことはすっかり忘れていた。成金との意地の張り合いだったのだ。